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整形外科(と外科)の待合室に入った。虫けらの左側のモニターを何気なく見た。虫「えっっっ!」怖い主治医の画面が表示されている。虫『怖い主治医、ほんとに来てるんじゃないの?』病院の玄関に到着したとき、入り口横に大きな声で独り言を言い、ニヤニヤ笑う男性がいた。電動車椅子に乗っているので、虫けらのようにケガで整形外科の受診のために来院したのではないことが予想された(やがて完治するケガなら電動車椅子を購入する必要がない。長く車椅子生活を強いられるもしくは強いられている患者なのである)。エレベーターホールに到着したら、既に5人ほどがエレベーターを待っている(全て男性)。ストレッチャーの入る大型の箱が4機、通常の小さな箱が4機あるのだが、小さな箱のエレベーターが到着した。ぞろぞろと箱に吸い込まれていく。ちょっとした理由があって、片杖をついている虫けらが最後に乗り込んだら、きっと場所を空けようとして窮屈な思いをさせるだろう。次のエレベーターを待つことにした。昇階ボタンを押そうとしたら、さっき玄関で見たあの男性が滑り込んで来て、ボタンを先に押す。虫『えっ、この人と一緒に乗るの?』躊躇するが早いか、踵を返すが早かったか。背後に階段ホールがある。杖をついている人間が階段を上がっていくのはおかしかろうが、仕方ない。リハビリテーションセンターのある4階まで上がる。担当の理学療法士が決まっているのだが、彼女が部屋から出て来て、虫けらより前に一人施術すると告げた。いつも同じ人が虫けらの前にいる。入院時期が虫けらより少し後だったが、同じ整形の病棟にいた人だ。虫けらの施術時に、その人のことを少し聞いた。虫「私の前の女性、あんまりリハビリが進んでないですね」理「そうなんです」虫「私と同じ時期に入院されてたでしょう」理「そうです。膝の骨折なんですが、アキレス腱も切ってしまって、 再建手術を受けられたんです」虫「それは大変ですね。しかもあの体重じゃ、なかなか…ね」その人は身長も高く(167cmくらい)、肉付きもいい。80kg以上はありそうだ。自重のある人が足をケガすると大変である。虫けらは杖なしで歩けるが、そのひとはまだ杖が離せない。しかも、半歩ずつ歩を進める感じだ。虫けらの回復が早いのは、体重が軽いことも好影響を与えているらしい。それと、体幹がしっかりしているので、グラつく心配がない、さらに、筋力が驚異的に回復しているので、それもリハビリが捗る要因とのこと。もうやることがないのだ。きょうは、階段の上り下りを見るというので、リハビリ室のではなく、普通の階段に行った。14段くらいの階段をすいすい上り下りするのを見て理「えー、問題ないですやん」虫「家で上り下りしてるから」理「一軒家でしたっけ」虫「マンションよ。7階までは普通のフロアなんだけど、 8階だけ2階建てになっているんです」理「メゾネット?」虫「まぁ、用語的にはそうなんですけど、 中2階的な感じじゃなく、普通に2階があります」2回目の退院以降は2階で寝ているし、季節が変わって、1階に置いていた洋服では外出できなくなって、都度、2階に上がっている。という事情で、階段の上り下りは難なくできる。担当医師は「リハビリ、もう終わっていいですよ」と言うのだが、まだ膝のあたりに痛みがあるし、熱を持ったり、硬くなったりするので、理学療法士に相談している。店のお客さんに医療業界に精通している人がいる。治療器の販売をしているらしいのだが、その人から今週火曜日にメールが入った。客「普通に臨床やるんじゃないの?」というコメントとともにURLが貼り付けられている。タップしたら、どこかの病院のサイトに飛び、まさに怖い主治医のプロフィールのページが表示された。見つけるのが早い。しかも、怖い主治医のことを特定していたことに驚いた。虫けらは、怖い主治医の名前を言ったことはない。病院名と診療科、部長であることしか告げていない。そして、お客さんと最後に会ったとき、虫「退職するそうで。あのクラスの医者は、 近い将来の院長候補としての移動でしょう」そんな会話をしたが、こうも早く特定して調べてくるとは。業界内の話とはいえ、迅速過ぎるではないか。しかも、まだ10月になっていないのに、早々にホームページに掲載されているのは、病院が、それを売りにしたいと考えてのことだろう。外科部長といえば、病院の花形である。怖い主治医は容姿もよいので、売りにしたいというのも納得である。虫「店のお客さんが、早速◯◯先生の転勤先特定して URLを送ってきてね」理「え、どこですか?」虫「◯◯◯◯病院」理「大阪ですか?」虫「そう」(理学療法士がその病院名を知らないのを不思議に思った。 虫けらも知らない病院だが、医療界に身を置いている 人間なら、大阪の総合病院くらい知っていてもいいはず…)理「そういえば、今月になって◯◯先生来てましたよ」虫「いつ?」理「先週の…水曜日です。もう10月に入ったのにって 思って」虫「残務整理かな」理「朝、普通にコンビニで食料買ってましたけど」怖い主治医がコンビニの食品を食べるなんて、虫けらには想像できない。以前、怖い主治医と虫「先生も太れない体質ですか? (虫けらが太れない話をした流れでの質問)」怖「気ぃつけてるんや」虫「え? 太るのを?」怖「お正月に2kg太った」虫「2kgなんて、その身長じゃ大したことないですよね」怖「体脂肪率が増えてた」虫「お正月は動かないので、仕方ないです」怖「許されへん」虫「ストイックですね、先生」そんな会話をしたことがあった。還暦近くになって、体重を気にするような医師がコンビニの弁当や総菜パン、ましてやカップ麺なんかを食べるだろうか。解せない。10月に入って、怖い主治医が元の病院に来る……、残務整理か、出席する必要がある部長会議か、要請を受けてのアドバイスや執刀か…。ま、何にしても、しばらくはまた病院に来るかもしれない。次の病院では臨床はやらないと言っていたし、まだ時間的な制約が少ないだろうから、用件があれば行き来するのかも、あるいは、一定の時期は両方の病院で部長職を兼務する…などと勝手に思った。で、冒頭のモニターである。まさか、怖い主治医の診察があるのかと思ってしまった。待ち患者の受付番号が全くないので、診察はないとは思ったが、理学療法士の話を聞いていたので、そこに怖い主治医の画面を表示する必要があったのかと考えを巡らせた。結論(根拠のない推論)。花形外科部長の名前を消すことを病院側が渋っているのではないかと思った。10月になる前なのに、怖い主治医の宣伝をする次の病院のやり方を見ると、虫けらが通う病院でも、怖い主治医の名前を何とか残しておきたいと考えてもおかしくない。そういうことかな。さて、いつまで怖い主治医の画面を残しておくかを確認しなければ。来週もリハビリがある。チェックを忘れずにしよう。 確 認
2025.10.10
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2度目の退院からあすでひと月。左脚に全体重をかけてもいいという許可が出てから2週間になる。許可が出たのが金曜日で、金曜日と土曜日に動き過ぎて、日曜日には筋肉痛になっていた。しかし、翌月曜日は携帯電話の修理が完了(完了はしていない。中途半端だが、その修理専門店ではそこまでしかできない、という状態)したので、その引き取り(プラスデータ移行と設定)があり、病院にも用があって出向いた。夕方には店に行かねばならなかったので、歩きに歩いた。10,000歩超えである。途中、突然の雨に降られたのと、最終は荷物が多くて、タクシーを呼んだ。この2度のタクシー乗車がなければ、17,000歩ほどになったと思われる。よくもこれほど用件が重なったものだ。以後、夏の間にできなかった役所への申請や銀行及び郵便局での手続きなどを処理するため、日夜外出する日々である。この時期は、役所からの通知や納税通知書が届く。5月、9月、12月とその翌月は、税金絡みの書面が届き、それを処理する月。会社をやっていた頃の記憶が蘇って、実に苦々しい。今回は、実家の住民税納付書と健康保険の資格証明証が届いた。医療費の限度額超えの還付申請や怪我の装具の補助申請などがあり、しかも、亡き夫の叔父が亡くなったことで、相続の問題が出たらしく、夫の除籍票を送る必要があるなど、役所関係の作業が一気に重なった。役所に行き、書類を送付し、税金を払い込む。10月というのに30℃超えの中、えっちらおっちら歩く。まだ、以前のようにスムーズに歩けないので、歩幅が7割程度、速度も6割程度までと完全回復には程遠い状態である。そこで!片杖で歩くことにしたのだ。杖をついていると、多少ゆっくり歩いていても、歩幅が狭くても、鈍臭くても皆さんやさしくしてくれる。エレベーターに乗ると、「何階ですか?」と聞いてくれるし、正面から歩いてくる人も、「どうぞ」と道を譲ってくれる。もちろん、歩きすぎて脚が痛くなることもあるし、左脚に全体重かけるのが怖い時もある。何しろ、筋肉が随分落ちている。48kg程度だった体重が45kgまで落ちたのだが、ほとんどが脚周辺の筋肉だと思われる。えらいことである。しかし、今朝計ったら、46.7kgあった。左脚の太腿、ふくらはぎは7割程度筋肉が戻った。大変早い。筋肉がつきやすい体質でよかった(理学療法士さんも驚いていた)。ゆえに、杖を持たずに出たことを後悔しないように、片杖をついて歩くことにしたというわけだ。痛みや違和感は未だに消えていないが、傷は退院直後と比較すると随分落ち着いてきた。そこで…、傷跡を含めて左脚を披露するので、グロいのが嫌な方はスクロールしないように。まずは、手術前の【遺影 虫けらの左脚】。そして、現在の虫けらの左脚ひどいものである。傷跡もさることながら、まだ膝が腫れているし、足首のむくみも残っている。脛骨の左右にプレートが入っているのだが、ひざ下の膨らみ(出っ張り)となって、厳然と露出しているのである。きのう、郵便局で手続きした後、局員さんが、「どうなさったんですか? 脚」聞いてきたので、虫「骨折したんですが、それはさておき、 手術痕がまだ痛くて…」と答えたのだが、不思議そうというか、「ホンマかいな」という表情を見せたので、スラックスをめくって、虫「こんなんですわ」とやったら、「いやっ!」と声を漏らして目を丸くした。隣の窓口の局員さんも振り返って見たそうにしたので、虫「見ます? これ」と言って、再びスラックスをめくったら、「わっ!」と言って顔をしかめた。そんな顔をするなら、見なければいいのに。怖いもの見たさ、というわけか。虫けらは、これをあちらこちらでやっている。虫けらの顔が余りにも明るいので、相手が「うそぉ〜」のような表情をするのである。グロい手術痕と虫けらの表情のギャップに、皆驚くという寸法だ。きょうも杖をついて出かける予定だ。7/6の怪我以来、全くなかった外食の機会を得た。まだ会社員時代の虫けらを知る人が「快気祝いでもどう?」と誘ってくれたのだ。この人は、虫けらが会社をやめてから10年ほどのインターバルを経て再び会うようになり、12年前に店を開いてからは、年に3回ほど顔を出してくれている。折しも、骨折した週に会食の約束をしていた。それをリスケしたので、3ヵ月遅れの会食ということになる。酒を飲むことになるだろう。が、この脚が酔った後の歩行にどう影響するか、痛くて歩けなくなる可能性はないのか、いろいろ考えると、杖があった方が気丈夫だと考えた。歩いて行ける範囲での会食なので、余り心配はしていないのだが、ま、用心に越したことはない。というわけで、ちょっとグロい写真を披露して、ブログを終わろうと思う。相すみません。 反 省
2025.10.09
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整形外科の検査と診察のために病院に行った。放射線科でレントゲン撮影を済ませて整形外科の外来へ。以前にも書いたが、整形外科の外来と外科外来は同じ待合室。設置されているモニターには、各科の担当医師と診察室番号の欄があり、待ち患者の受付番号が表示される。最初に表示されるのが、外科の最初の診察室。金曜日は、怖い主治医の画面になる。椅子に着座して、何気なくモニターを見る。えええ???怖い主治医の画面が!!!虫「先生が来てるの?」小さな声が出たかもしれない。んなわけないのに。今週は、9月と10月が入り混じる週。この病院では、来週にならないと10月シフトにならないのだろう。放送業界の仕事を長くしていた虫けらは、4月1日と10月1日がある週は、前月の数日がこぼれていても、新番組に切り替わることが常識だった。だから、「まだ画面を変えてないの?」という疑問が浮かぶはずなのに。虫けらとしたことが。きのう、ブラウザのタブが多くなってきたので不要なものを閉じていっていた。いつ開いたのかわからないのだが、病院のHPのタブがあった。スクロールしていくと、怖い主治医のプロフィールと画像が登場するはずの部分が、違う医師に差し変わっていた。当たり前なのだが、少し寂しかった。虫「10月になったもんね」と改めて認識した。スマホのブラウザでも、タブを残していた記憶があった。確認したら、やはり、違う医師の画像が登場して、がっかりした。そのタブは、病院のサイトではなく、医療機関のPRをやっている企業がつくったサイトで(以前、怖い主治医の書いた原稿を虫けらが書き直したと、ここでも登場させたパンフレットの元になっているもの)、虫「こんなところにも既に連絡済みか」と、当たり前のことを寂しく思っていたのだ。ところが!待合室の画面には、まだ修正が加えられていない。2年以上見続けた画面である。ちょっと、うれしくなった。と同時に、『先生、いま、何をしていらっしゃいますか?』と感傷的に思ってみたりした。実は、虫「新天地では、PRパンフやホームページで、 『ご挨拶』『着任にあたって』なんていう コーナーに寄稿しないといけないんじゃないですか? 私、書きますよ」怖「頼もうかな。文案考えてくれる?」虫「箇条書きでいいので、先生の思いを書いてください」などという会話を入院中の病室でしていたのだ。きっと、そんな依頼はないだろう。しかし、そんな会話をしていたことは事実で、それも一つの思い出である。そんな、瑣末なことどもを思い出しながら、待合室を後にした。もう怖い主治医はここにはいない。病院が、空っぽの器のように思えた。病院に足を踏み入れるときの、緊張感というか、焦燥感というか、高揚感というか…よくわからない感情がわいたことを思い出し、そして、それが全くないことも実感しつつ、帰路についた。怖い主治医は、虫けらにとってよほど大きな存在だったのだなぁ。 虚 空
2025.10.03
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8月のお盆の検査結果について、まだ書いていなかった。その前の検査が4月。4ヵ月の間にどれだけ育ったか、を確認するために単純CT検査を受けた。まずは、毎回受ける血液検査の結果。これは、健康な人よりいいくらいの数値。基準値を外れていても、±1とか±2といった微妙なもので、気にする必要なし。腫瘍マーカーは、CEAが前回より少し高くなっていて、31.0だった。CA19-9は前回の3倍、256.8もあった。抗がん剤治療を停止したときは基準値内だったので、急速に上昇したことがわかる。が、どちらもがんの大きさや進行具合に直結するものではないので、あくまでも参考数値ではあるのだが。で、CT撮影の結果。怖い主治医は所見を述べなかった。見ればわかる進行具合だったからだ。こちらから、何らかの質問をすればそれには答えてくれたかもしれないが、こちらが質問しなかったので、マウスを操作して、転移のあるそれぞれの部位の断面画像を順番に見せてくれただけだった。⚫︎肺はもともと5つの固形癌があったが、一つだけ 突出して大きくなっていた。 小さな固形癌が増殖していた。⚫︎肝臓は、影のような画像なのだが、 濃く、大きく、存在感を増していた。⚫︎大動脈近くのリンパ節への転移が見つかった。上二つは虫けらの目にもはっきりわかったが、リンパ節は怖い主治医が怖「これがな…」と見せてくれた。これまで見たことのない画像だったので、虫「どこですか?」怖「大動脈の横」と。またえらいところに飛んでいったものだ。以前(前回検査の4月)、虫「死因としたら、肺ですか?」怖「そうやな」という話だったのだが、今回は虫「やはり肺ですか?」怖「肝臓かもしれん」と言われた。どちらで死ぬにしても苦しむのは一緒だが、消化器を悪くすると、食事や飲酒ができなくなる。つらいことである。画像を見たとき、『今年いっぱいを覚悟するか』と思った。多分、普通の生活が送れるのは3ヵ月程度だろう。徐々に症状が出始め、食事が摂れないとか、痛いとかの苦痛が襲ってくるのだろう。虫けらの場合、症状が出始めたら急速に悪化するように思う。根拠はない。が、画像を見たら、相当な状態だ。4ヵ月としては、進行が早いというのが率直な感想だ。しかし、いまなお食べ物はおいしいし、酒も飲めている。「しんどい」「つらい」といった状態にもなっていないし、夜もちゃんと眠れる。ゆえに、「あかん」となったら、早いように思うのだ。来月にならないと、診察がない。怖い主治医の勘違いか、作為的にかはわからないが、2ヵ月だった診察間隔が、今回は3ヵ月になっている。その際の検査も血液検査だけである。次にCTを撮ったときは、さらにひどい状態だろう。新しい主治医には、怖い主治医に聞けなかったことを聞いてみることにする。検査についても、要請してみる。別に、死にたいわけではない。延命のためのつらい治療は要らないと言っているだけで、いつ死んでも構わないし、検査も不要だ!と自暴自棄になっているのではなく、状態に合わせて対症療法はしてほしいのだ。というわけで、ひと月先までは自由の身なので、いつもどおりの生活をして、人と会ったり、そろそろ営業を再開したりしつつ、身辺整理を進めようと思う。しなければならないことはまだまだある。本腰を入れてやらねばならぬ。虫けらのがんたちは大変元気である。しかし、虫けらも元気である。最後に勝つのはがんたちだが、いまのところ、せめぎ合いには負けていないようだ。さて、きょうの夜ごはんは何にしよう。。 愁 傷
2025.10.02
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アクセス記録を見ていたら、昨年に書いたブログが読まれていて、何を書いたのかと読みに行ったら、怖い主治医が少し登場していた。そう。怖い主治医と出会ったときから「運命」という感覚を持っていた。そのときも、もちろんいまでも、その根拠はわかっていない。今回の入院で、怖い主治医が虫けらの病室を訪ねてくれたのは5回だった。そう聞くと、「えー、そんなに何度も?」と思われるかもしれない。が、それぞれに理由があって、1回目〜手術翌日。 この日は怖い主治医が休暇に入る前日で、 術後の様子見と、今回の入院日と重なったために延期した CVポート手術日のリスケの打ち合わせだった。2回目〜朝:手術日の日程調整前の打診と仮決定。3回目〜夕:手術日の決定。 昼間に怖い主治医と整形の担当医が手術室で会い、 虫けらの入院日程を聞いたり、朝に仮決定した 手術日に実施可能かを打ち合わせたらしい。4回目〜手術前日。同意書の取り付けと打ち合わせ。5回目〜手術後(怖い主治医の診察時間後)。 傷口のチェックと虫けらへの慰労。無理も無駄もない。怖い主治医はそういう人なのだ。しかし、3回目の病室訪問の帰り際だったか、怖「ここに来るのが楽しみなんや」と言いながら、部屋を出て行った。どんな理由かは言わなかったが、虫けらの部屋に来るのが嫌ではなかったようだ。虫けらも怖い主治医も、余り自分の話はしないのだが、ふと見た怖い主治医の手と虫けらの手に共通項があったので、虫「体質が似てるのかもしれませんね」怖「そうやな」虫「私、先生とは、前世でも何かの関係があったんじゃないかと 思っていました」怖「え?」虫「きょうだい(姉弟)だったのかも」怖「きょうだい? ちゃうやろ」虫「年齢的には私が姉ですけど、先生の方が上だった ように思います」怖「そうやろな」「そうやろな」の意味はわからないが、怖い主治医も「そんな気がしている、しかし、兄弟ではなく、違う関係だろう」ということかもしれない。前回の入院時に、優しく抱き締めてくれたという話を書いた。そのひと月後の外来診察のとき、怖「僕、9月で退職するんや」と聞かされ、虫けらはいつになく動揺した。その話になったとき、虫「あの日、自宅に帰って呆然としました」と、多分悲しそうな顔をして虫けらが言った。すると怖い主治医が大変申し訳なさそうな顔をした。そんな顔を見たのは初めてだった。いつもポーカーフェイスで、感情を表情に出さない人だし、声も冷静そのもので、口調もトーンも変えない(何度か、イラついたり、怒ったりしているような声を聞いたことはある。が、それは、虫けらがそう仕向けたとも言える。そのときとて、表情は変わらなかった)怖「ほんとは、あのとき(前回の入院時)それを言いに行ったんや。 でも、言えんかった」そう言ったときの怖い主治医の表情は、生涯忘れられないだろう。本当に気の毒そうに、憐れむように言い、哀れみの表情を浮かべる。なぜ言えなかったのか。それを言ったら虫けらが悲しむだろうと推察できたからに他ならない。その気持ちが「優しく抱き締める」という行動につながったのだと理解できた。しかし、なぜ虫けらが悲しむと思ったのか、ということは聞けなかった。ところが後に、何かの会話の中で、虫けらの気持ちの話になった。怖「(怖い主治医は虫けらに)嫌われてはいんやろうと思ってた」と言った。これは微妙な言い回しだ。人間の評価は、嫌いか、好きかの判断だけではない。大抵は、ほとんどの人に対して、どちらの感情も持っていない。多分、怖い主治医は虫けらが怖い主治医のことを好きだと思っていると感じていたのだろう。どこでそう思ったのかは謎だ。怖「さーけど、あなたはそういうことは言わん人やと 思った」これは、ふた通りの意味がある。⚫︎「そういうことは言わん人」だから、 そう言わなかった。⚫︎「そういうことは言わん人」なのに、 好きと言った。ということだ。もしかしたら、怖い主治医は虫けらが怖主治医が好きだと言ったと思ったのか。虫けらは言っていない。「好き」ではないからだ。そんな単純な言葉で表現できる気持ちではないと「怖い主治医と虫けら」に書いた。感情のみを表す短絡的な言葉に込められるような簡単な思いではないのだ。絶対に「好き」などとは口に出していない。しかし、虫けらの何らかの言動によって、怖い主治医はそう思ったのかもしれない。虫けら自身も最近まで、自分の気持ちが理解できていなかった。今回の入院以前に、中途半端な言動をしていたやもしれぬ。もしそうならば、大変申し訳ない。虫けらの性格についても、怖い主治医が分析してくれた。⚫︎大変真面目な人⚫︎男女のややこしいことと対極にある人⚫︎人に寄りかからない強い人⚫︎達観している人実に的を射ている。虫けらの実像と寸分違(たが)わない。よくも正確に見抜いてくれたものだと思う。やはり、運命の人だったのかもしれない(こらこら)。いや、冗談はさておき、怖い主治医は、長年臨床をやっているだけに人を見る目はすごいのかもしれない。聡明で、感性も経験も豊かな人だから、患者の性格や特性を見抜いてしまう。対して、虫けらの怖い主治医に対する理解は中途半端だ。半分以上は妄想だし、勝手につくりあげた人物像を都合のいいように理解しているだけだ。それでよかったのだ。自分の最期を看取ってくれる人が生々しい人間である必要はないのだから。常に虫けらはそういう認識で怖い主治医に接してきた。怖い主治医は虫けらの本質を見抜いていた。齟齬が起こってしかるべきである。怖い主治医が病室を訪ねてくれた間に交わした会話は大した量ではないが、何度も齟齬があるな、と感じた。それは、昨年⑥くらいまで書いたと思う「怖い主治医の謎の言葉の言葉の答え合わせ」でもわかるとおり、怖い主治医と虫けらの根本的な認識の違いが「謎」と「齟齬」を生み、ズレた理解の上に次の事実を重ねるから、余計に互いを理解困難な人間にしていたのかもしれない。しかし、虫けらにとって、怖い主治医の誤解は別に修正するべきものではないと考えた。間もなく虫けらの前から消える人である。怖い主治医にとっていいか悪いかはわからないが(もしかしたら、きちんと修正した方がよかったかもしれない。誤解が怖い主治医を苦しめたり、悩ませたりするものだったら申し訳ない。が、いまとなっては後の祭りである)、その誤解を認識したまま接し続けた。結果、それはそれでよかった。虫けらにとっては。大変優しくしてもらったし、怖い主治医の本当の姿が少しだけ見られらように思う。怖い主治医の言葉遣いも、友達にするそれのようにやわらかく、親しみのこもった、心地いいものだった。虫けらを見つめる視線や表情も、外来の診察室では見たことのない、とても優しくて温かかった。もしかしたら、ペットや小さな子供に対する慈しみの表情と同じかもしれないと思った。しかも、また抱き締めてもらった。大きく、深く。その気持ちよさは、最初のときと変わりなかった。これらを思い出しながら、一人ぼっちで死んでいこう。怖い主治医と会うことはもうない。怖い主治医の勤務最終日に虫けらは病院に行った。リハビリの指定日だったからだ。待合室にいるとき、怖い主治医の呼び込みのアナウンスを聞いた。あれが最後の怖い主治医との接点だった。あっけない別れの瞬間だったが、いつも人との別れはそんなものだった。長い人生で経験した、多くの別れの一つとなった。怖い主治医は虫けらに対して抱いていた感情を「好き」以外のものだったと理解してもらうべく、最後に部屋を訪ねてくれたとき、虫「先生には、最期を看取ってもらえると思っていました。 その心算(こころづもり)がかなわないから、 悲しんだんです」と伝えた。これで、少しは修正できたのではないかと思っている。運命だと思ったが、そうではなかった。もし、本当に運命だったのなら、再会のときが訪れるかもしれない。……ないない。怖い主治医のことを考えるとき、「ないない」と思ったことは、本当になかった。だから、「ないない」だろう。 臨 終
2025.09.28
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2014年からiPhoneを使っている。仕事柄、長年Macを使っているので、データのバックアップややり取りが楽だろうという理由。iPhone5を皮切りに、iPhone6、iPhone8と移行し、本業(元業)を休止してほぼ飲食業に専念し出したので新機能やカメラ性能にもこだわる必要がなくなったため、5年近く使って去年5月にiPhone13に機種変した。iPhone13は1年3ヵ月しか使っていなかったのに、入院中の8月に不調に見舞われた。YouTube視聴中、他の用事をしている間に電源が落ちた。しばらくして電源を入れようとしたら、全く電源が入らない。本体が熱くなっていることに気づく。これまでも、充電中に本体が熱くなり、画面を見ると、「充電を中断している」との表示。温度が下がったら、再開するというのだ。これが、バッテリーの問題か、本体に問題があるのかよく理解していなかった。バッテリーの問題なら、バッテリー交換で済む。ということで、修理専門ショップに持ち込む。バッテリーではなく、基板の問題だと告げられる。基板からデータを取り出し、基板を入れ替えれば、元に戻るとのこと。再び修理を依頼するが、修理期間は4週間ほど必要とか。3週間ほど経って、経過報告を求める。すると、基板は基板でも、電源系統の基板で、これは交換不可。が、データの取り出しと、新しい本体への移行が可能という連絡。つまり、iPhone13の復旧はかなわないということ。しかし、データが取り出せるなら、新しい本体を用意すれば、そこに移してやると。仕方ない。新しいiPhoneを購入する。iPhone14でも15でもよかったのだが、もう販売していない。iPhone16を購入する。しかし、iPhone13を廃棄してしまうのは忍びない。復旧の方法を考える。電源系統の基板を交換してくれる業者を見つけた。データの吸い出しと移行が必要なければ、さほど費用はかからないようだ。これができれば、iPhone13はサブ機として利用できる。今回のことで、サブ機の重要性が骨身に沁みた。できるだけメイン機に近い環境を保てば、故障時に今回ほど困ることはないだろう。それと、いつも使っているMacBook Airの買い替えも検討する必要がありそうだ。もう10年前のモデルなので、アプリのアップデートが追いつかないものがある。iPhoneと同期しておきたいデータがあっても、アプリのバージョンが違っていてどうにもならないことがある。夫が使っていたMacBook Airの方が新しいのだが、キーボードが海外仕様で使いづらい。贅沢は言ってられないので、そちらで何とかするか…。というように、スマホが壊れると、大変なことになる。費用をざっくり出してみるとiPhone13 100,000円修理1(調査費) 4,000円修理2(データ取出しと移行) 40,000円iPhone15 120,000円修理3(13復旧) 30,000円iPhone15備品 3,000円というところか。1年ちょっとでこれである。アップルの保証はないものか。1年以内ならあるのかもしれないが、ちょっとでも超えていれば難しいだろう。今回のことがあって、過去の修理履歴を調べてみた。iPhone5で2回(バッテリー交換)iPhone6で2回(バッテリー交換)iPhone8で1回(バッテリー交換)だった。バッテリーが膨張して交換したのは2回。あとは、消耗が激しくなったからというのと、もうバッテリー残量があるのに電源が落ちるというもの。いずれもバッテリーの問題だったので、今回もそうだと思っていた。が、本体とは。。最近の機種は、機能も性能も進化しているので、消費電力量も高いのだろう。しかし、それに見合った部品(性能)に進化できていないということか。アップル製品はデザイン性が高く、製品としての信頼性も高いと思われてきた。しかし、最近ではそうでもないように思う。中核の内部部品を日本製品から中国製品に変更してから、これが顕著になってきたという声がある。今回の故障を経験して、アップル神話はすでに崩壊しているのだろうと実感した。しかも、年末にはスマホ新法という日本政府のアホさが爆発している法律が施行される。EUが先導しているのだが、何も日本がこれに乗ることはない。この法律は、表向きは独占禁止法的要素があり、消費者がスマホを手に入れやすくするためというお題目があるが、裏では、アンドロイドの脆弱性をうやむやにするような、アップルの強さを破壊するような法律になっている。業界団体の陳情があったのだろう。金に弱い自由主義国家の政府が陥りやすい罠だ。いずれにしても、スマホ業界ではiPhoneが圧倒的優位だった時代が終わりを告げようとしているのではないか。アップルも、その時代の潮流に抗うことをやめてしまい、利益優先の経営戦略に走っている、というふうに思えて仕方ない。スティーブ・ジョブズが生きていてくれたら、と思わずにはいられないが、生きていたとて、この混沌の中ではどうにもできなかったのかもしれない。「混沌」の原因を考えなければならない。「グローバリズム」というものは、庶民には何ら利益をもたらさないということを強く自覚する必要があるのである。いま目覚めないと、日本は日本ではなくなる。もう遅いのかもしれないが。 混 沌
2025.09.23
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手術のために入院したことと、入院が短期間で済む(当初予定)ことがあり、今回の入院は個室を取った。大部屋(4人部屋)なら病室自体に料金がかからない。大部屋に入院したこともあるが、結構神経を使う。虫けらの父親は、十分成長したGを素手で掴み、潰すことができる大変サバイバルな人だったが、入院して大部屋に入ったとき、とても些細なことに神経を使う繊細な人間だったと知って驚いた。父「隣のジジイ、ゴロゴロうがいしたお茶を ゴックンしよるんや。気持ち悪い」こんなことを理由に、父「個室に移る!」と言い出した。勘弁してほしい、と思ったが、20年ほど前の話だったからか、田舎の県立病院だったからか、5,000円/日と安価だった。30日の入院だったので、15万円だったが、これは虫けらが負担した。父のつまらぬわがままのために、えらい出費になった。とはいえ、父は開腹手術をしたし、10日もの間、たくさんのカテーテルに繋がれていたためトイレにも行けなかったので、同室の人の迷惑を考えると、個室にしてよかったと、いまになって思う。今回の虫けらの手術は左脚にメスを入れる。1週間は固定装具で膝を固定するので、歩行時は車椅子が必須である。大部屋にも部屋の前にトイレがついているが、4人で一つのトイレ利用するので、車椅子で、しかも時間をかけての利用となると、少なからず他の同室者に迷惑をかけるし、車椅子で移動する自分にとっても負担になる。特に、痛みがひどい術後3日間は、動くのにも苦痛が伴うだろう。かといって、「最初の3日間だけ個室にして、あとは大部屋で」といった、フレキシブルな利用をしたくても、病院側の病床の都合がある。当初は、「1週間の入院」という話だったので、思い切って個室を取ることにしたのだ。料金は、15,000円/日。税込で16,500円である。これってどうだろう。インバウンドで旅行業界がおかしくなる前、大阪でビジネルホテルに宿泊しようとしたら、7,000〜9,000円くらいだったのではないだろうか。病室はビジネスホテルの部屋より広い。車椅子やストレッチャーが入れるドアと廊下の幅が必要だし、医療器具が入るスペースを取っておかねばならない。しかし、ベッドより奥には車椅子では入れないし、見舞客が来なければ、ソファセットも不要である。もっとコンパクトでもいいのだ。病室に置かれている家電製品は、テレビと小さな冷蔵庫だけである。湯沸かしポットやドライヤーはない。電灯は21時には強制的に消されてしまうし、テレビも基本的に21時までの視聴とされている。備品はない。あるのはゴミ箱のみ(大部屋なら、ゴミ箱すらない)。ビジネスホテルなら、バスルームにボディソープ、シャンプー・コンディショナー、歯磨きセット、アメニティーがあるし、バスタオルとフェイスタオルがある。場合によっては、バスローブや浴衣などもあろう。テッシュも使いたい放題だし、煎茶、コーヒー、飲み水などの無料サービスもある。病室のサニタリールームはというと、バスタブなしのシャワースペースのみ。洗面台は前時代的な小さなボウルで、顔が洗いにくい。ビジネスホテルよりすぐれている設備があるとすれば、頑丈な手すりくらいだろう。ビジホより狭いくらいのサニタリールーム毎朝、清掃に入ってくれるのだが、土日は来ない。シーツの交換も週に1回のみ。ゴミの回収も、ある程度溜まってから。ビジネスホテルなら、毎日、である。これで、16,500円とは、高くないだろうか。そんな価格の部屋があってもいいだろう。しかし、6,000円程度の部屋も用意しておいてほしい。若干狭くても、薄汚れていても構わない。病気やケガでそれどころではないだろうから。が、浮き世離れした医療の世界では、これが通用しない。需要があるから供給がある、といえばそれまでだが、入院するときは大抵緊急だし、個室料金が高いからといって、他の病院を探すとか、価格交渉をするといったシステムも余裕もない。しようがない(足元を見られている)のだ。1週間程度だと思っていた入院だったが、手術早々10日ほどになりそうだと判断し、胸のポート撤去の手術があったので、2週間を超えた。……大変な出費になった。最期は、緩和病棟に行くことになろう。ここでの費用だけは置いておねばならぬ。さて、あとどれくらいの命だろうか。懐と命の計算合わせが始まった。かくも悲しき貧乏人なり。 悲 哀
2025.09.21
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虫けらは、23年6月に人生初の手術を受けた。下行結腸を27cmも切除するというもの。近くにあるリンパ節も2つ取ったと後に怖い主治医から聞かされた。開腹手術ではなく、腹腔鏡手術であったのは幸いだが、結局は下腹に7〜8cmの幅でメスを入れているので、その部位の痛さは大概のものだった。手術前に脊髄近くに入れた硬膜外麻酔が効いている間は「イタタ」と言いながらも動けたのだが、4日後に麻酔のカテーテルを抜いた後は、動くことが難しいほど痛んだ。尿バッグは手術の翌日朝に抜けたのだが、点滴、硬膜外麻酔、心電計のケーブル、そして、体液や血液を外に出すためのドレーンと回収バッグが体についていたので、トイレに行くのが大変だった。虫けらは術後すぐに下痢に見舞われたので、手術翌日は30回/日トイレに行った。催したらすぐに、点滴スタンドに硬膜外麻酔とドレンの回収バッグを吊り下げ、トイレに急ぐ。大変な労力だった。何より、同室の方々にとっては大変迷惑だったろう。申し訳ない。しかも、消化器系の手術をすると、術後は3日間絶食、食事は重湯からという過酷なものである。このせいで、虫けらは4kg以上痩せた。もともと余力のない(脂肪が少ない)人間なので、絶食するとすぐに痩せる。一度痩せたら、なかなか戻せない。退院後も大変苦労した。怖「整形はええなぁ」今回(整形外科)の手術の翌日、既に手術着から自前のパジャマに着替え、心電計や点滴などが取れて通常の状態に戻っている虫けらを見て、怖い主治医が言った。怖「盲腸の手術でも、大変やもんなぁ」虫けらも、2年前の自身のことを思い出して、虫「そうですね」と答えたが、整形の手術は痛みとの戦いである。術後、施されたという神経ブロックはまだ十分に解けておらず、左脚の感覚は戻っていない。つま先を動かすも、意思どおりではなく、パコパコと大きく動く。しかし、痛みはある。かかとが痛い。膝から下がざっくり痛い。実際の痛みか、意識下の思い込みによるものかはわからないが、手で脚を持って動かしても、寝ていても、ずっと痛かった。本当の痛みは、神経ブロックが切れた後、思い知ることになるのだが。しかし、食事は術後すぐにできた。9時に手術室に行き、13時に病室に戻った。18時前の食事は普通食で、フルーツを残して平らげた。翌朝のパン食も完食した。食事をしないことには、元気が出ない。手術で消耗した体力やストレスは、栄養がないとどうにも回復しない。消化器系の病気とはここが違う。しかし、体を切り刻むというのは、大変な痛みとストレスを伴う。高齢者になると、痛みに対して鈍感になるし、自分でどうにかしたい、などと抗わないので、気が楽かもしれないが、虫けらは平常の自分とのギャップに苦しんだ。何でも一人でやることが当たり前の虫けらならではのストレスなのかもしれないが、トイレ一つ、自分で行かせてもらえないのだから、心が萎えるのも致し方ない。現在、手術から3週間と少し経過しているが、痛みは持続している。動かすと痛い部位があるが、何もせずとも痛い部位、触ると痛い部位、さまざまである。「慣れてきます」と担当医が言ったが、依然慣れない。虫けらは、痛みに強いのだが、痛みに敏感でもある。人一倍、痛みを感じるセンサーがよく働くのだ。ということは、痛みに強いのではなく、我慢強い、ということになるのか。術後3週間以上を経過しているのに、まだロキソニンを飲んでいる。1日3回だったのを、2回に減らされたが、どうしても夜中に痛くなったときのために、頓用の痛み止め(常用とは別系統)をもらった。夜中に痛みで起きることが未だにあるので、虫けらから申し出た。薬嫌いの虫けらにしては、珍しい話なのだが、術後の痛みは想像を絶するので、備えが必要だ。脛骨の左右に大きなプレートが入っていて、それと骨をつなぐビスが合計8本ほど打たれている。痛くないわけがない。皮膚は痺れていて、触ると痛い。表面が大変過敏になっているのがわかる。いつになったらこの痛みが和らぐのか。プレートの端はその存在が認知できるほど膨らんでいて、そこにいつも痛みが歴然とある。(画像を載せようと思ったが、グロ過ぎるのでやめた。もう少し傷が治ったら…)下腿が変形しているのを見るのは切ない。もう一度、在りし日の左脚をアップしよう。入院前日の遺影である。向かって右側が折れた左脚。膝が腫れ、全体が浮腫んでいるが、特に足首からつま先にかけてがひどいプレートは、1年ほどで撤去できるらしいが、虫けらの命はそれより短い。もう、元の脚に戻ることはできない。いろいろ考えると、手術してよかったのか、悪かったのかと思わないではないが、思っても仕方ない。とりあえず、何のために手術に望んだのかを考え、それに見合った結果を出さねばならぬ。気持ちを切り替えて、これまでの生活に早く戻りたいと願う虫けらであった。 苦 痛
2025.09.19
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左脚の手術から病室に戻り、夕食前にYouTubeを視聴したのを最後に電源が入らなくなった虫けらのスマホ。iPhone13だが、まだ1年と3ヵ月ほどしか使っていない。既に15が発売されていたが、店の経費で落としたいので(10万円を超えると5年の減価償却になる。5年先には確実に生きていない)、10万円以内で購入できる機種を探したら、13しかなかったというのが実情。サブ機はiPhone8。実に古い機種なのだが、SIMがNanoSIMであり、iPhone13と共通であることが幸いだった。入院期間は、1週間〜2週間と聞かされていたが、担当医との話し合いで、10日は超えると決定した週末、虫「週明けに1時間ほど外出したいんですが、 許可を出していただけますか?」担「え、どこに行くの?」虫「スマホが壊れまして、修理に時間がかかるので、 できるだけ早く出しておきたいなと」担「そう。いいですよ。看護師さんに伝えておきます」よかった。固定装具(ニーブレース)を装着することを条件に、1時間程度の外出を許可してくれた。行き帰りはタクシーを使う。ショップへは予約を入れて出向くことにする。看護師さんに、クリップをもらい、iPhone13のSIMを取り出してiPhone8に入れる。8の電話、ショートメッセージ、メールが使えるはずである。エロ男爵との連絡で使っているsignalの設定をしてみる。二段階認証が必要になったが、ショートメッセージで認証コードが届いた。電話とショートメッセージは開通した。あとはメールであるが、これは間違うとえらいことになる。何しろ、スマホが故障してから数日間、サーバーに溜まっているメールを一気におろしてくることになる。失敗すると、それらが消滅する可能性がある。メールサーバーはキャリア(au)にあるので、auの「My au」で、設定の仕方をチェックする。大体は把握できた。あとは、ショップで指導を受けながら、確実に開通させる。というわけで、スマホ救済の第一歩の段取りができた。手術後1週間足らずで外出し、その理由もスマホ修理、という情けない状況は、悲運の虫けらならではだと言えなくもないが、それにしてもハードな人生だと痛感する。家族がいたら……。と思わないでもないが、こんな些細なことはいいとしても、がんだとか、骨折だとか、入院だとか、手術だとかといった、心配と不安に包まれるであろうことを他人に背負わせずに済んでいることは、悲運とはいえラッキーなことだと思わずにいられない。かくして週明け。Uber(タクシー)を病院に呼び、修理専門ショップに出向く。無事、メールの開通を済ませ、iPhone13を修理に出して病院に戻る。iPhone8では、基本的な使い方は網羅できるのだが、●LINE●ネットバンク●生体認証がネックになった。生体認証は、Face IDからID Touchに設定し直せば、使えるようになるものがほとんどだが、端末を登録しているネットバンクはアウト、LINEもアウトだ。メールは全て下りてきたので、8から13に機種変してからのメールも8に吸収できた。しかし、ショートメッセージについては、13を使っていた間のメッセージは落とせない。いろいろ不便はあるのだが、ひと月ほどの辛抱と、余り考えないようにしている。スマホが壊れたときにいたく後悔したのがノーパソを持参しなかったことだ。荷物が重いという理由だったのだが、救急搬送以外の入院のときも、旅行のときも、必ず持参していたのに、今回、持参しない決断をした自分を激しく叱責した。パソコンがあれば、ネットバンクは何とかなった。これが一番の問題で、月末なので、家賃の支払いがあったのだ。これは、どうにもしようがないので、管理会社に連絡して事情を説明し、振り込みが遅れることを了承してもらった。12年以上、延滞したことのない店の家賃だし、人間的な付き合いがあるので、これで解決。あとは、翌月10日のカードの引き落としだ。10日までに退院して、口座に金を入れないと、厄介なことになる。引き落とし口座はあちこちで公開しているので、こちらには引き落とし金額しかお金を入れていない。メインの口座からちょこちょこ振り替える方式で、引き落としに対応している。カードの不正利用などがあっても、引き落としできないなら被害を防げるし、口座の乗っ取りに遭っても、金が入っていないなら、被害は少ない。というわけで、振替作業ができないので、口座残高が足りないのだ。引き落としまでに1週間以上ある。大丈夫だろう、と踏んでいたのだが、怖い主治医にお願いしていたCVポートの撤去手術の日程がまだ決まっていない。怖い主治医は虫けらの手術の翌日に病室に来てくれたが、その翌日から休暇に入ると告げた。次に出てくるのは週明け。つまり、スマホを修理専門店に持ち込んだ日には怖い主治医が出勤してきたはずだが、病室には現れなかった。整形の担当医に相談するようなことでもないので、とりあえず様子見をすることに。翌日、怖い主治医が病室に来てくれたのだが、退職の準備やら診察やらで、週内の手術は難しいという話になった。え、え、え、である。一応、週明け月曜日に仮で予約を入れたが、火曜日には術後2週間の整形の検査ががある(月曜の手術がないなら、次の外来時に検査することになるが、せっかくなら、と。その方が効率的なので、虫けらも了承)。ということは、早くても水曜日に退院、という段取りになる。こ、これは……。引き落とし日は、朝8時の時点で残高が足りないと銀行から「未済のお知らせ」が届く。つまり、前日までに金を入れておかないといけないのだ。カード会社に問い合わせるべく、電話番号を探す。カード会社のサイトを探ると、カードの裏に記載されている番号にかければいいことがわかる。(カード会社と提携している企業にかける場合もある)コールしたが、相手は音声ガイダンスである。こちらの状況にぴったりの項目がない。音声で「はい」「いいえ」と答える項目もあり、何度も答えながら、自分の目的の項目にたどり着く。0570発信である。幾らかかるのか気が気ではない。以前した、ちょっとした問い合わせに700円ほどかかった記憶がある。とりあえず、翌日、つまり11日の午後6時に再引き落としの手続きがあるので、それまでに入れておけばOKという結論を得た。ややこしい。結果的に、10日の退院となったので、退院して自宅に戻り、荷物を置いたらすぐにUbreタクシーを呼んで銀行に向かった。次の引き落としに今回の入院費の引き落としがあれば、ちょっとまとまった金額が必要になるので、引き落とし口座と違う銀行(三菱USJ)に行き、現金で引き出す。ATMでは扱えない金額なので、係員のいる窓口に案内される。ずっとネットバンキングだったので、久々の銀行に少し緊張した。住所変更もしていなかったので(ネットバンク登録時に、本人証明の条件が足りず、本人情報の変更ができなかった)それも併せてすることになり、印鑑や暗証番号といった、もう忘れかけているものを出しながら、アナログの作業をこなした。ふと考えると、三菱USJなど、虫けらがあずかり知らぬ銀行だ。虫けらの口座は三和銀行にあったのだ。口座をつくったのは、もう40年ほど前。暗証番号など、何世代も前のもので覚えていない。多分、途中で強制的に変えさせられたと記憶している。3回チャレンジしてようやく符合した。帯封のついた現金を携えて、引き落とし口座の銀行へ。さらに、店の家賃を振り込むために別の銀行に。ネットバンキングなら、引き落とし口座から振り込むのだが、手数料が安い家賃専用口座から振り込む。と、スマホが壊れただけで、入院生活が気が気ではなくなった。スマホにさまざまな機能を持たせている人は多いが、虫けらは怖くてできない。充電が切れたら……、ネットワークが遮断したら……、アプリに不具合が起こったら……、スマホが乗っ取られたら……、スマホを落としたら……、スマホが壊れたら……。考えられるだけでも、たくさんの危険が潜んでいる。悪い輩はどんどん新手の方法で攻撃してくるし、機械は壊れるものだ。今回も、サブ機を持っていたから、SIMがメイン機と共通だったから何とかなった。サブ機がなかったら…と考えるとゾッとする。便利と危険は裏表である。バックアップや非常時の対処法をよく考えておかないといけないと痛切に感じる虫けらであった。 戦 慄
2025.09.18
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手術を終え、動かぬ左脚を持て余しながら夕食を終えた刹那、発覚してしまったスマホの不調。それとは関係ないものの、病室に戻ってから37℃台だった体温が夕方には平熱近くまで落ちていたのに、夕食後はぐんぐん上昇し、ついに39℃目前となったとき、看「解熱剤、使いましょう」虫「いいです。必要があって上がっているんだから、 解熱剤で下げてもまた上がるでしょう」とは言ったのだが、点滴に強制的に解熱剤を入れられてしまった。解熱剤を使うのは何年ぶりだろう。多分、30年くらい使っていないと思う。前回は、打ち合わせかプレゼンがあり、どうしても熱を下げなければならないなどの切迫した事情があったと思う。病院のベッドで寝ているだけの状態で、わざわざ解熱剤を使う必要はない。何より、熱が下がるときの汗がいやなのだ。全身から吹き出る汗。やがて汗だくになって熱が下がる。平時ならタオルで体を拭き、パジャマを着替えてスッキリできるが、カテーテルやケーブルに囚われの身となっているので、それもできない。ささやかな抵抗はしたが、蟷螂の斧状態である。点滴に入れられた解熱剤はすぐに効果を発揮し始め、日付が変わる頃、熱が下がった。さて、スマホをどうするか。とりあえず朝まで待って、対処法を考えよう。夜中にできることは少ない。朝5時。メイン機のiPhone13を手に取り、強制終了や再起動を試みるが、全く反応がない。諦めてサブ機のiPhone8を起動して、状態を確かめる。電話、ショートメッセージ、メールは使えないが、通信関係は大丈夫。しかし、LINEはアウト。こちらで設定したとて、13と同じ環境にならないし、13上で復帰できるかどうか怪しくなる。触らぬに越したことはない。メッセンジャーは大丈夫のようだ。13と同じ内容が表示された。次に、修理専門ショップを検索する。これまで、歴代4台のiPhoneを修理してきた(全てバッテリー交換)ショップがあるのだが、この支店が近くにないか探す。あった。自宅からだと1kmくらいだが、病院からだとさらに遠い。しかし、それが最も近いショップだ。さて、動けない虫けらに代わって、ショップに持ち込んでくれるのは誰か。探さねばならない。平日。普通の勤め人は難しい。自由業か、勤務時間帯が通常ではない人間…ふと、天満のエロ男爵の顔が目の前に浮かんだ。「そうだ! とりあえず連絡してみよう」エロ男爵とは、いつもsignalを使って連絡を取り合っている。しかし、signalは再設定が必要なようで、しかも、二段階認証になっている。電話が使えないので、アウトだ。しかし、エロ男爵もiPhone利用者なので、FaceTimeが使える。5時50分頃になっていたが、コールしてみる。こんな時間に?と思われるだろうが、エロ男爵は6:00出勤という特殊な勤務体系で働いている。しかし、10分前となると、もう職場の配置についている頃か。10回コールすると切れる。諦めて、昼休憩時間と思われる時間単に掛け直すことにする。出ない。結局、勤務が終わり、家に到着した頃と思われる時間にようやく繋がった(5回目)。エ「はい」虫「虫けらです。突然すみません」エ「あー、着信の表示がおかしくて、誰かわからんかった」エロ男爵が登録している虫けらの名前が出るはずだが…。まぁいい。事情を説明する。エ「明日、仕事終わりにそっち行くわ」と、了承してくれた。よかった。こんなときに助けてくれる人こそ恩人である。何か御礼をせねば、と心に誓う。多分バッテリー交換で済むと信じて準備をする。ショップに予約を入れ、状態を説明しておく。スマホのパスコードや電話番号、メールアドレスなどを書き出しておく。パスコードは絶対必要だが、電話番号やメアドは、ショップに登録している利用者リストから虫けらを見つけやすくするためである。再利用の場合、割引などの特典があったはずだ。準備を整えて、エロ男爵の到着を待つ。バッテリー交換の費用は9600円、修理に要する時間は45分程度。やってきてくれたエロ男爵に伝え、ショップのマップを見せて送り出す。病室を出て15ほどしたら、FaceTimeが鳴る。虫けらの利用履歴に関するものだった。大した話ではないが、対処法をこちらから提案して、電話を切った。さらに15分ほどして再びFaceTimeが鳴る。エ「バッテリーじゃないようや。1時間半くらいかかるって」そんなに時間を要するのか、と平謝りに謝った。18時前にエロ男爵が病院に戻ってきた。エ「基板らしい。どうしますか? 言われたけど、 とりあえず、後で連絡する言うて出てきた」虫「どうしますか? っていうことは、 修理する方法があるってこと?」エ「わからん。雨雲が出てきたから、慌てて帰ってきたんや」な、なんと。。仕方ない。自転車で出向いてくれたので、天候優先になる気持ちはわかる。翌日、病院の公衆電話からショップに連絡した。基板の修理とデータの復元ができるらしい。しかし、3〜4週間を要するとのこと。修理ができるなら、出すしかない。が、退院してからになるだろう。時間がかかる……。ショップの店員さんには、スマホを再び持ち込むと告げ、電話を切った。ショップの電話は「070」発信だったが、250円ほど使った。2分ちょっとの通話だったと思う。高い!スマホ故障の全容ついては、さらに長い話になる。次回に分ける。 困 窮
2025.09.17
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「この先も、主治医は先生ですか?」「先生の患者でいていいですか?」「これからも主治医でいてくださいますか?」お盆真っ最中の外科の外来診察のとき、怖い主治医から《驚愕の話》をされたと書いた。「驚愕」などと言っているが、単純な話である。怖「僕、9月いっぱいで退職するんや」これである。怖い主治医が主治医になって2年と2ヵ月。昨年6月にがんの再発がわかって以来、三度にわたって冒頭の質問をしてきた。その都度、怖「はい」と答えていた主治医が、虫けらの前から消えるというのだ。これにはまいった。突然のこと過ぎてよい言葉が見つからず、虫「急な話ですね」となんとか返したが、怖い主治医の表情は動かなかった。多分、随分前から話があって、決定したのがここ2〜3ヵ月のことだったのではないか。虫けらが聞かされたのが遅かっただけだ。となると、ひと月前の病室でのやり取りのとき、既にこのことは決定していたのだろう。(この顛末は、後に知らされる)虫けらは、怖い主治医のことを一人ぼっちの虫けらの最期を看取ってくれる人と勝手に思っていた。そのことは、つい最近認識できた。つい最近とは、ひと月前の入院時である。わずかひと月の間の淡い願望に終わったわけだ。「退職」の話から、次の話へ話題が移り、一通り診察が終わったとき、虫けらは両手で顔を覆った。「どうしたらいい」という大きな難問が目の前を塞いだからだ。自分の今後、病気との向き合い方、具体的な生活のあれこれ……違う。心の置きどころがなくなってしまったのだ。死ぬまで、怖い主治医がそばにいてくれるものだと信じて(思い込んで)疑わなかったのに、これからの人生の根底が覆されたのだから。手を外し、顔を上げたとき、とても心配そうに虫けらを見る怖い主治医と目が合った。虫「私の心算(こころづもり)が…」と、小さな声で呟いて、言葉を切った。背筋をシャキッとさせて、虫「月末のポートの手術、よろしくお願いします」と言って、診察に区切りをつけた。診察室を出るときは、怖い主治医は引き続き心配そうな表情を見せていたが、虫けらは笑っていた。そうするよりなかった。本当は、新しい主治医のことや、次の診察日を予約するといった実務的な話があったが、そんなところまで神経が回らなかった。とにかく診察室を出たかった。虫けらは、幼少のころから想像を絶するような体験をしてきたせいで、感情を表に出さない癖がついている。感情を大きく揺さぶることであればあるほど極めて冷静な表情と口調で対応する。しかし今回は、表情に出ていたと思う。言葉に詰まって窮したとき、怖い主治医が気持ちを確かめるように虫けらの目を見ていたのを覚えている。待合室でぼぉっとしながら虚空を見つめていると、冒頭のやり取りが脳裏に蘇った。がんの再発がわかったとき、治療を決めるとき、1年前の入院時。1年前の入院時には、このことを予感したかのような会話をした。虫「この病院に来られて10年近くになりますよね。 転勤や昇進があるんじゃないですか?」怖「どうやろね。どんなパターンがあるやろ」虫「別の病院に院長として引き抜かれるとか」怖「ないない」虫「じゃ、ここの院長」怖「判子つく仕事か」虫「先生はそういうタイプじゃないですよね」怖「いや、別に判子人生でもいいよ」虫「先生がよくても、患者さんが許さないでしょう?」怖「そう言ってもらうのはうれしいけどね。 医者としては、そう言ってもらえるうちが花やね」などと明るく話していた。虫けらの勘は鋭いのかもしれない。1年後、そのとおりになった。虫けらの人生は過酷である。「運命の人」などと思ったのが、大変おめでたいことだと今更ながらに思い知った。虫けらの人生に、「幸」「安寧」「安住」などという言葉は無縁なのだ。最期くらい、そうした要素を添えてくれてもいいではないか。しかし、そうはいかないのが、虫けらの今生である。 絶 望
2025.09.16
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朝9時。飲まず食わずの状態で手術室に向かう。手術室には既にDr.Iがスタンバッてくれていた。虫「おはようございます。よろしくお願いします」Dr.I「おはようございます。体調いかがですか?」虫「万全です」朝9時にここに準備完了状態でいるということは、遅くても8時には出勤しているのだろう。前日は、禁酒して早寝するのが必須。大変な仕事である。酒飲みにはできない仕事だ。もちろん、毎日のことではあるまい。が、週に2〜3日だとしても、虫けらには苦痛である。とはいえ、虫けらとて若いときは過酷な労働に耐えたものだ。接待をこなした後午前様となって自宅に戻り、入浴と翌日の支度をして就寝。翌朝6時のロケ地での集合に間に合わせるように5時に車を出したり、26時終了という香盤表(自作)で撮影を進め、結局28時終了となったのだが(予定通り)、「監督、飲みに連れてってや」というカメラマンの要求を聞き入れてスタッフ全員でおでん屋に行き、6時過ぎまで飲み食いした後、カメラマンは次の撮影現場へ、虫けらはスタッフを数人送って8時ごろ自宅へ戻り、シャワーからの9時に出勤してそのまま終日就業、プレゼンのための企画書を徹夜でつくり、始発から2本目(始発はとにかく混むので、2本目を取るのが慣例)の新幹線に飛び乗って東京に行き、丸の内で朝一のプレゼンに望む、なんてことも平気でこなしていた。しかし、現在の自分を省みると、もうそんな無理はできないと思う。と言いながら、こういう成功体験を持つ人間は、自分に限界を置かないので、無理をしなければならない場面では、超人的な働きをするものだ。が、以前とは体が違う。無理は無理だろう。無理をしなければならない場面がないことを願うのみである。そんなことを考えながら、麻酔が即座に効いて手術室に入室して、多分10分ほどで意識がなくなった。次に目覚めたのは病室。13時頃だった。手術は2時間ほどと聞いていたので、目覚めたのが4時間後であることに不安感がわいた。虫「手術は1.5〜2時間と聞いていましたが、 もっとかかったんですか?」病室にいた看護師さんに聞いた。看「手術前後の時間があるし、 麻酔が解けるのにも少し時間がかかるので、 こんなもんだと思いますよ」虫「そうですか」手術に難航したということではなさそうなので、心配はしないことにした。胸には心電計がつなるケーブルが3本、左腕には点滴、右腕には血圧計の腕帯、人差し指に酸素濃度計がはまっている。尿道にはカテーテルが入っていて、尿バッグに尿が流れ込む状態。手術後、こういう状態になるのが嫌だ。全く動けない。ここで便意を催したらどうしたらいいのだ。消化器や長時間の観察が必要な手術後なら、オムツをしているのだが、今回はすぐに食事もできる状態に回復するため、オムツはつけていない。しかし、催すときには催すもので、手術前にトイレに行けなかった虫けらは不安でしかなかった。虫けらは30過ぎから下痢症体質になってしまった。下痢は時と場所を選ばない。こういうときに便秘症ならよかったのに、と思わずにいられない。左脚は、痛みは感じるのだが、全く動かない。膝上から爪先まで、神経が生きていない状態だ。眠りたいのだが、最初は10分ごと、1時間後からは1時間ごとに血圧計が作動するので、その音と腕の圧迫感で眠れたものではない。眠るのを諦めて、15時過ぎからスマホでYouTubeを観ることにした。看護師さんにスマホを取ってもらい、イヤホンを耳につけて朝にライブをやっていた番組のアーカイブを観ていたら、外が慌ただしくなってきた。夕食の時間である。足は痛いし、腕には血圧計の腕帯、人差し指には酸素濃度計がついている。点滴も心電計も尿バッグもそのままで、夕食を食べろというのだ。看護師さんがテーブルに食事ののったトレイを置く。看「テーブル、そちらに向けます?」と言いながら、勝手にテーブルの高さを変える。虫「いえ、そのままで」細かい指示を出すのが苦手は虫けらは、自分でやることを覚悟して看護師の動きを制する。全く動かない左脚のみならず、カテーテルやケーブルで囚われの身となった虫けらは、動けるだけ動いて、テーブルの高さを元に戻し、箸箱を手にとって、食事を食べようとする。しかし!右手の人差し指についてる心電計をどうしろというのだ。箸が持てない。しかし、外すと「ピーーー」という警告音が鳴る。仕方なく、小指に付け替えて食事を始める。「そんなときに卑しい」と言われるかもしれないが、前回の退院後ひと月余りで3kg近く落ちてしまった体重をこれ以上落としてはいけない、という強迫観念に駆られた虫けらにとって、食事の中身や味は意識のほか。食べるしかない、と思っていたのだ。食事を終え、再びYouTubeを見ようとしたが、スマホの電源が落ちているようだ。虫「え? さっき、電源切ったっけ?」電源を入れようとするが、何をどうしても画面が暗いままだ。強制終了など、電源に関係する方法を試みるが、一切反応がない。本体がちょっと熱いと思った。水のペットボトルをスマホの背面に転がしたり、ベッドの寝具の冷たいところにこすったりして本体を冷やそうとする。虫「少し置いておくか」嫌な予感を抱きながらも、どうしようもないと諦め、枕の下にスマホを押し込む。30分ほどしてスマホを取り出すも、さっきより熱くなっている。これはまずい。バッテリーが過熱した場合、充電を止めるなどの自己防衛策を取るのだが、電源が入っていないのに過熱するのはこの不具合の原因がバッテリーではない可能性が浮上してしまう。バッテリーではないとしたら、本体…基板…その他の重要部位……。やめてくれーーーー。この状態でスマホを失うと、万事休すだ。リュックの重さが原因で、ノーパソを持参していない。外部との通信手段はスマホが全てなのだ。サブ機は2台あるが、SIMが有効なのはメイン機のみ。Wi-Fiがあれば、サブ機でも通信できるのだが、電話やメールは不可、SNSアプリも使えないものが多い(他の端末で使っていた場合、再設定が必要で、二段階認証など、電話やメール機能がないと使える状態にならないという場合がある)。YouTubeを観ることは辛うじてできるのだが、観る気にはならない。もしサブ機もお釈迦になれば…と考えると、無理に使わずに、温存することを選ぶしかない。動かない左脚、たくさんのケーブルやカテーテルで囚われの身となった虫けらは、メインのスマホを失うという悲運に見舞われ、絶望の淵に叩き込まれたのであった。 悲 愴
2025.09.15
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8月も残りあとわずかという月曜日の朝、前回の退院から6週間弱のインターバルを置いて再び入院するためにUber(タクシー)を呼ぶ。背中には荷物を詰めたリュック、左脚にはニーブレース(固定装具)、両手には杖を持って自宅を出た。リュックニーブレースクラッチ杖リュックは30Lの容量があるが、バスタオルやパジャマ、下着などでパンパン。大変な重量だ(7〜8kg)。ニーブレースは、その時点では必要ないが、手術後の数日間必要になるので持参すればよいのだが、残念ながらリュックには入らないので、脚に装着。さらに両手で杖をつくと、「何者だ!」と驚かれるような出で立ちとなった。入院予定は1週間。手術痕の状態やリハビリの状況によっては2週間。それが整形外科の担当医から聞かされた入院期間。随分幅がある。虫けらの心算(こころづもり)では、10日と見ている。手術は入院日翌日。1週間を置いて術後の状態を図る。即退院とはならない。翌日か、担当医の予定によっては1〜2日ずれる。最短10日だという結論。それを見越しての持参品。●タオル 術後のベッドに敷くための大判バスタオル 洗髪やシャワーに必要なミニバスタオル 洗顔時に使うふわふわのフェイスタオル 何にでも使えるフェイスタオル×2 身の回りで使うハンドタオル●パジャマ 2着(洗濯を考えても考えなくても) パジャマ下に着るタンクトップ×2 リハビリの時などに着るTシャツ×2●下着・靴下 ショーツ×5(洗濯してもしなくても) 靴下×3(履く機会は少ないが、退院時には必要) 弾性靴下(手術時着用。以前使用したもの)●グルーミング 歯磨きセット シャンプー・リンス/ヘアケア用品・ブラシ スキンケア用品 マウスウォッシュ 爪切りセット マスク ティッシュ●モバイル スマートホン 予備スマホ×2 イヤホン×2 充電ケーブル(ライトニング、USB/C)●その他 アイスバッグ(氷嚢) タンブラー×2 ストロー(術後、寝たまま給水するため)必要最低限だったと思う。ストロー以外、使わなかったものはなかった。足りないものは…一つだけあったが、後述するとして。これまでの入院、通院で付与された書類などのファイル、筆記具、財布、ハンドグリップ(握力維持用)を加えて全ての品々をリュックに詰め込むと、体重47kgの人間にはちと重い重量になった。キャリーバッグが使えないのが痛い。負傷した日の1週間後に予定していた旅行のために購入した新しいキャリーバッグがあるのに……。Uberタクシーの運転手さんには大変心配された。「どういう客だ!」と驚いたことだろう。リュックを見ると、旅行か出張だろうが、脚には仰々しいものを着けているし、両手には杖。旅行などという呑気な話ではないはずだが、入院なら、付き添いの一人もいるだろう。とにかく無理に無理を重ねたような姿だ。という状態での再入院だった。一人で生きるというのは、こういうことだ。平常時は問題ないが、非常時には大変無理な状況になる。が、虫けらはずっとこういう人生だった。自分一人で何とかしてきた。自分の姿を俯瞰で眺めながら、「死ぬまでこういう人生なんだ」と改めて思う虫けらであった。 悲 哀
2025.09.14
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退院して二日。退院日は自宅に戻ってすぐにUber(タクシー)を呼んで銀行に出向き、合計3行回って各種手続きを済ませ、ようやく落ち着いたのが13時前。リビングの定番の席に座り(ケガをして以来、余り座れていなかった)、大好きなサッポロビールで祝杯を上げ、窓からの景色は最高!黒ラベルも赤星も大好き。入院中使えなかったPCを開けてさまざまなチェックを済ませたのが15時くらい。左脚の違和感に気づいて例のマッサージチェアに寝転んだが、むくみの酷さと手術跡の痛み、左下腿全体のヒリヒリ感に嫌な感じを受けた。病院では、ベッドの脚の部分を上げてむくまないようにしていたし、一日の大半を寝転んで過ごしていたので、5時間も外を歩いたり(杖あり)、椅子に座って過ごしたりしたことの弊害はある程度の予想はできたのだが、やらなければならないことはとにかく先に処理したい、というわけで、ちょっと無理をした。詳しくは後日記すつもりだが、退院日は運命の分かれ目の一日だった。ひどくむくみ、熱を持ち、絶えず痛みを発する左脚をできるだけ高く上げながら、手術をしたことが良かったのか悪かったのか……と考えずにはいられなかった。その上、である。退院2日前に、右胸に入っていたCVポートの撤去手術を受けた。その傷跡も、それなりに痛む。1日3回の鎮痛剤(ロキソプロフェン)服用によって、左脚以外の痛みも常に鈍化するのでさほど痛みは感じないのだが、何かに当たったり、間違って触れたら痛い。しかも、退院日の夕方近くからは熱発し、翌日、翌々日の午前中まで熱が下がらなかった。とはいえ、最高でも37.9℃なので、通常の虫けらにとっては、微熱の域を超えないのだが、今回は、いつになくしんどかった。環境の変化によるストレスが原因だろうと思うが、食欲が全くわかないのが気に食わない。いつもなら、38℃以上あっても平常運転ができるのに、39℃を超えたかのような食欲不振と倦怠感。せっかく、落ちた体重を入院中に少し回復させたのに、これではまた落ちてしまう。何かを食べねば…と思うのだが、冷蔵庫から食材を取り出しては仕舞うということの繰り返し。結局、アーモンドとクッキータイプの栄養調整食品、干し芋しか食べられなかった。「また痩せてしまう」という恐怖が襲う中、睡眠だけは十分取りたいと発奮し、ケガ以来使っていなかった2階の寝床で寝ることにした。これは大変な決意だった。まだ杖生活ゆえ、トイレなどの用があって動こうとすると、階段の昇り降りが必須なのだ。慌てて階段から落ちたりすると、また緊急入院になりかねない。救急車を要請できるならまだいい、打ち所が悪ければ、そのまま孤独死…も考えられるのだ。が、2階に上がった21時から翌朝6時まで2度ほど目覚めて、寝落ちしてしまったために観られなかった有料チャンネルを見直したりした以外、1階に降りることも、不自由な脚を苦にする作業をすることもなく、よく眠れた。朝はまだ体温が高かったが、昼過ぎには平熱に落ちた。これを書くうちに退院三日目になった。きのうはネットスーパーで食料品を購入した。Amazonを経由すると、初回20%OFFのクーポンがあったのと、前回の退院から1ヵ月半もの間、備蓄食材で何とか食いつないできたものの、もうそれでは賄い切れないと判断したためだ。8,000円以上購入すれば、配送料が無料になるとのことで、買い物かごにめぼしい商品を入れていくと、すぐに到達した。ここから20%OFFされ、さらに欠品があり、代替品がなければその分がマイナスされるので(オーダーした『カツオのたたき』が欠品。残念だが、致し方ない)、6,000円ちょっとの買い物になった。ちょうどいい感じ。しかし、実際にスーパーで買い物するよりかなり割高になっているし(単に値上がりしているのかもしれない)、セール商品が少ない。やはり、店頭に出向くのが一番だと実感。そんなこんなの二日間。きょうは、やることが少しあるので、睡眠と食事、入浴の時間を調整しつつ、健やかに過ごしたいと思う。と言いながら、「健やか」などという言葉とは無縁な人生を送ってきた虫けらのこと、あすになったら、また違ったアクシデントに見舞われているのだろう。入院中のあれこれは、一気にアップしたい。少々お待ちを。 愚 者
2025.09.13
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あす、入院する。左脚の骨折部を手術するためである。救急隊、救急医、怖い主治医が「どうやって骨折した?」と疑問と驚きの表情を隠さずに聞くほど、外傷がなかった左脚だが、いよいよ手術のために傷がつく。というわけで、ここに遺影を掲げておくことにする。ここひと月以上、ベッドとなっていたマッサージチェアの上。派手な布はタオルケット代わりのバスタオルこうして並べて見ると、違いは歴然。向かって右側が折れた左脚。膝頭と膝周辺が腫れているのは、水が溜まっているからとのこと(リハビリの理学療法士談)。ひと月以上歩いていないので、ふくらはぎがしぼんでしまっている。全体に浮腫んでいるのだが、足首から爪先にかけてが顕著。足首は、歩いていないことによる緩みもあるか。膝もよく曲がるし、股間節や膝の可動域もほぼ戻っている。とはいえ、膝の曲がりは水のせいで9割ほど。それでも、脚を組んだり、体育座りするのは大丈夫。あとは歩く訓練をするまでになれば……、というところなのだが、それまでにまだ時間がかかるらしい。その時間を縮めるために受けるのが、今回の手術。「髄内釘(ずいないてい)」という、脛骨の中心に金属を入れ、それに向かってビスを刺して固定する方法と、プレートとビスで固定する方法のどちらかを採用するとのこと。担当医の「開けてみないとわからない」という不安定な発言に抵抗することもできず、とりあえず任せるしかないのかと諦念している。体に傷をつけるのは本意ではない。しかも、残りわずかな時間なのに、ここへ来て手術とは……と、やりきれない思いなのだが、人生何事も経験、と思うことにする。ま、もう新しい経験は必要ないのだが。これは、怖い主治医の驚くほどの心配ぶりと、CT画像(がんの)を見た虫けらが下した判断である。誰の責任でもない。両手が使えないので、リュックを購入した。まだ使っていないキャリーバッグ(ケガの1週間後に予定していた旅行をキャンセルしたゆえ)は杖をついているから使えない。悔しい。30L入る。サイドのファスナーを開けると、37Lに拡張リュックに、病院から指示されたものどもと、タオル、パジャマ、下着、グルーミング用品を入れたら、10kgほどあるのではないかという重さになった。杖をつきながら背負って歩くのは大変である。よって、ノーパソを持参するのは諦めた。死後の処理リストを仕上げようと思っていたのに……、仕方ない。昨日、店のお客さんが自宅に遊びに来てくれた。リュックの左サイドにペットボトル用のポケットがあるのだが、そこにハンドグリップをねじ込んでくれた。せっかくなので、入院中は握力の維持に努めよう。ケガをしてから体重が減った。2kg以上3kg以下というところで、筋肉が落ちたことと、脂肪も一緒に落ちたことが原因のようだ。タニタの体組成計で計測すると、内臓脂肪レベルが4から2になっていた。体脂肪率も10%ほど落ちている。このままカヘキシアに移行しないように注意せねば。とりあえず1週間程度、上げ膳据え膳の生活を満喫する。手術による体力消耗も覚悟しないといけないが、余り深く考えずに、状況の好転を願って担当医先生様にお任せしよう。今夜は、傷のないきれいな脚を存分に撫でておくとする。そして、感謝を述べておこう。長い間、ありがとう。あとちょっとの間、よろしくお願いします。 寂 寥
2025.08.24
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虫けらは、7月最初の日曜日に負傷した。自転車での転倒事故が原因。自転車の前カゴに入れたバッグを探っているとき右側から来た自転車を咄嗟に避けて左にハンドルを切ったことからバランスを崩して転倒。受け身の完璧な虫けららしく、転倒自体での負傷は皆無だったのだが、転倒した左脚の上に、安物の自転車が落ちてきた。大変重い虫けらの自転車(鉄製)が左脚膝下の、筋肉も脂肪もついていない骨ばった部位を直撃した。すぐに骨折だとわかったが、その場で救急車を呼ぶと、この自転車はどうなるのだ?入院に必要な携帯充電器やタオル等々は?とりあえず家に帰ろう。サドルを下げて自転車にまたがる。片足で自転車をこいで自宅に戻る。救急車を呼ぶしかないのだが、夜中のサイレンは近所迷惑だ。朝はエレベーターが混むのに、救急隊が占領してしまう。昼はランチを食べてもらわないと(救急隊と病院のスタッフ)。13時に救急要請した。病院の救急外来では、一通りの検査をし、入院が決定した。整形外科の担当医が救急外来に降りて来てくれ、ケガの状態を説明してくれた。担「手術をするのが主流です。その方が 歩けるようになるまでの期間が短いです」虫「手術なしで治したいんですが」虫けらの残りの時間を考えると、手術をするのがもったいないと思えたのだ。何年も生きるのなら、患部を頑丈に修復する必要があるが、あと僅かな時間のために、プレートを入れたりするのがどうにもやり過ぎだと考えたというわけだ。担当医からの手術の勧めはあと2回はあった。入院病棟に最初に来てくれたときと、1週間後の検査結果を受けてのとき。それ以外にも、ことあるごとに担「ズレたら手術ですよ」と脅されていた。が、虫けらは、虫「ズレないように頑張ります」と、手術回避の申し出を貫いた。ところがである。退院からひと月、左脚に負担がかからぬよう慎重には慎重を重ねて過ごしてきた先週、怖い主治医の診察があった。2ヵ月ぶりの診察である。診察室に入ったときの、怖い主治医の表情が忘れられない。いつもは、体はモニターに向かっていて、入室した虫けらを顔のみで振り返り虫「お願いします」怖「はい」という無味乾燥なやり取りをすることが通例だったのに、今回は、全身がドアに向いていて、常にポーカーフェースの冷静なその顔に驚くほど心配そうな表情を浮かべている。診察室でこんな顔をした怖い主治医は見たことがなかった。怖「大変やな」虫「大変です」と、いつもにない状況に動揺した虫けらは、意味のない返しをしながら丸椅子に腰掛けた。こんなにはっきりと感情を出した怖い主治医を見たことがなかった。それゆえ、怖い主治医への対峙の仕方を決めあぐねた。怖「どんどん見えるようになってるね」レントゲン画像を見たのだろう。しかも、最初から6回ほど撮影している画像すべてを見ていると思われる。「見えるようになっている」というのは、折れた患部の亀裂のことで、回を重ねるごとにはっきりと目視できるようになってきている。(担当医からは、骨を修復する段階で、亀裂が鮮明になるとの説明があった)怖「手術せんで大丈夫なん?」と、本当に心配そうな目で虫けらを見る。そんな目で見られたら、これまで頑なに手術回避を言い張ってきた虫けらの心が折れるではないか。本来の虫けらなら、人の意見になどでは絶対折れはしないのだが、怖い主治医の目だけは、虫けらの心を揺るがす。虫「週明け、先生に相談します」となってしまった。週明け。担当医が事前に撮影した虫けらのレントゲン画像を見ながら担「ズレはしてないね。このままいきますか」いつもどおりの表情で、虫けらを見る。虫「先生、手術をするとなったら…」と手術の話を始める。担当医が驚きの表情に変わる。あれほど頑なに手術を拒否した虫けらの口から手術を匂わす話が出たことが、非常に意外だったのだろう。この時点から手術をする場合としない場合の回復のスケジュールを簡単に説明してくれる。虫「本当なら、このままいきたいんですが、 がんの状態がよくないんです。 あんまり時間がないので、このままゆっくり回復を 待っていられないなと……」担「あー……」担当医が表情を曇らせて、言葉を飲み込む。虫「◯◯先生(怖い主治医)がすごく心配してくださるので、 週明けに相談しますって」担「◯◯先生、心配されてたよー」またか。怖い主治医は担当医に虫けらの状態を問い合わせていたようだ。担当医が気づくほど「心配」の気配を言葉に漂わせていたのか。「心配していた」という言葉、何度聞いただろう。治療室の看護師、薬剤師、処置室の看護師、そして、他の担当医。きっと、他にも怖い主治医から問い合わせを受けた関係者はいるだろう。胃カメラの検査をしてくれた医師や(検査の前に怖い主治医と虫けらの間にちょっと特殊なやり取りがあった)他の検査担当の技師や医師、リハビリの理学療法士など、虫けらに関わってくれた人に虫けらの状態を細かく聞いてくれているのかもしれない。以前、怖い主治医は何でも知っていると書いた。怖い主治医は、そういうスタイルなのだろう。担当している患者のことを把握するための努力を惜しまず、細かな気遣いをする人なのだ。大変だと思う。虫けらのようなわがままな患者もいるし、心を開かない患者もいるに違いない。人間に対峙する職業は神経をすり減らす。というわけで、虫けらは怖い主治医の心配そうな顔に負けて手術を自ら申し入れ、担当医によって受諾された。手術は来週。入院となると、カバンから買い揃えなければならない。杖のために両手が使えない状況と、虫けらのいまの状態に対応するために今週は、アマゾンと楽天でグッズをポチる日々である。手術か……。嫌なことに、怖い主治医にやってもらう手筈だった胸の「CVポート」の撤去手術がリスケされた。前回の怖い主治医の診察時に決めていた日程が、入院日と重なったからだ。担当医がその場で怖い主治医に院内電話をかけてくれ、担「こっちのスケジュールに合わせるっておっしゃってます」と虫けらに伝えてくれたのだが、リスケされたことで、怖い主治医から別の医師にチェンジされはしないかと不安で仕方ない。この手術だけは、怖い主治医にやってもらいたい。設置手術をやってもらえなかったという小さな恨みを晴らすという意味もあるのだが、その手術が、怖い主治医に会える最後の機会になるだろと虫けらには理解できているのだ。いつになるのだろう。入院している間に、怖い主治医に会うことができるだろうか。難しい気がする。来週は、怖い主治医が休暇を取る(「盆休み」と勝手に思っていたが、違う用件があるような…)と聞いていた。怖い主治医と入れ替わりに虫けらは退院となる。間が悪い虫けらの真骨頂発揮か。こんなときに……。 悲 運
2025.08.20
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タイトルがおかしい。二人を並列に語るわけではない。怖い主治医が主人公で虫けらは添え物、という扱いで語りたいわけでもない。怖い主治医 vs 虫けら という位置付けでもなく、怖い主治医 and 虫けら というイメージでもない。虫けらが怖い主治医をどう考え、どう接しようとしたのか、いや、どういう関係を求めたのか…、違う。怖い主治医をどのように虫けらの心の中に置いていたのか…、そんな感じか。つまり、得手勝手な話なのである。怖い主治医にとっては、かなり迷惑な話であることは間違いない。しかし、虫けらは、自分の中に置いているイメージをこうあってほしいと怖い主治医に押し付けるわけでも、無理やりイメージに当てはめようとするわけでもない。いわば、妄想なのである。前提として、虫けらはの人生は常に孤独であった。どんなことでも自分で決め、自分で実行し、自分で処理し、完結してきた。それは、小学2年生のときに体得した「楽に生きる方法」だったのだ。人に頼ったり、求めたり、期待したりすると、必ず痛い目に合うことを知った。いつも己の力のみで生きることが最も楽であることに気づいたのだ。それは、親といても、夫といても同じ。気軽に人に頼り、何かを求め、期待して言動を発すると、裏切りに合ったり、目的を達成できなかったりして、落胆することになるのがわかっていたのだ。人の力量は、こちらが思うほど大きくない。期待するのは無駄だと、8歳のときからずっと変わらず思い続けている。母方の祖母に始まり、自分の両親、夫の両親、そして夫の面倒を見た。多分、大抵の人よりやったことは多く、広く、深かったと思う。もちろん、十分だとは言わない。しかし、長年の経験や見聞を駆使してやれることはやったように思う。幸い、体力もあり、身体能力も高い方だったし、ストイックな生き方のせいで精神力も人並み以上だったので、過労で倒れたり、弱音を吐いたり、精神を病んだりは一切なかった。夫の生きた証のほとんどのものや事柄を処理し、ようやく自分一人の人生に戻った2年前、病気が発覚した。そこで出会ったのが怖い主治医である。虫けらが「怖い」と呼ぶくらいなのだから、本当に怖い人なのだ。社長業を24歳から30年近く背負ってきた虫けらは、実にさまざまな人と仕事をしてきた。性格や態度が悪い人などはましな方。権力や権威を振りかざして、人を威圧する人種や稼業?と見紛う人種まで怖気付くことなく付き合ってきたのである。その虫けらが怖いと思う人。別に怒鳴られるわけでもなく、人相や態度が怖いわけでもない。物静かで品があり、頭脳明晰なのが雰囲気でわかる。身なりや纏った空気がとてもきれいで、女性からは人気があるだろうと推測できる人なのだが、虫けらに対しては、冷たい視線と容赦ない単語で打ちのめしてくれる。それも怖いのだが、それだけではない。虫けらが「怖い」と思う原因は間違いなく虫けらの中にあるのだとわかっていた。なぜなら、「この人を失ってはいけない」という強迫観念が常にあったからだ。そのことには、随分たってから気づいた。なぜ失ってはいけないのか。虫けらは、一人ぼっちの身の上である。子供はいない。(生い立ちについてはこのブログで散々書いているが、子供がいないことは、虫けらの勝手な選択ではなく、運命の必然だったのだ)死後の処理は姉の子に託す算段はできているが、それは契約のようなもので、「頼って」とか「お願いして」といった身内間の甘えの上に成り立つものではない。つまり、病気発覚から死ぬまで、虫けらは終始一人ぼっちなのである。これまでは、自分の力だけで生きてきた。が、病気については如何ともし難い。主治医を信頼して、主治医の言うことを昇華しながら、自分の生き方に変えるしかない。幸いにして、怖い主治医は信頼でき、尊敬できる人だし、怖い主治医の言葉を理解して受け入れることに何ら異存はなかった。そうして診察の機会ごとに怖い主治医に会い、話をしていく中で、虫けらは自分の中に「執着」を感じた。この難解な感情を解き明かすまでに大変時間がかかった。何が原因で「執着」が始まったのか。「好き」という感情か……幾ら考えてもそれはない。好きなどという単純な感情ではない。「好意」「憧れ」「恋」「興味」……何と軽い言葉ども。もちろん、背が高く、スタイルが良く、きれいな顔立ちの怖い主治医に男性として好意を持つ、という可能性が虫けらにもあるに違いない。しかし、幾ら考えても、そういう浮き足立った感情ではないのだ。それが何であるか、長い間わからなかった。ところが、ひと月前の入院時、病室に来てくれた怖い主治医が抱き締めてくれたときにわかったのだ。そのときの安堵感、気持ちよさ、いつまでもそうしていたいという欲望。その根源が、「この人に看取られて死にたい」という感情だったと、そのとき気づいた。ひとりぼっちの虫けらが、死ぬときだけは一人ではなく、この人のそばで死にたいという人生で初めて抱いた強い欲求が存在したことに初めて気づいたのだ。ひとりぼっちの人生が嫌だとは思っていなかった。それが虫けらの運命、宿命だと諦めていた。しかし、怖い主治医に出会ってから、その諦めが徐々に欲望に変化していったのかもしれない。担当した患者がそんな感情を抱いていても、医師としてはいちいち相手にしていられないということは理解できている。だから、そのことを口に出して言うつもりもないし、虫けらが死ぬときに、本当に枕元に来てほしいなどとは全く思っていない。近くに存在があれば、それでよかったのだ。心の奥に隠された思いが「執着」となり、「この人を失ってはいけない」という強迫観念につながったのだ。そういう人に巡り会えたのも、運命なのだと思えた。先週までは。が、それは、そうではなかったようだ。虫けらの人生は過酷である。最後の最後まで過酷であった。来生では、もう少し人間らしい人生を与えてもらいたいものである。 慟 哭
2025.08.19
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きょうは怖い主治医の診察があった。14:00の予約だったが、その前に血液検査とCT撮影があり、血液検査は到着順であるため、検査患者が多いときは30分以上待つこともしばしばだ。CT検査は13:30の予約だが、こちらは概ね時間どおりに進行する。13:00病院到着がマストだと判断。自宅からUber(タクシー)を使って病院に向かう。お盆休み期間であるため、配車量も限定されている可能性がある。いつもよりゆとりを持って配車依頼をする。すると「1分で到着」という表示。早過ぎる。が、多分3〜5分はかかると踏む。靴を履いてドアに施錠し、エレベーターに向かう途中で携帯の告知音が鳴る。本当に1分じゃないか!エントランスに降りたら、女性ドライバーのタクシーが止まっていた。タクシーの到着に間に合わなかったのは初めてだった。お盆の時期は暇なのか。道路も空いていて、一度信号で停車したが、思ったより早く病院に到着。再診機に診察券(カード)を通し、採血場へ。待ち患者なし。採血が一番上手な池田さんが虫けらを待ち受ける。池「どうぞ、お掛けください」一番近い椅子に導く。診察券を手渡す(本来は受付BOXに患者が投入する)。若い女性が採血をしてくれた。外科の外来へ。CT検査の検査票を受け取って、放射線科へ。まだ13:00になっていない。『30分以上待つのか……』と覚悟して放射線の受付へ。受「お掛けになってお待ちください」待ち患者は虫けら以外に一人。早く検査してくれないかなぁ、と思っていたら、虫けらを呼び込むアナウンス。造影剤を使った検査なら、20分くらいはかかるのだが、単純CT撮影だったので、すぐに終わる。サクサク行き過ぎである。外科外来に戻る。14:00の予約なのに、まだ13:10にもなっていない。いつもは満員の待合室が、きょうは閑散としている。モニターに表示される怖い主治医の待ち患者は2名のみ(虫けらの番号はまだ表示されていない)。他の診察室の待ち客は0名だ。が、この時間はランチ休憩のはず。少なくとも前回は、13:30の予約だったのに、14:00まで待たされた。多分、13:30に午後の診察再開の予定だったのが、午前の患者が多過ぎて、押したのだと予想した。13:20くらいに怖い主治医の声で呼び込みがあった。男性が立ち上がる。あれ??お盆だから、イレギュラーな態勢になっているのか?待合室から、診察室前の椅子に移動した。杖をついての移動は時間がかかるので、呼び込まれたらすぐに対応できるように診察室の近くで待機する。診察室前で待つのにはもう一つ理由があった。これは虫けらの予想に基づくものであるが、きっと当たると思っている。怖い主治医の性格や虫けらに対する言動から、そう思わずにいられなかったのだ。先ほど呼び込まれた男性が診察室から出てきた。次か?もう一人か二人いるかもしれない(診察室前に移動してきたとき、まだ虫けらの受診番号はモニターに表示されていなかった)。呼び込みの声がないまま、待機していると、整形の担当医が前を通った。虫「こんにちは」担「あ、こんにちは。どうですか? 膝は」虫「曲がってます」担「まだ足(地面に)つけんといてな」虫「はい。気をつけてます」担「きょうは◯◯先生(怖い主治医)の診察?」虫「はい。週明け、よろしくお願いします」という会話をした。来週月曜日に診察があるのだ。整形の担当医が姿を消して程なくして、診察室から看護師が出てきた。この人は、抗がん剤治療のときなどで大変お世話になった人だ。先方も虫けらのことを認識している。看「いけます?」虫「え? もう診察ですか?」看「先生が、見てきてって」虫「ありがとうございます。まいります」呼び込みのアナウンスをせず、看護師に診察室への入室を手伝えと指示してくれたのだ。これが診察室前で待つもう一つの理由だ。虫けらはこの展開を予想していた。怖い主治医は、きっとこういう配慮をしてくれるだろうと。杖をつきながら入室する。看護師がドアを開けて、状態を保持してくれたので大変助かった(診察室のドアは自動で閉まる。開けてから閉まるまでの間に入室できるか微妙)。怖い主治医は珍しく全身をこちらに向けている。いつもはモニターに向かい、顔だけこちらを見る格好で虫けらを出迎える。虫「こんな情けない状態ですみません」怖「いや、大変やな」虫「大変です。でも、だいぶ慣れました」怖い主治医は少し笑っている。苦笑いか? 明るい笑顔ではない。怖「レントゲン見たら、どんどん見えるようになってるなぁ」虫「そうなんです。最初の画像が一番わかりにくい」怖「手術せんで大丈夫なん?」虫「△△先生(整形の担当医)は、しない方向で、って。 私がそうお願いしたんですけど」怖「そう……。まだまだ歩ける状態やないな」虫「まだ、足つけんといてなってさっき言われました」怖「んー」虫「手術した方がいいですか?」怖「どうなってるの?」虫けら、ロングワンピースの裾をめくって膝を出す。ケガをしていないので、きれいなのだが、まだだいぶ腫れていて(右脚と比べないとわからないが)、熱を持っている。怖い主治医が虫けらの膝から足首にかけてをじっくり見ている。怖「どうやってこけて折ったん?」ケガがないことを不思議に思ったようだ。虫「転んだときは、受け身をとってケガなしだったんですが、 自転車が落ちてきました。私の自転車は安物で すごく重いんです」怖「自転車と地面に挟まれた?」虫「多分。運悪く、身のないところを直撃したので」怖い主治医は、会話している間も、虫けらの脚から目を離さない。見ても、何もわからないように思うが。ふと気づいた。整形の担当医は、虫けらの患部を目視したことがない。ずっとレントゲンもしくはCTの画像を見て話していた。何の違いだろう。怖い主治医は脚フェチかもしれない。以前、抗がん剤の副作用の話から、脚を見せたことがあった。やおら足首を掴まれて驚いたことを思い出した。こんなときに何を思い出すやら。ん?きょうは、がんの診察だったはずだが……。虫「今更手術を申し出ると、△△先生、びっくりするでしょうね」怖「それは大丈夫やろ」虫「これまでの5週間が無駄になりますが……、 週明けの診察で、相談してみます」これよりももう少し会話した。整形の話をする時間があるのかと、気になっていた。いつもは5分で診察室を出ることを心がけていた。報酬をもたらさない患者に時間をかけることはできない、と病院側は思っているだろうから。ま、きょうは30分近く早く呼び込まれているので、少し余裕があったのかもしれない。しかし、幾らなんでも、と、虫けらは話を切り上げた。そこからが、本題。血液検査の結果票を見ると、随分よい数値が並んでいる。虫「なんか、いい結果ですね」怖「そうやねん。数字的には悪いところはない」虫「血液検査だけだったら、病気がないみたいですね。 腫瘍マーカーだけは別ですけど」少し間を置いて、怖「もう治療をしないという考えは変わりませんか?」真剣な表情で聞かれた。虫「はい」CTの画像を見ながら、現状を話してくれる。虫けらも細かな質問をしながら理解していく。この会話の詳しい内容は、別記したいと思う。虫けらのがんの状況をお知らせする必要もあろうかと思うが、ここでは割愛する。怖「治療のためにつくったポートですが…」(抗がん剤投与のために、右胸に設置した『CVポート』という装置のこと)虫「取りたいと思っています」怖「それがあれば、点滴や、治療…それはまた 話し合ってのことやけど、対症療法のときなんかに 使えるよ。いちいち針刺すより楽や」虫「そうですね。でも、もう治療的なことは必要ないので」怖「治療ではなくて、痛み止めを入れたり、 状態に合わせて薬剤を入れなあかんようになったら という意味や」虫「死ぬときは、何もない状態になりたいなと」怖「ポートは残らんよ。全部溶ける」遺体を焼いたら溶けるという意味。シビアな話になってきた。虫「手術が嫌なのは、プレートが残るからなんですが、 これ(ポート)は気にしてなかったです」怖「プレートも小さいのやったら、溶けるよ」虫「残りますよ。主人が入れたプレート、3つとも きちんと残ってました」怖「脚のプレートはね…」どうしてこの二人は、どうでもいいようなことを深掘りしてしてしまうのか。いつも本題とズレたところで討論しがちだ。怖「取る?」虫「はい。……取ってくださるのは⬜︎⬜︎先生(設置手術を してくれた医師。虫けらは大変痛い思いをした) ですか?」笑いながら聞いた。怖「僕、取ろか?」怖い主治医も笑いながら答える。昨年の手術のときのやり取りを覚えているようだ。虫けらは顔の前で手を合わせ、拝む格好をする。虫「お忙しいと思いますが、できれば」怖「忙しい言うても、ここでも取れるぐらいのもんや」ここ、というのは診察室にある触診や簡単な処置をするためのベッドである。設置手術は手術室でやってもらった。虫「そんなに簡単なんですか? お願いできます?」怖「来週でもいい?」撤去日が決まった。ポートを取るときは、怖い主治医にお願いしたいとずっと思っていた。設置手術をしてもらえなかったので、せめて撤去は…と。ポートを撤去する話は、近いうちにしなければならないと思っていた。忙しい部長先生につまらぬお願いをすることは大変ためらわれたのだが、怖い主治医の方から振ってくれたこと、しかも、自分がしてやろうと言ってくれたことに心から安堵した。しかし!!!きょうは、驚愕の話をされてしまった。ここに書くには事態が大き過ぎるので、それだけをテーマに書きたいと思う。がんの現状報告と驚愕の話。きょうの診察室では、どんなことでも平気な顔をしている虫けらの表情が人生で初めてと言えるほど変化しただろうと思う。顔を手で覆ってしまう場面もあった。言葉をなくす場面もあった。しばし固まって、怖い主治医の顔をじっと見つめる場面もあった。しかし、怖い主治医はその都度目をそらさず、虫けらを見つめながら言葉をかけてくれた。こんなに包容力のある人だと思ったことはなかった。ひと月前の病室での出来事は、もしかしたらきょうの診察室のことを想定した行動だったのかもしれない。診察が終わって診察室を出るときも、看護師に先導されて杖を使いながら出て行く虫けらを怖い主治医はずっと見守ってくれた。外に出て振り返った虫けらは、まだ怖い主治医がこちらを向いて心配そうな視線を送っているのを確認した。虫けらは、そうそう簡単に動揺する人間ではない。幼少の頃から、突拍子もない経験を数多くしてきた虫けらは、感情を表に出さないことが身についているし、長い間そうしてきたことで、感情そのものが鈍感になっているのも事実だ。しかし、きょうの診察室では大変動揺した。自宅に戻ってからも、呆然とするしかなかった。朝から何も食べていなかったので、稲庭うどんをざるにして食べたが、全く味がしなかった。その後YouTubeを見たのだが、内容が全く頭に入らなかった。これではいけない。きちんと体勢を立て直して、後の時間を逆算して必要な行動をすることが最も重要なことだ。これを書いたら、少し落ち着いた。あすは、出会って15年以上になる、ブログ仲間が自宅にやってきてくれる。ビール好きの人なので、楽しい時間が過ごせるだろう。その翌日は、小学生のときからの親友が来訪する。看護師の彼女には、病気のことを詳しく告げている。その続きを話すことになるだろうが、無駄な心配をすることなく、的確なアドバイスをしてくれるだろう。そんな予定があってよかった。今夜は眠れそうにない。考えても仕方ないが、考えてしまう夜になるのは間違いない。無駄な時間はもうない。建設的な時間にしよう。……絶対無理……。 無 常
2025.08.15
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先週末から、世間はお盆休みモードである。ゆえに、虫けら周辺でもスケジュールに余裕のある人々がいろいろと虫けらにアプローチしてくれている。それに呼応するように、虫けらの身の上にもいろいろな変化が起きていて、停滞していた空気が動いているのを感じる。それがよいのか悪いのかは別として。脱ニーブレース5週間前に左脚膝下を骨折した虫けらは、緊急入院直後からニーブレースという固定装具を強制的に装着させられていた。入院時。車椅子生活だった石膏で固めるギプスとは違い、自ら脱着可能なので、肌のメンテナンスや着替えのために日々外したり、着けたりしていたのだが、骨折部がある程度定着するまでは外して行動することは禁じられていた。毎週、レントゲン撮影をした上で、整形の担当医が固定装具を外す時期を判断する。「ズレる」という表現で、毎回医師に脅されながら、4週間を過ごし、先週末にようやく外す許可が出た。しかし、医「リハビリしてズレたら、手術ですよ」虫「げっ、まだズレる可能性がありますか」医「あります。まだ地面に足をつかないように」恐ろしい。1ヵ月もの間、片脚の不自由な生活を辛抱したのに、まだ手術の可能性が……。入院直後にプレートを入れる手術をしていたら(最近では、手術をするのが主流)、いまごろ歩くリハビリができているのではないか、と後悔させることを意図しているかのような医師の無慈悲な言葉。担当医は手術を推奨していた。虫「自然治癒を目指したいんですが。 手術をするのはもったいない」医「もったいないことはない」『もったいない』という言葉の意味を医師は誤解しているだろうと思ったが、あえて修正はしなかった。別に、間もなく死ぬことに投げやりになっているわけではないし、それを振りかざして、つらいことから逃れる免罪符にしようとも思っていない。が、1年以内に死ぬであろう人間にとって、今後の長い人生にとって有意義と考えられる手術はやはりもったいないのである。手術給付金が生命保険から出るので、手術しても構わなかったが、20年以上、ピアスの穴を開けることを躊躇している変なこだわりのある女が、そう簡単に体を傷つけることどもを受け入れるわけがなかった。元の木阿弥になることを覚悟しながら自然治癒を選んだのだから、もう少し辛抱するのは仕方ない。固定装具を外してよし、という医師の判断の後、リハビリセンターに出向いた。ここでの課題は「膝を曲げること」で、担当の理学療法士が慎重に膝を曲げてくれたのだが、理「痛くないですか? これは? これは?」と、徐々に角度を縮めていく。すると、90度以上(?鋭角に)曲がることがわかり、理「きょうはこれぐらいにしときましょうか」ということで、リハビリ終了、となった。リハビリはいつもこんな感じ。その日のプログラムをすぐにクリアしてしまうので、残り時間は理学療法士との雑談タイムとなる。今回も、前週の旅行の話、次週の旅行の話(単身赴任の彼氏を訪ねる旅らしい)をして終わった。とりあえず、脱ニーブレースは完了した。再度装着しなくてよいように、足を地面に着けぬよう注意しながら、そろそろ筋力回復の運動をしないといけない。が、マッサージ機の上での生活では、なかなかそれがかなわない。2階の寝室で睡眠をとれるようになると、ベッド(マットレス)の上で結構な運動ができる。2階での生活……、杖で階段を上り下りする生活では、それは難しい。この矛盾。。何とかしよう。脱ウイッグ骨折で緊急入院したとき、ウイッグを装着していた。いつもなら、帽子(ハンチングかキャップ)で隠すのだが、救急車を要請した人間が、おしゃれ要素と見られる帽子を被っているのは大変不謹慎な振る舞いだと思われたので、ウイッグにしたのだ(がん患者であることは救急隊にも告げる必要があるだろうし、ウイッグを被っていても違和感はない)。しかし、抗がん剤をやめて7ヵ月、地毛が結構生えてきていて、ウイッグを被ると後頭部から襟足にかけてが浮いてしまうという事態になっていた。ゆえに、カバンには医療用帽子を忍ばせ、入院した後は、ウイッグを外す算段だった。入院が決まって、病室に入った直後看「それ、ウイッグですか?」と看護師に聞かれた。虫けらはすぐにウイッグを外し、虫「そうなんです。地毛が結構生えてて 浮いてしまうんですよね」と言いつつ、カバンから帽子を取り出した。虫「抗がん剤で毛質が変わってしまって、 緩んだパンチパーマみたいになってるでしょう? 格好悪くて」と言い訳をした。入院中は、ずっと帽子を装着したままだった。一昨日(11日)、3ヵ月ぶりにカットに行った。前回は、まだ生えてきた毛が短すぎて、抜けずに残った髪とのバランスを整える程度にしか手の入れようがなかったのだが、3ヵ月辛抱したので、そろそろある程度の髪型にできるかと期待しながら。いつも通っているヘアサロンのオーナーは、この1月に虫けらと同じ災難に遭っていた。自転車での転倒からの骨折。彼の場合は、複雑骨折で、何箇所も折れていたし、怪我もあったので、手術必至だったし、入院期間も長かったようだ。そんな話をしつつ、施術をしてくれ、ショートカットにスタイリングしてくれた。全体がまだまだ短いし、前髪がつくれないので、似合うとか、カッコいいとかの次元ではないが、少なくともウイッグなしの、帽子装着で何とかなるようになった。虫「毛量は減ったかしら?」オ「いや、戻ってますよ。前回はまだ全部復活、 とはいってなかったですが、今回は、 以前どおりに生えてます」前回は、毛穴から出ている毛が3本とか2本ではなく、1本だけというものもあったらしい。今回は、以前の密度になっているとのこと。よかった。が、である。虫けらが購入したウイッグは、結構高級なものだったので、人毛で、髪型もよかった。虫けらの顔にもよく合っていたのだ。今回のショートヘアは、決して虫けらの顔に合っているとは言い難い。長さが足りないので、子供の髪型のようにも見える。オ「頭、ちっさいなぁ。子供みたいや」と何度もオーナーに言われた。髪のボリュームがないので、頭の小さい問題が急浮上してしまったのだ。つらい。致し方ない。もう少し伸びるまで帽子でごまかそう。冬用の帽子は幾つかあるが、夏用の帽子は一つしかない。しかも、ウイッグ装着時にぴったりだったので、現在はブカブカである。この髪型でキャップは難しい(頭の小さい問題が余計クローズアップされる)。もう一つ買うか。。が、もうお盆である。我慢するか。。悩みどころ(決して「悩ましい」と言ってはならない)である。なにせ、次の夏はないかもしれないのだし。。脱・脱怖い主治医1月から抗がん剤治療をやめている。今後も再開する予定はない。それを決定した3月から診察の間隔が伸び、2週間がひと月に、ひと月が2ヵ月になっていた。前回の診察から2ヵ月経った今週、怖い主治医の診察がある。検査の後に、現在の状態の確認と今後の療養生活を判断、指示してもらう。治療をやめる判断をしたとき、虫けらと怖い主治医の距離は相当遠かった。怖い主治医は立場上、抗がん剤治療をすすめるし、虫けらは頑として断る。対立はしなかったが、さりとて新たな治療法を提案してくれるでなし、他病院への紹介や転院を言われるでもなし。なすすべのない状態で、虫けらは放置された。虫けらが望んだことだが、医師としての仕事はもっとあるのではないか、と虫けらは思っていた。そんな状態だったので、その時点で「脱怖い主治医」は達成されていた。診察時、二人の間に冷たい空気が流れていたのは確かだった。血液検査の結果票を見ながら、怖「特に問題はないですね。安定した状態です」虫「やはり、腫瘍マーカーが上がってますね」怖「それは、目をつぶらな」虫「そうですね」怖「そういうことで」早く出て行きやがれ、とでも言わんばかりの終わり方。虫けらも、何も言わずにすっと立ち上がる。終始、怖い主治医の表情を確かめることもしなかった。怖い主治医も、虫けらを振り返ったのは一度か二度ほどだったと思う。虫けらにとって、それはそれで気が楽だった。病院に報酬という恩恵をもたらさない患者が優遇されるわけもないし、医師から心をかけてもらえるはずがない。が!!!入院中に、理由もなく優しくされた虫けらは、これまでと違った感情が小さく芽生えてしまったのを感じずにはいられない。だからと言って、怖い主治医との関係が変わったわけではないし、治療を再開するわけでもない。これまでと同じ対応をするしかないのだが、この感情の微妙な変化を表面に出さずにやり過ごすという高等テクニックを虫けらが持ち合わせているのかと大変不安に思っている。診察は間もなく。どうにかうまくこなせるよう祈り、自分の力量に賭けるしかない。脱怖い主治医がかなったはずだったのに、元の木阿弥ではないか。元の木阿弥の多い人生である。 阿 鼻
2025.08.13
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虫けらの住んでいるマンションは古い。これまでは新築の物件に住むことがほとんどだったので、築古のマンションの不便さは堪えるものがある。コンセントの少なさや電灯のスイッチの古さ、50年モノの団地のような玄関ドア、小さなシューズボックス、低く小さな便座(ウォシュレットが合わない)、狭く深い浴槽、低い水圧……挙げればキリがないほどだ。中でも虫けらが最も嫌なのは、オートロックではないこと。女の一人暮らしという状態で、玄関前まで誰でも来ることができるのは、大変怖いことである。「神を信じますか〜?」も来るし、「みなさまのNHKです」も来る。「試食をしていただいてますが、いかがですか?」などという得体の知れないセールスも来るのだ。そんな物件なので、1階にある郵便受けには南京錠が必須なのである。幅が狭く、奥行きのない郵便受けは、大方のメール便が入らないことで宅配業者には不評ではないかと思うが、それでも小型の荷物が届く。重要な書類が届くこともある。虫けらの郵便受けは左端の最上段なので、盗人が真っ先に開けたい扉に違いない。で、このマンションに転居してから2年半の間、虫けらは南京錠をつけて管理していた。が、が、が!!!南京錠が開かなくなった!退院してきた日は、大雨で床が濡れていた上、入院時に持って行ったカバンと病院で購入した備品の紙袋を抱えていたので、郵便受けを見るのをやめた。使い慣れない松葉杖で危なっかしかったし、入っていた荷物が多かったら、持ち切れないと思ったのだ。郵便を取りに行ったのは翌々日の朝4時。エレベーターで誰かと一緒になるのが嫌だし、外を不審な人が歩いていて、松葉杖の虫けらに気づいて襲ってきたら、防御のしようがないので、できるだけ人のいない時間帯を狙った。2〜3時はまだ夜の時間帯。5時以降は朝の時間帯。動いている人種が違うのだが、どちらも危ない人が多い。というわけで、その間(はざま)を狙ったというわけだ。虫けらが設置している南京錠はボタンプッシュ式。アンダーな照明(いまだに蛍光灯)のエントランス、視線より高い位置にある郵便受けなので、数字を合わせるタイプは不可。夜になると、きっと見えないと踏んだ。鍵式だと、鍵を持ち歩くのが面倒だし、無くしたときが厄介だ。虫けらが選んだ南京錠は10個のボタンが並んでいて、そのうち5つをプッシュして開錠するのだが、左列1つ、右列4つ(連続)というとても覚えやすい配置である。両手に持った杖を壁に立てかけ、南京錠のボタンをプッシュして開錠する。開いた郵便受けにはおよそ2週間分の郵便物が溜まっていた。チラシはその場でゴミ箱に捨てるのだが、それでもたくさんの郵便物が手元に残り、持参したトートバックにどさっと入れて肩にかけ、南京錠を施錠して部屋に戻った。退院してすぐに生命保険の「払い戻し請求用紙」の送付を保険会社に依頼した。それが到着しているだろうころ(2日後)に再び郵便受けに向かった。もちろん朝4時。いつものように南京錠を操作する。!!!開かない。なぜに?いよいよボケたかと思った。2年半の間、開け続けた南京錠が開かない。いや、つい2日前には開いたではないか。絶対違うだろうという番号も押してみたが開かない。5分ほど操作したが、諦めた。片脚で立つのに疲れたのもあったが、誰かに見られるのを避けたかった。外廊下のマンションだけに、1階からどの階に移り、どの部屋に入ったのかがバレてしまう。松葉杖の人間など、襲うのが容易である。部屋に戻って、南京錠が送付されたときに同封されていた番号札を探した。実は、何気なくファイルか何かを整理していて、「あ、こんなところに南京錠の番号が…」と気づいたことがあったのだ。きっとここだと思ったところを探したが、見つからなかった。自分を疑ったわけではないが、例えば、鍵の業者に来てもらったとして、その番号札を出した方が作業しやすいのではないかと考えたのだ。もしかしたら、押しが足りなかった?ボタンの。南京錠を設置した当初から、開けにくいことがたびたびあった。多分、5つのボタンのうちの一つに不具合があって(奥まで押し込めない)、それが悪さしているのだと思っていた。しかし、これまでは、1、2回やり直せば開いたし、さほど問題は感じなかった。……翌日の4時にもまたトライした。しかし、前日と同様。押したボタンに間違いはない。……さらに翌日の4時、『556』を持参した。ツルの根元とボタンの裏側、開錠ボタンに556をスプレーする。すると、見違えるほどボタンの操作性が上がった。とてもスムーズに押し込むことができる。しかし……開錠出来なかった。3日連続の攻防に敢えなく敗れ去ったのだ。。これは、内部で部品が折れるなどしてボタンが機能しなくなったと推察し、諦めるより仕方ないと思った。部屋に帰って、ネットで鍵屋を調べた。すぐ近くに「鍵の119番」があったのだが、南京錠ごときで呼びつけるのは申し訳なかった。なぜなら、その店はワンオペで、出張修理に出ると店は休まざるを得ないということを知っているからだ。出張費と作業代で1万円行かないだろう。自力で何とかならないだろうか…。近くにコーナンがあるので、脚がまともならすぐに工具を買いに行くのだが…。誰か助けてくれる人はいないか?!!!朝5時でも起床している可能性の高い天満のエロ男爵(店のお客さん)にメールしてみた。間もなく返信があった。何度かのやり取りの後、「行ったるでぇ」という返事。切れる糸鋸を携えて自転車で来てくれた。無駄に頑丈な南京錠のツルを少しずつカットしていく。10分くらいかかっただろうか。無事切断でき、郵便受けが開いた。保険会社からの払い戻し請求用紙も届いていたし、月末だけに、毎月届く請求書関係も、誕生日の特別割引券など季節郵便も多数。すぐに新しい南京錠の購入が必要だが、とりあえず一件落着。天満のエロ男爵を部屋に連れ込み(言い方が悪い)、喉の渇きを癒してもらいながら、「どうしたんや、その脚」という男爵の問いに丁寧に答えたり、入院生活のあれこれを話したりして小一時間過ごしただろうか。「コーナンに寄って帰るわ」と、天満のエロ男爵は颯爽と消えて行ったのだった。右が人をボケと化した南京錠。左が新しい南京錠ボタンが壊れるというのは想定外。そうなったら、どうにもならないのも認識できた。なんか、悪いことが起こるときはまとめてやってくるということを体感する、嫌な感じの事件だった。まだ嫌なことが起こるのかぁ?覚悟して過ごす必要がありそうだ。 戦 慄
2025.08.05
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恋に胸を焦がしているわけではない。ひどいことをして人を傷つけたわけではない。人を裏切るような秘め事を抱えているわけでもない。胸筋が痛い! のだ。昨日、病院に出かけた。骨折した左足の検査と診察とリハビリのためである。1階★7:54 病院玄関に到着。 タクシーから降りる。 背後から怖い主治医が出勤してきたのが見えた。 玄関に入り、内側からこっそり伺う(ストーカー ではない)。★7:57 再診機に診察券を差し込むも、はねられる。 もう一つの再診機に差し込むが同じ結果。 「初診受付にお申し付けください」とのアナウンス。 初診受付がまだ始まっていないので、とりあえず 検査室フロアに直行。3階★8:03 放射線受付に到着。番号札を取る。 (8:30に受付がオープンするまでに到着したら 番号札を取って待つシステム)1階★8:10 再度再診機に診察券を差し込む(先ほどは、 正式な受付開始時刻の8時より数分前だったので、 はねられた可能性も)。結果は同じ。★8:12 まだ照明が点灯していない初診受付の中に女性を発見。 そちらを目指して急ぐ。 虫「再診機に通らないのですが…」 受「その場合、こちらで処理します。保険証確認もありますし (月に1回の確認必須。その月の最初の受診時)」 虫「8:30からですよね。検査がその時間なんです。 9:00から診察ですし」 受「検査が終わってからでいいので、またお越し…あ、脚が…」 虫「また来ます」 2階★8:15 再度検査室フロアへ。他に対処のしようがないのか、 とちょっと憤慨。 何しろ、8/1日なので、保険証確認待ちの人数は半端ない。 虫けらはいつも朝一の受診時は、受診後に確認に出向いていた。 保険証確認が理由で再診機にはねられたことはない。1階★8:35 レントゲン検査を終え、再び1階に降りて保険証確認へ。 案の定、大変な人数が確認待ち。9時からの受診に間に合うのか。 窓口担当は珍しく男性。事情を説明する。 虫「診察券が再診機に通らなかったんです」 受「はい、確認します(保険証についてのやり取りの後)、 磁気が弱くなっているようなので、交換しますね」 と、迅速に診察券を新しいものと交換してくれた。 (アタリ!と思った。男性は仕事が早い)2階★8:55 診察室前に陣取る。 怖い主治医の呼び込みのアナウンスが聞こえる。 いつもは9時を過ぎないと診察を開始しないのに。 患者が多いのだろうか。それに反して、虫けらの担当医は 一向に現れない。 担当医が診察室に入ったのが10分過ぎくらいだろうか。 病棟の回診もあるので致し方ない。 担「うーん、怪しいなぁ。レントゲンではよく分からないけど、 ちょっとずれて来た兆候みたいな…」 というわけで、追加検査を言い渡される。3階★9:20 再び検査室へ。今度はCT撮影だ。2階★9:50 診察室前に戻る。 担「画像を見る限り、ずれてはいないね。 装具を外すのは1週伸ばして、判断を来週にしよか」 虫「来週、やっぱりずれそうとなったら、手術?」 担「まぁ、そうなるねぇ」 虫「一からかぁ〜。ま、1週間、おとなしくしときます」 担「きょうのリハビリでは、膝曲げるのはなしって 先生に言うてね」 虫「はい。。」4階★10:10 リハビリセンターへ。担当の理学療法士と話をする。 ちょっとした相談をしたのみで、リハビリ中止とし、 来週の打ち合わせ。2階★10:20 精算書をもらうため、外来受付へ。 いつものことだが混み合っている。 外科と同一の待合室なのだが、怖い主治医が外来に入る 金曜日は大変受診患者が多い。 整形はコンスタントに患者が多いので、金曜日はごった返す。1階★10:40 受診料の清算(精算機) 最近、精算機で診察券がはねられることがあったが、 今回はすんなりいった。磁気のせいだったのだな。 新しい診察券に換えてもらって安心。1階外の薬局★10:50 処方箋を出して薬を待つ。3人目。いつになく少ない。 ラッキーだ。1階★11:00 病院ロビーへ。薬局は出口付近なので行くのが楽だが、 入り口はちと遠い。杖でえっちらおっちら歩く。 タクシーを呼ぶためなのだが、患者を送って来た タクシーには乗れない決まりになっているようで、 そこにタクシーがいるのに…。致し方ない。★11:20 Uberで呼んだタクシーが来たので乗り込む8階★11:30 自宅に到着1階★15:30 アマゾンから荷物が届いたので、郵便受けへ。8階★15:35 ようやく落ち着く階床移動は全てエレベーターだが、総合病院だけに、結構広い。クラッチ杖を使って片脚歩きするのはそれなりの重労働である。スピードが出ないので、苦労も絶えない。8基あるエレベーターのどれが到着するか、寸前までわからない。到着したエレベーターが遠ければ、急いでそちらに向かうが、杖歩行のスピードは知れている。他の人に気を使わせてしまうのが申し訳ない。3階から2階へ向かうとき、ドアの右側階床ボタンの前にすっと入った。虫けらが最初に降りることになるからだ。すると、後から乗って来た女性(父親の付き添い。母親もいた)が、虫けらの前に入ろうとした。虫けらは焦った。杖でバックするのは大変危険なのだ。バランスを崩しやすいし、後ろを確認するために振り返ると命取りになる。虫「えーっと」と小さな声を上げたら、他の人が「あ」と口々に声を出してくれて、それに気づいたその女性は、左側に移動した。この親子とは同じ階で降りたのだが、虫けらに絡んできて(無意識に)、困った。3人の誰かが行く手を阻む。立ち止まってとうせんぼをする。踵を返して虫けらとぶつかりそうになる。虫けらはそこに立ち止まって動かず、3人の行動を注視するしかなかった。健康体なら全く問題ないのだが、杖をついている人間のそばで不規則な動きをするのは大変危険であることを認識してほしい。これだけの移動と苦労をした一日。筋肉痛にならないわけがない。虫けらの胸筋はいま、筋肉痛を起こしている。学生の頃から、虫けらの胸筋は大変発達していて、動かすこともできた。が、病気をしてからというもの、筋肉が落ちてしまって、胸筋も例外ではなかった。これを機に再び発達するかも知れない。が、ここ2、3日は痛みに耐えねばなるまい。……待合室にいて、ふと気づいた。整形なのに、杖をついている人は皆無だ。???あ、車椅子を使っているのか。付添人が必ずいるし。虫けらも最初の外来のときに車椅子を使おうかと迷った。が、車椅子に乗ると、杖の置きどころがないのだ。付添人がいれば、虫けらが杖を持ち、付添人に押してもらえばいいが、虫けら一人だと、両手でハンドリムを操作するので杖を持つことができない。そうか。付添人か。……いない、いない。杖歩行は必至だった、というわけだ。杖をついた片脚生活、果たしていつまで続くのか。。1週間伸びたことだけは確かだ。トホホ。。。 諦 念
2025.08.02
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左脚の膝下を骨折した。ポキッと折れたわけではなく、CT画像で見ると、線状の亀裂が確認できる。担当医によると、医「ズレるとまずいので、プレートを入れるのが無難。 保険として、ボルトだけ入れる方法もある」とのことだが、あと1年生きる保証がないような人間である。プレートを入れるのはもったいない。虫けらが虫「このまま固まるのを待ちたいんですが」と希望すると医「プレートを入れた方が早く歩けるようになる。 このまま様子を見て、1〜2週間経って結局ズレたら 手術ということになるけど」虫「手術したら、また入院ですよね……」とちょっと考えたが、ズレないことを期待して、手術を回避する方向で押し切った。入院は11日間だったが、手術をしたらもう1〜2週間は伸びる。個室に入っていたので、20日以上はキツい。一か八かで自然治癒に賭けた格好だ。入院生活は、初めての体験ばかりだった。もっとも、骨折が初めての体験なので、当たり前なのだが。病室では車椅子を使ってトイレに行った。ドアの内側まで車椅子を入れ、ドアを解放したまま便座に移動して用を足したり、洗面したりするのだが(個室のトイレには、洗面とシャワースペースが併設されている)、全てドアを開けての作業になるので、誰かが病室に入ってこないか気が気でない。松葉杖を使えばドアを締め切ることができるが、片脚で歩行するのは危ない。手術回避を選んだ虫けらにとっては、転倒や左脚を地面に着くなどといった間違いを犯すわけにはいかないのだ。ベッドより奥のスペースにあるブラインドを操作したり、物置に用があるときは、車椅子では入れないので松葉杖を使ったが、トイレのような狭いスペースで杖を操作するのは大変危険だ。松葉杖は主にリハビリ時に使う程度だった。退院時には、病院の松葉杖をレンタルするしかないのだが、家の中でとなると、重くてかさばる松葉杖では動きにくい。というわけで、入院中に何かいいアイテムはないかとググった。「クラッチ杖」というものを見つけた。これが欲しかったのだが、手に入らなかった松葉杖より使いやすいという確証はないのだが、軽さと操作性が高いだろうと踏んで、ポチッた。帰宅すると同時に届くようなイメージでオーダー。アマゾンは、配送日の自由が余りきかない。退院前日か前々日のタイミングでオーダーするのがベスト。が、あらかじめカートに入れておくと、配送日がズレたり、売り切れの表示になったりして、難儀した。何度かやり直して、結局、欲しい商品はオーダーできず、少し機能性が劣るが低価格の商品を手に入れることに。せいぜいひと月程度の付き合いだ。それほどこだわる必要もない。病院の松葉杖で帰宅したのが11時前。2時間ほど待ったところでクラッチ杖が到着。【トイレ】待ち時間の2時間の間にトイレに立つことがなかったので、松葉杖の自宅での操作性は確認できていないが、クラッチ杖は軽いし、コンパクトなのでトイレの中に持ち込めて便利だ。ところが!トイレの中に左脚が入らない。膝を伸ばした状態で固定装具をつけているので、便器から壁までの距離が足りないのだ。一人暮らしはかなり長い方なのだが、これまで、トイレのドアを開けて用を足したことがないので、ドアを開け、左脚をドア枠より少し外に出す姿勢は、大変違和感があった。が、右脚の負傷でなくてよかった。右側は壁に塞がれてならどうしようもない。そうなったら、一体どうやって用を足せばいいのか。。しかも、便器に正対できない。少し左側に斜めの姿勢になる。これで、きちんと便器の中に用が足せるのだろうか。と、危惧しながら用を足したが、何とかなった。「拭く」という作業もちょっとテクニックが必要。片脚で中腰になるのは結構大変である。脚力も必要だが、バランス感覚も重要である。虫けらは筋力とインナーマッスルは強靭なので大した労力は必要ないのだが、同じくらいの歳の女性のことを考えると、補助器具(手すりや脚置きなど)が必要かもしれない。【風呂】風呂がまた大変である。風呂といっても、シャワーだけである。夏でよかった。入浴時には、固定装具を外すのだが、医師から「絶対曲げないように」と言われている。古いマンションである我が家の湯船は脚を伸ばしたまま入れるほどの幅がないし、へりが高いのでまたぐのに一苦労だろう。洗い場に設置した椅子に座り、洗髪し、体を洗う。それ専用(介護用)の椅子ではないので、座面が滑る(介護用の椅子は滑らない加工が施してある)。ボディソープで尻を洗ったら、尻がツルツル滑って椅子から落ちそうになる。危ない。中腰になって、椅子に体を預け切らないようにする。結構腹筋と大腿筋を使う。入浴の後は、脱衣所で体を拭いたり服を着たりするのだが、ずっと片脚立ちである。両手を使う作業のときは、片脚で立つしかない。女性は、洗面所での作業が長い。スキンケアやドライヤーを使う間、片脚立ちするのだが、両脚とも健康な状態での片脚立ちと、片方を伸ばしたままで、しかも着地してはならないという制約付き、さらには重量のある固定装具を装着しての片脚立ちとでは、難易度が全く違う(バランスが取れない)。大変疲れる時間である。【 2階 】虫けらの自宅は、マンションなのに2階がある。1階はリビングダイニングキッチン、2階は寝室とパソコン部屋である。ケガをしてから、2階では寝ていない。いつもはベッドではなく(未購入。本当は欲しい)、14cmのマットレスで休んでいるのだが、片脚を伸ばしたまま立ち上がるのは大変だろうと(やってみたら、大変ではなかったのだが)、1階にあるマッサージチェアで休んでいる。ネックになるのは、階段の上り下りだ。手すりと杖で一歩ずつの作業になるので、トイレや、宅配便の受け取りなどで上り下りが必要になると、慌てるに違いない。階段から落ちたりしたら、命取りにもなりかねない。というわけで、1階生活である。退院して2週間ほどになるが、まだ熟睡できた日はない。何しろ寝返りが全く打てない(マッサージチェアでなくても、脚が原因で寝返りは打てないが)し、フルフラットにならないので、寝心地は余りよくない。が、マッサージチェアがあったことで、助かった。退院してからはもちろんだが、ケガをして帰ってきた日の夜、2階に上がらずに済んだことで、何とか休めた。一睡もできなかったが、横になれたことは脚にとっても、精神的にも救われた。マッサージチェアは、2年前の転居のときに廃棄を検討したのだが、捨てなくてよかった。【キッチン】リビングダイニングでは、クラッチ杖ではなくエステチェアという代物を使っている。簡単に言うと、キャスター付きスツールである。座ったまま移動できるので、両手が解放される。作った食事をテーブルに運んだり、仏壇に手を合わせたりするときに大変楽だ。ただ、我が家のリビングダイニングの床は、クッションフロアなので、キャスターの転がりが悪い。後ろ向きならスムーズに動くのだが、順行すると時間がかかる。とはいえ、松葉杖にしろ、スクラッチ杖にしろ両手がふさがるので、ちょっとしたものも移動させるのが困難だ。食事や飲料(酒!)を運ぶのには、これが必須である。【ゴミ捨て】現在の生活の中で最も困難なのは、これである(以後、もっと困難なことが出現するだろうが)。軽い荷物ならトートバッグに入れて肩からぶら下げるが、ゴミとなるとそうはいかない。しかも、ゴミ捨て場の扉(重い!)を開けて、段差を乗り越えて中に入って分別のゴンドラに入れ、出てきて段差を降り、扉を閉める。これの大変なこと。中でも生ゴミは重い。入院前の生ゴミが結構溜まっていたので、最初のゴミ捨てが本当に大変だった。スクラッチ杖のグリップと一緒にゴミ袋を握る。重みで杖があらぬ方向に行きそうになるのを修正する。ゴミで杖の足元が見えないので、地面に正対しているか確認できない。一歩、一歩、時間をかけて歩く。ペットボトルなど軽いものなら地面に置いて蹴って移動させてもいいかもしれないが、生ゴミとなるとそうはいかない。大変な労力だった。ことほどさように片脚生活は不自由である。しかも、動かせない左脚は、筋力が衰える。が、使い倒す右足は筋力が上がる。筋力のアンバランスもケガの元になり得る。リハビリに時間がかかるだろう。ケガをしてから3週間が経過した。子供なら、そろそろ完治の時期である。成人だと、1〜2週間、老人だと、ひと月単位で伸びるらしい。できるだけ早く完治に持っていきたい。営業再開も早くしたいし、シロアリ駆除のスケジュールも連絡せねばならない。お盆の墓参りもしたい(今の状態では無理)。そして何より、誕生日が控えている。毎年お客さんと楽しく迎える誕生日、今年は一人寂しく、となりそうだ。1週か2週遅れでもいい。誕生日的一日をぜひつくりたいものだ。 悲 哀
2025.07.30
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【黄昏のリハビリ】整形外科に入院している患者の多くは、『リハビリテーション』という代物が入院生活にピタリとくっついている。虫けらの場合、入院当日の夕方(病室に入って1時間余り後)、理学療法士の偉い人(男性)がやってきた。前日夜にけがを負った虫けらは、20時間ほどの間飲まず食わずだったし、一睡もしていないし、車椅子で検査に駆けずり回っていたし、相当痛い縫合に耐えていたのだ。部屋に入って1時間ほどでリハビリしますか。。理「車椅子の使い方、知っていますか?」虫「ある程度は。夫が使っていたので」虫けらが車椅子を使っていたわけではないが、夫が使っているのを見ていたし、手押しハンドルで押すのは虫けらだったので車椅子の構造は知っている。理「じゃ、動いてみてください」え、やっとベッドに腰掛けたのに、また車椅子に乗るの?車椅子に乗って、ハンドリムを操作する。お、重たい。こんなに重かったっけ?理「難しいですか?」虫「ちょっと操作しにくいですね」と言いつつ、トイレに行く操作とトイレの中での動作をやってみる。片脚生活は初体験なので、そうそううまくいかないと思ったが、持ち前の筋力と体幹の強さで何とかこなす。理「松葉杖は使ったことありますか?」虫「夫が使っていたので、使わせてもらったことはあります」理「あすから、リハビリ室でリハビリを開始します。 車椅子と松葉杖の使い方をやりましょう」翌朝までに、車椅子の操作はマスターした。リハビリは松葉杖だけになった。担当は女性理学療法士にスイッチ。車椅子を使って、自力でリハビリ室に行く。女理「使いこなせていますね。じゃ、松葉杖を」リハビリ室の中と外の廊下を松葉杖で歩く。女理「大丈夫ですね。……じゃ、平行棒、行きますか」リハビリ室の中にある、平行棒へ移動。両手で棒を持ち、片脚歩きするというものだが、虫けらにとって何の訓練かわからない。第一、平行棒なんて生活圏内にないし、筋力強化とか、平衡感覚を養うといった意味合いがあるなら別だが、単純なケガを負っているだけの虫けらの状態から言って不要だと思われた。何度か行き来したら、女理「はい、いいです。…することなくなったなぁ」椅子に座って血圧を測り、あとは雑談して過ごした。あとで聞いたのだが、1日目で3日分のメニューをクリアしたようだ。次の日からは、松葉杖で階段の上り下りに入った。その日から退院まで、松葉杖で階段を上り下りする毎日だった。これ、リハビリ?リハビリ室の階段は5段くらいしかないので、外の、本当の階段を上り下りしていた。週末はリハビリがないので、虫けらは車椅子で廊下の端まで行き、ガラス張りになっていて景色のいいその場所で、筋トレをする。手すりを持ち、折れた左足の太ももを鍛える動きを30分以上続けていたと思う。虫けらのような患者のメニューを特別に考えてほしい。ベッドの上でできるような運動や自分一人でできる筋トレなら、担当患者を何人も抱えて忙しい理学療法士さんのお世話にならずとも済むのだし。毎日「きょうは何をしようか」と考える理学療法士の横で、無表情に黄昏る虫けらなのであった。【黄昏の検査】入院中、レントゲンやエコーなどの検査があった。病棟から検査室に降りるのだが、朝、看護師が部屋にやってきて看「きょうはレントゲンがあります。 あとで診察券持ってきますから、行ってきてくださいね」え、一人で行くの?かくして虫けらは、診察券を携えて一人車椅子で検査室に向かう。エレベーター待ちのボタン操作だって、大変なんだぞ!混んでいるエレベーターに乗り込むの、大変なんだぞ!外来患者がいる待合室に行くと、ジロジロ見られるんだぞ!検査室に入るとき、車椅子だと大変なんだぞ!他の入院患者は看護師が付き添っているのに。付き添いの看護師が受け付けや検査室の入室など全てをやってくれているのに。虫けらはいつもひとりぼっち。看「行ってきてください」の一言。検査が終わって診察券を返すためナースステーションに立ち寄るが、労いの一言もない。虫けらは個室を取っているんだぞ!車椅子は押してもらったら極楽だということを知っているんだぞ。自室に向かいながら、黄昏る虫けらでなのあった。【黄昏のダイニング】入院中、ブルーインパルスが大阪に飛来した。どこで鑑賞しようかと画策する。12階に屋上庭園があるそうだが、行ったことがない。飛行ルートを確認すると、きっとここからだと観られると思われたダイニングに行くことにする。ワクワクしながらダイニングに入り、窓のそばに行くと歩行器を使いながら立っている男性に声をかけられる。男「見えますかね?」虫「見えると思うんですけど。屋上は人が多いでしょうし、 暑いでしょうから、ここから」男「もうすぐですよね」虫「あと10分くらいですね」他の患者も集まってきて、ちょっと会話をしたりしながらブルーインパルスの飛来を待った。結果は、音が聞こえただけ。窓が向いている東側ではなく、もっと西寄りを飛行したようだった。皆、落胆のため息を吐きながら部屋に戻って行ったが、歩行器の男性が話しかけてくるので部屋に戻れず、そのまましばらく話し込んだ。いろいろ質問されたので、都度それに対する見解を述べていたのだが、さて部屋に戻ろうか、となったときに男「明日は屋上に行きましょうよ」虫「そうですね」男「14:00くらいに上で」飛来が14:50くらいなので随分時間があるが、そのことを伝えると男「場所取りもあるし」ということで、適当に約束した。が、翌日は、傷口の洗浄(いつもは10:00過ぎ)など看護師を部屋で待たないといけない用件が相次ぎ、屋上に上がれたのが14:40くらいになってしまった。屋上で歩行器の男性を見つけ、車椅子で近寄ったのだが、虫けらに気づいても会話をしようとする気配がない。怒っているのか?遅くなったことを謝ろうとしても、男性の後ろにしか近づけず、余り深追いしないことにした。約束にしても、一応のものだし、遅れる理由もうっかり、とか、個人的なものではなく、看護に関することなので、致し方ない。虫「あっつ」男「あっついよねー」何事もなかったように言葉が返ってきた。それから普通に喋り、イベント終了後は入院階のダイニングに行こうと誘われる。男「何か奢りますわ」虫「いえ、財布持ってますから、自分で買いますよ」男「いや、奢りますって」頑なに断る意味もない。次に虫けらが奢ればいい。ありがたく頂戴するべく、ペットボトルの飲み物をお願いした。スマホをかざして、auペイで購入しようとするのだが、どうも機器の反応が悪い。すったもんだした挙句、購入してもらった。1時間くらい話しただろうか。部屋に戻ろうとしたとき男「あしたも来てくださいよ」虫「はーい」どうも、懐かれたようだ。男性は、多分虫けらより5歳ほど下だろう(後に判明したのだが、この予想はドンピシャだった)。寂しがり屋なのだと見た。離婚した元妻から、3人の娘に「連絡取るな」という通達が出ているらしく、娘とも会えないとか。こんなときくらい、連絡してもいいのではないか、と言ったが、難しいらしい。その寂しさを虫けらに向けるのは…。。退院しても、メールが来る。LINE電話もかかって来る。随分懐かれている。外来のときにはダイニングに来いと言う。自身の退院時には、酒を飲みに行こうと誘われる。酒はいいのだが、杖をついて飲みに行くのは格好悪い。杖が取れてから、とやんわり断るが、タクシーを使えばいいとか、家まで送るとか、いろいろ言ってくる。夫と過ごした25年の間にすっかり男性の扱い方を忘れてしまったので、どうしたものか…と黄昏る虫けらなのであった。 完
2025.07.26
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「トントントン」9:30くらいにノック音がした。するりと入室してきたのは、怖い主治医だった。怖い主治医の登場を待ちに待った1週間が過ぎ、もう諦めたものと思っていたのに、怖い主治医の姿を見た途端、虫けらの顔面からは最大限の笑みがこぼれていたと思う。まだ期待していたということか。虫「先生、いらしてくださったんですね」怖「きのう、カルテ見てて気づいたんや。 けど、まぁいいかって…」虫「えー、そんな扱いですか」怖「もう(夜)8時過ぎてたからな」虫「8時ならまだ起きてましたのに」怖「さーけどや」虫「ま、そうですよね」1年前の入院時の会話のテンポと口調が戻って来た。怖い主治医は、診察室では必要以上の単語を話さないし、虫けらもつっけんどんと言われても仕方ないような端的で無駄がない(どころか、いつも言葉足らずになる)会話しかしない。笑いや軽口は全く存在しない。特に今年に入ってからは。ところが、診察室以外で顔を合わせると(といっても、診察室以外は病室しかない)、とてもスムーズで自然な会話ができる。虫「お忙しいのに、すみません。 あ、きょうは手術日ですよね」怖「きょうは手術はない。大丈夫」虫「よかった」こんな会話から、怖い主治医とのやりとりが始まった。担当医のことを少し話題にした。担当医がまだ新人(?/10年ほど前)の頃、怖い主治医が指導(多分手術)したらしく、笑顔でそのことを語ってくれた。虫けらが、今回のケガのことについて話したら、それまで壁際の離れたところで話していた怖い主治医は、ベッドの左サイドまで近寄って足の状態を見てくれた。担当医がするようなアドバイスではなく、あくまでも一般的なケアの手法を教えてくれたり、感想を話してくれたりして、若い医師からは得られないベテラン医師の知見に感動した。話を聞いていると、怖い主治医は虫けらの状態を熟知していることがわかる。カルテをよく読み込んで分析しているのだ。ま、単純なケガなので、ベテラン医師にとっては大した労力ではなかったのかもしれない。話している間、虫けらは終始ベッドの上で、左足を(固定装具をつけて)伸ばして座っている状態。すっぴんの上、病院のパジャマを着て医療用の帽子をかぶっていたので、病人然と見えたのか、元気なときの虫けらより小さく見えたのか、それとも頼りなく見えたのか。ふと怖い主治医の顔を見上げると、初めて見るような、とても優しい笑顔で虫けらを見下ろしている。『こんな笑顔初めて…』と思った刹那、怖い主治医が虫けらを優しく抱き締めてくれた。はたから見たら、「ハグ」と言うかもしれないが、虫けらにとってはまごうことなく「抱き締める」であった。虫けらは、自らの手の置きどころに迷った。怖い主治医がすぐに離れなかったので、ゆっくり怖い主治医の背中に両手を回した。そのタイミングで、怖い主治医の虫けらを抱き締める力が少し強くなった。そして、耳元で小さく一言つぶやいた。が、虫けらにはその言葉が理解できなかった。気が動転していたのか、ぼうーっとしていたのか、はたまた腑抜けになっていたのか。「頑張れ」「大丈夫」「すぐ治る」などというケガに関する言葉か。しかし、もっと短い単語だったような気がする。この後ずっと考えているが、まだわからない。耳には入っているので、あるときふと思い出すかもしれない。随分長い間抱き締めていてくれた。といっても、5〜7秒くらいだと思う。意外過ぎる展開だったので、実際より長く感じたのか。これ以外にも、会話や絡み(変な意味ではない!)がいろいろあったが、全容は虫けらがあと数日で死ぬとわかったときにアップしようと思う。大丈夫。記憶が薄れないように、既に文章化してある。ふふふ。という、余りにも衝撃的な怖い主治医との面会だったのだが、その行動の根源は何なのかがわからずにいる。主治医が担当患者を心配する気持ち長い付き合いの患者をかわいそうに思った小さく哀れに見えた患者への衝動的な言動人の思いは全くわからない。直接聞いてみることはできないだろう。妄想に耽ることにする。実は、虫けらの妄想劇場の中で、こうしたハグシーンは登場したことがあった。シチュエーションも今回と同じ、再入院中。とはいっても、間抜けなケガではなく、ガンに関する症状(副作用など)での入院だが。今回の入院は、全く無駄な入院だと思っていた。経緯から言って、ちょっと注意していればしなくていいケガだったし、骨折ではなく、打撲程度に収まってくれていたら、入院は回避できていたのに…。担当医から、ケガの治療に要する期間は6週間ほどだと聞いた。このケガは、人生の終焉に来て、貴重な時間を削る本当に無意味なものだと入院中ずっと考えていたが、怖い主治医の虫けらに対しての言動を思うと、人生の貴重な時間と引き換えにしても余りある大変嬉しいことだったと思う。虫「冥土の土産がまたできました」怖「死なんよ」虫けらは、去年の入院時、怖い主治医との会話の中で、「冥土の土産」と言った。怖「またそんなこと言うて」と怖い主治医は少し表情を曇らせたが、今回は、笑顔で「死なんよ」と言ってくれた。いや、間もなく死ぬのは確かなのだが、「死なんよ」と言ってくれたことは、虫けらの気持ちを少し明るくしてくれた。何しろ、怖い主治医様の言葉である。あ、そうそう。一昨年からの課題であった、「虫けらの怖い主治医に対する気持ち」をそろそろ書かねばならぬと思っている。わかっていたが、結論づけることができなかったことも今回はっきりと認識できたので、近いうちに。退院前日の朝。このタイミングは、きっと怖い主治医が図りに図ったものだったのだろう。大変「スマートで、いい男」を自認していると思われる怖い主治医のことである。虫けらの感情や状況をうまく捉えて怖い主治医のことを最大限良好に印象付けることのできる絶妙のタイミングを図っていたに違いない。多分、虫けらが救急にやってきた直後(医師がカルテを開いたとき)虫けらの来院を察知したのではないだろうか(救急処置室で知ったのだが、ある人がある患者のカルテを開いていると、開いているのが誰だかわかるし、そのカルテを他人が扱うことができなくなるようだ。「開示中」のサインはどこででも確認することができる)。何しろ、何でも知っている怖い主治医のことだ。虫けらの情報はすぐに収集し、あらゆる策を講じていたと考えられる。と、妄想はこのくらいにして。今回の怖い主治医の来訪は、人生で最大級の驚愕と感動を与えてくれた出来事であった。ふふふ……。 つづく
2025.07.25
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今回は、整形外科病棟への入院だが、虫けらに関わってくれた医師は4名いる。回診に2度来てくださった部長先生を入れたら5名になる。虫けらは人気者である。病気(ケガ含む)に。【救急医 Dr.N】救急車で搬送されたとき、最初に診てくれた医師である。虫けらは、残念ながら「心細い」「不安」などという感情とは無縁の生き物なので、一般的な人々よりもありがたみなくこのドクターと接していたが、手際のよさ、判断の速さ、指示の的確さから救急医としては相当なレベルだと思った。もちろん、虫けらの症状が単純で軽いということがベースだが、イヤミを言ったり、不機嫌になったり、嫌な顔をしたりといった、救命救急の現場ではありがちな、感情が出る場面も全くなかった。常にポーカーフェイスで、ときには小さな軽口も叩きながら、スムーズにケガの処置をしてくれた。虫「こんなつまらないケガで救急要請してすみません」Dr.N「つまらないことない。救急車呼んでください(キリッ)」看護師「先生、座って作業してください。腰を傷めます」Dr.N「救急医は座らない」虫「素晴らしい。救急医のお手本!」Dr.N「(ニヤリ)」(指と爪を縫合してもらっているとき)虫「先生、麻酔効いてません」Dr.N「え、ほんと? 麻酔足しましょか?」虫「麻酔も痛いので、我慢します」Dr.N「そう。ありがとう」救急処置室でこんなほのぼのとした会話ができるのは、このドクターの人柄ならではなのだろう。入院4日目に、Dr.Nが病室を訪ねてくれた。虫けらは驚いた。救急医が病棟に来ることがあるのかと。Dr.N「左手親指の付け根、どうですか?」虫けらは何のことを言われているかわからず、虫「え、付け根? 爪しか問題はありませんが」Dr.N「そう。CTで付け根に骨折のような所見があると 書いてあったから」虫「いや…、痛みもありませんし、特に異常は…」と言いながら、ドクターに向かって手を差し出した。触診をしてくれるか、少なくとも目視で確認するかと思ったのだ。Dr.N「いや、僕が触ってもわからんし」えーーーっ、そうなの?そんなに虫けらに触るのが嫌なの?じゃ、何しに来たん?虫「いまのところ、問題ありません。 わざわざ来てくださって、ありがとうございます」Dr.N「いえいえ、当然です」という言葉を残して去っていった。一体何だったのだ。その日は、担当医が別の病院の診察が入っていて不在だったということが関係しているのかもしれないが、入院から4日も経って、それ? である。にしても、わざわざ病室まで足を運んでくださったのは、患者として大変ありがたいことである。しかし…、そういう疑問があったとしても、担当医に伝えて、担当医が虫けらに確認するのが筋というものだろう。翌日、このことを担当医に伝えたら、担「あー、(画像上)そう見えただけでしょう。問題ないですよね」虫「はい」で終了だった。先にも書いたが、Dr.Nは大変端正(精悍)な顔立ちである。上背がないのがちょっと惜しいのだが(あくまでも虫けらの私見)、いい感じの医師である。看護師の評判としては、「ちょっと変わってる」だが。。【担当医 Dr.I】初対面は、救急処置室である。背の高い、品のいい若い医師が虫けらの担当医と知って、ちょっとうれしくなった。顔立ちは、若い頃の仲村トオル的なあっさりした感じ。声は穏やかで、静かな話し方(声そのものは、少し少年ぽい。やや高めの成分がある)。表情を大きく変えないし、余り抑揚のない口調が年より落ち着いた雰囲気だ(虫けらの計算では、実年齢36〜38歳)。この若い医師が、毎朝8:30くらいに来てくれる。必要があれば、夕食後にも訪ねてくれる。こういう医師の行動は、患者に安心感を与える。虫けらのような単純なケガだと実感しにくいが、痛みや薬の副作用が出ているような患者だと、常に不安と苦痛に悩まされているわけで、そのことを医師が理解し、素早く対処してくれるのはこの上ない安心材料なのだ。退院後の初外来のとき、本来は、診察日でない担当医が特別に虫けらを診てくれた。診察日の月曜に設定したかったのだが、祝日に当たってしまったので、手術日の水曜日に無理して診察を入れてくれた。レントゲン画像で、手術の要不要を決定するのと、左手親指の抜糸をしてもらうためだ。本来の診察室ではなく、「ギプス室」という狭い作業場のようなところでの診察だったので、Dr.Iも虫けらも気持ちが落ち着かなかったのかもしれない。レントゲン画像による診断が終わった時点で、双方「終わり」の認識を持ってしまった。杖をついて廊下を歩き、待合室に戻ってしばらくしたら、看護師とともにDr.Iがやって来た。手には何かの器具を持っている(多分抜糸剪刀/ハサミ)。Dr.I「左手を…」虫「あ、抜糸をしてもらわないと!」またギプス室に戻った。待合室までやって来たDr.Iの姿を見ると、とてもかわいいと思った。「息子」と言うには少々年が上だが、看護師に指示するだけではなく、自らも来てしまうところに、誠実さを感じた。杖をついて歩く虫けらをまたギプス室に戻らせるのが申し訳ないと思ったゆえの行動だと思う。ドクターが来てくれたところで、虫けらの労力は1ミリも減らないのだが。これからも、何回か診察を受ける。(まだ)親しくなっていないし、軽口を叩くような人でもない。しかし、もう少し面白い会話ができたらいいな、と思う虫けらであった。【内科医 Dr.S】こんなイレギュラーな事故がなかったら、半年に一度の内科の診察を通常どおり受けるはずだったが、車椅子での外来受診は難しいということで(内科の待合室はいつも激混みである。しかも、診察室が外科や整形と比べて狭い。車椅子で入るのが困難なのだ)、病室に往診してもらうことになった。病室担当の看護師が14:00ごろに来てくれて看「S先生が往診してくれるんですが、 もう外来は終了しているはずで…」虫「時間の連絡はないんですね」看「ゆっくりランチでもされてるんですかね」虫「来てくださるのはありがたいので、待ってます」看「ちゃんと先生には伝わってますから、ちょっと 待っててくださいね」というやりとりの後、16:00まで待った。本当に来てくれるのか?車椅子の虫けらは、トイレに行く際、ドアを開けっ放しにして用を足さないといけない。車椅子が中に入らないからだ。14:00からずっとトイレを我慢していた。早よ来てくれい!この時間は、日中と夜間の看護師が申し送りをする時間。いまのうちにいつドクターが来てくれるのかを確かめないと、事情を知っている日中の看護師が交代していなくなる。これはいかん、と車椅子でナースステーションに行った。一番近くにいた女性看護師(初見)に目配せした。看「何かご用ですか?」虫「内科のS先生が往診に来てくださる予定ですが、 まだなんです。お忘れではないかと思って」病室番号と名前を名乗って聞いた。看「調べてみます。お部屋でお待ちください」不安だ。明日退院だというのに、今日往診がなかったら、どうなるのだ!ヒヤヒヤものである。一向に返事がないまま、ひたすら待っていたのだが、看「夜の担当の◯◯です。何かありましたら…」男性看護師が部屋にやって来た。虫「実は、内科のS先生の往診が…」事情を説明した。看「わかりました。ちょっとお待ちくださいね」時刻にして17:00。間に合うかどうか、ギリギリの攻防になった。5分ほどして男性看護師が戻って来た。看「先生に連絡したら、明日が退院とご存じなかったようで…」虫「え、明日往診のつもりだったってこと?」看「よくわからないんですが、間もなく来てくださると思います」虫「わかりました。待ってます。ありがとうございます」結局、先に問い合わせを依頼した女性看護師は何の仕事もしなかったということだろう。こういうとき、やっぱり男性の方が仕事をするな、と思ってしまう(多少の偏見あり)。17:30に担当医の I 先生が最後の診察に来てくれた。退院後のスケジュールや段取りを話しているときに、内科医Sがドヤドヤとやって来た。診察室では、こんなにでっかい(横幅と顔)人だとは思わなかった(前回の診察から半年経っているので、その間にでかくなったのかも)。対してすらっと長身なDr.Iがとてつもなく格好よく見えた。しかも、「お話中なら、後で…」とか、「よろしいですか?」といった言葉もなく、ズカズカと入ってくるではないか。やおら大きな声で話し出す。Dr.Iが「診察日、よろしく」的な仕草と雰囲気で、場を辞する。あー、もうちょっと話したかったなぁ。入院中の最後の会話なのに。内科医Sの説明は簡単なものだった。Dr.S「検査結果は問題ないので、また半年後に」だけである。伝言でもよさそうなものだ。Dr.S「9月か10月に予約入れてくださいね」という言葉を残して去っていった。トイレを我慢し、病室から出るのを控えていた虫けらの2時間半を返してくれい!!!【怖い主治医】怖い主治医の診察予約も1ヵ月と少し先に入っている。絶対この日でないとダメ、という診察ではないので、早めに状況を説明し、診察日を後にずらしてもらう方が迷惑をかけずに済むと考えた。入院3日目の朝、その話をしたかったのだが、担当医 I 先生は朝の診察時、歯磨きをするために洗面所(兼トイレ)にいた虫けらに気づき、Dr.I「後でまた来ます」とスルーして他の部屋に行ってしまった。2時間待っても戻って来てくれなかった。その日は手術日だからか、夜の診察もなかった。翌日は別の病院の診察でお休み。翌々日にようやくその話ができた。虫「主治医の◯◯先生は、私が入院していることご存じですか?」Dr.I「気付かれているかもしれません。僕からは言ってませんが」入院5日目である。きっと怖い主治医は知っているだろう(「怖い主治医は何でも知っている!?」)。病院内での虫けらの行動はすぐさま察知する怖い主治医のことだ。虫けらは、入院した日に会いに来てくれると思っていた。なぜ会いにくる?主治医だからじゃないか。根拠は薄弱だが、きっと会いに来てくれると思っていた。しかし、入院5日目にしてもまだ来ない。しかも、担当医は報告すらしていないという。そんなものなのか。それ以後もずっと怖い主治医は来てくれなかった。次の診察を延期しなくてもいいものか。ま、退院してから電話してもいいし、怖い主治医に直接言わなくても問題ない。これを口実に看護師などを介して連絡してもらったら、あざとすぎる。診察日までまだ5週間ある。ケガがどんな状態になっているかもわからないのに、早々に連絡する意図にあざとさがにじむではないか。怖い主治医が来てくれることはないな、と入院1週間で諦めた。どんなに手段を講じても、偶然を装って会うシチュエーションは創り出せなかった。そうして過ごした、退院1日前の朝。9:30くらいにノック音がした。担当医の診察は8:30(既に来訪済み)。バイタルチェックは10:00過ぎ。掃除は既に終わっている。誰だ? つづく
2025.07.24
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通常の入院は、ドクターのオペ日程や自身の仕事の都合などを勘案し、1週間とか、ひと月などの猶予をもらえる。が、今回は救急搬送からの緊急入院である。入院必至なのは想定していたので、必要最低限の所持品は確保していた。抗がん剤の治療に際して、予期せぬ副作用や、緊急性のある症状が出た場合、入院を指示されることがあるので、虫けらはいつも入院セットを用意していた。(詳しくは、人生の終焉に…緊急入院の顛末 ②をご覧ください)今回の入院で、これは大変役立った。実は、病院で購入できるものがある。●ティッシュ(Box)●歯磨きセット●コップ(でんしレンジ対応)●箸とスプーン●ゴミ袋(20L)●タオル(安物)●ハンドタオル(安物)●シャワー3点セット(試供品サイズの シャンプー・コンディショナー・ボディソープ)このセットで1800円である。全て百均で揃うような品質なのに。。せいぜい700円くらいだろう。ボッタクリである。しかし、救急車で搬送してもらうときに、こういうものを持参するとなると、荷物がかさむ。他にも必要なものがあるので、カバン一つに収まりきらないこれらは、購入となることも致し方がない。虫けらは、携帯電話2台とイヤホン、充電セットは絶対必要だと思う。2泊以上の入院なら、パソコンが欲しいところだが、パソコンは荷物になるし、その重さから勘案して、退院時に大変な負担になるだろうと予測された。泣く泣く諦めたが、それを補うのが2台の携帯電話である。1台はアクティブ(メールチェックやメールの送受信、Xのチェック、買い物、調べ物など)に使用し、1台はYouTubeなどの動画を視聴するのに当てる。イヤホンは、動画視聴のときに必要になる。前回のブログに書いたが、入院生活は慌ただしい。しかし、下界と隔絶されるのは避けたい。今回の入院中には、ブルーインパルスの編隊飛行があり、この情報入手にも携帯電話が役立った(イベント自体は入院前から知っていたし、スケジュールをカレンダーに記載していたのだが、当日の各種変更事項のチェックは重要)。病室にはテレビがあるが、そもそももう5年以上テレビを観ていないので、今更何を観るということもない。旅行に行ったとき、一応つけるにはつけたが(ご当地の番組を観てみようという気持ちで)、相変わらず大した番組をやっていないので、数分で消した。ポケットWi-Fiも一応持参した。病院にはWi-Fi設備があるが、速度や容量に問題があるときは、持参したポケットWi-Fiを使用するという保険。これだけ機器を持ち込んだら、絶対必要になるのが充電関連機器。ケーブルの長さのバリエーションも考慮しないといけない。最近のベッドの枕上部分には、各種機器との接続コネクタとともにコンセント(4口程度)があるが、古い病院なら、その限りではないだろう。さらに、以前の入院時に必須としていたのが「飲み物」の確保だ。病院には必ず売店があるが、スペースの関係で2Lボトルなどの大容量飲料は置いていない。いちいち150円で500mlの飲み物を買っていては、飲み物代がかさむ。前回は、2Lのアクエリアスを数本とキレートレモン数本を持ち込んだ。今回はそれができなかったので、「麦茶」「ビタミン飲料」のペットボトル(500ml程度)を購入し、飲み終えたボトルに無料の水と煎茶(配膳室や談話室に給湯器が置いてある)を注いで(朝と早い夕方。これで2Lが確保できる)入院中の水分補給を賄った。下着1枚とタオル1枚は持参していたので(タオルはぼったくり入院セットに1枚入っていたので計2枚)、これで何とかなった。しかし、タオルはもう1枚、靴下も1足余分にあるとよかった。これで本当に足りるのか、と思うが、下着も靴下も手洗いしてトイレに干していたので(個室を取ったのでできたことだが)、何とか賄えた(靴下は数日後に追加購入した)。贅沢を言えばキリがない。女性なら、化粧品(スキンケア用品)は必携だが、虫けらはかなり無頓着な性格なので試供品サイズの化粧水と美容液、クリームだけだった。洗顔料は入っていたが、メイク落とし兼洗顔料だったので、すっぴんの顔にはきついだろうと判断し、体を拭きに来てくれるときに、最初に顔を拭かせてもらい、朝晩の洗顔は、水洗いのみで乗り越えた。ブラシ(髪用)は必要だと思う。虫けらは、抗がん剤の影響で髪がおかしいので、医療用のキャップを被っていた。髪型や寝癖を気にすることはついぞなかったが、そういう問題がないなら、ブラシがないと困ったと思う。問題は「着替え」である。パジャマは、病院のリース品を利用できる。1着150円と安価だし、洗濯は必要ないので柄やデザインに文句がないなら、利用すればいい。しかし、同じパジャマを着ている人が大勢いるので、体型を比べられたり、没個性になることは必至である。下着が厄介である。病院では、各種検査を頻繁に受ける。そのとき、金具があるものはNGだ。虫けらは、救急搬送時にタンクトップインナーをシアーシャツと合わせて着ていた。入院時はタンクトップインナーを下着代わりにしていたが、退院時にも着用しなければならないので、代わりの下着が必要だった。下着にもなり、トップスにもなるものが欲しい(冷房が効いているときは、パジャマだけでは寒いし、効いてないときは、パジャマを脱いで下着だけで過ごしたい)。看護師さんに確認したら、病院が宅配便を受け付けてくれるとのことなので、アマゾンで購入した。●ノースリーブのTシャツ2枚セット●靴下5足セットこれは、大変助かった。靴下は病室では履かないのだが、検査など病室から離れるときには、裸足では危ないだろうし、ちょっと失礼な感じがする。あ、病室を出るときは、車椅子を使っていたので、怪我した方の足は靴は履かないから、そう感じたのだが。そんなこんなで、11日間の入院生活を何とか凌いだ。余談だが、今回は、見舞いの打診を全て断った(相手は全て男性。お客さんがほとんど)。何しろ、検査などで忙しいし、余りに汚いすっぴんを見られることも、病院のパジャマを着ていることも、車椅子生活であることを、見られたくなかった。そもそも、短期の入院で済みそうなので、退院してからゆっくり会っていただくということで、了解してもらった。入院期間をできるだけ短縮するというのは、いまの医療界の方針のようだ。昔なら、1ヵ月ほど入院という症例でも、最近では1週間〜20日間ということも少なくない。年齢(身体能力)や自宅での生活状況などを勘案して期間を決めるようだが、身体能力も自宅での生活状況も問題のない虫けらは、1週間で退院日程を決めるということになった。そのときに状態がよくても、その日(月曜日)に退院というのは無理なので、翌日(火曜日)に、ということになったのだが、水曜日に別の科の検査・診察の予約が入っていたので、それを済ませた木曜日に退院ということにしてもらった。(もし、月曜日の検査で状態が悪化していたら、手術〜経過観察で2週間、リハビリの状況でさらに数週間追加入院になることもあるそう)2日間の延期のために入院費用がかさむことになったのだが、そんなことは藻屑と消えるほど衝撃的な出来事があったので、延期になって「よかったー」と思った。そのことは、次回(か次々回)に記すとして、そんなことがないように祈りながらも、新たな入院セットを構築することにしようと考える虫けらであった。 つづく
2025.07.23
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「入院」と聞くと、「眠りたい放題」というイメージがある。生活時間のほとんどをベッドの上で過ごすのだから、いつでも睡眠を貪れると考えるのが普通だろう。入院初日の夜は、痛くて眠れなかった。病室に入ってすぐ、虫けら「痛み止め、出してもらえますよね」看護師「先生にお願いしておきますね」という会話があったのに、しかも、夕方病室に来てくれた担当医にその旨を伝えたのに、結局、夜の痛み止めが出なかった。救急外来で、救急医が指示してくれた1錠は13時半くらいに服用したので、寝る前には薬効は切れていたはずだ。ひどい話である。ところが、外が明るくなってくると、眠気が襲ってくる。YouTubeの音声を聞きながらコクッとなったところで、「おはようございまーす。お薬出てますー」と唐突に看護師が入ってきた。慌てて起きる。痛み止めだった。朝食後の服用なので、まだ飲めない。時刻は6:30である。7:00前「日中の担当の◯◯です。何かあったらすぐに呼んでください」担当看護師が挨拶に来る。7:00過ぎ「お茶かお水、ありますかー?」と、朝食用の飲み物担当の女性が入ってきた。7:30過ぎ「おはようございます。朝食です。お名前をフルネームでどうぞ」8:00過ぎ「お食事終わりましたかー?」食器を下げてくれる。歯磨きや洗顔を済ませたら、8:30担当医の朝の診察。現在の状態のチェックと治療方針の説明。9:00前「お掃除させていただいてよろしいでしょうか」お掃除の係の人がやってきた。9:00過ぎ「ゴミはありますかー?」お掃除が終わるとゴミの回収。10:00前「血圧とお熱を計ります」担当看護師が登場。10:00過ぎ「栄養士の◯◯です。ちょっとご説明、よろしいですか?」「薬剤師の◯◯です。薬についてのご説明をします」「リハビリ担当の◯◯です。午後からのリハビリについて ご説明します」連続の来訪。11:00前「お身体を拭くのと、洗髪となら、どちらがいいですか?」洗髪がいいと告げると、すぐに行こうと言われる。11:30洗髪から戻って髪を乾かしていると「お茶かお水をお持ちしました。ありますかー?」12:00前「昼食でーす。お名前をフルネームでどうぞ」ランチがやって来た。12:30「お食事、終わりましたかー?」13:00「リハビリにまいりましょうか?」理学療法士がやって来た。リハビリメニューは約1時間。14:00リハビリから戻る。14:00過ぎ脚の固定装具を販売する業者がやって来た。事前に身長・体重を聞いていたのか、虫けらの体型に合う装具を持参している(実は、この病院では、一昨年の最初の入院の際に計測した数値がそのまま使われている。虫けらはその数値から変化がないのだが、そんな人ばかりではないだろう。大丈夫か?)。業者はおっさん(すみません)。やおらベッドの上の虫けらの足に装具を装着していく。装具の説明と注意事項、料金の支払い方法を指示される。それまで虫けらが着けていた装具を回収し、「返しておきますね」と、病室を出る。所要時間30分くらいか。15:00「血圧とお熱を計らせてください」看護師の来訪。15:00過ぎ「傷口の洗浄をします」左手親指の手当てをしてもらう。これを終えたら、店の予約のキャンセルや連絡が必要な関係先へのメールや電話を始める。間の悪いことに、結構たくさんの予約が入っていたし、店のシロアリ駆除のスケジュール調整やゴミ回収業者への一時休止連絡、保険会社への問い合わせなど、連絡先がたんまりあった。17:00「お変わりありませんか?」担当医の来訪である。メールのやり取りの真っ最中なのに、一時休戦となった。17:30「お茶かお水をお持ちしましたー」18:00前「夕食でーす。フルネームでお名前をどうぞ」19:00前「お食事は終わりましたかー?」19:00過ぎ「夜の担当の◯◯です。何かありましたら、 いつでもコールしてくださいね」日中と交代した看護師がやってくる。20:00前後「血圧とお熱を計らせてください」こんな調子である。いつ、眠れるというのか。21時の消灯までに、夜中や朝の飲み物の準備やグルーミング、メールチェックや対応、サブスクの生番組の視聴などやることは山ほどある。入院生活は忙しい。昼間の忙しさから、夜はよく眠れそうなものなのだが入院から3日目くらいまでは余り眠れなかった。怪我の痛みが第一の理由だが、寝返りが打てないことや固定装具のために思ったように脚が動かせないことが大変なストレスになっているようだ。入院生活は始まったばかりである。 つづく
2025.07.20
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救急搬送されて、ようやくたどり着いた救急外来。ストレッチャーで運び込めないほど混雑している。廊下には家族らしき人々。救急車には、家族などの同乗者が必要なのだが、虫けらには近くに肉親や親戚がいないので、一人でやってきた。もし前夜、心配して声をかけてくれた女性に119番通報してもらったら、同乗してもらう羽目になったかもしれない。結構ややこしいのだ。救急搬送途中に死亡することもあるだろうし、意識不明の状態で搬送したら、(連絡先などがわからぬままなら)以後の措置が煩雑になるだろう。最近は、日本に住む外国人が気軽に救急搬送要請をするらしく、有料にすることも検討されているとか。有料になることは致し方ないが、原因が外国人の節操のなさだとしたら、日本人としては情けない限りだ。虫けらのように、「救急搬送を要請する条件」をいつも意識しているのが日本人というもの。できるだけ人の力を借りず、できるだけ人の迷惑にならず、できるだけ社会の荷物にならぬよう配慮して生きている、それが日本人なのだ。救急外来に入ると、先客がわんさかいて、看護師も医師も入り乱れて作業しているが、とりあえず虫けらにも担当看護師がついてくれた。虫けらを搬送してくれた救急隊の一人が、救急医に状況を説明してくれている。救急医は虫けらの電子カルテを表示しながら救急隊の説明を入力していく。看護師と虫けらはしばし待機。一通りの作業が終わった救急隊は、虫けらに向かって一礼、虫けらは虫「ありがとうございます。お世話になりました」と声をかける。救急医が虫けらの前に立つ。医「左脚と左手親指やな」と言いながら、虫けらの左脚と左手を目視する。医「この他に痛いとことかない?」虫「ありません。怪我もありません」医「全身を確認しますね」救急医が頭から肩、背中、腕、腰と、上から下へと触診(服の上から)しながら確認する。医「他は問題ないな。 採血とレントゲン、CTも撮って。あ、先に痛み止め飲ませてな」看護師は虫けらの車椅子を押しながら、採血できるスペースに移動。採血が済んだら、3階の検査室に移動だ。救急外来から出ようとすると、最初に指示してくれた救急医が医「痛み止め飲んだ?」忙しい中でもチェックしてくれる、気遣いのできる医師だと感心した。こういうガチャガチャな状況では、医師も看護師も、患者自体もいい加減になるものだ。しかし、虫けらにとっては、「痛み止め」という特効薬が何よりも必要だし、これを求めて救急外来に来たと言っても過言ではない。虫けらとしては、「服用」ではなく、「静注」で入れて欲しいくらい即効性が求められたが、わがままは言えない。服用で我慢した。左脚と左手のレントゲンは、技師が新人なのか、大変時間がかかった。脚の向きや角度を変えるのは大変な痛みが伴うのだが、経験が浅い技師は、機器ではなく虫けらの脚をあらぬ方向に向けようとする。痛いのだが、いちいち痛いと言っていては面倒な患者と思われかねないので黙っていた。すると、先輩の技師が出てきて指導する。『先に指導してくれよー』虫けらを実験台にするなよと心の中で思う。CTに至っては、ベテランと思しき男性技師なのに、車椅子から3〜4歩ある機器まで技「歩いてこちらに来れますか?」と聞いてくる。虫「一歩も歩けません」と言うしかない。医師や看護師なら、こういう間違いはしないと思うが…。画像撮影が終わったら、再び救急外来へ。採血の分析や画像が電子カルテに送られるまで待機。救急医が虫けらのところにやって来て、医「とりあえず、左手の爪を処置しよか」(左手親指は、多分ハンドルか倒れてきた車体に引っ掛けたようで、爪の上半分が内側から外側に向かって割れて剥がれかけている。事故当初は大変な流血だった)虫「どうするんですか? 爪を剥がす?」医「え、剥がしていいんですか?」虫「剥がす以外にどんな処置を?」医「縫います」虫「縫う?」医「爪はあった方が指にはいいんです。 残った爪が生えて伸びるまで、 置いておいた方がいい」ということで、爪と指先の肉を縫い付ける処置が施された。親指の付け根に麻酔が打たれる。その痛みたるや…。薬剤が溜まってぷっくーと膨れ上がる。救急医がひと針目を爪の右側に入れようと患部に器具を当てる。虫「先生、まだ麻酔が効いてません」医「ちょっと置こか」30秒ほど待って再び針を入れる。医「痛いですか?」虫「痛くないです。針が入っているのはわかりますが」二針目。痛みはない。麻酔が効いている。三針目。痛い!虫「先生、麻酔が効いていません。痛いです」医「え、痛い? 麻酔足そか?」虫「麻酔も痛いから、このままでいいです。 我慢します」結構な痛さだが、麻酔の注射をまた打たれるより、縫合を続行してもらった方がよいと考えた。看護師が医師に向かって声をかける。看「先生、座ってください。腰に来ます」医「救急医は座らない」面白い先生だ。いや、見上げた先生だ。いちいち座っていては、次々にやってくる患者をさばけない。救急外来というのは、そういうものであり、この先生は、それを体現しているということだ。大変痛いのを我慢しながら、縫合は終わった。医「脚の方の説明をします」モニターにCTの画像を映しながら医「ここが折れてます。場合によっては 手術が必要になりますね」虫「プレートですか?」医「ん、どういう手術にするかは、整形の担当医と 相談して決めてください」救急医とはここでお別れし、整形の担当医の元へ。救急医は、精悍な顔立ちながら、小柄なせいで威厳がない(あくまで私見です。勝手な評価、申し訳ありません)。比して、大変高身長の好青年の担当医。話し方も穏やかで、感じがいい。この人が虫けらの担当医になってくれるのかと思うと、少し安心だ。波長の合わない、きつい感じの医師だったら(怖い主治医のような)、怪我のショック(余りないが)に加えて心の負担になるに違いない。担「いまは、ヒビの状態ですが、ズレたら厄介なので、 プレートを入れた方が安心やし、治りも早いです」虫「ズレなければ、手術は必要ないんですよね」担「保険として、ボルトだけ入れる手もあるけどね」虫「ずれないように注意します。手術はしない方向で お願いしたいんですが」担「……ん、それなら、1週間様子見ましょか。 1週間後に決めるということで」虫「はい。最低1週間の入院ですね」担「リハビリもありますから、2週間くらいと思ってください」虫「わかりました」かくして、緊急入院ということにあいなった。車椅子に乗ったまま病棟へ。救急外来に到着してから病棟に上がるまでおよそ3時間。気がついたら、病室にいた虫けらであった。 つづく
2025.07.19
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自らの自転車に襲撃されて、膝下を骨折(多分。打ち身でこれほどの痛みは発生しない)した虫けらは、まんじりともせずに一夜を過ごした。連続営業の疲れが厳然とあり、片脚歩き、片脚漕ぎで体力を消耗したこともあり、とりあえず少しは眠りたいのだが、1分ごとに脚の状態を変えないと痛くてどうしようもないので、眠ることができなかった。早朝(4時ごろ)、救急隊出動の要請を覚悟し、「さて、スケジュールをどうするか」と考えた。救急隊出動の要請時間は、近隣住民が動き出す時間と重なるのは避けたい。救急車の存在やサイレンに騒然となるだろうし、エレベーターを占領することになる事態が大変迷惑だろうと考えたのだ。しかし、人々がまだ眠りの中にいる今の時間帯はもっと迷惑だろう。昼前まで待つか。それまでどう過ごすか……。飲み食いができない。昨夜からゲリリンが続いている上に、飲み食いの末の尿意、便意は必至である。トイレに立つ回数を少しでも減らしたい。何しろ、余りの痛さと体力の消耗で、汗だくになるし、ほとほと疲れてしまう。1分ごとに脚や体勢を変えながら、7時間以上をマッサージ機の上で過ごしたが、そろそろ準備をしなければ。1〜2日の入院に対応する備品セット(下着、タオル、ウエットタオル、スキンケアセット、歯磨きセット、うがい薬、ティッシュ)、ポケットWi-Fi、充電ケーブル、副携帯、イヤホン、メガネ、ボールペン、医療用帽子など携行品をちょっと大きめのバッグに詰めた。パジャマは2階に上がらないといけないので諦めた。本当は、もっとたくさん必要になる(下着やタオル)だろうが、救急車に持ち込むことを考えると、バッグ1個に収めないと顰蹙ものであろう。正午を過ぎた。救急隊も病院の救急医や看護師も昼食を取る時間が必要だ。13時まで待とう。その間に身支度と着替えをする。立った姿勢での着替えは無理だ。洗面所に座り込んで、左脚を伸ばしたままスラックスを履き、下着や上着を着る。靴下を履くのが困難。くるぶし下のソックスをかかとまで下ろすのがこんなに大変なのか。日頃から柔軟体操をしていればよかった。虫けらは体が硬い。ストレッチや簡単な運動を布団の上でするのが習慣だが、柔軟体操はほとんどしたことがなかった。(しかし、2日もすると、すんなり履けるようになった。これを機に、柔軟体操をしよう)用意を済ませ、カバンを玄関に置いて携帯で119をコールする。119「消防ですか、救急ですか』虫「救急車をお願いします」119「どんな状態ですか?」虫「左脚の膝下が骨折したようで、歩行不能です」こうしたやり取りで、救急車を要請した。119「玄関の鍵は開けられますか?」虫「今、玄関から電話しています。鍵は開けました」119「では、しばらくお待ちください。いま…出動しました」119のオペレーターの言葉が終わる前に、サイレンの音が聞こえた。実は、虫けらの自宅と最寄の消防署の直線距離、100m余りと、大変近い。この分だと、1分もあれば到着するだろう。余談だが、大阪市の救急隊は男前が多い。夫のために救急要請したときは、大抵同乗することになるのだが、いつも3人1チームでやってきて、搬送者を救急車に乗せるまでは3人で、救急車の中では一人は運転に専念、後の二人でバイタルチェックや搬送先病院への連絡などをこなしていく。これまでは、3人とも若い男性だったが、今回は、年配者が一人入っていた。年配の人間は経験値もあるし、判断力も高いだろう……と思った虫けらは浅慮だった。年配の隊員が一番使えなかった。救急搬送要請しておきながら、この言い分は大変失礼だと思う。謹んでお詫び申し上げます。自宅前までは、椅子型のストレッチャーを運び入れてくれた。隊員の肩を借りてどうにか腰掛け、エレベーターで降ろされる。マンション前で、ストレッチャーに乗せ換えられる。しかも、自力でだ。両足負傷なら、抱え上げて乗せ換えてくれるのではないか。振動さえも痛い状況なのになかなか厳しい対応だ。若い女性なら、もっと扱いがよいのではないか。そんな要らぬことを考えるのも、救急車の出動要請が初めてだからで、次回の際は、達観した状態で乗り込めるはずだ(次回はないと願いたいが)。虫「◯◯◯病院に行くことはできませんか?」救「救急の場合は、病院を指定できませんよ」虫「いまかかっていますし、基本情報があるので、 整形が対応できるなら、スムーズにいくと思います」救「基本情報?」虫「緊急連絡先とか、保証人とか。入院したことがあるので」救「何でかかってるの?」虫「がんです。大腸がん」骨折とがんは関係ないが、がんは長期間の治療を要する病気なので、ちょっとかかったことがある、というのとは全く違う認識になるだろうと思う。診察券と保険証を出したら、すぐに問い合わせてくれた。救「◯◯◯病院に向かいます」よかった。入院に関する情報があるのは便利だが、何より近い。退院後の帰宅のことを考えると、できるだけ近い方がいい。すぐに病院に到着。何せ、1kmそこそこの場所だ。救急入口にストレッチャーで到着したら、病院の職員が出てきて、病「いま、混んでいてストレッチャーを入れる場所がないので、 車椅子に乗り換えてもらえますか?」また自力で乗り換えだ。過酷である。事故から15時間。ようやく病院に到着した。さて、どんな処置をしてくれて、どんな診断結果が出るのだろうか。虫けらは、骨折だと思っているが、実際はそうなのか、違うのか…。この瞬間から、11日に及ぶ入院生活が始まった。さて、虫けらの脚はどうなっているのか。次回に続く。 つづく
2025.07.18
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6日の夜、緊急事態が起きた。脚が動かない。歩けない。どうする……。と、大げさに書いているが、つまりは、左膝下を強打して骨折した、ということだ。営業後の22時過ぎ、自転車で帰路についたのだが、数日間の連続営業で少々疲れていた。自転車に乗ってしばらくして(店から100m足らず)「携帯をカバンに入れたか?」疲れのせいで、こういううっかりミスを犯しがちだ。手を伸ばして前かごの中のバッグを探る。無事、携帯電話があったことを確認した刹那、右側から来る自転車を察知。バッグを見ていたので、認知が遅れた。当該自転車が虫けらの寸前を通過する際に虫けらが焦ってハンドルを左に切る。バランスを崩して転倒。受け身を取って、仰向けに倒れる。次の瞬間、自らの自転車が虫けらを襲う。右脚は自転車から離して上方に上げていたが、地面側にあった左脚の上に落ちてきた。虫けらの自転車は、中国製の安物で、大変な重量がある(鉄製)。地面と自転車に挟まれた左脚の膝下に激痛が走る。動けない。女性「大丈夫ですか?」虫けらの後方から声をかけてくれた女性。顔を上に向けて女性の顔を見る。虫「大丈夫です」女性が自転車を起こしてくれた。しかし、立てない。なぜか左手親指が流血している。女性2「頭打ってないですか? 救急車呼びます?」虫けらの前方から違う女性が声をかけてくれる。虫「頭は大丈夫です」大げさなことになったら、救急車を呼んだ人にも迷惑がかかるので、無理をして立ち上がる。虫「ありがとうございます。大丈夫です」虫けらが立ったのをきっかけに、女性二人はめいめいの方向に歩き出した。が、虫けらは一歩も動けない。5分以上そうしていたのではないか。とにかく左脚が前に出せない。とは言っても、そこにずっと立っているわけにはいかない。自転車のハンドルを杖代わりにして、片脚歩きで歩を進めた。100m以上歩いて大きな交差点に出た。自宅に戻る覚悟をし、レバーを回してサドルを下げる。自転車の右側に体を回してまたがる。信号が青になったタイミングで漕ぎ出す。片脚漕ぎで走る。店と自宅のちょうど中間地点に通っている病院がある。夜間の救急外来に駆け込むことも考えたが、「入院」となったときに必要となるものがないと、とんでもなく不自由な時間を過ごすことになる。とりあえず自宅を目指す。自宅に戻ったら、2度と自力で外に出られないことは理解していた。「救急車」の3文字が頭をかすめる。この脚では、タクシーを呼んでもマンションの1階に降りることができない。救急車はいやだが致し方ない。救急車が「いや」な理由は、1.そもそも自損事故(悪いのは自分)2.骨折という単純な怪我3.命に別条がないのに、大げさ常々、命に関わる重病人が救急車を要請すべき、と思っている。自分の状態は、恥ずかしいくらい救急車にそぐわない。しかし、歩けないのだから、誰かに運んでもらわないと病院に行けない。どうにか自宅にたどり着き、自転車を停車させてケンケン歩きで部屋に入る。寝室は2階だが、上がれる状態ではないので、1階リビングのマッサージチェアの背もたれを倒してそこに寝転ぶ。夜中の救急車要請は目立つし、周辺のお宅の安眠を奪う。何より、虫けらが救急車で運ばれたら、しばらく帰宅しない留守宅になることがバレる。泥棒が怖い。朝か、昼まで我慢しようと思う。眠りたいのだが、膝を曲げて1分、伸ばして1分、曲げて1分……1分しか同じ姿勢を続けることができない。痛みのために眠れない。そんな状態なのに、虫けらの体質を恨むしかない症状(ゲリリン)が夜通し続く。翌日の昼前までに5回もトイレに立つことを余儀なくされた。古いマンションゆえ、部屋ごとに段差がある。リビングと廊下、廊下とトイレにかなりの段差があり、片脚でジャンプするのは至難の技だ。健康体なら問題ないが、左脚に振動を与えると、激痛が走る。ドアノブやドア枠、家具などを掴みながら、通常なら7〜8歩の距離を3分以上かけてにじり歩く。人生最初(で最後にしたい)の骨折は、もっと若いときに経験しておくべきものだったと思わずにはいられなかった。骨折の痛みは大変なものだ。特に脚は、浮かしておくことが不可能な部位なので、痛みに加え、不自由さもひとしおである。若いときなら筋力ももっとあったし、体幹や反射神経も鋭かった。人生の終焉に、大変なことになった。しかし、不思議なことに虫けらはこういう事態になったときに「後悔」しない。「カバンを探るとき、自転車を止めたらよかった」「店を出る前に、携帯を確かめたらよかった」程度のことは思わないではないが、起こった事件そのものについて悔いたり、悲しんだりすることがない。さて、これからどうしよう、としか思えないのだ。この事件が、必ずしも悪いことばかりをもたらすとは限らないし、何より、後悔などしても仕方がない。時間を逆戻しできるなら、精一杯後悔してもいいが、どうにもならないことを考えるのは無駄だ。さて、虫けらがこの後どうするか、乞うご期待である。 つづく
2025.07.17
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「4連泊もするって…、昼間は暇でしょう」通常の旅行では、せいぜい2連泊だろう。目的を持った旅行でも、4連泊、しかも同じ宿でとなるとかなり異例の話になるのではないか。こちらは「湯治」のつもりだが、湯治用の温泉でも宿でもないわけで、この話を聞いた虫けらの知人も、店の常連客も、何なら宿の従業員も「なぜ?」と不思議に思っただろう。その上、虫けらが選んだ宿は、その周囲5km圏内に当該の宿以外、ほとんど商業施設のない地域だ。さらに、周辺を山に囲まれており、東西のそれぞれの山の裾野に開いた南北の道路に出ないことには、山の景色の中をウロウロするしかない地形だ。宿泊プランには昼食がついていない(前日にオーダーすればうどんや丼物など簡単なメニューをつくってくれる)ので、昼間(12:00〜13:00過ぎ)はウォーキングに出る。(ランチは不要。何しろ、朝食が充実しているので、昼時になってもおなかが空かない)歩数としては、6000歩〜8000歩が理想なのだが、そんなに歩ける場所がない。道がないのだ。宿から山側(西)に行くと、閑静な住宅街。南に行くと田んぼ、田んぼ、田んぼ。北側は行き止まりで、山裾から東へ行き、南北を貫通する道路に出てさらに北に進路を取ると、宿のある地域から離脱することになる。宿の西側にある民家群(山の中腹)広大な土地に瀟洒な建物(田舎なのに!)広い庭には、ルンバならぬ自動芝刈り機がそんな地域でのウォーキングなので、せいぜい40分、5000歩ほどで宿に戻ってしまうのだ。宿でスマホのMAPアプリを開き、何度もウォーキングルートを画策するが、大抵最後は同じルートで宿に戻るしかない。致し方なくウォーキングをスタートさせる。車道のある南側へ進路を取るのだが……。民家のある場所を抜けると、田んぼばかりの景色になる。植えられたばかりの苗が風にそよぎ、張られた水には空が映る。……音がない。民家の中からも音が聞こえないし、田んぼのある風景にも音が伴わない。夜になると、カエルの鳴き声や虫の音が聞こえるのかもしれないが、昼間は、全く音がない世界が広がっている。たまーに通る車も、エンジン音がないので(ハイブリッドばかり。消音設計になっている)、こちらが安心するほどの音量が得られない。……人がいない。田舎ほど歩く人がいない。皆車移動だからだ。昔は稼働していたであろう商業施設もいまでは廃墟と化しているし、ついこの間まで営業していたであろう飲食店も売りに出されている。民家も人気(ひとけ)のないものが多い。外国の小説の一節で「見えない恐怖より、聞こえない恐怖の方が勝る」というのを若いときに読んだことがあるが、都会に生活する虫けらには実感を持った理解に及ぶことはなかった。しかし、田舎では、それが実感として転がっていた。音のない世界では、時間や思考が歪むように思う。自分がいる世界が現実か、空想か、肯定不能になる。スマホの中にだけ、虫けらの通常の思考と、時間の現実があるように感じる。恐ろしい世界だ。そんな、大げさにして空虚な感覚の中に、いやな、見たくない現実が飛び込んでくる。ここにもあった。のどかな風景に似つかわしくない都会では見ないものだ。民家や田んぼのはざまに、こんなものが。田舎はどこも汚染されている。前回の湯治場にもあった。人が生活する場所に、堂々と居場所を見つけたこれらが。暑い、というほどではない気候だが、7km/hの速度で歩くと、それなりに汗をかく。宿に戻ったら、すぐさま温泉へ。そして、部屋でビールをプッハーッとやる。そんな日々を3日間過ごした。贅沢な時間である。24歳までは勤め人。24歳で会社を興してからは、休みのない人生を送ってきた。ゴルフや旅行で休みたいと思えば、当日朝まで徹夜するしかない、という多忙な人生。連泊などもってのほか。出張と偽って(従業員に言い含めて)旅に出ても、「電話をくれ」としつこいクライアント。旅先で電話とその対応に時間を取られ、観光などもってのほか。飲食店に転業してからは、さらに休むのが難しくなった。「自由業なんだから、好きに休めるでしょう」と、よく言われたが、だからこそ休めないのだ。自分勝手に休めば、それが客に伝わり、「不誠実」という烙印を押される。そんな人生を過ごした後の静かな時間。もちろん、いまでも営業を続けているし、客からの要望にも応えている。しかし、これまで40余年過ごした怒涛の日々とは一線を画す穏やかな時間。贅沢この上ない。まだ元気なうちに、もう少し湯治旅を楽しみたい。そのうち、本格的な泉質、本格的な湯治宿を求めて九州にでも行きたいように思うが、いまは、普通の温泉、普通の宿の方が気楽でいい(本格的な湯治宿は自炊が基本。上げ膳据え膳が最高ー)。今回は4連泊にしたが、まだ少し少ないように思う。次は5連泊にするか。どこに行こう。三朝温泉に再度チャレンジするか。夏休みを越した、9月か10月……。そんな先、虫けらは元気にしているのだろうか。ま、そんなことを懸念していても、何事も始まらないし終わらない。次の行き先には、何を求めよう。あ、行楽のシーズンにはまってしまうな。景観地は外そう。名物料理のある宿はダメだ。交通機関の混む地域もNG。え、どこに行けばいい?11月まで延期か。いやいや、何としてもそれまでに。。 杞 憂
2025.06.22
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大阪駅から鳥取駅までは、特急「スーパーはくと」でおよそ2時間。鳥取駅から湯治宿の最寄り駅までは在来線で30数分。在来線に乗り換えると、車内は意外にも混んでいた。前回と同じ曜日、同じ時刻の列車なのに、乗客は前回より3割増といった感じ。沿線でイベントでも開催されるのだろうか。そんな中、進行方向と逆方向ではあるが虫けらは座席を確保できた。特急でもないのに、ボックスシートになっているのだ。斜向かいには年配のご婦人が座っておられるが、座るときに「失礼します」と一言挨拶をしたら、こちらを向いて小さくうなずかれた。ご婦人は自治体が発行しているとみられる新聞を一心に読んでおられる。逆方向に目を向けると、前方(進行方向で言うと後方)の席では二人のご婦人が駅弁を召し上がっていて、横のボックス席の男性二人とお連れのよう。四人で割と賑やかな会話を繰り広げておられることから、旅行と見られる。虫けらの横のボックス席には女性が二人。虫けらより少し上かな、という年頃。虫けらからよく見える女性は標準語。虫けらと並んで座っておられる女性の声は一向に聞こえないのに、標準語の女性の声は絶え間なく聞こえる。“うるさい”というほどではないが、話の内容が全て聞こえてしまうという何とも気になる状況だった。●娘への教育方針●娘の考え方●結果と現状という、結構ヘビーな話題ながら、どうも随分昔の話のようだ。ご婦人の年齢からすると、30年以上前か。余り聞かないようにしようと、イヤホンで聞いていた音楽の歌詞を見てみたり、Xのタイムラインをチェックしたりしていたので、全ての会話を聞いたわけではないが、概ね「自慢話」だったのだと理解している。つまり、「自分の娘は優秀だ」という話をエピソードにまみれさせてやんわり語ったということだ。が、虫けらにとって標準語はとてもストレートに聞こえるので、やんわりではなく、ダイレクトに聞こえたのだが。標準語の女性は、「ここ、どこ?」と、駅に到着するごとに中腰になって車外を見る。駅名標を確かめるためだ。実は、女性が向いている方向(車両の前方)に電光掲示の料金表があり、到着駅の名称が表示されているし、虫けらが向かっている方向(車両の後方)にも駅名が表示される。土地勘がないからか、注意散漫なのかそのことに気づかずに、停車駅ごとに大騒ぎである。『どこまで行かれるのかなぁ』と何気なく思っていたのだが、虫けらが降りる駅の手前で食べていたお菓子をカバンにしまったり、温泉の話を始めたりしたので、ちょっと嫌な予感に襲われていたのだが……。かくしておばさま方は虫けらと同じ駅で降車した。その駅には、有名な温泉地の名称がついている。が、虫けらが宿を取った温泉の名称は別だし、大変ローカルな場所にある。既に書いたが、駅まで迎えの車を宿にお願いしていた。が、虫けら一人のために車を出してもらったのではないかと心配になるほど、マイナーな温泉地なのだ。おばさま方は、きっと有名な温泉の方に行かれるのだと自分に言い聞かせながら、キャリーバッグをゴロゴロさせ、乗車券をバッグから取り出して切符入れに投入(無人駅)、宿の車の待つ場所に移動した。迎えの運転手が虫けらの顔を見るなり、運「◯◯さんですか?」虫けらの名前を告げてくれたので、虫「はい」と言うと、運転手がキャリーバッグを持ってくれたので、いそいそとマイクロバスに乗り込んだ。あっ!!いるではないか、おばさま方。虫「お待たせしてすみません」と言うと、手前に座っていた標準語のおばさまが笑顔で「いえいえ」的な言葉を返してくれた。しかし……、なーんか嫌な気分で宿に向かう。結果、このご婦人たちとの絡みは4度もあった。1度目は食事のとき。隣のテーブルだったので、会話がまる聞こえ。2度目は食事が終わって浴場に行ったとき(⑤19:30、しかしこの日だけは20:30だった)。おばさま方ともう一人、計3人が浴場におられたが、虫けらが入ったときにお一人が退出されたので、おばさま方と虫けらの三人になった。虫けらは食事前に大浴場に行っているので、体をさっと洗ったら、すぐに湯船へ。「展望風呂」という名称でありながら、全く何も見えないことにご不満な標準語のご婦人がしきりに窓ガラスに湯をかけて曇りを取ろうとしている。(翌朝に判明したのだが、日中は外から中が見えないフィルムガラスになっていて、中が明るい状態だと、中から外が見えない)何も見えないので、諦めて静かに浸かると思いきや、洗い場にいるもうお一方にしきりに話しかける。虫けらは、うるさいなぁと思いながら声をかける。虫「どちらからお見えですか?」標「え?(話しかけられてびっくりした表情) あ、私は東京です。彼女がこっちの出身で…」虫「そうですか。落ち着いたいい温泉場ですね」標「ええ。彼女の推薦で」多分、標準語のご婦人は、ちょっと意外だったのではないか。ひなびたにもほどがあるだろ! とでも思っているように虫けらは思った。標「先に出ていい?」洗い場の相方様が相「うん、どうぞ」初めて声を聞いた。別に大人しそうだとか、遠慮がちとかといった感じではなく、普通のご婦人だった。洗い場のご婦人は、急いで洗おうというふうでもなく、マイペースで体を洗い、洗髪をし、湯船には入らずに脱衣所へ。脱衣所から、標準語のご婦人の声がしきりに聞こえた。5分ほどしたら静かになったので、お二人とも浴場を後にされたのだろう。3度目は早朝の入浴(①5:30)。浴場のドアを開けたら、お二人がいらっしゃるので、『こうも一緒になるものか』と半ばがっかりした。ここでも、標準語のご婦人は騒いでおられた。朝日で照らされた景色を見ながらぶつくさ。「展望」と銘打ちながら、見えるのは民家と山と空だけ。虫けらも軽く落胆したので、気持ちはわかる。しかし、朝日に照らされる建物や鳥のさえずりはとても心地よかった。4度目は朝食時。また隣の席なので、話が丸聞こえ。とにかく言葉の多いご婦人だった。相方のご婦人の声は、数回しか聞こえなかったと記憶している。どういう間柄だろう。虫けらが一緒に旅行に行ったことがあるのは、小学生時代からの友人と、専門学校時代の友人の二人だけ。食事や映画くらいなら、大して人を選ばないが、旅行となると、居心地の悪い思いをするのが嫌なので、相手は限定される。あの、声の聞こえないご婦人は、この旅行をよしとしているのだろうか。ま、人の心はわからない。が、虫けらが標準語のご婦人と二人で旅行するのは嫌だ。虫けらは割と聞き役なのだが、あんなマシンガントークを傍らでされたら、きっと耐えきれないと思う。しかも、発する言葉がわがまま風味なのだ。『一人でよかった』と、改めて実感した虫けらであった。 安 堵
2025.06.11
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前回にも書いたが、連泊の楽しみというか、特権というと、昼間に温泉に浸かれるということ。虫けらが主に通っていた浴場は10:00〜11:00が清掃時間なので、11:00を狙って浴場にダッシュする。きれいになった浴場を独り占めして温泉を満喫するためだ。かくして、11:00よりも早いかも、というタイミングで浴場に滑り込む。「え!」下足場にもう靴がある。靴があるということは、入浴客である。宿泊客は、宿のスリッパで浴場に行くからだ。がっかりである。脱衣所は、カゴに着衣を脱いで入れるだけの日本ならではの簡易な仕様。見るともなく見ると、先客のご婦人のカゴからは、黒にシルバーが混じったハイゲージのニットセーターが見えた。シルバー色の靴も、かかとの低い上品なパンプス。『50代か60代か…』と考えつつ浴場に入る。右の洗い場にご婦人がおられる。年齢は、大外れだった。多分、80代か…90絡みだと見た。ご婦人の横に桶と椅子が積んであるので、それを取りに行く。虫「こんにちは」婦「あ、こんにちは」視線を合わせるも、虚ろな感じでこちらを見ておられる。桶を置く台の上にのせられたシャワーヘッドからは無意味に湯が流れ出ている。ご婦人は、無心に体を洗っておられる。虫けらは3時間前に入泉しているし、体や髪を洗うのは、ウォーキングに行った後(④13:30)なので、簡単に体を洗ってから湯船に。この時間帯(③11:00)はジェットバスの勢いが強いでの、胃腸の調子をよくするために、背中にジェットバスを当ててじっとしていた。5分以上たってふと気づく。ご婦人はまだ体を洗っておられるのか。気配でわかる。横目でちらと見ると、垢すりタオルを手に、体をゴシゴシゴシゴシ。このタイプの垢すりタオル。ミトンタイプと違って、背中もゴシゴシできるそんなにこすって大丈夫なのか?虫けらが体を洗う時間など、せいぜい2分程度だと思う。虫けらが浴場に入る前からだから、7分以上はこすっておられるのではないか。虫けらはクールダウンのために湯船から出てご婦人と反対の左側の洗い場で洗顔をし、シャワーの温度を下げて水を浴びる。冷たいのは苦手なので、30秒ほどで切り上げ、また湯船へ。今度は景色を楽しんだり(楽しむほどの景色ではない)、給湯口に近づいて、熱めの湯に身を沈めたりして再び5分以上を過ごす。ん?ご婦人はまだ垢すりタオルでこすっておられるのか?今度は振り返って凝視した。やはり、まだ垢すり中である。よくよく見ると、ご婦人の肌はすこぶる美しい。白くてもちもちの肌、程よく脂肪がついて90絡みというのに、しわくちゃ感がない。「こうやって、毎日垢すりをしているからよ」と言わんばかりの熱心さでゴシゴシゴシゴシ。しかし、腰の丸まりぐあいとか、お顔とかは、れっきとした90絡みのそれである。これでは、浴場独り占めの時間は来そうにないと見て、退散することにした。20分ほどの入泉を楽しんだので、ま、満足である。脱衣所で浴衣を着ながらふと、「認知症ではないか?」という考えが頭をよぎった。まさか。品のいい靴、おしゃれなニットセーター、認知症のおばあさんの装いではなかろう。しかし…、あの調子だと、1時間以上浴場にいることになるかもしれない。体力的に大丈夫なのか?常連さんなら、宿側も状況を把握しているだろう。連絡先も周知しているかもしれない。が、よく考えたら、垢すりは家でやればいいのではないか。せっかく温泉に来たのだから、入泉を楽しむのが筋ではないか。湯に入らずに、ひたすら垢すりをするのは、やはり思考に異常があるのではないか。「取り越し苦労だな」そう思ってはみても…。スリッパを履いたところで、入浴客が入ってきた。そのとき、ご婦人のことを告げようかと思った。「注意して見てあげてください」いや、迷惑な話だ。そんなに心配なら、自分が見ていればよかろうと言われそうなので、言うのをやめてそそくさと出た。それにしても…、あんなに熱心に垢すりする人を見たことがない。虫けらも垢すりミトンは持っていて、たまに(年に数回程度)垢すりをするが、すぐに疲れるので、主な部分しかしない。垢が出ると気持ちいいし、ツルツルになるが、やりすぎると肌が赤くなり、ヒリヒリする。20分以上垢すりして何ともない肌とは…。90絡みにもなると、効果や危険の何たるかを熟知して生命に挑んでいるということなのかもしれない。ま、虫けらもまだまだひよっこだということだ。次に湯治旅行に出るときは、「垢すり」的修行をプラスしよう。何がいいだろう。うだるほど長時間の入泉、潜泉(潜水)、ヨガ泉(湯船の中でヨガのポーズ)……、迷惑千万。いい修行が考案できない。近所に銭湯でもあれば、他人の行動をウォッチできるのだが。あー、大きい風呂に入りたい。郊外なら、スーパー銭湯もあるだろうが、市内には、数えるほどしかないし、行き帰りに電車に乗るのは苦痛だ(入浴後は化粧したくない)。銭湯文化、戻ってこないのが口惜しい。 南 無
2025.06.09
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今回の湯治旅に選んだ宿は、本館に「大浴場」とそこから外に出る扉があり、その先に「庭園風呂」(露天風呂)、新館に「展望風呂」がある。虫けらに与えられた部屋は新館の3階の最も北の端にあるツインの洋室。本館の大浴場は、1階の南の端にある。端から端への大移動である。チェックインした後すぐに大浴場に行ったが、結構な雨が降っていたので、露天風呂に入るのは諦めた。というのは、大浴場からすぐの場所ではなく、少し歩かねばならないのだが、野趣溢れるしつらえの露天風呂なので、土や草の見える濡れた石の通路を歩くことは虫けらにはゾッとする行為だったのだ。(何度かここにも書いているのだが、虫けらは濡れた土や草や木々が苦手。苔なんぞが見えた暁には、スタコラサッサと逃げ出すという醜態を披露する)というわけで、大浴場でゆっくり、と思ったのだが、この宿に限らず、田舎の温泉宿は入浴だけの客を受け入れていることが多く、大浴場と銘打ちながら、5人ほどで満員になる小さな浴場に先客が3人いた。おばあちゃんと娘、孫娘と見たが、3人がそれぞれ勝手な動きをし、浴場を占拠している。虫けらは、顔も体も頭もきちんと洗い、湯船に浸かろうとしたときは、孫娘とおばあちゃんは洗い場でおしゃべり、娘は湯船にいた。遠慮しつつ湯船に入り、割と高い温度(といっても、43℃程度)のお湯に静かに浸かった。やがて、先客たちが浴場を出て脱衣所へ。時間を置かないと、今度は脱衣所が満員になる。10分くらい、脱衣所に人影があったので、ずっと湯に浸かっていたのだが、湯から出たら、腕がピリピリした。そのときは見た目の変化はなかったが、部屋に戻ったときに確認すると、赤いポツポツができていた。隆起はしていなかったのだが、ピリピリ感は残っていたので、肌に合わない成分があったのかと思った。宿のしおりを見ると、本館の大浴場は完全な掛け流しのようで、濾過はしていないと書かれていた。対して、新館の展望風呂は濾過しているようだ。夕食の後、展望風呂に行ってみた。大浴場に比べると、新しい感じがする展望風呂は、大浴場の半分くらいのスケールで、洗い場も3つしかないのだが、明るくて、入りやすい雰囲気だった。が、脱衣所の洗面台の蛇口を見ると、阪神淡路大震災の前にできた施設であることがわかり(レバー式の水栓の場合、下げると水が出るのは震災前の仕様)、新館といえども30年以上の歴史があるのだと認識できた。こちらのお湯では肌はピリピリしなかったので、それ以後、こちらばかりを利用した。夜の入浴のときには、パワーが弱かったので余り気にとめていなかったのだが、展望風呂にはジェットバス、つまり、気泡の噴出口があり、これを背中に当てると、胃腸の調子が大変よくなる。清掃が済んだ昼前から夕方までは、ジェットバスのパワーが強いので、入るたびに背中にあて、ウォーキング後は足の裏にもあてた。おかげで、足の疲れも取れて就寝時に足が浮くこともなかった。肩にもあてたかったのだが、噴出口を肩の位置に合わせると、顔を湯に潜らせないといけないので、これは諦めた。4泊の間に23回入泉した。肌の調子がよくなることはなかったが、胃腸の調子はずっとよかった。泉質によるもの、というより、体温が上がったこと、血行がよくなったことが主因だと思う。ほかの効能は……気づかなかった。リウマチ性疾患、運動機能障害、神経麻痺、神経症、疲労回復、病後回復期主に、上記の効能が記されていたが、こちらに障害がなかったので、効果のほどはわからなかった。抗がん剤の副作用として残っている、指先の痺れ(末梢神経障害の一種)は残念ながら消えはしなかった。胃腸が弱い虫けらにとって、旅の間ずっと胃腸が快調だというのは、大変うれしいことだった。しかし、入浴客を受け入れるのは、15時までにしてほしい。15時以降、夕食までの時間は、宿泊客と入浴客で大変混雑するのだ。24時間入浴可の宿での連泊のメリットというと、朝〜チェックイン前の時間帯の浴場は独占できるというものなのに、4日とも、必ず入浴客がいた。がっかりである。しかも、清掃後すぐの時間を狙っても、既に先客がいる。多分常連さんなのだろう。その人たちの来訪に合わせて清掃を終えるのかもしれない。(知らんけど)そうなると、深夜の入浴にかけるしかないのだ。深夜の温泉は、若干温度が低い。熱い温泉が好みの虫けらにとっては少し物足りないのだが、贅沢は言えない。浴場を独り占めできるありがたさを噛み締めながら、静かな湯船で無心になって入泉を楽しんだ。ただ、部屋が洋室なので、温泉後のひと時をベッドの上で過ごすしかない。畳の上で寝そべったら気持ちいいだろうな、と思いつつ、ベッドにタオルを敷いて汗でシーツが濡れないように気をつけながらスマホやPCでYouTubeを観たり、ブログをしたためたりする時間を過ごした。前回は3連泊だったが、今回は4連泊にした。次は5連泊……、難しい。それだけの日数、自宅を空けるのも心配なのだが、何せ宿泊料が半端ではない。二人部屋を一人で使うのだから、若干割高になるのは仕方ない。素泊まりも考えはしたのだが、田舎すぎて周辺に食事のできる施設が皆無。地図で調べたが、3.7km北に道の駅があるが歩いて行き来するのも、4日間通うのもちょっと無理がある。朝食と夕食付きにすると、それなりのお値段になる。ひょんなことから、食事の価格を知ることができた。朝食は1,300円、夕食は5,000円だそうだ。結構な価格である。朝食。おかずが多い(12品)。ライスマネジメントが大変夕食。この日は、蛍烏賊と丘ひじきのぬた和え、水蛸造り、煮穴子柳川風鍋、鹿山そば、鹿野地鶏塩焼き、白烏賊下足天、吸い物、ご飯・香の物、デザート毎日満腹で、ランチなど不要だった。これだけ食べても胃腸が快調だったというのは、温泉のおかげだと思う。帰阪して体重を計ると、1kg増えていた。(4日で元どおりになったが)1kgくらいの増量で済んだのは、温泉とウォーキングで代謝を上げたからかな、と思っている。泉質が虫けらの病気に合ったものだともっとうれしいのだが、それを求めるなら、東北方面に行くしかないか…。昔は当たり前のように存在した銭湯だが、今となっては貴重な存在だ。家の風呂にはない機能があるのに、日本人はやすやすと手放してしまった。都会では、大きな風呂に入るのは至難の技だ。しかも、心が女の男が侵入する恐怖もある。厄介な世の中になったものだと痛感する初夏の昼下がりである。 鬱 々
2025.06.06
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一般的な湯治旅がどういうものか、湯治のプロならどういう旅にするのか、全く理解せぬまま2回の湯治旅を決行した虫けらではあるのだが、前回と同様、しかし、ちょっとだけ変化があった今回の虫けら湯治旅の中でも、「温泉」について書いていこう。「湯治」と銘打って旅に出ている以上、入泉スケジュールを中心にプランするのが当然。前回の宿は、23:00〜5:30は利用できなかったので5:30〜23:00の17時間余りの間に何度入泉できるか(しかも、9:30〜10:30は清掃時間)を綿密に考える必要があった。が、今回の宿は、24時間入泉可能との表記。もちろん、清掃時間はあるだろう。しかし、チェックアウト前後から昼までの間に設定されているはずだ。つまり、23時間ほどは入泉できることになる。虫けらが主に入っていた温泉。浴場はもう一つある。窓の海のように見える青いところはフィルムで目隠しされている部分。景色は民家と山と空。で、事前にスケジュールを組んでみた。朝食は7:30〜と8:00〜の2パターン。夕食は18:00〜から15分ごとに19:00の5パターン。どちらも最も早い時間を選択。↓入泉スケジュール①5:30②8:00③11:00④13:30⑤19:30⑥23:00⑦2:00④のみ、頭髪も体も顔もフルで洗う(30分ほど)が、あとは簡単に洗浄して湯船にちゃぽんのみ。総時間20分以内の入泉である。にしても、7回は多いようにも思う。⑥を外したことがあるが、ほぼこのスケジュールで入泉した。結果……寝不足になった。②〜③の間に眠りたいのだが、備品の交換で係員が来るので、眠れなかった。③〜④の間は外出(ウォーキングと買い物)するので、④〜⑤の間に少し眠ろうと思うのだが、メールチェックや返信、YouTubeの視聴などで、すぐに時間が経過する。前述のように、⑥を省く日があった。宿泊客が多い時は、混雑する時間帯だからだ。その代わり⑦は、多少時間が前後しても浴場独占で、ゆったり入泉できる。ここは外せなかった。①の、朝日と鳥の囀りの中の入泉も外せない。というわけで、寝不足は必至なのだ。これを解消するには…、通信機器を持参しないことくらいしか思いつかない。それもいいか。次回の湯治旅のときには検討しよう。温泉旅をされた方の中にはこのスケジュールに疑問を持たれた向きも多いかもしれない。「こんなに入泉して、湯あたりしないの?」そう。湯あたりしそうな入泉回数である。が、結論としては、湯あたりしなかった。根拠はないのだが、「アクアソリタ」が効いているように思う。1日に2本/1000mlを入泉後に飲んでいた。酒を控えたのもよかったのかもしれない(とはいえ、夕食時以外に、ビールロング缶2本/日は所望)。汗かきになった。サウナ効果と同様だと思う。日に6度も7度も温泉に浸かっていたら、汗腺も開くというものだ。前回同様、今回の温泉の泉質も大したことはなかった。泉質 単純温泉(低張性・弱アルカリ性・高温泉)泉温 60.5℃(気温21.0℃)適応症 リウマチ性疾患、運動機能障害、神経麻痺、 神経症、疲労回復、病後回復期がんに効くとか、どこそこのがんに有効とかの効果効能はないのだが、泉温が気に入った。前回はちょっとぬるかったのだが、今回は…、と期待した。が、虫けらの望むほどの温度ではなかった。45℃くらいだったら、理想的だったが、43℃くらいが限度だった(朝・昼・夜で温度が変化する)。が、前回同様、胃腸には大変よかったように思う。細かなことは次回に。毎日温泉に入りたいなぁ。せめて、自宅近所にもスーパー銭湯か銭湯があったらなぁ。…都会には望むべくもなく。 寂 寥
2025.06.03
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湯治旅から帰ってきた。さまざまな想定から行った準備だが、旅を終えて、その準備がどうだったかをお知らせする。◉キャリーバッグカバーカバー購入の経緯は、前回をご覧のほど。700円くらいの安物天気予報では、出立日は雨の予報。朝10時過ぎに家を出る予定だったのだが、前日から激しい雨が続いていた。当日朝、いよいよ出かける準備を始めても、一向に雨がやむ気配がなく、カバーをかけて出るか? と思っていたら、家を出る寸前に奇跡的に雨がやんだ。道路は水たまりができるほどの濡れ方だったが、駅の入り口までは100数十歩なので、再び雨が落ちてくる前に駅へと続く地下道に入ることができた。大阪から列車に乗ると雨。やみ間にはまって助かった。移動中、雨はずっと降り続く。旅先の最寄駅でも雨。小雨だったが、迎えのマイクロバスが来てくれていたので、駅舎から数歩でバスに乗れた。宿に着いたらすぐに本降りとなった。危ないところだった。宿での4泊の間はずっと晴れ。ウォーキングも爽快だった。帰阪する朝。宿を出るときは「間もなく雨」といった空模様で、列車に乗った途端、雨が降り出した。3時間ほどの乗車中、雨はずっと降り続いていて、大阪に入ると、雨脚が強くなった。「どこでカバーをかけようか」と思いつつ、天気予報を確認したら、自宅の最寄駅に到着するあたりで、15分間くらい雨がやむという。最悪の場合、最寄駅でカバーをかける覚悟をして、大阪から地下鉄に乗る。スマホで空模様を確認すると、ちょうど雨がやんだタイミング。地上に出ると、雨は降っていなかった。急ぎ足で自宅へ。自宅へ戻った途端、また雨が降り出した。結局、カバーは使わなかった。購入は不要だったのか。いや、準備していたから雨に見舞われずに済んだ、と思うことにしよう。あ、忘れていた。虫けらは晴れ女だった。それも強烈な。◉携帯スリッパ当然宿には備え付けのスリッパがある。前回の旅で経験したのだが、「茶色、つま先開き、ビニール」のスリッパは、使い古されていて『消毒済み』のカバーなどなく、実に気持ち悪い。昔夫が、地元のクリニックで同様のスリッパから水虫を移されたことがあった。スリッパを履くときは、靴下の着用が必須なのだが、温泉に入った後は、素足で履きたいものだ。で、携帯スリッパを所望。軽くて、かさばらないものを探した。800円くらいの安物これは大正解だった。和室なら、宿の廊下を歩くだけなので我慢して備え付けのスリッパを使うが、洋室だったので、部屋ではこれをずっと履いていた。履き心地がとてもよく、軽くてフワフワだ。虫けらは靴下が苦手。冬でも、できるだけ裸足でいたい。このスリッパのおかげで、とても快適に過ごせた。洗えるようなので、次回の湯治までに洗濯して、また持参したい。◉タオル温泉への行き帰りは、浴衣を着用する。汗取りの役目を担ってもらうのだが、2時間もあれば大方乾く。部屋では、汗が引くまでタンクトップと短パン。首にはフェイスタオル。ベッドに腰掛けるのだが、シーツが濡れないようにミニバスタオルを置く。フェイスタオルを2枚、ミニバスタオルを1枚、タオル研究所のちょっといいフェイスタオルを1枚。前回の湯治では、これで事足りた。使ったタオルをタオル掛けに掛けておくと次に使うときには乾いていた。しかし今回は、完全に乾くことがなかった。よく考えたら、前回はエアコン(暖房)を日に数時間つけていた。そのせいで、よく乾いたのだ。今回は、全くエアコンを使わなかったし、湿度が高かったのかもしれない。宿にコインランドリーがあったが、それを使うほどの量でもないので、次回はもう2枚ほどタオルを増やそう。それと、部屋に浴室がないので、干す場所も用具もない。この対策も考えておく必要があろう。としても、前回で得た教訓通りにタオルを持参して大正解だった。これまでの旅行では、部屋に浴室がついていることがほとんどで、部屋にバスタオルとフェイスタオル、温泉の脱衣所にもバスタオルとフェイスタオルが用意されてあって、使ったらそこで回収されるというシステムだった。1泊旅行なら、下着と簡単な化粧品くらいしか持参しない人間だったので、ここ2回の湯治で、意識が変わった。ま、予算的なことがあって、設備の整ったホテルを選ぶことができないという背景があるのは確か。贅沢は言えないのだ。◉経口補水液虫けらは、「アクアソリタ」という経口補水液を定期購入している。200円/500mlくらい。高い抗がん剤治療中は、肌が異常なほど乾燥するので、できるだけ効率よく水分を摂る必要があると考えたのだが、治療をやめた今でも定期購入を継続している。実は、肝臓関係の数値が上がったことがあり、「脱水」が一つの要因であることがわかったからで、酒は浴びるほど飲んでも、水はさほど飲んでいなかったので、朝の経口補水液習慣を続けているのだ。ところが経口補水液という奴は、とても高価だ。1本ずつ購入するのは、価格的にも物理的(持ち帰りが大変)にも大変なので、Amazonで定期購入して、わずかながら価格を抑えている。前回もこれを持参した。今回は、8本、4kg。なかなかの重さであるが、行きだけの問題だし、アクアソリタの収納スペースは、帰りには、土産物の居場所だ。結果、8本は全て飲み干した。これをコンビニで購入するのは大変。旅先は田舎なので、コンビニまでも相当の距離がある。キャリーバッグならではではあるが、次回も荷物の一つにしよう。◉手土産これまで、毎年海水浴に訪れていた(10年間)、民宿以外、手土産など持参したことはなかった。しかし今回は、少し特別だった。旅先の最寄駅までの迎えの車を依頼したのだが、ひょっとしたら、虫けら一人のために車を出してもらうことになるかもしれなかったのだ。これまでも迎えの車に乗せてもらったことはあったが、他にもたくさんの同乗者がいて、乗合バス的な捉え方ができた。前回の旅で、虫けら以外の客は皆車を使っての来訪だったことを知り、車で旅することも検討したのだが、前回記したとおりの状況で、今回も列車の旅にした。そこで、虫けらだけのために車を出してもらった、という想定で、手土産を用意することにした。多分現地にはないであろう「KALDI」のドリップコーヒーと『ラグノオ ポロショコラ』を購入。どちらもKALDIの人気商品宿のスタッフ全員に、となると、とてもこんな物では足りないが、「送迎のスタッフの方でお茶時間に」という体で運転手さんに渡そうと。宿に到着すると、運転手さんが虫けらのキャリーバッグを車から降ろしてくれた。それを受け取ると同時に紙袋を差し出す。虫「スタッフの方々とお茶の時間にどうぞ」と。運「いいんですか?」と少し躊躇。そこに、年配の女性が挨拶に出てきた。年「よくお越しくださいました」運「これ、お客さんから」年「あらー、よろしいんですか?」大ごとになってしまった。虫「いえ、あ、少しで申し訳ないんですが…」ゴニョゴニョ言いながら玄関に入ってしまった。こういうことも考えて、たくさん用意すればよかった、とも思ったが、初めての宿でそんな大仰なこともおかしかろう。が、このささやかな土産が、割と効いたように思う。土産物を受け取ってくれた年配の女性が、この後も大変親切にしてくれた。コーヒーがおいしかった、という感想もくれた。次回、もしこの宿に訪れることがあれば、数量と内容を熟考しよう。ふむ。※(結果的には、もう一組の同乗があった)こんな、とてもローカルチックな話が他人様の旅行の参考になるとは思わないが、小さなヒントになればと。。ならないか。 無 益
2025.05.31
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「雨が降るかもしれない」ふと、虫けらは考えた。前回の湯治を計画したときには、雨のことなどつゆほども考えなかった。ぬかっておったといえばそうなのだが、季節的に雨にならぬだろうと楽観視していた。しかし今回は、梅雨時が近いこともあるし、この5月は例年より気温が上がらず、寝具の交換をいつもより遅らせたり、初夏の装いから、春先の装いに逆戻りしたりと気を使うことが多かった。そんなこんなで、旅行に際しては気候異常を考慮しなければならないという意識が働いたのだ。今回も、Mサイズのキャリーバッグをゴロゴロしながら行く列車の旅を予定している。雨が降ると、傘を差しての移動となるので、結構厄介である。これまでは、車を使った旅がほとんどだったので、雨であろうが、台風であろうが、荷物や服装にさほど気を使わずに済んだ。そこで、車での旅を考えたりもした。大阪でレンタカーを借りるのは容易なのだが、旅行先で返却できない(レンタカー屋がない)ので、旅行期間中ずっと借りることになる。すると、大層な料金を支払うことになるので、これはNG。湯治のことを話したら、「車、貸してあげるよ」と言ってくださったやさしいお客さんがいたのだが、数日間借りっぱなしになるのは申し訳ない。1日、2日なら厚かましくお借りするが、今回の湯治は4泊を予定しているので、そこまで面の皮を厚くすることはできなかった。というわけで、準備しないといけないのがキャリーバッグの防水カバーだ。それと、靴を防水スプレーで防御するのも忘れてはいけない。すぐさまAmazonで探す。そして、楽天で同じ商品を検索。防水スプレーはAmazon、キャリーバックの防水カバーは楽天。準備万端。あ……、着ていく服がない。そう。この12年間、店に没頭していた余り、外出や旅行に使える衣服がほとんどないのだ(何度かここにも書いているが、つくっている料理の性質上、黒〜ダークな茶色のジャブジャブ洗えるトップスとパンツしか持っていない)。前回の湯治のときは、ジャケットを購入したが、あとはあるもので何とかした。今回は、全くない。この微妙な季節に着る服……。この3月に、Amazonのプライムセールで購入した春〜夏物のスカートが1枚。昨年の秋口に購入した羽織れるタイプのシャツが1枚。インナーは何とでもなる。しかし、4泊する予定だし、日中の外出時にも行き帰りとは違う普段着に近いものが必要だ。それと、食事が部屋食ではない場合、食堂に来ていく服も必要。こちらは部屋着クラスでいいのだが、手持ちのヨレヨレのヤツらでは恥ずかしい。少しきちんとしたものを…。ま、これは、死出の旅のときにも利用できるので、そういうカテゴリーで探そう。ショップから着たメールで、いいな、と思ったパンツを購入しようと思ったら、『6月上旬から順次発送します』だと。間に合わんではないか。暑くなる場合と、気温が上がらない場合を考えないといけない。訪問先は、どんな気候なのか、Yahoo天気予報で見てみる。大阪とは随分違う気候だと確認。ジャケット不要の時期こそ厄介だ。もういい!!あるもので何とかする!しかし…、食堂で着る想定の部屋着のみAmazonでポチッた。あ! あ! あ!頭はどうする!?ヘアバンド作戦だ!行き帰りはウィッグとハンチングでごまかす。風呂上がりは汗取りヘアバンド。食堂では、ちょっとおしゃれなヘアバンド。どうだ!どうだというほどではないが、そうするよりほかない、ということだ。Amazonでポチる。女の旅というのは、本当に厄介だ。「誰も見てへんてぇ」わかっている。しかし、見られていることを意識するのが女なのだ。それを忘れてしまったら、おばはんになってしまう。まだ、おばはんはいやだ。いや、同級生の中には、立派な「おばあちゃん」がいる(孫がいるという意味)。……ふん。かくして、旅に出立する日の朝まで悩みに悩む虫けらなのであった。 不 毛
2025.05.25
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昨年の12/20に受けた抗がん剤治療を最後にずっと治療を休止したまま。というのは嘘で、先月初めの診察のとき、虫「抗がん剤はやめます」怖「もうしない?」虫「はい」というやりとりをもって、治療を終了した。抗がん剤治療を始める前、虫「外科治療は無理として、 ほかの治療法は全くないですか?」怖「はい」虫「放射線も?」怖「(固形がんの)数が多いからねぇ」虫「陽子線や重粒子線も?」怖「(首を横に振る)」つまり、抗がん剤治療以外に選択肢がない、と怖い主治医は言ったのだ。で、最初のやりとり。あとは、がんのやりたいようにやらせるだけ。スッキリした。というのも嘘のような気がする。先月の怖い主治医とのやりとりの翌日、朝9時からどんどん熱が上がり、昼前には39℃を超えた。ようやく36℃台に下がったのは翌日なので、丸一日、熱発に苦しめられた。というのも嘘だ。熱はありながら、夕方には酒を飲んでいたし、熱以外の症状もなかったので、さほど心配をしなかった。体重の減少も1kg程度だったので、病のうちに入らない。きっと、怖い主治医とのやりとりに対して相当のストレスを感じていたのだろう。多分、知恵熱的な熱発だと考えられる。もしかしたら、治療終了の知らせを感じたがんたちが狂喜乱舞したのかもしれない。いずれにしても、抗がん剤の副作用から徐々に逃れつつある昨今である。【残る副作用】抗がん剤治療4ヵ月余り、最後の治療から5ヵ月弱。なお残る副作用を列記する。●手指先の痺れ冷たいものに触れると電気ウナギをつかんだような(知らんけど)ビリビリ感が走っていたが、これはもうない。この症状の原因となる抗がん剤は「オキサリプラチン」だが、いまも指先に残る痺れ(洗濯バサミで指先を挟んでいて外したときのような圧迫感)は「フルオロウラシル」が原因だと思われる。指全体から徐々に指先に痺れの範囲が絞られてきているので、あと数ヶ月で消滅するのではないかと思う。●毛のクルンクルン眉毛とまつ毛のクルンクルンは、ようやく落ち着いた。完全に、ではないが、新しく生える毛はストレートになっているようだ。この原因となったのは、「デカドロン」という吐き気どめ。クルンクルンのほか、これまで発毛が見られなかった場所に毛が生えてきたという現象もあったが、これはまだ継続中。恐ろしや、ホルモン剤。●皮膚治療中は、ひどい肌の荒れようだった。顔は、目の周り、口の周りがカサカサになり、皮膚の質が変わってしまった。首から上半身にかけても、保湿剤が切れると粉を吹くほど乾燥してカサカサだった。原因は、「ベクティビックス」。昨年11月後半からは、お尻やもも裏まで乾燥が広がっていたが、今年2月ごろに、うっすい膜のようなものがふぁっさーと取れて元の肌に戻った。が、肌質が変わってしまい。少しの刺激で痒みや赤みを発症する。化粧品を極力使わないようにし、洗顔料にも気を使う必要がある。刺激に弱くなったということは、フェイシャルエステなんかも無理だろう(一度もやったことがないが)。せいぜい皮膚科に相談して、保湿剤や痒み止めをもらうくらいか。がっかりだ。●頭髪4ヵ月かけて脱毛し、残り2割くらいになった。毎朝、洗面所で「オランウータンの赤ちゃんか!」と叫んでいた。こんな感じ(髪のことね)治療中断直後から発毛し出したのだと思うが、気がついたら(3月終わりくらい)、モンチッチになっていた。例に出すのがかわいすぎ?生えてきた髪がなかなかのクセのある奴らで、5ヵ月経った今では、パンチパーマが伸びて緩んだ感じになっている。つまり、変なウェーブのあるオールバックなのだ。おっさんのそれである。クセもさることながら、前髪がまだ短いので、人様にお見せするわけにはいかず、ウィッグを使っているのだが、もう暑くて……。冬の間はウィッグとハンチングの組み合わせだったが、それでは暑いので、昨日の外出時はウィッグなしでキャップを被った。キャップなら、深く被れば前髪がなくても無問題。ちゃんとしたお出かけでなければ、キャップにしようと思う。先日久しぶりにカットサロンに行き、髪型を整えてもらったが、施術してくれたオーナーにオ「なかなか剛毛になってますね」虫「これまでになかったクセが…」オ「もう少し伸びないとわかりませんが、 これは…」と言葉を濁された。厄介である。実は、「副作用」と断定できないような体の変化も幾つかある。人生初体験のことがあったりすると、自身の体の変化を恐ろしく感じたりする。治療前の体調のよさを思い出すと、悔しい気持ちが押し寄せてくるのだ。いたし方ない。これも人生。もっとつらい思いをしている人もいる。嘘を言うな。人と比べたことなどない。これまでの人生を悔いる気持ちもない。治療を後悔することもない。いま、大変幸せである。落ちていた味覚もようやく許せるまでに回復したし、冷たいもので口中や喉が痺れていたのも治り、冷たい酒が存分に飲めるし、皮膚の違和感で夜中に目覚めていた日々も終焉し、睡眠も十分取れているように思う。何より、倦怠感や生活のしづらさが全くない。これは、治療中もそうだったが、薬剤師や怖い主治医にいつも訝しがられていた。入浴の後のビールがおいしい季節になった。夜、好きな人から連絡があったら、ウキウキなのである。……嘘ばかりのブログはこれにて終わり。 空 虚
2025.05.19
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3泊の湯治旅を終え、帰阪する朝。宿でチェックアウトしたものの、最寄駅から鳥取駅までの在来線の所要時間と、鳥取駅で乗車予定(特急券は購入済み)の「スパーはくと」の乗り継ぎ時間に差があり過ぎて、どこで時間を潰すか、フロントでしばし思考。が、ここでそうしていると、宿の迷惑になるだろうと、重い腰を上げて宿を後にする。キャリーバッグをゴロゴロしながらゆっくり駅に向かうが、どう努力しても、5分以内に到着する。復路では、往路で起こった乗車料金事件をどこかで解決する必要があったので、乗車駅を証明するため1区間の乗車券のみを購入する。すると、そのタイミングで列車がホームに滑り込んできた。とりあえず乗ろう。予定の『スーパーはくと』に乗車するために乗らないといけない最終の時刻は分かっている。それよりも1時間ほど手前だが、こんな無人駅で列車を待っていてもらちがあかない。とりあえず鳥取駅まで行こう。と、急いで乗車券を購入。ホームに停車中の列車に乗った。始発駅ではないはずだが、随分長い間ホームに停車している。単線区間があるための列車待ち合わせか。スマホで音楽を聴いていたのだが、YouTubeで朝の番組でも観るか、とチャンネルを探してタップする。が、一向に番組が始まらず、クルクルサインが出る。虫けらが使っているポケットWi-Fiの問題かと、「設定」からWi-Fiの状態を確認。虫けらが使っている機種(宣伝ではありません)虫けらのWi-Fiの名称がちゃんと表示されているし、接続状態になっている。ふと、その下を見ると…認識されたWi-Fiを表示する欄に『腹筋背筋三角筋』という名称が…。面白い命名をする人がいるものだと思っていると、間もなく発車との車内放送。すると、ホームであちこちを撮影していた、20代と思しき男性が急いで乗り込んできた。「あ、この人だな」と直感した。『腹筋背筋三角筋』の主だ。以後、各停の在来線の列車が停まるごとにホームに降り立ち、写真を撮ったり(古い言い方か。スマホで撮影していた)、駅舎(無人)に入ったりしながら、発車時に即座に列車に戻る、を繰り返していた。虫けらは鳥取駅で降りたが、鉄オタと見える『腹筋背筋三角筋』くんはそのまま各停列車に乗って去っていった。虫けらは鳥取駅で往路の乗車料金の処理などに奮闘した後、定刻どおりにやってきた『スーパーはくと』に乗車した。この列車は特急ながら、私鉄各線や新幹線では実現しているフリーWi-Fiや、電源を設置した座席といったいまや当たり前となった装備を全く無視した、旧来型の車両であることは、想像に難くないと思う。虫けらは引き続き自分のポケットWi-Fiを使用していたのだが、山間部を走行することの多いこの列車では、ポケットWi-Fiが電波を受信できないこともしばしば。YouTubeを観ることは早々に諦めたが、ほかのアプリを使っているときも、プツンと通信が切れてしまうことがあり、そのたびにスマホの設定から、Wi-Fiの接続状況を確認することを余儀なくされた。幾つ目かの停車駅に着いたとき、また通信が切れた。設定を開いたとき、『腹筋背筋三角筋』が表示されたえ??在来線で一緒だったあの鉄オタではなかったのか?余り意味がないと思いつつ、座席周辺を見回した。在来線に乗っていた人の顔を覚えていない。鉄オタの彼を除いて。彼は各停列車に乗って去っていったのだ。あ!!! いた!列車の中ではなく、ホームに!あの鉄オタが、ホームをウロウロしていた。虫けらが鳥取駅で過ごした1時間、彼は各停に乗って例の行動をしつつ、ここまでやってきていたのだ。結構大きな駅だったので(有人だった)、ここでも列車の待ち合わせをするのだろう。かなりの時間(10分程度)停車した。彼は、思う存分撮影し、景色を眺め、虫けらの目の前で駅舎の中に消え、2度とホームに戻ってくることはなかった。最終目的は、入構する『スーパーはくと』を撮影するためだったのかもしれない。「さようなら、『腹筋背筋三角筋』くん」別に言葉を交わした訳ではない。『腹筋背筋三角筋』くんは、こちらのことは全く知らない。虫けらも、ポケットWi-Fiの持ち主が彼であろうという状況を認知しているだけなのだが、なぜか少し寂しい気持ちになった。鉄道というものにこの上ない魅力を感じ、各停での長旅を厭わず、無心に写真を撮ってワクワクしながら日々を過ごしている鉄オタの気持ちは全く理解できないのだが、そういう若者が結構たくさんいることも、そういう生活をしていることも認識できている。そして、そういうこだわりの趣味を持つ彼が、ポケットWi-Fiに『腹筋背筋三角筋』という名称をつけているという意味も、なんとなく理解できるような気がして、変に身近に感じたのだろう。田舎の、大した泉質でもない温泉で3泊の湯治をし、大したことのない時間を過ごした虫けらにとって、『腹筋背筋三角筋』の彼との出会いは、最も刺激的な事件だったかもしれない。ということにしておこう。また、湯治旅行を計画している。さて、今度はどんな事件に遭遇するのだろう。 譫 妄
2025.05.04
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20年近く前から始めた虫けらのブログ、全体のアクセス数が100万を超え、「多くの方に見ていただいたなぁ」と感慨ひとしおである。最近も、突然のアクセス激増が奇妙だと思いながら、大体毎日100前後の閲覧がある。最近のアクセスログを見てみると、なぜか2000年代の記事がよく読まれている。時事ネタと重なる事件などがあって、検索に引っかかるのだろうと思っていたが、その法則から外れるものもあって、「なぜこの記事が?」と不思議に思うことも多い。ここ数日、「パンダ」に関係する記事にアクセスが集中していて、「最近何かあったのか?」と思っていたのだが、どうも、和歌山にいるパンダ4頭を返還することが決まったようで、人々の関心を集めているようだ。虫けらがパンダを取り上げたのは2008年で、そのときに何があったのか詳しくは覚えていないのだが、上野動物園のパンダが亡くなったことがきっかけだとはブログを読めばわかる。パンダに興味のある方は一度読んでみてほしい。『「かわいい」では済まないパンダの実態』数字(金額)は当時のもので、現在はどうなっているか調べていない。記憶では、王子動物園と白浜アドベンチャーワールドに取材した。取材時には、結構面白い話を聞いたりもしたが、披露する場所がなかった。取材の目的が、ラジオ番組での情報提供だったので、裏話はスタッフ間で共有したが、番組中では割愛した。(この場合の裏話は、誰かに「都合の悪い」ものではなく、番組の趣旨に合わないものであり、トリビア的なものだ。が、マスコミから発信される情報は、ある方向性を持って提供されるもので、「都合が悪い」という判断基準が明確にあることは事実)ことほどさように、現実とはそういうものだ。(当該のブログに書かれていることを知っていたという一般国民は少ないはずだ)よほどマスコミが正常でないと、一般国民は本当のことを知り得ない。虫けらのように、仕事柄、裏側を探ることができる立場や理由を持っていれば、簡単に手に入る情報もあるが、その範囲もしれている。つまり、世の中に溢れている情報は、誰かの都合のいいものに偏っているということ。「誰か」は、政治家や外国勢力、大企業、巨大団体など。いま、日本は瀬戸際にある。正しい情報を入手する方法を確保しないと、日本が日本でなくなる危機がすぐそこにある。4月になって、虫けらがかかっている病院に行って驚愕した。医事課の職員(女性)の制服が変わり、看護師や医師のネームプレートが激変した。制服については、スカートからスラックスに、紺色からグレーに。外見からの印象では、伝統的な日本の制服から、人民服に、という感じ。ネームプレートについて。以前は診療科、役職、顔写真、名前(漢字フル)だったのだが、大きなひらがなの苗字だけになっていた。これは、外国人仕様ではないか。しかも、C国人を意識したものだと感じる。恐ろしいことである。佐々木みのり先生がおっしゃっていたように思う。「大きな病院には、中国人用病床を確保するように」という通達が厚労省から出されているようだ。日本が侵されている。日本人は心して対処しないと、自分の居場所をなくす。日本人が日本人として生きる場所をなくす。日本が日本でなくなる。パンダの一件で、そういう危機感を覚えた人が、虫けらのブログを見にきてくれているのだろうか。ずっと、政治的な話は避けてきたのだが、そろそろ、真剣に書かねばならないか。死ぬまでに、日本のため、日本人のための情報を少しでも多く発信せねば、とも。もう手遅れかもしれないのだが。。 暗 澹
2025.04.29
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『湯けむり事件簿 ②』で、チラッと触れた事件。無人駅に降り立った虫けらは、ICOCAで出場すべく、タッチパネルのスタンドにICOCAをかざす。『ピンポーン』耳につく音とともにパネルが赤く光る。『インターホンで係員とお話しください』と、電子音がおっしゃるのだが、インターホンがない。ポリボックスのように、係員とつながる直通電話もない。ネットで問い合わせできるQRコードも掲げられていない。万事休すである。無人駅は無敵である。虫けらは無力である。宿のフロントで聞いてみてもフ「すみません、わかりません」と言うし、虫「そうですか。。こちらで調べてみます」と返すしかなかった。宿に到着してからは、ビールの買い出し、温泉への入浴、ビールを飲みながらの「湯けむり事件簿」の執筆、夕食、温泉、休憩、温泉と、非常に慌ただしかったので、多分、問い合わせられる時間は過ぎているだろうと、翌日に持ち越すことに決めた。朝食後、PCでどこに問い合わせたらいいか調べた。駅のある鳥取に当該の窓口はないようだった。結局、大阪にある『JR西日本のお客さまセンター』へ。虫けらが、昨日の経緯を話す。J「えーっと、その駅は、どの地域ですか?」え? 客に聞くの?細かく説明する。J「少々お待ちください」大分待たされた。3分くらいか。いや、5分くらいのような気もする。J「途中、因美線とかですね、違う線を乗り継ぐので、 ICOCAでは精算できないようです。 お帰りの列車はどうなさいますか?」いや、因美線はJR山陰本線の一部区間の名称で、ICOCAの利用はできるとHPに記載されてある。虫けらはそれを確認したから、乗車料金以上の金をチャージしたし、ICOCAで入場したのだ。虫「山陰本線なのに、ダメなんですか?」J「はい。ちょっと無理なんです」虫「そうですか…(納得できないが、ここで 揉めても意味がない)。 帰りもスーパーはくとの特急席を購入しています」J「ではですね、車掌に相談してください」虫「帰りの乗車券は買えるでしょうけれど、 行きの分は無理ですよね」J「アドバイスを聞いていただけると…」虫「ICOCAにチャージしてるので、使いたいんですが」J「現金でないと無理です」虫「え? 大阪駅で精算したら、大丈夫ですよね」J「いえ、現金でないと…」虫「ICOCAは余り使わないんですよね…」普段は、JRに乗車するときでも、ポストペイで記録が残るPitapaを使っている。ICOCAは、新幹線をネット予約した時の駅の入出場のときくらいしか使わないし、大阪市内に住んでいるので、使う金額もしれている。J「お買い物でも使っていただけますので…」ICOCAでの買い物など、ついぞしたことがない。いつもPitapaを使っている。ガッカリ、の気持ちに支配される。虫「わかりました。お忙しいところお手数をおかけしました」電話を切ったが、気分が晴れない。帰りの特急で車掌さんに相談したところで、無人駅から鳥取までの運賃と行きの運賃の精算は大阪駅でするしかないだろう。それなら、両方とも大阪駅で片付けるのが効率的だ。かくして帰阪する日、件の無人駅では1区間の切符を券売機で購入する。来たときはICOCAで出場できなかったので、帰りの入場もできない。が、どこから乗車したかの証明が必要である。とりあえず在来線で鳥取まで行くことにする。鳥取駅では、構内にある施設で時間を潰さなければ、予約した『スーパーはくと』の出発時刻までは1時間ほどある。改札階までエレベーターで降りる。すぐに改札が見えた。何もない。構内にはトイレがあるのみだ。ホームに戻る。1時間の待ち時間をどう過ごす…。あ、行きの運賃と、件の駅からここまでの運賃を精算しておこう。再び改札階に降りる。係員改札口には若い駅員が二人。「解決してくれるかなぁ」と訝しく思いながら、虫「すみません。ややこしい話を聞いていただけますか?」と前置きして、行きの話をした。駅「あぁ、上郡から智頭までが智頭急行の区間で、 そこが挟まっているために、ICOCAが使えないんですよ」あれ? お客さまセンターのおばはんの言い分と違うが、こちらが正解だと確信する。虫「大阪から鳥取まで一気に来る特急なのに、 JRじゃない区間が含まれるんですね」駅「長い区間は、大概ICOCAが使えないと思ってください」虫「特急券はネット予約できるのに、不便な…」駅「乗車券は、みどりの窓口かみどりの券売機で買えますので」みどりの窓口や券売機など、件の駅にはなかった。つまりは、大阪市内で事前購入必至というわけだ。駅「行きの乗車料金は、ICOCAからいただいておきます」虫「大丈夫ですか?」駅「ま、特別に。〇〇駅で入場した記録をつけておきます」虫「あ、ICOCAで入場できないので、 とりあえず1区間の乗車券を購入しています」駅「じゃ、払い戻しますね」予想よりスムーズに問題が処理できた。若い駅員さんだったが、手際もよく説明も的確だった。とりあえず、これで、大阪駅まで何もせずに済む。特急の旅は、途中、踏切で非常ボタンが押されたことによる点検のための遅れが7分発生したが、猛スピードで挽回してくれ、多分、1分未満の遅れ程度で大阪駅に到着した。どこの改札から出ようか迷ったが、乗り換え線へのアクセスと駅員が最も多いだろうと判断し中央改札口にした。これが失敗だった。改札口に到着すると、大勢の外人客がいた。これは時間がかかるぞ、と覚悟した。外人客の斜め後ろで待機していると、外人客の問題を聞いていた女性駅員が虫けらを振り返り女「なんですか?」と聞いてきた。聞き方がおかしいだろう。虫「ICOCAで入場してるんですが、 出場できないはずなので、 見てもらえますか?」とICOCAを差し出す。女「どこから乗ったんですか』虫「〇〇駅です」女「〇〇って、どこですか?」怒ったように聞いてくる。なぜ客に聞く?自分の勤務先に関係する情報である。すぐに調べられるだろう。虫「鳥取です。鳥取、倉吉間の駅です」改札の中から資料が差し出され、女駅員はそれを手に女「どうやってここまで来たんですか?」と聞いてくる。残念ながら、女が手にしている早見表のようなものは文字が小さくて見えない(老眼です)。虫「〇〇駅から鳥取までは因美線、鳥取からは スーパーはくとです」女「あー」あーじゃないだろう。女「で、〇〇でICOCAで入場したんですね」虫「はい。でも、途中の区間がJRじゃないので、 ICOCAでは出場できないから、 係員に処理してもらってくれって 鳥取の駅員さんに言われたので、 こちらに」女「え、どういうことですか?」虫けらは、往路で起きた事の顛末を説明した。そして、鳥取の駅員の処理の内容も詳しく話した。女「行ったときに、ICOCAで出られなかったのに、 また同じように帰ってきたんですか?」人を無法者のように言う。どうやって帰ってこいと言うのか。しかも、常にキンキン声で、耳が痛い。多分、〇〇駅が無人駅だと理解していないのだ。行きがICOCA使用不可とわかったなら、帰りは乗車券を買って入れよ、と怒っているようだ。(ICOCAで出場できなかった事の処理は、必ずしないと、ICOCAは以後使えなくなる。乗車券を買ったら解決、ではないのだ。このことを微塵も理解していない。鳥取での駅員とのやり取りも聞いただけ、で、理解できていないのだ)〇〇駅が無人だったことはちゃんと説明したが、大阪駅のような巨大ターミナルに勤務していたら、鳥取の片田舎の無人駅の有様は理解できないだろう。女「運賃は、4780円です」虫「行きの運賃は、鳥取駅でICOCAで精算してもらいました」女「できません」虫「できませんて、精算してもらったんですよ」女「それは間違ってます!」何を言っているのだこの女は。鳥取の駅員が間違っているとして、それで虫けらを責める方が間違いだろう。お客さまセンターのおばはんの話からも、鳥取の駅員の口ぶりからも、ICOCA精算は無理だろうとは思っていたが、言わずにはいられなかった。虫けらは珍しくきつい視線で女駅員を見た。次の瞬間、女駅員はどこかへ消えた。仕方なく、5千円札を窓口に置いた。若い男性係員が釣銭をくれたが、虫「レシートは出ないですか?」レシートなど必要ないが、何か言わないと気が済まない。すると、窓口の係員とは違う若い係員が奥から人差し指と中指に挟んだレシートをヒラヒラさせながら出してきた。顔は見えない。とことん態度の悪い奴らだ。虫「お手数をおかけしました」と言いながらレシートを取り、改札を抜けた。実に気分が悪かった。特急券は1枚で買えるのに、JR以外の路線が入っているとは…実は…、知っていた。夫が、智頭急行のCM制作に関わっていて、当時、TVCMが流れるたびにその話をしていた。スーパーはくと(JR時刻表より)もちろん、ICOCAでの入出場の話ではない。智頭急行がJRに乗り入れて、『スーパーはくと』という特急を大阪から鳥取まで走らせているという話だ。すっかり忘れてしまっていた。何しろ、25年ほど前のことだったように思う。その頃は、旅行といえば車だったので、全く実感のない話だったのだ。「終わりよければすべてよし」というが、この旅は、JRの対応のせいで、なんだかなぁーの旅となってしまった。 落 胆
2025.04.27
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虫けらが選んだ宿は、湖の周囲にある温泉郷の一つで、昔はもっと賑やかだった。というのも、30年近く前に夫と尋ねたことがあるのだ。いまや、無人駅となってしまったJRの駅を出たところに「歓迎! ◯◯温泉郷」と書かれたアーチゲートがあった(今もある。寂れているが)。そのときは、車で訪れていたので、町の端から端まですぐに行けたのだが、宿はもっとあったし、人もいたように思う。湖の周辺にある温泉郷は3つあり、他の温泉郷は今でもそれなりに宿が存在しているが、ここは2軒しかない(多分)。しかも、もう1軒は、ペンションレベルの規模で、実質宿泊施設と言っていいのは、虫けらの宿だけなのだ。ということなので、周辺には全く観光施設がない。浴場で話したご婦人によると、婦「車なら、出雲大社もすぐだし、砂丘にもね」という話だったが、地図で確認すると、出雲大社は随分距離があるし、砂丘には余り興味がない。ま、観光したい人には向かない場所なのかもしれない。虫けらは列車で訪問したので、昼間に出かけるとしたら徒歩圏内である(近くにはレンタカー店もない)。湖の周辺を歩くとしよう。フロントで湖の周囲の距離を聞くとフ「12kmですね」らしい。12kmなら、2時間ほどあれば歩けるが、歩数に直すと1.5万歩近くになる(虫けらは歩幅80数センチ、時速6kmで歩くので)。これは歩き過ぎだし、疲れるほど散歩するのは避けたい。(お年寄りが「1日1万歩」とおっしゃるのを聞くと、「歩き過ぎです」と注意するようにしている。お年寄りは、8000歩以上歩くと足腰に支障を来す確率が高くなる。それが原因で寝たきりになると、本末転倒。中年以降もそのことを忘れずに)1日目(1泊した後)は、西に2kmほど歩くことにする。途中、時の知事か市長が昵懇だったのか大きな中国の観光施設がある。ついでに施設内を歩いてみたが、食べ物も、買い物も、中国尽くしである。中国のものは要らない。平日だったためか、人影は全く見えなかった。確か、30年近く前にこの地に来たときは、この施設がオープンした当初だったと思う。この雰囲気、この規模で、30年近く廃業せずにやってこれたのは奇跡に近いと感じた。公的資金が投入されているのではないだろうか。などと、要らぬことを考えつつ歩いていると、あるなぁ。ここにも、である。道のすぐそばに…。気持ち悪い代物だ牧歌的な風景が台無しである。列車に乗っていて気付いていたが、沿線にもたくさんのこういう施設があった。規模としては、小さなものが多かった。個人でやっているのか、自治体がやっているのかよくわからないが、地元にメリットがもたらされているのかどうか。夜、大浴場で温泉に浸かりながら北西方向を眺めていると、異様に赤く光る場所を見つけた。虫「あれは、『赤色航空障害灯』の雰囲気だな。 あんな場所に高いビルが並んでいるのか?」と不思議に思ったのだが、湖の周辺を歩きながら、そちらの方向を見ると、あった!あれかぁ。日本海の中か陸かわからないが、たくさん設置されているあれで、どれだけの野鳥が犠牲になっているのか。。田舎ほど侵食されているのだな、と再び納得。旅情もへったくれもない。本当に気分が悪くなった。日本政府はどうかしている。自治体も頭がおかしい。日本の、日本らしい景色をこれほど害するものがあるだろうか。(いや、感情的な話ではない。「自然エネルギー」のカラクリを知れば、こんな無駄で、日本のためにならないものはない、と理解できるのだ)田舎は、田舎のよさを悪さだと認識している節がある。都会と比べて感じる不便さや時間軸の感覚の格差は未だに如何ともし難いものがあるのはわかるのだが、自然の景観なくして、田舎のよさを語るのは至極難しいことも事実だ。実は、日本は田舎ばかりと言っていい。都会はごくごく一部の奇跡なのだ。企業や行政や人やインフラが集積し、常にゴミゴミ、イライラ、ギスギスしている。が、少し都会を離れると、すぐに美しい風景や豊かな自然を享受できるのが、日本のいいところ。人々も穏やかである。が、昨今の「パネル」と「風車」のせいで、日本らしい景色が消えつつある。これは、日本を破壊したい輩どもの策略である。などと考えていると、あっという間に宿に戻ってしまった。ゆったり、のんびり歩くつもりが…。。旅情もへったくれもないひと時となったのだった。 寂 寥
2025.04.24
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虫けらが選んだ宿泊プランには、朝夕食がついている。夕食は、この宿で選択できる食事プランの中でも最もシンプルなメニュー構成なのだが、病気以来、食に興味がなくなった(抗がん剤の副作用で味覚が減退したことと、冷たいものを口にすると、口中や咽頭が痺れるのでおいしく食べられるものが減少していた。現在は、痺れはないが、味覚の減退は残っている)虫けらにとっては、食事に重きを置かないこのプランが希望に合っていた。が、テーブルに並んだ料理は、結構な品数!●イワシの梅煮●地魚四種盛りのお造り●大山豚のしゃぶしゃぶ●アマダイの松笠焼き●うどん(冷)●白ハタの唐揚げ●ローストビーフ●コシヒカリ●香の物三種盛り●赤だし●わらび餅と季節のフルーツ二種これはある日のメニューだが、品数もさることながら、一皿が多いのだ。先付けのイワシの梅煮は、大きなイワシが二尾。揚げ物の白ハタは三尾。うどんはひと玉分あった。このときは、ごはん一連(香の物と赤だし)を辞した。瓶ビールを頼んでいたので、おなかパンパンである。デザートを運んできたスタッフが、ス「サインをお願いします」と言う。伝票を手に持っている。余りよく見ずにサインをした。すると、ス「あ、違うわ」と言い、テーブルに置いてある部屋番号のプレートを見てス「355じゃない…、あ、これは351やわ」351は、隣のおっさん。虫けらが食堂に来た当初からずっと音を出しながら何かの動画を観ていて、鬱陶しいなぁと思っていた。お「それ、わしのや」ス「ビールですよね。355の〇〇さま。3泊お泊りになる…」なんでここでそんなことを披露するのだ!隣のおっさんに、虫けらがビールを飲んだことと、部屋番号、名前ばかりか、宿泊内容がバレてしまったではないか!どういうことだ!何かの策略か?隣のおっさんと食堂を出る時間が重なるのが嫌で、すぐに席を立った。デザートは食べずじまいである。田舎ゆえか?スタッフがおばはんだからか?それとも、この宿は、宿泊客を確認するときには、部屋番号、名前、宿泊日数を口に出して言わなければならない決まりなのか?部屋に戻った虫けらは、結構腹が立っていて、やけくそ気味に缶ビールを飲むことにした。小さな冷蔵庫から缶ビールを出したが、いや待てよ。食後の温泉をちょっと我慢して、寝る前の温泉を早めにし、そのとき缶ビールを飲もう。と思い直すのであった。翌朝。夜の温泉の後、ビールを飲んでいざ就寝、と思ったものの、なかなか眠れず、朝までまんじりともしなかった。5:30の開場を待って温泉へ。もう奥方が二人。え?まだ5:31くらいのはず。5:30より前から開(あ)いているのか?まぁいい。洗い場で洗髪し、ささっと体を洗って湯船へチャプン。きもっちい〜。不眠のモヤモヤ感が吹っ飛ぶ。湯船の中で、大阪からいらしたという奥方と話す。この宿へは何度もいらしているとのこと。そういえば、昨日脱衣所で話したご婦人も月に1度のペースで通っているとか。神戸の方だった。取り立てて特徴のない宿だが、定宿にするにはちょうどいいかもしれない(関西からだと、距離的にも、価格的にも)。虫けらも、次の宿泊プランを練ろうかと考える。朝の湯は温(ぬる)い。夜には大分熱くなっているので、多分、夜間は湯を抜いているのではないかと思う。新たに貯めると、どうしても湯が冷めるので、朝は温(ぬる)く、徐々に温度が上がっていくということだろうか。部屋に帰り、少し眠る。1時間弱のウトウト眠りが気持ちいい。指定していた時間になったので、食堂へ。虫けらのテーブルには、ごはんと味噌汁、飲み物以外はセットしてある。それらを取りにバイキングコーナーへ。サラダ、パン(2種)、カレー(二日目のみ)があり、熱いお茶、コーヒー、水、リンゴ酢、牛乳、オレンジジュースなどの飲み物がずらりと並んでいる。テーブルの上の品数は10種ほどあり、ごはんと味噌汁、水以外は遠慮した。食べられるかい!である。ライスマネジメント不能。おかずの量が異常です。朝からビールもなんだな、と思い、食事を済ませたらそそくさと部屋へ。温泉は、9:00までなので、チェックアウト前のお客さんでいっぱいになるだろうと、部屋で静かに過ごす。連泊なので、アメニティの交換や部屋の掃除などがあるのだが、あいにく、部屋にはアメニティが皆無だし、バスタオル、タオル、浴衣の交換くらいだから、こちらからフロントに連絡したら、持ってきてくれるという段取りにしていた。10:30分になり、大浴場が開場したタイミングで温泉に行こうと部屋を出たら、ちょうど部屋の前にハウスキーピングスタッフがいたので、部屋に戻ってバスタオルとタオルを持って出たら、交換の備品を渡してくれた。これで、フロントに手間をかけることもないと思った。が、部屋には、空気清浄機(加湿器)や、冷水の保冷ポット、湯沸かしポットがあり、お菓子も置いてあったので、これらも補充、メンテ、もしくは交換してもらう必要があるが、ハウスキーピングスタッフも、フロントも、以降、言及することがなかった。3連泊なのに、メンテがなかった。これも、田舎ゆえか?こちらから要望しないといけないのか?それとも、この宿独特のルールなのか?というわけで、宿のスタッフは素朴で悪い人ではないが、都会人(?)の虫けらの常識にはちと合わないルールと雰囲気の中で動いていらっしゃった。連泊の虫けらは、これもこれとして、腑に落としてやっていくしかない。こんなことで、ストレスを溜めている場合ではない。温泉の気持ちよさを満喫するために、すべてを飲み込もうと決意する虫けらであった。 達 観
2025.04.21
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湯治の主目的は温泉治療だ。今回選んだ温泉地の泉質は、直接がんに効いたり、がん治療に有益な要素があるというような期待はできないものである。泉質:ナトリウム・カルシウム・塩化物・硫酸塩泉泉温:源泉 49.4℃効能:筋肉もしくは関節の慢性的な痛みまたはこわばり (関節リュウマチ、変形性関節症、腰痛症、 神経痛、五十肩、打撲、捻挫など) 冷え性、末梢循環障害、胃腸機能の低下 軽症高血圧、糖尿病、軽症高コレステロール血症、 軽い喘息または肺気腫、痔の痛み、 自律神経不安定症、ストレスによる諸症状、 病後回復期、疲労回復、健康増進 切り傷、末梢循環障害、冷え性、うつ状態、 皮膚乾燥症オレンジの文字が泉質による適応症で、グリーンの文字は療養泉としての適応症とのこと。(前後してすみません。オレンジの方が本来の効能)虫けらに対応するのは、「胃腸機能の低下」「切り傷」くらいだろうか。がんが原因ではないが、虫けらは慢性的な胃腸症で、すぐに消化不良や下痢に見舞われる。「ストレスによる諸症状」かもしれないのだが、この温泉の適応症の「ストレスによる諸症状」には、『不眠症』『うつ症状』などが挙げられていたので、ちと違う。切り傷はないのだが、足の爪が剥がれそうで(まだ剥がれてないんかい! はい。外出中などに剥がれるのが嫌でテープで固定していたら、なかなか剥がれてくれない)、以前は出血していたので、爪の内側に傷か何かがあるのかもしれない。というわけで、がんの湯治効果はほとんど期待できない泉質なのだが、ま、「温泉に浸かる」、という贅沢と都会人には難しい「大浴場での入浴」ができるというだけでも、体や脳にいい影響を与え、何かの効用があるように思う。朝は5:30〜、最終は23:00 なので、深夜の入浴は不可なのだが(深夜の入浴が好きなのに)、連泊ならではの昼の入浴ができる。フロントでは、9:00〜10:30は清掃のため閉場しているという説明を受けた。予約時のサイトには、通しで入浴できるという説明だったので、期待大だった分残念だが、致し方ない。入浴スケジュール、とまでは言わないが、食事ややりたいことの合間はすべて温泉へ、ということにして…5:30、10:30、14:00、17:30、20:30、22:30の6回体制で望むことにする。20:30の食後の入浴は、状況次第ということにして、他の5回は必ず決行、である。この地の温泉は、源泉の湯をそのまま供給するスタイルのようだ。「加温」はせず、夏場の「加水」のみ。49.4℃は虫けらにとって理想である。自宅の風呂は48℃で湯を張り、45℃前後で入浴していると思う。お湯に浸けている部位の肌は顕著に赤くなるという熱さなので、43℃以下ということはない。チェックインし、缶ビールを買い出しに出た後、すぐに浴場へ。宿のサイトより先にご入浴になっていたご婦人は1名のみ。湯船にはゆったり浸かれそうだ。洗い場で頭から足の爪先まで丁寧に洗ってから湯船へちゃぽん。ん?温(ぬる)い。こ、これでは温まれない。温泉の供給口まで移動し、少し熱い湯で温まる。湯はサラサラ。無味無臭(少しなめてみた)。本当に温泉?とはいえ、首まで浸かると、全身が緩む。気持ちい〜。虫けらは風呂が好きである。物理的(時間)と経済的(ガス代)事情のせいで、店の営業後はシャワーで済ませることが日常的だったが、抗がん剤の副作用で肌がガサガサになり、シャワーだと、よりガサガサになるので、保湿効果のある入浴剤で入浴することが必須になっていた。昨年の秋からずっと「キュレル」を入れたバスタブに長い時間浸かるのが習慣になっていたのだが、こんな気持ちよさを実感することはなかった。たくさんのお湯に身を沈めると、家風呂にはない心地よさと安堵感が全身を包む。露天風呂が1つ上の階にあるのだが、強風のため閉鎖されていると聞いた。湯の温度が上がらないらしい。ま、いつでも入れる(3連泊なので)。初回は、大浴場(といっても、大変こじんまりしているが)でのんびり浸かって、旅の疲れを癒そう。そうそう、ICOCAで出場できなかった件もあるし、列車の車内が窮屈で、ヒヤヒヤした件もあった。何より、家から最寄駅までと、無人駅から宿までのゴロゴロの疲れもある。というわけで、湯治旅のメインイベントの温泉入浴はこうして始まった。多分、湯船に15分くらいいたと思う。部屋に戻って、体がポカポカしてきた、という遅延効果も余り感じず、割と早い時間で体表も体内も冷えた。そういう泉質なら、少し温(ぬる)いくらいの湯にじっくり浸かるという方法で、温泉を楽しもう。※結果報告:胃腸症状に効くのは、飲泉してのことだと思うのだが、飲泉設備がなかったので、入泉だけの効果として。湯治期間中は胃腸の調子がとてもよかった。抗がん剤で不安定になっていた胃腸状態が、抗がん剤休止後も癖になったような感じだったが、宿泊二日目から治療前のような感覚に戻った。体の芯から温まった、という効果か、温泉の成分が皮膚から、あるいは呼吸によって体内に入ったなどの効果かはわからない。直接温泉とは関係ないのかもしれないが、とりあえず。 幸 甚
2025.04.15
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しばし無人駅で途方に暮れた虫けらは、「ま、宿で教えてもらって、何とかしよう」と気持ちを切り替えて、キャリーバッグをゴロゴロしながら宿に向かう。(この事の顛末は最後にまとめて)時刻を確認すると、チェックイン時刻までにまだ15分以上ある。コンビニでビールを買おうと思っていたが、コンビニまでの距離を考えると(500mほど)、このゴロゴロ付きでは時間的にも気力的にも微妙。とりあえず宿で待たせてもらおうと考える。ロビーに入ってフロントを見やると、女性係員が笑顔でこちらを見ている。虫「チェックインにはまだ早いですよね」女「大丈夫です。お部屋のご用意はできておりますので」助かる。すぐにチェックインの手続きをする。係員の説明が終わった後、件の駅の話を聞いてみた。女「すみません。駅のことはわかりません」?!これまで、こういうトラブルがなかったということか?諦めてすごすごと虫けらの宿泊場所となる部屋に向かう途中、あ、皆車で来るのか。窓から見える宿の大きな駐車場から察した。来客のみではなく、従業員も。駅から3分という立地なのに、皆駅を使わない。周辺(東西3km)には、目立った宿泊施設は2軒しかない。コンビニが2店舗、飲食店が1店舗あるのみで、観光や食事に行こうと思えば車が必要。無人駅になるわけだ。などと思いながら部屋のロックを解除する。こんな田舎の宿なのに、カードキーだ。最近全面改装されたそうなので、ラッキーだったな……と思ったのも束の間、部屋に入ると、すぐ右手に洗面台がある。その奥がトイレ。不思議なつくりだ。クローゼットはない。ドアの左手にハンガーのかかったフックが3つ。これがクローゼットの代わり?引き戸を開けて部屋に足を踏み入れると、ベッドが二つ。ツインの部屋だ。が、バッグを開けるスペースも中の荷物を収納する場所もない。手提げ鞄なら、荷物を入れたままでも何とかなるが、キャリーバッグとなると、中の荷物をどこかに一旦出したいと思うのが心情。どこか、がない。デスクがあるにはあるが、急須や湯のみの載っているお盆、電気ポット、冷水の保冷ポット、照明器具があり、荷物を置くスペースはない。致し方なく、引き戸を開け放ち、ベッドとドアの隙間(洗面台前)でバッグを開け、ベッドの上に荷物を出す。すぐさま必要のないものは、なぜか部屋の隅に置いてある謎の椅子の上に。そんなところに座って、何をするのだ、という場所にある椅子。物置に確定。部屋には、バスタオル、タオル、浴衣、半纏がある。洗面所にタオルはない。シャワーのみが設置されている部屋だが、余分のタオルはない。トイレには、うっすいタオルが吊り下がっていて、手の洗えるタンクが付いている。タオルをたくさん持ってきてよかった。レビューのおかげである。バスタオルとタオルは温泉で使用する。どちらも濡れ濡れで部屋に戻り、次の入浴までに乾くかどうか、というところ。持参のタオルがなければ、汗を拭いたり、洗顔後に顔を拭いたりすることができない。ミニバスタオル、フェイスタオル、タオル(2)を持参したが、3連泊なのでこれくらいは必要。デスク下に小さな冷蔵庫があるが、中は空っぽ。缶ビールの購入は決定。エアコンは、部屋についていて、館内空調ではない。リモコンに「おまかせ」というボタンがあり、迷いなくそのモードで使用する。少し気温が低かったのと、ベッドの枕位置の真上に給気口があって、大変冷たい空気が降りてくる。エアコンによる暖房が必要だったのだ。虫けらの部屋には解放できる窓がないので、給気口が必要なのはわかるが、どうしてそんな場所に給気口をつくったのか理解に苦しむ。改装前は和室で、給気口の下に枕位置をつくる寝床の配置ではなかったのだろうと推察した。しかし!エアコンの「おまかせ」に任せてはいけなかった。いつまでも室温が上がらない。気づいた時には喉がイガイガしていた。しまった! 風邪を引くかも!エアコンを「暖房」に切り替え、空気清浄機(加湿機能あり)をつける。案の定湿度が低い。ゴポゴポと音を立ててタンクの水が機械内に落ちていく。(この清浄機の給水タンクは1日程度で空になる。連泊の虫けらは、このケアも自分でしなければならなかった)失敗したな、と思ったことがもう一つ。コンセントである。いつもは、接続口(ACとUSB)がたくさんあるタップを持参するのだが、一人旅ということもあり、コンセントが3つほどあれば事足りるだろうと、今回は持参しなかった。ノートPCで一つ。あとは充電用である。イヤホン、ポケットWi-Fi、携帯(2)。しかし、コンセントは枕元に2つしかない。多分、差し替え、差し替えで充電は可能だろうが、面倒なので、電気ポットのプラグを抜いて、ポケットWi-Fi専用の充電コンセントにした。実は、この宿にはフリーWi-Fiがあるのだが、PCでYouTubeを観ていると、決まって10分ほどで通信が止まる。一度に使える容量が決まっているのだろうか。理由はわからないが、3度ほど同じ現象が起きたので、持参のポケットWi-Fiに切り替えた。田舎ゆえだろうか、この宿独特の事象だろうか、虫けらの認識を超える事態に少々驚くという辺鄙な地への旅ならではの経験をするのであった。 当 惑
2025.04.11
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今回の湯治場として決めた宿までの距離は、およそ230kmと、大したことがないにもかかわらず、列車を使うと4時間を要するという不便さ。大阪からその地方の主要駅までは特急がある。調べてみると、特急券はネット予約ができる。料金はカード払いである。以前、JRのネット会員になっていたのだが、福知山の事故か何かで、その会員組織が解散になり、自動的に会員登録が抹消された。登録のやり直しである。セキュリティレベルが上がったせいで、結構手間がかかったが、とりあえず再度会員登録をし、特急券の予約と購入ができた。次は乗車券の手配だが、通常、ICOCAを持っていると、JR西日本の区間はそれで乗車券を代用できる。調べてみると、当該地域では「今年の3月からICOCAが使用できるようになった」との情報。これで乗車券の事前購入も不要になった。しかし、ICOCAへのチャージが必要になる。ICOCAは未だにチャージ制である。スマートICOCAやアプリなど他の方法もあるが、せっかく保持しているICOCAを使う算段(保持しているICOCAで他の会員登録をしている。スマートICOCAなどに切り替えると登録のやり直しが必要となる。しかも、アプリの登録をすると保持しているICOCAは一切使えなくなるという理不尽な規定がある)を模索するのは当然というべき人間の習性である。以前、新幹線で岡山まで行ったが、岡山駅の改札をICOCAで出たときは、JRも随分進化したなと思った(虫けらは『EX予約』に登録している)。ただし、新幹線は乗車券もネットで支払う方式なので、これが可能だとて、大した技術革新ではないかもしれない。しかし、ICOCAが登場してもう30年である。JR西日本の在来線で、ICOCAに対応していない駅や路線がまだあるらしく、なんという時代遅れな…感は否めない。かくして、自宅最寄駅で1万円分をチャージし、往復の乗車券分は問題なし、となった。いざ、湯治場行きの当日。Mサイズのキャリーバッグをゴロゴロしながら大阪駅の改札をICOCAで通過し、当該特急の発着するホームへ。15分くらい早く着いたが、キャリーバッグをゴロゴロする手間を考えたら、まぁまぁくらいの余裕である。サンダーバードが着いた。虫けらが乗る列車も、同じホームから出る。予約した座席は2号車。サンダーバードの2号車あたりに居場所をつくる。この5分後に当該列車が入る予定。サンダーバードが回送となり、ホームから姿を消したと思ったら、すぐに乗車する列車が入る。え!!!えらい向こうに止まっている。サンダーバードは12両編成だったが、スーパーはくとは5両編成なのだ。えーーー、そうなの?虫けらの予想以上にローカル路線というわけだ。慌ててキャリーバッグを転がしながら2号車のドアまで急ぐ。座席にたどり着いて気づいた。狭い!Mサイズのキャリーバッグが足元に収まらない。ふた昔前の座席のあり方だ。今の座席は足元に余裕がある。キャリーバッグが一般的ではない時代の設計だということ。といえども、吊り戸棚に持ち上げる力はない。仕方なく、隣の座席を侵食しながら旅をする。途中の停車駅で、隣に人が乗ってこないかヒヤヒヤしながら3時間を過ごす。ようやく、乗換駅に到着し、在来線へ。50分近く揺られる。運よく座れたが、座れなかったら、と考えると、ゾッとした。湯治場の最寄駅に到着。スタンド型のタッチパネルがある。無人駅なのだ。ICOCAをかざす。『ピンポーン』赤い表示に続き「インターホンで係員とお話しください」という機械的なアナウンス。インターホンなどない!駅舎に入るが、全くの無人。ポリボックスのように直通電話があるわけでも、連絡先を記した看板があるわけでも、物知りの地元の人がいるわけでもなく、ポツンとひとり、取り残されれる虫けら。「便利」が裏返った時の「不便」は想像を絶する。若い頃から都会暮らしばかりだった虫けらはこんな事態を予測する脳になっていなかった。スマホを持っていようと、PCを持参していようと、全く役に立たないことを知り、万事休すとなるのであった。 困 惑
2025.04.09
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湯治に出よう! と思ったのだ。思ったのは、1月の診察(1/10)の後。ぼんやりと、「抗がん剤より、温泉の方が効果があるかも」と抗がん剤治療の前に考えていたことを思い出した。小学以来の友人と会ったとき(1/21)に、「旅行に行こうよ」と言われ、「湯治したい」と答えたのが本格的に考え出した最初のきっかけ。「湯治」は、本来1ヵ月単位で行うもの。泉質も厳選される。となると、北関東から東北にかけての本格的な温泉地の宿が理想的。本格的とは、泉質ががんに効果的であり、源泉から直に湯を引いてあり、加温などをせずにダイレクトに湯を使わせてくれる宿ということである。西日本(本州)の温泉地は期待できない。何しろ火山が2万年前に死んでいるのだ。九州まで行くとあるだろうが、「観光地」の要素が強いので、女一人の連泊となると、宿を取るのが難しい。3月4週目になって、月に一度、うちにご来店のご一行様が1回パスするという連絡が入り、やり繰りすれば、1週間程度の湯治に出かけられるとわかったのが先々週。折しも、診察の予約も4月3週目までないし、その前の検査の日までに戻って来れば何とかなる。探しに探した。西日本では唯一効果的と思われる泉質の三朝(みささ・鳥取県)温泉の宿を端から端まで検索した。ない。。一人ユースも、連泊も押さえるのが難しい上、その両方の条件をクリアできる宿泊先は1件もなかった。数日かけて、ようやく条件に合う宿を見つけたが、泉質はイマイチだし、結構遠い。距離はそこそこだが、列車で行くとなると4時間を要する。しかも、全行程を指定席で押さえることができない。在来線の区間が50分近くある。もし座れなかったら…、と考えると、病気が一気に悪化しそうだ。しかし、そこで躊躇すると、当分湯治は決行できなくなる。妥協するか。すぐに宿を押さえる。さて、バッグを用意しないと。よく考えたら、これまで旅行は車を使っていた。夫も虫けらも車を持っていたので、どちらかの車で出かけることができた。バッグなんかどうでもよかった。ホテルの玄関から部屋までは、ホテルの人が運んでくれるので、自分たちで車に積み込めればよいわけだ。キャリーバッグなど必要なかった。が、今回は、家から宿までの全行程に渡って自分で荷物を運ぶことになる。しかも連泊。キャリーバッグの購入は必至である。実は、最後の入院のときには結構な荷物を病院に持ち込む必要があるし、虫けらが死んだ後だれかに持ち帰ってもうことになる。できるだけ、一つにまとめて運搬できて、そのまま廃棄できるキャリーバッグを購入したいと思っていた。これは、Mサイズが適当だろうと思い、楽天の買い物かごに候補のキャリーバッグを幾つか入れていた。また、昨年の友人との旅行のとき、「キャリーバッグ」が必要だな。と、Sサイズのキャリーバッグを買い物かごに幾つか入れた。が、そのときは、購入しなかった。そのことをすっかり忘れていたのだが、今回の旅行では、Sサイズでいいだろうとサイズ、色、機能で選んだら、以前に買い物かごに入れていた商品と同じものが検索され、買い物かごに入れたら、数量が「2」になった。あ、そういえば、去年の夏にキャリーバッグを探していたな、という記憶が蘇り、「自分も進化しないな。半年以上も前と同じものを選ぶとは」と思いながら、当該商品を購入することにした。旅行の前々日に届くことが確認されたので、まだかまだかと待っていた。黒い猫のおじさまがやってきて、「お荷物です」と虫けらに渡してくれたダンボール箱は……明らかにサイズが大きい!ダンボール箱を部屋に入れてから急いで購入履歴を開いてみたら……注文したのは、サイズ:「M」だった。なぜ?そう、死出の旅用に検索してかごに入れたものとダブっていたのだ。去年の旅行の前の検索ではなかった。えらいこっちゃ。しかし、まだ二日ある。すぐに近くのショッピングモールへと急いだ。ショッピングフロアの2階に上がると、エスカレーターのすぐ脇に「ACE」のショップがあった。何と運がいい!店の一番前に「50%OFF」のPOPのついた商品が。こりゃ幸先がいい、と値札を見ると……元値が「45000円」。た、た、高い、高過ぎる!あと何回も使わない(使えない)ものに、2万円以上かけるのは…。しかし、ACEだけあって、品物は大変よい。虫けらが購入したキャリーバッグは、12000円ほどの安物である。倍の価格をやすやすと受け入れる勇気はなかった。すごすごと店をあとにする。家に戻り、宿泊する宿のレビューを読んでいると、「タオルが足りない」「アメニュティが十分ではない」など、宿泊客の不満が結構あることに気づく。そうか、タオルやアメニティ関係をたくさん持っていくとなると、Mサイズでもいいかもしれない。というわけで、今回の湯治旅行はMサイズのキャリーバッグで決行することにした。それが、吉と出るか、凶と出るか。。。半ば強引に決めた湯けむり旅は、準備の段階で手痛い失敗。病のわずかな快癒を願っていた旅だったのに、早くも暗雲がたれ込めるのであった。 先 負
2025.04.07
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月曜日の夕方、店に出るべく自宅近くを歩いていると、左前方のビルから出てきたと思われる男性が虫けらの顔を見ながら笑っている。マスクを着用されているので、口元が見えないのだが、満面の笑みといった感じの笑い方。何か声をかけられる。イヤホンで音楽を聴いていた上、まだ距離があったので、何を言われたのかわからない。何より、口元が見えないのが致命的。男性の方に顔を向けてよく見るが、虫けらの記憶にない顔だ。虫けらは漫画を描くので、人の顔を線画で捉えることができる。顔の輪郭や髪型、目の形、眉の形などを図形としてはっきり記憶する。店のお客さん?以前の仕事で知り合った人?プライベートな関係?瞬時に記憶を繰るが、一向に覚えがない。男「久しぶりやね」虫「……」男「元気やった?」虫「……」このやりとりの後、すれ違った。虫けらの後ろでまだ声がしたように思うが、虫けらが言えるのは、『どちらさまですか?』くらいしかないので、振り向いてまで言わずとも、というわけで、そのまま歩を進めた。誰だったのだろう。全く記憶がないので、多分、先方の人違いだと思われる。先方はマスクを着用されていたが、虫けらはノーマスクだったので、顔全体を晒していた。それで間違われたとなると、虫けらに似た顔の人が割と近くにいるということになる。結構珍しい。虫けらは大して個性的な顔ではないのだが、芸能人でも、仕事関係でも、似ている人はいない。若〜い頃に似ていると言われたことがある芸能人を挙げると、北公次賀来千香子黒木瞳……似ても似つかぬ面々である。これは、そう言った人の頭がおかしかったと言うほかない。ことほどさように、虫けらに似た人がいない。しかし、あの男性は、誰かと虫けらを間違え、あんな満面の笑みを見せるのだから、よほど似ていたのだろう。もし、少し似ているだけなら、少々懐疑的な声色や表情になるのではないか。会ってみたい。どんな人なのだろうか。性別、年齢、身長、体型、ファッション、雰囲気、そして顔。女性だとうれしいが、男性かもしれない。虫けらと同じくらいの年齢ならうれしいが、年配者かもしれない。虫けらと似通った体型ならうれしいが、すごく太っている、あるいは、痩せているかもしれない。虫けらの変わったファッションと共通性があるのか、虫けらの持つ不幸そうな雰囲気を持っているのか、そして、この非個性的な顔に似ているのか──。是非とも会ってみたい。未曾有の機会があって、会ってみたら、全く似ても似つかぬ御仁かもしれない。人の記憶というのは曖昧だ。長い年月の間に徐々に書き換えられることもある。しばらく会っていなかった人に再会したとき、「こんな人だったっけ?」と思うことも少なくない。が、会ってみたい。ドッペルゲンガーとは言わないが、すごく似ている人がいると思うとワクワクする。今度、あの男性に会うことがあったら、思い切って、質問しよう。虫「どなたかとお間違えではないですか? (その人に会ってみたいんですが)」男「いやいや、◯◯さんでしょう?」虫「え、そうですけど…」男「△△(社名や地名など)の⬜︎⬜︎ですよ」虫「えっ! し、失礼しました」という展開にならないことだけを願う。 忘 却
2025.04.01
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店の近くを歩いていると、よく通った料理屋のご亭主が前から歩いてきた。コロナ禍の混乱時に、上手に店を閉じた人で、運がよかったのか、頭がいいのか、いまや悠々自適の生活を送っておられる。とはいえ、閉店前後にご本人もご夫人も大病を患ったとおっしゃっておられた。あの時に店を閉じたのは運命的なものだったのかも、と思ったりした。虫「こんにちは。よく会いますね」昨年末にもスーパーで顔を合わせた。亭「おお、元気そうやな」虫「おかげさまで。どこに行かれるんですか?」手にエコバックを持って、ぶらぶら歩きされていた。亭「ミミ買いに行くねん」虫「ミミ?」亭「豚の耳よ」虫「ミミガー?」亭「そうそう。おいしいのが手に入るんよ」虫「どこで?」ご亭主に店を教えてもらう。虫けらの家からだと徒歩圏内である。亭「バスに乗って行ってくるわ」虫「私も行ってみます」というわけで、豚ミミを手に入れた。生姜と酒、塩を入れて1時間ゆがいたら、下処理は出来上がり。茹で後。ワンパック5枚入っていた。茶色くなっている部分は、購入時にもうついていた焦げあと。毛をバーナーで焼き切ったのだろう。炒め物や煮物など、いろんな料理に使えるのだが、虫けらはカットして、そのまま食べるのが好み。ミミガーと呼ばれる代物。軟骨がある程度の硬さ(柔らかさ)になればいいので、茹で時間はお好みで。虫けらの場合、コリコリ感強めの方が好き。このときは、調味料が不足していたので、ポン酢で食べた。ネギの小口切りを散らしたり、カイワレをのせてもよい。店には材料があるので、チョジャンをつくろうと思う。(チョジャン:味噌、酒、みりん、酢、砂糖、韓国唐辛子でつくったつけダレ)5枚もあるので、店に持って行って突き出しにでもするか。と思っていたのだが、あっという間に1枚をペロリ。この調子だと、冷凍保存する暇なく完食してしまいそうだ。また買いに行くか。往復5000歩くらいの距離だから、ウォーキングを兼ねて。 下 種
2025.03.26
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とても小さい話で恐縮なのだが…。テレビのニュースでも、ネットニュースでもついぞ見た(聞いた)ことがなかったし、全く認識していなかったのだが、虫けらにも増税の羽風のごとき嵐が届いてしまった。事の発端は昨年の秋。突然封書が届いて愕然とした。と言うと大げさだが、いつもは固定資産税の請求の季節(年度が変わって間もなくの5月ごろ)に届く見慣れた封書がそんな時期に届いたので、ちょっと嫌な予感を抱えながら開けてみると……『お住まいでない住まいでも、 市民税・県民税(森林環境税)が課税されます』とな。これは、虫けらの親の住まいの話で、両親亡きあと、誰も住んでいないのだが、不動産屋に委ねてもなかなか売却できず、毎年固定資産税を虫けらが支払っている。もう14年になる。ここにきて、これまで全くなかった税の請求。所持物件に、固定資産税に加えて市民税と県民税(森林環境税は明記されているが、税額は記載されていなかった。両者に含まれているのかも)が新たにかかるという。9月の下旬に封書が届き、10月7日が納付期限!問い合わせたり、調べたりする猶予を与えない作戦か!滞納したら、ヤクザも震えるような金利をふっかけてくるのが行政機関だから、期限までには支払ったが、増税は水面下で着々と進んでいると実感した。いつからか。岸田政権下からだ。多分、この税金も、岸田政権下で決定されたものだろう。今後、次々に、こうした変な税金が有無をも言わさぬタイミングで国民に降りかかってくるのであろう。4月から、恐ろしい状態になるに違いない。再エネ賦課金が上がることがわかっている。地域によっては、水道料金が跳ね上がるらしい。理由は、下水設備の老朽化のメンテにかかるからという、計画性のない理由だ。食品物価もどんと上がる。米を初め、食用油、小麦粉、アルコールなどすさまじい値上げラッシュになりそうだ。えらいことだ。楽天ブログは言論統制されているのだろうか。SNSではご法度となっている文言が多数ある。ブログが抹消されたらたまったものではないので、とりあえず言及しないことにするが、これは看過できない事態である。意味のわからない税目ばかりだし、何に使われるのか定かではない。うーん、書きにくいなぁ。きょうのところはこれくらいにしておく。NGワードを調べないと……。 憤 怒
2025.03.24
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