書評日記  パペッティア通信

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Aug 19, 2005
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いったい『世界』は、どんなつもりで、この人に連載させたのだろう。

ディアスポラ=離散民。原義は、ユダヤの離散民。
「祖国」(祖先出身国)、「故国」(自分の生誕国)、
「母国」(現在国民として属している国)の 3者が、分裂した存在

1947年、母国がない中で、日本国籍を失った存在≪在日朝鮮人≫。韓国軍事政権下の政治犯で獄中闘争をおこなった兄2名をもつ、母語が日本語、母国語が朝鮮語の在日二世。その彼が、世界各地をまわりながら、その地の出来事や文学・アートに、暴力と離散と、死の痕跡をさぐる紀行文。もともと、期待して読まないはずがない。

日本ではなかなか見えない、≪在日朝鮮人≫。
「パーリア」(被差別者)の位置にあった、先人の生き方にたちたい。
にもかかわらず、分裂するアイデンティティは、強烈な上昇志向に駆り立て、「死」が「肩の荷をおろす」こと、と言われるような生き方を強いられてしまう。

在日と韓国の同胞が、民主化運動を通し≪合流≫することを夢見た筆者
その願いは、果たされることはない。

1970年代、民主化のシンボルであった詩人金芝河が、≪朝鮮民族=聖杯民族≫を唱える国粋主義へ転落したことをなげき、芸術にまで国境をもちこみ、国家の枠組強化に奉仕してしまう美術批評を悲しむ。「地上の楽園」などではないことを知りながら、「宙釣り」を停止させるため、北朝鮮へ帰還していった在日芸術家の悲劇。 筆者は、朝鮮人を引き受けることにためらう 。「光州事件」のモニュメント群にも、韓国ナショナリズムにも、こぼれおちてしまう「何か」を感じて、ためらう。そして、犠牲者の墓苑を、在日を、ディアスポラであることを、選びとろうとする筆者の旅は、過去への告別の旅であるかのようだ。

アウシュビッツの極限の環境で、
自らが「証人」「人間」「イタリア人」であることを確認した、
イタリア系ユダヤ人、プリーモ・レーヴィ。

自らを支える「母文化」が、ナチスにのっとられた、
ドイツ系同化ユダヤ人、ジャン・アメリー。

両親を殺した者たちの言語で詩を書き続けた、
東欧のユダヤ人、パウル・ツェラーン

フランツ・ファノン、サイード、アーレント、シリン・ネシャット、ザリナ・ビムジ…


とはいえ、随所に違和感がぬぐえない。
徐京植は、ディアスポラでは断じてない

どうして彼は、 「在日朝鮮人」というシニフィアンに、自己の実存をとっくの昔にゆずりわたしておきながら、自分がディアスポラであると思えるのだろう か?

その不快感は、NHK番組制作の際、ディアスポラの意味を理解させるため、フェリックス・ヌスバウムの絵『ユダヤ人証明書をもつ自画像』のポーズを真似て、外国人登録証をかざすエピソードでピークに達した。 「在日朝鮮人」をユダヤ人になぞらえようとする、その欲望のおぞましさよ。

葬式をめぐる、「死者の国民化」の一節。

かれが、非「在日」としか日本人を表象しないのは象徴的だ。それは、日本人が在日を非「日本」と表象することとパラレルであろう。 「否定」を通してしか、出現することのない主体≪国民≫ 。かれは、「在日」のシニフィアンに自己をゆだねたまさにその瞬間、それが「日本」というカテゴリーをつくりだし強化する行為でもあることに気付かない。 マルクス主義も自由主義も答えない、生の「有限性と偶然性」からくる不安。それを「連続性と有意味性」に変換することで、個人の生の意味を回収する装置、≪不死の共同体≫ナショナリズム を鋭く批判しながら、自己が「在日朝鮮人」という形で≪共犯者≫になっていることに思いいたらない。在日2世文承根と1世李禹煥のアートの差異に気付きながら、「在日朝鮮人」のカテゴリーでくくられるおかしさに思いいたらない。在日「女性」がまったく取り上げられていないことは、その例証であるかのようにおもえてならない。

ディアスポラは、近代国民国家の先に、血統でも文化でもない、国境にも区切られない、理不尽の起こらぬ「真実のくに」をさがしもとめるという。ディアスポラこそ、近代以後の、生の先取りであると語る。その確信は美しい。 とはいえ、ゾーエーたるディアスポラのビオスへの渇望こそ、国民国家が行使する「生権力」の存立条件の一つではなかったか。 その意味で、ディアスポラの戦いは、どこまでも絶望的である。

美しい、どこにもない、「真実のくに」という、酷薄なユートピア。
それへの希望を語って、筆がおかれる。

この書は、ただの「在日朝鮮人紀行」として書かれるべきだったように思えるのは、私だけであろうか。

評価 ★★
価格: ¥777 (税込)

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Last updated  Sep 15, 2005 05:20:20 PM
コメント(8) | コメントを書く


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Re: 「在日朝鮮人紀行」に改題せよ!  
青人 さん
春秋子さん,はじめまして.愛読している徐京植さんの著作を厳しく批判しているブログがあると教えられて,はじめて訪ねてみました.

春秋子さんがつねに検証を怠らない,厳しい読み手であって,この書評も非常に真剣なものであることは,一読して分かりました.ただ,『ディアスポラ紀行』に関しては,私の読後感とはあまりにも違っていたので,ひとつ,いや,ふたつだけ質問させてください.

>「在日朝鮮人」をユダヤ人になぞらえようとする、その欲望のおぞましさよ。

何度読んでも,この意味が分かりません.何がそんなに「おぞまし」いのでしょう?

> ゾーエーたるディアスポラのビオスへの渇望こそ、国民国家が行使する「生権力」の存立条件の一つではなかったか。

言いたいことは分かる気がします.けれども,春秋子さんは,そもそも「ゾーエー」のユートピアたりうるような政治的共同体を,考えたことがあるのでしょうか? おそらくそんなものは想像することすら不可能で,だからこそ「絶望的」などという言辞もまた吐かれているのでしょう.その是非については言いませんが,どうにも納得いかないのは,そういう前提でディアスポラ=「ゾーエー」たるべし,と決めつけている,その前提です.ディアスポラの境遇にある人びとは,政治的主体たらんとすることも,市民的権利を要求することも,間違っているのでしょうか? (Aug 22, 2005 08:36:35 AM)

Re[1]: 「在日朝鮮人紀行」に改題せよ!(08/19)  
春秋子  さん
青人さん

>どうにも納得いかないのは,そういう前提でディアスポラ=「ゾーエー」たるべし,と決めつけている,その前提です.ディアスポラの境遇にある人びとは,政治的主体たらんとすることも,市民的権利を要求することも,間違っているのでしょうか?

どうも、誤読させてしまったようです。すみません。

わたしが言いたいのは、ディアスポラ的生は、近代国民国家の先にあるものではないのではないか。

ディアスポラ的生(ゾーエー)のもつ、ビオスへの渇望。それこそが、近代国民国家の権力を存立させる基盤そのものではないのか、という問いかけだったのです。

おゆるしください。 (Aug 24, 2005 11:15:46 PM)

Re[1]: 「在日朝鮮人紀行」に改題せよ!(08/19)  
春秋子 さん
青人さん、
こちらこそはじめまして。

>春秋子さん,はじめまして.愛読している徐京植さんの著作を厳しく批判しているブログがあると教えられて,はじめて訪ねてみました.

うわ。なんか、このサイト、「備忘録」だったのですが… どこで教えられたのか、できれば教えて欲しいです…こんなものをお恥ずかしい

>>「在日朝鮮人」をユダヤ人になぞらえようとする、その欲望のおぞましさよ。

>何度読んでも,この意味が分かりません.何がそんなに「おぞまし」いのでしょう?

ユダヤ人って、何なんでしょうか。
それは、「ナチスによってホロコーストの憂き目にあった」という巨大な災禍によって、事後的に、他者の暴力的刻印によって、はじめて形成された概念ではないでしょうか。

ドイツ語で書き続けた、ツェラーン
裏切られたアメリー
イタリア人であることを確認したレーヴィ…

かれらは、ユダヤ人と認定されるものであることは、すべて他者(ナチス)が決めたことです。だからこそ、彼らは自らのアイデンティティとユダヤ人のハザマにあって、さまざまな問題に直面する。

ところが、徐京植や「在日朝鮮人」とは何でしょうか?

彼らは、ホロコーストに遭いましたか?
彼らは、「在日朝鮮人」なる名称を
他者から強制されたでしょうか?(名称の自問自答参照)

韓国人をひきうけるのをためらう徐京植は、
なにより、とっくに在日なるシニフィアンに身を委ねているではありませんか。「在日」である煩わしさを怒りつつも、「在日」であることをまったくためらっていません。「韓国と在日の合流」などという表現にそれは表れています。どうして、ユダヤ人たちと在日朝鮮人が、同一の物差しで比較できるのか、私にはわからない。

比較対象にならないはずのものを擬える欲望。
なんだか、自己憐憫に感じられ、すごく不快に感じてしまったのです。 (Aug 25, 2005 12:06:45 AM)

すみません、「手前ら、日本人をなめんじゃあねぇ」様  
春秋子  さん
すみません、ブログ「手前ら、日本人をなめんじゃあねぇ」

最初の1行に半角英数のURLがTBで来ると、ブログの形が崩れて読みつらくなってしまうので、泣いて削除させていただきました。

「植民地支配」 「手前ら、日本人をなめんじゃあねぇ」様からいただいたTBはこれです↓

http://yellow.ap.teacup.com/hide-tako/83.html

興味のある方はどうぞ。 (Aug 30, 2005 04:21:13 PM)

Re:★ 徐京植 『ディアスポラ紀行』 岩波新書(新刊)(08/19)  
Tatsu さん
Silly TalkのTATSUです。トラバありがとうございます。
貴サイトのこの記事と拙サイトの記事との「関連」というのはどういうものでしょうか?あと拙サイトにはどのような感想を持たれましたでしょうか?なんとなく想像はできるのですが、教えていただければ幸いです。 (Oct 28, 2005 02:59:30 PM)

Re[1]:★ 徐京植 『ディアスポラ紀行』 岩波新書(新刊)(08/19)  
春秋子 さん
Tatsuさん
>Silly TalkのTATSUです。トラバありがとうございます。貴サイトのこの記事と拙サイトの記事との「関連」というのはどういうものでしょうか?

国民国家の形成は、その外側に当然、ディアスポラ的生を産み落としてゆくことについて注意が向けられる必要があるのではないか、という観点でつけてみましたが、問題がありましたでしょうか

>あと拙サイトにはどのような感想を持たれましたでしょうか?なんとなく想像はできるのですが、教えていただければ幸いです。

個人的には、非常に興味深い、一読するに値する保守系サイトだと思っていますけど…
(Oct 28, 2005 05:18:46 PM)

Re[2]:★ 徐京植 『ディアスポラ紀行』 岩波新書(新刊)(08/19)  
TATSU さん
春秋子さん

お返事ありがとうございます。お考えを直接確認させていただきたかっただけで他意はありません。もちろん問題もまったくありません。これからもよろしくお願いいたします。 (Oct 28, 2005 07:57:01 PM)

Re:すみません、「手前ら、日本人をなめんじゃあねぇ」様(08/19)  
yukimama6955  さん
春秋子さん
>すみません、ブログ「手前ら、日本人をなめんじゃあねぇ」

>最初の1行に半角英数のURLがTBで来ると、ブログの形が崩れて読みつらくなってしまうので、泣いて削除させていただきました。

>「植民地支配」 「手前ら、日本人をなめんじゃあねぇ」様からいただいたTBはこれです↓

http://yellow.ap.teacup.com/hide-tako/83.html

>興味のある方はどうぞ。
-----

お手数をおかけいたしました。
(Dec 20, 2005 08:52:21 AM)

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