読書日記blog

読書日記blog

2007.01.09
XML
カテゴリ: 教養・実用


ちくま文庫



「反革命宣言」や「文化防衛論」などの論文と、対談、学生とのティーチ・インを収録。三島由紀夫の論理と行動を示す一冊。


三島由紀夫は、戦後の文化主義をものとして管理された見せかけに過ぎないと批判し、共産主義が日本の文化・歴史・伝統を?覆することを警戒する。また国民文化の特質を、再帰性・全体性・主体性と定義する。文化の全体性が、時間的連続性によって伝統と美趣味を、空間的連続性によって生の多様性を保証するとして、文化共同体を説き、文化概念としての天皇の回復と定着を主張する。
また、三島由紀夫の行動原理は、未来を考え現在を犠牲にすることを否定し、「自分が滅びたら日本がお終いだ」と思うことで脈々と受け継がれてきた文化を護るというものである。


文化共同体と文化概念としての天皇という考えは納得できる。しかし、自分を歴史の最終地点と見なし、その積み重ねられてきた伝統を護るために、未来のための行動を否定するという考えには、納得できない。確かに、現在が歴史の積み重ねの頂点でありその意味では、「自分は日本というものの一番の真髄になっている」という見方は正しい。マルクス主義的唯物史観、発展段階史観の言うところの「未来」のために現在を犠牲にすることを否定する考えには、私も賛成する。しかし、あらゆる「未来のための行動」を否定することには共感できない。

なぜならば、いま現在があるのは、先人達の「未来のための行動」があったからである。三島由紀夫は「反革命宣言」に「自らを最期の者とした行動原理こそ、神風特攻隊の行動原理であり、特攻隊員は「あとにつづく者あるを信ず」という遺書を残した」と書いている。しかし、何のために特攻が、そもそも大東亜戦争が戦われたのか。
永野修身海軍軍司令部総長の大東亜戦争開戦前におこわなれた御前会議での「戦わざれば亡国必至、戦うもまた亡国を逃れぬとすれば、戦わずして亡国に委ねるは身も心も民族永遠の亡国であるが、戦って護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも祖国護持の精神がのこり、われわれの子孫はかならず再起三起するであろう」という発言にこそ、未来を信じるからこそ自身が滅んででも護るべきものを護るという「未来のための行動」の行動原理が現れている。自分を歴史の終点とし未来を否定するならば、何のために文化を護るのか。

まあ、私は自らを歴史を未来へのつなぐ者と定義する方が好きだ。私の考え方とは異なってはいるが、三島由紀夫の「自分が滅びたら日本がお終いだ」と信じることで歴史を護るという考え方も悪くはないと思う。三島由紀夫式の考え方でも結局は、未来に歴史は引き継がれる。

話は変わるが、私の考え方とは異なってはいるがその考え方の違いを許容する、というのも文化の重要なポイントだと三島由紀夫の主張する。


最後に学生とのティーチ・インについての感想を。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.01.10 16:37:32
[教養・実用] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: