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子供達の成長と思い出を家族記録として残そうと、本格的にブログを始めて今年で早10年。育児が大変な時期に一段落して、当時、息子10歳、娘5歳、私は40歳。最初の数年は故意にネタを作っては写真を撮って趣味と嗜み、環境的に家の事中心で友人との交流もままならなかった私の心の拠り所と化し、口には出せない感情を吐き捨てる場所でもあったはずなのに、いつの頃からかネタもマンネリ化してきて「今日も書かなきゃ・・・」とストレスになっていることに気づいた。それは好きなことを仕事にすると嫌いになるという心理にどこか似ているのかもしれない。時間が経てば経つほどに、封じ込めて背けてきた虚妄の自分の束縛から解放されたいと思うと同時に、これまでの書くことへの執着は何だったのか?と今後続けていくことの意味を段々と見出せなくなり、タイミング的にも10年一区切り、今年50歳を迎えた直後、時代も平成から令和に移ったことを機にしばらく距離を置いてみることにした。ブログを書く者にとって長らく更新を途絶えさせるとフェードアウトというのが自然の流れなのかもしれないが・・・それまでPCを前にすると1日1度は立ち寄る場所だったのにそうと決めたら冷めるのは早かった。ページを開くことも忘れ、1月後にはまるで他人事のようにもうどうでもよくなっていた。ところが。半年以上経った先日、曖昧な記憶を探るべく久しぶりに過去の日記を遡って読み返しているうちに、その時その時の想いや映像が脳裏に蘇り、今更ながら色々な事を積み重ねてきたからこそ今がある、この場所は紛れもなく私の生きてきた証であり、綴ってきた事は決して無駄ではなかったのだと改めて継続していく理由が見つかったような気がした。また、ブログ管理ページのアクセスレポートを見ると、大変ありがたく更新しなくなった今でも過去日記に1日平均500以上のアクセスをいただけていることも後押ししてくれた。長きに渡って綴ってきた日々の献立日記は、そもそも子供達に家庭の味を残すために始めたこと。もしも将来、母の味を思い出して自分で作りたくなった時に役立てたらと、レシピだけでは伝えきれないちょっとしたコツ等を事細かく載せてきたけれど、手を出し尽くした感はあるのでもう十分だろう。性格的に不器用なのか、1つの事に囚われ過ぎると他の大事なものを見失ってしまう。取り留めて書くことではないけれど、やはり思い入れの強かったこの場所は残しておきたいと、趣味の域を超えて依存しすぎない程度に、今後は備忘録として細々でも書いていこうかなと!【追憶と葛藤】10、20、30、40代と、それぞれの時代で、環境に気持ちに変化があり、今年で大台50歳。さすがに人生半世紀ともなると大きな節目と感じ、「桁が上がっても1つ歳をとっただけ」と、あまり深く考えなかった今までとは意識も違い、何かと感慨深いものがある。時の経過は風も心情も変え、歳を重ねるごとに背負うもの失うものばかりが増えていく中、この先も成り行き任せでいいのだろうか?若かりし日の楽しかったことも辛かったこともあれやこれやと思い出し感傷的になったり、同世代でバリバリ働いている女性を羨ましく思い、「今の私は老いてくばかりで何もないのだなぁ」と、これまで歩んできた人生が間違いではなかったかと中途半端な自分がもどかしく。この歳になると、何もやったという自覚がないまま、一年が過ぎて行く。道半ばで終活を考えるのはまだ早い?今からでもまだやり直すことはないのか?若い頃によく当たる占い師に大器晩成と言われたことを思い出す。これから上がるか下がるかは自分次第。いつまでも道草していては未来は見えない。充実した生き方とは、誰かに与えてもらうものではなく、自身で導いていかなければ、真の至福は得られないのではないだろうか。そんな自問自答を繰りしながら、1度きりの人生だから。昔読んだ小説や漫画、ドラマや映画が経験を積んで当時とは違った尺度でみれるようになり、子供達に手がかからなくなってきた今、現状打破しなければ!これまで家族優先で置いてきぼりにしていた自分を探して、まずは未だ消えない足跡を巡って模索してみるのもいいかもしれない。 回りくどくなってしまったけれど、子供達が時々でも楽しいと感じられる生き方を、家族の幸せを願いつつ、そしてこれからは可能な限り、自身の幸せを得るために止めてしまっていた時計の針を少しずつでも進めていけたらと思う。長生きは望まないが、「今日も何もない1日」で終わらぬよう、[朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり]20、30年後、いずれ訪れる終着点でそう思えるような悔いのない末路を迎えることを今の私の新たな目標としよう。幸せの基準は人それそれ、しがない50歳の独り言ではありますが今の自分の心境として(^^)
2019年12月18日
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高校受験を控えた大事な時期に、冬休み明けにはインフルエンザ、そして2/5には学校で階段を踏み外し足首を骨折してしまったあや。ギブス装着で松葉杖の生活となり、学校と塾は車で送り迎え。かつて兄も通った都立合格を目標に、日曜以外は毎日塾に通い、加えて週2回の英会話教室と時には泣き言をこぼしながらも本当によく頑張ってきた。しかしながら、滑り止めとして先に受けた併願私立校のGMARCHを狙う選抜コースに合格できたことで当初とは考えが変わっていき、悩みに悩んで入試直前に第一志望としていた都立を辞退して、最終的には本人の強い希望で私立に進むことに決定。これからの3年間、どちらを選ぶかで今後の人生は大きく変わってくると思う。こちらの学校は、特にこの先も伸ばしていきたいという英語に力を入れていること、早い段階で大学入試に備えて文系理系を選択できること、放課後は教師や予備校講師による指導を受けられるなど魅力を感じる部分が多く、勉強は大変になるけれど、良くも悪くも置かれた環境に馴染んでいくタイプの子なので、郷に入っては郷に従えでまあ乗り越えていけるでしょうとやっと春が来たね!合格おめでとう進路も決まり、勉強漬けの日々から解放されて、明日にはギブスも外れ友達と遊びに行く計画中♪私も肩の荷が下りてスッキリ自分らしくあること。自分以上に見せる必要はない。まわりの目に振り回されず、ありのままの自分を受け入れよう。そして、何か1つでもいい。「これだけは負けない」というものを見つけること。すべての情熱を傾け、求め続けること。ただし、苦労して掴み取ったものでもそれに固執しないこと。自分から壁を作ってはいけない。時には失敗するかもしれない。自分を見つめて反省すればいい。考えて、考えて、考える。そこから本当の自信が生まれる。決して最後まであきらめないこと。いつかチャンスはやってくる。心の底から達成したいと願えば掴めるはず。一度しかない人生。どのように生きればよいか答えはない。自分の好きなように生きればいい。あなたが何歳であれ、どのような状況であっても変わらない。変わるのなら今しかない。あっという間に時は過ぎる。挑戦することを恐れないこと。迷ったり、ためらっている時間はない。やりたいことに価値はなく、やるからこそ価値がある。何が大切なのかを見極めよう。本当に何がしたいのかを問いかけよう。自分らしく生きよう。あなたならできる。(田口久人さんの著書より引用)弱冠15歳。将来は弁護士になりたいと分不相応な突拍子もないことを言ってみたり、安定した職につきたいと看護師になりたいと言ってみたり、栄養士や通訳になりたいだとか、今はその時その時の思いつきで軽かるしく言葉にするけれど、人生に無知だからこその冒険もできる。本当になりたい夢を見つけたらとことん応援していきたいと思う。中学最後の美術の課題で、自分で折った鶴をデッサン。評価はA判定!折る作業から苦戦している男子が多かったらしいが、あやはミクロ鶴でもお手のもの!小6の時に折った鶴 https://plaza.rakuten.co.jp/ayakou/diary/201602230000/2年の時に作成した時計は、先月東京都美術館で開催された「東京都公立学校美術展覧会」の出品作品として選ばれたそう。高校入学前に選択しなけれならない履修科目は音美芸術の3択から一にも二にも美術に決定!
2019年02月26日
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実は先日、こうたの最後の砦であった大学受験の合格発表を前に高校の卒業式がありまして。進路が決まらぬ中、門出を祝う心境ではなれないけれど、それはそれ。まずは、高校卒業おめでとう いただいたカーネーションの蕾が1つ折れていて、縁起悪いなぁと思いつつ・・・水に差して置いたら花開き! そして!!!長かった冬もようやく終わり、我が家に春がやってきた こうた、合格おめでとう更には、あやも二次試験もクリアして英検3級合格! 兄妹揃っての合格!二人とも本当に良かったね次なるは、あやは準2級合格を目指して。こうたは、近い将来に向けて何事にも理解を深め自分に合った職業につけるよう意欲的に学んでくれたらと。自分の人生は、自分自身で切り開くもの! この日を迎えるまで本当に長く厳しい道のりで。考えたってどうにもならないことは考えない!長年の経験で学ぶこと。数々の紆余曲折を経て、いつしか諦めや開き直りも時には必要であると、気持ちを楽にするそんな処世術だけは自然と身につけてきた自分。とは思っても、自分の事ならいざ知らず、こと我が子の事になるとそういう風には割り切れず。昨年暮れから私の時間は止まり、こうたがまさかの受験難民になって眠れぬ夜を過ごし。常に堂々とした親でありたいけれど、まだまだ修業がたりないなぁと大学受験を通して、3年前の高校受験の時とはまた違った意味での親である苦労を経験し、私も色々深く考えた。「頑張った」には個人差があると思う。目標に向けて寝ずの努力をするものもいれば、傍からはまだまだに見えても自分は十分頑張っているというものもいる。何を基準に頑張ったかは人それぞれで、頭ごなしに否定するような事は言ってはいけないのだとたとえ、思わしくない結果となっても、やるべきことはやったという気持ちは決して無駄にならないと。一生の中で受験は、ほんの通過点にすぎず、これから先の人生は、生かすも殺すも本人の努力次第。甘くない世の中に打ち勝つ根性を!目指す道は変わるかもしれないけれど、公務員試験合格を目標に!!!一段落ついたところで、のんびりと温泉でも行きたいなぁ♫
2017年03月11日
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ブログに書くべきことかと悩んだけれど・・・これも我が家の記録なのだと(><) 第一志望の大学に辛い結果。 発表のこの日まで私は眠れる夜を過ごし。親以上に、本人も受かると思っていただけに相当ショックだったことは言うまでもなく。昨年まで3.5倍を下回っていた倍率が、今年は一気に上がってまさかの5.2倍って・・・この番狂わせな事態に勝ち組の陰でどれだけ多くの人が泣いていることだろう。しかしながら結果は結果。「人間万事塞翁が馬」と開き直り落ち込んでいるわけにはいかない!日はまた昇る!今のあなたに立ち止まる時間はない! これまでの自分がそうだったように、長い人生、順風満帆になんて生きられるはずもなく 挫折があって当たり前。そうして人は強くなる! 「負けないこと逃げ出さないこと投げ出さないこと信じ抜くこと駄目になりそうなときそれが一番大事」気を取り直して景気づけにと、この日は受験が終わるまではと控えていたかつ丼を! 「かつや」さんの宅配で。正直私自身もショックから立ち直れていないというのに、今日はあやの英検の二次試験でこうたには縁がなかったこの大学が偶然にも試験会場となっており・・・口には出せないけれど送っていくのが辛いなぁと
2017年02月19日
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こうた!中学校卒業おめでとう! 昨日は卒業式。我が子の晴れ姿をしっかり見届けようと、学校には早めに到着し前から2列目の席を確保!ところが、選んだ席が悪かったようで、ビデオも画像もほとんど撮れず・・・・残念受付で渡されたカードを開くと、そこにはこうたからの感謝の気持ちが綴られていた。結構適当に書いた気がしないでもないが、義務教育も一応終わりということでここは素直に喜ぶとしようでも、こうたの留守中に、もしこれが家に置かれていたら家出でもしたのかと勘違いしそうだわ・・・・卒業式が終わると1度帰宅し、それからクラスの集まりに近くの公園に出かけていった。なぜ公園?と思うけど、この年頃はみんなで集まってたわい無い時間を過ごすこともまた楽しいのだろう。夜になってから食べ放題の鉄板焼きのお店に移動し、結局こうたが帰宅したのは12時前・・・・・・前日は前日で、仲のいいメンバー同士で、ビッグボーイに食事にでかけ、10時に帰ってきているし。まあ、卒業打ち上げという事で今回は大目にみてあげましょうこうたがオギャーと産声をあげてから、長いようで短かかった15年。思い返せば、嬉しい事、楽しい事、辛い事、悲しくなった事、時には心が折れてしまいそうな事もあった・・・・あんなに手がかかった子が今はこんなにも大きく成長したんだね。手ごわい子供達相手に日々鍛えられ、気が付けば私の精神もおばさん路線まっしぐらに図太く成長。若い頃には悩んでいたであろう事も、今ではへっちゃら!随分たくましくなったと思う!細かい事は気にしない。いちいち気にしてたら、とてもとても自分の身が持たないものね子供達と過ごしてきた中で学んだものは大きい。まだまだ子育てには若輩の母だけど、最近になって1つ悟ったことがある。一筋縄ではいかないのが子供なのだということを。親の思い通りになんていくはずないし、そうであったら、それはそれで問題なのかもしれない。[ありがとう、あなたが私の子でいてくれて]という本の中に、親の心得としてこんな言葉がある。乳飲み子からは 肌を離すな幼児は肌を離して 手を離すな少年は手を離して 目を離すな青年は目を離して 心を離すなしみじみ納得のお言葉。こうたの場合、今はまだ放っておけば風に流されるままに間違えた道に進みそうなので、そこはしっかりと手綱を締めて!1つの壁を乗り越え、気持ち新たにもうじき始まろうとしている高校生活。昨日のように3年後も清んだ気持ちで卒業式を迎えられるよう、有意義な時間を過ごして欲しいと願う
2014年03月20日
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明日は、いよいよこうたの都立入試。中学1、2年生の頃は、後で苦労するなんて毛頭考えもせず、いい言い方をすれば中学校生活を謳歌。3年に進級してからも、親の焦りとは裏腹に「まあ、何とかなるだろう」と暢気に構えていた。夏休み前、進路についての三者面談で「今の成績で行ける高校を探すのは難しい」という現実をつきつけられたことで、初めて本人の中で危機感を感じ、ようやく受験に向けて動き出すこととなったが・・・・現実はそう甘くはなく、今までのツケが大きすぎて英語も数学もまったくわからず浦島太郎状態今までの遅れを取り戻すために、夏休みに入ってからはほぼ毎日7時間の夏季講習に通い、それでは足りず、家では毎晩パパの家庭教師が始まった。その甲斐あって、12月の最終内申は上がり、滑り止めも併願優遇も受けられる事に!また、毎月受けてきた模擬試験では少しずつではあるが結果が出せるようになってきている。ここにくるまでの半年間、こうたはもちろんのこと家族1人1人にとっても不安で大変な日々だった。「中学校は修行の場所です!」最近になって、中学の入学式で校長先生の言われたその言葉をよく思い出す。その時は厳しいな~としか思わなかったけど、今となってその意味が理解できる気がする。私にとっても、初めての我が子の受験にドキドキ。こうたにプレッシャーを与えてはいけないと、態度にこそ出さないようにしているが心中穏やかにはなれないこうたを信じなきゃ!いつも通りにの気持ちで、今まで頑張ってきたことをやればいいだけ!当日はお守りを全部持っていくという。それを聞いた”あや”も、こうたのためにお守りを作った「絶対合格しなきゃだめだよ」と書いていたので、それはちょっとマズイと修正させた・・・・・・みんなの想いがこもったお守りが、きっとこうたに力を貸してくれることだろう試験前の体調管理ということで、ここのところ揚げ物を避けてきたが、少しくらいならいいよね「トン勝つ!」ゲン担ぎに昨日の夜食べさせた。3切れなので胃モタレも大丈夫だろう。明日こうたは、5時半に起きる予定なので、念のため眠気覚ましのドリンクを買ってきた。緊張感で眠くなるどころではないと思うけど、朝が早いし昼食はさんで午後は2教科あるので念には念を入れて!心配なのはお腹の調子。基本的にはマイペースな子だけど、苦手な事を前にすると腹痛になりやすい・・・・・過敏性なのかな?人生の節目、試験当日にそんな事態になったら、それこそ大変。1週間程前から、整腸剤に時に胃薬。いろいろ調べた結果、受験日の朝食は葱入りの納豆ご飯がいいのだそう。お弁当は軽めにサンドイッチを作ることに決めた。一期一会の意味を込めてイチゴもね!今晩はゆっくり休んで、明日に備えよう こうた、あんなに勉強嫌いだったのに今までよく頑張ってきたね!春はもうすごそこだよ!!!余計な言葉は要らない。普段どおりの暢気な私で「行ってらっしゃ~い」と送り出したいと思う。
2014年02月23日
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2006年のブログ開設から早4年以上・・・・・このブログも何となくの気持ちで開設してしまったものも、全く手を付けずじまいで気が付けば、あっという間に3年の月日が流れていたそして、昨年の”こうた”の誕生日9月23日を機に「子供たちの将来のために日記を残そう!」「残りの人生、このままではいけない!何か新しいことを始めてみようではないか」と 一念発起の思いで、つたない文章ではあるが今日まで書き綴ってきた子供の頃から日記はいつも3日坊主だった決してマメではない私が、1年以上も続けられたということに、我ながら感心!書き始めた当初は、それこそ何かに獲り付かれたように、ほぼ毎日パソコンに向かった 気が付けば、それが当たり前の日課のように・・・・・・何故こんなに書きたいことがあるのだろうというくらい、掃除をしていても買い物をしていても、本当に四六時中と言っていいほど、脳裏にはたくさんの文や単語が、いつも飛び交っていたっけな~そして、今まで言葉にしたかった思いの丈を日々の日記にぶちまける文章で表現するという行為が自分自身のストレスのはけ口にもなっていたのだと思う子供たちのあからさまの日常を書きながら、思わず苦笑してみたり、時には、「子供達が将来、ママのこの文章を読んだときに傷つかないだろうか」とキーボードを打つ手を止め、記事にすることに、ためらいを感じたこともあったupした自分の日記を読み返すことは、今までほとんどしなかったが今改めて、早送りでも見ていくと、なかなか?「昨日の夕食は何食べたっけ?」と前日の事ですら忘れてしまうのに1年前の事など、よっぽどのことでない限り、覚えているはずもなく・・・・それが、ようやく1年が過ぎ、「昨年の今日は何をしていたんだろう」と過去の日記を読み返し、「こんなこともあったけな~」と振り返ることが出来るようになった記憶の中から、すっかり消し去られていたことを思い出させてくれる覚書き私にとってのブログは自己満足の世界日々のとりとめのない事までも、ブログネタにしてきたけれど、これからはノンビリいこうと思うもともと文章を書くことは嫌いではなかったが日記のように、小まめに継続というのが、実は苦手な性格書かなければという義務感がストレスとなり、ブログ自体に嫌気がさしてしまわないように・・・・最近はネタ切れにもなってきてるし、これからは書きたいときに書けばいい・・・・・かな?
2010年11月26日
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我が家は、長年にわたって読売新聞を購読しているが、新聞を広げれば、最近欠かさずに目がいってしまうのが「人生案内」のコーナー自分には考えられないようなことを人は思い悩み、実に様々な考えがあるものだと感じる人間関係、嫁姑問題、夫婦、家族の事、仕事、漠然とした将来の不安、あまりにも一方的に人の批判ばかりして、自分はこれっぽちの落度がないような文面を読むと呆れたり、怒りを感じることもあるまた、「何故こんな事で悩む必要があるのだろう」というくらいに些細な相談も少なくないものだ他の人にとっては、取るに足りない事であっても、本人にとっては、日々イライラの原因であったり、夜も眠れなかったりと切実な問題というわけなのだろう相談内容によって、弁護士や大学教授、作家、心療内科の先生といった職業の方が回答者となるのだが、その適切なアドバイスは、お見事!相談者を傷つけないよう、1つ1つ選びながら適切な言葉を拾っているなるほど~、こういうふうに考えればいいのだと勉強になる人生相談・・・・占い的なものに頼る人もそうなのかもしれないがただ、今の苦しみや不安を誰かに聞いてもらいたいそして、共感してもらえることによって自分は間違っていないのだと確信できる相談者にとっては、たとえ、それが問題の解決に繋がらなくても言葉にすることが1つの楽になれる手段なのかも・・・・・私にも悩みの1つや2つはあるけれど、思いつめるほどのことではないので、幸せなのか 実のところ、人の不幸を自分と天秤にかけて、「私は幸せなのだと」自分自身に言い聞かせ、救われている部分もある・・・・人の不幸は蜜の味・・・・人様の前では決して口に出して言えない言葉だけれど・・・・ 話し変わって2010年10月11日付けの人生相談と同じページにあった「お品書き」のコラムガッツ石松が、ラーメンについて、熱く語っていた「親心知った涙味の一杯」短い文章の中にも情景が頭に浮かび、感慨深い内容で読み終えて心にジーンときた(以下記事の1部抜粋引用)初めて店で食べたのは中学2年の時。今、口にするどれとも、一味違ったラーメンだった。栃木県の貧しい家に生まれた。いつも腹をすかせ,小さい頃から近所の子守などをして,白米の握り飯や小遣いをもらった。一方で悪ガキとしてならし,中学校ではケンカざんまい。2年の時,家庭裁判所に呼び出された。父が「二度とさせません」と,涙ながらに頭を下げてくれた。家裁を出るとラーメン屋に入ろうと誘われた。父が頼んだのは1杯。「腹減ってるんだろ」と促され,流し込むように平らげ,スープも飲んだ。経験のないうまさだった。次の瞬間,がくぜんとした。父が残ったスープにコップの水を入れ,指でかき混ぜて飲み干したのだ。「腹をすかせていたんだね。それに気付かず,自分だけ食べてしまった。涙が出そうになったよ。」 いつか人がうらやむような人間になって,親に腹いっぱい食べさせてやると心に誓った。 「俺には,涙味の混じった初ラーメンだったね。」中学卒業後にプロボクサーを目指して上京したという当時は、出前をこなしながら夫婦で細々と営む、町のラーメン屋さんといったイメージかなぁ?・・・・ナルトにシナチク、海苔がトッピングされた素朴な味わいの醤油味スープ今でこそ外食産業が盛んな時代であるが、私が子供の頃は駅近くの繁華街に行かなければ食べるところはなかったばあちゃん(母)の買物に、期待を膨らませながら着いて行き、年に数回、連れて行ってもらえた伊勢丹の最上階にある食堂決まって注文する、「ざる蕎麦」と「クリームソーダ」今でも時折、思い出すが、ほんとに美味しかったな~私が中学生のときに市内に初めて出来た「すかいらーく」は、とにかく画期的だった地域住民の社交場的場所になるまで、そんなに時間はかからなかったと思う話が脱線したが、記事を読み終えてから、20年ほど前大ヒットした「一杯のかけそば」の話が重なった共通して言えることは、貧しい家庭であるゆえに生まれる親子愛、絆があるということ飽食の時代、きっと小さい頃から日常的に外食してきた子供達には口で説明しても理解できない気持ちなのだろうセピア色して脳裏に映る、我が子供時代、ある意味幸せだったのかもしれないな・・・・
2010年11月17日
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2年ほど前から、自称反抗期の"こうた"が夏前から、以前に増して反抗的になってきた口癖が「うざい」「めんどい」(面倒くさいの事)何か言うと、「分かってるよっ」「今、やろうと思ってたんじゃん」「何で俺ばっかり・・・・」私やパパに言われたことで、納得がいかないと感じれば、とことん牙を剥き出しにして、最後は泣きべそになってまで訴えてくるいきり立って言われた、その発言が間違えていると思えば、どうしても親目線で時に怒鳴ったりと、口調が強く出てしまうもっと穏やかに会話が出来たらいいと思うのだけれど、私も大人げない・・・・これが、いわゆる反抗期なのだろうか?考えてみれば、あんなに小さかった"こうた"も、もう6年生なんだぁ・・・・・自我が芽生え、いろいろな矛盾を感じたり、戸惑う時期に差しかっていてもおかしくないはず反抗期を、成長の過程だと冷静に見つめると、私にも改めて反省しなくてはと考えさせられる部分が多々あるほどほどに野放しにしたほうが、もしかしたら子供達はスクスク育つのでは?口うるさく言いすぎて、耳慣れしすぎてる?今まで、親としての立場が何を言っても許されると、言葉でねじ伏せてきたのかも?子供の考えを尊重せずに、自分の感情を押し付けていただけ?「こんな親にはなりたくないな」と思っていた、こんな親に自分はなっているのかも?子供達にとって、私はどのように映っているのだろか?自分が子供だった頃のことを思い返すとあの頃は親から言われる全ての言葉が否定的にしか聞こえなくて、鬱陶しく感じたっけ 母親の私が変わらなければ、いずれ居心地が悪くなり家庭が窮屈だと感じてしまうかもしれない・・・・そんなことを考えながら、単純だけど「押してもだめなら引いてみな」で、今度は、なるべく、こうたに話しかけないようにしてみたけれど・・・・・・いつもは、うるさいばかりの私が、言葉少なくなると、「ママァ?、何か怒ってる?」と様子伺いで聞いてくるこういう発言をさせてしまうこと自体が、私にも問題があるんだと更に考えさせられてしまった子供に顔色を見られる親になんか、絶対になりたくないと思ってきたのに・・・・・難しく考えすぎてしまったけど、これからは、こうたの意見も尊重し、我が子としての目線だけからでなく、普通に大人と接するような心づもりで会話をしなくてはならない時期なのだと思うそれが道理にかなっていない屁理屈にしか聞こえなければこういう考えもあるのだということを伝えればいい子を想う、親の気持ちを、重たいな~と感じて欲しくないから「もっといい加減になってもいいんじゃない」と、時々自分に言い聞かせたりもする自分は自分、子供は子供決して、母親の所有物ではないのだからと・・・・子供達が未来を切り開いていく為に、少しばかりの手助けをするだけでいい立派な親になどなろうと思わずに、子供の話を、真正面から受け止めてただ、ただ、聞いてあげられる親になっていけたらと思う人様に怪我をさせたり、事件を起こしたわけではないんだからつまらないことに目くじらを立てたりしないで、ドーンと構えていればいいんだ!責任と言う壁なんて取っ払って、友達のようになりたいこうたが生まれた時に、たくさんの意味を込めて名前を付けた元気な姿で、ただそこに居てくれるだけで幸せだってこと、ママは忘れてたねいつからか、見失っていた部分に気づけたような気がしたもともとは、明るくて素直で優しいこうたいつだって、「ママに褒めてもらいたいから頑張るんだよ」と言うこうたまた時期が来れば落ち着いていくのだろう子供を虐待死させてしまう親もいれば、親を殺害してしまう子供もいる世の中こんな世の中だからこそ、親子のコミュニケーションは大切だと思ういかなる時にも親は我が子を拒絶してはならないのだと・・・・・そうは思っていても現実はなかなか・・・・・・・・感情のコントロールが出来なくて、やっぱり叱ってばかりだし・・・・・・子育てって、難しい~まずは、母親の私が成長することかなぁ・・・・・・触れること、微笑むこと、優しい言葉をかけること、話を聞いてあげること、偽りなく誉めること、ちょっとした気遣い、これらの持つ力を、私たちは軽く見すぎています。これらは全て、人生を180度変える可能性を持っているのです。 ( 教育学者レオ・バスカリア)
2010年09月11日
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