帝国陸軍好きの読書ノート

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2015.04.09
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「丸」編集部編『英国東洋艦隊を撃滅せよ―海軍中攻隊空戦記』(光人社NF文庫、2011)



雑誌「丸」昭和四十三年一月号収載。筆者は開戦時には鹿屋空所属で中尉。最終階級は不明。開戦初頭のマレー沖海戦の話。

「去る四月十日、木更津航空隊から台湾の高雄航空隊で間借り旗上げしたばかりの第三航空隊付として赴任して来てから、同隊に課せられた軍令部命令で「A作業」とよばれた、フィリピン、ニューギニア、グアム島などにたいする隠密偵察飛行は、すべて私が担当してきた実績がある。任務については自信があったし、三空幹部も適任者と思って派遣してくれたのだろう。」p16
昭和16年4月から8月にかけてこのほかにボルネオ、スマトラなどに対しても著者自身が航空偵察を実施していたとのこと。使用した航空機は九六陸攻3機とあるがそれ以上の詳細な記述(たとえば任務実施時の細かい状況や偵察対象の優先順位など)が無いのが残念。

「九月二十日ごろと記憶する。その日、飛行長は数日間の出張で不在だった。藤吉司令が宮内飛行隊長に、「十月二日の夜、全飛行機隊をもって鹿屋から木更津往復の夜間飛行訓練をするから、そのつもりで準備するよう」といいわたした。…」p27
対米開戦を事実上9月下旬(東條内閣成立前)には基地航空隊司令レベルでも知っていた模様。

「われわれ基地航空部隊の大半はつい三ヵ月前までは、中国大陸の奥地爆撃を一手に引き受けて活躍していたため、浅海発射の研究をやっている余裕はなかった。
そればかりか、この一ヵ年間くらいの聞に実魚雷を使つての雷撃訓練を実施した中攻隊は、ほとんどなかったはずだ。
雷撃ができないとすると、水平爆撃だが、それにしてもこのサイゴン地区には、対戦艦用の八百キロないし一トンの徹甲爆弾の準備もなかったのだ。



2. 馬場利幸「わが愛機「T318号」の奇蹟―恐怖と歓喜の脱出行/魔の海を漂流した四日間」
雑誌「丸」昭和四十七年八月号収載。高雄海軍航空隊中攻隊所属(二中隊 操縦)。
昭和17年2月のスラバヤ空襲の際に一式陸攻で被撃墜というか不時着。不時着先の小島から帰還するまでの話。


3. 下川一「果てしなき渡洋爆撃―秘められた大空の事件史/海軍中攻隊征空記録」

雑誌「丸」昭和五十一年十二月号収載。第十三航空隊第3大隊搭乗整備員だった当時の回想。
昭和十二年の第二次上海事変開始当初の九六陸攻(最初期の試作機)による初の作戦での搭乗経験から始まる支那事変序盤の九六陸攻による爆撃行の話。

・<九六陸攻(初期のみ?)の欠陥について。燃料タンクと電気系統>P196-

「このころになると、敵機はイ15戦闘機一種になっていた。ソ連製の複葉機である。エンジンは星型空冷の大きなもので、前方からはパイロットの姿が見えなくなるほどである。したがって、前方からの弾丸はエンジンでとまってしまい、なかなか撃墜できない。機体の外装がベニヤ板でできているらしく、胴腹に弾丸をくうと、その小穴から空気が入って、こまかい破片となって少しずつベニヤがくずれていく。落ちていくときは粉のように散乱する。」p248 昭和12年11月頃の話、それ以前の迎撃機は雑多な機種だったとのこと。


3. 近藤暢亨「ソロモン空爆記―青春を燃やしつくした血に染む制空権争奪の死闘」

雑誌「丸」昭和五十三年一月号収載。著者は七五一空の陸攻搭乗員(操縦下士官)。
対米開戦前からの戦歴があるベテラン下士官操縦員の模様ですが、ここに書いてあるのは昭和十七年九月のカピエン基地(ソロモン群島ニューアイルランド島北端)からのガ島空爆に始まり、昭和十八年五月に内地に転属になるまでの話。


出発前に、つけた注意事項の中に、敵の高角砲は三斉射目はかならず同高度にくるから、二斉射の爆発後に機は高度を下げるから各隊はそれに従うように、というのがあったのを思い出して、すぐ一中隊にしたがう。これにはそうとう急激に操作したが、列機はみなよくついてきて編隊はくずれない。
案の定、三斉射は頭の直上で雲をつくっていた。恐ろしい威力である。あれだけの雲をつくるためには数十門、いや百門以上の高角砲が必要だろうと思った。」p270

「昭和十七年暮れごろまでのガ島攻撃には、敵の高角砲が昨裂する少し前から、さかんに錫を張りつけたテープを空中にまき散らしたものだった。そして、錫箔に敵高角砲の弾幕が集中するのを見て手をたたいて笑ったものだったが、いまや敵の弾丸はそんなものには見向きもしなくなった。とうぜん、つぎの手を考えなければならない時機にきているのに、なんの手も打たれていないのが現実であった。」p313
(昭和十八年一月レンネル島沖航空戦の頃のはなしとして)


4. 中野孝雄「わが青春「火だるま陸攻隊」に生きる―開戦努頭から織烈なる航空血戦に身をおいた一代記」


同じくこちらも支那事変期からのベテランで対米開戦時には既に功六級金鶏勲章を保持していたという搭乗整備員。階級は当時一整曹とのこと。前半は開戦劈頭の千歳空陸攻隊(九六陸攻)三十六機によるウェーキ島空襲に始まりその後のソロモンから昭和17年末の内地帰還まで、後半は練習航空隊の期間を端折って昭和20年に入ってからの剣作戦の掌整備長としての話。

「しかしながら上昇、降下をくりかえしたため、燃料の消費が多いようだ。四番槽で計測したところ、巡航時なら四百リッター/時であるのが、五百リッター/時ほどになっている。」
p341
(九六陸攻の燃料消費に関する記述です。20ミリ機銃装備という事なので二一型以降と思われますが二三型とどっちなのかまではわかりません。)

「T式が入る…とは、無線基地から封止がとかれて、あらかじめとりきめである時間の三十分間、電波が発射される、これをT式帰投方位測定機により受信し、指示メーターとレバーによって帰途方向を確認するのであるが、このときは雲中飛行のため、機内電路系統のショートにより電圧の降下がはなはだしく、基地からの電波をとらえられなかったらしい。」p343
(雲の中を飛ぶとショートする、っていうのが今の感覚ではちょっとわかりません。無線機などの機材だけでなくその艤装にもかなり問題があったものと思われます。)







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最終更新日  2015.04.10 00:08:00
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