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こうしてネコ3匹、ヒト3人での暮らしが1年と数ヶ月続いたある年の大晦日。ネコたち、朝からなんとなく、おとなしい。にゃあ、とも、ふー、とも、うんともすんとも言わず、じーっとしている。1匹だけではなく、皆それぞれに。寒いと、ネコの動きも鈍るんだなぁ。年の瀬で多少慌しくしていたので、じーっとしているのを良いことに、そのまま放っておりました。いくらなんでもまさか、3匹揃って具合が悪いなどと、夢にも思わなかったのです。まさか…と感じたのは、全く口をつけた気配の無い晩御飯の皿を目にしたときでした。そう思ってネコたちを見たらば、これはどう見ても元気がないというか、皆それぞれに薄ボンヤリとしています。水も飲まない、ご飯も食べない、声も発さず、横になっているだけ。ネコのこういう状態は、今迄経験がありません。つれみの大変だったときは、あれは『事故』という、見た目で分かるものがあった。でも、昨日まで元気に駆け回っていたのが、揃いも揃って、一体、何なんだろう。時々お世話になっている動物病院は、年末年始の休み。どうか、わたしの気のせいで…と祈って、あらためてネコを見てみると、より一層グッタリしているように見える。外傷が無いだけに、一層不気味に思える。不安がザーっと、大晦日の自分の心を塗り替えていく。大晦日の夜中にどうしようもないと思い、とりあえず眠った。そして、年が明けた1月1日、朝から動物病院探しを始めました。電話を掛けては、年末年始の休みの予定が、空しく流れてくるだけ。ネコたちは、まったく動かず。お腹が動くので、生きているなと分かる程度。動物だって、病気は待ってくれません。いつもタイミング良く、平日の昼間に病気になるわけじゃないのに、というよりむしろ、土日や夜に具合が悪くなる方が多いように、わたしには思えるくらいです。現在は、夜の診療も行ってくれる病院が増えているのでしょうか。最近の動物病院事情は、よく知りません。一体、何軒掛けた後か…やっと一軒『連れてきてよいですよ』という病院を見つけ、ネコたちをすぐさま運び込みました。看板の出ていない、一軒家をグルグル回ってやっと探し当て、診察室に入ると、それはそれはキタナイ…これはどう見ても、数年前に引退したのでは?と思わせる室内、出てきた先生は、やっぱり引退してましたね?と念を押したくなるような、おじいさん。そのおじいさんは、久々に診療をします、といった感じで、辺りにはおよそ『器具』というものの無い、元診察台のようなところにネコらを乗せ、わたしの見ている前で、白い粉薬を出した。その白い粉薬を、元皿のようなものに入れ、水を入れてかき混ぜると、針の無い注射器を使ってネコらの喉に流し込み、『ハイ、終了』相変わらずグッタリとした親子を乗せて、足取りも重く、帰宅いたしました。しばらく様子を見ても、全く元気になる気配がない。皆で新しい年を迎えたというのに、折角のお正月、休みの少ないわたしもネコたちとゴロゴロ楽しもうと思っていたのに。ネコはハムスターより大きいから、突然死ぬことなどないだろうなどと、タカをくくっていたのも正直なところです。まさか、このまま全滅…なんてありえない。しかし、ネコ親子は悲しく伸びきったままでした。貰ってきた粉薬を溶いて飲ませても、力があまりないのか、半分ほどしか飲んでくれません。そうして、2日ほど経った次の日。年明け早々、気持ちはどん底のわたしが見たものは。いたって普通に、元気に動き回っているネコ親子。 グッタリのグの気配も見せず…あの状態は、一体何だったのか。全く、わけが分かりませんでした。親子の一命を取り留めてくれた『元』動物病院には、あれから一度も行っておりません。どこにあったのか、場所も覚えておりません。そしてあれからもずっと、『元』診療室には埃が積もり、『元』先生は楽しい隠居生活を送られていると、思うのです。だけど、あのときのわたしの様な途方にくれた人間が現れたときに、おじいさんはまた、あの魔法の粉薬を使って、小さな命を救っているのではないかとも、思うのです。先生、ありがとうございました。猫と暮らす
2006.04.30
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今日は一日、引越し作業。もともと片付いていない部屋が、倉庫のようになってきた。ここでの生活も、あと二週間。風はあるけれど、一日良く晴れている。~ちょっと休憩~お茶漬けわかめが出てきた。賞味期限が2004・11・06。だけど、あられも、乾燥わかめも腐っているようには見えず…どうしようかな。
2006.04.30
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オケの練習場はここ最近オカシイ。練習が後半に入ると、勝手に冷房も入る。そして、わたしの席近くはよく風が吹きます。風に反応してゲホゲホがひどくなり、不本意ながら28キロ地点でリタイヤしました。ところで、うちのオケは医者や薬剤師、レントゲン技師など医療関係者が豊富に揃っていて、便利。『咳がね、止まらないんですヨー』『いつから』『4/1に風邪ひいてからずっと』『それ、おかしいよ、肺炎の可能性もあるヨ』『え~、は、肺炎ですか~』『うん、でも軽い肺炎の人、結構多いヨ』『な~んだ』『な~んだ、じゃないよ』『早く病院に』『イヤだよ~』『子供か』『病院キライやも~ん』『子供か』etc… * * *帰りにMKレストランで温かい鍋を詰め込んで、満足したわたしはそのままパッタリ寝てました。今朝6時に目覚めて、メールチェック等をしていたら、自分の美味しいと思ったレストランを書き込めるサイトに目がいった。そこにふと、書き込んでみようと思った。坦々麺さえあれば幸せ、なわたしですが、一軒だけほんとに好きなお店がある。東欧家庭的な温もりを取り入れた、モダンなフレンチのお店。くつろげて、美しくて、美味しくて、お店の人達が皆、すごく感じが良くて、あったかい雰囲気。そのお店のことを書き込んだ。 * * *わたし達はレストランにいました。感じの良いお店、窓からは様々な美しい植物が見え、ホッと目を和ませてくれる。店員さんが来て、にこやかにいうのです『こちらのレストランでは、全てのものの心の声が聞けるのです、例えば、外の植物をじっと見てください、何か言っているのが分かるでしょう。こちらでは料理を楽しんでいただくだけでは、ありません』眺める度に、それぞれの植物が順番に何かを言っているのが分かる。料理やテーブルでさえ。全てのものたちが、わたしたちに呼びかけているのが分かった、ただ、何と呼びかけているのかが分からなかった、後から思えば『逃げて』と言っていたのかもしれない。そんな中で、これも後から思えば唯一、心の声が聞こえない種類のものがいた、それはそこにいた店員たち(ヒト)。わたしたちが料理を楽しんだ後、やはりにこやかな店員さんが来て『どうでしたか、楽しんでいただけましたか、最後の料理は。あなたがたは、もうここから出ることはないでしょう』何だか意味が分からないけれど、わたしは持っていた携帯で『たすけて』と、こっそり誰かに向けて送信をする。テーブルに置いていたハンカチを持っていこうとすると、その店員がまたひとこと『もう、それを使うときなど無いのに』そして、店を出たら、そこは外ではなく地下に続く階段。絶句して立ち止まったところに、上の階段から別な店員がにこやかに、ナイフを持って降りてきた。下へ逃げようとすると、そこにはにこやかな女性の店員さんが。ハサミウチ…と思った瞬間、わたしは女性の方を、降りてきた店員の凶器に向かって突き飛ばす。そして『こうやって、やっつけるしかないんだ』と思い、階段を降りていこうとする。 * * *…というところで、目が覚めた。ときに9時、おぉ、これは立派な二度寝じゃないですか。しかも、何という夢!しかも、初めに出てきた店員さんは、わたしの大好きなフレンチの方…笑顔の素敵なお方。…。落馬直後に馬に乗れ、と言いますね。近々そのお店に行ってこようと思います。変な夢の印象を打ち消すために(…?)。日記、ダイアリー
2006.04.30
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今日は、たったひとりの可愛い生徒がやってくる日だったので、気合を入れて準備をしていましたら、風邪をひいてしまったと連絡がありました。あら、連休なのに可哀想に。わたしは4月1日にひいた風邪が治らず、今もしゃべると咳き込む毎日。咳き込み加減が半端じゃないので、皆さんに申し訳なくなります。でも、楽器を吹くときはさほど支障ない、喉を使わないからでしょう。だから、楽器を吹いて咳き込むときは、ブレスの仕方がよくなかったとか、そういう自己流チェックが出来ます。季節も良いし、お互いに早く治そうね。なので、夕方からのオケの練習まで、今日は引越し作業をしよう。先日買った、松本清張を読もう。 そして時々、日記を書こう。ネコの続きを書こうと思いながら、先延ばし、先延ばし。の毎日でもあります。日記、ダイアリー
2006.04.29
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5月に引越します。業者さんを検討していましたが、近くに格安のお引越しやさんがいました。冷蔵庫を実家に…5000エン。家具5点を新居に…10000エン。いくつかの業者さんに見積もりを出してもらいましたが、家具5点で、大体25000~30000エンと言われた中、『え~と、それくらいなら10000エンですね、近いですし』ラッキー♪電話で2・3度お話をして、ここに決めました。その名も『ラッキィ・キャット』さんHPを見てみたら…ネコが招いていました。ちがうって、名前だけで選んだんじゃありませんから~担当の人の感じも良かったんですよ~
2006.04.28
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文は多少違いますが、ある人の日記にこのようなことが書かれてありました。『あなたは誰にあなたの笑顔を残したいですか。その時に浮かんだ人が、あなたにとってのかけがえのない人です』例えば、自分の命がなくなってしまうかもしれないという事態に直面したとき。それを想像したとき。わたしは、今の今まで、『誰かの心に自分の笑顔を残したい』など、考えたことはありませんでした。この方の日記を前にして、『うーん』と考えてみたけれど、それでも思い浮かばなかった。『かけがえのない人』という言葉から、夫を思い浮かべてみたけれど、それでもピンとはこなかった。コメントを書きかけて、途中でやめて引き返してきました。今日は最低でも107人の命が、一度に奪われた日です。107人分の笑顔は、そのとても大切だった人達の中に残っているのだろうと思います。ところで、わたしを誰かがふと思い出してくれるときに、その人の思い出すわたしの顔は、笑顔なのだろうか。 * * *わたしがある教室で講師をしていたころ、生徒に末期のがん患者さんがいました。肺も胃も切り取ったあとの状態で、リハビリにフルートを選び、やってきました。全くの初心者の状態から7ヶ月、一緒にがんばって、亡くなりました。途中から、病院の屋上やベッドの上でのレッスンになりました。最後の1ヶ月ほどは、わたしも毎日通いました。その方がどれだけがんばったのかは、機会があれば書こうと思います。先の日記を読んで、今、思い出したのは、その方の笑顔。 * * *人には様々な悩みがありますね。実はとるに足らないことだったとしても、その人にとっては大きな悩み。それはそれでいいと思う。悩んで苦しんでいる人を前にして『そんなことくらいで』というほど、傲慢なことはない、とわたしは思います。ただ、誤解をされる危険を冒して言うならば、例えばそれがあまりに『大きな悩み』であったとしても、直接命に関わらない全ての悩みは大したことではない、と思っています。わたしはその後、医療事故で口の神経を切られ、歯茎や下唇の半分の感覚を失いましたが、フルートが吹けなくなったときには『もう死んじゃってもいいかな』と(スミマセン、その時は)思ってしまいました。そんなときに、自分を助けてくれたのは先述の生徒さんの、とことんがんばっていた姿でした。命をかけてがんばっている姿を、まざまざと、目にしてしまったら。命がなくなるかもしれないこと以外にほんとに大変なことなどない、ように思えるのです。『命がなくなるかもしれないとき』は、必ず訪れますね。わたしは、今それを想像すると、とてもコワイです。だけど、それがいつ来たとしても、自分がいなくなった後、誰かがわたしを思い出すとして、その人の思い出すわたしの顔が、どうか笑顔でありますよう。願わくば笑顔でありますよう。オヤスミナサイ。日記、ダイアリー
2006.04.25
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おはようございます。厳密には、『朝ごはん』とは言えないのかもわかりませんが、今朝の朝食は『辛子蓮根』そして、いつもの珈琲(今週は豆から挽いています)。もしかして…お叱りが、来そう?『朝食に非ずや~』(彦摩呂風)。『六カ国協議や~』(意味不明、最近のわたしの口グセ)。賞味期限が一昨日で切れてたんです、これ。お肉・お魚以外なら、賞味期限が切れたからとてあまり気にはしませんが、やっぱりなるべく早く食べてしまいたくて。今、うちには賞味期限の切れた食材がいくつかゴロゴロしています。焼きそば麺、玉子、鶏もも肉(あっ、これは昨日急いで焼きました)などなど。普段こんなことは、ないんですけれど。自分の中で、先週の土曜あたりから、日にちを一日間違えていたみたいです。今日は25日ですよね、わたし的には24日なんですけど。毎日、日記書いているのに。って、ちがうちがう、そんな話じゃなくて。『よーし、今日はこの蓮根の穴に辛子詰めてみるぞー♪テヘ♪』なんて素敵なことを、誰が考えたのだろう…っていうことを書きたかったのにぃ。(続きはまた後ほど…?)すみません。(蓮根画像も載せようと思って、書き始めたんですけれど、只今、画像が旅に出ておるようです) * * *こんにちは。画像が一枚、旅から帰ってきたようなので、こちらに。。オカエリ。。熊本土産です。わりと大きいですね。厚さ1cmくらいに切って、朝からせっせと食べて減らしています。昨晩も、『この穴に、なんで辛子を詰めようと思ったんやろーねー』という話になりまして。なんでですかねぇ。わたしだったら、思いつきませんよ。でも、そろそろ少し辛く(この場合は『ツラク』と読んでください)なってきました。もう、軽く10切れ以上食べています。外側の黄色い衣がいまいちかなーと思って、取って食べてもみましたが、そうすると辛子に直撃され、鼻がイタかった。美味しいです(これはちゃんと言っておかないと!)、確かに美味しいです、とても。美味しいけど。わたしほんとは2~3切れが限度なんです、誰か…助けてくださーい(←ごめん、菊江さんちょっと借りました)。ところで、辛子蓮根に詰まっている『辛子』は、所謂ひとつの『辛子』ではないのですよね。小麦粉味の辛子、みたいな味、しますよね。きんとん風、辛子というか。そうですよね、普通の辛子があんなに入っていたら罰ゲームですよね。…ところで、辛子茄子というのは、どこに辛子が詰まっているのですか? <終>食べ物、食品、食料品、飲食物
2006.04.25
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次男しまちゃんが貰われて、きっとしあわせに暮らしているころ、残った三匹~つれみ(母)、ともたろう(長男)、きくの(長女)~と人間三人もそれなりに、やっておりました。つれみときくのは、自ら『抱っこしてー』は好きだけど、『抱っこさせてー』は好まず、そこのところをよく把握していないわたしは、無邪気に抱っこしては爪を立てられ、それでも、また抱き上げては、齧られ、それでも(…もういいですか)。まだ20代前半のピチピチしたほっぺに爪を立てられたときは、びっくりしました。確かにこんな音がしたんですよ、『プチンッ』って。ハリがあるって、こういうことなんですね。これはつれみにやられました。それから、外でブラッシングをしていたら父が帰ってきまして、その、ぬお~という出現に驚き、パニクったのでしょう、後足(ここがポイント)でわたしの左手甲側、親指の下3センチ、『ドドドドー』と掘られました。手だと尖った爪で『シャッ』、これは大体一瞬で済みますよ、『イタッ』とは思うけど、それも一瞬。傷もわりと浅い。傷の風上にもおけない(いや、そこまでは)。しかし、足は爪が比較的丸いですね、これで『ドドドッ』といかれると、まるで耕された…ような跡になります。上唇の傷よりハッキリクッキリ!今でもアルコールが入ると赤く浮かび上がる、思い出の傷その2。これは、きくのにやられました。ともたろうは、というと。男の子なだけに、骨もガッシリ。クリクリッとしたブルーなアイがチャームポイントの真っ白ネコで、性格が明るく温厚。怖いもの知らず。掃除機をかけると決まってその先端にむしゃぶりついてきて、ゴーゴーという音と共にゴーゴー♪とはしゃぎます。何で覚えたか、ボール状のモノを投げると両手でキャッチ、そして咥えて持ってくる。投げると、また持ってくる、そしてまた持ってくる、そして(…もういいですね)。抱っこは何時でも、どんな状況下でもOK。『仕事は選ばない』がモットーだったわたしはその頃非常に忙しくしており、年間の休みは祝日のみ、いつも終電で帰宅、の日々を送っていましたが、夜中にコッソリ入ってくるわたしの後ろから、これまたコッソリ近付いて、気配を感じた瞬間、『おーんぶっ!』練習をしているところに、あちらからトコトコと近付いてきたともたろうと、ふと目が合った瞬間、『抱ーっこ!』どーん!(オモイです。)そして、肩に上がり、わたしの頭に両手を乗せて、最終形は肩車。これが、お得意のポーズです。体重は7キロほどでしたが、体も引き締まっており、すばらしい跳躍力ですね。そのお陰で、仕事用のスーツやワンピースが少しずつ綻びてゆくわけです。それから掌を鼻の前に出すと、ひたすら舐める、舐める舐める…『ネコと人間の信頼関係は、肉球を瞼の上に置けば分かる、そしてその生暖かさが心地よい』というような記事を、いつかどこかで読んだ気がして、実践しました。きくのは(お約束通り)尖ったちいちゃな爪を立て、つれみは徐々に妥協してくれた風、ともたろうは、いつ何時でもALL OK!生暖かい『ペト』が信頼の証。ともちゃん最高。みんな最高!と浮かれる人間がひとり。抱っこ、おんぶ、キャッチ、舐める、そして温厚。よく食べよく眠る。それが、ともたろうの全てでした。実際、こんなに健康的なネコなら何十歳までも長生きしてくれるのではないかと、思ったほどです。そうです、わたしさえ、きちんと気を配っていれば。ところで。犬の散歩に憧れて、ネコ三匹に紐をつけ、散歩に出たことがありました。5メートルもいかないうちに紐でグルグル巻きになり、わたしは一歩も動けなくなりました。仕方が無いので、紐をシッカと握ったまま、両足跳びで玄関に戻りました。ネコは、三匹一緒に散歩させないほうが良いですね。猫と暮らす
2006.04.24
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オーボエのフランソワ・ルルーさんが、こちらのプロ・オーケストラと共演するということで、聴きに行ってきました。ルルーさんの演奏を聴くのは、今回で2度目。初めて聴いたのは、フルートの高木綾子さんとのコンサートで、ルルーさんはよほど高木さんが気に入っていたのでしょう、ピッタリと寄り添い、『しあわせだな~、君といるときがいちばん~』と言わんばかりの表情で、難しいといわれるオーボエを、ヒャラヒャラ(←いとも簡単に、という意味を表現してみました、語彙が貧困ですが)と吹き飛ばし、『アヤコー、アヤコー(以下、フランス語、あるいは英語)』サービス精神も旺盛で、アンコールも充実。そんなルルーさんは、今回も健在、というより一層パワーアップしての登場でした。リヒャルト・シュトラウスの『オーボエ協奏曲 ニ長調』という曲は、穏やかな中にも『ちょ、ちょっと待ってクダサイ』というような、難しい技がちりばめられ、それがキラキラ~、キラキラ~と光っておりました。それをルルーさんが、いとも簡単にヒュルヒュル~、ヒュルヒュル~(表現変わりましたね)と、1800名入る広い会場の隅々までに、音の粒を降らせてゆきます。それに、ルルーさん、動きます、動きます。半径1メートルは必要ではないでしょうか。えと、まるで何かのステップを踏んでいるようですよ。こんなに動き回るソリストは、初めてです。クラシックのコンサートの楽しみ方、1.心地よい音楽に包まれ、寝る。2.なるべく2階などのテラス席を取り、演奏者の行動を観察する。3.曲を楽しむ。わたしのオススメはこんな感じ。『クラシックはちょっと…』という方、これを実践してみてください、(よほど変な演奏会でない限り)寝ることすら楽しく、曲が長いのも大して気にならなくなりますよ。それどころか、寝ずに聴けたらある種の達成感すら、味わうこともでき、『ヨシ!この次も!!』という気持ちになる(…と信じてみてください)。初めて聴く曲は大体寝てしまうのですけれど、今回はわたし、一睡もしませんでしたよ。協奏曲の直後、鳴り止まぬ拍手の中で、何度も何度も、何度もカーテンコールをしたルルーさんは『アリガトゴザイマス』(以下、英語か何か)『○★△~』(曲名)、ヒャラヒャラ~。そして、何度もカーテンコール後、『○★△~、アリトーキリギリス~』アンコール二曲目は『アリとキリギリス』という曲だったらしいです。アリとですね、キリギリスが、何か言ってましたよ。ほんとに。言ってた。面白かったー、ブラボーでした。すごい演奏家がこんなに楽しく演奏しているのだから、バックのオケも、これからはもう少し楽しく演奏してくれると、客としてはとてもうれしいですね。ルルーさんは、ほんとにしあわせそうに演奏をする方なのです。音を出すのがしあわせで、拍手が大好きなんですね、きっと。*そして今日のお気に入り*この方ですよー。この中にオーボエ協奏曲が入っています。しかし、リヒャルト・シュトラウスという人の曲は、何もかもこんなに難しいのでしょうか。。クラシック、CLASSIC
2006.04.24
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行ってきました、演奏会。オーボエの、フランソワ・ルルーさんという方の演奏を聴いてきました。素晴らしかった…それは、また別の話として。お豆の続きです。えっとね。おとぼけ豆って、こういうの。 左上の茶色の長方形は『とろりんとう』。これは、羽田で買いました。『浅草むぎとろ』というお店があるのかな。生地にとろろいも、お麩が入っているのだそうです。かりんとうのフワフワしたようなお菓子です。名前も良いでしょう?どちらも見た目は地味だけど、ちょこっと食べてはホワ~っと、ちょっとした幸せ気分になるお菓子でした。和菓子 追記:これは、さっき載せられなかった、『とろりんとう』の袋です。
2006.04.23
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麻布十番の豆源さんの、おとぼけ豆って、とても有名なんでしたっけ。わたしは、今回初めて知りました。お土産で頂いて、少しずつ食べてるけど、美味しいですね。くれた方の笑顔も浮かんできますね。オイシイ。。。では、演奏会に行ってきます。和菓子
2006.04.23
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バトル・ロワイアル、という映画をわたしが知ったのは、所謂ブームが去って2年程の後だったと思います。社会人になって10年、念願のビデオデッキといふものを手に入れたわたしは、早速近所のTSUTAYA会員になり、沢山の映画を小画面で観ました。ジョニー・デップ、ホリー・ハンター、コン・リー、ソン・ガンホ…好きな俳優さんはまだまだいますが、時折、不思議なことがありました。朝、起きると身に覚えのないビデオがある。どう見ても、わたしが借りたとは思えないものが。わたしは、松本清張と横溝正史以外のコワイ系に興味が無かったので。特にオカルトもの。一番驚いたのが、『リング』と『らせん』がセットで部屋にいらっしゃったとき、でしょうか。なにゆえ、ここに…?と思いましたね。前の晩にほろ酔い気分でTSUTAYAに行き、連れ帰ってきたのでしょうが記憶にない。やっぱり、朝一でこれらを目にすると、軽くゾッとします。バトル・ロワイアルもそんな風だったと思います。あれ?と思いつつ一応見まして。初めて、内容を知りました。その映画についてどうこう、というのはないですが、一言だけとても印象に残るセリフがありました。それは、柴咲コウさん扮する少女が級友に向かい、確かこう言うのです。『人にはそれぞれ事情があるの』 * * *わたしは、当時一緒に演奏の仕事をしていたピアノの女性を思いました。彼女はわたしの一回り上で(前述日記の先生とは別人)わたしが演奏の仕事をする上で最もお世話になった方です。普通、演奏の仕事は今月もらえた仕事分だけが、来月の生活費になります。ハコといわれる『決まった演奏場』を多く持たない限り、小遣い程度の収入にしかなりません。だから、それで生計を立てるのは至難のワザです。しかしこんなにボーっとした自分が、仕事をもらえて何となくやっていけたのは、周囲の方に恵まれたからだろうと思っています。彼女は、いろんな場面でわたしに声をかけてくださりました。一緒に事務所を回ったり、自分のギャラを半分にして仕事をまわしてくれたり。わたしもネコとの有意義な二人暮らしを送るべく、なるべくシャキーン!と印象良く見えて仕事を多くもらえるよう、がんばっていましたが、彼女は年老いたお母さんとの二人の生活を支えるため、そして、何より好きなピアノで食べていくため、寝る間も惜しんで動いていました。ある時、彼女の新しいお弟子さんがわたしたちのレストランでの仕事を見学に来ました。そのお弟子さんは主婦の方でしたが、ピアノで仕事をしてみたい、ということで彼女についたそうです。終わって三人で帰る車の中、そのお弟子さんはわたしたちにこう言いました『お二人はいいですね、上品で、どこかのお嬢様みたいで』そして『わたしなんか…(以下略)』うんうん、とお弟子さんの話を聞き、じゃあがんばってねーと。お弟子さんが去ってから彼女は、こう言いました。『サクちゃーん(わたしのこと)、わたしたちって苦労知らずのお嬢様に見えるらしいよー、よかったねー、うれしいねー』はい、全く仰る通りで。わたしもうれしかったですし。『きゃー、わたしたちお嬢なんですねー』と二人、(その夜は)はしゃぎ(すぎ)ました。お客さまにとっては、その演奏者が普段どれだけ苦労をしているかなど、どうでも良いことです。演奏には個性がなければならないと思いますが、表情に別なものが見えてはいけません。どれだけの苦労も人に見せずにひたすらピアノを弾き続けた、その頃の彼女を、わたしは大好きでした。その健気さを尊敬しました。映画では別な意味合いがあるのかもしれません。しかし、このセリフはそんな彼女を、思い出させます。彼女やわたしや、あのひと、このひと…わたしにとっての、名言です。日記、ダイアリー
2006.04.20
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先日の日・月曜で、東京に行ってきました。わたしにとっては4度目の東京。東京といえば、人は多いし、交通機関も入り乱れていて、わたしなどがうかつに出歩けば悪い人に捕まって、犯罪に巻き込まれ、どこかへ売り飛ばされるかも…というイメージでしたから。今迄はいつも夫の後をフラフラついて行くだけ、そうすれば黙っていても切符は出てくるし、乗り換えも困らない。以前、大阪に2度、一人で出かけたことがありますが、地下街を壁の広告を見ながら歩いていたときに、ふと立ち止まったら後から勢いよく人がぶつかってきました。それで、むやみに立ち止まってはいけない、ということを学びました。大阪でもそうなのだから、東京などはもっと。きっと…と思いました。だから、3度目までは、全て夫任せ。でも、今回の東京行きの前に、わたしたちは初めてのヨーロッパ旅行というものをしたのです。中欧の街では、場所が分からなくなっても、一部の店を除いては訊けない。看板の文字は、ほぼ読めない。でも、何とかなった。それから考えれば、東京なんて全然こわくないやん。読めるし。訊けるし。そう思いました。月曜は夫が会議に出席だったので、その時間を利用して、東京に引っ越した友人と会うことにしていました。夫が霞ヶ関で降りた後、わたしは、目指す銀座・三越ライオン前まで、初めての単独行動をしました。先ず、銀座で電車を降りる。本当は先頭車両に乗れと言われていたのに、後から二番目の車両に乗ってしまったので、ホームをしばらく歩いてから、階段を上がることにしました。電車を降りてから、割と長い距離を歩きました。上がってきてから、三越付近の出口を探すとAの7とか8とかだということが分かり、矢印の方向へ更に歩いて行ったのですが…分からなくなりました。矢印の絵がどの方向を指しているのか。『こっち』と思って、階段を降りたら、またホームがありました。多分、電車に乗るのは違うだろうと思って、上がってきました。Aの7、Aの8…よく見ると、手すりというか、柵(というか)の向こうに、目指すA8出口の矢印がある。柵を越えなければ。でも、越えられない。一体、どう行けばあっち側に行けるのだろう。約束のライオンはすぐそこ(の筈)なのに。ものすごく悩んで、心細くて泣きそうになったので、そこにいる係りのおじちゃんに訊きました。『Aの7とか8とかの出口に行きたいんですけど』そしたら、おじちゃんはそこの改札口を指して、『ここを出て右に曲がって』と言いました。えー、でも自動改札なんか入ったらきっと止められるよ、腰のあたりにパキャーンって、西部劇に出てくる店の扉のような、あれが、きっと。だから、改札口に近付いては戻り、また、近付いては戻り、マゴマゴしていたわたしに、おじちゃんが更に『そこを通って』と。そんな、無理ですー、と言いかけて、ふと自分の右手がしっかと握り締めているものに気付いたのです。…切符、あっ。何のことはない…おじちゃんは、出口に行きたければとりあえず改札口を出なさい、と教えてくれていたのですね。長く歩いている間に、わたしは改札をしていなかったことをすっかり忘れてしまっていたのです。切符を自動改札口に入れると、いともあっさり、それは吸い込まれ、わたしは難なく柵の外側へと抜けました。おじちゃん、ありがと。そしてめでたく友人とライオン前で再会することが出来、その後2人して今度は『切符だけ入れて改札を通らなかった』(その場合は、駅員さんに言えば、切符を入れた改札を開けて切符を探し出してくれて、もう一度通ることができますよ)ということをやってしまうのですが。やっぱり、何事も経験しないとですね。駅員さん、ごめんなさい。しかし、慣れない2人でウロウロしたことによって、『東京は大してこわくない』という自信がつきました。それで、今回学んだことといえば。改札を制すれば、地下鉄を制す。ズバリ、これで決まりでしょう。あー、次が楽しみだなー。日記、ダイアリー
2006.04.19
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危機一髪のところで、帝王切開により無事出産したつれみと仔猫たち、計4つの大切な命を抱いて、大人3人とネコ4匹の共同生活が始まりました。手乗り系鳥類以外の生き物を住まわせた経験のない家に、ある日突然ネコがやってくる、ウロウロ勝手に歩き回っては毛を落とす。勝手に脱走して帰ってきては、今度は子供を産んで、半年も経たないうちに一気にネコ人口が4倍に増えてしまった。潔癖症の母にとっては、おそらく一大事だったことでしょう。しかし、人間、年をとっても環境に適応することは十分可能なのですね。絨毯をガムテープでペタペタ作業…は続いたものの、つれみ親子は十分、この狭い家の住人として認めてもらえていたようです。時には、『こうすれば落ちる前に取れる』と言って、直にガムテープをつれみの背に貼っては『フーッ』と怒られてみたり…(な、なんてことを)。ネコたちは、家の狭さを大して気に留めるでもなく。掌サイズの仔猫たち『しま・きくの・ともたろう』は、あまりにもすくすくと育っていくようでした。初めは同じ大きさだったのに、男の子である、しま・ともたろうはだんだん骨太に、きくのは、つれみより線の細い、かわいらしい女の子に成長してゆきます。そして、つれみはというと~こんなにも性格が変わるものかとわたしは驚いたのです~どこから見ても、母の顔。その落ち着きは、一体どこで、拾ッテキタノデスカ?仔猫を見守る、立派な母ネコになっているのです。当たり前な話ですが、過保護でもなく放任でもなく、生き物が生き物としての流れに逆らわず生きている本来の姿を目にすることによって、この家の住人たちも癒されていたのかもしれません。ネコ親子はますます元気。日中は4匹でゴロ寝。時々走って、またゴロ寝。夜は3畳の部屋で1人と4匹で…ネコは夜行性と聞きますが、夜中じゅう活動しているわけではないのでしょう、しかしわたしが寝る時間にはいつも元気いっぱい。ある夜などは『寝るよ、オヤスミー』とわたしが横になった途端、脚から頭に向かって4匹がダーッと駆け上がってきたことがありました。一体、何がしたかったのでしょう。マンガならば確実に足跡だらけになっている状態、駆け上がった拍子に、誰かの足がわたしの口にズボッ。その後から走ってきた誰かの爪が、わたしの上唇の山の部分にグサッ。…以前飼っていたハムスターに耳を齧られて以来の大流血沙汰で、13年ほど経った今でも、思い出の傷跡が残っています。ところで。きくのとともたろうは、真っ白。しまは、白地に耳と鼻のところがグレーっぽいアクセントのある仔猫でした。そんな、しまを欲しい、という人が現れました。そういえば、つれみが初めからお世話になっていた病院のチェーン店が、車で20分ほどの所にあり、そこの掲示板に『もらってください』を、出していたのです。でも、なかなか貰い手は見つかりにくいということを聞いて、正直そのまま忘れていたような状態でした。忘れた頃に、貰い手が現れました。1人暮らしの、若い女の子でした。連絡を受け、実際に見に来た彼女はしまをひと目で気に入り、ニコニコ笑いながら、そのまま籠に入ったしまを連れて帰りました。しまはきっと、彼女と仲良く暮らしたことでしょう。可愛がってもらったことでしょう。そう思っていても、ずーっと引っかかっている気持ちが何だったのか、わたしは後から気付いたのでした。気付いて、すごくおかしくってかなしくなりました。わたしは、しまを手放したくなかったのでした。育てるのが楽だったわけではありません、確かに複数のネコを世話するのは楽じゃなかったけれど。つれみの子供を、1匹たりとも手放したくなかったのでした。わたしは、つれみ親子とずっと一緒にいたかったのでした。しまが連れられて行くその時に、気付いたのです。しまを見送りながらわたしは、後から、後からポロポロと、涙がこぼれて仕方がなかったのです。猫と暮らす
2006.04.18
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帰ってきました。『私はファー(毛皮)を買いません』バナーに立ち止まってくださった皆さん、ありがとうございます。わたしも偶然知った、この輪がどんどん広がってゆけばよいと思います。小さな命が、かなしくむしり取られてゆくのは嫌です。わたしのできることは小さなことだけかもしれませんが、小さなことでも、できることはやってゆきたい。沢山の人に立ち止まってもらえればいい。おやすみなさい。日記、ダイアリー猫と暮らす
2006.04.17
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もう明日になってしまったけれど、今日は(ええぃ、ややこしぃ)、15日(土)は仕事とオケで、帰り着いた今、思考力も停止しかかっているようです。ところで、ブログを立ち上げたときに、『日記は毎日書く』を目標にしてみました。だけど、明日・明後日は留守にします。だから今、書きます。あまり時間がないけど。とはいえ、思考停止しかかり状態のわたしの日記などを、長々と読んでいただこうとは思いません。今日は、せっかく来てくださった皆さまにお願いをしようと思いました。わたしのトップページの一番上に『わたしはファー(毛皮)を買いません』というバナーがあります。ご存知の方も多いかとも思います。そして、ご存じない方も多いかもしれません。もし、お時間がありましたら、どうぞここをクリックして、その先にある文章を、少し読んでください。わたしの拙き文章を読むより、ずっと…ありがとうございました。オヤスミナサイ。日記、ダイアリー
2006.04.15
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猫の机さん主催の白猫ツアーに、つれみ初参加させてもらいました。とにかく、楽しそうな旅行で、その様子を見たわたしは思わずジン…と胸が熱くなりました。ありがとう、机さん。その旅行がこれ!ここをポチッと…みたいなリンク技を使えない自分がカナシイ…ので、もし覗きに行ってみよう♪と思われた方はなんとかして行ってみてください。楽しいですヨ。もし、技を使えるようになったら、載せます。記念写真がいただけるというので、早速貰ってきて、じぶんのPCのデスクトップの背景にいたしました。ものすごい賑やかなことになっちゃってます。それがこれ!↓ ←とりあえずこれはできる。うーん…ご満悦。では、ちょっとお仕事してきます。白猫が好き☆後日記:猫の机さん…もしかして、リンクできてます…?す、すごい。
2006.04.15
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昨日の不調は半分お天気のせい…ということにしましたが、早く新しい頭部管に慣れたいので、今日もシルバーを中心に音出しすることにしました。しばらく吹いていましたが、パールよりサンキョウの方が、リングキーの穴が、すごく大きく感じる。キーに指の腹を乗せているつもりが、薬指あたりが、時々ズボ、と(そ、そんなバカな)。ほんの少しの違いかもしれないけれど、明らかにハマっているみたい。前はそんなこと、感じてなかった。いや、感じていないのではなくて、差し支えなかったのでしょう。いきなり指先が小さくなるわけはないし、同じように吹いているつもりでいても、持ち方などが少しずつ変化しているのかも。ほんの少し、どこかの力加減などが変わっただけで、どこかの指が動きにくくなったりする。悪いクセはつくのは簡単だけど正すのは難しい、気をつけよう。それで、鳴りの方はというと、響きがいまいち。こもって聴こえる。多分、ポイントがちょっとずれているんだろう。それと、オーバーホール後の狂いが出てきているのかもしれない。ともあれ、これからしっかり鳴らしていこう、楽しみです。金さんとピッコロたちは、昨日より調子が良いようでした。調子に乗って吹いていたら、下唇の真ん中が割れてくる気配がしたので、強制終了。どこかに絶対割れないめちゃくちゃ強力なリップクリーム、ないかなぁ…フルート
2006.04.14
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今の師匠のことです。師匠は昨年、60歳になりました。生徒たちの熱いリクエストにお応えして、還暦記念コンサートをしてくれました。師匠は普通の元気なおばちゃんみたいなヒトです。時々は、元気がなくなったりもするヒトです。体の不調もあるし、家族の悩みだってある。フルートだけ吹いていればヨイ、というわけではありません。ちょっぴりお洒落な、所謂、普通のおばちゃんです。レッスンの途中、要介護の親御さんの手伝いでちょいと席を外されることもありました。もちろんすぐ戻って来られますけれども。そんなこんなの中で、コンサートに向けて練習を続けて。『練習する時間がないわー』なんて言葉も、時々聞きながら。多分、ほんとに時間は無かったと思います。しかし、そんな師匠はやはりプロでありました。わたしの憧れてやまない美しい音で、いつ練習したのか(ゴメンなさい、先生)、次から次へと美しいメロディーを奏でてゆかれます。師匠の音は、例えていえば、『爽やかな春風のような音色』なのです。音、というものの一番上の上澄みをこう、すくい取ったような音なのです。ヨーグルトでいえば、乳清…みたいな。そしてキラキラと輝いているのです。美しい力、が溢れているような。そして、どこまでも飛んでいくのです。こんな美しい響きを持ったヒトを、わたしは他に知りません。わたしはジャンルによっては、あえて潰したような音も好きです。ただ、師匠の音色にはいつも心洗われます。忙しさから、何度かレッスンを止めようと思ったけれど、この音色を聴くと次も来たくなる。月3回が2回になり、今は1回がやっとになったけれど、これからも通い続けます。そんな師匠は、最近体の調子が上向き加減のようで。久しぶりに街を歩き回ったり、温泉に行ったりと、好調のようで。うれしいです。ずーっと、お元気で。キラキラした音色を聴かせてください。わたしのお願いです。。フルート
2006.04.14
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今日はすっきりしないお天気のせいか、楽器の音の出もいまいちなようで…(いや、それは違うでしょう)そうね、そうよね。ちょっぴり切ないわたしは、また日記を書くことにしました。ここは、一日に5件まで記事を投稿できるのですか、すごいですね。軽く驚いています。しかし、5件は無理ですよぅ。ネタがありませんもの。でも、いつかチャレンジしてみようかなァ。。 …ッテ、ブツブツイッテイルヒマガアッタラ練習シニャサレ。と、あいかわらずフルートケースの上にアゴを乗せたままのネコに言われてる気がした…はい。ということで、今日はピカピカに磨いて仕舞いましょう。本日の練習、これにて終了♪日記、ダイアリー
2006.04.13
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昨日は月1のレッスン日でした。レッスンを受けると、今の自分の体力がどんなものかが、わかります。風邪が長引いたりなんだりで、出歩くことも少なかったせいか、昨日は10分でフラフラッときました。情けない…なんとかエチュードは一曲合格できましたが(先生、わたしの体力どこに行っちゃったんでしょう)、やはり切ない。来月には、体調整えてまたがんばろう。ところで、自分の4本目と3本目の楽器をわたしは『金さん、銀さん』と呼んでいるのですが(パール50周年記念モデルの、とか長くて言ってられないので)、その『銀さん』(サンキョウのセミハンドメイド)に新しい頭部管を見つけました。数年前に銀さんの頭部管だけ人に譲って本体はそのまま眠らせていたのだけれど、使わないと楽器はオーロラ姫の如く深い、深い眠りに入ってしまいます。そして、簡単には起きません。そこで、更に食費を切り詰める覚悟でオーバーホール(消耗品等、総取替え。リフォームといいますか…とにかくとことん良い状態にしてもらえるのです)に出し、不死鳥の如く蘇った銀さんに、これまた私財を投げ打って、新しい頭部管をつける覚悟をいたしました。ちょうど良いのがありました。サンキョウ、ピュアシルバー。の、頭部管。普通のシルバーフルートは銀の割合が92.5%、他にも97~98%くらいの割合の楽器も作られていますが、これは…えっと、99%かな。強化銀、というそうです。シルバーアクセサリーと同じ割合の銀だそうです。要するに、輪切りにすれば、本当にシルバーの指輪がいっぱい出来る材質、らしいのだ。925の同じタイプのものより2万円高い。きゃー。これは大きいよー、大きすぎるよー。この、2万円増し…が最後まで引っかかって悩んだのですが、一時間ほど吹き比べて悩んだ挙句、やっぱりピュアシルバーにしました。だって、音の深さが全然ちがうのですもの。それが、これ。 ←ふつつか者ですが、どうぞ末永く宜しくお願いいたしマス…と、先ずは挨拶をしまして。昨日は、バッタリ寝てしまいました。フルートは体力使います。。 ←何年かぶりに、二人仲良く並んだ絵。うれしいな。おかえり、銀さん。…さあ、がんばりましょう。フルート*そして今日のお気に入り**←この頭部管ですよー*そして同じくサンキョウの、木製フルート。素朴な音色が素敵ですが、わたしには大きかった…重かった…これが吹ける人がとてもウラヤマシイのです。
2006.04.13
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彼女は以前の事故で、右足が曲がらなくなりました。見た目はその傷が一番悲惨だったですけれど、普段見えない部分でもっと大きな怪我をしており、レントゲン写真を撮ると、彼女の骨盤の真ん中には小さなネジがついています。しかし普通に生活する分には支障もなく、わたしよりも環境への適応能力は上ではないかと思われるほど。しかし。出産となると話は別になるようで、主治医の先生からは『赤ちゃんの数が多ければまだ良いのですが、3匹だと微妙なところ』だというお話をされました。どういうことかというと、『入っている赤ちゃんの数が多ければ、一個体辺りの頭の大きさがそんなに大きくならなくてもすむかもしれない』わけで、『そうすれば、骨盤の開きが小さくても自力での出産ができるかもしれない』という、『かもしれない』話です。で、三匹であるこの現状は100%手放しで喜べる状態ではないということで、その場合どうすればよいのか、どのような出産になるのか…丁寧に説明してくださった…筈なのですけれど、覚えていません。くどいようですが、わたしは外科的話に非常に弱いのです。とりあえず『何かあったら病院へ』ということだけ肝に銘じて(あぁ、頼りなくてゴメン)、わたしは彼女を日々見つめてゆきました。そうしてどれくらいの日数が過ぎたでしょうか、いつものように『オハヨー』と見たら、お尻の辺りから黒いような風船のような…そんな感じの『なにやら』が見えております。これは出産ダ、とわたしでも分かりました。とうとう産まれるぞー、わーい。初めてのネコの出産に立ち会える喜びに、ドキドキやらワクワクやらで、その時は先生が仰った危険性のことなど、わたしの頭からはすっ飛んでいました。そして、その『なにやら』が見えたまま、彼女はジッと動かないまま、1時間経ち、2時間経ち、昼を過ぎた時、わたしはやっと気付いたのです。『何かあったら病院へ』の『何か』が、あってるんじゃないだろうか。それはまさに『今』なのではないか?そこに気付いた途端、それまでのドキドキが一瞬にして別なドキドキに変わってしまった。すぐさま、病院へ。と言っても車で1時間かかる。その時は既に、グッタリとしか見えない彼女を乗せ、先生の元へひた走りました。病院に駆け込み、診察を受け、すぐさま帝王切開。もう少し遅かったら、きっと悔やんでも悔やみきれなかったことでしょう。かくて、3匹の新しい命が誕生しました。7月1日。何とか無事に。彼女も何とか無事に。よくがんばったね。ごめんね、つれみ。朝、あの姿にわたしが気付いてから、6時間が経っていました。ついでに避妊手術もしてもらい、彼女の別名はこの日から『はちまんネコ』に変わります。つれみのこども。2匹は真っ白。もう1匹は真っ白に耳のフチがちょっぴりグレーっぽい。掌にチョンと乗る大きさ。かわいいですね。ほんとにちいさくて、守ってあげたくなる姿ですね。4匹を乗せた車は、帰りはヨイヨイと走り去ってゆくのでした。。。猫と暮らす*そして今日のお気に入り**先日、我が家に仲間入りしたデジカメさん、思わずネコ写したくなりマスよ**デジさんのケースですよ、次はこれホシイ…*
2006.04.12
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遠い日のことも、近い日のこともあまり覚えてはおりませぬ。記憶力がよくないのです。だからひょんなことからネコとの日々を書き始めましたが、すぐに煮詰まるだろうと半ば思っておったのです。でも、ネコとの日々は書いてゆく端から次々思い出されてゆくのです。このまま、つれみがいなくなるところまでわたしは書いてゆくのかなァ。。 そんなトコにアゴのせてないで、時には答えておくれまし。。
2006.04.11
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これまでを読んでくださった方々はもう大体お分かりかと思うのですが、わたしは『一瞬、現実逃避』というのを、よくします。事実が自分の中に染み通るまで、少しばかり時間がかかるのです。大切な楽器をバスに置き忘れて帰宅した時も、明らかに軽いバッグの中に『ここに入っている筈だから』と念じて…寝る(そして次の日、やっぱり無いことを自覚して、探しまくる。最後は警察署に引き取りに行きました)。やっと買ったメガネをジャージの後ポケットに入れたまま、寝ようとして『ガチャ』という音を聞き、『これは夢だから、明日になったら元通り♪』と信じて、寝る(レンズは五分割になっていました)。次に引っ越した先のベランダに置いた洗濯機の後で、ハトがお亡くなりに…いえこれはまた別の話、にいたしましょう。そういうわけで、母が言った何気ない一言も、わたしはとりあえず流してみました。『そうかなー、気のせいやないとー』『但し、猫は一匹まで』という条件に合わなくなるからです。初めは本当に気のせいだったら良い、と思いました。三畳の部屋に人間が一人、ネコがゴロゴロ…そんなのが果たして可能だろうか。髪の毛一本でも落ちていると嫌がり、つれみの歩いた後をガムテープでペタペタやっている母が、複数のネコに耐えられるのだろうか。しかし、母の疑問には応えなければならず、且つ、どう見てもつれみのお腹は良い感じで丸くなってきている…気のせいと誤魔化しているわけにもいかず、病院に連れて行きました。久々にお会いした先生が、あの時と同じように優しく説明してくださりました。『三匹、いますねぇ』そうですか、三匹。うれしい。でも、親に言わなきゃと思うと、複雑だ。黙っていてもしょうがないので、言いました。親の応えは、予期していた通り『中絶せなね、無理やもん』。うん…そうやね。しかし、親は分かっていたかもしれません。わたしが黙って言うことをきくような娘ではないと。初めから『産ませる』以外の選択は考えていない、と分かっていて、とりあえず言ってみただけだったのかも。初めに湧き上がった不安要素も、自分の中では勝手に解決させていました。『ネコには環境に慣れさせる、母も環境に慣れさせる』…以上。勿論、母にそんな宣言をするはずもなく、軽くお茶を濁しながら毎日が過ぎてゆきました。つれみは順調に丸々と、穏やかに、ただ寝てるだけ(いいなーネコは)。網戸の外をふと見ると、ナイスガイのトラ吉くんがそこに佇む。なんといいますか…これぞ幸せ、という絵。ただ一つだけ、不安要素はありました。つれみは、以前の大怪我により骨盤をネジで留めているので、殆ど開きません。だからあまり赤ちゃんが育っていると、自力での出産が出来ないのです。そうすると、危険です。猫と暮らす
2006.04.11
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今日も珈琲を飲んでいます。社会人になって、珈琲の美味しさを初めて知りました。それを教えてくれたのは、音楽教室の、一回り上のピアノの先生。空き時間になるとフラフラ出歩いていたわたしを、先生が好んで行くという珈琲専門店に連れていって下さり、そこで初めてわたしは『ブレンドとアメリカン以外のメニュー』というのを目にしたのですが全く分からなかった。そこで先生がいつも飲んでいるという『ストロング』を頼んでみました。濃かった、苦かった。でも、嫌いじゃなかった。落ち着いた雰囲気で、これが好きなのよね、と言い、そして素敵なジャズを聴かせてくれる大人な先生がとても格好良く見え、わたしも心底からこれが好きと言えるようになりたいと思いました。良いと思ったことは、とりあえず真似てみよ(モットー)。あれから10年以上経ち、好きな飲み物は『ホットコーヒー』と胸張って言える珈琲好きに成長?しましたが、自分でいれる珈琲の味に、いまひとつ満足いきません。先日、久しぶりに先生がうちへ遊びに来てくれました。わたしたちは長時間、いろんな話をしました。その時にわたしがいれた珈琲を、一口飲んで先生は『美味しいね』と言いました。『こんな珈琲が毎日飲めるなんて、幸せよ』。『幸せよ』。そして、わたしは今日も自分でいれた珈琲を飲んでいます。幸せだなぁと思います。*そして今日のお気に入り**初めてコピーをして演奏したのが、このアルバム(中川昌三「ウインター・モーメンツ」)の中のモルダウです、楽しかった*
2006.04.10
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オケをやっているからといって、クラシック大好き♪というわけではありません。もちろん、嫌いではやっていけませんが、音楽も嗜好品のひとつだと思うのでいろいろ試してみたくって、明らかに体が受け付けないもの以外はなんでも、聴きました。その中で、わたしが特に心動かされるのは、ブラジル音楽やジャズ、キューバ音楽かなぁと思います。クラシックも入れておこうかな。それで、わたしはフルートをやるので、どうしてもそれ中心に聴いてしまいます。それで、大好きなボサノヴァなどについて語ろうとしているのではなく…今年の演奏会で『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯』という曲をやります。リヒャルト・シュトラウス作曲の交響詩、16分くらいですか。正確ではないかもしれませんが『のだめカンタービレ』の8巻くらいに、オレ様千秋が振っていると思います。自分がやると思ってないので、あっさり通り過ぎた記憶があります。この曲について、困っていました。先ず、タイトルが覚えられない。カタカナが長すぎて。いくら確かめても、次に聞かれると忘れてしまう『今度、何やるの?』『えーと、ティル…なんたらかんたらの、なんとかってやつ』『ティルなんとかコンツェルンとかいうやつ』とうとうスケジュール帳の一番上に書きました。そうだった…わたしは、英単語も書いて覚えていたっけ。これで、ひとつクリア。もう、言えます。もうひとつ。主人公のいたずら好きのティルさんの物語があるらしいです、どこかの国の。日本でいう、花咲かじいさん、みたいな。悪戯物(そんな分類があったのか)として、とても有名なんだそうです。いろいろと悪戯をするさまが、ほんとに良く描かれているなァと思うのですが、最後がいけません(あくまでもわたし的にです)。おぉ、いけません。絞首刑になってしまうのですよ、その描写がリアルすぎて、その場面に近づくと気が重~くなってしまうのです。絞首台への行進があり、ティルの悲鳴が聞こえ、吊られて心臓が鼓動を弱めて…今、止まった…で、『昔、そんな話がありましたとさ』みたいな感じで終わります。えー、やです、そんなの。と、ワガママ言ったってはじまりませんが、とにかく切ない。曲が難しくて、出来なくて、悲しくなるのは日常茶飯事ですが、この曲は+αな悲しみがついてまわります。だから、最初大っキライでした。けど最近、ふっと気が付くとこの『ティルのテーマ』を口ずさんでいるわたしが居ります。悲しんでいるうちに、馴染んできたみたいです。元気なティルの、駆け回る姿を想像しながら、演奏しようかな。*そして今日のお気に入り**わたしはのだめの耳がホシイ…*オーケストラ
2006.04.09
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わたしの実家を簡単な一言で表すと『ボロい、平屋建て』です。『家はボロくても、部屋は美しく』それがモットーの母は無類のキレイ好きで、髪の毛一本でも落ちていたら掃除をしなおすような人なのですが、そんな人が『ネコ付きでよいから帰ってきて~』と言うのだから、ここで帰らにゃ、何かがスタる…ような気がしまして。他県の大学に入った妹のいなくなった三畳の部屋に、わたしはつれみと共にすっぽりと収まってみました。ちと狭い、以外は特に問題ナシ。新居に入った彼女は、低姿勢でヒクヒクとやったかと思うと、ササササーッとベッドの下に潜り込んで実に9時間、出てきませんでした。さすがネコ!そうでなくちゃ。と放っておいたら、9時間後、何事も無かったように出てきて白い腹をみせてゴロゴロやり始めました。人間と暮らし始めて、ネコの性格もだいぶ変わってきたようです。それにしても、腹を見せるなんて…馴染みすぎ。そうして、今回もまたわたしは彼女に油断してしまったのでした。…というより、何故あんなところに穴がある?二日目の夕方、さっきまでゴロゴロと転がっていた彼女にごはんー♪と言ってみると、いません。狭い部屋の中、どこにも彼女の姿はありません。声も…聞こえません。またもや現実逃避したくなった自分を、ちょいと抑えてもう一度だけ、家の中隅々見回しましたら…電話器の上の窓、そこは外れない網戸が張ってあって、その網戸の左下部分に白い毛が。網戸の隅っこ、破れてるよ~ょ~ょ~勿論、外に出て探しましたが、既に真っ暗な夜。しかもまだ引っ越して二日目。今度こそは、本当にダメだと思いました。今度こそは、確実に迷子になるだろうと。どこかで優しい人が助けてくれればよいけれど。でも、あぁダメだ、そんなに人馴れしてないはずだから。お腹もすくだろうに。辛い、辛すぎるよぅ。なので、今夜は寝てしまおう。辛くても、やっぱり寝るのでした。次の日、話を聞いた近所の子供が『ボクも手伝うヨー』と、一緒に探してくれました。とても、ありがたかった。そして本当に見つけてしまうから、すごいです。魔法の杖を持っていますね、子供は。見つけてくれたんです、つれみを。『ネコがおったヨー』という報告を受け、その草むらにそーっと見に行くと…いました。いましたょ。10mほど先に。まぎれもなく。よかった…少年よ、ありがとう。と思ったのも束の間、よほど嬉しかったのでしょう、少年は白いネコに向かってハシャギナガラ、ハシッテイッタ、ノデス…うわ~ん。より遠い場所に逃げられたのは確実。あっという間に逃げられまして、わたしたちはしばらく言葉も出ず…。『いいョ、いいョ』と慰めるのがやっとでしたが。きっとわたしたちの願いと、ネコの本能が不可能を可能にしたのではないかと、まことに大げさですけれど、そう思っちゃあいけませんか?更にその二日後。母が言うには『朝、五時半頃ね、お母さんが外ば箒で、はわきよったったぃ、そしたら、つれみが歩いてきてね、その後ろからトラネコが一匹おって、ビックリしてドアば開けたら、つれみは入っていったと』。母よ…ありがとう。つれみよ…おかえり。少しだけ野生的な美しさを増した彼女は、その後脱走することもなくゴロゴロと平和に暮らすのですが、あの朝帰りのときに一緒にいたトラネコさんが、つれみに、そしてわたしに素晴らしいプレゼントをしてくれていたなど、全く気付いていないのは…やっぱり、わたしだけだったのでしょうね。そしてある日、キレイ好きな母に言われるのでした。『つれみさん、最近太ってきよらんね』…はい? 猫と暮らす
2006.04.08
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一人暮らしの友は、初めはハムスターでした。初代がまれ、二代目がいまるという名のハムスター。このいまるちゃんについて。ペットショップで店員さんに、笑われるのを承知で『噛み付かないハムスターが良いんですけれど…』と言ったところ、一押しだったのがいまる。『このコはぜったいに噛み付きませんよー』…そんなハムスターもいるんですね。大柄で丸々と可愛らしい、いまるを即決で連れ帰ってきました。ペットショップで、大柄な丸々とした、しかも噛み付かないというお墨付きのハムスター…って、もともと『お年寄り』だったのかもしれませんけれども。かわいかったですねぇ、ほんとうに。ほんとうに。初代のまれちゃんなら絶対噛むだろう…という場面でもおとなしく、モグモグしているだけ。もともとあまり学習能力のないわたしは、まれの鼻先に指を出しては噛まれ、そしてまた指を出しては噛まれ、頭に乗せてはとうとう耳を噛まれ(耳は出血量多いですから…)。それでも、喜ぶ毎日だったのです。だから、絶対噛まないいまるなどは、何というか…ワンダフルの一語です。そんないまるが亡くなりました。いつものように暖かくして『オヤスミー』と言って寝たのに、朝『オハヨー、いまる』と見たら、冷たくなっていました。うちに連れてきて2週間目の朝でした…あのぅ、こんなこと言ったら薄情者と思われるかもしれませんが…悲しいというより(もちろんとても悲しいんだけれども)驚きが大きかったです。『あれ?どうしてなん?』。あまりにも、気持ち良さそうに眠って見えたからなのかどうか、わからないですけれども。ハムスターの寿命って5~6年でしたっけ。全うしているようにも、見えました。その日は、友人が紹介してくれた感じの良い青年と初めて二人で会おうと、約束をしていた日でもありました。そんな大切なイベントと天秤にかけて悩むこともなく、先方に本日のキャンセルの連絡をすると、いまるのお墓探しを始めました、というのは、わたしは下宿生活を送っていたので自由に使える土が無かったのです。いろいろ考えて、結局バイト先のおばちゃんの家の庭に埋めさせてもらうことにしました。ハンカチに包んで連れて行ったのですが、埋めるときにおばちゃんは『ハンカチはとっておいてね、土に還りにくいから』と言いました、そこは花壇なのでいまるの上に植物を育てるわけです。さすが、おばちゃん。一瞬『えっ、そんな…』と思ったのですが、いまるはそうして土に還って植物の成長のお役に立つかもしれないのです、なんか自然だなぁ、と。湿っぽくならなかったのはおばちゃんのお陰かもしれないと思いました。ところでキャンセルした相手の青年が、わたしの友人に言ったそうです。『なんでハムスターが死んだくらいで、会うのがキャンセルになってしまうのか理解できない』だって。そっか、分からない人もいるんだー、と不思議な気持ちになったのを覚えています。
2006.04.07
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彼女が脱走したぽかぽか陽気の日は、高校の同級生の結婚式の日でもありました。 いついつにどこどこで結婚します、きてね♪というお便りは、ネコが脱走したからとてドタキャンできる種類のものではないことは、今ならば、分かります。いえ、普通は分かっていて当然のことなんですよね、きっと。その頃のわたしは、全く分かっていませんでした。その頃の自分の中の基本優先順位は、仕事→ネコ→その他でした。凄い速さでヒョヒョヒョヒョーっと走っていくネコを、成す術もなく見送りながらわたしは少しだけ、現実逃避をしました、『五万が逃げた…これは夢である』。夢なわけがないので、探すことにしました。友人の結婚式への出席という、思えばとても大切なイベントと天秤にかけて悩むこともなく、裏山に入ってネコ探し。大きな丸太が幾つも幾つも積まれている、その下の隙間から微かに『にゃぁ、にゃぁ…』と聞こえますが、どこから覗いても見えない。呼ぶ、応える、姿は見えず、そして日が暮れる。両腕で輪っかを作ったような直径の丸太を、どかせられる筈もなく、声はすれども姿は見えず、どこかに引っかかって出られないのかもしれない、いやそうに違いない、帰ってくる体力など残っていないかもしれないと絶望的な気分になりつつ、暗く部屋に戻りました。心配で、心配で、それでも夜になるとわたしは寝てしまいます。次の朝になっても気分は暗い、それでも仕事は待っている…。暗く仕事を終えて帰ってきたら…彼女も帰ってきてました、ベランダに。ガラス越しに白い影が見え、『にゃあ』という声が聞こえ、戸を開けると当然のようにヒョコヒョコと入ってきて箱の中で丸くなる。包帯は泥だらけで、ヨレヨレ。わたしの頭の中に『?』が増えてゆく。引っかかって出てこれなったのではなく、ただ出てきたくなかっただけ?久しぶりの外を満喫したかったの?帰ってきたくなったから、帰ってきた?骨盤、ネジで留めてるのに?右足だってリハビリ中で、まだ動かないのに?こんなにこんなに重症なのに?ネコの我が道加減には、全く頭が下がります。しかし、これを教訓としてわたしは今迄以上に守りを強化しました。通院用ダンボールを内側から押し開けようとする力も強くなり、無事に抜糸が済み、あれも必要なくなってしばらくすると、彼女はあまり外に出ることを好まないネコに変わり始めているようでした。いえ、本当は脱走したときにほんの少し感じたのです。恐怖を覚えているのではないかと。ネコの脳の仕組みなど、分からないのですが。事故に遭う前は駐車場や前の道など広い場所にいつも出ていたのですが、脱走した時、彼女は全く道に出ることなく、そのまま裏山へ入ってしまいました。そして、彼女の『絶対道に出たくない』主張は、より強化されてその後も続いてゆきます。彼女の行動パターンは、ワンルームの中で人間ひとりとネコ一匹で暮らすには丁度良いように、変わっていきました。右足はとうとう動くようにはなりませんでしたが、後は順調に回復し、鍵尻尾を揺らして、ヒョコヒョコ歩く姿も愛らしい。蚤駆除をし、虫下しを飲ませ、一緒に寝る。わたしがフルートを吹くと、見上げて抗議。高音Fを越えると、向こう脛で爪を研ぐ。痛い。ももたと暮らし始めた頃、先輩に『一人暮らしの若い女の子が、ネコ飼い出したら終わりやん』と言われ、何のことかと思いましたが、先輩の予言通りに順調に、ネコとの幸せな暮らしが築かれていくようでした。そして1年が経ち、親の『帰ってこ~い、ネコ付きでよいから(但し一匹まで)』という熱いリクエストにお応えして、つれみと共に2年間実家で暮らすのです。つれみにとっては、初の土地。しかも、何だか田舎、身を隠せそうな草むら多し。そしておそらく初めての一軒家。とりあえず、脱走してみたくなった気持ちも、分からないではありません。*そして今日のお気に入り**あまりに懐かしい…初めはこれでした。お世話になりました。*ありがとうございます、この記事はどうでしたか*
2006.04.05
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裏山に逃げてったネコを早く呼び戻したいのですけれど、わたくし、先週からの風邪が良くならず多少ヨレヨレでございます。昨日から声がハスキー且つヒヨヒヨになりまして、ヘ音記号のファから、ト音記号の下のレまでしか出ず、あまりの狭さにむしろ気分はハイになりました。今日はというと、かろうじてファ~(決してファーではなく)まで歌えたので、1オクターブは確保。熱で頭はボー…というわけで(どういうわけで?)、恥をしのんで今日は自分の変なクセを書きます。これです!…ってどこに、その画像が出てくるのか、把握できていませんが。『引き出しを閉め忘れる』気が付くと、二つ三つ開いてます。時々、そのせいで間の引き出しが開けられません。あっ、と気付いて、開いた引き出しを閉めます。何をやっているんでしょう…*そして今日のお気に入りはお休み。
2006.04.04
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ネコに錠剤を飲ませるなど、今でこそ『朝飯前!』ですが、初めのうちはよく吐き出されました。だいたい、ここをグッと持ったらカァっと口が開くのですかさずエイッと押し込んで、閉じれば飲み込んでくれますから…ホラ、簡単デスネ…って、先生、ほんとに簡単デスカ…?2~3回失敗したら化膿止めの白い錠剤の表面がドロドロになって、押し込んだ指にくっついたまま戻ってくる、カァッの筈がニュウァ~くらいにしか開けない(ごめんね)。トイレはすぐに慣れてくれましたが、右足は固定されているのでバランスを崩して、排泄物の上にどーんとコケて包帯もドロドロ…(そしてわたしは半泣き)。ごめんなさい。そんなことを繰り返して、ネコと暮らす楽しさを少しずつ知っていったような気がします。費用でいえば、手術代に5万かかりました。当時、バイトを3つほど掛け持ちして月10万のビンボー暇無し生活を送っていたわたしでしたから、覚悟していたとはいえ、額を聞くと膝がふにゃっとなりました。そんなわたしに先生は『分割でよいですヨ』と、やさしく言って下さいました、個人経営の病院でもないのにありがたいなァと…わたしはお言葉に甘え、3分割ほどで支払いましたが先生に直接渡していたので、きっと先生が立て替えてくれていたのだと思います。きっと、つれみが生き延びるために何かが少しずつ恵まれていたのだと思います。わたしにより、別名『ごまんネコ』とつけられた彼女でしたが、ゲッソリと半分の大きさだった顔が元の丸顔になっていき、病院へと通うダンボール箱を軽く内側から押し開けようとするほどになった頃、病院から変わったものを貸し出されました。首に付けるとネコが面白いライオンのようになる、あれです。ネコがご飯を食べようとしても、届かなくなる、あれです。ベランダの柵の間から出て行こうとしても引っかかって『アレ?』と思って、試しに他の柵の間から出ようとしてもやっぱり引っかかって『?』となる、あれです。あれの名称を、わたしは知りません。彼女はまだ、腹と右足の抜糸前でした。少し元気が出てきたころ、その違和感に気付いたようで、1~2本ほど千切ってしまい、右足の傷は一時、開きそうになりました。本人にとっては甚だ迷惑かもしれませんが、あれをつけたネコというのは、痛々しくも可愛らしく、それで『ニャア』などと言われた日にはわたしなど一瞬にして親バカと化すのでした。わたしは、ネコとの慌しい日々に家計の心配はしつつも、それなりに充実し満足だったと思います。しかし、彼女はジッと窺っていたのでした。再び外に出る日を。それはまだ、腰と右足の包帯が外れる前にやってきました。わたしは油断していたのです。ベランダの戸は開けていました。いつものようにあれをつけようと、彼女を見たら…ヒョコヒョコとベランダの方へ歩いています。…と、突然ヒョイッと飛んだかと思うと、そのままヒョーッと走って裏山へ…凄い速さで、裏山へ…。…。*そして今日のお気に入り**東京フルート・クヮルテットのCD。残念ながら『猫』は入っていませんが、同じ作曲家ベルトミューの『アルカディ』は入っています。だいぶ前のCDですが、わたしの好きなバーバーの『弦楽のためのアダージョ』がフルート4重奏で収録されています。*ありがとうございます、この記事はどうでしたか*
2006.04.03
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今でも時々、思います。もし日曜日でなかったら。わたしがあの時ベランダに出ていたのは、それが日曜の昼間で、洗濯物がよく乾きそうだったからで、それがもし平日だったら、彼女はどこかで力尽きていたかもしれず、それからの16年弱という月日は無かったのかもしれません。とにかく電話帳で病院を探しました。ダンボールを抱えてバスに乗り込む…運転手さんは怪しいと思ったかもしれませんが、それどころじゃありませんでした。たどり着いたのは、高速バスで40分かかるペットショップと病院が一緒になったような、大きなお店。シャキッとした感じの良い看護士さんと、メガネをかけた色白のヒョロッとしたお医者さんがいて、宮沢さんを診てくれました。割れた骨盤が尿道を圧迫しているのでこのままでは尿毒症になるとかで、先ずは、管を通して尿を出す作業。『この、足の傷から見て2日程は動かずにじっとしていたようですね』そうか、そして健気にわたしの所へ…えっ?汚いリボンの飼い主のところへは?そんないろんな思いを胸に、これからの説明を聞いていたのですが…覚えてません。うぅ、となったきり、わたしはよろよろとトイレに向かいしばらく蛇口の前から離れられなくなり…多分、看護士さんに助けられ。その後、お茶を出してもらってました(これだけはハッキリ覚えているのですが、緑茶でした)。『大丈夫ですか?』と背中をさすってもらったような、かすかな記憶が。あぁ、情けないことですが、わたしは外科的話に本当に弱いのです。すぐ関節がふにゃふにゃになるのです。だから、とにかく手術をしなきゃならないということだけ理解して、先生にお任せして帰ってきました。二日後。宮沢さんは、下半身をグルグルに巻かれた状態でわたしの前に現れました。ほんのりピンク色できれいでした。奇跡的だったそうです。これだけ酷いと、普通は折れた骨が内臓に刺さっていたりするのに、刺さっていなかったのが良かったそうです。とはいえ、やはり手術は大変だったらしく、他のクリニックからもう一人先生に来てもらって、看護士さんと3人がかりで…7時間。7時間っていえば、ほとんど、一日の労働時間です。7時間の手術なんて、聞いたことない。そんな長時間、宮沢さんもですが、先生方もさぞかし大変だったのではないかと、本当に感謝するばかりでした。グルグル巻きになった宮沢さんを連れ帰ったわたしがまずしたこと、ネコのトイレを作りました。そして、名前を変えました、『宮沢さん』からわたしの姓へ入籍しようと思ったのです。思えば変な話です。でも、そのときは真剣にそう思ったのでしょう。よれよれのネコの面倒を見ていく、というのはわたしにとって大きな覚悟だったに違いないからです。そしてわたしはリボンを切りました。そして彼女の呼び名は『宮沢さん』から『つれみ』に変わりました。*そして今日のお気に入り**マンハッタナーズの首輪があったなんて…知らなかった…わたしのスケジュール帳、メガネケースから、マクラカバーまでマンハッタナーズですもの**ありがとうございます、この記事はどうでしたか*
2006.04.02
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娘ネコのその後を書きかけていたら、関節がふにゃふにゃになってきました。熱上がってきてるよー、今日から風邪でしょうかねぇ、4月なのに。確かに寒いなァとは思っていたとです。一昨日くらいから。うー寒い…寒いとですー意識が少しずつ朦朧と…体の力が…にゃー。*そして今日の…**こんなときは、好きなゴーヤ三昧で寝ていたい…その前にだれか、珈琲入れてー
2006.04.01
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