「歩きつなぎの旅」の記録

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タロウ@ Re[3]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 たいへんおそくなりまし…
きんじろう36@ Re[2]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウ様 8月25日、兄はタロウさんの…
タロウ@ Re[1]:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) きんじろう36様 お返事ありがとうござい…
きんじろう36 @ Re:【 東京歩きめぐり 第184回 】 木場 冬木(01/22) タロウさん。兄から再度メールが来ました…

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2025.10.13
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2025年10月13日(月)曇


スポーツの日。曇り空。今回歩くのは、文久2年(1862年)板「内藤新宿千駄ヶ谷辺図」のうち、現在の渋谷区千駄ヶ谷1~6丁目に当たる地区。07:30 仙寿院交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第93回 】を歩き始める。

切絵図に「紀伊殿」とあるのは、紀州徳川家(55.5万石 御三家)の抱屋敷(かかえやしき)。抱屋敷とは、幕府から拝領した屋敷ではなく、大名が自費で購入した土地に建てた屋敷。明治10年(1877年)徳川宗家が紀州屋敷の跡地に本邸を構え、世間からは「千駄ヶ谷御殿」と呼ばれた。



当時の徳川宗家当主は16代家達(いえさと)。明治17年(1884年)家達は公爵に叙され、明治20年(1887年)には明治天皇が千駄ヶ谷の徳川公爵邸に行幸した。現在、徳川公爵邸の跡地には東京体育館などがある。



「鳩森(はとのもり)八幡神社」を訪れる。貞観2年(860年)慈覚大師(円仁)が正八幡宮として奉ったことが縁起と伝わる。切絵図には「千駄ヶ谷八幡宮 別當瑞圓寺」とある。境内には寛政元年(1789年)築造の冨士塚がある。標高は6mほど。頂上近くには富士山の溶岩が配置されている。






「千壽院」を訪れる。正保元年(1644年)徳川家康の側室養珠院(お萬の方)の発願により創建された。養珠院は、紀州徳川家初代藩主頼宜(家康の十男)と水戸徳川家(35万石 御三家)初代藩主頼房(家康の十一男)の生母。



切絵図には「千壽院 新日暮シト云」とある。江戸時代、この地の風景が谷中(現在の台東区)の日暮里(にっぽり)に似ていたことから、新日暮里(しんひぐらしのさと)とも呼ばれた。08:50 新宿4丁目南交差点 、【 江戸切絵図歩きめぐり 第93回 】はここで終わり。


仙寿院交差点 → 新宿4丁目南交差点 : 6.5 km( 江戸切絵図歩きめぐり累計 349.8 km )






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Last updated  2025.10.14 09:07:53
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