月の旅人

月の旅人

世界遺産の旧市街

世界遺産の旧市街




朝起きてすぐ、カーテンを開けてボスフォラス海峡の見える窓の外を見た。
……降ってる。( ̄- ̄∥)が~ん…
雨が降っていたのだ。下に見える道路も濡れている。
それでも厚い雲なわけではなく、海峡の向こうから赤く燃える朝陽が登り、海面を帯状に赤金色に染めていた。
「観光が始まるまでに晴れるかなぁ」
旅行の天候運にはかなり恵まれている私も、さすがに不安になって呟く。
晴れることを祈りつつ準備を終え、朝食に向かった。
今までとは一味も二味も違った朝食に舌鼓を打つ。同じビュッフェスタイルだったが並んでいる料理が違う。パンも種類が多く、あれもこれも食べたくなった。が、選びに選んで1個だけにし、シェフにオムレツを作ってもらった。具はシェフの前に並べられているものを自分でセレクトして注文するのだ。瞬く間に見事にふわふわのオムレツが出来上がる。このオムレツがおいしかった! おなかに余裕があれば絶対におかわりしていたな。
絶品の朝食その他キッシュや野菜、ヨーグルトにグレープフルーツジュース、シリアルなど、何を食べてもとにかくおいしかった。さらに、甘いところだけ切り取ったの? と思うくらい甘くて果汁たっぷりのメロンをた~っくさん食べた。(*´▽`*)満足♪
メロンの食べ過ぎで、もう1つオムレツが入る余裕はなかった……。でもいい。メロン大好きだし、好きなだけ食べられる機会なんてそうあるわけじゃないからね。←言い訳っぽい(笑)
隣の席にはOさんが座り、お互いに豪華な朝食を前に写真を撮る。
なんと宿泊客以外の人がこの豪華で超美味な朝食を食べるには日本円で3000円もするらしい。トルコの物価を考えると高いことこの上ない。日本でも高いよ……。
そのためか、一般客たちはスーツ姿のリッチそうなビジネスマンが多かった。お知り合いにはなれなかったけど。( ̄▽ ̄;)
オベリスク

『いよいよトルコ最後の観光、イスタンブール市内観光の始まりである。私の旅行運はまだ尽きていなかったようで、すっかり雨が上がった。ふっふっふ。
イスタンブールはボスフォラス海峡を挟んでヨーロッパサイドとアジアサイドに分かれている。さらにヨーロッパサイドは金角湾を挟んで新市街と旧市街に分かれていて、観光するのは世界遺産にも指定されている旧市街。世界で唯一アジア大陸の最西端とヨーロッパ大陸の最東端にまたがる街イスタンブールは、まさに東洋と西洋が混ざり合った不思議な場所だ。シルクロードの最終地点であり、名前くらいは聞いたことがある人が多いであろう有名なオリエント・エクスプレスの終点地でもある。人々の容姿も西洋風で金髪の人もいればアラブ風の濃い眉と造形の人、アジア風の人と様々である。トルコ人と一概に言っても、生粋のトルコ人はもう存在しないのかもしれない。

ホテルのある新市街から橋を渡って旧市街に入った。まず最初に向かったのはブルーモスク西側にある公園。ここは203年に建造されたローマ時代の競馬場跡『ヒポドゥローム』である。
コンスタンティヌス帝が遷都したときには長さ500m、幅117mのU字型競技場に規模を拡大し、スタンドには3~4万人も収容できたとか。トラックは1周すると1300mもあり、現在は車道となっている。戦車競技や馬車競技に使用された他、国民会議場やイベント会場、処刑場としても使用されたらしい。イスタンブール歴史地区(旧市街)の中でも最も古く重要な場所だそうだ。
『ヒポドゥローム』横でバスを降りる。
駐車場は無さそうで、全員が降りるとGさんはそのままバスを発車させてどこかへ去っていった。


ここには3本のオベリスクが残っており、かつての繁栄の遺物として誇らしげにそびえている。
台座最初に説明を受けたのは広場の中央に立っているヒエログリフが彫られた『テオドシウスのオベリスク』。390年にエジプトから運ばれたもので、もともとは新王国時代にファラオのトトメス3世が紀元前1490年にアメン大神殿に建立したもの。皇帝テオドシウス1世がコンスタンティノープルに運んだと伝えられているため、その名がつけられたようだ。本来は60mもあったが運ぶ途中で破損し、上部の26mだけが残ったとか。大理石の台座のレリーフには、競技を観戦する皇帝テオドシウス1世とその家族や側近たちの姿、オベリスク創立の由来が刻まれている。

次に、オベリスクと呼ぶにはこれまで見たことのあるオベリスクとは明らかに形の違った青銅製の『蛇のオベリスク』を見る。紀元前479年、ギリシャがペルシャに勝利した際、記念としてデルフィのアポロン神殿に建立されたものだ。それをコンスタンティヌス1世がこの場所へ移したとか。ギリシャ時代の記念碑としては最古のもので、高さは5mと低く、3匹の蛇が絡み合った姿を表現している黒ずんだオベリスクである。先端部には黄金の玉があったが、現在はイスタンブール歴史博物館に展示されているらしい。

そして最後は『蛇のオベリスク』を『テオドシウスのオベリスク』と挟むような位置で建っている『コンスタンティノープルのオベリスク』。コンスタンティヌス7世が940年に建造したといわれているが、詳細は不明らしい。高さは32mで、当初は農民や庶民の描かれた青銅で覆われていたそうだが、第4次十字軍によってすべて剥がされて貨幣に鋳造されてしまい、現在は荒く積み上げられた石積みの塔でしかない。

『ヒポドゥローム』にはもう1つ珍しいものがある。それは『ヴェルヘルム2世の泉』と呼ばれているもので、黒い御影石の支柱がどっしりとした印象を与える八角形の泉亭である。1895年にスルタン・ハミト2世を表敬訪問したドイツ皇帝ヴェルヘルム2世が贈呈したもの。皇帝とスルタンの紋章が入った金色のドーム天井が見事らしいが、私たちはそんなこととは露知らず遠めに外観を見ただけだった……。


ブルーモスクそしていよいよイスタンブールの象徴的なイスラム寺院『ブルー・モスク』を見学。
トルコに到着した当日にも、朝食のためレストランへ向かうときに傍の道を通ったため遠景はチラッと見ていたが、近づいて見てみるとかなり巨大である。
『ブルー・モスク』は正式名称を『スルタンアフメット・ジャミイ』といい、創建を命じたスルタンの名がそのままつけられている。ちなみに“ジャミイ”とはトルコ語でモスクという意味。それがなぜ『ブルー・モスク』と呼ばれているかというと、モスクの内部を彩る青いイズニック・タイルが美しく、愛称として呼ばれたのが定着したのだとか。
オスマントルコ様式を完成させた天才建築家スィナンの弟子メフメット・アーが、1609年に20歳のスルタン、アフメット1世に命じられて建造し、1616年に完成したこのモスクは、世界で唯一6本のミナレット(尖塔)を持っているのも特徴である。ミナレットの本数や高さは権力の象徴で、アフメット1世が「黄金(アルトゥン)のミナレットを」と所望したのをメフメットが「6本(アルトゥ)のミナレットを」と聞き違えたためという逸話がある。あるいは、黄金では費用がかかり過ぎるためメフメットが機転を利かせたという説も。

ブルーモスク内まずは中庭に入った。
そこは64m×72mの広さがあり、礼拝堂とほぼ同じだそうだ。
26本の柱が巡る回廊に囲まれていて、中央には大理石で造られた泉亭があった。ちらっと説明があり、少しの写真タイム。中庭に入ってしまうとモスクがあまりに巨大なため、全体像を入れるのに苦労した。

さて、いよいよモスク内部に入る。直後、床以外のすべてをタイル装飾された美しさに圧倒された。青を基調として2万枚のイズニックタイルが使用されているらしい。そのうち一面は見事なステンドグラスが3段になって嵌まっており、洩れ入る陽光と天井から吊り下げられた多くのランプの光が幻想的な雰囲気を醸し出している。床は絨毯が敷き詰められていて、長方形の赤い線に囲まれた中に同じ模様が織られていた。長方形は礼拝時に1人が祈りを捧げる大きさになっていて、その模様はステンドグラスのある方角、メッカの方向を指している。

一番高い場所で43mあるドームの部分も、均等に並んだ爪形の窓から光が射していて美しい。
美しいタイル装飾全体を写真に収めるなど到底不可能で、いくつかを切り取って写した。ついでに私たちも顔だけ入れてみた。そしてステンドグラス方向も写す。写真に撮ってもとても幻想的だ。
こういう美しさは、日本にはないものだろうな。それをこの目で見られるなんて、やっぱり海外旅行はいいもんだなぁ。(*^^*)


ブルー・モスクの敷地内を出ると、正面に『アヤソフィア』が見えた。ブルー・モスクと向かい合う形で建っている寺院である。
“神の知恵”を意味する名を持つ『アヤソフィア』はビザンチン時代にキリスト教会として建立されたが、オスマン・トルコ時代にモスクにされた世界的に有名な大聖堂らしい。が、月曜日のこの日、運の悪過ぎることに休館日だった……。悔しいから詳しいことには触れないで次へ行こう。(笑)


歩いてすぐの場所に、ピンクがかった茶色と白のストライプの壁が目立つ『地下宮殿』への入口があった。
観光用に『地下宮殿』と呼ばれているが、本来はビザンチン時代に造られた地下貯水施設である。ショーン・コネリー主演映画『007ロシアより愛をこめて』のロケ地としても有名らしい。ちなみに私は『007』を観たことがなく、初耳である。確か、ジャッキー・チェンとビビアン・スー主演の映画『アクシデンタル・スパイ(特務迷城)』で地下宮殿を見た覚えが。うろ覚えで自信ないけど……。(;一一)ゞ
かつて黒海に近いベオグラードの森の水源から水道橋を通じて運ばれてきた水が貯められていた『地下宮殿』は336本の柱で支えられ、長さ約140m、幅約70m、高さ約8mで、約8万平方mの貯水が可能だったとか。アヤソフィアや、このあと見学するトプカプ宮殿のための重要な貯水施設だったらしい。
その地下貯水施設が『地下宮殿』として一躍有名になったのは、1984年に改修工事が行われた際、何世紀もの間に積もり積もった泥を取り除くと、北側の奥に並ぶ2本の柱から『メデューサの首』が出てきたためである。
メデューサは、ギリシャ神話に登場するゴルゴンという3姉妹の末娘で、ポセイドンの求愛を受けたためにアテナの怒りをかい、魚のような鱗を持つ体と飛び出す目、真鍮の翼と鉤爪、髪は生きた蛇という醜い怪物に変えられてしまい、以来、彼女の姿を見た者はみな石になってしまったという。だが最後には英雄ベルセウスによって首を落とされ成敗されてしまう。
メデューサというと恐ろしいイメージがあったけど、それを知ると可哀想な、悲しい女性に思える。
その『メデューサの首』はなんと柱の基石として1つは逆さ、1つは横向きに使われている。通常は、その恐ろしい姿から侵入者を防ぐ魔除けとして門柱などに据えられることが多いらしい。それなのに柱に永年踏んづけられたままだなんて、さらに哀れを誘われる。

地下宮殿入口をくぐり『地下宮殿』に入ると、眼下に怪しげにライトアップされた列柱が並ぶまさに“宮殿”のような光景が広がり、ひんやりとした空気に包まれる。そこは一番奥まで見渡せる場所になっていて、その奥に『メデューサの首』が浮かび上がっていた。
「あ! メデューサやっΣ( ̄□ ̄*)」
柱の台座になっているのは前夜ガイドブックを見て知っていたが、こんなに離れた場所からも見えるほど巨大なのかと驚いた。が、それは映像で浮かび上がらせているだけだったようで、向きが変わったり消えたりした。
「なんや、映してるだけか……」
大袈裟に指差してしまったためちょっと罰が悪い。(;一_一)
とりあえず写真を1枚撮って、さっさと階段を降りることにした。

通路を奥へと進むと、いろいろなオブジェやアート作品があることに気づく。Eさんいわくそれらは現代のアーティストが施したもので、本来の『地下宮殿』とは関わりないものだそう。一番印象的だったのは、浅く溜まっている水の中から白い手が幾つも幾つも水面に伸びているもの。『地下宮殿』が薄暗いだけにちょっとホラーちっくで不気味である。それらの手の根元には管がつながっていたが、もしかすると「おいで……おいで……」と誘うように動かしたりもするんだろうか……。(((ーー;)))こわっ
さらに奥へ進むと、1本の柱がライトアップされていた。『涙目の円柱』と名づけられている柱である。苔むした感じの緑色をしたその柱には、涙を流した1つ目が縦1列に連なっているように見える独特の模様が幾筋も浮かび上がっていた。
その柱と一緒に撮るなら、やっぱり泣いているところが一番かな、ってことで泣きマネをしてパチリ。(笑)
メデューサの首それからさらに進んで一番奥へ辿り着くと、そこに『メデューサの首』が2つ並んであった。初めに勘違いした映像ほどではないにしても私が思っていたよりは大きい。だが柱の台座のため一緒に写真を撮ろうと思うとかなり屈んで撮らなければならず、みきちゃんをデジカメで撮ってあげようとしたが不安定なうえに薄暗くて、何度シャッターを切ってもぶれぶれになった……。結局、みきちゃんは他の人にフィルムカメラで撮ってもらっていた。ごめんよ……。(_ _。)しゅん…

早足で出口へ向かっていくEさんにずいぶん遅れてレンガの天井からポタンと落ちてくる雫を除けつつ歩き、『地下宮殿』内にあるカフェの横を通って「ここでお茶したいなぁ」と呟きを洩らして階段を登り、外へ出る。暗い場所に慣れた目にはまだ薄い雲に覆われた空でも眩しく、思わず目を細めてしまった。
銀色のトラム(路面電車)が走っている道路を横断し、石畳の住宅道路を歩く。途中スィミットというリング状のパンを円柱のように器用に組み上げて丸い板の上に乗せ、それを頭に乗せて売り歩いている人に出会った。おそらく20代くらいであろう青年である。通りすがりざまみきちゃんと彼をツーショットで撮り、でこぼことした石畳を危なげな足取りでみきちゃんに手を貸してもらいながら進み、15分ほど歩いたところで『トプカプ宮殿』のチケット売り場前に到着した。



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