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熊本大地震のテレビをずっと見ていて、あの一瞬が思い出され胸が苦しくなる。1995年1月17日5時46分52秒、あの一瞬まで地震の映像を見ても他人事だと思っていた。
本当の困難はこれから始まると思うと辛い。
1995.1.17あの時、夫はマンションの理事長(くじで)あと数か月で任期満了のはずだったのに。
再建派と少数の補修派に分かれて裁判・区分所有者・人間関係
・人間不信・脅迫状の様なお手紙・マスコミ関係者の理不尽な取材・偏った報道
・行政・弁護士・設計事務所・施工会社・金融公庫・期限・時間との闘い・・・・・・
普通のサラリーマンをしながら土・日もなく避難先の大阪から芦屋まで通い対応しました。
誰もがはじめての経験で慣れない事の連続で、精神的にも肉体的にも大変だった。
全壊から再建(220戸)までの5年間や、再建後のコミュニティの醸成について、いつか整理したい。
21年経っても、まだ書けない。記憶や感情が少しずつ薄れていき・・・忘れていくのが怖い。
「コーナン」に行くと「防災グッズコーナー」が出来ていて、
いつもより多くの人が家具の転倒防止や固定グッズを手にしていた。
なぜだか、とりあえずガソリンを満タンにした。
芦屋市自治会東南会と南宮町の合同防災訓練 2024年03月20日
防災倉庫を見てみよう 芦屋市東南会自治会 2024年03月07日
1.17震災慰霊の集い 芦屋市立打出浜小学… 2024年01月19日