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想い出の歌があればこそ人は
想い出のうちに生きることができる
歌う歌があればこそ
人のこころに太陽は交響する
泣けた 泣けた
こらえきれずに 泣けたっけ
あの娘(こ)と別れた哀しさに
山のかけすも鳴いていた
一本杉の
石の地蔵さんのよ 村はずれ
戦後の経済復興が進み「神武景気」と呼ばれた昭和30年(1955)。
仕事を求めて地方から出てきた男が故郷に残してきた恋人をしのぶ
思いをこの歌は描いている。
昭和の歌謡界の代表的存在である、船村徹氏(74)の出世作で、終
戦後の貧しい時代に、ともに創作に励んだ”戦友”故高野公男さんの詞。 無名の作家二人のコラボレーションを、キングのプロデューサーは
スター歌手故春日八郎さんに歌わせることを決めた。
春日八郎は、昭和27年に「赤いランプの終列車」でデビュー。
29年には「お富さん」で空前のヒットをとばした。 「別れの一本杉」も、田舎から出てきて都会で働いている若者の共感
を呼び大ヒットとなった。
しかし、肺結核にむしばまれ、病床にあった高野さんは、大ヒットを記録 するなか、翌昭和31年9月、26歳の若さで亡くなった。
春日八郎は、その後も、「あん時ゃどしゃぶり」「山の吊り橋」「長崎の女」
などのヒット曲を含む1000曲にも及ぶ歌を吹き込んで活躍したが、平成
3年10月に死去している。
高野さんが亡くなって50年、春日八郎さんが亡くなって15年。
キングは「別れの一本杉」が多くの歌手たちに歌い継がれていることに
着目し、歌謡史上異例のアルバムを完成させた。
それは、「別れの一本杉は枯れず」というすべて同一曲で構成された
史上初のアルバムである。
春日八郎さんの「別れの一本杉」を故美空ひばり・故三橋美智也・故
村田英雄・北島三郎・・五木ひろし ら時代を代表するそうそうたる顔ぶ
れがカバーした豪華版である。
春日さん以外は、シングル発売されたものはないという。
船村さんは、毎年高野さんの命日には故郷の茨城県笠間市を訪れて
いるというが、今年はこのアルバムを高野さんの墓前に持っていきたい
ということである。
10月22日、キングレコードから発売されるこのアルバムぜひ聞いて みたいものである。
2) 遠い 遠い
想い出しても 遠い空
必ず東京へ ついたなら
便りおくれと言った娘(ひと)
りんごのような
赤い頬っぺの あの泪
3) 呼んで 呼んで
そっと月夜にゃ 呼んでみた
嫁にもゆかずにこの俺の
帰りひたすら待っている
あの娘はいくつ
とうに二十(はたち)は 過ぎたろに