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その日も百日草が咲いていた
胸を病んだ母は
ずっと床についていた
高熱と衰弱とで
昏睡状態がつづいていた
少年の目にも
もうこれきり
元気な母を見ることはない
そんな気がしていた
『でも』と少年は思った
一度だけ母に頼んでみよう
母は黙って
頷いてくれるかも知れない
その日少年の心は傷ついていた
学校での昼の食事時間のことだった
『お前の弁当箱は
女のあれみたいやないか』
ガキ大将が
教室中に聞こえるような
大声で言った
大きな丸に縦線が一本
縦線の中央に小丸を描く
悪ガキ共が
トイレに落書きするあれ
少年には耐えられない屈辱だった
少年の弁当箱は兄のお古だった
蓋の対角線が溝になっていて
それが箸入れだった
日の丸弁当の梅干のせいで
アルミの蓋は
溝のまん中に穴があいていた
戦争も終末に近い
物資の無い頃だった
辱しさをこらえながら
『母さんにねだってみよう』
そう思い思い
急いで学校から帰って来た
『お母さん新しい弁当箱買ってね』
朦朧とした母の眼差しが
その時少しだけ
微笑んでくれたと
少年は信じて来た
あれから何年経ったろうか
くらくらする程の夏の日盛りのなか
ふと思い出す母の眼差しだけが
不思議と涼しげ
そして今日も百日草が咲いている
三十代で天国へ行ってしまった母の墓標に
せめて百日草の花を手向けたい
赤とピンクに黄色を添えれば
しゃれた色調になる
絵心のあった母を偲んで
三色とりまぜて
百日草の花を手向けたい