ぼくの細道・つれづれ草

ぼくの細道・つれづれ草

2010.01.04
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
  芥川龍之介が、友人室生犀星の肝煎りで犀星の郷里金沢を
 訪れたのは、大正13年の5月若葉の季節であった。金沢か
 ら大阪を経て、5月23日には、龍之介は東京田端の居宅に
 帰ったのだが・・・。
  旅の途中龍之介は、金沢の銘菓「長生殿」を滝井孝作、志
 賀直哉、薄田泣菫宛送る手配を済ませていた。ところが、そ
 れが宛先へすんなり着かないといって「怪しからんものは落
 雁屋の番頭なり」と憤慨しているのが面白い。因みにこの落
 雁「長生殿」なる銘菓も、老舗の果舗も今もそのまま存続し

  さて、5月28日付の犀星宛の手紙の中に「お国産を沢山
 ありがとう。お隣りの香取先生や下島先生にもお裾分けした」
 とある。
  昭和10年岩波書店発行の芥川龍之介全集短歌の巻に、次
 のような一首が載っている。

         香取先生に
   金沢の鰆(さわら)のすしは日をへなば
        あぶらや浮かむただに食(お)し給へ

 というのである。香取先生というのは龍之介の短歌の道での
 師であった香取秀真のこと。香取秀真は著名な金工作家とし
 て知られている。

 がある。魚を薄味の酢じめにし、上にひじき等をあしらった
 押し鮨で、その淡白な味わいと素材の色感が、ほのぼのとし
 た春の余情をかもし出すのである。
  この押し鮨に使われる魚は大抵「鯖」か「しいら」か「皮
 鯨」だった記憶がある。

 の語感としてはぴったりではある。
  今一歩の推理として、
  鯖という字を崩して書けばどうなるか。
  鰆という字に見えないことはない。
  とすれば、これは鯖の誤読ではなかろうかと。

  ところで、昭和52年岩波書店発行の芥川龍之介全集書簡
 の巻に次のような一首が掲載されているのである。

        香取先生へ
    たてまつるかぶらのすしは日をへなば
       あぶらや浮かむただに食(お)したまへ

  金沢の冬の味覚「かぶら鮨」は鰤(ぶり)を使う。
  鯖でも鰆でもないが、麹で漬け込んだこの鮨は、今では、
 急いで食べなくても結構日保ちする。のであるが・・・・
  このかぶらのすしの一首といい、鰆のすしの一首といい、
 これは同一の歌なのか、別の歌なのか、また鰆は鯖なのでは
 ないのか、春風駘蕩として確かめようがない。 







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2010.01.04 15:32:45
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: