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2021.05.04
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カテゴリ: なろう小説



【R18】河越城奇譚 〜 城はいかにして内から喰われたか
https://novel18.syosetu.com/n3848gt/


 ただ今現在は第6作を執筆中です。少々時間はかかりそうですが、22〜25話見当で進行中です。

 平和主義者はヴィーガンが多いから肉食をやめてしまえ、日本の肉食は忌むべき軍事由来だぞ……というのは、あまり違和感のない主張です(激爆

 元々日本の肉食は狩猟に支えられており、特に武士の時代には、狩猟を行うのは新興の戦士階級=軍人であった武士なんですよね。仏教が人々の生活を律する中で、食肉の習慣は限定され、家畜の肉を食うのは禁忌となり、せいぜい街の中に入り込んで人間を避けない犬猫くらいしか庶民は食わんのです。で、牛馬は使役動物として重要な労働力や交通機関だった。豚の飼育も定着せず、野生の猪がいるのみになる。他の動物は狩りでしか捕まらない野生動物。食肉目的の大規模畜産は江戸時代の日本では成立しなかったわけです。

 そして、まちなかの犬猫さえ、生類憐れみの令で食う者がいなくなり、狩猟による食肉さえも、一気に【表向き】は禁忌同然となる。

 せめて綱吉がいなければ、日本における食肉を巡る状況は大き変わったかもしれません。

 結局、食肉の普及は明治を待たなければならなくなった。政府が主導して食事の西洋化を進めていくし、その中での軍隊での食事の洋食化こそが、食肉を推進する大きな力になった。そして、食肉こそが文明開化の象徴となった。元は動物の屠殺を行っていたアンタッチャブルな界隈が、食肉業の中心地になり、そこにはすき焼き・牛鍋を食わせる食い物屋が立ち並んだ。

 かくして、日本の食文化は激変したわけです。

 歴史を知るというのは、社会を変えるためのボイントを考えるのに大切なことですね。





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最終更新日  2021.05.04 23:20:56
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