私の人生論 (思考が運命になる)

私の人生論 (思考が運命になる)

2022年02月21日
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カテゴリ: 認識の歩み



 中華皇帝の威光を借りることによって
 当時のヤマト王権にまつろわぬ諸豪族を抑え、
 国内の支配を安定させる意図があったのです。

 倭王は自身のみならず臣下の豪族にまで官爵を望んでおり、
 このことから当時のヤマト王権の支配力は
 決して超越的なものではなく、
 まだ脆弱だったと推測されます。

 438年の遣使では倭王珍

 「倭隋」なる人物ら13人に
 「平西・征虜・冠軍・輔国将軍」の除正
 (支那王朝が、近隣諸国の君主・臣下の称号を認定すること)
 を求めていますが、
 この時珍が得た「安東将軍」は
 宋の将軍表の中では「平西将軍」より一階高い位でしかなく、
 倭王の倭国内における地位は
 盟主的な存在であった可能性が窺えます。

 451年にも、やはり倭王済(第19代允恭天皇)が
 23人に将軍号・郡太守号の称号を望んでいます。





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最終更新日  2022年02月21日 05時00分07秒
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