Integration Of My Life~日々の気づきを大切に~

Integration Of My Life~日々の気づきを大切に~

2007.10.01
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カテゴリ: 身体開発
 以上のように、現実世界と乖離した、概念操作による思考は、魅力的であるものの、結局その目を曇らせる原因となってしまいます。


回りくどい言い方になりますが、「答えに到達するため」には一般的な意味での悩む必要はないと思います。答えは「到達するもの」ではなくて、「曇りの無い目によってピントが合う」ことによって現れる・気付くものなのではないでしょうか。

つまり、答えはもう「そこ」にあるわけです。答えを知っているからこそ、自らの言動や他人の身の振り方に違和感を覚えるのだと思います。

 しかし、「そこ」は、感じ取れなければ存在しないのと同じです。そして存在を感じ取れないからこそ、概念主導の演繹的自己啓発が流行るわけですが。

非PQ的思考では自らが陥っている思考のワクは意識されないでしょう。盲目的に走り回っているだけで、時間と労力を費やしたことによる「疲労的満足感」という目的は達成されますけれど。

一方、本来的な思考(PQ的思考)にとって、ワクを認識することは不可欠だと思います。なぜなら、そこに自己が属する文化や社会の枠が見出すことができるからです。

逆説的ですが、思考できないところまで思考し切ることによって、本来的な思考が始まるのだと思います。それまでのワクにぶつかるまで転げまわるプロセスは、あくまでも思考への準備にすぎないのではないでしょうか。

長い長い道のりを歩き続け、海岸に到達する。ある人にとってはそこがゴールでしょう。しかし、そこが私のスタートなのです。水平線の遥か先にある大陸を思い浮かべ、そこに生きる人々や動物・草木に思いを馳せる。自分の足元が揺らぎ始める。「ここ」はどこなのか?自分の生きる「アタリマエ」や、他人の生きる「アタリマエ」がある。



すでに生起しつつある思考のカタマリを「感じ取る」こと。

そこがPQ的思考の出発点であると思います。その思考のカタマリに対して「多角的に視点を設定する能力」・「各視点を鋭く抉り取る能力」・「解釈する能力」・「統合調和する能力」・「各人に合うよう再現再構成して伝える能力」。これらはPQ能力に不可欠な能力でしょう。






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最終更新日  2007.10.01 06:35:29
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