合戦が終わり、将兵も疲弊していた。
しかし、そんななかで突然、一通の手紙が届いた。
内容は秀吉からの上洛要請であった。
昌幸は家康の事件をことごとく書いて、返事をした。
しかし、誰が上洛するのか?という議論になった。
そのとき、幸村は
「某が行きましょう!亡きお館様の目指された京へ行ってみたいのです」
と言った。
昌幸はそれを許可した。
その間にも秀吉は北ノ庄の柴田勝家・越前の佐々成政を倒し、
九州・四国を征伐。
かつての名将たちが続々と秀吉に下ったり、倒されたりした。
返事の2週間後、家康と小牧・長久手の戦いで織田信雄・家康連合軍を降伏させた。
しかし、まだ下っていない大名が2人いた。
関東の北条氏政・奥州の伊達政宗である。
そして、小牧から2ヶ月・・・・・
秀吉は全国の大名を率いて、居城・小田原に攻め寄せた。
このことを聞きつけ、伊達政宗の側近・片倉小十郎が秀吉に会い、
伊達軍は豊臣に下ることを誓い、近く拝謁賜ると言い、奥州に帰った。
幸村も小田原攻撃の西軍として、選ばれた。
しかし、そこで意外な人物と再会する・・・・・
次回へ続く
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