私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2022年01月11日
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カテゴリ: 認識の歩み



 通化付近より興った高句麗が南下して
 三一三年に楽浪郡を滅ぼしました。

 漢の武帝に占領されてから四二一年を経ています。

 従って、漢文化がそこで育まれ、
 隣接する小国にも強い影響を与えていた。

 小国は楽浪郡を通してシナの高い文化を享受し、
 楽浪郡は近隣小国の産物を大陸に売って
 商いをしていました。


 馬韓・辰韓・弁韓(弁辰)の三地方に分れていましたが、
 四世紀後半に馬韓の中では多くの小国のうち
 十済が力をつけ馬韓の中心的存在となり
 三四六年に百済(くだら)となりました。

 辰韓では、小国ののうち、
 慶州のサロ国が中心となり
 三五六年に新羅(しらぎ)となりました。

 弁韓は鉄を産出するので、
 倭人、濊人(わいじん)及び韓人が争ってこれを求め、
 取引をしていました。

 倭人は、この鉄資源や先進技術などを確保するため

 半島南部洛東江下流の加羅(任那:みまな)地方に進出して
 行政官としての日本府(統一的政庁を意味しない)
 をおきました。

 日本は百済とは友好関係を結び、
 百済を圧迫した新羅や高句麗と戦い、

 二大勢力として対峙し、
 高句麗の好太王(広開土王)の頃(三九一~四〇四)に
 交戦した事が好太王碑文に記されていなす。





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最終更新日  2022年01月11日 05時10分05秒
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