私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2016年02月03日
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カテゴリ: 千の朝
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 当時の党員たちは、
 自分たちは至らざる者であると任ずるところの、
 まことに謙虚なる気持ちの持ち主であった。

 例えば坂東地方、
 筑波山の山懐に小さなお寺があったとして、
 そのお寺で地元の檀家衆のために信仰書をつくつた場合、
 それを一度、京都の総本山に持っていって、
 承認をもらわなければならないだろう。


 日本共産党の創立者たちは末寺のお坊さんたちで、
 自分たちでつくつた信仰要領の私案を持って、
 共産教の総本山であるモスクワ山コミンテルン寺に
 承認を求めにいった。

 当時の党員たちは、
 そうした手続きを何ら不自然だとは考えなかった。

 ところが、
 総本山管長のブハーリン(コミンテルン執行委貞長)は、
 「福本イズム」とも言われる日本共産党の私案を
 歯牙(しが)にもかけず、
 「お前らのは駄目だ。こっちにしなさい」と言って、

 下賜(かし)した。

 それを唯々諾々、
 伏して項戴し、
 持ち帰ったのが、
 言われるところの「二七年テーゼ」である。


 まさに『西遊記』の世界――。

 当時シナには、すでに莫大な仏典が伝来していた。

 ところが、
 それらのお経は途中でたくさんの地域を経るうち、
 いろいろな解釈が施され、
 中には間違って伝えられた部分もあり、
 原本とはかなり違ったものになっていると思われた。

 それに対して、
 仏教の発祥の地であるインドへ行けば、
 本物の純粋なお経があるはずだ。

 そのお経に従わなければ、
 本当の仏教ではない。

「 よし、インドへ行こう」ということで、
 三蔵法師たちは苦労して仏教のふる里へ赴いた。

 初期の日本共産党のリーダーたちは、
 さしずめ三蔵法師であった。

 孫悟空や猪八戒(ちよはつかい)はいなかっただろうが、
 そのようにして極東の地から
 わざわざ本物の教典をいただきに
 モスクワまで行ったのである。

 三蔵法師が持って帰ったお経はシナでは大歓迎され、
 尊崇されて、
 シナ語への翻訳のやり直し作業が開始された。

 これと同じことが
 日本共産党でも行われれるべきであったろうが、
 日共の幹部たちが
 「二七年テーゼ」を細かに読解注釈しようと
 努めた痕跡はない。

 ひたすら礼拝し叩頭(こうとう)するのみであった。

「嘘ばっかり」で七十年 谷沢永一 講談社





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最終更新日  2016年02月03日 07時39分45秒
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