ARCO IRIS

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2005年07月17日
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こないだ村でオスカルという名のおじいさんに声をかけられた。

最寄りの町スクレに比べて私の村は標高が1000mほど低く温暖なので、スクレの人の避寒地としてすんごい別荘がたくさんある。
目を見張るほどの豪邸がずらずらーっと並んでる。川もあるから水遊びできるし。
オスカルもどうやらvacaciones(バケーション)でその別荘に来ていた人らしく、私とは初対面だった。普段は村に住んでないし、村の人(ケチュア族)とは明らかに違う顔立ち(白人系)。ボリビアのコチャバンバという町出身。
で、「どこの国から来たんだ?」と聞かれ、日本人だって言うと、「ヒロシマ、ナガサキにBomba Atomica(原爆)が落とされたよね」と。

ボリビア人と話す時、私が日本人だってわかると必ずと言っていいほど「ヒロシマ」「ナガサキ」のことを聞いてくるのには、正直少し驚いている。日本人が意識している以上に、日本は「被爆国」として知られている。反対に、日本人自身はこの大事な歴史について深く考える機会をあまり与えられていない気がする。

オスカルは日本のことをすごく知っていた。
第二次大戦の前と後では、日本はものすごく変わったこと。特に、女性はそれまでCerrado(スペイン語で「閉ざされている」の意味)だったけど、戦後は女性の意識も社会的立場も変わったこと。そして、いい意味でも悪い意味でもアメリカの影響をものすごく受けていること。
「ボリビアもアメリカの影響・コントロールが強くて、世界の色んな情報にフタがされているんだ。だから主に本を読んで世界の色んなことを勉強したんだ。日本のことも本で知った」と。

コカの葉の栽培に規制をかけようとしてるのも、結局はアメリカが中南米からの麻薬流入を規制したくて、ボリビア政府に圧力をかけてるかららしいし。
オスカルはアメリカをあんまり好きではないみたいだった。そりゃ、そうだよね。アメリカって南米でもひどいことをしてきた。虐殺とか。色々、いろいろ。

おっと、話がそれてしまったが。ほかにもたくさん話をした。
彼は戦時中と戦後数年間、ドイツにいた。戦後のドイツは焼け野原で何もなく、とても厳しい生活をしていた、と。その後、漁船に乗ってノルウェーの極寒の氷河の海で仕事をしていたこともあるそう。だから、寒いのは嫌い。
そして、戦争のすべてをとても憎んでいる。
私が「私の両親は原爆のこと、第二次大戦のこと、戦争の残酷さについて色々教えてくれた。もちろん両親も戦後生まれではあるけれど、それを伝える大切さを感じていたようだ。」と話すと、オスカルはとても感慨深い顔をしていた。何を感じていたのかははっきりとはわからないけれど、彼と心で通じ合えた気がした夜だった。





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最終更新日  2005年07月18日 12時41分30秒


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