私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2014年05月23日
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カテゴリ: 千の朝
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 日本軍は押され気味であったが、台風いわゆる「神風」に助けられた。

 フビライはその二年後の一二七六年に南宋を滅ぼした。

 そして再び国使(杜世忠)をよこした。

 時宗は彼を切った。

 これで再度の来寇は必至となった。

 一二八一年(弘安四年)フビライは十四万の兵数、四千四百般の軍船をもって日本を攻撃させた。

 その結末を『元史』はこう語る。

 「八月一日、暴風雨のために船が破損した。五日、文虎等の諸将は、破損をまぬかれた船をえらんで逃げ帰り、兵隊十余万を山下に捨てた。帰るべき船もない兵隊は指導者をえらび、その命令に従うことにし、木を伐って船を作り、帰国しようとしたところ、七日に日本人が来襲し、大半が戦死した。二、三万の兵が捕虜になった。捕虜は博多に連行され、日本人は蒙古・高麗・漢人を殺したが、江南人は殺さずに、奴隷とした。その結果『十万の衆、還るを得た者三人のみ』という惨憺たる失敗に終わった」



 彼らは日本人ともなじみが深く、海上貿易の達人であった。

 その彼らを捕虜とした帰結は何か。

 船の遣り方、海の道、各地の物産の情報、さまざまな海外情報の取得である。

 その結果、日本人は海外へ躍進した。

 それは大陸からは倭寇と呼ばれて恐れられることになった。

 元寇が倭寇を生んだのである。

「地球日本史」 西尾幹二 産経新聞





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最終更新日  2014年05月23日 08時47分37秒
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