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なんで人は「わかってくれない」と嘆く前に「わかろうとしない」のだろうか。
立場を考えれば必然的にわかる事さえも
自分の考えとは反するモノに攻撃的、否定的になって
排他するのである。
それが逆なら自分がそうなる事など思いもせずに。
ハッキリいってアホである。
正義は自分の根源的な信条からではなく、他者の心情、思想と
照らし合わせて整合性をとりつつ
最大公約数的なところで手を打つのが真っ当だと思っている。
救えない。
どうしようもなく軽薄なのが人間の根本的な心情とするならば
一体なにが自分たちを全くの正義なのかと導いてくれるだろうか?
TVや新聞のニュースがこの世の自分たちの分かる範囲以外の全てか?
疑問に思う事を調べる事は習わなかったかもしれないが
習わなかった事をヤルという事に枷を己自身が施し
それに甘んじて楽をし、心地よい言葉や事象に浸っているのではないか?
根源的な正義、無意識的な正義に背を向けてはいないか?
自身が真っ当だと思う事にはハッキリ意思表示をするべきではないか。
そして、そのことが相手とぶつかるならば
徹底的にやりあえばいい。
相手も自分も、その事がきっかけで認め合える仲になれるじゃないか。
そんなこと無いって?
それはソレをしたことが無い奴が決まっていう台詞だw
ソレを本当は期待してるくせに。
言いたい事を言い合うというのは欧米的で日本人には合わないという
意見も何度も聞いた。
しかし、実際やってみればそんな事ない。
何故か「やる前」から「何もせずに」やった事がある風にいう奴が大勢いる。
事前に空気を読んで波風を立てないようにする日本人的発想が産んだ
負の遺産である。
それは正しくは無いと断言する。
その事前に空気を読むという発想が「わかってくれない」という
どうしようもない他力本願の甘えの根源なのだ。
わかってくれないと嘆く前にわかろうとしろ。