全2件 (2件中 1-2件目)
1

< 第2章 北野天満宮の歴史 > の前半は < 1 北野天神縁起絵巻の世界 > の展示であり、そのハイライトは前回、ご紹介した「承久本」と称される現存最古かつ最大の国宝絵巻です。この特別展では、この絵巻に加えて、さらに北野天満宮所蔵の「北野天神縁起絵巻」で「弘安本」「光信本」「光起本」と称される絵巻も展示されています。これらは重文です。「天満宮御略伝」も併せて展示されています。さらに、「建治本」(大阪・和泉市久保惣記念美術館蔵)、「津田本」(兵庫・津田天満神社蔵)、「荏柄天神縁起絵巻」(東京・前田育徳会蔵)、「松崎天神縁起絵巻」(山口・防府天満宮)が併せて展示されています。後半は、< 2 北野社の風景と京の人々 > に移ります。冒頭に掲げたのは、「北野宮曼荼羅図」(北野天満宮蔵)です。回廊を持つ社殿が描かれ、本殿の中に束帯姿の天神像が大きく描かれているところがおもしろいと感じました。「北野天満宮本社棟札」が展示されています。現在の本殿(国宝)の棟札で、豊臣秀頼(1593~1615)が建立したことがこの棟札に期されています。このセクションで印象深いのは、巨大な絵馬が展示されていることです。(通期展示)一つは、長谷川等伯筆「弁慶・昌俊図絵馬」(重文、北野天満宮蔵)桃山時代・慶長13年(1608)です。縦275cm、横407cmという巨大さ。図録によれば、「源頼朝の命で京都六条室町にあった源義経邸を襲撃するも失敗し、鞍馬山に逃げた土佐坊昌俊を弁慶が捕え、義経のもとに拉致する様子」を描いていた図だそうです。二つめは、「虎図絵馬」二面です。こちらは、いずれも縦170cm、横211cm。虎が向かい合う姿で、2枚1組として、慶長15年(1610)に描かれた絵馬(北野天満宮蔵)です。もう一つが、曾我直庵筆「曳馬図絵馬」二面のうちの一面です。豊臣秀頼が奉納した絵馬。絵馬に秀頼が己の字(あざな)「松」を絵馬中央上部に墨書しています。縦200cm、横290cmという大きさです。虎図絵馬同様に二面を並べると迫力があることでしょう。今回は一面だけです。< 第3章 北野天満宮と芸能・文化 > というテーマで北野が芸能と文化の一大拠点になった側面を展示しています。もともとは、怨霊鎮めという目的で、北野の地に神社が創建されました。だが、時を経て、まず、< 1 学問・芸能の神 > として崇められ、信仰されるようになりました。今では、北野天満宮、天神さんを受験合格祈願の神として知らない人はいないのではないかと思います。この最初のセクションで、北野天満宮と東福寺所蔵の「渡唐天神像」図像を見ました。私はなぜ道真が唐に渡るの・・・・と思うのですが、室町前期から急速に「渡唐天神説話」が広まって行き、図像が描かれることも広まったようです。 前期展示の最終時期として、「阿国歌舞伎図屏風」(京都国立博物館蔵、重文、桃山時代、17世紀)を見ることができました。出雲大社の巫女と伝えられる阿国は、北野社の境内で歌舞伎踊りを開始したとされています。当時の風俗がわかる屏風絵です。この阿国の踊りが淵源となって、後に歌舞伎へと発展していきます。もう一つ、前期展示の長谷川宗宅筆、六曲一双「李白・陶淵明図屏風」(北野天満宮蔵、桃山時代 16~17世紀)を見てきました。後期展示(5/19~6/14)は、海北友松筆、六曲一双「雲龍図屏風」に入れ替えられます。通期展示としては、浮田一蕙筆「北野大茶湯図」(北野天満宮蔵、江戸時代 1843年)を興味深く眺めました。< 2 武芸の神 > のセクションが最後になります。ここでは、北野天満宮ほかに奉納された太刀や鎧が中心に展示されています。 前期展示の「赤糸威鎧 大袖付」(奈良・長谷寺蔵)です。奈良・與喜天満神社に奉納された大鎧です(室町時代 16世紀)。 太刀の展示品の中では、2口だけが撮影OKでした。 太刀 国綱ト銘ガアル(鬼切丸・髭切) (北野天満宮蔵。重文、鎌倉時代 14世紀) 太刀 銘□忠(薄緑・膝丸) (京都・大覚寺蔵、鎌倉時代 13世紀) それと、その近くに展示の「羅生門絵巻」2巻(京都国立博物館蔵)が撮影OKでした。 これは巻上 第四段です。 こちらは巻下 第一段です。 源頼光(948~1021)に仕えた四天王の一人、渡辺綱(953~1025)は、頼光から賜った名刀を携えて、羅生門に棲む鬼を退治する顛末譚を絵巻にしたものです。この鬼退治の功により、名刀の名前が「髭切」から「鬼切丸」(鬼切・鬼丸)に改められたと言います。平成知新館を出ますと、平成知新館に入る手前で見た案内パネルの裏側が目が向きます。今秋の特別展「源氏物語 王朝のかがやき」(2026.10.6~11/29)開催の予告です。秋の特別展が今から楽しみになります。平成知新館の展示室を巡っている間に、一雨降ったようです。館外に出た時はまだわずかに小雨がぱらついていましたので、念のため持参の傘をさしました。普段なら、噴水周りに行き、ロダンの考える人を撮って、西の庭を眺めに巡るのですが今回は取りやめました。雨が再発する前に駅まで戻ることを優先しました。最後に、平成知新館に入館する前に一枚だけ撮った西方向の景色をご紹介します。この時は曇り空でした。ロダン作、考える人の背中側を今まで撮ることはなかったので、景色の一部として登場してもらいます。青空であれば、すっきりとした新緑の庭景色というところなのですが・・・・。ご覧いただきありがとうございます。参照資料*PRチラシ*「京都国立博物館だより 2026年4・5・6月号」 同、英文版 NEWSLETTER*図録 『『特別展 北野天神』 京都国立博物館 2026*「特別展北野天神 出品一覧・展示替予定表」補遺北野天満宮 ホームページ出雲阿国 :ウィキペディア渡辺綱 :ウィキペディア羅生門 芥川龍之介 :「青空文庫)ネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)観照 京都国立博物館 特別展「北野天神」 -1 入館・第1章・第2章 へ
2026.05.20
コメント(1)

七条通に面した歩道沿いの特別展案内パネル 博物館南側 正面の壁面の案内パネル先週の13日(水)、くもり空で一時雨の予報でしたが、特別展「北野天神」を鑑賞に行ってきました。 前売り券を購入していましたのですんなりと博物館入口を通過。ゴールデンウィークの後でしたが、それなりの入館者数です。会場では鑑賞者の列がほぼ繋がっていてゆるやかにとどまることなく前進するというくらいです。 明治古都館前のツツジがまだ花を咲かせているのを眺めることができました。 平成知新館手前の案内パネルを眺めて、館内に入ります。いつも通り、まずは3階までエレベーターで移動。 2つ折りでA4サイズのPRチラシこの案内文によりますと、来年2027年は菅原道真薨去から1125年目にあたり、式年大祭「半万燈祭」が執り行われるそうです。これを機会に、北野天満宮所蔵品と全国の天神信仰ゆかりの文化財を今年、特別展として公開する企画が実現したのです。会場内はほんの一部を除き撮影禁止でした。PRチラシ、案内パネル、京都国立博物館だよりの写真を一部引用してご紹介したいと思います。3階から1階まで、順路案内に従い、各展示室を巡りながら階を下っていきます。特別展の全体は3章構成になっています。 第1章 天神信仰 第2章 北野天満宮の歴史 第3章 北野天満宮と芸能・文化 です。< 第1章 天神信仰 > は3つのセクションから構成されています。 3階の最初の展示室でまず「伝菅公遺品」6点を眺めました。(国宝、大阪・道明寺天満宮蔵)この写真は12日から展示に加わった3点の内の2点です。道真が愛用したと伝わる遺品だそうです。上は「玳瑁(たいまい)装牙櫛」、下は「銀装革帯」です。「犀角柄刀子」(中国・唐時代9世紀)と「白磁円面硯」(中国・唐時代7~8世紀)が印象に残りました。刀子(とうす)は、紙の代わりに用いられた木簡や竹簡に書いた誤字を削って字を消すための文具。いわば、消しゴムとカッターナイフの役割を持った道具。柄は犀(さい)の角が使われているというもの。もう一つは白磁の円形の硯(すずり)です。元は円周に20本の脚が付いていたものですが、それらは全てなく。円周にこぶ状の膨らみが並んでいるだけになっています。道真が愛用していた頃から脚部が欠損していたのかどうか・・・・など想像するとおもしろい! なにせ、舶来品なんですから。2つ目は「神になった道真」です。ここでは、 「束帯天神像(根本御影)北野天満宮所蔵の現存最古級で、束帯姿の天神像です。北野天満宮所蔵で伝雪舟筆「束帯天神像」も展示されていました。こちらは前期展示のみ。他に、束帯姿で木彫の天神坐像や天神立像も展示されています。これらは重要文化財。同じく重文で、小ぶりな「鬼神像」(11躯)も展示されています。姿のバリエーションがおもしろい。3つ目は、「神仏習合」 十一面観音立像(京都・曼殊院蔵)本地垂迹の思想が広まりますと、北野天神の本地仏は十一面観音とみなされました。北野天満宮が旧蔵したこの像は、北野別当職を延暦寺の曼殊院門跡が兼任することが慣例となった後、第29世の良尚法親王(1622~93)によって、曼殊院に移坐されたと伝わるとか。奈良・長谷寺と大阪・道明寺の十一面立像、京都・平等寺の十一面坐像も展示されています。北野天満宮所蔵の「厨子入十一面観音および四脇侍立像」は、十一面観音の像高が8.8cmというもので、室町時代15世紀の作です。 北野天満宮に近い大報恩寺の千手観音立像(重文)も展示されています。詳細は不詳ですが、北野天神との関わりの伝承があるとか。< 第2章 北野天満宮の歴史 > がやはりこの特別展のハイライトです。現存最古かつ最大の国宝絵巻である「北野天神縁起絵巻」(承久本)を眺めることができることです。ただし、出品一覧表を見る限りでは、全巻そろいでみることはできません。どの時期においても、全9巻の内、巻第二と第七の2巻、あるいは、巻第七か巻第八のいずれかが出展されていない状態になるためです。一方で、巻替があり、各巻は前半、後半のように、部分的開示の形での展示です。絵巻の展示では通常の展示方法なのですが。しかし、ほぼ全巻近くを一堂に鑑賞できる機会はそうそうないことでしょう。まさに、一見の価値ありです。国宝・北野天神絵巻(承久本)の巻の場面をいくつかご紹介します。 巻第1 第一段 前期展示の場面 菅原是善の邸宅に、五、六歳の姿の道真が現れる場面会場に掲示の説明文をメモしていないので、「京都国立博物館だより 2026年4・5・6月号」に掲載のキャプションを引用します。「ある時、菅原是善が自邸でとても美しい5、6歳くらいの幼児を見つけた。幼児は父母もなく家もなく、是善を父にしたいというので、是善は大変感激し、以来大切に育てた。この幼児が後の道真である」これと同趣旨の説明掲示を読んだ時、私の頭は疑問の渦。どういうこと?これまでは、菅原是善の実子としてしか理解していなかったのですから・・・・。 巻第2 第一段 5/5~5/17に展示の場面 貞観12年(870)に、道真が都良香の邸で弓射の腕を披露する。 勉強ばかりではないという側面を表わす。的に2発命中させたとか。 巻第3 第三段 5/5~5/17に展示の場面 道真が左遷の命令を受け、幼い子供を伴い筑紫へ旅立つ前 自邸の紅梅殿の梅樹との別れを惜しむ場面 「こちふかば匂ひおこせよ うめの花 あるじなしとて 春をわするな」「京都国立博物館だより」の英文版 NewsLetter も入手しました。この表紙の下段に、 巻第5 第一段 5/5~5/17に展示の場面 道真は筑紫において、高山に登り、自らの潔白を7日間訴えたそうです。 その祈りが通じて、「天満大自在天神」になったとされます。 特別展の会場から出て、売店で購入した図録です。表紙に使われているのは、巻第6 第三段の場面。この場面は後期展示の予定だったので、残念ながら実物を眺めることはできませんでした。これは延長8年(930)6月26日、宮中の清涼殿に落雷があり、臣下数名に死傷者が出たというよく知られた場面です。この場面、上掲のPRチラシにも使われています。鑑賞したのは、第一段、病臥の時平が、祈祷僧浄蔵を招き祈祷を受けようとします。だが、祈祷を受けられない事態が起こります。巻第7からは、なぜかその内容は菅原道真の話から、日蔵が修行中に突然死去し、ふたたび蘇生するという事件に転じていきます。蘇生するまでの間に、日蔵が三界六道の世界を巡歴する状況が描かれていくのです。巻第9は、下絵のままです。この下絵が展示されています。結果的には、「北野天神縁起絵巻」は未完であるということを、今回初めて知りました。この絵巻は、縦の長さがおよそ52cmであり、現存する日本の絵巻では、最大の画面高を誇る絵巻だと言います。この大きさにまず驚嘆しました。絵の色の鮮やかさがそのまま保たれていることも驚きでした。この辺りで一区切りにします。つづく参照資料*PRチラシ*「京都国立博物館だより 2026年4・5・6月号」 同、英文版 NEWSLETTER*図録 『『特別展 北野天神』 京都国立博物館 2026*「特別展北野天神 出品一覧・展示替予定表」補遺菅原道真 :ウィキペディア藤原時平 :ウィキペディア北野天満宮 ホームページ 天神様の縁起絵巻 Vol1北野天神縁起絵巻 :ウィキペディアネットに情報を掲載された皆様に感謝!(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれませんその節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。その点、ご寛恕ください。)
2026.05.18
コメント(0)
全2件 (2件中 1-2件目)
1