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2022年2月18日幽界訪問から。 地上の洞穴に入ったところに温泉の水が湧き出ていた。暖かく一日浸かっていても良いくらい気持ちが良かった。すぐ近くに小学校があり、学校への通りがある。たまたま通った小学生も入ってくる。間欠泉なのか?時折水が止まる。よく見ると汚物のような物が流れる排水路と混じり綺麗ではないが、すぐ湧き水が流れてきて、これらをかき消してくれた。再び温泉に入り、ゆったりと横になった。すると外国人のグラマーな若い女性が隣に入って来て混浴となった。 幽界の温泉での出来事。幽界の日本である。自然に湧き出ている温泉であり誰が入っても良い。決して綺麗では無いが、やはり温泉は気持ちが良い。地上の日本の温泉は最近は温泉に入る習慣の無い外国人にも人気があるそうでインバウンド需要拡大の中でどんどん増えてくるであろう。また、混浴も場所によっては田舎の温泉の伝統として今もあり外国の方にも興味を持たれているようだ
2024.11.01
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2020年2月6日幽界訪問から。 デパートの中はとても混んでいて出口がなかなかわからない。地下の方へ行くとパチンコ店になっていた。ここもとても混んでいた。ぐるぐる回ってやっと出ることができた。急いでいるわけではないが、途中で老人を追い越し、先に行こうとして彼が転倒してしまった。すいませんと謝ると『いえいえ』と笑っていた。何もなくて良かったと安心した。出口が分からず慌てたことを反省した。 幽界のデパートは昔の風情だった。昭和のレトロな建物である。そこにいたのは昭和の人たち。私も子供の頃や学時代にはよくデパートに行ったが、街の中心地にあり、とても混んでいる事が多かった。休日は子供もたくさんいて賑やかな社交の場でもあった。人々は皆優しく懐かしい世界であった。
2024.10.01
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2020年2月6日の幽界訪問から。 自分の息子は地上にはいないはずなのだが、出てきた。息子は芸能活動をしていてお金が入り始めた。できるだけ使わずに堅実な生活をした方が良いとアドバイスした。子供と肌で抱き合い、スキンシップをして別れた。 幽界に行けば色々な人に会える。亡くなった知人とか会いたい人はたくさんいる。私にとっては大きな楽しみの一つである。
2024.09.10
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2020年の幽界訪問から。 何度か宿泊して世話になった夫婦に気診について話をした。信頼できそうであったので、地上での私の趣味を詳しく話した。原則的なことを理解してもらい相手の対応を見た。どうも理解してもらえそうな態度で聞き入っていた。また、再度訪れた時はもっと詳しく実演しながら説明し、より深い理解を求めたいと思った。 気診は地上においてO-リングのように肉体の筋肉反射を利用して診断する方法だが、当然、肉体のない幽界では使えない方法である。このため幽界で生活する人たちには自分自身が体験できないため理解してもらうのがなかなか難しいと思われる。ただ、理解を示したスピリットに協力してもらえると気診を用いたヒーリングもサイキックヒーリングからスピリチュアルヒーリングに格上げすることができる。この夫婦にヒーリング時にスピリットとしてサポートをしていただけるとありがたいと思ったわけである。
2024.09.01
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2020年2月2日幽界訪問から。 デパートに行った。1階から2階へ上がる時そこは階段であったが、ボール紙のような段ボールを積み重ねていたため足の重みで潰れてしまった。店員のおばさんがこれに気がついて出てきて『ちょっとまずいね』と言った。自分の体に重みがあることを感じて、すいませんと謝った。 肉体のない幽界でもなんらかの質量がある可能性がある。あるいは単なる地上の習慣としての意識の反映か?確かに幽界にも質量があるとすれば波動の性質もあるので量子力学が成立することになる。最近は霊界は量子力学が通用する世界であると言わっているが、これを身を持って経験したことになる。この点は今後も気をつけて観察してみたい。
2024.08.07
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2020年1月31日の幽界訪問から。 この幽界には色々なコースがある。ゴールはお店の2階だったりする。私は快走である。途中で橋が落ちたりしていた。この橋の下は20メールくらいはあるが、川にスッと落ちて助かった。色々なコースを思い思いのペースで走るランナーで溢れていた。 幽界人はマラソンをしないようだが、確かに肉体が無いので当然であろう。一部の生前走る癖のついている霊人は生前のことを思い出し走りたいと思ったりするかもしれないが、多くは私のような地上人が幽体離脱して夜な夜な楽しんでいるのであろう。幽界でのマラソンは肉体の限界を感じないランナーになれるので爽快である。
2024.07.31
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2020年1月27日の幽界訪問から。 幽界の診療所で奥さんとI先生が診療しているところに私ともう一人の後輩が代診として伺った。すでに故人として幽界に行かれて3年が経ち地上界の時のように慣れた手つきで診療をされていた。生前はI先生には指導教官として、また大学の先輩として大変お世話になった。地上界に生きる私たちは睡眠中に体外離脱し、そこにうまく組み込まれれば役にたつわけである。I先生は一般診療もされていた。むしろ生前の歯科矯正治療よりもその方が中心のようだった。 幽界でも生前の仕事を続ける人もいる。死んだという自覚が無い方はなおさらである。意識はそのままなので特に仕事中に亡くなった人とかは生前と同じ仕事を続けるのは理解できる。また、お客もいるから不思議と言えば不思議であるが、客も死の自覚が無い方ならば十分ありえるだろう。更に私のような幽体離脱した地上人もお客になる場合もあるかもしれない。幽界では想像は創造の世界である。意識が具現化するので診療所も機械も道具も理想的に揃えられるであろう。ただ、止める時がいつかは来る。自分が死んでいるということに気が付いた時である。外から説得するのはなかなか難しいので、生前に霊魂不滅という霊的真理をしっかり学んでおく必要がある。
2024.07.10
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2020年1月22日の幽界訪問から。 幽界にて屋根に登ると美しい夜空だった。目を凝らすと銀河が見えた。色々な星団が美しく輝いている。こんなに目が良かったかと疑うほどだった。 これは明らかに霊視である。視覚が地上の時より何十倍も何百倍も向上する。少なくとも幽界上層に行けば宇宙の果てまで見えるかもしれない。そして、きっとこれが宇宙の本来の美しさなのであろう。地上の言語では言葉に尽くし難い神秘的な体験だった。
2024.07.01
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2020年1月6日幽界訪問から。 友人と学校で会う。授業なのだがクラブ活動のような企画である。彼の興味のあるのは、626番の部屋とのことだ。部屋は600も無いので、最上階(6階)の部屋に行ってみる。たくさんの生徒が分かれて説明を聞いていた。畳半畳分のスペースにプラスティックの車の模型があった。先生が制作に20年かかったが、動かすのは数分だと説明していた。リモコン式であったが、自在に動いていた。私は取り立てて関心は無かったが、しばし説明に聞き入っていた。色々の部屋があるので他のところもへも入ってみようと思う。 幽界では色々な研究をしている人たちがいる。この先生も地上人として20年前に生活していたのかもしれない。ただ、古い研究をそのまま幽界でも続けているケースもある。リコモン式の模型は地上では珍しくなく、むしろ古いくらいだ。少しこの先生が気の毒になった。幽界で孤立してしまうと、地上の進歩に追いつかない場合もたくさんあるだろう。
2024.06.05
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2020年1月5日の幽界訪問から。 たまたま港の近くのトイレに入る。見た目はビルの一画のような洒落たトイレである。しかし、中はとても汚い。トイレとはわからない作りで案内も無い。トイレットペーパーが三つあったが、ほとんど使わない便器のため糞便や血が付着して壊れかけていた。洋式が三つあったが仕切りが無い。大便があたりに散乱している。私がさっさと外に出ようとしたら、中国人の中年女性が二人入ってきた。私が日本語で「汚いね」と言うと、彼らも「汚いね」と日本語で答えていた。外には大人と子供が数人遊んでいたのだが、トイレを掃除する人はいないようだ。 幽界では肉体が無いので食べる必要はない。このためトイレは無いはずなのだが、トイレを探すのは私のように地上人で体外離脱した人か食べる習慣が残っている人(幽界人)かもしれない。さすがに仕事として地上のように公園のトイレの清掃をする人はいないであろう。もし幽界にトイレがあったら覗いてみよう!!
2024.05.01
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2019年12月29日幽界訪問から。 船で川を登る旅だ。満席だった。遺跡のようなところへ行った。トイレタイムを入れてから(私は地上では夜中にトイレにくので、肉体的な欲求があったかもしれないが)川を上っていく。地上では見たこともない巨大な建造物や日本の国会に似た大きな円形の施設を見学することになった。ただ、山の中にある。すると近くで火山の爆発が起き、空から石が飛んでくる。火山弾だった。地上で起きるシミュレーションとみることもできる。しかし、特に注意するほどではなく、遠巻きに施設を見て、再び船に戻る。船はエンジンが無く、念力のような力で川を上がって行く。集合時間はあるのだが、点呼を取らないので、船に乗り遅れた人もいるのではないかと気になったら、覚醒した。 幽界の旅は、とても楽しい。スケールが地上とは全く異なり、言葉に尽くせの色合いで、想像を絶する世界が無数に存在する。まさに創造の世界である。時にはハプニングもあるが、地上と関連していると見て良いだろう。地上の出来事は幽界から発すると言われる所以である。
2024.04.04
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2019年12月27日の幽界訪問から。 地上の家とは異なる作りである。床が地上から少し離れている。神社の神明造のような高床式である。全体に夕方のような薄暗さがある。川から離れて建てられているが、徐々に水が押し寄せて浸水してきた。 津波ほどではないが、地球温暖化の影響のような水位上昇が見られた。床下まで来たが、床上までは来ない。地上の干満のような上げ下げを何度か繰り返していた。地上のシミュレーションかもしれない。
2024.03.03
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2019年12月26日の幽界訪問から。 この歯科医院は、ワンフロアーにユニットがたくさんあり、歯科医師や歯科衛生士もたくさんいる。ただ、それ以上に患者さんで混んでいる。秋田のS先生はここでオペをしている。待っている患者さんもたくさんいる。私は全体を統括する立場だったが、イライラしてくる。そのうちに床の上も材料で汚れて、歩くのも大変になる。他の歯科医師も声をかけれらないほど忙しい。 これは普段、地上での診療がとても忙しく、現状を憂う心理が背景にあるかもしれない。地上は肉体が勝負である。
2024.02.16
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2019年12月6日の幽界訪問から。 ある歯科医に私が持っていた資料を渡した。大変喜んでいた。それは有名な歯科医師の書いた資料だったが、会場にいた他の先生(T先生)もサブノートを私にくれた。これが無いと診療ができないと言っていた。 私もサブノートはたくさん持っているが、歯科医師として約40年間のまとめを本にしても良いと思ったりしていた。若い先生や後輩に伝えられる内容もあるかもしれない。臨床のヒントである。地上では歯科にあまり関係のないスピリチャルな本は色々書いているが、そろそろ人生の残りの時間をこれに費やしても良いと思う。
2024.02.03
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2019年11月30日の幽界訪問から。 郷里の群馬のある駅で二人の女子学生と会話をする。遅れた電車を待っていた。人懐っこい学生だった。場所は群馬の旧渋川駅か?私の記憶にある。どちらかは今度当院に就職する予定の学生かもしれないと思った。 これも未来の話と結びつく。この時点で当院でちょうど辞められたスタッフがいた。新人による就職は4月以降でないと難しいのだが、まだ決まっていなかった。翌年の4月に結果的に新卒ではないが若いスタッフが入ってくれた。おかげで、ある程度予測して待つことができた。
2024.01.30
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2019年11月24日幽界訪問から。 幽界でS先生は企業の社員として新人教育の指導者をしていた。その彼女が辞めたいと言う。いわば、引き抜きのような他者への就職である。上司が彼女に本当かと詰問していた。ではと、他の社員にも不信に思ったのか、辞めるのかと質問をし始めた。私の番になり、私はそんなことはないと否定した。S先生の件のとばっちりである。 学校で働いているS先生の進退の問題は、実際に起こりうるかもしれない。彼女の居心地は側で見ていても良さそうだとは言えない状況だと思われた。年齢的に定年も近いので、それまで我慢するかどうか?彼女の心の中を見せられた感じだ。色々計算して頑張っているのであろう。今回は彼女の未来を比喩的に見せられた可能性がある。
2024.01.22
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2019年11月14日の幽界訪問から。 カニ工場を見学した。ここでカニを食べながら一杯やろうかと思って中に入る。中ではたくさんの見学者が試食のカニを食べていた。写真を撮って良いかと聞くと係の人にOKと言われたので、何枚か撮ったりした。そうこうしているうちに試食のカニが無くなってしまい、食べることができなくなってしまった。すると工場の社長はタコのような切り身を食べてみないかと言って、お皿に出してきた。しかし、とても硬くて食べられるようなものではなく、味もしない。味気ない不味いものだった。 幽界人は徐々に食べる習慣がなくなってくる。それは肉体が無いためである。排泄もしないし、睡眠を取る必要もない。そのことも影響して幽界の産物は創造の産物なので外観は地上の物とよく似ているが、味については地上人が食べるには味気ない上手くない物が多いようだ。期待しないほうが良いと思われる。
2024.01.06
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2019年11月24日の幽界訪問から。 幽界の家で女性たちが4人で楽しそうに働いていた。中に義母もいた。漬物作りである。他の人たちは誰だかわからなかったが、亡くなった人たちであろう。義母は幽界で元気に生きていた。皆若々しい中年といった感じだった。義母も生前の一番充実した頃の姿だったかもしれない。 幽界では故人に自然に会える。まるで地上で生きている時のような元気な姿で。
2024.01.03
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2019年11月8日の幽界訪問から。 たくさんの人が老人を中心に集まって発表会をやっていた。曲に合わせてダンスをするのだが、衣装が人は下半身が下着姿になる。恥ずかしいのでテーブルに張り付いてごまかす。皆さんダンスが上手い。ジルバやルンバを楽しそうに踊られていた。素晴らしい衣装や歌で大爆笑だった。「Down Town」というシュガー・ベイブの昔の曲を「さんざん」と替え歌にして歌っていた。 ここは地上に近い幽界の介護施設である。まだ死の自覚のないまま皆ここで楽しんでいるようだった。私もそっと仲間入りした。1970年代から1980年代のポップスで青春時代を過ごした私に近い世代である。やがて肉体が地上から離れた事を思い出し、皆どんどん若返って青春時代の姿に戻って山下達郎の若い頃の曲を歌い出すのかもしれない。しばらくどうぞお楽しみください。
2023.12.02
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2019年11月6日の幽界訪問から。 その施設は病院と学校が一体になっている。小中高と大学まである。売店があり、花も売っている。6階建てで長く複雑な施設である。売店の中年の女性が私を気に入ったらしく、案内をしてくれた。私は大学の講義に出ているところだったが、色々見せてもらう。「もう戻らなくても良いのか?」と聞くと「では、とにかく休ませて」と休み時間らしく疲れた顔をして彼女は話していた。地上では見たことのない方だった。 幽界では未来形の施設もよくある。病院と学校が一体というだけでなく、介護施設や保育園や幼稚園もある。揺り籠から墓場まで一貫した集合施設ということであろう。これも地上人へのシミュレーションの一つである。
2023.11.07
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2019年10月26日の幽界訪問から 友人たちと宿泊施設に泊まる。研修型である。入館してから中を見学していたらお土産をもらった。いくらでも持って行っても良いという。中を見ると子供用の衣類がいくつか入っていた。食べ物とは限らない。皆、自由に持っていった。会館の職員が袋を用意してくれた。食事をする部屋に移ると人がたくさん集まっている。知っている人は見かけないので、先ほど知り合った人たちとテーブルに着いた。皆楽しそうだ。ある女性から歯内療法(歯の根の治療法)について聞きたいと言われた。専門用語を使っているので、多分、歯科医師だろうと思ったが、少なくとも私が歯科医師だと知っているようだ。たまたまテーブルで隣になった人が技工士だと言うので、話が進んだ。彼は私の顔を見てアストラル体レベルの異常を指摘した。左上の奥歯の指摘があったが、時々症状が出るからだろう。 ここは地上では見たことのない人がほとんどだったが、皆楽しそうだった。もちろん無料なのだが、土産はいくらでも持って行って良いと言うのはありがたい。ただ、地上へは持っていけない非物質の土産である。多くの人は地上人で私と同様に体外離脱して来ている。日本だと夜の時間だ。
2023.10.02
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2019年10月12日の幽界訪問から。 見知らぬ町を散歩している。公園に行った。山のような大きな公園。石碑があった。地上の誰かを祀ったものだった。そこから裏山に出ると。素晴らしい景色を臨むことができた。夕方のような感じで幽界上層かと思われる。あまりに綺麗なのでしばらくそこに佇んでいた。ただ、そこから少し歩いて下を見ると斜面になっていた。そこから急な崖になっていて恐怖心が湧いてきて、すぐに公園内に戻った。そこの崖は数百メートルあっただろうか? 美しい景色と高所恐怖を感じる景色と裏腹な世界を同時に経験した。ともに地上では経験できないスケールの景色であった。訪れた公園は異次元へのり口となる公園だったと言えるだろう。
2023.09.03
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2019年10月5日の幽界訪問から。 地上人である二人の女性の話を聞いた。S先生が私の左にいた。右側はI先生だ。心霊的な話になり、S先生が興味をしまた。それが私の趣味だと言って説明したら、感心していた。地上では果たしてどうかわからないが、そういった素質をS先生も持っているかもしれない。非科学に対する関心である。 現実には、こういったスピリチュアルな話に医師で関心を示す人は少ない。心霊的な話は頭から受け入れない医師が多い中で、嬉しい限りである。あくまでも趣味として関心を示してくれれば良いのである。
2023.08.02
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2019年10月3日の幽界訪問から。 宇宙船で未知の世界へ旅に出る。船内は地上からの私と友人と二人。時々揺れて不安になるが、安定して走行していく。外は漆黒の空間である。何か試されているような体験をした。進む道は未知であるが信じるしかない。後戻りはできないと感じた。 幽界は地上より多くの未知の世界が広がっている。より多くのスピリットが存在し、それぞれの生活を楽しんでいるはずだ。ヘミシンクのロバート・モンローは、死後の話として幽界の地図を作成しているそうだが、多くの未知の世界が広がっていることを裏付ける話の一つである。宇宙船での船出は幽界の未知の世界への探検を意味すると思われる。
2023.07.03
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2019年9月28日の幽界訪問から。 たまたま幽界のパチンコ店に入った。私が学生の頃にやった旧型のパチンコ台が並んでいた。右端のパチンコ台に座った。何気なく自動ハンドルを回すと3個銀色の玉が出て、クルクルと動き出した。隣の人が不思議そうにこちらを見ていた。多分玉を買わないで動かしたからであろう。何となくバツが悪くなって、しばらく下を向いて座っていたが、そのままそこから立ち去ることにした。そこは暗いパチンコ店で10人ほど人がいて、黙々とやっていた。係員もいるのかいないのかわからない不思議な空間だった。 そこは幽界なのでパチンコ玉を買わなくとも意念で玉を具現化することができる。ここにいる人たちは自分が死んだことを知らずにいる人たちなので、私の行為が理解できないのであろう。通常の物理法則が支配する地上だと誤解しているのである。死後最初に立ち寄る世界が幽界という世界であるということを生前に是非頭に入れておいていただきたい。地上にそっくりに見えるが、実はそこは幽界という非物質世界なのである。いずれ幽界の体験が死の自覚に結びついていくのであろうけれど。
2023.06.15
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2019年9月28日の幽界訪問から。 私のファンだという学生がいた。聞けば高校三年生だという。公園には多くの人が集まっていた。それぞれベンチで色々語り合っている。数人の仲間たちと談笑していたり、本を広げ勉強している学生もいた。中には先生から講義を受けている学生もいた。私は何か恥ずかしいので直接話をするのは避けて遠くから、この高校生と二言三言話をした。純粋で清潔な感じのする女性だった。そのうちゆっくり話ができることもあるだろう。私の何に興味を持たれているのか?地上生活があるので、しばらくお待ちくださいと言って失礼した。幽界上層の美しい世界にて。 この女子高生は、きっと私の類魂であろう。ならば、私が地上を旅立った時、幽界上層で必ず待っていてくれるはずである。その時は彼女にじっくりと地上での体験を報告することができると思う。
2023.05.28
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2019年9月16日の幽界訪問から。 大きな地震があった。建物が裂けるような地震だった。奥さんや長女を探す。これからは治安も悪くなるので、護身として相手に電気ショックを与えるガンなども女性は携帯して欲しいと思った。 ただ単に地震が起こることだけでなく、人心の乱れを危惧する体験だった。互助や共助の精神が田舎でも衰えている。日本では少子高齢化や核家族化の問題が背景にあり、経済優先で進めてきた社会を方向転換し、自然と共生し人を助けることを一義に考える社会に方向性を向かわせないといけない。利己主義や刹那主義では真の幸せはない。物質主義が蔓延る世情を憂うる幽界体験だった。
2023.05.05
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2019年7月17日の幽界訪問から。幽界の川で友人と釣りをしていた。釣りといっても食べるわけではない。やがて夕方のような暗い森の中を白い狐が光り輝くように走っていた。その後ろから茶色の狐が我々に近付いて来た。追い返すか少し迷ったが、そのままにしていた。我々に関心を示したようだったが、また森に戻って行った。二匹の美しい狐。夫婦の狐。「また今度来た時ね。待ってるよ」と茶色の狐からインスピレーションを受けた。特に私の行動に興味を持っているようだ。この狐の夫婦も私のガイドかもしれない。今度また、お会いしましょう!!
2023.04.23
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2019年7月16日の幽界訪問から。 川のそばに橋があった。友人とここを渡るか迷った。両側に行けそうな道はない。別の女性と男性がこの橋を慎重に渡ろうとしていた。バランスを取らないと橋桁だけで囲いがないため、落ちると思った。案の定、私が渡り始めて、途中が細くなっており、するりと落ちてしまう。どぼーんと水の中に胸まで浸かった。びしょ濡れになり、苦笑した。思いっきり落ちた瞬間は気持ち良いくらいだったけれども。 幽界の橋から落ちた。落ちた感覚は地上と同じ。あるいは、それ以上に現実感があったというのが正直なところ。幽界では感度がより鋭敏になる。それが水の中に落ちて気持ち良いと感じたのかもしれない。ただ、これも想像の産物であり、地上の体験の延長線上にある。
2023.04.02
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2019年7月15日の幽界訪問から。 幽界にある未知の都市をジョギングしてみる。たくさんの日本人が道路工事をやっていたり、色々なところで働いていた。ここはアップダウンのある日本の都市のようだが、太陽が見えず何度走っていてもなかなか方向がわからない。色々な方向から走ってみる。夕方のような明るさで時間的な変化は感じない。車もたくさん走っているが、私には無関心で機会的である。あるいは、地上人である私の存在がわからないのかもしれない。方向を変化させて走っていると、だんだん、ここの街の構造がわかってきた。肉体のある地上とは違って、全く疲労感は無いので、色々試して頭の中でこの街の地図を作ることができそうだ。また来ようと思う。 本来は幽界の人々は太陽の霊力を糧として生きているので霊界の太陽は常に傍に見えるはずだが、ここは地上によく似た幽界下層の世界のためにはっきりしないのだろう。ここは私には暗く感じられた。
2023.03.05
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2019年7月14日の幽界訪問から。 古い家から新しい家に引っ越す。古い家は和式で間取りが大きい。隣に新しい家を作る。これも和式である。しばらくそのままにしていた。ところが、古い家は雨戸もあり、全て閉めていたが、久しぶりに中に入るとかなり荒れていた。動物がいるような雰囲気だった。真ん中の一間の暗い障子を開けるとカワウソの夫婦と子供が三匹寝ていた。私は彼らを外に出そうとして親の二匹の首を掴む。口の中に手が入ったが、ゴムのように柔らかく、歯も鋭くなく、噛んでこない。何か疲れているのか?エネルギーが不足している感じで正気が無い。従順なので、障子を開けたままにして、しばらく彼らに霊界の光を当てるべく隣の自宅に戻った。再び、古い家に戻ると今度は3匹で家の中を走り回り、私と気づくと駆け寄って来た。体をすり寄せてくるので、可愛くなり、そのままにしてやることにした。 カワウソとは何か縁があるのだろうか?地上のカワウソは獰猛で、とても一緒には生活などできないだろうが、ここは幽界である。幽界で彷徨っていたカワウソ家族に霊界の光を当て、彼らがエネルギーを補充できたことが良かったのか?すっかり元気になり、やがて霊界のカワウソたちが集まる霊団(集合意識)に戻っていくであろう。いつか自然にここを立ち去ることを期待した。
2023.02.11
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2019年7月4日の幽界訪問から。 多くの知人や友人がマラソン大会に参加した。目的は署名である。普段はマラソン大会に参加したことが無い人もフルマラソンやハーフマラソンに挑戦し、ゴールで署名して署名用紙を置いていく。世界平和のためにその熱意を表現する署名だ。地上ではマラソンをやらないはずの歯科医のM先生も笑顔でゴールし、署名した。たくさんの署名が机の上に重なっていく。 この時から4年くらい経つが、相変わらず世界の平和が脅かされている。いやむしろ核戦争の危機の中にいて人類はかつて無い段階に入っている。世界週末時計によると2020年から1分40秒前となり、最も危なかったソ連とアメリカが水爆実験に成功した1953年(2分前)を凌いでいる。かってない深刻度である。本音は人類皆戦争はしたく無いはずなのだが、戦争は地上からなくならない。今後もパンドラの箱を開けないことを心より祈りたい。せめて夢の中では誰でもがきっと熱意を持って署名してくれると思う。
2023.01.22
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2019年5月27日の幽界訪問から。 水が溜まっている上を車がカーブして通る。その時、人が車の下になって溺れかけていた。咄嗟に私は水の中に入って、その女性を抱き抱えた。水がクッションになって、なんとか助かった。しかし、ここは幽界である。死ぬことは無い。 幽界でのシミュレーションと考えると、これは地上での事故への警告と捉えることができる。このような水害時の交通事故だけではなく、気象災害が絡む事故がこれから地上では予想される。年初に当たって是非気をつけたい。
2023.01.04
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2019年5月6日の幽界訪問から。 フルマラソン大会を二日に分ける。前半は全て下り。山を降りるコース。ちょうどスキー場のようなところだ。後半は、上り。前半が終わったところで一泊する。ただ、私は、折り返し地点がよくわからず、途中で止めた。翌日係の人に聞いた。やはり、折り返し地点で休めば良かった。前半はコースを走りすぎて時間がオーバーしてしまった。制限時間は6時間。後半は貯金があまりなかったので、猛烈に追い上げた。全て上りなので間に合いそうもないが、努力してみた。本来は、幽界であれば、一っ飛びのところだが、地上で言えば競歩のように走らなければいけないルールだった。体は疲れを感じず、周囲の景色は春のように美しく、花々が咲き乱れ、青年時代に戻ったかのような感覚だった。 解説が必要であろう。あくまでも地上人向けに考えたレースである。私のように体外離脱した地上人の参加であるので、地上的思考(肉体があるという思考)で走る。幽界の時間は基本的には意識感覚なので、有るようで無いとも言えるが、タイマーを地上時間に設定している。一泊というのは、睡眠から覚めて日常生活に戻り、また夜寝入ってから体外離脱してレースに参加するわけである。このため二日に分けて参加することになる。現在の地上でのフルマラソンの制限時間(一般参加者用)は、6〜7時間が多い。6時間の制限時間は、ハーフが3時間なので、このレースは標準的だと言えよう。
2022.12.13
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2019年5月18日の幽界訪問から。 猫が他の猫を殺してくれと言う。その猫を見ると声が私の頭に浮かんだ。聞こえた人は、その通りに実行せざるを得なくなる。 インスピレーションが成立する世界なので動物とも普通に会話できる。私は地上人なので、できないとこの猫に伝えて、この時は無視したが怖い話ではある。既に肉体は無い世界なので殺生は成立しない。自分が死んだことを自覚していない猫あるいは低級霊による誘惑の可能性がある。
2022.11.07
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2019年5月3日の幽界訪問から。 見知らぬ町を散策している。鄙びた鉄道の線路の反対側に出ようとした。踏切がないので地下道を通りながら町を抜けていく。地上に出ようと試みるが、出口がなかなか見つからず出られそうもない。本来は対外離脱しているので地上へ抜け出るのは自在のはずだが、出口以外から抜けようとすると必ず住人がいて変な目で見られるので、それもできない。更に先の方を歩く。なかなか地上に出られないので、結局、元来た道を戻ることにした。途中で地下道のひび割れた隙間から地上に咲いていた桔梗のような青い花が見えた。鉄道の向こう側は美しい世界が広がっているのかもしてないと、その桔梗にしばし見惚れて、写真を撮りたくなった。意識の美しさと暗さが線路を境に混在しているような町だった。 カメラはもちろん無いので目(霊視)に焼き付けた。うまくすれば写真に焼き付けたかもしれないが、夢の映像を念写できる日がいつか来れば良いのだがと研究者の友人と時々話している。サイキック能力のある方あるいはサイキック能力を鍛えれば、彼は不可能ではないと言う。ワンショットで良いのだ。地上の素材に限界はあるが、一輪の桔梗の花の感動を少しは地上の皆と共有することができることができたら素晴らしいと思う。将来は、覚醒状態(全脳状態)で様々な意識の世界を体験できるヘミシンクの画像を客観的に示せる時が来るかもしれない。これが実験としては一番近道のように体験的に感じる。今回は、夢で見た画像を念写できないかという話の余談を述べさせていただいた。
2022.11.05
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2019年5月2日。幽界訪問から。 私は、学生をしている。休学しているので、旅をしながら色々な興味深い体験をしていたが、学校のことが気になりだした。試験は、どうなったか?しばらく受けていないが大丈夫か?徐々に心配になってくる。しかし、地上では、とっくに卒業して縁がないはずだと思い出し、ホッとする。幽界では学生をしているが放浪の旅をして学業をサボっていることが多い。魂は自由であるという言葉が浮かぶ。 地上では肉体があるため様々な制約があるだろうが、魂が抜け出す幽界旅行は無制限である。どこへでも行けるし、時間にも制約されない。地上でもそんな自由な生活ができると良いのだが、まさに夢である。
2022.10.17
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2019年5月2日。 障害のある友人が、会を立ち上げた。そのサポートをすることになった。一人ではなかなか難しかったが、なんとか成立した。夢から覚醒すると、この友人は、消えてしまうが、また夢に入ると友人は、出てくる。 何か今後のことを暗示しているような気がする。私にやって欲しいということか?確かに私の親戚が精神障害者向けの福祉施設をやっているが、そういった影響を受けてはいる。ただ、既に診療所を経営している私が今から福祉施設を立ち上げるのは年齢的にも現実的ではない。今生での仕事の基本は人のためであるが、普段においても個人ができることを色々な形で社会に反映させれば良いと思う。社会に貢献することが地上での人としての役目であるが、あくまでも今できそうなことをやり、無理をすることはない。シルバーバーチの霊訓1=なぜ生まれてきたのか=人のために役立つ「人のために己を棄てる仕事にもいろいろあります。あるものは人目につく派手なものであり、あるものは一目につかない静かな聖域で行われます。いずれにせよ大切なのは人のために役立つことです。霊的真理の悟りを一人でも多くの、受け入れる用意のできた人に施すことです。不安と恐怖に満ち、数知れぬ人々が明日はどうなるかと案じつつ生きているこの世においては、人生とは何かについて、表面的なことではなく、真実の相を教えてあげなくてはなりません」(P43から)
2022.09.26
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2019年3月1日の幽界訪問から。 韓国に旅行に出た。友人二人と薄暗い山道を歩いていく。小学生も数人歩いていた。彼らに付いて行けば名所のような所へつながると思って、後ろからついて行く。ただ、彼らの言葉(韓国語)がわからないので、黙ってついていく。とても綺麗な青い花が咲いているので写真が撮りたくなり、脇道に行く。すると小学生たちがどこへ行くのかと不思議そうに見ていた。やがて林を抜けると左側に巨大な岩場が見えた。まだ開発中といった感じで工業用のショベルカーがあった。右の方へ行くと、まさに巨大なカルデラが見えてきて写真を撮ろうとするが、暗くて焦点が合わない。やがて目が慣れてきたためか、今度は、あちこちに観光客が見えてきた。更に進むとカルデラの縁に来た。下を見ると足のすくむような高さだった。家に戻ってから地図で場所を確かめるが、よくわからない。地図には全く載っていず謎のカルデラだった。不思議な体験をさせられた。 モンロー研究所のロバート・モンローは、幽界の人になってから幽界の地図を作成していると、霊界通信のような本で読んだことがある。幽界の地図は地上よりも広大であることは、予想が付く。幽界の拡大に伴って新たな地名が日々増えていることであろう。幽界人の意識の基本の一つは「想像は創造」である。消すのも簡単だろうが想像すれば、すぐ形になる世界だからだ。
2022.09.02
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2019年2月24日の幽界訪問から。 この日は、急峻な山々と深々とした森の中を歩いていた。とても綺麗で神聖な雰囲気がして幽界上層の世界かと思われた。白い霧のように見える存在が複数見えた。次第に光り輝いて見えてくる。私を守護する人々(ガイド)だった。深く感謝する。 ガイドの存在がこうして見えることもある。幽界の世界ではインスピレーションで瞬時に察することができる。皆、ガイドの存在を認め、日々感謝することである。
2022.08.12
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2019年2月18日の幽界訪問から。 私の小学校6年生以来の親友であるMが、小学校時代にギターを弾きながら歌っていた。「みんな、愛している」と言う綺麗な曲だった。彼の歌も素敵だった。そのビデオを見ながら私もギターを弾きながら(地上では弾いたことはないのだが)泣いた。そばにいた姪も泣いた。皆愛している。自分が愛されていることを知って、強く生きられると言うことだ。霊界からのメッセージかもしれない。 Mとも会いたい。しかし、彼は東京にいて2022年8月現在このコロナ禍でしばらく会っていない。小学校時代は、彼は透る声で、よく歌を歌っていたが、ギターは弾けなかったはずだ。彼とは同じ高校だったが、高校時代は音楽を選択していたので、弾けるようになったのか?私は美術を選んだので、クラスは3年間別だった。今度、会ったら確認してみようと思った。というのは、面白いことに約50年後、彼は絵を描き、銀座で個展を開いたこともある。教員になったが、大学では美術を専攻したはずだ。全くギターのことは聞いたことがないのである。
2022.08.10
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2019年2月15日幽界訪問から。 私は学生をしている。授業として英語の映画を聞くことになっている。映画館へ行く。友人は、それぞれ離れて、スクリーンの無い立体映画(3D)を見ようと待機している。一般の方もいるが、開幕は無い。いつでも見れる。10種類くらいタイトルがあった。客席を歩きながら、どれを見ようか回っていく。もちろん日本語もある。互いに音のコントロールができる。未来の映画館か? 広いホールの中で空間に現れる画像を第三者として見ている。もう少しすると、地上の映像技術も進んで、このようになるかもしれない。霊界通信によれば、幽界でも映画上映は盛んに行われているそうである。
2022.08.06
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2019年1月30日の幽界訪問から。 友人たちと楽しんだ後、貸切のバスに乗って帰宅した。幽界のいつもの街にある自宅まで送ってもらう。私一人なので、まさに自由である。バスは、軽快に細い道も走っていく。曲がりくねった道もするりと通り抜ける。左右に大きく揺られるが、まるでトルネードのようだ。このバスをトルネード号と勝手に名付けた。夕方の街中は、とても綺麗で写真を撮りながら帰ることにした。そして、中年の男性の運転手さんにさよならをした。 幽界の街並みは、言葉では表せないような輝きを放って見えた。夕方は特にそうだった。幽界は、意識の世界なので時間はあるようでなく、また太陽はあるが、スエーデンボルグが述べているように個人の霊性に合わせて輝きを増し、固定して見えるようだ。ただ、私は、あまり意識したことはない。夕方の景色が多いのは、あくまでも夕暮れを好む私の習慣が作った世界なのかもしれない。ここで撮った写真が物質化して、地上に再現できれば、皆さんにお見せできるのだけれど。残念。
2022.07.23
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2019年1月16日の幽界訪問から。 大きな地震が起きた。二階建ての家は木造で大きく揺れ、柱が撓むが何とか潰れなった。周囲から火が上がり、それを皆で消した。水道が出たので、すぐ消し止めた。S市の皆(おじやおばや従兄弟)と一緒に生活していた。東日本大震災と同じ揺れだった。隣の家の車に火がついたが、これも簡単に押し倒して消し、類焼を免れた。皆火事場の力持ちといった感じだで頼もしかったが、考えてみればここは幽界である。 東日本大震災と同程度の地震は、震度6弱以上である。調べてみると約五ヶ月後に起きている。#2019年6月18日山形県沖の地震あり。最大震度6強(M6.7で津波を観測)
2022.07.21
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2019年1月10日の幽界訪問から。 S市の親戚宅にいた。昔の感じではないが、心安らぐ場所である。大学生まで、ここで生活させていただいた。平日なので長居はできないと思った。すると、私の存在を知って、この親戚の次男と三男が顔を出した。既に二人は独立して暮らしていたが、この時は二人とも50代くらいだった。今の私より年上なはずだが、とても元気で顔も日焼けしていた。特に次男は、71歳で3年前に亡くなったばかりで、少し驚いだ。これから二人で伊香保温泉に遊ぶに行くと言う。その途中で寄ってみたとわけだ。3男は、健在だが、こうやって時々兄弟二人で仲良く幽界を旅行しているのかもしれない。 次男の元気な様子は私に伝わって来た。そして、50代の頃が私には身近に感じられた。私も30代で充実した社会人となり、よく遊びにも行った。その人にとって一番元気に見える頃の姿で出現するというが、通常20代の姿であろう。ただ、私にとっては50代の従兄弟が一番記憶に残っている。向こう側でそういった配慮をしてくれたのかもしれない。
2022.07.14
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2018年12月13日の幽界訪問から。 米国人でプロテスタント系教会の宣教師であるRさんの英会話教室に出かけた。地上では、4年近く続けている。別のところで、やっているという。5人ほど中年の生徒さんがいた。皆知らない人たちばかりだった。Rさんが、日本語で「明日で終わりだ」と言う。顔が冴えなかった。 確かにRさんは既にここにいない。今は、米国にいるははずだが、その後も日本へ戻っても東京の所沢にいるとのことだった。そのことに気がついた。つまり、幽体離脱して彼と会っていたわけである。
2022.07.12
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2018年12月6日の幽界訪問。 多くの人たちと渋川を歩いた。だんだん人が居なくなり、帰りかけた頃、友人の部屋で休んだ。そこで、気診の話をした。子供や青年たちが多かったが、初めは皆興味を示して私の前に皆集まって来た。胸鎖乳突筋の位置がわからず、これを触ることから練習した。しかし、徐々に関心が薄くなり、皆ゲームをやり始めて、こちらを見なくなった。このため、話すのを辞めた。 考えてみれば、地上の技術である。気の技術であっても筋肉つまり肉体を操るのはあの世では難しいだろう。
2022.07.11
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2018年11月29日の幽界訪問から。 中学の同級会があった。巨大なホテル。旅館のような雰囲気だが、ちょうど宴会の最中で人でごった返している。通路が複雑で一旦、別の場所に行くとわからなくなる。厨房を通って戻ったりする。皆65〜6歳のおじさんやおばさんであるが、昔の顔を思い出す。故人はいなかった。別の棟に行ったら、他のクラスの友人がいた。同じ歳なので明らかに高齢者だったが、声をかけるとそうだと言って反応した。別の部屋でも中学の他のクラス会をやっているので、こちらに顔を出さないかと伝えておいた。また、戻ろうとすると厨房を通って自分の席に戻った。その方がわかりやすい。ただ、この次は厨房を通らず、戻ろうとしっかり順路を確認した。 皆生きている人たちなので、歳を撮っていた。体外離脱してここに集まったのであろう。目が覚めるとまた肉体に戻るが、私と会ったことは覚えているだろうか?それにしても中学時代の懐かしい人たちが沢山いた。
2022.06.30
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2019年5月1日の幽界訪問。 古い良き震災前の町。ここでマラソン大会があった。私は遅れて後から走るが人が一杯いた。一方で皆、祭りの準備もしていた。夕方のような頃合いだった。皆、軽快に走りゴールする。私は遅くてどんどん追い抜かれて行く。それでいて人々はマラソンには、ほどほどという感じだった。祭りの方が気になるようだ。私はもともとここの出身では無いので、親しい友人もいず相手にされない。何となく疎外感を感じていた。やがてマイペースで町内を走り回ることができた。人が多くて混み合っているところは避けながら。 幽界での私の目的はマラソン大会に出ること。祭りはいつも見ているだけだ。もともと診療が忙しくて普段から町内の企画に参加したことはない。その辺を将来的には修正して行かないと精神的な部分で、いつまでも地元の民にはなれないと思う。既に35年以上ここに住んでおり、骨を埋める覚悟はできている。患者さんとしては知っている方は一杯いるのだが、どうも一歩置かれてしまう感じがする。幽界の出来事は、そんなことを教えてくれた。今回は癒の世界で感じた孤独感であった。
2022.06.14
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2019年4月20日の幽界訪問から。 群馬のある町に来ている。渋川のようなところか?約50年前の学生時代と比べると渋川もだいぶ変わったろうと思う。地上では以来じっくり見たことはない。借りた自転車を押しながら友人と坂道を上がっていく。町の中を色々見ながら歩く。町外れに来て、そろそろ帰ろうかということになり、自転車置き場に行こうとするが、見つからない。すると、自転車を預かる家があり、ちょうど小母さんが出てきた所で預かってもらう。人は、たくさんいて、色々な自転車があった。今日は、ここまで。 渋川は坂が多い。有名な温泉地である伊香保までずっと登る感じだ。駅から確か8キロくらいはあるだろう。自転車で駅まで行くには下るので爽快だが、帰りは鍛えられる。2022年現在、コロナ禍で親戚のある渋川へもなかなか行けない。学生時代の懐かしさも重なって、夜な夜な渋川の幽界を散策してみるわけだ。なお、今回は地名を出させてもらった。やはり臨場感が違うと思う。ただし、地上と幽界では、少し景色が違うのはよくあることである。パラレルワールドのようなものだが、古い渋川や未来の渋川を見ることができる。
2022.05.22
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