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気が付いたら三月になっていた。白内障の手術をしてから半年。コンタクトレンズをしているが左右とも1.5でしっかり見える。眼圧も下がり緑内障の事も何も言われなくなった。今は三か月に一回定期検診を受けている。結果オーライで左右とも一緒に手術して良かった。手術費用も安くすんだし左右同じ視力になったので使い捨てだけどコンタクトレンズも同じ度数で使用できるので何かと便利だ。三年前の三月、私は胃の手術をした。胃と胆のうを全摘したけれど今は大抵のものなら八割くらいは普通に食べる事が出来る。食欲があるのでつい以前のペースで食べるとつかえて戻してしまう。この三年で学習して二割くらいは残すようになった。胆のうもないので何か不具合でもと思うが何の薬も処方されていない。ただ整腸剤を食後に一錠飲むだけだ。今までは手術をして貰った病院に三か月ごとに定期検診に行っていたが今年から半年に一回になった。私が通院しているのは月一度の内科のクリニックと歯のクリーニング。歯が命だからね。あと三か月ごとの眼科かな。運が悪かったのか良かったのかガンになったけど、三年前より良い状態で生きている。今年の十月で定年だけどどうやら完走できそう。
2024.03.03
右目の白内障の手術をして一週間後に左目の手術をした。それから二週間経つ。総合病院で手術をしたので手術の次の日眼帯を取ってもらうとその後の診察は元のかかりつけ医で診てもらうよう言われた。私は日帰り手術だったが会計の時余りの安さに驚いた。両目の白内障の手術だったのに二万円でお釣りが出たのだ。間違いではないかと受付で確認したが私の場合同じ月に両目の手術をしたので高額療養費制度のおかげでその金額なのだと言われた。70過ぎて二割負担だしね。五万くらい掛かるかと思っていたのでラッキー。手術が終わって五日後に職場復帰した。裸眼でどの程度仕事ができるか分からなかったので一応軽めの近視用の眼鏡を作った。一か月は視力が安定しないと言われたが作った眼鏡店では、合わなければ換えてくれると言う。無料でね。眼内レンズを近くに合わせたので近くはよく見える。仕事は眼鏡なしでもできそうだ。ただ一か月は感染に気を付けなければならないので水仕事をするときは目を保護するために眼鏡をした方が安心だ。通勤時も国道沿いの歩道を歩くのでほこりやゴミを避けるために眼鏡をかける。一か月経ったらコンタクトレンズも入れられるようだが白内障の手術よりそっちの方が高くつきそうだ。
2023.09.12
もう片方の目を手術して三日目。目は全然痛くない。三種類の目薬を六時間ごとに点す。私は早朝二時に起きるので午前中の二時と八時、午後の二時と八時に目薬を点している。これが結構めんどくさい。一つ目の目薬を点すと五分は間を置かなくてはならない。起きた時と寝る前は三種類だが途中は二種類だけ。間に別の用をしていると、どこまで点したか不安になる。目薬カレンダーを作って点したら記録するようにしている。一番大事な事だからね。白内障の手術をしたらよく見えるようになって世界観が変わるよと言われたけどそこまではね。まだ視力が安定していないという事もあるけれどコンタクトレンズをしていた時の方がよく見える。でも裸眼で1m以内はばっちり見え家の中では眼鏡なしでも不自由しないのはありがたい。目の中に入れるレンズを近くに合わせたので遠くは見えない。今日は主人と一緒にスーパーへ買い物に行ってみた。町の看板も裸眼でも良く見える。日差しがまぶしいのは手術をしたからかまだ夏だからかどっちだろう。行きなれたお店なので、商品を探すこともなく眼鏡なしでも買い物もできる。ただ知った人に会っても分からないのでやはり眼鏡は必要かもしれない。眼鏡やコンタクトレンズは一か月後くらいと言われているけど。明後日から仕事に復帰する。眼鏡なしでも仕事ができそうだけど遠くが見えないので一時的に仮の眼鏡でも作ろうかな。
2023.09.03
白内障の手術をした。二月に予約をしたのだが、半年待ちと言われた。日帰り手術で、まず右目をしてから一週間後に左目を手術する。今日は手術をして4日目。予約をした頃は白内障の自覚はなくてちょっと視力が落ちたので、コンタクトレンズを新しくしようと眼科に行ったら白内障の手術を勧められたのだ。それから半年たって視界に白い靄がかかったような気がして丁度良いタイミングで手術の順番が回ってきた。白内障の手術は痛くはないと聞いたけど全身麻酔ではないので意識はしっかりある。前回胃の手術をしたときは、麻酔をかけられて目が覚めた時は終わっていたのである意味気が楽だった。白内障の手術はそうはいかない。目を瞑る事もできないし音も聞こえる。終わってしまえば大したことなかったけど次何をされるんだろうと怖かった。20分くらいで手術は終わり眼帯をして薬を貰った。三種類の目薬を日に四回点すという。次の日外来に行って眼帯を取ってもらった。私はレンズの焦点を近くに合わせてもらったので近くのスマホやパソコンはばっちり見えるが遠くは見えない。それでも以前は0.1以下だったのに0.5まで見えた。視力が安定するまで一か月くらい掛かると言うが片目を瞑って比べてみると色彩が違って見える。手術をしていない方がセピア色と言うかクリーム色がかって見えるのだ。三日後にはもう片方も手術をする。今度は様子が分かっているので大丈夫。仕事の方は二週間お休みを貰った。こんなに長く休むのは胃の手術をして以来だ。75歳の定年まであと一年ちょっとだが視力が回復すると仕事がやりやすくなる。もう片方、気持ちのいい手術ではないけれど両方クリアになったらどんな世界が見えるだろう。
2023.08.28
昨日、次女からメールが来た。滝沢歌舞伎が映画館で見る事ができるのだが19日の分が今日ネット予約できると言う。私は三年前からsnowmanのファンで今までのCDやDVDはほとんど買っている。滝沢歌舞伎やライブは行ったことがないしまずチケットは手に入らない。それが今回は最後の滝沢歌舞伎なので映画館でライブビューイングで行くことができるのだ。チケットが予約できればね。ネットで予約とか70代の私にはハードルが高い。でも見たい。いつも通り夜中の二時に目が覚めた私は最寄りの映画館のHPを覗いてみた。10時ごろから発売かなと思っていたけどすでに予約が可能になっている。もう三分の一くらい席が埋まっていた。これはラッキー。今まで一人で映画館に行ったり一人で発券機でチケットを購入したりしたけどネットで予約は初めて。頑張れ。画面をよく読んで座席を指定し表示された数字をメモしカード情報を入力する。もたもたしていると自動的に切れてしまう。慣れた人なら簡単な事なのだろうけど。スーパーのセルフレジと一緒で何事も初めてはね。なんとか終了して無事チケットを購入することができた。何か又一つ階段を上った気分。私は手術する前は足が悪くなっていて長い間座っているとすぐ立ち上がれなくなっていた。映画館もバスツアーも一人では行けない。それが胃を全摘したので半年で18キロくらい痩せて膝の負担が軽くなったのだ。思うように食べられない事よりも痩せて足が軽くなったのが嬉しかった。歩く事に自信が付くと行動範囲も広がる。諦めていた映画館もまた行けるようになった。それも一人で。チケットが取れたことを主人に言うと「一人で行くの?」だって。4400円もするんだよ。当たり前じゃない。
2023.04.16
次女と孫が帰ってまた通常の暮らしに戻ったと思ったら今度は主人が旅行に出かけた。長い付き合いの友人で、お互い70を超え体調に不安を抱える友人がどうしても行ってみたいと言う旅に一緒に行くことになった。主人は私の付き合いでツァーの団体旅行が多いが本当は自由気ままな旅が好きらしい。私より付き合いの長い友人との旅は今まで頑張ってくれたお礼だと思って送り出した。私もゆっくりできるしね。孫が来ている時休みを多くとったのでその分シフトはしっかり入っている。仕事から帰って何もしなくていいのはありがたい。普段から仕事の日は余り家事はしないけど夕飯だけは作る。自分だけでいいのなら冷蔵庫に食材が余っているのでそれを片付ければ良いし何か買ってきてもいいしね。孫が来て張りきった分、何もしないでダラダラ。私はこれを充電タイムと思っている。主人のいない休日、最低限の家事をすませ好きな音楽をBGMにネットを見ていたら70代で胃がんの手術をし、独り暮らしをしている90代の女性の記事を読んだ。私は71で胃の全摘手術をしたので今は元の生活に戻り、仕事までしているが勝手に80くらいまで生きればラッキーかなと思っていた。あれれどうしようかな。老後資金もほどほどで良いと思っていたけど長生きするならもうちょっと頑張らないとね。
2023.04.13
孫が来た。前回来たのは去年の七月だから八か月ぶり。もうすぐ六歳になる男の子は四月から幼稚園の年長さんだ。一人っ子で大人に囲まれて育ったせいかよく喋る。それも関西弁で。「あのな、あのな」と話しかけじっとしていない。おとなしくしているのはゲームをしている時とテレビを見ている時、それもYouTube。里帰り出産でうちで生まれてあれから五年。子供の成長は速い。私も年を取るはずだ。一週間足らずの滞在だったけど江の島へ行ったり桜を見に行ったり私が仕事の時は、娘と一緒に新宿まで行ったりしていた。近くにいる長女とも仲が良く食事に呼んでくれたり一緒にドライブをした。孫は来て良し帰って良しと言うけれど手術をしてからはこの次会えると言う保証はないと思っている。今はまだ元気で、仕事もしているし年金も貰っているので余裕がある。定年が75歳なのであと一年と半年かな。主人と二人の娘とたった一人の孫に囲まれて満開の桜が風に吹かれて舞うのを眺めながら人生最良の日かもと思った。
2023.04.09
年が明けたと思ったのに気が付いたら二月もあと少しで終わり。一月は行く、二月は逃げるとはよく言ったものだ。三月は去る、だったかな。特に変わった事もなくて普通に暮らしていた。最近までは。シフト通りに仕事に行き休みの日には家事や買い物に行き月に一度、近くのクリニックで消化を助ける薬を出してもらい歯科で歯のクリーニングをして貰う。インフルエンザのワクチンや帯状疱疹の予防接種も受けた。帯状疱疹の予防注射は結構費用がかかるが私は免疫力が落ちているかもしれないので念のために受けた。これも働いているからこそ。自分に投資しなくちゃね。コンタクトレンズが傷ついてしまったので新しく作ろうと、眼科の診察を受けたら何と白内障の手術を勧められた。あらら。そう言えば右目が少し霞んで見えにくくなっていた。老眼が進んでいるくらいにしか思っていなかったのだけど。紹介状を書いてもらい、総合病院に行った。私が胃の手術をした病院だ。二年前の二月だった。訳も分からず検査を受けていた事を思い出す。今回は二回目なので病院の中も迷う事はない。それでも視力検査など色々調べたので診察が終わるまで二時間かかった。白内障の手術なんて嫌だなと思ったけど最近は日帰りで済むらしい。思ったより痛くないとは聞くけれどやってみない事にはわからない。今より見えるらしいので早くやってもらいたいところだが白内障の手術は混んでいて半年待ちなのだそうだ。手術日も決まったが八月末に片方受けて、一週間後にもう片方と言われた。命拾いして、おまけの人生と思っているが出来れば快適に過ごしたい。食べる事、歩く事、見える事は欠かせないからね。
2023.02.25
今年も残り僅か。あと二日しかないと主人にこぼしたらもう少ししたら又365日増えるよと言われた。笑ったけどホントに365日あるのかな。三か月ごとの定期検査を受けてきた。今回は採血のみ。一時間後に結果が出る。食欲もあるし、仕事ができるくらいの体力もある。時間をかけてよく噛めば大抵のものは食べる事ができる。痛い事もないし違和感も感じない。今のところは。でも私はガンになっても自覚症状がなかったのだ。入院する二日前まで働いていた。何故自分がガンになったのかわからない。一年前は異常がなかった。次の年に内視鏡の検査を受けたら即手術だった。胃が痛むとか、食欲がないとか体重が減るとかなくて逆に太ったくらいだ。悲しむとか悩む暇もなくてあれよあれよという間に手術は終わり幸いなことに回復も速く予定通り二週間の入院で済んだ。薬や通院の必要もなく三か月ごとの採血と半年ごとのCT検査で三か月ごとに病院に行っている。今回も一時間待って二分くらいの診察だった。先生との会話が物足らないくらい短いのは幸せだ。安心を得るための注射なんて痛くもなんともない。取り合えず三か月は大丈夫…かな。仕事で半年ごとの契約更新をしているけど経過観察で通院するたびに体の契約更新を受けているみたいだ。仕事は75歳で定年だけど私の人生の定年はいくつだろう。なんとなく75までは頑張れそうな気がする。今まで通り仕事に行って美味しいものを食べ季節ごとに旅行に行けたらと思っている。
2022.12.29
シフトで働いていると休み明けは月曜日と勘違いすることがたまにある。今日は日曜日なのに昨日休みだったのでつい月曜日と勘違いしてゴミ出しの用意をしてしまった。でも玄関で気が付いて下まで持って下りなかっただけましかも。うちは五階なので又持って上がるのはね。勘違いとか思い込みが段々と多くなる。気を付けなくては。私は早朝四時過ぎに家を出る。神奈川といえども12月ともなれば寒いが不思議な事に四時ごろは風もなくてむしろ七時頃の方が寒く感じる。70過ぎてガンの手術をして良く働けるなあと自分でも思うが出かける時はまだ体力があるので行くのが嫌だと思ったことはない。職場に行けばやる気スイッチが入るのか以前と同じように動ける。慣れた場所で長年一緒に働いて気心が知れている同僚と経験を積んだ仕事をするのだから仕事は苦にならない。女性が多い職場だけどこの年になると張り合う気持ちにもならない。向こうもだろうけど。職場でストレスを溜めないコツは嫌いな人を作らないことだと思う。嫌だなと思うと相手にも何故か伝わる。どうしても好きになれなかったら距離を置けばいい。幸い今は嫌いな人はいないので仕事に行くのが楽しい。それでも仕事が終わって職場を出るとスイッチが切れるのかどっと疲れる。四時に家を出て六時間以上も立ちっぱなしなんだものね。三十分の休憩はあるけど。家に帰るとヘロヘロで早めの昼食を食べるともう起きていられない。二時間近くの昼寝でやっと回復するのだ。それでも働けて、体が動いて食べる事が出来て睡眠で体力が回復することがありがたい。
2022.12.18
いつの頃からか映画館に行かなくなった。次女が結婚するまでは結構一緒に行っていた気がする。世の中は便利になって今はスマホで座席の予約も出来るという。予約どころかチケットも自動販売機になって買うのに気後れしてしまう。それに加えて膝の調子が悪くなって二時間も座っているとすぐに立てなくなったのだ。座りやすいように通路側を選んでも映画が終わるとすぐ立たなくてはならないので映画館に行くのが段々億劫になったのだ。それが胃の手術をしたことで不幸中の幸いとかで体重が減り足の負担が軽くなった。今では二時間座っていても立って歩ける。これなら映画館も行けるかも。私はsnowmanのファンで箱推しなので「月の満ち欠け」が是非とも見たかった。頼りにしていた長女には年末忙しいからと断られ興味のない主人に頼み込んで一緒に行ってもらった。何しろ映画館に行って自分でチケットを買うのは久しぶり。ましてや自動販売機ではね。ネットでチケットの買い方を検索し手順を頭に入れてから映画館に行った。スーパーのセルフレジと一緒で初めてはハードルが高い。主人も知らないくせに口を出してくる。映画のチケットを買うだけで緊張するとはね。なんとか座席を指定してチケットを購入した。うん。これで次回は大丈夫。映画はね。良かったですよ、私は。二つの物語として見ると二組とも良かった。若い二人の恋物語としては切なくて映像もきれいだった。映画の内容よりも今回は娘に頼らないで夫婦二人で行けた事が嬉しい。二時間座っていてもすぐ立てたし。次はアバター行こうかな。
2022.12.11
全国旅行支援を利用したバスツアーに行ってきた。元々どこか紅葉を見に行こうと思っていて今年は奥只見の紅葉を一泊二日で予約していたのだが旅行支援が受けられることになってラッキーだった。バスツアーなので手続きは旅行会社がしてくれる。ただワクチン接種か陰性証明が必要で身分証明は写真付きが必要だった。前回は保険証でも良かったのにね。助成金が出るので県によって違うらしい。旅行費用の40%かと思ったら上限が8000円との事だった。それでも二人で16000円の値引きだからかなりお得。その上一人3000円のクーポンが付く。地域限定だけど。旅行先を決める時、大体候補地を三か所くらい私が絞って最後は主人に決めてもらう。今回は京都と香嵐渓と奥只見で、私は京都も良かったのだけど、主人の希望で奥只見になった。京都は何回も行っているって。関東に住んでいるけど奥只見は初めてでロープウェーやゴンドラ、遊覧船を乗り継いでちょうど見頃の紅葉を見てきた。ホテルは苗場の大きなホテルで快適だったがこの三年にわたるコロナの影響で大変らしい。私が止まった時は10台近くの観光バスが止まっていたが久しぶりの賑わいだとか。旅行支援効果かな。ホテルの売店でお土産やお酒を買いクーポンをしっかり使い切った。クーポンも県によって限度があるのでこれから使えるかどうかわからないらしい。帰りのバスの中で次はどこへ行こうかなと考える。今年はもう終わりかな。来年早々どこか初詣に行こうかな。仕事に行っているからこそ自由に出かけられる。好きな仕事に行って、旅行も行けてあと二年元気でいられたらと思う今日この頃。
2022.11.06
73歳になった。母が介護が必要になってうちへ来たのが73歳だった。父は72歳で亡くなった。私にとって73歳は節目の年に思える。71歳でガンが見つかり手術をしたけど胃を全摘したのに二週間の入院で済んだ。二か月後には職場に復帰した。食べる事に苦労したけど一年半以上たった今、七割くらいは食べる事ができる。三か月ごとの検査はあるが経過観察で治療はない。ガンになって運が悪いと思ったけど命拾いしたのだから何とも言えない。20キロ近く痩せたことで体が軽くなり膝の痛みがなくなったのはありがたい。これからは健康寿命を延ばす事が当面の目標。女性の健康寿命は75歳くらいらしいのであと二年今まで通り早朝パートに行くつもり。復職してから一年半経つがおかげで筋肉が付いたと思う。動くと食欲が出るので、つかえて戻しながらも食べやすいものを食べていた。体温が低いと免疫力が落ちると言うが仕事が終わると2・3度体温が上がっていた。私にとって仕事に行くことは何よりの体力作りなのだ。その上お給料まで発生するしね。あと二年、まだまだ人生を楽しむつもり。
2022.10.21
今年の夏は暑かった。それでも蝉の代わりに虫の音を聞くようになり10月ともなれば秋の訪れを感じる。昨日は雨も降って夕方は冬を思わせる寒さだった。夏休みに入ってすぐ孫が来たけれどその後は可もなく不可もなく平凡なただ暑いだけの夏だった。私にとっては。世の中は色々あるけれど見たくないものは見ない年頃なのでストレスを感じる事も少なく好きな事だけをして暮らしている。幸いなことに大した夏バテもせず早朝パートに行けている。仕事に行ける事が私の健康のバロメーター。ノー天気に暮らしているが三か月ごとの定期検診があってこそ。三か月ごとの採血のほかに半年ごとのCTの検査と、年一回の内視鏡検査がある。検査だけで薬とか治療はない。今のところは。掛かりつけの内科で整腸剤は出してもらっているけどね。先日半年ごとのCTの検査と採血の結果を聞きに行った。今回も無事クリア。また三か月分の安心を得る。この繰り返しであと二年。75歳の二回目の定年まで働くのが当面の私の目標。適度に働いて好きな事を楽しむ。先の事はあまり考えず取り合えず二年間、現状維持できたらと思っている。
2022.10.08
暑さ寒さも彼岸までと言うのに真夏並みに暑かった昨日、バスツアーに行ってきた。遠出をするのは孫が来た時以来久しぶり。彼岸花を見て川越で鰻を食べてお菓子を買ってくると言う花も団子も一緒の私好みのコース。元々バスツアーはよく利用していたが年を取って来ると便利でありがたい。座っているだけで遠くまで連れて行ってくれて効率よく回ってくれる。お値段も色々あって、美味しいものを食べたければお高いが、安ければそれなりに。今回は小さかったけどまぁまぁ美味しいうな重が付いて一万ちょっとのお得なコースだった。胃のない私でも八割は食べる事ができた。茶碗蒸しも付いていたしね。前回同様ワクチン接種をしている事が条件でマスク、検温は当たり前。証明書がないと参加できない。コロナの勢いは少しは落ちたけれど収まったとはとても言えない。それでも経済を回していかないと国全体が衰えてしまう。観光地は特にそうだ。彼岸花の群生地は盛りを過ぎていたけど平日と言うのに、多くの人が見物に来ていた。広場には屋台が立ち並び猿回しの大道芸までやっていた。少しずつ少しずつ元の生活に戻れることを期待してしまう今日この頃。
2022.09.27
コロナのせいで変わった事と言えばマスクもそうだがスーパーやコンビニのレジでの支払い。以前からポイントが付くのでカードは使っていたけれど去年あたりからセルフレジと言って自分でバーコードを読み取り店員さんなしで支払いをするレジが増えてきた。年を取ると新しい事を覚えるのは面倒くさくて私はセルフレジを敬遠していた。混んでいても店員さんがいるレジに並ぶ。その日も店員さんがいるレジが混んでいてセルフレジはすいていた。いつかは慣れないといけないと思っていたのでセルフレジに行って案内の店員さんに教えてもらった。商品のバーコードを機械に読み取らせるだけ。ピッと言う音と同時に画面に値段が表示される。袋物は読み取りにくいが慣れれば簡単。あとは会計を済ませて品物を袋に入れるだけだ。これなら次回から空いているセルフレジを利用できる。何か一つ課題を終えたような変な自信が付いた気分だ。世の中は日々変化していく。ついていくのもしんどいが、小さなことからコツコツと。それにしてもこのレジのおかげで何人の人が仕事を失うのだろう。今まで人がやっていた事を機械がやるのだから。私の場合は75の定年まであと二年ちょっとしかないので大丈夫と思うけど、運が良ければの話。
2022.08.18
孫が来た。以前に比べたら陽性者数も絶望的なくらい増えたけれど私たち夫婦が四回目のワクチンを済ませたことで次女と夏休みに入ったばかりの孫が里帰りしてきた。次女は義両親と同居しているのでたまには息抜きしたいのだろうけど私が手術してからはこちらがためらっていても帰って来る。あと何回帰れるのだろう。元気なうちに今のうちに。口には出さないけどお互いの心の内にある。こちらに来て感染させるわけにはいかないが家に閉じこもってもいられない。五歳の男の子だからね。移動は車にして、雨の降った日に割と近場の博物館に行った。ここは恐竜の骨の標本が展示されていて恐竜好きな孫は楽しみにしていた。雨だったこともあり人出も思ったより少なくゆっくり見て回った。育ち盛りの男の子は来るたびに背も高くなり話す言葉もしっかりしてくる。孫が来るたびに私の一か月分の収入が消えてしまうがそのために働いているようなものだから財布の紐も緩みがち。一週間滞在したが、博物館と別の日にサファリパークに行った。サファリパークは車に乗ったままなので安心して楽しめた。孫は来てよし、帰って良し。新幹線の改札口で手を振って別れた。夏はまだこれからと言うのに私の夏休みは終わった。
2022.08.06
バスツアーに行ってきた。日帰りで、桃二個のお土産つきのお得ツアー。主人と二人なので四個だし、桃狩りを楽しんで昼食付で、桃食べ放題で一人一万ちょっと。日常から離れて、バスで山梨まで行って富士山と湖を見てきた。今回のバスツアーはワクチン接種の証明が必要でバスに乗る前に検温はもちろんワクチン三回の証明書がないとバスに乗せてもらえない。めんどくさいけど安心して楽しむにはそれくらい必要かも。桃狩りもビニール手袋を付けてお土産用の二個だけ自分でもぎ取る。桃食べ放題と言っても別に用意された桃を食べるのだがそんなに食べられるものではない。ましてや私は胃がないのだから一個が限度だ。バスツアーを選ぶ時、行先はもちろんだが何を食べるかが最優先だ。食べられるものがある程度限られてくるのですき焼き定食とか鍋ものだとOK。バイキングとかビュッフェ式も選べるので大丈夫。逆にダメなのはお寿司とか海鮮焼きとか硬いもの。以前は好きだったのに。お弁当とか釜めしタイプもね。今回はすき焼き定食でうどんも付いていたので七割は食べられた。目的の富士山や湖を見るのも好きだけどバスに揺られて知らない町を眺めるのも好き。お腹がいっぱいになってトロトロと居眠りをしたり段々と日が暮れていく景色もそこはかとなく哀愁を感じてあと何回行けるかなと思う。仕事もバスツアーも行けるところまで行くつもりだけどね。
2022.07.08
暑い。六月ってこんなに暑かったっけ。せめて海でもと思って、先日の海ほたるの画像を。働いていれば、いくら暑くても仕事に行かなければならない。私の職場は365日年中無休なのだ。正月であろうと台風あろうとシフトに入っていれば行かなくてはならない。早朝はまだ普通に出ていける。この時期の四時過ぎは夜明けと言った感じで、淡いブルーとピンクのグラデーションが美しい。早朝なので行きかう人も少なく最近はマスクを外している。病院が近くなるとマスクをつけ仕事モードに入る。仕事が終わって外に出るともう暑い。まだ十時過ぎと言うのに。私が七十過ぎても働けるのは早朝勤務で通勤時間が徒歩10分以内だからかもしれない。この暑さの中、午後から四回目のワクチンを打ってきた。今回は医療従事者は関係なくて60歳以上だと前回の接種から五か月以上経つと接種券が送られてくる。かかりつけ医で予約を入れ昨日、ワクチンを接種してきた。今までは副作用も大したことなかったし熱も出なかったのでこれから孫も来る事だし念のためにね。15分待合室で待機してから家に帰った。不快感もないし体も動く。熱も出なかったけど朝起きたら打った方の腕がちょっと痛い。一回目と同じ程度かな。私は二回目が全然平気で一回目と三回目が腕が痛むくらいだった。四回目も同じくらいだ。今のところは。念のため接種した翌日は、仕事を休みにしているがこの暑さの中買い物に行くのも悩みどころ。
2022.06.29
手術後の三か月ごとの検診に行ってきた。診察の前に採血があるので予約の一時間前に病院に行く。注射は好きではないけどコツを覚えたので余り痛みを感じない。看護師さんが上手なだけかもしれないけど。採血の結果が出るまで一時間ほど待つ。総合病院なので人が多い。それでも皆間隔を空けて座っていた。私のように一人で来る人も多いが付き添い付きで来る人も多い。施設の人と一緒の車椅子の人もいれば配偶者と子供(と言っても大人だが)連れの人もいる。産科や小児科もあるので子供を連れた若い人もいる。産科以外は症状が重い人が病院に来るので世の中には健康でない人も多いのだと自分が病院に通うようになって改めて思った。病院で働いているのにね。一時間ほどで自分の番号が表示され、診察室に入った。テストの結果を聞くような気分だ。今回も無事クリア。「この程度なら問題ない」との事だが、この程度って何だろう。聞かないし、深く考えない。次回も三か月後。次回は採血のほかにCT検査が加わる。こうやって定期的に診てもらって三か月分の安心を得る。自覚症状もなかったし回復も速かったが私は命拾いをしたのだ。多分。余り先の事は考えず取り合えずこの夏を楽しもう。幼稚園が休みになれば孫もやって来る。この夏はどこへ行こうかな。
2022.06.15
何もしたくない一日だった。私は仕事が休みの日でも二時には起きる。長年の習慣で自然に目が覚めるのだ。アラームは一応三時半に設定してある。万が一、二度寝した時の保険用だが寝過ごした事はない。何もしたくないなら寝ていればいいのにそれもできない。布団の中で足の体操をする。これだけは欠かせない。365日毎日やっている。入院した時も管が外れたらベットの上でやった。私は歩けなくなるのが一番怖いのだ。起きてからいつものルーティン。手術をしてから何故かコーヒーが苦手になったので紅茶か甘酒を作る。今日は甘酒。体に良いと聞いて一年続けた時もあったけどしっかり太ったので止めていた。今は痩せたので気にしない。飲む点滴と言われるくらいだし腸内環境を整えてくれるしね。甘酒を飲みながらパソコンを開いて家計簿をつけたり、献立を考えたり。生協の注文をしたり録画していた番組を見たり。いつも通りのルーティン。いつもならこの後仕事に行くのだが眠気が襲ってきて、そのまま寝てしまった。先週は休みの度に出かけたので体が疲れていたのだろう。痩せて足の調子が良くなったので自分の体力を過信していたのかもしれない。二度寝して八時過ぎに目が覚めたけれど今日は休みの日だし、何もしない日と決めてずっとリビングのソファーでダラダラしていた。いいのよ、私。体力は温存しなくちゃね。
2022.06.08
海ほたるへ行ってきた。ここは私のお気に入りの場所の一つで以前バスツアーで千葉方面に行った時の休憩場所。休憩だけなので長くはいられない。海を眺めて土産物を買う程度だった。一度ゆっくり行ってみたいと長女に話したら連れて行ってくれると言う。手術をしてから娘たちは私に優しい。老い先短いかもと思っているのかな。お母さん案外長生きするかもしれないよ。ある程度食べられるようになってからバスツアーや行きたい場所に行くようになった。もちろんコロナの規制が解除されてからだが。今まではいつか行けると思っていたが世の中何が起こるか分からない。ましてや私はガンになって手術までした。へそくり貯金も大切だが命あっての物種。幸いなことに仕事にも復帰できたので多少のゆとりはある。海ほたるに着いてレストランで食事をし外のデッキから海を眺めながらこの次はどこへ行こうかと考えている。
2022.06.05
職場に新人が入ってきた。朝のパートでは久しぶり。60歳で朝パートでは一番若い。あは。普通なら定年なのに。専業主婦で十年くらいブランクがあると言っていた。60歳に70歳が教えるんですよ。傍から見たらどっちもどっちだけど。専門知識がないのでゼロから始めなくてはならない。家庭では当たり前の事でも病院食ではやってはいけない事がたくさんある。ダスターも用途によって使い分けるので慣れるまで目が離せない。私が五十代半ばでこの仕事に就いた時もこんな感じだったのかなと思う。もうすぐ18年になるが一通りの仕事ができるまで一年くらい掛かった。ちょっとのミスも許されないので指導も厳しく時間にも追われた。仕事を覚えて慣れてしまえば中高年には働きやすい職場だと思う。新しく入った人の入社の決め手は勤続年数が長い人が多いと聞いたからだそうだ。それなりに苦労はあったんだけどね。頑張ればあと15年働けるよ。人に教えるという事は刺激になる。自分の頭の中を整理して相手に分かるように説明しなくてはならない。来月からは二十代の栄養士さんにも現場の仕事を覚えてもらうために教育の時間がある。今度は20代の人に70代が教えるんですよ。慣れた日々が続いていたが新しい風が吹いてきた。頑張れ、私。
2022.05.31
今月は連休中出勤したのでそのせいか月末になって三連休のシフトだった。連続勤務はきついが、予定もないのに三連休もらっても体がなまってしまうので久しぶりに鎌倉に行くことにした。私は長谷寺がお気に入りなのだが石段を登らなくてはならないので足が悪くなってからは敬遠していた。痩せて膝の負担が軽くなり少し自信が付いた今なら、また行けるかもしれない。バスツアーと違って電車を乗り継いで行くのであまりあちこち回れない。私の足は七時間なら持つと計算して長谷寺と鎌倉文学館だけにした。久しぶりの江ノ電は新しくなっていて以前のレトロな感じではなくなっていたが窓から海が見えるのは前と変わらない。紫陽花はまだこれからなので人出も思ったほどではなかったがツツジや菖蒲もさいていて新緑の庭は美しかった。そこから足を延ばしてバラが見頃な文学館へ。平日だったけどカメラを持った人や絵を描いている人が多かった。文学館の内部を見学したり庭に出てバラを鑑賞したりしていると結構歩いている。石段も昇り降りしてるしね。家に帰ったら万歩計は15000歩を超えていた。凄いぞ、私。あの長谷寺の石段を登れた事が嬉しい。これなら紫陽花が咲いた頃また来る事ができる。その時は今回臨時休業で食べられなかったお目当ての店にまた行ってみよう。
2022.05.27
歯の治療が終わった。あとは月一回程度歯のクリーニングに行くだけ。以前は三か月ごとだったが、月一になってしまった。加齢とともに歯茎が痩せて汚れが付きやすくなっているのかもしれない。以前は三か月ごとであっても忘れたりめんどくさかったりして半年後になったりしていたが今は「歯が命」なので、来月末に予約を入れた。歯が治った事もあり、主人も田舎から帰ってきたので長女夫婦と焼肉を食べに行った。肉を焼きながらお酒を飲み近況を語り合う。月に一度くらいの食事会だがお互いの無事を確認しあう。私は焼肉なら以前と同じくらい食べられるので久しぶりの婿殿も驚いていた。しめのミニラーメンもね。長女はお父さんっ子で主人と仲が良い。二人とも性格が似ていてお酒が好き。私が次の日仕事があって寝るのが早いのを知っているので焼肉の後主人を居酒屋に誘ってくれた。三人と別れて一人家に帰ったが美味しくお肉を食べられた満足感とともにこの先もし主人が一人になっても長女夫婦がいれば大丈夫そうな気がしてきた。子供がいない長女に頼る気はないけどそれでも最後は世話を掛けるかもしれない。それまではできるだけ二人で頑張って経済的な負担はかけないようにするつもり。
2022.05.23
ボーっとしていたら流される。元々ボーっとするのは嫌いじゃないけど加齢とともに記憶や意識が薄れていく。昨日何を食べたか。今日は何日だかとっさに出てこない。私が毎日パソコンに昨日の夕食を記録したり家にある食材を入力するのも忘れてしまうから。献立に困ってもそれを見ればヒントになる。食材も冷蔵庫の隅で忘れ去られることもなくなった。醤油や砂糖がなくなりそうな時も買い物リストに記録しておくと買い忘れがない。数年前は当たり前に出来たことなのに。体力も年々落ちていく。最近の私は携帯電話みたいで数時間動くと電池切れになってしまう。休んで充電するとまた動くようになるのだ。連休明けで職場は忙しい。入院患者数も増えて、急な要望にも対応しなければならない。それでも私は仕事に行くのが好きだ。この緊張感と終わった後の達成感が好きなのかも。帰り道、電池切れでヨレヨレになりながらも帰ってから好きなだけボーっとできるのを楽しみにしている。
2022.05.20
気が付いたら連休が終わっていた。連休は何の予定もなくていつも通りのペースで仕事に行っていた。この時期は主人が田舎の実家の管理に帰るので一週間ほどの一人暮らしだった。そんなに手のかかる主人ではないがたまの一人暮らしもお気楽で寂しいというよりも好き放題の一週間を楽しんでいる。普段から手抜きなのにね。私はこの二・三年中国ドラマとsnowmanにはまっていて連休中はsnowmanのライブのDVDを予約していたので一人で楽しんでいた。推しがいるという事は結構楽しい。流石にファンクラブに入ったりライブに行ったりはできないがCDやDVDを買う事は出来る。私が手術した時、私の落ち込みを心配した次女に「お母さんは推しがいるから大丈夫」と長女が言ったそうだがそうかもしれない。世の中は落ち着かなくて暗いニュースも多いが心配すればきりがない。見たくないものに蓋をする私の性格も褒められたものではないけど私の人生だしね。残された人生楽しく暮らしたいのよ。あとどれくらいあるか分からないけど。
2022.05.11
世の中はゴールデンウィーク。四月は旅行に行ったり色々出かけたりしたのでゴールデンウイークは予定がない。希望休を出さなかったら連休中は平日が休みで、それ以外は出勤になっていた。あは。十日間のうち八日間仕事だなんて。凄いな、私。70過ぎてるのに。でも三日以上の連勤はないのでいつも通りと言えばいつも通り。五月は歯の治療に専念するつもり。私は胃がないので「歯が命」なのだが前歯が欠けてしまった。三本差し歯なので新しく作り直すことになったがしばらく通院しなくてはならない。仮歯なので固いものは噛まないように言われたが私は噛まないと食べられないのだ。せっかく食べられるようになったのに。苦肉の策で刻み食にした。今までも一口大に切って食べていたけどイモ類はマッシュにし肉や野菜は細かく刻む。仕事でも刻み食は作るけど自分用とはね。仕事で覚えたことが自分を助けるなんてありがたい事だ。病院の食事を作っているので献立は知っている。朝食だけだけど。お粥も作れるし、とろみやミキサー食もね。この先食べる事に不安はないけどできれば自分の歯でしっかり味わいたい。
2022.04.30
手術前と変わった事と言えば痩せた事だった。結婚前は40キロ台だったのに出産してから太り始め中年になった頃は60キロになっていた。母の介護が始まるとストレスから甘いものに走り一気に70キロになった。このブログを始めた頃はダイエットが目的だったように思う。全然痩せられなくて、もう開き直っていた。元気ならいいやと思っていたけど元気じゃなかった。コレステロール値も高くなり膝の痛みも出てきた。この二年間は月に一度は膝にヒアルロン酸の注射をしていた。手術をしたことで食べられなくなり少しずつ痩せていった。食べたいと思わないのである意味こんな楽なダイエットはない。20キロ近く痩せたところでこれ以上はまずいと思い始めた頃私の腸も慣れてきたのか食べる量も増えてきたのでこの半年は50キロ半ばをキープしている。体重が減った事で膝の負担が軽くなり今年になってから整形外科には行っていない。仕事にいっているせいか、足の筋肉も付いてきて速く歩けるようになった。これは何より嬉しい。コレステロール値も下がり、薬を飲まなくて良くなった。今はかかりつけ医で処方された整腸剤の薬だけ飲んでいる。良い事ずくめのようだけど人生何が起こるか分からない。「まさか」の坂はどこにでもあるのだ。運が悪ければ手遅れになって今頃はこの世にいなかったかもしれない。おまけの人生だけどどれだけ楽しめるかな。
2022.04.23
胃の手術をして一年二か月過ぎた。二週間、入院をして自宅に戻り二か月近く自宅療養をしてから職場復帰した。今は手術前と同じ日常を取り戻している。変わった事と言えば食事だ。胃を全摘したので私には胃がない。胃がなくて食べられるのだろうかと思ったけど消化の良いものをゆっくり少しずつなら食べられると言う。最初のうちは何か口に入れるたびにお腹がグルグル文句を言うので食べるのが怖かった。そのうち食べやすいものがわかるようになると今度は食べすぎて胸がつかえてしまう。戻したり下痢をしたり食べているのに毎月二キロ体重が落ちた。半年経った頃二十キロ近く痩せていた。食べられないけど何故かお煎餅やビスケットは食べられた。あとスープやお粥もね。バナナも一日一本は食べた。食べられる事が優先で栄養は二の次だった。何故か好きだったコーヒーや牛乳が苦手になったので牛乳の代わりに「おとなの粉ミルク」を薬だと思って飲んだ。青汁もね。痩せて喜んでいたけど、さすがにこれ以上はまずい。栄養失調になって体力がなくなってしまう。週に二回は鍋にして野菜をクタクタに煮て鶏団子や魚のつみれを入れて食べた。そのうち私のお腹も慣れてきて以前の七割は食べられるようになり体重も落ち着いてきた。一年経てばある程度食べられるようになると聞いたがその通りだった。
2022.04.21
時給が上がった。30円だけど。それでも月100時間くらいなので3000円くらいの増収になる。このご時世、昇給するなんて。70過ぎて定年後の延長勤務なのにね。おまけに手術して二か月も休んだのに。だからもったいなくて辞められないのよ。18年前は時給800円だった。早朝勤務にしては高くなかったけど家から歩いて行ける距離だった。少しずつ少しずつ時給が上がっていって1000円になった時は嬉しかった。同じ仕事量なのに。50代は母の介護と娘たちの教育費とで家計は崖っぷちだった。主人も会社を辞めて、独立と言うと聞こえはいいけどフリーで仕事を始めたばかりだったからね。早朝数時間なら仕事に出られると勤め始めたのが今の職場だ。あの頃はパートの収入がそのまま家計費だった。60代になって介護も終わり娘たちも自立すると家計が楽になった。マンションのローンも終わり年金を納めなくて済むようになると収支のバランスが逆転し余裕が出てきた。少しずつ年金も貰えるようになったしね。60代になると楽になると聞いたことがあったが我が家もそうだった。老後資金なんて全然なくて次女を嫁に出した時はすっからかんだった。大した事してやってないのに。崖っぷちの50代を経験したので家計をやりくりするのは慣れている。平均より少ない年金でやっていけるよう年金以外の収入は手を付けないようにした。特に私の収入はね。へそくり1000万計画も道半ばだけどあと三年あれば何とかなるかな。
2022.04.17
またまたバスツアーに行ってきた。今回は一泊二日のお泊り旅行で行先は高遠のコヒガンザクラと高田の夜桜。上田城址公園の千本桜も観て、善光寺も参拝してきた。前回は三月末の都内の日帰りツアーで、桜も満開だった。四月も半ばに近いと桜も終わりかなと思っていたら信州の桜は丁度見頃だった。桜のツアーは年によって当たり外れがあって過去に何度かまだ蕾だったり散ってしまって葉桜でがっかりした事があったけど今回は行く先々満開で最後の立ち寄り先の上田城址では桜吹雪まで見ることができたのでラッキーだった。数年分の桜を堪能した気がする。手術をしてから先の事は分からなくなったので今を楽しむ事にしている。出来る事は出来るうちに。以前は長くバスに乗っていると足が固まってしまって歩き始めが痛かったが今回は痩せたせいか楽だった。歩くペースも主人について行けて急な階段も昇り降りできた。これならまだまだ旅行を楽しむことができそう。
2022.04.14
70を過ぎると動きすぎも良くないが動かないのはもっと怖い。元々私は怠け者なので家に引きこもっていても苦にならない。だけど仕事に行くのも好きなのだ。長年の習慣で夜中の二時には目が覚める。寝られないと悩むこともない。寝起きの二時間ほどが私の趣味の時間だから。頭のさえている時間に家計簿をつけたり献立を考えたり。録画していた番組を見たり。頭と体が目覚めたところで職場に出かける。歩いて10分。まだ暗いけど国道沿いの一本道でコンビニもあるし怖いと思った事はない。仕事の内容も日によって違うが今日のポジションは副菜の盛り付けと100食くらいのお粥の作成。それを二時間の間に仕上げる。お粥も全粥、五分粥、三分粥とあり量も違うので指示通りに作るのだ。18年もやってきたので大抵の事は対応できるが正確さと集中力が求められる。この緊張感が好きだ。その分仕事が終わると疲れを感じる。以前は仕事帰りに買い物をしたりしていたが70を過ぎてからはまっすぐ帰る。仕事に行った日は帰ってから五時間は何もしない。働いた分だけ休まないと体力が回復しないのだ。頑張ったご褒美に甘いものを食べながら中国ドラマを見る。中国ドラマも当たり外れがあるけれど結構面白い。お昼を食べると当然眠くなり炬燵で猫と一緒に丸くなる。これも私の至福の時間。二時間も寝ると疲れが取れる。その日の疲れはその日のうちになんてね。こんな生活も期間限定。あと二年半。うちの職場は75歳までなのだ。後期高齢者になるしね。頑張れるかな。
2022.04.08
近頃物忘れが多い。忘れるというより覚えられないというか記憶に残らないのかも。私は月20日勤務で10日ほど休みがあるが三日間は希望休と言って好きな日に休める。その内の一日が何の予定だったか思い出せないのだ。一日かかって思い出したのは長女と映画を見に行く予定だったのだ。楽しみにしていたのに。過去のどうでもいい事は忘れていないのに最近の出来事は記憶に残らないのだ。楽しいことであっても。だから放置していたこのブログも忘備録として残しておこうと思う。先日次女と孫が里帰りした。年末に来たばかりだったが規制緩和されたこともあり会えるうちにと言う気持ちもあるのだろう。元気そうな姿を見て安心したいのかもしれない。お母さんは結構しぶといよ。もうすぐ五歳になる孫はこの間まで機関車トーマスだったが、今は恐竜に夢中。その延長で普通の水族館より深海魚の水族館に行きたいと言う。孫のお供で沼津の水族館へ行ってきた。小さな水族館だが結構人気があって水族館では全国四位だとか。漁港の側なので魚も美味しく何食べたんだっけ。そうそう海鮮丼。すし飯が私にはちょっと硬くて半分くらいだが、煮魚やあら汁も美味しかった。長女の車で主人と私と次女と孫。四人家族だった頃、主人は免許を持っていなかったので免許取りたての長女がレンタカーを借りて良くドライブしたっけ。あのころに比べれば腕を上げた長女の運転で安心して後部座席で居眠りをしながら帰路に就いた。
2022.04.04
バスツアーに行ってきた。ワクチン三回打っているけど、まだまだ感染者数は多い。それでも桜は見たい。行けるうちが花、もしかしたら次はないかもしれない。なんてね。あちこち歩きまわらなくても良い、車窓から桜見物できるツアーに行ってきた。都内だけど早めの出発だったので最初の立ち寄り先の浅草と隅田公園はまだ人出もさほどでもなく、バスから降りてゆったりと散策できた。運の良いことに桜も見頃で人出が多くなってからは車窓からの桜見物。渋滞になってもあちこちに桜が咲いているので気にならない。トイレ付きのバスだしね。お昼は新しくできたホテルのビュッフェ式のランチ。ツアー客用のスペースでビニールの手袋を渡され好みの料理を取り分ける。私は食事制限はないけど食べやすい料理や量を自分で選べるのでありがたい。カレーをメインにサラダやフルーツ、デザートのミニケーキをいくつかとゼリーなど結構食べられた。午後からは都内の観光コースを回ったが若い頃は都内に住んでいたこともあり時の流れを思い出しながら満開の桜を眺めた。若かったけど不安だらけだった日々。何とか生きてきたよ。ガンになったけど、こうしてランチも食べられて桜も見ることができた。先の事は分からないけど多分来年も桜を見ることができそうな気がする。
2022.04.02
一年目の検査の結果を聞きに行ってきた。私が手術した病院は総合病院で、このあたりでは大きい病院なので患者数も多い。雨模様の寒い日だったが、来院する人も多かった。私のように一人で来る人、高齢の夫婦と思われる人。車椅子で介助されてくる人。中高年が多いが若い人もチラホラ。人は多いが待合室の椅子は密にならないように一人分の間隔を空けて座るようになっている。私はお産以外入院したことがなかったので最近の病院事情を知らなくて受付から戸惑っていたが、この一年ですっかり慣れた。待合室の椅子に座って待っているといつもはあまり意識をしていないが自分はガン体質だったのだと不安になる。食欲はあるし、体も動くけど手術前も自覚症状はなかったからね。期待半分不安半分で待っていると自分の番号がモニターに表示された。担当の先生は問題なしと言ってくれた。でも三か月後に採血だけの検査がある。やはりこまめにチェックが必要なのだろう。それでも薬もなしに三か月に一度の通院で済むのはありがたい。早期発見にも繋がるしね。取り合えず三か月は保証された気分。バスツアーも行くし、次女と孫も来るし忙しい春が来そうだ。
2022.03.23
手術をして一年目の検査を受けた。内視鏡と採血とCTの検査。胃がないので胃カメラはもう飲むことはないと思っていたがとんだ勘違いだった。手術した接合部分や十二指腸あたりまで内視鏡で検査するらしい。鎮痛剤を打ってもらって、気が付いたら終わっていた。一週間後に採血とCT。採血は三か月ごとにやっていたが私なりのコツがあって針を刺す寸前に軽く息を吸うと緊張が緩むのか痛くないような気がする。単に慣れただけかもしれないけど。その後CTの検査を受けた。CTの検査は手術前と手術して半年後と今回で三回目。痛くはないが造影剤を注射されると体の中が熱くなって、一回目の時はびっくりした。検査が終わるとすぐ元通りになるので二回目からは平気になったが。検査の結果は二週間後。食欲もあるし体も動くので大丈夫と思うけど自覚症状がないのに手術だったので安心はできない。結果がクリア出来たらコロナの規制も解除されそうなのでバスツアーにも行くつもり。三回目のワクチン打ったし車窓から桜の名所を回るプランなので大丈夫かな。結果がクリアできなくても行くけどね。
2022.03.13
私は病院の、朝食のみの調理補助として働いている。当然朝は早い。早朝五時から十時までなので子供が学校に行っている世代の人は敬遠する。慢性的な人手不足なので定年になっても75歳まで働けるのだ。仕事ができればね。私が休んでいる間も同僚が何かにつけてメールをくれて復帰しやすい雰囲気だった。仕事に行くからには足手まといになりたくない。立ちっぱなしの仕事だが途中30分の休みはあるし重いものを持ったりするわけではない。調理師さんが作った料理を盛り付ける仕事だが人によって内容が変わったり量も違うので、正確さが求められる。時間にも追われるしね。主人や娘たちからは無理しないよう言われたが私は予定通り復職した。一言で言えば辞めるのがもったいなかったから。働きやすい環境で、条件もまぁまぁで長年働いているので仕事にも慣れている。おまけに週一日でも良いというありがたい職場なのだ。出勤日数を減らして復帰したが、体重が減った事で足の調子も良くなり思ったより体が動いた。今は以前と同じ出勤日数に戻している。体力的に無理をしているとは感じないが五時間働いたら五時間休むことにしている。家に帰ったら夕飯まで何もしない。掃除や洗濯は休みの日で充分。こんな生活をあと三年続けられたらと思う今日この頃。
2022.03.02
退院の朝、病院のパジャマを脱いで二週間ぶりに私服を着た。主治医の先生や看護師さんに挨拶を済ませ病棟を出た所で主人が迎えに来ていた。一階の自動支払機で会計を済ませる。ガンの入院だとお金がかかると思っていたが高額医療制度のおかげで10万円以下で済んだ。一か月後に受診するだけで薬も要らない。唯一の不安が食事だった。食べるのが苦痛なので食欲がない。それでも食べられるもの、食べやすいものを考えた。主人は当てにできないから簡単にできるものをね。手術をしてから嗜好も変わり牛乳やパンを食べたいとは思わなくなった。最初の頃はお粥やにゅう麺ばかり食べていた。お見舞いに貰ったホテルのスープやグラタンも重宝した。一週間くらいは寝たり起きたりを繰り返していたが私はお腹を切ったから帝王切開みたいなものだと思うようになった。簡単な家事はリハビリと思って最小限の掃除や洗濯はした。一か月後の受診で、順調に回復しているので普通の生活に戻って良いと言われた。次の受診は三か月後。退院したばかりの頃は、仕事を続けるのは無理かなと思っていたけど行けるかも。会社の方には二か月の休みを貰っているけど70過ぎてガンの手術をして行っていいのかな。行ったとしても前のように仕事ができるのかな。
2022.02.26
点滴が外れて食事が出るようになったらシャワーも使えるようになった。一人でベットに寝ている時以外はマスクは外せない。ベットに寝ていても看護師さんが入ってきたらマスクをする。退院に向けて色々検査を受けたり栄養指導を受けたり気分は退院モードになっていった。自覚症状もなく手術をし回復も順調で、予定どうりに退院できるので私にはがん患者と言う自覚がなかった。胃を全摘したというのに。主治医の先生を信頼してガンの本を読んだり、ネットで検索などしなかった。だから胃がんについては何も知らない。ただ手術後の食事の本は買ったけど。退院後の不安はあったけど、痛みもほぼなかったので、退院の許可が出た時は嬉しかった。予定通り二週間後に私は退院した。
2022.02.24
コロナのせいか四人部屋だったが仕切られたカーテンが開くことはなかった。隣のベットにどんな人がいるのかも知らない。それでも看護師さんとのやり取りである程度は想像できる。幸いなことに私は痛みが少なかったので暇を持て余していたが同じ部屋の人とは会話どころか顔さえ合わすことはなかった。一週間絶食だったが、空腹感は感じなかった。点滴が外され初めての食事が重湯だった。一口、口に入れるとしばらくしてお腹がグルグル鳴り出す。まるで腸がびっくりして抗議をしているようだった。食べられないのに食べるのは苦痛だった。私には胃がないのだ。それでも食事時間になると食事が運ばれてくる。流動食とかミキサー食かと思っていたが三分粥から始まって、五分粥、全粥、常食とレベルアップしていく。もちろん半分も食べられない。その上日に二回補助的にクッキーやゼリーなどのおやつが出るのだ。私のお腹は食事の度にグルグルと文句を言っていた。
2022.02.20
ICUから移った一般病室は四人部屋だった。カーテンで仕切られていたが窓側だったので外も見え個室みたいだった。管に繋がれトイレにも行けない。痛みは多少あったと思うが、あまり覚えていない。「痛みますか。数字で表すとどれくらい?」と聞かれたので「2か3くらい」と答えた。携帯はメールならベットの上でもOKだったので家族にそれぞれメールした。通話は決められた場所だけだったけど。一週間は絶食。点滴をしているせいか空腹感は感じない。一日目は水もダメだったのでそれが辛かった。一日ごとに繋がれた管が減っていく。次の日からは点滴をしたまま一人でトイレに行った。水も少しなら飲んでいいとの事だったが一口飲むのがやっとだった。ベットに寝たままでは歩けなくなると思って二日目から点滴をつけたまま廊下を歩いた。手術前は立ち上がる時、膝が痛んですぐには歩けなかったが不思議な事に膝の痛みが消えていた。その時点で少しは痩せていたのかも。絶食は辛くなかったが夜が長いのが困った。なるべく昼寝をしないようにしていたが元々私は夜二時ごろ起きる習慣だったのでいつも通り目が覚めてしまう。イヤホンで音楽を聴いていたが流行りの歌はまだ聴く気になれなくてクラシックばかり聴いていた。カノンとかアベマリアとか。母が亡くなった時もクラシックばかり聴いていた。音楽は心を癒す効果があると思う。
2022.02.12
入院一日前にコロナの検査を受けた。唾液を溜めて検査する方法だったが、陽性だったら電話をくれるとのことだった。その場合は手術は延期。電話がなかったので次の日入院した。コロナが流行りだしてから面会はできなくなった。主人と一緒に病院に行ったけれど病棟の入り口まで。必要なものがあれば決められた場所で預かってもらえる。手術の時だけ面会が許され私の手術中、主人は七時間近く待っていたとか。手術が終わった後、主人と二言三言会話をしたらしい。あまり覚えていないが「痛い、痛い」と言っていたと言う。その痛みも記憶にないんだけどね。次に目が覚めたのはICUのベットの上だった。痛みはあまり感じなかったが色々と管に繋がれ寝返りも打てない。足には手術の時にきつく締め付けるハイソックスを履いていたがその上からふくらはぎ全体をベルトのような物で巻いていた。それがリズミカルに締め付けたり緩めたりして結構気持ち良かった。足の筋力を落とさないためかなと思ったけどICUにいる時だけだった。次の日病室に移された。
2022.02.10
自分がガンだと分かってから一年経った。去年の二月、近所のクリニックで受けた胃カメラの結果を聞きに行ったところ病院での精密検査を勧められた。えー食欲はあるし、どこも痛いとこないのに。紹介状を書いてもらって病院に行った。不安はあったものの自覚症状が全くなかったのでまだ初期の段階かなと甘く考えていた。その日から三日間検査が続いた。二日目からは午前中は仕事に行って午後から検査を受けた。CTや超音波、内視鏡などそんなに辛い検査ではなかったが同じような検査を受ける人が結構多いのに驚いた。担当してくれたドクターは穏やかそうだがキビキビした先生で必要なことを説明しながらスケジュールを進めてくれる。精密検査の結果を主人と一緒に聞きに行った。主人だけ別室に呼ばれたらやばいかなと思っていたけどそれはなかった。私の父の時は手術ができなかったので最後まで父がガンだという事は内緒だった。主治医の先生は淡々と話を進めながらも二週間で退院できること職場にも復帰できることこの言葉で私は落ち込まなくて済んだ。自覚症状がなかったので入院二日前まで仕事に行っていた。あの頃何を考えていたのだろう。娘たちにも手術が終わるまで黙っているつもりだったが入院三日前にメールで伝えた。折り返し電話がくる。私は娘たちに心配をかけたくないと言うよりは現実に向き合いたくなかったのかもしれない。
2022.02.09
年が明けてコロナの感染者数が増え続けている。どこがピークかもわからない。あまり怖がってもきりがないけど自分に出来る事はちゃんとやろう。マスク、手洗いはもちろん外出から帰ったらうがいをする。家中をアルコールで拭く事はしないけどおやつでも食べる時はアルコールテッシュで指を拭く。食べる時が一番無防備だと思うから。マスクも外すしね。病院で働いているけど怖いと思ったことはない。マスク、手洗い、アルコールは必須だし。この仕事についてからあまり風邪も引かなくなった。あとは睡眠と栄養を取って体力をつける事。バスツアーもキャンセルしたし東京に通勤する長女とも大晦日以来会っていない。外出するのは仕事に行く時と休みの日に買い物に行く時くらいだ。先日買い物に行った時、スポーツジムの側を通った。そこはガラス張りで中の様子が見える。このご時世、閑古鳥が鳴いているかと思ったがかなりの数の高齢者が運動をしていた。マシンやエアロビなどのハードな運動ではなく片足立ちや簡単な体操に見えた。私のような高齢者にとっては感染はもちろん怖いが一番怖いのは体が動かなくなることだ。家にこもってばかりでは健康寿命も短くなってしまう。以前通っていた体操教室は二年前に辞めてしまったがそこで覚えた体操は毎朝20分くらいやっている。血行をよくしてから仕事に行くと五時間くらいなら普通に働くことができる。あとどれくらい働けるか分からないがこんなご時世だからこそ働ける場所があって良かったと思う。
2022.02.05
三回目のワクチンを打ってきた。二回目を接種したのは去年の六月だから七か月で三回目を打ったことになる。少し前倒しだけど、急に感染者数が増えたので早くて良かった。かかりつけ医で予約をし、10分前に待合室に入った。予約制だけど、終わった人とこれから接種する人で思ったより人が多かった。接種が終わって15分待機し、異常がなかったのでそのまま家に帰った。接種した当日は発熱もなく痛みもなかったが一晩明けた今は、ちょっと打った方の腕が痛いくらいだ。2回目と同じくらいかな。職場ではほとんどの人がワクチンを打ち終わっているので私も接種出来て良かった。症状は軽くても感染力が強いらしいので周りに迷惑はかけられない。バスツアーもキャンセルし外食も控えている。食料調達は生協がメインで、たまにコンビニかスーパーで買い足すだけ。うちは夫婦二人だけで年金生活者だから家にこもっていてもそんなに不自由は感じないが若い人は大変だと思う。長女夫婦は人と接する仕事だし、東京に通勤している。次女は関西で子育てをしている。幼稚園に通っているので、時間の問題かもしれない。かかっても症状が軽くて済むように願うばかりだ。ちょうど1か月前はうちに来ても平気だったのに。二月、三月と冬ごもりして桜の咲くころには落ち着いて欲しいと思う今日この頃。
2022.01.25
あっという間に感染者数が増えた。孫が来た時は東京でさえも二桁台だったのに。二月に予定していたバスツアーもキャンセルした。この調子では桜の頃もどうなるかな。できれば一か月くらいで落ち着いて欲しいものだけど。三回目のワクチンが始まった。職場では一応医療従事者なので、同僚は皆接種したけど私は去年手術したばかりだったので少し遅れてかかりつけ医でワクチンを受けた。今回も市から接種券が送られてくるのを待ってかかりつけ医で予約した。今月中に摂取できることになりちよっとホッとしている。主人は七月に二回目を打ったので接種券はまだ送られてきていない。またまた近所の人の情報で日程やワクチンの種類に注文がなければ早めに摂取できるとの事だったので電話で申し込んでいるのだけど。三回目を接種した同僚の話では今までで一番楽だったらしい。若い人ほど熱が出たらしいけど普通の発熱とは違って体は普通だと言う。ワクチンを打って手洗い、マスクをしっかりやって不特定多数の人が多く集まる所へ行かなければ大丈夫とは思うけど人生何が起こるかわからない。コロナだけでなく災害、事故、病気だって時と場所を選ばない。人もね。先の事を思い悩んでも仕方ないので一日一日を穏やかに過ごせたらと好きな事をして暮らしている。
2022.01.20
胃の手術をして変わった事。体重が20キロ近く落ちた。正確には19キロだけど。一時55キロまで落ちたけど今は56キロ台で安定している。一度にたくさん食べられないので手術をしてから一か月に2キロずつ減っていった。食事制限とかないので、食べられるものは何でも食べていたが満腹感が得られるほど食べることができない。何しろ溜めておく胃袋がないのだから食べすぎると体が拒否反応を示してしまう。究極のダイエットで胃を切除する人もいると聞いたがなるほどねと思う。手術して半年くらい経った頃から食べられる量が増えてきた。この二・三か月は56キロ台を前後している。痩せたことで全体が細くなった。当たり前だけど。体重が減ったことで膝の痛みが軽減したことが嬉しい。以前は立ち上がりにすぐ歩けなかったが今は普通に立って歩ける。歩く速度も速くなった。これはかなり嬉しい。手術をして良かった事と言えば命拾いをした事だけど、足の調子が良くなった事も大きい。だから思うように食べられなくてもおなかに傷口があってもありがたいなと思う今日この頃。
2022.01.13
去年の今頃は自分がガンだなんて思いもしなかった。自覚症状もなかったし、食欲もあってコロナ太りだなんて自分に言い訳していた。一年経った今、仕事も続けているし今のところ元気だし環境的には変わっていないが私には胃がない。その事で悲観的になったりはしないが食べたいものが食べられないという事はちょっときつい。好みも変わった。この世の最後の食事にお寿司と答えていたのに今はためらう様になってしまった。すし飯が固めだという事と海苔が嚙み切れなくて巻物に手が出せなくなってしまった。あんなに好きだった巻きずしも海苔を外してなら食べられる。今年の恵方巻はケーキにしようかな。胃酸がないので、生ものや鮮度の落ちたものは敬遠するようになった。以前は賞味期限が切れていても一日、二日なら食べていたが今は捨てるしかない。そうならないように早めに食べているけど。ご飯も普通に炊いたご飯は苦手だ。お粥とご飯の中間くらいの軟飯がちょうど良い。お肉は厚くなければ大丈夫。焼肉は結構食べられるので、焼肉店に行くことが増えた。今の時期一番良いのは鍋物。野菜や豆腐、魚、肉などを少しずつ入れてよく煮込んで食べる。食べる量が少ないので栄養を取らなくちゃね。でも一番気を付けるのはよく噛むこと。これが中々難しい。私は元々早食いだったので、調子がいいとついパクパク食べてしまう。食べ終わってから胸焼けして苦しむのだ。懲りない私。「少しずつ、少しずつ」いつも主人に言われている。
2022.01.10
年が明けた。あっという間に時が流れていく。孫が来たのはついこの間の事で、コロナの陽性患者数も少なかったのに二週間経った今はかなり増えている。今年もマスクは外せない生活が続きそうだ。大晦日は長女夫婦と過ごした。例年通りおせちを持ってきてくれて鍋をつつきながら年越しをしたが私は元旦から仕事が入っていたので九時には布団に入った。ふすま越しに聞こえてくる夫や娘夫婦の笑い声がゆるゆると眠りを誘う。こんな夜をあと何回重ねることができるのだろう。私は病院の朝食担当のパートに行っているのでシフトが入っていれば元旦であろうと台風が来ていても朝四時には家を出る。一年の始まりに仕事に行けるのはありがたい事だ。私はこの仕事が好きなので75までは続けたい。あと三年。太っていた時は膝が痛かったので不安があったけれど手術して20キロ近く減量した今は歩くのも速くなっている。職場に着いて同僚と新年の挨拶を交わし仕事に入る。この五時間が私の一日の中で活性化している時間帯なのだ。仕事が終わって家に帰ると10時半を過ぎている。以前はそのあと色々用を済ませたり、出かけたりしていたけれど今は自分の体力を温存している。使い過ぎの携帯のようにすぐ電池切れになってしまうので午後は昼寝したりダラダラして充電している。今年の目標は仕事を続けながら好きなことをして過ごす事。今までと変わらない気もするけど。
2022.01.09
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