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ルドゥアの好奇心が、熱気球のように一気に膨れ上がる。 「まあ! すてきな理由! それきっと女のひとでしょ! 初恋の人かしら? それとも道ならぬ恋とか? じゃ、このたそがれ港にもその人を探しに来たのね? ねえ、あたしもいっしょに探してあげましょうか。 ここの居住区は、狭い割には人口が多いのよ。 ひとりでここを探すのは骨が折れると思うわ」 「いや、いい」 「なぜ? この港町の中のことなら、あたしなんでも知っているわよ。 知り合いも多いわ。 あたしがいたほうがきっと都合がいいわよ」 「いいんだ。 この町にいないことは確かめた」 「まあ、それは残念だったわね。 それじゃ、これからどうするの?」 「また船に乗る」 「ああ、船に乗って別の街に彼女を探しに行くのね。 今度はどこへ行くの?」 「わからない」 「まだ決めていないのね? 今から考えるの?」 「そうだ」 「じゃ、今夜はどこに泊まるの? 宿はもう決めた?」 「いや、まだ」 「だったらあたしの家に来ない? この店はじき閉店だし、今からじゃ宿も見つからないわよ。 あたしの家なら、宿賃も取らないし、食べるものもあるわ」 そのとき、カウンター越しにジラートが、ルドゥアの袖を強く引っ張った。 「もう黙りな、ルドゥア! なんてはねっかえりな娘だ。 もう客の相手はいいから、さっさと帰りなさい!」 ルドゥアは胸をそらしてジラートに言い返した。 「あたし、はねっかえりなんかじゃないわ。 このお客さんと話がしたいだけよ。 あたしのことは放っておいて」 するとジラートは、ルドゥアをカウンターの隅まで引っ張って行って、客の耳をはばかるような小声で、だが強くたしなめるような口調で言った。 「いいから、私の言うことをききなさい。 ルドゥア、あんな、得体の知れない流れ者なんぞにうっかり気を許すもんじゃない。 確かに、お前のような若い娘は、ああいう謎めいた若者に、つい心が動くのも無理はないかもしれん。 しかもあいつはえらく男前だしな。 あんなすてきな人が、あたしをだますはずがない、って、若い娘っ子はみんなそう思うだろう。 だが、それがそもそも間違いだ。 あいつが 『雑種』 でないとしたって、どんな悪い考えを持ったやつか、わからんのだぞ。 人は見かけで判断するもんじゃない。 ふん、初恋の女を捜して旅をしてるなんて、空々しい」 ルドゥアは、ぷん、と頬を膨らませて、こっそり客のほうをうかがい見た。 客は、カウンターの隅で、さきほどと同じ様子で火酒のグラスをちびちびとなめていた。 ルドゥアとジラートのひそひそ話などは歯牙にもかけていないようだ。 ルドゥアは、その客の冷ややかな横顔と、ジラートのおどおどした表情とを交互に見比べてちょっと考え込み、それから、ジラートの手を振り切って客のもとに駆け寄った。 「お客さん、もう閉店ですって。 一緒に帰りましょうよ。 うんと美味しいシチューをごちそうしてあげるわ!」 ジラートが、肩をすくめて頭を振り、客は、大して驚いたような顔をするでもなく、当然のように軽くうなずいて、椅子から立ち上がった。人気ブログランキングへ
2012.01.31
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正直なところルドゥアも、この返答にはいささか心を傷つけられた。 なぜなら、リュキアというのは、遠い昔、忌まわしい呪いによって滅びた国の名であり、今もその名を口にした者には災いが降りかかるという根強い迷信が残っているからだ。 俗に、『リュキアへ行け』 と言えばそれは、呪われるがいい、とか、地獄へ落ちろ、という 最大級に不吉な罵倒の言葉となるくらいだから、当たり前の感覚で言えるような冗談ではない。 この人、あたしを馬鹿にしてるのかしら、と思わず眉をひそめると、ジラートも、同じように顔をしかめて、カウンターの客を睨んだ。 「お客さん、そういう悪い冗談で、うちの看板娘をからかうのはよしてくださいよ。 そんな不吉な言葉は、二度と口にしないほうが、お客さん、あんた自身の身のためでもあると、忠告しておきます」 すると客は、何を言われているのかさっぱりわからない、という表情になって、ジラートとルドゥアの顔を見比べ、それから、思いのほかすんなり謝罪の言葉を口にした。 「俺が何か礼儀に反することを口にしたなら謝る。 すまなかった」 ああ、この人は、まだこの国に来てから日が浅いから、古い習慣や迷信のことなんか何も知らないんだわ。 そう納得して、気を取り直すとルドゥアはまた、この心惹かれる旅人への質問を再開した。 「・・・で、グルナの港町に来る前はどこにいたの? イルプシマじゃないわね。 聞いたことのない訛りがあるわ」 客は、その、少しすねたような、だがルドゥアの胸をときめかすのには十分魅力的な形の唇をゆがめ、面倒くさそうに答えた。 「グルナの港に着く前は、・・・あちこち」 そう言ったきり、客は新しい煙草をくわえて黙り込んでしまったので、ルドゥアはすかさずマッチを擦り、その火を客の煙草の先に近づけながら、重ねてたずねた。 「あちこち? 旅していたの?」 深々と煙草の煙を吸い込んで、客が満足げに目を細める。 「そう」 この答えに、ルドゥアはますます胸を高鳴らせ、歓声を上げた。 「まあ! すてきな人生だわ! 少なくともここみたいに退屈じゃないわね! で、何のために旅を?」 男の横顔が、また、ふっと寂しげに翳った。 「・・・人を探しているんだ」人気ブログランキングへ
2012.01.30
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ルドゥアは、すでに、この美貌の客に対する熱い好奇心のかたまりと化していたので、そんなジラートにはかまわず、カウンターに身を乗り出すようにして、客に質問を投げかけ始めた。 「お客さん、この港町は初めてね? どこから来たの?」 客は、ポケットの中をあちこち探りながら、うわのそらで答えた。 「グルナの港」 嘘だわ、とルドゥアは思った。 グルナの港は、南北に極端に細長いこのイルプシマの国の、ほぼ南端に位置する大きな港だ。 この居住区のある “たそがれの港” から、船ならせいぜい2日、陸路でも数日で行ける。 そこは別名、 “花の都” と呼ばれるほどにぎやかな港町として知られ、皆、都会人らしく歯切れのよい早口で、流れるようにしゃべるものだ。 こんな妙なアクセントでしゃべるグルナっ子なんて、聞いたこともない。 客が、ポケットの中から煙草の箱を取り出して、その美しい形の眉をひそめた。 煙草の箱は、雨でぐっしょりとぬれていた。 それはこの街でもありふれた銘柄の煙草だったので、それを見るなりルドゥアは、煙草の買い置きがしまってある戸棚へと飛んで行った。 その間にジラートが、客の前に火酒の入ったグラスを置き、探るような目つきで言った。 「あんた、 『雑種』 だよね」 すると客は、きょとんとした顔つきになってジラートを見た。 「・・・ 『雑種』 ?」 ジラートの目が、急に意地の悪い光を含む。 「とぼけることはないじゃないですか。 あたしゃ別に、あんたが 『雑種』 だからってどうこういってるわけじゃない。 ただ、あんたの風体はどこから見ても 『雑種』 にしか見えない、きっとあんたのお父さんはバルドーラ族で、お母さんはパピト族なんでしょ、って、そういう他愛ない世間話ですよ」 そのときルドゥアには、この客の白い端正な横顔が、一瞬、ふっと寂しげに翳ったように見えた。 が、客はすぐに、小さく肩をすくめ、そっけなく答えた。 「両親のことは知らない。 が、俺はまじりっけなしのパピトの兄に、パピト族として育てられた。 だから、自分もまじりっけなしのパピト族だと思っている」 ジラートの顔に、かすかな安堵の色が浮かぶと、ルドゥアはまた、黙っていられなくなって、2人の間に割り込み、客の前に煙草の箱を突き出しながらたずねた。 「それで? ねえお客さん、グルナの港町に来る前はどこにいたの? 生まれ故郷はどこ?」 ルドゥアの手から煙草を受け取った客が、面倒くさそうに短く答えた。 「リュキア」 そのとたん、カウンターの中でジラートが、はっと息を飲んだ。人気ブログランキングへ
2012.01.29
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『たそがれの港』の片隅に位置するこのパピト族居住区で暮らすパピトたちは、ほとんど例外なく、この国を支配する強大な民族、バルドーラ族に対して、根の深い恨みと恐怖心を抱いている。 バルドーラ族の、首をそらせて見上げなければならないほどの大きな体は、無言のうちに、小さなパピト族を威圧する力を持っていたし、また実際、バルドーラ族というのは極めて攻撃的な性格なので、その非道な仕打ちに日常的に泣かされる一方のパピト族としては、この姿に怯え、狭い居住区の中で身を縮めるようにして生きているのが普通のことなのだ。 だから、獰猛なバルドーラ族と、パピト族との間に生まれた 『雑種』 に対しても、パピトたちは決して心を開くことをしない。 『雑種』 は、たいていの場合、パピト族の女がバルドーラ族の男に陵辱された、いわば恥の刻印。 被支配民族であるパピトたちの多くは、バルドーラ族の圧倒的な巨躯とパピト族のエレガントな容貌を併せ持つ、この『雑種』という新種を、どう扱ってよいのかわからない、というのが正直なところだろう。 総じて美男美女が多いといわれている『雑種』の、その卓越した風貌の下に、バルドーラの凶暴な力と残忍な血が流れているのか、それとも、時に “パピトの知恵” と表現される、ずるがしこく油断のならない性質が隠されているのか、判断がつかないからだ。 そういった事情があったので、このときのジラートの、見知らぬ 『雑種』 に対する直感的拒否反応は、この居住区の住人としては、ごく当たり前に過ぎなかった。 しかしルドゥアは、ジラートの渋面を無視して、さっさと客のそばへ歩み寄り、そのコートを脱ぐのを手伝い始めた。 実のところ、この店の客に若い男が来るなんてことはめったになかったので、 『雑種』 だろうと何だろうと、もくもくと頭をもたげてくる好奇心が、どうしても抑えきれなくなってしまったのだ。 雨に濡れてずっしり重くなった客のコートを受け取って、コートかけの真ん中の、ストーブに一番近いところに丁寧に広げて掛けると、ルドゥアは、カウンターに腰を下ろしたその客の脇にいそいそと走り戻った。 「御注文は何になさる? こんな寒い夜には、火酒が一番だと思うけど」 その客が、長いさらさらの黒髪を揺らしてちょっとルドゥアを見たとき、酒場の、薄暗いランプの明かりに反射して、その瞳がきらりと赤く光った。 きれいだわ、とルドゥアは思い、胸を高鳴らせた。 が、その美しい色の視線はすぐに、そっけなくルドゥアから離れ、客はカウンターの中のジラートに目を移して、短く言った。 「では、その火酒を一杯。 それと、何か食うものを」 その言葉には、奇妙なアクセントと、強い訛りが感じられた。 外国から来たんだわ、とルドゥアが思ったとき、ジラートが戸棚の奥からしぶしぶ火酒を取り出して、迷惑そうに言った。 「悪いけど、食うものはもう何も残っていないんですよ。 すぐに看板なのでね」人気ブログランキングへ
2012.01.28
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ジラートは決して悪い人じゃない。 いや、むしろ、一般にケチで人使いが荒いといわれるパピト族にしては、珍しいくらい、人のいい雇い主だと思う。 でもジラートはいつも、人生に疲れ果てたような、覇気のない顔つきをしている。 この、世捨て人にも似たジラートの風貌と、世の中に忘れ去られたようなこの小さな古い酒場のたたずまいは、ここ 『たそがれの港』 と呼ばれる小さな港町の、うらぶれた路地裏の雰囲気に実に見事に調和して、うっかりこの路地を通り抜けようとした人々にまで、陰鬱な疲労感を伝染させてしまおうとしているかのようだ。 たぶん、この店に足を踏み入れた人は皆、あたしと同じように感じるのだろう、とルドゥアは思う。 料理も酒も、味はまずまず。 店主ジラートの応対も決して悪くない。 が、この店に腰を落ち着けると、あるときふと気がつくのだ。 じわじわ自分を包み込もうとしているこの酒場の、重苦しい伝染病のような空気に。 そして彼らは顔をしかめ、二度と再び、この店には近づくまい、と心に決めるのだ。 ジラートが、入れたてのコーヒーをカウンターの上に置くと、その香ばしい香りが、店の中いっぱいに広がった。 「はいよ、ルドゥア、熱いコーヒーだ。 ミルク抜きで」 「ありがとう、ジラートさん」 カウンターに腰を下ろして、湯気の立つコーヒーカップに手を伸ばしたとき、ルドゥアの後ろの、出入り口のドアが小さくきしんで開いた。 ――― よりによってこんな晩の、閉店まぎわにお客だわ。 大酒飲みの、長っ尻の客でなきゃいいんだけど。 少しばかりうんざりしながら、それでも 『お客』 と思ったとたんルドゥアは反射的に愛想のいい笑顔を浮かべ、椅子から立ち上がった。 「いらっしゃいませ! どうぞ中へ!」 ドアを開けて入って来たのは、一見して、たった今この港町についたばかりの旅人とわかる風体の、若い男だった。 男は、その、見上げるほどの長身をかがめるようにして小さな入り口をくぐり抜け、小さく身を縮めた格好のまま、鋭い目つきで酒場の中をすばやく見回した。 ぐっしょりと雨に濡れたコートに、古びた旅行カバン。 ぱっとしない風体だ。 が、冷たい雨に打たれてほとんど血の気を失ったその引き締まった顔立ちは、みすぼらしい風体にはまるで似つかわしくなく、はっとするほど整って美しかった。 『雑種』 だわ、と、ルドゥアは思った。 カウンターの中でジラートが、露骨にいやな顔をして言った。 「お客さん、悪いけどもう閉店なんですよ。 よそへ行ってくれませんかね?」 ルドゥアはちらりとカウンターの中を振り返り、仏頂面のジラートをすばやく睨みつけてから、いかにもパピト族の若い娘らしい、聞かん気な口調で言った。 「あら、閉店時間までにはまだ少し間があるわ。 お酒を一杯飲むくらいの時間は十分あるわよ。 せっかくのお客さまを、この冷たい雨の中にまた放り出すなんて、気の毒だわ」 今からほかの店に行けと言っても、この近辺に 『雑種』 の客を快く受け入れてくれるような店が、あるはずがないのはわかりきっていた。人気ブログランキングへ
2012.01.27
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~たそがれの港~ 雨はいつまでも止みそうもなかった。 もう長いこと人の指が触れたことがないかと思われる、煙草のヤニと埃とでほとんど曇りガラスのようになった窓から、外の暗闇を透かし見ると、間断なく降り続く銀色の雨の向こうに、路地裏の街灯の琥珀色のあかりが、ぼんやり煙っている。 そぼ降る雨の中で、その頼りない光は、まるで遠い夢の中で見た光景のように、どこかしら懐かしく、そして物悲しい気持ちに、人をさせた。 「・・・この雨じゃ、今夜はもう客も来ないだろう」 カウンターの向こうで、暇をもてあましたように、ジラートがひとりごとを言った。 その声に、ぼんやりと雨を眺めていたルドゥアははっと我にかえり、窓際の椅子から立ち上がって、狭い、薄暗い酒場の中をくるりと見回した。 客の姿は、さきほどまで同様、ひとりも見当たらない。 カウンターに並んだ数脚のストゥールは、等間隔にきちんと並んだままだったし、その後ろの、たった3組しかないテーブル席も、ひっそりわびしく静まり返ったままだ。 ――― 別に、雨が降ろうと降るまいと、この店がヒマなことには変わりゃしないわ。 ルドゥアはちょっと肩をすくめ、それから、さっさと帰り支度を始めた。 ルドゥアの働いているこの『ジラートの酒場』は、いつもこんなふうに閑古鳥が鳴いている。 ルドゥアが、たった一人の従業員としてここに勤め始めてからもう一年にもなるのに、その間に、この大して広くもない店内が客でいっぱいになったのを見たことは一度もない。 ――― 当たり前だわ。 あたしがもし客だったら、こんな陰気臭い酒場には、たとえお金をもらったって入らないもの。 ルドゥアは、今夜もとうとう一度も使われることのなかったテーブルの上の、古びたナプキン立てや塩の瓶を手早く片付けながら小さくため息をついて、半ば口癖になった言葉を、また、胸の内で繰り返した。 ――― ああ、もう、うんざり。 こんな、人生のはきだめみたいなところで一生を終えるなんて、まっぴらだわ。 私はまだ、これからが花の若い娘なのよ。 ジラートのようなおじいさんとは違うのよ。 ルドゥアが帰り支度を始めたのを見ると、ジラートも、疲れたような顔で、よっこらしょ、と立ち上がり、カウンターの上にむなしく並んだ、きれいなままのグラスや色とりどりの酒瓶を、ひとつひとつ、まるでいとおしむようにゆっくりと、戸棚の中へとしまい始めた。 「しかたがない。 少し早いが、今夜はもう店じまいとするか。 ・・・ルドゥア、熱いコーヒーを飲んでから帰りなよ。 外は冷えるぜ。 それとも、ミルクのほうがいいか?」 ルドゥアは、たった3枚だけのテーブルクロスをてきばきとたたみながら、ジラートのほうは振り向きもせず、つんけんと答えた。 「ありがとう、ジラートさん。 でも、あたしもう子どもじゃないのよ。 ミルクなんか飲まないわ。 コーヒーをくださいな」 背伸びしたその言い方に、ジラートがちょっと苦笑してコーヒーの準備を始めた。 「わかったよ、ルドゥアねえさん」人気ブログランキングへ
2012.01.26
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