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< 横浜ベイブリッジ・スカイウォークへの行き方 まとめ >スカイウォークの解放日=土、日、祝日のみ解放時間=11時〜18時ここでは、片道だけ、横浜ベイブリッジを通る経路をご紹介いたします。帰りのバスの本数を考慮して、行きに「ベイブリッジ」通る経路を選びました。(往路、復路とも「鶴見駅前」発着のバス便も利用出来ます)☆往路バス乗り場=「横浜駅前」バスターミナル、14番乗り場(横浜駅東口、そごうに隣接)乗車するバス=横浜市営バス109系統、午前11時11分発に乗車行き先=スカイウォーク (大黒ふ頭を回り横浜駅に戻る循環バス)(横浜ベイブリッジを通ります)料金=片道220円下車するバス停=おすすめは「スカイウォーク入口」所要時間=約32分スカイタワーまで徒歩7分(別添のバス停MAPを参照下さい)*「スカイウォーク前」下車の場合、大黒埠頭内を迂回するため所要時間約55分☆復路横浜市営バス、17系統、「鶴見駅前行き」乗車するバス停=「大黒ふ頭」バス停MAP参照所要時間=20分前後料金=220円例として13時34分発を選びましたが、復路はお好きな時間をお選び頂けます。(2023年10月30日現在)
2023.10.29
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ー 久良岐公園の紅葉 ーイロハモミジ(イロハカエデ)西入り口〜棚田付近 公園の木々が大きいため、小さく見えますがどのモミジの木も、かなり大きいです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・大池付近順光で見ると、日焼けして茶色っぽく見える葉もありましたが午後の陽差しを背景に見る紅葉は、目の覚めるような美しさでした。この日は、最高のタイミングでした。今年は、いつもの長寿寺(北鎌倉)ではなく鎌倉へ紅葉を見に行く予定でしたがなんだかこの紅葉で大満足。混雑している鎌倉へ行く気が失せました。♣︎ 久良岐公園 MAP(Click or Tapで 拡大画像が開きます)
2024.12.02
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写真は、2013年12月の日記に掲載した肩かけです。友人が使っていらっしゃるのがとても素敵でした。何年も前に編まれたもので、編み方図はないとのこと…。どうしても編んでみたくて、実物をお借りして思考錯誤しながら編みました。掲載したのは写真だけでしたが、以来たくさんの方が見て下さっているようで、ずっと気になっていました。下図は、実物を見ながら自分自身の心覚えのために、方眼紙に鉛筆で描いたものです。一部分説明を追加しましたが、雑で分かりにくいかと思います。編み物をなさる方ならご自分で工夫してくださるだろうと思い、ご紹介することにしました。お役に立てれば幸いです。↑クリック or タップで拡大画像が開きます1.先ず、衿と肩の部分(A)からあみはじめます。2.パイナップル編みの部分(B)を編みます。3.前の交差している部分(C)を編みます。 長編み、長々編み部分は、輪になるように二重に編みます。4.衿とパイナップル編みの縁取りを編みます。 クサリ編み=3目、細編み=1目の繰り返し。5.C先端の丸い部分の縁取りは細編みです。6.肩にかけて、Cの片方を輪に通します。
2017.10.03
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☆ 椿・太神楽(だいかぐら) ☆↑分解してみましたこの椿は、雄しべが花の中心だけでなく、花びらの間からも出ています。また、その雄しべの先が花びらの様になっているものもあります。何という種類なのか疑問に思いつつ、ずーっとそのままにしていました。今日は、腰を据えてあれこれキーワードを変えながら検索して、やっと見つけました。!「もしかして奇形?」とすら思っていましたが、「太神楽」という立派な名前が有りました!花びらが複雑に絡み合うこういう咲き方は「獅子咲き」といい、奇形どころか日本古来の品種で、茶花にも使われるとか・・・。こんなに頭が重くて活けにくい花をどうして茶花に?と思ったら、蕾を使うのだそうです。世界の椿館「碁石」の 椿 → 太神楽椿寿庵だより → 椿 太神楽(ダイカグラ)この椿は、ボタニカルアートを始めたばかりの頃に一度描きましたが、いま見ると何とも稚拙・・・。こんなに由緒正しい名前を持つ椿なら、もう一度描いてみようと思いました。
2015.12.19
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明治〜〜昭和〜平成へ ・ 磯子駅周辺吉富様が送って下さった3枚の写真を見ているうちに、磯子駅周辺のことをもっと知りたくなり、「国土地理院ウェブサイト」で過去の空中写真を探しました。写真の下方に斜めに走っている国道16号線を基準に見比べると、埋め立ての進み具合が分かります。☆ 磯子駅周辺の空中写真 ☆↑1947(昭和22)年(国土地理院空中写真)写真の下方に斜めに走っているのは国道16号線です。当時は国道のすぐそばまで海が迫っていました。この海岸線の風景は、根岸湾の埋め立て工事が始まる、1959年(昭和34年2月)まで変わらなかったことでしょう。子供の頃から磯子に住む友人たちが、よく小学校の校庭のすぐそばまで海だったと話してくれました。全ての埋め立て工事が完了した昭和48年末に磯子に来た私には、その風景を想像することすら出来ませんでした。けれど、この写真を見てやっと当時の様子が分かりました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑1963(昭和38年)年(国土地理院空中写真)根岸湾の埋め立て工事開始から4年経ち、磯子駅付近はすっかり埋め立てられ、海岸線は沖へ移動しています。↑1963年拡大写真(国土地理院空中写真)根岸線(桜木町〜磯子駅間)開業を翌年に控え、既に線路と磯子駅の駅舎や跨線橋が写っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・★磯子区内に鉄道が開通した時期(「磯子の史話」、「Wikipedia(根岸線)」調べ )・1872年(明治5年) 品川駅 - 横浜間が開業。横浜駅(現在の桜木町駅)開設。・2012年(明治45年4月) 、市電、八幡橋まで延伸。・1930年(昭和5年4月)、湘南電鉄開業、森駅が開業(現在の屏風ヶ浦駅)・1930年(昭和5年7月)、杉田駅、京浜富岡駅開設。・1959年(昭和34年2月)、第1期根岸湾埋め立て工事に着手・1964年(昭和39年)5月19日 桜木町駅 - 磯子駅間 が延伸開業。 関内駅・石川町駅・山手駅・根岸駅・磯子駅が開設。 (横浜駅 - 桜木町駅 - 磯子駅間が根岸線となる。)・1970年(昭和45年)3月17日 磯子駅 - 洋光台駅間 (4.6km) 延伸開業。新杉田駅・洋光台駅が開設。・1971年(昭和46年2月)、第2期根岸湾埋め立て工事完成。・1972年(昭和47年3月31日)、市電、トローリーバス全廃。・1973年(昭和48年)4月9日 洋光台駅 - 大船駅間 (8.0km) が延伸。根岸線は全通。 港南台駅・本郷台駅が開設。 ♣︎国土地理院の地図サービスはこちらから↓国土地理院 Googleマップを使って過去の地形図や空中写真を見る1.調べたい場所の住所を入力→検索2.表示された地図の左上の「地理院地図」右の「▼」をクリックorタップ3.表示された年代や写真の種類を選びます。4.地図右下の「➕ ➖」記号で、地図の拡大縮小ができます。掲載した国土地理院の空中写真は、地図の画面をキャプチャーして保存、見比べ易い様にアプリでトリミング、回転などの加工をしています。☆ プリンスホテル跡地&磯子駅周辺の空中写真 ☆横浜プリンスホテルの貴賓館として使われていた「旧東伏見邦英伯爵別邸」が、2011年5月15日に、1日だけ一般公開されました。下の3枚の写真は、そのとき建物内に展示されていた写真を、吉富様が撮影された物です。↑1960年頃?(吉富さん提供)左下が海岸線で海が見えますが、未だ根岸線の線路が見当りません。一体いつ頃の風景なのでしょうか?根岸湾の埋め立て工事が始まったのが1959年(昭和34年2月)、1963(昭和38)年には、磯子駅周辺の埋め立てはほぼ完了しています。となると、私の推理では(笑)この写真が撮影されたのは、1959年~1963年迄の4年間、それも早い時期の1960年頃かと…。昭和44年 (吉富さん提供)根岸線が磯子駅まで開通してから5年経った駅周辺の風景です。翌年の昭和45年まで磯子駅が終点でした。その後、駅前に次々と建つことになるマンションの敷地は未だ空き地です。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(吉富さん提供)2006年に営業を終えた横浜プリンスホテルは取り壊され、整地された跡地の中央付近に見える赤い屋根は「旧東伏見邦英伯爵別邸」です。下の写真は、「旧東伏見邦英伯爵別邸」が一般公開された時に撮影、ブログに掲載したものです。同じ日に同じものを見に行っていた様ですが、私は建物や外の風景ばかり写していました(*^^*)この建物は、現在レストランとして利用されています。2011年5月15日の日記「旧横浜プリンスホテル貴賓館・一般公開」☆ おまけ ☆↑1970年頃・横浜市磯子区岡村7丁目周辺(三菱地所・第1次分譲時のパンフレットより)クリック or タップで拡大画像が開きます。「閉じる=✖︎(バツ)」で元の画面に戻ります 。1970年頃のプリンスホテル私なりに精一杯調べてまとめましたが、実際にこの地に住んでいらした方がご覧になると、違っているところがあるかもしれません。お気付きの箇所がありましたらお気軽に「違ってるよ!」と、教えて下さいます様お願いいたします。昨日は描きかけの百合の続きを描く予定でしたが、次々と調べているうちに面白くなって、ほぼ1日潰れてしまいました(^^;;今日は、真面目に続きを描かなくては・・・。ここまでお読み頂いた方、お付き合いいただきありがとうございましたm(__)m
2016.09.05
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☆ 嵯峨野トロッコ列車 ☆(トロッコ嵯峨駅)↑人気のリッチ号(5号車)車内↑トロッコ列車の切符と指定席券↑トロッコ列車運行経路(パンフレットより)(Click or tap で拡大画像が開きます)嵯峨野観光鉄道 トロッコ列車12日(日)の始発(9時7分)の指定席券を買おうと、11日夜、ホテルにチェックインする前に京都駅のみどりの窓口へ行ってみました。予想通り(?)始発の指定席券は売り切れでした。ならば当日券を買おうと、朝食のあとホテルを早々にチェックアウト。京都発7時35分の快速に乗りました。トロッコ嵯峨駅に着くと、先客は13人分の切符を買うため6時半から並んだという方がお一人だけでした。その方は前日に行われたご子息の結婚式のために、遠方からいらして下さった方達を何としてもトロッコ列車に乗せてあげたいと、頑張って早起きされたと仰っていました。駅の方の話では、流石に6月になると当日券売り場の行列は少なくなっているそうで、結果的には売り出し開始時間の8時40分に並んでも大丈夫だった様です。シースルーの5号車は片道しか買えなかったのですが、早く並んだおかげで行き帰りとも窓際の良い席が買えました*\(^o^)/*因みに、当日券の発売枚数は、各列車60枚。秋の紅葉シーズンには、6時前に並ばないと買えないそうです。シースルーの5号車(リッチ号)は、雨が降ると運行出来ないため当日販売のみ。JR京都駅発 7:35(快速)嵯峨嵐山駅着7:47 トロッコ嵯峨駅発9:07トロッコ亀岡駅着9:30トロッコ亀岡駅発9:35トロッコ嵐山駅下車9:58〜大河内山荘へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・(沿線風景)↑JR山陰本線 保津峡駅(橋の上が駅のホームという珍しい駅)↑保津川下り ↑JR山陰本線 鉄橋↑トロッコ保津峡駅ホーム↑トロッコ嵐山駅終点の亀岡駅には9時30分に到着。そのまま9時35分発の列車でUターン、帰りは「嵯峨嵐山駅」で下車。大河内山荘へ行くことにしました。手前の線路は、JR山陰本線。トロッコ嵐山駅は、列車が写っている谷間にあり、改札口は階段を上った上にありました。☆ 大河内山荘 ☆↑持仏堂↑滴水庵↑滴水庵前庭↑「月香=市内展望台」京都市内が一望出来ます↑こちらでお抹茶とお菓子がいただけます帰りは、トロッコ嵐山駅で下車、大河内山荘へ行きました。下記のホームページによりますと、大河内山荘は、映画俳優だった故大河内傳次郎の邸宅で、1931(昭和6)年から1941年にかけて敷地を入手し、持仏堂、滴水庵、大乗閣といった建物を徐々に建てていったそうです。更に傳次郎は、植木屋の広瀬利兵衛とともに、広大な敷地に木を植え、石を据えて、亡くなるまで作庭を続けたのだそうです。入園料=1000円(お抹茶代が含まれています)京都市都市緑化協会 京の庭を訪ねて → 大河内山荘
2016.06.13
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先日来「雪割り桜」の事で気になっていることが2つありました。1つは、近くの岡村公園の早咲きの桜の名前が「雪割り桜」で間違いないのかと言うこと。(公園の関係者の中にも「河津桜」だという方がいらっしゃるのです)もう1つは、岡村公園の雪割り桜が、果たして青い山脈の歌詞に登場する「雪割り桜」と同じなのかと言うことでした。気になりだすとそのままに出来なくて、調べてみました (#^.^#)♣︎その1・雪割り桜のこと*先ず、三ヶ所の雪割り桜の写真を比べてみました。(雪割り桜というのは別名で、正式な名称は「椿寒桜(ツバキカンザクラ)」というそうです)↑岡村公園の雪割り桜↑皇居東御苑の雪割り桜(goro's 花 Diary様からお借りしました)↑高知県須崎市の雪割り桜(「満天土佐」様からお借りしました)*雪割り桜(ツバキカンザクラ)の特徴a.長くて目立つシベと花びらが内側に丸まっているb.小振りの花が固まって咲く画像と花の特徴を考え合わせると、岡村公園の桜は「雪割り桜」で間違いなさそうです。満天土佐 → 観光情報(須崎市) → 雪割り桜goro's 花 Diary→ 松山出身の雪割り桜満天土佐↑のホームページによりますと、雪割り桜は、2月中旬~3月中旬に濃い桃色の美しい花をつける。正式にはツバキカンザクラ(椿寒桜)と言い、2月のまだ雪のある頃に咲くことから、雪割り桜と地元の人々に親しまれている。蟠蛇森の中腹にある桑田山(そうだやま)の雪割り桜はシナミザクラとカンザクラの交配種らしく、70年ほど前に松山市から分けてもらい、台木に接ぎ木したと言われている。とありました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑三浦海岸の河津桜違いが分かりますでしょうか?*************************♣︎その2・青い山脈の「ユキワリザクラ」のこと青い山脈の歌詞に登場する「ユキワリザクラ」は、この「雪割り桜」のことだと思っていましたが、どうやら違っていた様です。レファレンス協同データベース(*注1)に『「青い山脈」に出てくる「雪割り桜」の写真ののった本はあるか?』と言う質問に対して、下記の回答が記載されていました。ほぼ同じ内容の回答が幾つか掲載されていましたが、その中の1つをご紹介します。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『西條八十全集 9』(西條八十/国書刊行会/1996) p466~p467に以下のような記述あり。 「・・・後年筆者が名古屋の繁華街を歩いていると、桜草に似た淡紅色の花をつけた植物を売っている男が「青い山脈 雪割桜だよ。買ってらっしゃい」と口上を述べていた。 そこで八十にその植物の話をすると、「その植物は「雪割草」が正しい名前で、「雪割桜」と言うのは、僕の考えた新語だよ」との事だった。・・・」・『野草大百科』(北隆館/1992) ※p332【スハマソウ(ユキワリソウ)】あり。写真あり。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・*注1レファレンス協同データベース(レファ協)とは?国立国会図書館が全国の図書館等と協同 で構築する調べ物のための検索サービスのこと。参加館の質問・回答サービスの事例、 調べ方、コレクション情報など調査に役立つ情報を公開しています。詳しくはこちら ↓レファレンス協同データベース(レファ協)とは?レファレンス協同データベースに記載されていた回答のページここまで読んでくださった方、どうでも良い話にお付き合いいただき有難うございましたm(__)m
2016.03.11
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ただいま試行錯誤中・・・。「花柚子の甘露煮」のつもりが、「花柚子のまるごとピール」に・・・。「夏みかんピール」のレシピを教えてくださったラジオ体操の先輩、Tさんが、先日来「花柚子の甘露煮」作りで試行錯誤を繰り返していらっしゃいます。ネットのレシピを見ると、皮はそのままで、苦味を抜く為に重曹を入れて下ゆでするのだそうです。最初に作られたレシピでは、かなり重曹を入れるらしく、柚子の皮の苦味だけでなく、重曹の苦味が口に残りました。次に重曹を減らして作られたたパージョンは、皮のかたさと苦味が口に残りました。何度か味見をさせて頂いているうちに、私も試してみたくなり、柚子をいただいてチャレンジしてみました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・試作中レシピ(夏みかんピールの手順で作りました)1.皮のかたさと苦味を取るため、チーズ下ろしで表皮をこそげ取る。 皮に爪楊枝で穴をあける。2.水をかえて3度茹でる。最後は皮が柔らかくなるまで。4.一晩水に浸けアク抜き。 翌朝、水を取り替え、更に半日アク抜き。5.ざるに上げて、しっかり水気を切る。6.柚子の量の8割の砂糖を用意。(6割くらいで良さそう) 夏みかんピールと同じ手順で、砂糖を3回に分けて柚子にすっぽり被せ、ゆるくラップをしてレンジで煮詰める。★結果と反省点煮詰めすぎたため、止む無く、ザルにあげ蜜を切り、冷やしてグラニュー糖をまぶしました。種が残ったままなのが気になりますが、結果的には柚子の香りがする「花柚子のまるごとピール」が出来ました\(^-^)/昔よく作った「キンカンの甘露煮」の様に、皮に縦の切れ目を入れて種を抜いて作ると良いかもしれません。
2019.01.31
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今朝は岡村公園へ行く前に、いつもと違ったコースを歩きました。白いアガパンサスが咲いている…と思い、近づいて初めて、薄ピンクなのに気がつきました。こんなアガパンサスは初めて見ました (´⊙ω⊙`)よくよく見ると、つぼみが小さい頃は薄みどりがかった白。つぼみが膨らみ始めると、ピンクがかってきます。右端あたりのつぼみはピンクが濃くて咲ききった花は、ごくごく淡いピンクになりました。比較のために、以前写した白と青のアガパンサスも並べました。
2020.07.21
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≪ 箱根・秋景色 ≫調子に乗って風景画にチャレンジしましたが、空の部分の区切りが思うように入らず難しいです。ステンドグラスと言うより、「ガラス絵」とでも言った方が良さそうです。桃源台~姥子間のロープウエーから見た景色の積りです(^^ゞ左に芦ノ湖も入れました。昨日の作品を過分に誉めて頂いたので、UPするかどうか迷いましたが、折角作ったので掲載することにしました。少しだけ手直しした画像と入れ替えました。空の色を淡いブルーの濃淡だけにして、立体感をつけるために逆エンボスをつけました。
2008.10.07
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《 ロウヤガキ(老鴉柿) ・ ボタニカルアート 》12月の最後の教室の時に、先生が教材用に持ってきて下さいました。私は、実物を見るのも名前を聞くのも初めてです。調べてみると、和名:ツクバネガキ(衝羽根柿)、ロウヤガキ(老鴉柿)、姫柿 など色んな名前で呼ばれ、盆栽や鉢植えなど園芸用に普及しているそうで、果実は3cm~5cmの渋柿なのだそうです。私が頂いてきた実の縦の寸法を計ってみたら、大きい方が2cm、小さい方は1.5cmくらいしか有りませんでした。小さくて形が面白いので、暮れ支度もそこそこに夢中になって描いてしまいました。
2011.01.05
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☆プリズム・百田尚樹(ひゃくた なおき )・幻冬社・2011年10月15日第1刷発行プリズムを通すと屈折率の違いから、様々な色の光に分かれる。人間の性格も、その光のようなものかもしれない。梅田聡子 32才。家庭教師。岩本修一 聡子が家庭教師をしている生徒、小学5年生。岩本洋一郎広志の兄岩本重雄広志を虐待した実の父親岩本広志岩本洋一郎の腹違いの弟、31才。解離性同一性障害(多重人格)。大学で物理学を研究していた研究生。3月のはじめ、家庭教師センターから派遣された梅田聡子は、成城の古い洋館街にある岩本家に向かっていた。立派な建物が立ち並ぶ中でも、岩本家はひときわ広い敷地を持っていた。家庭教師初日、聡子は廊下で若い男と出くわした。彼は聡子の会釈にも応えず目を逸らすようにうつむき行ってしまった。まるで心がない人のように思えた。よく手入れされた岩本家の庭園は広く、四季折々の花が植えられていた。授業の合間に、飽きず窓辺から庭を眺めている聡子を見て、修一が庭に誘ってくれた。庭は素晴らしかった。自分の足で歩いて見ると、窓から見た以上に庭の美しさを実感した。退屈した修一が部屋に戻ったあと、聡子が一人で庭を回っていると、ひときわ大きなケヤキの木があり「保存樹木」と書いた札がかかっていた。めくれた木肌を触ると、ぽろっと剥がれて落ちた。突然「木に触るな!」と怒鳴り声がした。振り向くと、男が聡子を睨みつけ、手に持った植木鉢を投げつけ唾を吐いた。逃げ出せるように身構えたが、男はくるりと背を向けると、庭の奥に駆けていってしまった。窓から見ていた修一と目が合った途端、彼は顔を引っ込めて2度と顔を出さなかった。3日後、修一に聞いてみたが、彼は何も見ていないし誰かも知らないとしか応えなかった。この家には人目をはばかる人物がいるのは間違いないらしい。その後しばらくは謎の青年と出会うことはなかった。自宅のマンションの部屋で一人で座っていると息が詰まる。勉強が終わると庭に出るのが習慣になった。庭で過ごすのは気持ちが良かった。ソメイヨシノが満開の花を咲かせた時には、最高の贅沢を味わった気分だった。4月のある日、ベンチに座る聡子の前に「宮本純也」と名乗る男が現れた。職業は画家、岩本家の居候で、奥の離れに住んでいると言う。翌日も庭に出ると宮本がやって来た。求めに応じて出したノートに、彼は聡子の肖像画を描いた。簡潔な線で描かれた肖像画は聡子にそっくりだった。2日後、又もや不意にやって来た宮本は、聡子にモデルになるように誘い、いきなりキスをしようとした。聡子は渾身の力を込めて押し返しその場を立ち去った。次に出会った時は、彼は目を合わせようともせず下を向いたまますれ違った。避けたと言うより覚えていないようだった。この前に会った時の派手で気取った身なりとは違い、地味なこげ茶のブレザーを羽織っていた。初めて2階の廊下で会った時の感じに似ていた。その日の夕方、聡子が庭でバラを見ていると、又男が現れた。その時の彼の穏やかな話ぶりと態度は豹変と言えるほどの変わりようだった。話せば話すほど、これまでとは違う。まるで別人だった。2日後、思い切って夫人にその男のことを尋ねると、「彼は主人の弟です」と言った。大学の研究室で物理学を研究していた研究生で非常に優秀な人だったが、数年前に体を壊して、自宅で療養しているのだと言う。聡子は混乱した。夫人は、彼が宮本と名乗り、画家だと言ったと聞いても驚かず、義弟は心の病なのだとだけ言った。久し振りに庭に出ると、また男がやって来た。その日はとても紳士的で礼儀正しい。口調も違えば、全体の雰囲気も違う。まるで別人のようだ。彼は自分は「宮本」ではなく「村田卓也」だと名乗った。じっと聡子を見る彼の顔は、確かに「宮本」とは全く別人だ。似てはいるが、はっきりと違う。聡子の頭は混乱して来た。彼はおかしなことを言った。「村田卓也という人物も、宮本純也という人物も、実際には存在しない男なのです。聡子が廊下ですれ違ったのは、この家の主である岩本洋一郎の弟の広志です。分かり易くいうと、岩本広志は解離性同一性障害です。彼は、幼少期の頃から、その病気を患い、様々な人物が彼を乗っ取っているのです」「それは多重人格のことですか?」という聡子の問いに、そうだとこたえた。村田卓也は、聡子に、自分の病気のことを理解して欲しいから一緒にクリニックに行ってくれないかと誘った。ー進藤医師の話ー岩本広志は妾腹の子で、実の父である重雄から、幼児期から子供時代にかけて、酷い暴力を振るわれていた。重雄は異常人格であったと思われる。アメリカでは解離性同一性障害の患者は「幼児虐待から生き残ったひと」と言われている。彼らには、死ぬか、発狂するか、人格分離を起こすしかないのだ。8年前に岩本広志が診察に来た時は12の交代人格があったが、この7年で、7つの交代人格が広志に統合され、現在は5つとなった。他の交代人格者の記憶はまちまちだが、村田卓也は全ての人格の記憶を持っている。解離性同一性障害の患者には、高い確率で彼のような記憶装置的人格が現れるというデータがあり、セラピストの大きな助力になる。卓也も岩本広志が生み出した交代人格の一人だが、彼の人格は完璧で、非常に知的で、常に冷静、いつも穏やかで思慮深い。解離性同一性障害は自然治癒するケースはなく、この治療には村田卓也の助けが大きな力になっている。そして、医師は最後に、卓也と余り親しくなり過ぎないように、友人としてサポートしてあげて欲しいと言った。聡子は戸惑いながらも、いつしか卓也に惹かれ深く愛してしまった。いつか消えていくかもしれない、6時間しか存在しない彼を…。でもその日が来るまで卓也とは離れないと心に決めた。「これが最後」顔を上げた聡子に卓也は言った。「この2週間、広志のために消えることを真剣に考えていた。広志は今、前向きに生きている。以前は現実に向き合いたくなくて殻に閉じこもっていたのが、聡子に出会って恋をしてから変わった。今は残っていた5つの交代人格のうち3つが消えて、残りは宮本純也と卓也だけになった。拒否している純也を自分が連れていく。自分はそのために生まれた」と。「時間が来た・・・」卓也の体から何かが抜けていくような感じがした。とっさにしがみつき体を揺さぶると、卓也は天井に向けていた目を下ろし、聡子を見た。だが、その目は既に卓也の目ではなかった・・・。〈岩本広志の交代人格〉宮本純也自称、画家で岩本家の居候。村田卓也礼儀正しく紳士的。医師は完璧な人格だという。タケシ 大阪弁を話す、粗暴な男。進藤医師は、広志たちを暴力から守るために出現するという。清一中年男性。他の人格は広志を虐待した父親の声にそっくりだと言う。
2018.03.02
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《 ステンドグラス風 ・ バラの丸窓 》なぜか、この季節になると作りたくなる「ステンドグラス風の窓」今年は「バラ」で作りました。下は、いつものバージョンですが、今年は少し雰囲気を変えてみました。作るのは楽しくて一気に出来てしまうのですが問題は作成手順・・・"^_^"興味のある方は、気長にお待ちください。《 ステンドグラス風 ・ バラの窓 》☆追記バラのステンドグラス風 作成手順 ⇒
2010.11.21
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≪ 城ヶ島公園の水仙の花 ≫1月15日、友人達と「城ヶ島公園の水仙」を見に行ってきました。この公園の水仙は「八重咲き」で、今年は花が多くとても綺麗でした。「城ヶ島」は、京浜急行「三崎口駅」からバスで約30分、三浦半島の先端にあります。城ヶ島公園の展望台からは、晴れていれば、富士山、房総半島、伊豆大島など、360度の大パノラマが広がります。帰りは「城ヶ島大橋」を徒歩で渡り、ランチは「三崎漁港」の近くのいつものお店・・・。いつもの、お決まりのコースです。ところが、いつも行くお店が定休日なのをすっかり忘れていて、楽しみにしていた「マグロのさつま揚げ」と「味噌田楽」が食べられず、ガッカリでした(*_*;写真は去年写したもので、左から「味噌田楽」「マグロのさつま揚げ」「まぐろ丼」です。
2009.01.19
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我が家の玄関のお正月飾りです。例年は門松代わりに若松と金色に彩色された雲龍柳をあしらいます。今年は黄色の千両を入れて、千両だけにしようかな・・と思っています。
2007.12.29
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輪状に綴じて、スヌードにしました。ふかふかで暖かで、お気に入りのスヌードが出来ました。上は、娘のコサージュを借りました。下は、ぺぴままさんに教えて頂いた、共糸で編んだ花を合わせてみました。
2013.01.12
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近所の家々の「イエナリエ」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・MM21方面夜景神戸の「ルミナリエ」にかけて、個人住宅のイルミネーションを「イエナリエ」と呼ぶのだそうです。数年前、近隣の家々でイエナリエブームがおき、競い合うように飾っていらした時期がありました。けれど、東日本大震災以後はすっかり下火になっていました。もう廃れてしまったのかと思っていましたが、今朝ラジオ体操に行く途中に点灯している家を見つけ、夕方、家の近くを一回りして来ました。暗くなってから外へ出ることは滅多にないため気がつかなかったのですが、LED電球に取り替えていつの間にか復活している家が増えていたようです。最盛期と比べるとかなり減ってはいましたが、なかなか綺麗でした。
2014.12.12
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↑沖縄生まれの ちゅらビンカ アスカ↑ニチニチソウ・ミニナツカザグルマ↑寄せ植えの全体ほぼ毎朝通るこちらのお家は、玄関先から道路沿いまでの間に様々な花を植えて、いつも素敵な空間を演出していらっしゃいます。白い方は花の直径が2センチくらいで、ミニのニチニチソウかなと思いつつ、あまり気に留めずに素通りしていました。今朝初めて一緒に植えてある赤い花に気がつき、写真を撮らせて頂きました。調べてみると、両方とも「ニチニチソウ」で、それぞれちゃんとした名前がありました。ちゅらビンカは他にも種類があり、赤い花が「アスカ」、他にもピンクの「美咲」、赤とピンクの「小花」という種類もありました。園芸ネット本店 ↓ちゅらビンカ アスカ ニチニチソウ・ミニナツカザグルマ
2016.08.25
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↑ツリー脇の立て札↑ ネクタイ、紙皿、本、板の切れ端又々、娘が面白いツリーの写真を届けてくれました。有楽町ルミネは、有楽町駅を挟んで、東京国際フォーラムの反対側にあります。黒いワンコのツリーも充分変わっていますが、これまた何とも不思議なツリーです。立て札を拡大してみると「 Dressed Tree Christmas 」と書いて有るようです。どういう意味?もしかして、「クリスマスの装いをしたツリー?」英語は苦手なのでどなたか教えて下さい。
2017.12.09
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続・フラワーセンター大船植物園の花たち( 撮影日:2014.5.17 )オオデマリ ・ メリーミルトン(スイカズラ科)この花が気になりつつバラ園に直行してしまい、薔薇を見た後近づいて見ると、木の根元にネームプレートが付いていました。ピンクのオオデマリを見るのも初めてなら、スイカズラ科だと言うことも初めて知りました。やはり、植物の分類法は私には謎です。カンパニュラジギタリス「カンパニュラ」はゲートを入ってすぐ右手に、色鮮やかな「ジギタリス」は牡丹園の奥で咲いていました。
2014.05.19
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超巨大輪ダリア・浮気心今日は、お稽古の帰りに買い物が有って回り道をしました。何気なくいつもと違う道を通ったお陰で、見たこともない見事な大輪のダリアに出会えました。一番大きい花の直径は25cmほどありました。ご主人のお話では、秋田から球根を取り寄せて育てていらっしゃるそうで、2週間くらい前ならもっと大きい花が咲いていたと仰っていました。この「浮気心」は、写真の様に、一つの球根から「赤に白やピンクの花びらが混ざったもの」と、反対に「白に赤とピンクが混ざった花」が咲くとも教えて下さいました。帰宅して調べてみると、この「浮気心」は、大きいものは直径30cmの花が咲くのだそうです。大船のフラワーセンターなどで、これまでも大輪のダリアを見たことは有りますが、こんなに「見目麗しくて(?)見事なダリア」を見たのは初めてです。こちらの写真は、「浮気心」以外のダリアと他の花たちです。このお家は、道路から玄関までのアプローチを上手に利用して、ダリアの他にも色取り取りの花を咲かせていらっしゃいました。このあと俄雨に降られて、お店でしばらく雨宿りする羽目になりましたが、なんだかとても得をした気分になれた一日でした。
2014.06.27
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≪ 露草 ・ 色紙風 ≫コンクリートのテクスチャーを使い、「色紙風」に仕上げました。「露草」描き方の手順はこちらから ⇒
2009.09.01
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《 パンジー 3種 ・ JTrimで描画 》色とりどりのパンジーの画像と睨めっこしながら、違った色を作りました。描き方の手順はこちら ⇒
2011.01.16
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☆ ℹ︎さんのイエナリエ ☆一時期と比べると、ご近所の家のクリスマスイルミネーション(イエナリエ)が少なくなりました。それでもLED電球に変えて続けていらっしゃいます。昨日は、歯医者さんの予約が4時半、外に出ると既に暗くなっていましたのでイエナリエを見ながら歩いて帰ることにしました。中でもこの ℹ︎さんのお家のイエナリエは、しばらく見ないうちに一段とグレードアップしたようで、とても素敵でした。ℹ︎さんのお話では、ライトの数は変わらないけれと毎年飾り方を工夫して変えていらっしゃるのだそうです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以前このお家の一角は、それぞれ工夫を凝らした3軒のイエナリエが素晴らしかったのですが、残念ながら今年は一軒だけでした。飾り付けも含めて大変な手間がかかることと思います。皆さま、楽しませていただきありがとうございます。
2015.12.17
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↑ヘレボルス ニゲル(クリック or タップで拡大画像が開きます)昨年の1月末に、イングリッシュガーデン内にある コピスガーデンで買ってきたニゲルを描きました。途中で投げ出してあったのを、やっと仕上げました。花が終わったあとそのままにしておくと、雌蕊の根元が鞘状に膨らみ 中に種が出来ます。花弁の様に見える萼はカサカサに乾き、やがて鞘が弾けて種が飛び出します。面白いのでそれも描きました。未だ未だ気になるところがあるのですが、際限がないので 一先ず完成としました。↑モデル
2016.04.04
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パフィオペディラム・ボタニカルアート 画像は、クリック orタップで拡大画像が別ウィンドウで開きます。「閉じる=Xで、元の画面にお戻り下さい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2月の世界らん展で購入して3ヶ月。やっとなんとか描き上げました。花だけは一気に描けたのですが、葉と根で苦労しました。葉は平らではなく、それぞれボコボコと不規則に波打っています。根はどんな風になっているのかと鉢から出してみたものの、欲張って3株一緒に植えてある鉢を買ってしまった為に、複雑に絡み合っていてお手上げ・・・(≧∇≦)結局「パフィオの根」で検索。有難いことにラン栽培を趣味にしていらっしゃる方々が、写真をたくさん掲載して下さっていました。本気で描こうと思ったら自分で育てないと難しいことを、改めて痛感しました。余談ですが・・・。欲しいと思ったパフィオは高くて数万円もしました。とても買えないのであちこち探して、須和田農園のブースで1500円のこの花を見つけました*\(^o^)/*Paph.(Tree of Reminiscence × Dazzler)パフィオ(ツリーオブレミネスセンス×ダズラー)赤花整型花)
2016.05.22
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☆ 大河内山荘〜天龍寺へ ☆↑竹林の道大河内山荘の門を出ると、直ぐ先の左手が竹林の道の入り口でした。その入り口付近は団体の観光客がいっぱいで、風情など全くありません(≧∇≦)どうなるかと思いましたが、進んで行くと人気が途絶えた瞬間がありました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆ 天龍寺 ☆( 百花苑 )↑名札も立派です。大河内山荘から竹林の道を抜けると、直ぐ前に天龍寺の北門がありました。天龍寺は何度も行っていますが、こちらから入るのは初めてで、何だか裏口から訪問した様で変な気分でした。北門から入り、曹源池までの一帯が「百花苑」でした。咲いている花の種類は少なかったのですが、流石天龍寺!植物につけられている名札も立派でした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑大方丈(曹源池側)↑↓曹源池↑大方丈↑庫裏(正面の建物)日曜日だからでしょうか、最近増えたのでしょうか、方丈や曹源池付近は、人人人・・・。方丈に上がり曹源池を眺めたかったのですが、早々に通り抜けてしまいました。世界遺産・天龍寺・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑渡月橋天龍寺の正門を出て右に折れると、渡月橋は直ぐ先にあります。この辺り一帯は修学旅行や団体客で溢れていました。久し振りに渡月橋を眺めて写真撮影。京都駅へ戻ろうと、観光客を避けて裏通りを「JR嵯峨嵐山駅」へ向かいました。途中、嵐電の「嵯峨嵐山駅」を見つけました。未だ時間が早かった事もあり、急遽予定を変更、四条河原町へ回ることにしました。嵐電に、一度乗ってみたかったのです(o^^o)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆ 嵐電( 京福電気鉄道 )☆( 路面電車 )↑嵐電嵯峨駅改札口はありません。↑チョコレート色の車体、ワンマンバスならぬワンマン電車でした。↑道路を走る区間は、赤信号で止まります。↑運転手さんの後ろに料金箱がありました。途中駅は、バスと同じ様に、ICカードで精算します。終点の「四条大宮駅」で、阪急電車に乗り換え「(四条)河原町」へ・・・。河原町でゆっくりランチと買い物をしたあと、バスで京都駅へ向かいました。竹林の道経由〜天龍寺〜渡月橋〜嵐電嵯峨駅嵐電四条大宮駅下車 乗り換え、阪急大宮駅阪急河原町駅下車 四条河原町===(バス)===京都駅
2016.06.15
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新装改訂版・文庫本(手前が肥後橋、背景が大同生命ビル)☆小説 土佐堀川・古川知映子(女性実業家・広岡浅子の生涯)・1988年10月5日 初版発行・2015年10月11日 15刷新装改定版・NHK 平成27年度後期朝の連続テレビ小説「あさが来た」の原作、フィクション★あらすじ嘉永2年(1849)、浅子は三井11家の一つ京都の豪商油小路三井家に、6代目三井高益の娘として生まれた。幼い頃から、商いに長けた三井越後守高俊の奥方、殊法大姉の血が流れていると言われて育つ。「殊法大姉は一切の無駄を省いて節約をした」と、父 高益から聞いた浅子は「うちはそんなけちなことはせえしまへん。ぎょうさん儲けてぎょうさん使うてやるのだす」と言った。商売上手は、1に才覚、2に算用、そして3には始末である。高益が教えたいのは吝嗇ではなく、一つのことに徹する大切さであった。浅子は、2歳にして既に大阪の豪福両替商加島屋広岡信吾郎へ嫁ぐことが決まっていた。高益が59才で没し、浅子は高益の養嫡子、高喜の保護下におかれることになった。(高喜は先を見る目に優れ、三井11家の統括機関、三井大元方も務める。三井銀行を設立する。浅子の商売の師でもあった)その時代、幕府の財政は逼迫し、幕府からの御用金の割り当てが立て続けになり、天下の豪商といわれている三井の内情も想像以上に苦しかった。「世の中の変わり目には必ず新しい商いが出てくる。先への判断をするためには情報集めが先決だ」と、父高益に代わり義兄の高喜も浅子に話して聞かせた。名門両替商天王寺屋五兵衛へ嫁ぐ姉の春と共に、17才の浅子も婚儀のため伏見から30石船に乗り淀川を下った。浅子は嫁いですぐに、このままでは早晩、立ち行かなくなるであろう加島屋の内情を見てとった。じっとしていられない浅子は、姑にことわり、小藤を供に堂島の米市場見学に出かけた。その夜、三井から持ってきた本を一冊取り出し、信吾郎が呼びかけても返事もせずに夢中で読んだ。そして「本気になって商い覚えたい思うのどす。教えておくれやす」と、信吾郎の前に両手をついた。商いの状態が知りたい浅子は信吾郎に頼み込み、加島屋の古い大福帳を手に入れた。簡単には収拾がつきそうもないが整理してみようと、浅子は算盤を入れ始めた。最初は協力してくれていた信吾郎だったが、途中で音をあげてしまい、先に奥の座敷に引きとった。浅子はとても眠る気にならず、夜が白むまで算盤を入れ続けた。堂島へ行ったその日から加賀屋の若御寮はんの噂が広がり、中には狂人扱いしかねないような噂をする同業者もいた。加島屋は既に大阪一の豪商だが、自分の代に日本一の商人になれないものか。浅子の心の中にむらむらと敵愾心が燃えさかっていた。浅子の商いへの思い込みは並大抵のものではなく、いつの間にか汚名も消え、流石に豪商三井から嫁入っただけのことはある、という賛辞が聞かれるようになった。慶應3年の暮れ、商用で大阪へやってきた高喜が、加島屋へ立ち寄り「浅子、京都から討幕の兵が出陣することになるようや。三井では『賭け』をしたいと思うとる」と言い、詳細を述べずに帰って行った。義兄の話が頭から離れず、「戦があるてほんまやろか?」と問うても、夫の信吾郎だけでなく天王寺屋へ嫁いだ姉を訪ねてみても、危機感がまるで感じられない。やがて浅子の悪い予感が的中し、鳥羽伏見の戦いが勃発、幕府は敗北、将軍慶喜は大阪城から海路江戸へ逃れて行った。二条城へ呼び出された大阪京都合わせて130人の商人に、官軍から討幕の為の軍資金として300万両用立てせよとの要求があった。商人たちは出せないものは出せないと出し渋り、軍資金が集まらないまま、間も無く徳川討伐の軍が京都を出発したという報せが入った。道中の御用金掛かりとして三井、小野、島田の3豪商が従った。浅子の実家の三井は、まさに官軍につくというはっきりとした態度をとったのであった。三井の大元方(三井11家の統括機関)が、まさか時の趨勢を読み違えるはずはなかろう。そうなると加島屋の先行きの不安がいっそう募ってきた。浅子は京阪の商人と歩調を合わせている加島屋の先が心配だった。結婚からわずか3年後、浅子が嫁いだ加島屋は、明治維新とそれに続く廃藩置県によって存続の危機に直面したのである。・・・・・・・大同生命公式サイト、「広岡浅子の生涯」によりますと、加島屋の最初の危機は、傑物といわれた当主・広岡久右衛門の死(明治2年・1869年)、それに続く廃藩置県(明治4年・1871年)だった。加島屋の経営を担うことになったのは、浅子と、夫・信五郎、そして加島屋の九代目当主となった広岡久右衛門正秋。全員がまだ二十代の「若き経営者たち」による新たな船出であった。とありました。・・・・・・その後の浅子の獅子奮迅ぶりはすさまじく、周囲の反対にも拘らず決死の覚悟で始めた炭鉱事業は鉱山火災の危機も乗り越え、経営を軌道に乗せた。大阪梅花女学校の校長・成瀬仁蔵の「日本女子大学校を設立したい」いう目標に賛同し、女子大学校設立に協力することを決意。自ら先頭に立って資金づくりに駆け回り、やがて「日本女子大学」は開校した。浅子に理不尽な恨みをもつ没落した万屋の主人に刺されるという事件が起きた。やっとのことで命を取り留めた浅子は、生命保険の大切さに気づき、加島屋本家が運営し経営が思わしくない朝日生命を他社と合併させさ、経営不振を脱するしかないと考えた。だが、加島炭鉱、加島銀行、広岡商店、朝日生命保険、尼崎紡績等の社長及び重役たちの出席で開催された加島屋事業全体会議で、2/3以上が反対、否決された。その後、一対一で時間をかけた粘り強い浅子の説得が功を奏し、僅差ではあるが議決に持っていくことができた。浅子が合併を打診して回り、脈がありそうな各社と話し合いが進められた。二社に動きそうな気配が見えたとき、締めくくりの交渉役には保険事業に経験の深いしっかりした男性を立てるべきと考えた浅子は、朝日生命重役の中川小十郎を立てた。問題を一つずつ解決し、ついに実現可能なところに漕ぎつけた。新社名は、小異をを捨てて大同につく、という故事にのっとり「大同生命」という名が選ばれ、初代社長は加島屋本家の広岡久右衛門正秋が選ばれ、これまでの加島屋関連事業の中で最大のものとなった。大同生命が発足したその年、浅子の長女亀子に、子爵一柳家の次男恵三が婿養子として迎えられた。東京帝国大学法科出身の逸材で、加島銀行と大同生命に関与し勤務することになった。加島屋の事業は頂点にあった。大同生命設立の成功、鹿島銀行も広岡商店も全国に支店が増えている。九州の炭鉱も買収時に比べ出炭量が格段に伸びていた。かつて経営の危機にあったことなど、もう記憶している人も少なかった。けれど、このとき既に足元には予測しない不幸が忍び寄っていた。日に日に具合が悪くなってゆく信吾郎を励まそうと、浅子は彼が以前から話していた御殿場に別荘を建てようと考えた。別荘の土地は3000坪、どの部屋からも富士が見えるように設計された。広い芝生の中心には、信吾郎の提案で、一本の黄楊(つげ)の木が植えられ、傘の形に作られていった。明治37年6月、浅子が56才の初夏、広岡信吾郎は加島屋の最盛期を見た上で没した。亀子と恵三夫妻に加島屋ののれんを渡すと決めた浅子は、亀子に「御殿場の別荘を生かして、若い人と一緒に勉強したいわ。日本の女性のこれからの生き方を考えて討論したい思うてるんや」と言った。その後、乳癌を発病し手術を受け療養中の浅子の元に、本家の正秋が急逝したとの報せがはいった。信吾郎のたった一人の弟の死に、浅子は肉親以上の悲しみを覚えた。大同生命の重役会議で社屋移転についての決議が満場一致で議決され、土佐堀川肥後橋前、加島屋の敷地に近代的なビルが建設されることになった。設計はウィリアム・メレル・ヴォーリズ。近世ゴシック風の重厚なビルであった。設計まで1年、約3年間の歳月をかけて建築がなされることになった。華々しく大同生命ビルの竣工式が行われることになった。落成式当日、浅子は金ラメ入りの黒レースの豪華なロングドレスを身にまとい、胸高くに造花をつけていた。銀髪の髪が黒の洋装によく似合い、来賓と一緒にテープカットに加わった。浅子は表彰を受けたあと演壇に上がり無事挨拶の言葉を言い終え、控室に戻りソファーに深く身を沈めた。そしてそのまま意識を失い、大正8年1月14日、眠るように息を引き取った。数えで71才の生涯であった。大正14年 6月、大同生命はかつて加島屋の屋敷があった大阪市西区土佐堀通1丁目1番地(現大阪本社所在地)に移転した。♣︎主な登場人物広岡浅子、嘉永2年(1849)京都の豪商油小路三井家(三井11家の一つ)に、6代目三井高益の娘として生まれる。幼い頃から商いに長けた祖先の血が流れていると言われて育つ。大阪の両替商、加賀屋広岡家に嫁ぎ、自ら先頭に立って商いの道に邁進。筑豊の炭鉱事業、銀行設立、大同生命設立と大仕事を成し遂げた後には女性への高等教育の普及、廃娼運動などにも尽くす。広岡信五郎両替商加賀屋の後継者で、浅子の夫。人柄は穏やかで若い頃は趣味三昧の生活を送る。猛進する浅子を温かく見守っていたが、やがて浅子に劣らず商売の道に邁進するようになる。小藤浅子の実家、油小路三井家の腰元。浅子が嫁ぐ際、世話役として一緒に店を移る。春浅子の異母姉。浅子が加賀屋に嫁いだ時、ともに大阪の今橋天王寺屋に嫁ぐ。天王寺屋は大阪で最も伝統のある両替商であったが、維新の後、落魄する。広岡亀子浅子の長女。娘婿を迎えて夫婦で加賀屋の屋台骨を支える。広岡正秋信五郎の弟。加賀屋が銀行業に乗り出した際、初代の頭取になる。三井高喜三井高益の養嗣子で浅子とは26才離れた義兄。高益亡き後は浅子の父親がわりを務め、浅子の商売の師でもあった。先を見る目に優れ、三井11家の統括機関、三井大元方も務める。三井銀行を設立する。22三井高景高喜の長男。浅子とは1才違いで、幼い頃からきょうだいのようにして暮らす。後に三井家の当主となり三井鉱山社長などを務める。成瀬仁蔵大阪梅花女学校の校長。若い頃にアメリカ留学の経験を持ち、女子の高等教育発展に力を注ぐ。貧しいながらも高潔な人柄。日本女子大学校設立という目標を得て、浅子にも協力を仰ぐ。ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880〜1964)米国カンザス州生れ。1905(明治38)年、英語教師として来日。1908(明治41)年、「ヴォーリズ建築事務所」を設立し、建築設計の事業を開始する。学校・教会・病院・商業建築など、第二次世界大戦までに全国で千を超える建築に関与したとされている。代表的な建築物には、大丸心斎橋店(大阪市中央区)、山の上ホテル(東京都千代田区)、明治学院礼拝堂(東京都港区)などがあ。ヴォーリズは旧肥後橋大同生命本社ビル(大阪市西区)をはじめ、大同生命の本・支社11棟の建築を手掛けた。妻・満喜子は、一柳子爵家の三女、大同生命第二代社長・広岡恵三の妹。♧作者:古川知映子東京女子大短期大学英文科、同大学文学部日本文学科卒。国立国語研究所で『国語年鑑』の編集に従事、その後東京都内の私立高校教諭を経て、執筆活動に入る。著書に『赤き心を』「風花の城』『一輪咲いても花は花』『氷雪の碑』『飛IIより愛を込めて』『性転換』『炎の河』など。日本文学科協会会員。ヴィクトル・ユゴー文化賞受賞受賞。潮出版文化賞受賞。大同生命公式サイト → 広岡浅子の生涯
2016.08.02
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☆ チャーチル会ヨコハマ・歳末チャリティー絵画展 ☆横浜そごう9階( 横浜駅東口 横浜新都市ビル )2016.12.8(木)~12(月) 10:00~19:00(最終日は16:00まで)ラジオ体操の先輩Sさんが所属されている、チャーチル会ヨコハマの皆様が、毎年開催されているチャリティー絵画展です。ボタニカルアート教室の友人と一緒に行ってきました。会場の一角に「似顔絵コーナー」があります。開口一番、Sさんが「二人分予約しておきましたから」とのこと。似顔絵を描いてもらったのは勿論初めて・・・。本人としては、少しでも若く描いて欲しくて「皺を描かないで下さいね」と言いますと、「皺を描かないと、別人になってしまう」とのこと・・・(≧∀≦)さーて、似ている?似ていない? 若く見える? 老けて見える・・・σ(^_^;)一目見たとき「わっ!おばあさん!」と思いましたが、よくよく見ると実物より美人さんに描いて下さったみたいです・・・(*^^*)
2016.12.10
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ホテルを出て直ぐ前のエスカレーターを上がると改札口。京都駅7時46分発、近鉄奈良行き急行に乗りました。↑ひがしむき商店街のアーケード近鉄奈良駅8時33分着、開店前のひがしむき商店街を通り抜け左折、三条通りを猿沢池に向かいました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 興福寺 ー↑ 猿沢池 & 五重塔観光客の姿は疎らでした。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ 東金堂(左) & 五重の塔国宝館が耐震工事中のため「阿修羅像」は、仮講堂に展示されていました。↑HPから借りました仮講堂展示内容=阿修羅 & 阿弥陀如来坐像ほか 、天平乾漆群像展東金堂展示内容=銅像薬師如来坐像、日光・月光菩薩立像、銅像仏頭ほか法相宗大本山・興福寺ー ならまち 界隈ー↑奈良町・にぎわいの家 ↑ネパールの伝統的飾窓この飾窓は、1970年開催の大阪万国博覧会でネパール館に使用されていたもので、日本・ネパール両国友好の証として、元興寺に寄贈されました。そして、1996年にこの町屋を再生する折に本来の入り口(大戸)の位置に新たに設置したのだそうです。↓↑奈良町資料館・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・↑ふわふわかき氷の店頭が痛くならないという「氷室の氷」のかき氷口に入れると直ぐに溶けてしまいましたなるほど!痛くなる暇がありません・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お好み焼きの店・おかる(ひがしむき商店街)凡その予定だけ立てて、あとは足の向くまま気の向くまま、従姉妹と2人で歩き回りました。できれば教えて頂いた、評判の釜めしのお店に行きたかったのですが、電話で問い合わせたところ、平日でも、外で約一時間待ちだとのこと・・・。時間の都合で諦めました。
2017.06.06
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岡本太郎・巨大壁画渋谷駅展示へ今日(3月19日)の朝日新聞朝刊に、下記の記事が掲載されていました。「岡本太郎が、原爆の炸裂した瞬間を描いた幅30m、高さ5.5mの巨大壁画「明日の神話」の恒久設置場所が、18日、東京都渋谷区に決まった。渋谷駅のJR線と京王井の頭線の連絡通路に展示される。・・・」と有りました。毎週この前を通りますが、今日見ると、展示予定場所には既に「ハチ公から太郎へ」と書かれた大きい幕が貼ってありました。この場所は、あの雑多な渋谷駅周辺から見ると別世界のような広い空間で、なるほど巨大壁画を鑑賞するには最高の場所だと納得しました。≪今日の花・ガザニア≫画像の重ねは
2008.03.19
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☆植物図鑑・有川浩・平成25年1月10日 初版発行・幻冬舎文庫( 2009年6月 角川書店より刊行 )別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。文豪・川端康成はそんな言葉を残したそうだ。さやかは小さく溜息をついた。別れたとも言い切れないんだよなぁ、あの男は。何しろー。いきなり消えたまま行方が分からないんだから。樹木の樹と書いてイツキと読むんだ。さやかが彼から直接聞いた個人情報はそれだけだった。出会ったのはまだまだ夜が凍りつく、冬終わりかけの休日前夜。終電ギリギリの飲み会帰り、朧月が出ていた。ほろ酔い加減でマンションのポーチに近づいたとき、植え込みに放置してあるそれをみつけた。顔をしかめて大きなゴミ袋に近づいたさやかは大ききな悲鳴を上げた。遠目にゴミ袋と見えたのは、リュックを背中に丸くなって転がっていた人間だった。頬をつつかれうっすら目を開けたのは、同年代の、結構いい男。さやかの問いかけに「行き倒れてます」と応えた。手持ちの所持金を使い果たし無一文。お腹が空いて一歩も動けないという。男が警戒心を感じさせなかったせいだろう、同情したさやかはいつの間にか男の前にしゃがみ込んでいた。と、男がぽんと膝に丸めた手を載せ「お嬢さん、よかったら僕を拾ってくれませんか。咬みません、躾のできたよい子です」と言った。彼の言葉は、まるで「犬」のお手みたい、と考えていたさやかのツボにはまり、笑いが止まらなくなった。今にして思うと、この瞬間をして魔が差したと言うのだろう。さやかに支えられやっと辿り着いたさやかの部屋で、カップラーメンを食べた「大きな犬」は、ごちそうさまでした、と深々と頭をさげた。翌朝、さやかが目を覚ますと、ささやかな朝食の支度が出来上がっていた。おかずは、盛大に芽が出ていた死亡寸前の玉ねぎを使ったオムレツ、味噌汁もタマネギに卵と、男がかろうじて発掘した食材のみで構成されたメニューである。「おいしい…」一口すすった味噌汁は、体に滲み入るようだった。彼は身支度を済ませ、寝袋を片付けはじめた。ベットの上で三角座りをしながら眺めていたさやかは、自分でも何故だがわからないまま「ねぇ、行く先ないんなら……ここにいない?」そんなことを口走っていた。「おれは一応男だよ」という彼に、「拾ったら情が移るじゃない、このまま出ていかれたら、それでもう2度と会えない人になったら寂しいって思っちゃったのだから仕方がないじゃない!……」彼が根負けしたように小さく笑う気配がした。「…待遇は?」「住環境と生活費の管理権」「住環境の中に布団って入る?」「客用布団があるから専用にしていい」「分かった」家計の支出はさやかが持つ代わり、イツキがハウスキーパーを引き受けることになった。2人の風変わりな同居生活が始まった。やがてイツキもバイトを見つけて生活のサイクルがすっかり落ち着いた。同居して一ヶ月。さやかはイツキを異性として意識している。それは認めざるを得ない。だが、イツキの方は相変わらず「躾のいい犬」で、紳士的で、同じ年頃の女と一つ屋根の下で暮らしながらこの一ヶ月間そんな気配一つ感じたことはなく、ごく理性的に「契約通り」のルームシェアをしている同居人だ。大事にされている。同居人として。それで満足するべきだ。日付の変わる頃、イツキはマフラーと手袋をしてコンビニのアルバイトに向かう。イツキは植物のことがやたら詳しい。名前しか知らないこの男は一体ナニモノなんだろう。一体どこから来たのだろう。週末は「狩」を兼ねた散歩に行くようになった。イツキは植物の名前だけでなく料理も上手だ。摘んで来た野草を手際よく調理する。茹でこぼして切り揃えたセイヨウカラシナは、ベーコンやノビルと一緒に炒めパスタに。ノビルの根の先の白い玉がアクセントになって、パスタは絶品と言える料理になった。苦労した割にツクシは報われない味だったり、フキトウの味噌漬けは美味しかったけど天ぷらは苦過ぎて素人にはキツかった。たんぽぽの花と葉は天ぷらになって出て来た。さやかはイツキに教えられながら、一つ一つ覚えていった。週末ごとにイツキと一緒に「狩」に行くのが楽しみになった。さやかが夢中で摘んでいるとき、イツキは高価そうなデジカメで夢中でシャッターを切っている。データは軽量のノートパソコンに取り込んでいるという。行き倒れていたくせに高価そうなデジカメを持っているわ、軽量ノートは持っているわ、その落差も訳が分からない。同じ部屋に住んでいるのに未だに謎がぼろぼろこぼれてくる。厳しい残暑を乗り越えてようやく秋が来た。やがてハナミズキの実が真っ赤に色づく季節になった。最近、ふと気がつくとイツキに見つめられていることが増えた。「何?私の顔、何かついてる?」というと「ううん、さやかはかわいいなぁと思ってさ」そういうときのイツキはまともに見返せないほど優しい顔をしている。やがて、ハナミズキもすっかり丸裸になった。これからどんどん冬になる。ある日、いつものリズムでチャイムを鳴らしてもドアが開かなかった。自分で開けて入ると、部屋はしんと静まり返り、明かり一つ点いていない。さやかは悟った。寝室に入ると、イツキが来る前のレイアウトに戻っていた。居間のテーブルの上に封筒とノート、そして部屋の合い鍵が一本載っていた。ノートにはイツキが作ってくれたレシピがびっしり書かれていた。封筒の中には一筆箋が一枚と、さやかの写真が3枚。「ごめん。またいつか」それだけが隠しきれないイツキの未練だった。本当はもう分かっていた。いつまでもこのままではいられない。…イツキはどこかで何かを決断したのだ。さやかは泣いた。自分の中にこんなに水があるとは知らなかった。全部涸れて死んでしまえいいと思った。さやかは、イツキがもう一本の合い鍵を持っていることに望みを託していた。春が過ぎ夏がやって来た。ある日、書留が届いた。中から部屋の合い鍵が一本と一筆箋が一枚…。「ごめん。待たなくていいです」イツキは嘘が巧くない。こんなときにもさよならと書けない。こんなに未練を溢れさせておいて、待たなくていいだなんて。分かりやすい嘘つかないでよ。その日は久しぶりにたくさん泣いた。待ちたいだけ待とうと割り切ってから気持ちが楽になった。いま、さやかは2人で行った場所へ1人で「狩」に行く。そしてレシピを見ながら一つ一つ料理を作っている。
2017.09.09
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ちょっと気が早いのですが、どこまで出来るか試してみたくて、調子に乗って「クリスマスカード」を作ってみました。今回は「画像のリサイズと影」以外は、「LINE camera」で作成しました。☆もし興味がある方がいらしたら、お試し下さい。1.トップページから「ペイント」を開き、背景は黒を選びます。2.フォントの「▲」を入力→ カラー=緑を選びます。3.最大限のサイズに拡大→ 高さのみ、2/3くらいに縮小。 → 4.同じ画像(▲)を6ケ作成 (▲をタップ→別の位置を再度タップすると増やせます) サイズを変えながら、6段積み重ねます。5.幹は「◼️」、鉢は「▼」です。 鉢植えのツリーが完成したら、一旦保存します。 (そのままだと、オーナメントを追加するとき、 ツリーが動いてやりにくいのです)6.保存した画像をトリミング→再度、ペイントで開きます。(背景色=黒) 好みの大きさに拡大 → 好きな位置に移動します。7.「⚫️」はフォント、「星」や「キラキラ」「ハート」「プレゼント」は、 全て、LINEcameraのスタンプを使っています。
2017.12.04
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☆マスカレード・ナイト - 東野圭吾・集英社・2017年9月20日 第1刷発行・マスカレード・シリーズ 第3作 マスカレード・ホテル、マスカレード・イブの続編 休暇中の警視庁捜査一課 新田浩介は、他のチームが担当する事件の応援にかりだされた。指示された会議室に着くと、既に30人ほどの男たちが席についていた。会議の冒頭、尾崎管理官が中央に立ち切り出した。「今回は極めて特殊な事態が発生したため、どうしても稲垣チームの協力が必要だと判断した。どうか理解してもらいたい」なぜ自分たちの係が必要なのか、新田にはさっぱり心当たりがなかった。練馬区のに住む独り住まいの女性、和泉春菜が殺害された。遺体発見のキッカケは、匿名通報ダイヤルへの通報だったという。モニターに、警視庁に届いた1通の手紙が映し出された。密告状には、春菜のマンションの玄関前で写した春菜と男の写真が同封されており、男の頭にはモザイクがかけられていた。新田は自分たちのチームが呼ばれた理由が分かった。何年か前の、例の作戦をもう一度やろうというわけなのだ。奇しくもホテルは、あの時と同じコルテシア東京。そしてあの作戦をする以上、どうしても稲垣チームが必要になる。もっと言えば新田が不可欠なのだ。 数年前、都内で連続殺人事件が発生した。犯行現場に残された奇妙なメッセージを解読した結果、次に事件が起きる場所はホテル・コルテシア東京だと判明した。そこで考えられたのは、何人かの捜査員をホテルの従業員として潜入させるという作戦だった。その際、新田がフロントクラークに化けるよう指示されたのだ。英会話が堪能で見た目が上品というのが、その理由だった。新田はあの時のことを思い出すと今でも冷や汗が出る。捜査以上にホテルマンとしての仕事で疲弊してしまったのだ。前回同様、後輩の関根がベルボーイに、他のメンバーは、客として潜入したり、ハウスキーピングなど一般客の目に触れない部署で活動する手筈だ。新田は、山岸尚美の勝気そうな顔を思い出していた。今回の作戦に当たるのは少しも気が進まなかったが、彼女との再会を楽しみにしている気持ちがあることは否定できなかった。中根伸一郎、中根緑(本名はマキムラミドリ)の名で予約、夫婦連れを装うも、全く姿を現さない夫。デイユースで愛人と利用しているコルテシアに、妻の万智子と息子の3人でやって来た曽根昌明。曽根の愛人貝塚由里は31日にロイヤルスイートを予約、カウントダウンパーティーに申し込んでいた。どうやら万智子と貝塚由里は知り合いらしい。ミイラ男に扮した紀乃伊男。マイケルジャクソンの仮面で登場する謎の男。渡辺幹夫の偽名で宿泊、部屋に篭ったまま出てこない内山幹夫に不審な宅配便が届く。他に、ロイヤルスイートに元日まで滞在する日下部篤哉。彼は狩野妙子という女性に派手なプロポーズをして見事に振られた。それにもかかわらず、その翌日、早くも彼は中根緑に一目惚れしたと言い、2人で会う機会を作って欲しいと山岸尚美に無茶なリクエストをする。また、日下部がプロポーズした狩野妙子の名刺には、特別支援学校勤務となっていたが、彼女が勤務するという特別支援学校は存在しないことが判明。果たして日下部篤哉とは何者か?カウントダウンパーティーの参加条件は、仮装をすること、出来ない場合は仮面をつけること。チェックインの時から仮装してくる客も多い。そんな状況で、果たして犯人を見つけ出し、犯行を阻止できるのか・・・。2014年1月14日 マスカレード・ホテル2014年9月20日 マスカレード・イブ山岸尚美は、今回も事件に巻き込まれ危険な目に遭いますが、前作同様、危機一髪で新田に救出されます。事件が解決し、1人でコルテシア東京に宿泊した新田浩介は、尚美に翌日の食事の約束を取り付けました。かつてロスアンゼルスに住んでいた新田浩介。3ヶ月後にはロスアンゼルス勤務になる山岸尚美。どうやら続編がありそうです。
2017.12.12
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ー 平野いづみさんの作品 ー戦後生まれの平野いづみさんが見た昭和の風景です。↑ 小学校に必ずあった二宮金次郎像↑馬乗り(馬)何という遊びで、どんなルールだったのか、すっかり忘れてしまいました。笹ゆりさんは「馬」と呼んでらしだそうで、遊び方を教えて下さいました。呼称は地方によって違うのでしょうか、wikipediaでは「馬乗り」という呼称で掲載されていました。遊び方とルールは同じでした。思い出しました。懐かしいです。笹ゆりさん、ありがとうございました。子供の遊び《馬乗り》チームを2つに分けて行う。馬側となったチームは、まず一人が壁に立ち、その股間に別の一人が頭部を入れて「馬」となる。他のチームメンバーもその後ろに、同じ姿勢でつながる。「馬」が完成したら、もう片方のチームが跳び箱の要領で一人ずつ「馬」に飛び乗っていく。途中で「馬」が崩れてしまったら馬チームの負け。乗る時に落ちてしまったら、乗るチームの負けである。乗る側の全員が「馬」に乗った場合は、壁に立つ人とじゃんけんで勝負を決める。負けた方が次の馬チームになる。(wikipediaより)詳しくはこちらをどうぞ→wikipedia 馬乗り↑ 炬燵でミカン↑巨人、大鵬、卵焼きという言葉がありましたっけ。私は3人とも、もちろん知ってます(*^^*)↑ こんな番組、ありましたねぇ!↑ だっこちゃん人形このころは「おんぶ」が普通でした。↑ シェー!のポーズ一世を風靡したのは昭和40年頃だそうです。↑ 綿入れのねんねこ半纏↑ 駄菓子屋さん・くじ引き?↑ バケツの中は魚でしょうか?↑ 腹掛け?背景の「ハタキ」、見かけなくなりました。 ー 持田万福(まとみ)さんの作品 ー戦中生まれの持田さんが、お孫さんのために、子供の頃を思い出して書かれたのだそうです。紙芝居新聞販売店かき氷とアイスキャンデーこちらの店では ポン菓子を作っています。配給の行列でしょうか?防空頭巾を被っている人がいます。こちらは醤油や味噌を売っている店でしょうか?薪割りの道具の横で、秋刀魚を焼いています。水のバケツを置いて、焚き火で焼き芋チャンバラごっこ 風鈴売り涼しげな音色が聞こえてきそうです。岡村公園のホームページはこちら →岡村公園
2018.05.12
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ゆずっこ歌自慢・岡村公園野球場2018年12月2日(日) 12時~15時30分出演した ‘ゆずっこ’ さんたち 16組我らが ‘ラジオ体操合唱団’ の皆さんも熱唱!(曲名:栄光の架け橋、雨のち晴レルヤ)北は福島県から、西は愛知県からやって来た、合わせて16組のゆずっこさんたちが自慢の歌を聞かせてくれました。サンデーサティズさん(ゲスト出演) (山口宏一さん=左、堀木康太郎さん=右)HP → Sundaysaty’s web siteサンデーサティズさんの巧みなトークと素晴らしい演奏に、会場が1つになりました。出演したゆずっこさんたちもステージの下に集まり、お二人に合わせて演奏を始めました。寒さも忘れて会場が1つになって、まるでライブ会場のように盛り上がり、大盛況で幕を閉じました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・会場の周囲には売店のテントが並びました。いづみさんのイラストの展示コーナー記念撮影用のパネルも登場しました。岡村公園 公式サイト
2018.12.03
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いつもなら真夏は庭の花が寂しくなります。ところが連日の猛暑にもめげず、今年は元気いっぱい咲いてます。黄色(ルドベキア・タカオ、メランポジューム)と、赤とピンク(ジニア、サルビア・コクシネア)、紫(トレニア)など、ビタミンカラーがあふれています。↑ 百日草(小)↑ハナタバコ↑ サルビア コクシネア↑ トレニア↑ 百日草(小輪)↑ メランポジューム↑ ↓ 百日草(大輪)↑ ゴーヤのカーテンと芙蓉今年のゴーヤのカーテンは、部屋が暗くならないようにいつもの半分の幅です。葉はよく繁り花は咲いていますが、未だに実の収穫はゼロです。↑ クレマチスいまでも、時々咲いています。
2019.08.15
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10月1日~3日まで、主人と二人で、奈良〜京都方面へ行ってきました。一時は台風18号による雨を覚悟しましたが、神様のご加護か、はたまた御仏のご利益か、幸い予定した観光の間は天気に恵まれました。ー 春日大社 ー768年、現在地に社殿が造営され、現在のような規模が整ったのは平安時代前期のこと。境内には、朱塗りのあでやかな社殿が立ち、古来より藤の名所としても有名なのだそうです。(奈良県観光公式サイト「なら旅ネット」参照)10月1日(火)新横浜発7時19分(のぞみ)→京都着9時17分。近鉄線急行に乗り換え、のんびり車窓の両側に広がるのどかな風景を眺めながら奈良へ向かいました。稲穂は黄金色に色付き、あぜ道には彼岸花が咲いていました。近鉄奈良駅に着いたのは10時36分。この日は奈良公園を中心に回る予定でした。一旦ホテルに荷物を預け、駅へ戻る途中「東向(ひがしむき)商店街」のお店で早めの昼食を済ませました。駅から東大寺〜春日大社へは緩やかな上り坂なので、先ず駅からバスで「春日大社本殿」まで直行、あとは東大寺近辺を気ままに散策しながら戻って来ることにしました。既に行きのバス乗り場でもそうでしたが、春日大社に着いて観光客の多さに驚きました。ほとんどが、若い東洋系の外国人の人たちのようでした。あまりの賑やかさに恐れをなして本殿は外から参拝しただけでスルー、早々にUターンすることにしました。参道の両側に並ぶ石灯籠は壮観で、中には苔の帽子を被っている石灯籠もありました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 東大寺 ー↑ 大仏池久し振りに大仏さまにお会いしたかったのですが、ここも人、人、人・・・。諦めて、参拝のチケット売り場の左手から塀沿いに歩いてみることにしました。塀越しに大仏殿を見上げ、よくこんな大きいものをつくろうと考えたものだと、罰当たりな私は感心したり呆れたり・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 正倉院 ー↑ 正倉院 大仏殿の塀沿いに行くと、丁度大仏殿の裏手に当たる位置に東大寺の講堂の跡地があり、大きな礎石だけがが並んでいました。その先に正倉院があり、入り口にいらした係の方(元宮内庁職員のOB)のお話では、現在は校倉造りの建物の中はからっほ。中に入っていた「宝物」は、左手に新しく建てられた空調設備が整った建物に保存されているそうです。入って見学できるのは柵の手前まで。見ていると、黒い服を着た方が2人、忙しそうに何やら運んでいる姿が見えました。その夜のニュースを見て、この日は10月26日~11月14日まで開催される「正倉院展」の準備中だったらしいと分かりました。ここで出会ったのは、修学旅行中の高校生5人組だけ…。頼まれてカメラのシャッターを押してあげました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ー 興福寺 ー京都山科の藤原鎌足私邸に建立された山科寺が前身で、飛鳥を経て、和銅3(710)年平城遷都に伴い藤原不比等によって現在地に移転され、その際に興福寺と名付けられました。以降藤原氏の氏寺として大いに繁栄しました。その後、平重衡の南都焼き討ちや火災により消失しているそうです。(「なら旅ネット」を参考)↑ 中金堂 ( 平成30年10月再建 )2年前の6月に従姉妹と訪れたときには「阿修羅像」なども見学しました。その時は境内のあちこち工事中でしたが、昨秋10月には中金堂も完成、境内は落ち着いた雰囲気が戻りつつありました。ゆっくり境内を回ったあと、ホテルに戻りました。10月1日の歩数=15,200歩
2019.10.05
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ー 斑入り葉のナンカイギボウシ(南海擬宝珠) ー画像を入れ替えました。クリック or タップで、拡大画像が別ウィンドウで開きます。この花は、うす紫の花弁に濃い色の縦縞が入っています。ぜひ、拡大画像をご覧ください。「✖️(閉じる)」で元の画像に戻ります。ラジオ体操会の大先輩、吉富和彦さんが育てていらっしゃる斑入り葉の ‘ナンカイギボウシ’ です。 所属されている横浜山草会の先輩が下さったのだとか。ナンカイギボウシは大変貴重な品種だそうで徳島県版レッドデータブックでは、絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の危険が増大している種)に分類されています。斑入り葉となるともっと貴重でしょうね。毎年、春に開催される「山野草展」も今年はお休み。残念ながら、この様子では秋も難しそうです。ぜひ皆さまにもお目にかけたいと、掲載させて頂きました。
2020.07.05
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今年は彼岸花の開花か遅く、その上少ないように思います。赤い彼岸花は田んぼの畦道が似合います。去年の秋、奈良で見た風景はもう何年も前のような気がします。昨日の収穫庭の茄子今年は、茄子が大豊作昨日は5本、今日は3本未だ小さい実をいっぱい付けてます。あいあいカレー皿藍色にするつもりが、迷って結局 白になりました。猛暑の置き土産です。
2020.09.27
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今日は久し振りに青空が広がりました。また明日は天気が下り坂・・・。三渓園の紅葉を見に行きたかったですが、今日は貴重な晴天です。やらなければいけない家事を考えると時間のやりくりがつきません。紅葉は待ってくれませんし、諦めて近場の公園を2つ回ることにしました。夫が卓球に出かけるのを待ち 10時半過ぎに出発。先ずは、毎朝ラジオ体操に通う岡村公園へ。ー 岡村公園 ートウカエデ(唐楓)我が家に一番近い入り口付近の楓が今年は真っ赤!枯れ枝のように見えるのはソメイヨシノトウカエデの葉今年の桜は紅葉する間も無く飛ばされてしまいました。山茶花が満開です。右手の冊の辺りが、富士山のビュースポットいつもここから写しています。アメリカフウ(アメリカ楓)別名:モミジバカエデ(紅葉葉楓)レストハウス前にあります。「イタヤカエデ」と覚えていましたが正しくは「アメリカフウ」でした。イチョウ(銀杏)イチョウの葉公園の欅も、桜も、ほとんど葉を落としてしまいました。朝と違い、明るい 陽の光を浴びて楓の赤も、銀杏の黄色も、一際鮮やかでした。このあと、岡村公園をあとに久良岐公園へ。☆11月27日 追記ラジオ体操の先輩に名前を確認、今朝拾ってきた葉の写真と共に、木の名前を追加しました。今朝の横浜は曇り空。昨日写しておいて良かったです(╹◡╹)♡
2020.11.26
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昨日は、窓ガラスに叩きつける様な土砂降りの雨でした。今朝は公園の遊歩道に、水たまりができていました。まさに、束の間のオアシス思いがけない風景に思わずパチリ(╹◡╹)今日は一日晴れ、最高気温が22度の予報が出ています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・ここが、ラジオ体操会場です。本来の名称は「こどもの遊び場」日中は子供たちで賑わうこの場所も早朝は平均年齢がぐんと上がります。嬉しいことにこの季節は、毎朝こんな花を眺めながら体操しています。
2021.03.29
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Nさんのタイタンビカス最初は一輪ずつ咲くのが精一杯でした。今年は大きな植木鉢に移植してもらって元気いっぱい!毎朝、大輪の花を咲かせています。☆7月20日追記タイタンビカスの生みの親・赤塚農園さんのHPによりますとタイタンビカスとは有る特定のアメリカフヨウとモミジアオイを交配させて作り出された植物だとか。名前の由来は、圧倒的な存在感と驚異的な強さ、ハイビスカスのような花姿から『巨神タイタン』にちなんで、『タイタンビカス』と名づけられたのだそうです。詳しくはこちら → 赤塚農園 ・タイタンビカス・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 近所の家の玄関先に作られたミニひまわり畑。最近は、こういう小型の向日葵が増えました。昔ながらの大輪の向日葵は、咲き始めは良いのですが満開を過ぎるといささかグロテスク…。庭に植えるなら、こういう可愛い向日葵を植えたいです。☆我が庭のこと今年も、夏〜秋の庭を花いっぱいにしようと、このところ、庭仕事を頑張っていました。テーマは「真夏から秋まで花いっぱいの庭」平凡な花で良いのです。世話いらずで長く咲き続ける花優先で残す花を決めました。メインの背の高い花(ルドベキアタカオ、メドーセージ、秋桜)中くらいの高さの花(百日草と千日紅、赤いサルビアコクシネア)花壇の縁取り(黄色いメランポジューム)雑草が生えないように花と花のすき間を、庭にワンサカ茂っているトレニアで埋めることにしました。庭が綺麗になったのは良いのですが、頑張りすぎて腰を痛めてしまいました。最後に、花壇の縁取りにしてあった玉石をレンガに取り替えようと掘り返して運んだのが間違いのもとやっぱり無茶はダメですね(^^;;主な作業は ほぼ終わりあとは、小さい草花の植え替えだけで、良かったです。
2021.07.19
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↑写真の右上の方角から見えた菜の花散歩の途中、菜の花らしきものが見え行ってみると、菜の花が満開でした。ここだけ春爛漫〜♡日陰には未だ雪が残っていますが今日はポカポカ陽気でした。大根が立派!!!他にも5~6本育っていました。↑ニンニク?ここは、町内会で借り上げた土地に、町内会館を建て許可を得て一部を区切り菜園として会員の希望者に貸し出しています。最初は少なかった菜園の区画が久し振りに覗いて見るとステイホームの影響もあってかずいぶん増えていました。白菜、キャベツ、ブロッコリーもありました。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お隣さんの水仙土に球根が埋もれていたのか自然に芽を出したようです。なかなか素敵です。
2022.01.09
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↑ ここまでは種から咲いたフロックス・・・・・・・・・・・・・・・↑ 売れ残りの苗を買ったフロックス子どもの頃、夏になると庭で咲き誇っていた白と、淡いピンクの「花魁草(オイランソウ)」が欲しくてずっと探しています。ブロ友さんのところで最近は「フロックス」という名前だと知りました。ネットで見るフロックスは私の記憶の中の花とは、イメージが違うようでしたが種を買ってみました。どんな花が咲くのか、早く見たくて秋蒔きのほうが大きく育つのは承知で、半分だけ、春に種を蒔きました。濃いピンク、薄いピンク、白紫のぼかし・・・。背丈が低いまま、チョロチョロと花が咲きだしましたが私が欲しい花とは、イメージが違っていました。改めて「花魁草」で検索するといとも容易く見つかりました。私が欲しかった「花魁草」はどうやら「宿根フロックス」の方だったようです。最近は昔からある平凡な花を手に入れるのは至難の業・・・。種が手に入ればと、探しているのですが未だ見つけられずにいます。
2023.07.30
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ー 世界のクリスマス2023・オーストリア共和国 ーベーリックホール(横浜市認定歴史的建造物)オーストリアではサンタクロースではなく「幼いキリスト」とされる「クリストキント」が子供たちにプレゼントを運びます。聖ニコラウスやクランプスという鬼が登場したり、我々が知るクリスマスとは少し違った本場のクリスマスを垣間見て欲しいと思います。(パンフレットより抜粋)玄関玄関ホール2階へ↑子供部屋↑ 洗面所 バスルーム↑ 寝室今年のエリスマン邸のクリスマス飾りはこれがオーストリアのクリスマス?と、感じましたがパンフレットの解説を読み、なるほどと納得。ー 世界のクリスマス2023 ・ イタリア共和国 ーエリスマン邸(横浜市認定歴史的建造物)厳粛なイタリアのクリスマスを伝統的なお料理で祝う家族のディナー。そこには一年中待ち望んでいるお料理が登場します。そんなイタリアの伝統的なシーンを煌めきのクラシックに装飾します。また、この日は子供たちが待ち望むベファーナ(魔女)かやってくる日でもあります。(パンフレットより抜粋)詳しくはこちらをどうぞ↓世界のクリスマス2023・横浜山手西洋館イギリス館と山手111番館も見る予定でした。この日は暖かいのを通り越して暑くて、疲れて、お腹がすいて電池切れ・・・。港の見える丘公園の手前を左折アメリカ山公園のエレベーターで元町通りへ。Yさんのお気に入りのお店でランチしました彼女はクラブハウスサンドイッチ私はジェノベーゼのランチセットを注文。ケーキとアイスクリームの美味しかったこと!生き返りました。帰りはピカールに寄り冷凍のクロワッサンとピザ(マルゲリータ)を。駅近の花屋で、マーガレットの苗を買って来ました。横浜西洋館のクリスマス2023 は、これでお終いです。お付き合い頂き有難うございました。
2023.12.10
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昨日と一昨日と半日ずつ、夏の花を片付けました。一番は1メートル以上に伸びてしまった「百日草」でした。千日紅は綺麗に咲いている株だけ残しました。大きなゴミ袋3ケと、切った枝や茎の大きな束が4つ。今朝、収集に出しました。これだけでも、かなりスッキリして、影になって目立たなかった小菊が庭の主役になりました。↑ ♣︎♣︎マークは、三溪園の菊花展で苗を買った小菊です。↑ ♣︎この菊は、とにかく逞しいです。↑ ♣︎ これは1番のお気に入りです。未だ咲いていない、レモンイエローの中輪も一株あります。忘れるくらい昔からあった小菊とにかく逞しくて、庭中に根を下ろし逞しく咲いています。ご近所さんからもらってさし芽した菊もっと優しい薄紫がかったピンクだったのに、こんなド派手な色が咲きました。↑ 友禅菊(ユウゼンギク)以前は、太陽燦々の花壇の中で咲いてました。花は少ないし葉もあまり綺麗では無かったのです。ある年、移植した記憶がないのにヤマモモの木の下に根を下ろし咲いていました。その場所が気に入ったようで以来、毎年綺麗に咲いています。
2024.11.15
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2024.11.25 11:14今日は、朝から素晴らしい秋晴れ〜♪久し振りに顔を見せた富士山はこんなに雪が (´⊙ω⊙`)ラジオ体操の時は光が足りなくて午前中に、もう一度写真を撮りに行って来ました。・・・・・・・・・・・トウカエデ(唐楓)寒暖差が大きいからか今年の紅葉は素晴らしいです。陽の光を透かして見る葉は透き通るような赤の美しいこと!今年のトウカエデの紅葉はイロハモミジに負けない美しさです。・・・・・・・・・・皇帝ダリアテニスコートのネット沿いで咲いています。今年は切り戻しされたのか株が大きくなったのか大きい花が咲き写真が綺麗に撮れました\(^^)/・・・・・・・・・・アメリカフウアメリカフウの実
2024.11.25
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ー 久良岐公園 ーいつも行く岡村公園はスポーツ公園ですがここは里山の風景をそのまま生かした公園になっています。昨日は穏やかな秋晴れ家に篭っているのは勿体無くて午後、久し振りに歩いてきました。桂(かつら)の林残念ながら、肝心の桂の木はほとんど葉を落としていました。ここの銀杏も桂も何年経ってもひょろひょろ不思議です。遊歩道脇の茂みに咲く山茶花大輪で、雄蕊だけ見るとまるで肥後椿のようです。自由広場真っ青な空に木々の黄葉が映えて大池付近↑↓ メタセコイヤ と、ケヤキ北出口付近未だ早いかと思っていたイチョウも、イロハカエデも見事に「紅葉(黄葉)」していました。\(^^)/♣︎ 久良岐公園 MAP(Click or Tapで 拡大画像が開きます)久良岐公園へ向かう途中のイチョウの木昨日の歩数は10,251歩。久良岐公園の紅葉は次回に・・・。ー 続く ー
2024.12.01
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↑夏みかんの皮で作った砂糖煮(ピール)先日、ラジオ体操の先輩 Tさんから頂いた「ピール」が、余りにも素晴らしくて感激‼︎ 私の中にあった「夏みかんピール」とは味も見た目も食感も全く違いました。幅も厚みも1cmくらいあるでしょうか、口に含むと程よい柔らかさがあって病みつきになる味でした。Tさんからレシピを、別の先輩の Kさんから庭の夏みかんをいただき、初めてのピール作りにチャレンジしました。本当にあんなピールが出来るのか・・・。半信半疑で始めたのですが、ナント!私にも出来たのです*\(^o^)/*ピールもジャムも大好評!Kさんから頂いた夏みかんは合計7個。皮が厚くてずっしり重い、ピールやマーマレード作りには理想的な夏みかんです。嬉しくなって、マーマレードにしようと思って残してあった4個も、み〜んなピールとジャムにしました。作り方は、基本的には Tさんから頂いたレシピの手順通りで、最後に砂糖を加えて煮る時だけは、いつもの自分流のジャム作りと同様に電子レンジを使いました。レンジで作る利点は、先ず焦がす心配が無いこと、それに蜜が殆ど無くなるまで煮詰められるため、乾かす手間が殆どかからないことです。↑Kさんから頂いた夏みかん★夏みかんの砂糖煮(ピール)の作り方皮の量によってレンジにかける時間が変わります。下記の数字は目安と考えて、様子を見ながら加減します。☆材料・下茹でした夏みかんの皮=500g・砂糖=400g(皮の80パーセント)・グラニー糖=適量(仕上げにまぶします)♣︎Tさんが教えて下さったレシピマロンのダイエットレシピ ⇒ 夏みかんの皮の砂糖煮・ピール印刷ページ ⇒ 夏みかんの皮の砂糖煮・ピール1~12までは、印刷ページの手順通りですが、no13以降は、鍋では煮ないで、電子レンジを使います。13~14ザルに上げて水切りした「皮」を耐熱容器に入れます。砂糖を3回に分けて万遍なく上に載せ、両サイドに隙間を開けてラップをかけます。1回目=レンジ強(500W)で20分加熱。2〜3回目=レンジ弱(300W)で15分加熱(2回目以降は、途中でラップを外し、耐熱容器を両手に持って天地返しします)4〜5回目以降= 〃 で10分ごとに様子を見ながら加熱します。15.底に「蜜」がほとんど無くなったらザルに上げて、余計な蜜を落とします。無造作にザルに上げないで、写真の様に一つずつ真っ直ぐに伸ばして並べておくと後の作業が楽です。団扇で扇ぐなどして冷ます。16.一つ一つ丁寧にグラニュー糖をまぶし、包装紙(裏面)の上に並べて、途中で返して乾かします。これで完成ですが、もしグラニュー糖が湿っている様なら、団扇や扇風機で乾かします。
2016.01.18
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