ぼくの細道・つれづれ草

ぼくの細道・つれづれ草

2006.09.25
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「助言」  ラングストン・ヒューズ

<みんな、云っとくがな、
            生まれるってな、つらいし
            死ぬってな、みすぼらしいよ・・・
            んだから、掴まえろよ
            ちっとばかし 愛するってのを
            その間にな。>
  (木島始 訳)

       「アランブラ宮の壁の」 岸田衿子

アランブラ宮の壁の
            いりくんだつるくさのように
            わたしは迷うことが好きだ
            出口から入って入り口をさがすことも

イングリッド・バーグマン(Ingrid Bergman)の生い立ちは
        決して幸せではなかった。
        1915年スウェーデンのストックホルム生まれ。
        父は写真家で画家。母はドイツ生まれ。
        2歳のときに母が、12歳のときに父が亡くなり、6ヶ月後に
        は母代わりの叔母を失い叔父のもとで育てられた。
        この孤独な環境の反動で演技に興味を抱き、ストックホルム
        女学校在学中、学校劇に出演、演出も担当。
        その後、ストックホルムの王立演劇学校で演技を学んだ。
        34年、脇役で映画デビュー。
        2年間に、スウェーデン、ドイツで11本の作品に出演したが
        そのうち9本は主演だった。
        36年の主演作「間奏曲」がハリウッドノ名プロデューサー、
        デイヴィッド・O・セルズニックの目にとまり、同作品の再
        映画化「別離」の主演スターに招かれ39年に渡米した。
        そして、そのみずみずしい美貌が注目され、42年には
        「カサブランカ」でスターの座を獲得した。
        44年「ガス燈」ではアカデミー主演女優賞を受賞し、人気
        実力を兼ね備えた、ハリウッドのトップ女優として黄金時代
        を迎えた。
        しかし、46年の「汚名」を最後にセルズニックのもとを離れ
        てからは、新しい分野開拓の意欲が先に立ち、失敗作が
        続く。こうしてハリウッドの仕事に満たされぬ思いを抱いてい
        たところへ、ネオ・リアリズムの作品群が登場したのだった。

                                (つづく)




          






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Last updated  2006.09.25 15:10:38
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