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ふざけんな、民主党の中堅若手連中。大久保秘書の逮捕は、誰がどうみたって、小沢代表が記者会見で「不公正な国家権力の行使」だろうが!。自民党・検察権力から権力闘争を仕掛けられたのに何だ!渡辺周や仙谷由人などの前原グループは。小沢代表を引き摺り下ろして、岡田克也を代表にしようと画策してるとは。いい加減、若手というか民主バカ手たちの民主党の足を引っぱる行為には、頭に来ていた。今度という今度こそ、堪忍袋の緒が切れたから言わせてもらう。そもそも、大久保秘書の逮捕劇は、どこが「国策捜査」なのか。小沢が汚職で捜査されるかもしれないから国策捜査なのか?民主党を狙い撃ちにして自民を狙わないから国策捜査なのか? 違うだろ。 どうやら、多くの民主党連中は、そのように考えているようだ。だからこそ、小沢の罪を隠蔽しようとするのか!と反撃されとひるんでしまう。その結果、徐々にその矛先を鈍らせ、いつの間にか、当初の威勢のよさが失われてしまった。 だからちっとも世論にアピールできていない。 反発を怯えて、世論調査まちの有様だ。しかし、違う。大久保の逮捕は、断固として、「国策捜査」として徹底的に批判されなければならない。どこが、「国策捜査」なのか。大久保の逮捕そのものにあるのではない。小沢が汚職の容疑がかかることも、決して「国策捜査」ではない。国策捜査は、大久保秘書が「政治資金規正法違反」の名目で逮捕されたことにある。 民主党は、どうしてこの2つが区別できないのか。なぜ、前者が「国策捜査」「議会制民主主義の否定」であることを強く訴えないのか。 そもそも、議員に「不逮捕特権」が与えられているはなぜなのか。それは、議員というものは、民衆の付託を受け、いざとなれば、「国家に抵抗」しなければならないからだ。弁護士と同じだ。 議会の歴史をみよ。成立当初、議会は王権に抵抗するものだった。日本だってそうだ。帝国議会設立当初は、立憲政友会成立まで、吏党と民党は激突した。民党は、国民世論をバックに激しく国家に抵抗した。「不逮捕特権」があったからこそ、尾崎行雄は大正政変で桂太郎弾劾演説ができ、中野正剛は「東条軍閥打倒」に動き、浜田国松は寺内陸相に切腹を迫れ、斉藤隆夫は「粛軍演説」「反軍演説」を獅子吼したのだ。議会人の特権は、国家の支配者だから与えられているのではない。人々の支持をバックに、いざとなれば、国家に抵抗しなければならないからこそ付与されているのだ。国家の保護が与えられるのは、国家に抵抗できるようにするため…まことに議員とはアンビバレンツな存在というしかない。だからこそ、政治資金規正法は「抜け穴だらけ」に感じられるようにできている。たしかに、政治資金規正法の抜け穴ぶりに不満を募らせる気持ちは分からないでもない。自由にお金をもらえるようにするかわりに、すべてをオープンに申告しさえすればよく、事実に反する申告は修正することが認められていて、逮捕は不公正なものだ ……… 一昨日の記者会見での小沢代表の説明は、一見、汚職・収賄を自己正当化するのか?ふざけんな!と思えたかもしれない。しかし、それは勘違いだ。政治資金規正法は、資金面における議会人の活動を束縛する法律だ。政治資金規正法がゆるいのは、国家が議員の政治活動に介入するのは最低限にしなければならないからだ。斉藤隆夫のような輝かしい活動を保障するためにこそ、抜け穴を利用する汚職政治屋の跳梁がおきるのだ。この2つを切り離すことなどできはしない。今回のように政治資金規正法を名目に、総務大臣の指摘と訂正ですむような事柄をいちいち逮捕していればどうなる?? 「不逮捕特権」が空洞化してしまうではないか!!!。気に食わない政治家、政党に対して、選挙直前、なにかしらの疑惑を理由に議員秘書を逮捕してしまえばよい。国家は、議員本人の「不逮捕特権」を犯さなくても、選挙における落選を通じ、容易に議員の政治生命を終わらせることができる。大久保秘書を政治資金規正法の微罪で逮捕することは「国策捜査」だ!!!別件逮捕はやめろ!!!政治資金規正法での不当逮捕を正当化するため、検察が汚職容疑のリークをマスコミに垂れ流すのは許されない!!!どうしても逮捕したければ、あくまで斡旋収賄などで逮捕しろ!!!民主党は、なぜ、上記の様に叫ばないのか。なぜ、検察のリークを厳しく批判しないのか。たとえ、大久保秘書が検察に起訴されたとしても、本来、このように叫んで、小沢代表を支えなければならないはずだ。世論の逆風にさらされても、忍耐強く説明しなければならないはずだ。これは、国家・検察権力の仕掛けた権力闘争。不当に売られた喧嘩だから、買わなければならない。ところが、民主党若手議員たちときたらどうだ。国民を代表して国家を監視(抵抗)するために選ばれたということをケロッと忘れ、秘書が起訴されたら、小沢をやめさせよう!と考えているらしい。それでも男の子か。金玉ついてるのか。おまえら、小沢代表を選出した責任をとりたくないのなら、議員の意味が理解できないのなら、権力闘争を仕掛けられて逃げるのなら、ただちに政治家をやめろ。「時窮まれば、節すなわち現る」。逆風下こそ、議員の「節」「操」が試されるのだ。議員とは、落選をおそれる意気地なしどもの腰掛ではない。お前らは、そもそも、政治家になる資格などない!!! 最後に、どうせ読まれまいが、この醜悪な政治闘争を仕掛けた自民党に所属する議員、世耕弘成、川崎二郎両名に言っておきたい。おまえらは良心がないのか。おまえらの祖父は、不逮捕特権を武器に戦時体制に抵抗し、翼賛選挙ではすさまじい選挙干渉によって落選の憂き目を見たはずだ。おまえたちの祖父は、生死の境をさまよいながら、日本の議会政治を守り抜いた。それは輝かしい名誉であると同時に、困難な闘いだったはずだ。それなのにおまえたちは、議会政治をゆがんだものにする気なのか? 祖父を守った不逮捕特権を空洞化させるのか? 輝かしい議会政治を貶めるのか? 世耕家、川崎家の歴史に泥をぬる気なのか? おまえらの姿をみたら、天国の祖父は泣いているだろうよ。自民党よ、恥を知れ! ← 同感の方は1クリック今のブログ順位
Mar 7, 2009
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私はTBSの放送の中で、本塁打数の4倍も三振しながら、ろくに3割も打てない3塁手が日本代表の4番を打っているのを目の当たりにした。かれはもはや広島市民球場以外ではろくに本塁打を打つことができず、韓国の投手陣に弱点をつかれ、凡打の山を築くだけだった。日本代表がこのような恥ずかしいクリーンナップしか作れなかった原因は、アメリカ大リーグへの最近の選手の流出がある。日本プロ野球は、魅力にとぼしく、イチロー、松井、井口、城島、福留と日本を代表する野手陣が流出していった。セ・パの下位に低迷するチームと比べても見劣りがする「3番青木・4番新井・5番稲葉」といったクリーンナップでは、韓国に勝てるはずもなかった。大リーグにこえることを願った正力松太郎の夢むなしく、日本プロ野球は大リーグの下請に甘んじて、何の手も打ってこなかった。ついに私は、日本野球は、韓国に負けたのではないという結論に達した。日本野球は、恥辱のために崩れ落ちたのだ。「世界一」を掲げながら、新井程度の選手が全日本の4番にすわることを恥じ、パワーの大リーグに対して「スモール・ベースボール」を構築して対峙しようとした、自らの偉大さなど何の足しにもならないと知って砕けたのだ。今のブログ順位
Aug 22, 2008
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▼ いやあ、民主党がやってくれました。民主党が日銀総裁人事を否定してくださいました。 選挙で1票入れた価値がありました。 メデタイ、メデタイ。 ▼ いろんな番組見たけれど、所詮、金融市場を知らない与党議員が、日銀総裁人事が通らねば、日本経済が破滅に向かう!!!!と、自民党お得意の「死ぬ死ぬ詐欺」 をやっていただけだった。 知らないなら出てくんなよ、テレビに。▼ 「知らない奴」は、たいてい、「抽象的」な議論(武藤氏は経験がある!!!)と専門用語の羅列(サブプライム云々)に逃げ込んでしまう。 ブログをご覧の皆さんが、詭弁を判定したい際、気をつけてほしい。▼ 今回の自民党の敗因は、メディアではまったく言われていないが、明らかに、白川方明氏を副総裁にしてしまったこと、にある。 ▼ 金融市場を知らない人のため解説しておくと、サブプライムなど、どんなに珍奇な専門タームが並べられても、金融危機がおこるのは、たった一つの理由しかない。 「流動性(≒貨幣)の供給不足」 これだけ。 そして中央銀行のやれる対策も、「流動性の無制限供給」。 実際、これだけのことしか、日銀はやれないんだよ。▼ そして、日銀実務の観点からみれば、この流動性の供給をどのように行うかが、腕の見せ所なんだ。 経験と判断力が問われる。 無制限供給は、モラルハザードなどがあるため、政治的に問題になりやすい。 だから、基準が必要になる。 「基準」をどう設定するか。 そして「経路」をどうするか。 そして、実施するための「政治力」が欠かせない。▼ 日銀は、短期金融市場(コール)と長期金融市場(債権)を通して、各種実物市場に潤沢に資金を供給しているのだが、「不動産」「商品」「株式」「金融商品」「外国為替」……のどのルートに資金が流れるかは、かなり、「中央銀行総裁の腕次第」の側面が強い。 総裁も、市場との対話や、しばしば強権的な運営によって、資金誘導をおこなう。 ▼ バブル期、日銀と自民党政権は、不動産に総量規制を実施して、壊滅的な日本経済の破滅をもたらした。 グリーンスパンが天才的だったのは、金融危機がくるたびごとに、的確に資金を供給するだけでなく、次々とミニバブルを作って破綻を先送りさせたことにある。 今では、化けの皮がはがれてしまったが。 ▼ 伊吹文明「死人に口なし」幹事長が言うような、たった5年の副総裁在任中に、武藤が「手腕」を習得できるはずがないだろう。 伊吹の言う通りなら、入行6年以降の、30歳代の日銀職員は、みんな、日銀総裁有資格者じゃないか(爆笑)。 実際は、全部、福井と日銀出身理事たちが、やっていたのである。 武藤は、政治家たちの根回しをしていたにすぎない。 そして、白川副総裁を選定した時点で、そのカラクリは、見る人がみれば、あきらかであった。 よくも、こんな珍妙な人事を選定したもんだ。 たぶん、政府自民党は、武藤本人に金融政策のカジ取りを任せるのが、よほど心配だったんだろうよ。▼ 結局、武藤が日銀総裁になっても、実務を仕切るのは白川副総裁、と云うのがミエミエのこの人事。 所詮、白川路線のチェック役の伊藤隆敏以上に、何のため武藤が必要なのか、さっぱり分からなかった。 大蔵省をバックにした政治力? 政府への用心棒役か? 所詮、御用エコノミストたちがどんなに武藤総裁賛成を述べようと、武藤総裁人事が不同意にされて、白川副総裁だけ同意されるのは、あまりにも明らかだったのだ。 個人的には、伊藤副総裁の人事には賛成だったから、武藤の巻き添えを喰ったのは残念だけど。 ▼ 日銀総裁代行は、白川が就任するだろう。 たとえ武藤が総裁になっても、仕切るのは白川なんだから、実質的には何もかわらない。 武藤という余分な重しがない分、自由に手腕がふるえるというものである。 むしろ、どうして、「統制される側」に属する市中金融機関出身者が、総裁・副総裁候補の3人の中にいないのか? こちらの方では、厳しく批判する記事がまったく出ていなかった。 大変疑問な論調である。▼ 今回は、朝日・毎日を含めて、主要全国紙の社説ほとんどが、政治部記者執筆による「武藤総裁容認論」をわめきたて、政府自民党との癒着ぶりを鮮明にしていた。 日経をのそけば、まともな経済方面からの論評は、皆無だったといってよい。 全国紙の編集委員こそ、反省しなければならない。 ▼ 政府自民党は、無駄なことはやめて、さっさと別の人間を日銀総裁にすえるべきだ。 ← 自民党は下野しろ!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Mar 12, 2008
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▼ 大江健三郎『沖縄ノート』をめぐる裁判において、山崎行太郎氏は、保守系評論家でありながら、大江健三郎支持に回って健筆をふるっている。 これが、実に面白い。 大江健三郎を擁護する。女々しい日本帝国軍人の「名誉回復裁判」で…。誰も読んでいない『沖縄ノート』の記述。…大江健三郎を擁護する(2)。大江健三郎は集団自決をどう記述したか?曽野綾子の「誤読」から始まった。大江健三郎の『沖縄ノート』裁判をめぐる悲喜劇▼ 何よりも、大江健三郎の文学に批判的でありながら、文学を守るため、一人、孤高に立ち向かうさまがいい。 東方会の中野正剛は、東条政権に立ち向かい、かなわず自害するが、その座右の銘は「一国は一人を以って興り、一人を以って亡ぶ」(蘇洵)であった。 保守思想家たるもの、かくあらねばなるまい。 なにより、大江文学を考えさせてくれるところが、またいい。 ▼ ネットを検索すると、大江健三郎は、北朝鮮帰還事業のドラマを見ながら「私には帰る朝鮮がない」と涙した、という。 すごいなあ。 ベネディクト・アンダーソンが「想像の共同体」を唱える何十年も前に、その感覚を「言語化」している大江。 大江健三郎は、権威っぽいのと、生来の文学嫌いで全然読んだことがなかった。 本来なら大江健三郎の悪評を広めるための裁判で知らされた、大江健三郎の偉大さ。 つくづく、塞翁が馬、だなあ、と考えさせられてしまった。▼ そうこうするうちに、山崎行太郎と池田信夫に戦線が飛び火。 これらの論説を池田信夫が批判。 これに対して山崎行太郎が、池田信夫君、頭は大丈夫か?で再批判。 ▼ これに対して池田信夫氏は以下の反論を出した。大江氏の弁明 (池田信夫) 2007-11-22 16:49:00 山崎行太郎という自称評論家が、予想どおり「反論」しているが、対談記事ではゲラをチェックする人もいるし、しない人もいる。曽野氏は非常な高齢だから、校正は目に負担なので、おそらくざっと見ただけだろう。他のメディアでは正確に表現されている。http://sankei.jp.msn.com/life/education/071023/edc0710230343000-n1.htmSo what? この誤字が論旨とどういう関係があるのかね。きみの誤字脱字だらけの記事こそ、ちゃんとチェックしたほうがいいんじゃないの。こんなイナゴ並みの無名評論家の話はどうでもいいが、重要なのは11月20日の朝日新聞の「定義集」というエッセイに書かれている大江氏の弁明だ。<私は渡嘉敷島の山中に転がった三百二十九の死体、とは書きたくありませんでした。受験生の時、緑色のペンギン・ブックスで英語の勉強をした私は、「死体なき殺人」という種の小説で、他殺死体を指すcorpus delictiという単語を覚えました。もとのラテン語では、corpusが身体、有形物、delictiが罪の、です。私は、そのまま罪の塊という日本語にし、それも巨きい数という意味で、罪の巨塊としました>つまり「罪の巨塊」とは「死体」のことだというのだ。本当にそのつもりだったとすれば、彼の日本語感覚は相当おかしいし、そんな解釈は公的には通らない。また赤松氏を「悪人」と書いたことはないというが、「屠殺者」とか「アイヒマン」とか、もっとひどい悪罵をつらねている。これが日本軍の「タテの構造」をさす記述であって個人のことではないという話も、原文にはなく、法廷で初めて出てきた話だ。「日本軍のタテの構造」が「屠殺者」であるというのは、どういう意味かね。日本語をまともに理解も記述もできない人物が「作家」や「評論家」として営業しているのは困ったものだ。 ▼ たまりかねた私は、おもわず、池田先生のブログにこう書いてしまった。-----------------------------------------------------------------池田信夫先生、こんばんわ。こちらでは初めてお邪魔いたします。>他のメディアでは正確に表現されている。正確に表現されればされるほど、曽野綾子と池田信夫センセの対談がバカに見えてしまいますよ【しかし「罪の巨塊」だと思えた人物には会ったことがなかった。】曽野綾子も池田信夫センセも私も、「死体」だと思える人物に会ったことなどないでしょうに、何を対談なさっていたんですか? 不思議に思われなかったのですか? (笑)>「屠殺者」とか「アイヒマン」とか、もっとひどい悪罵をつらねている。これが日本軍の「タテの構造」をさす記述であって個人のことではないという話も、原文にはなく、法廷で初めて出てきた話だ。「日本軍のタテの構造」が「屠殺者」であるというのは、どういう意味かね。「屠殺者」は「記憶」する住人側にとって「屠殺者」なんでしょう。実際、今でも屠殺者のような証言がしばしば見られます。また、「アイヒマン」のなにが悪罵なんでしょうか。アイヒマン裁判は、アーレント「エルサレムのアイヒマン」の副題、「悪の凡庸さについて」をみればお分かりでしょう。巨悪とされてきたアイヒマンは、実は組織の中で忠誠をつくし続けた凡庸ともいえる人物だった。実は凡庸さこそ、巨悪を支えてしまうのだ……組織人として立派だったアイヒマンになぞらえることがどのように「ひどい悪罵」なのか、こちらの方がまるで理解できません。「タテの構造」なんて、アイヒマン裁判になぞらえていれば、誰しも想像がつくことで、「初耳」なのは池田信夫先生の見識の低さをうかがわせるものだとおもいます。もう一度、山崎行太郎氏の反論にきちんと向き合われて、反論されることをお勧めいたします。------------------------------------------------------------------▼ 池田先生のブログは、投稿しても管理者が見てからでないと反映されない。 この反論受け取ってもらえたのだろうか。 ← このブログを応援してくださる方は1クリック!今のブログ順位
Nov 22, 2007
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▼ 稲尾和久が死んだ。 信じられない。 ▼ 親父が西鉄ファンだった。 親父はいつも西鉄の話をしてくれた。 神様、仏様、稲尾様。 プロ野球最高の選手。 金田正一なんて、自分が調子がいいときにしか投げなかった。 稲尾は調子が悪くても投げたんだ。 チームを一人で優勝させ、大舞台に強くて、記録に残るスーパースターだった。 いつも夜飯のとき、酒を飲みながら語るのだった。 たぶん、息子を野球選手にしたかったはずだ。 不肖の息子になってしまったけれど。▼ 今でも西鉄水爆打線の打順をいえる。 南海400フィートも。 大毎ミサイル打線も。 『こち亀』の「光の球場」東京スタジアムの話のとき、本来なら葛城隆雄のポジションに両さんの思い出の選手が入れられていることに気付いた人間は、たぶん、僕だけだと思う。 ▼ 今はなき平和台球場で、ロッテ監督時代の稲尾和久をみたよ。 周りはみんなロッテファンだった。 それなのに、阪急との首位攻防戦なのに、ロッテが負けた試合なのに、みんな試合なんてどうでもよかった。 みんな「おらが稲尾」の姿を見に来ていた。 あの雰囲気は本当に忘れられない。 ▼ ダイエーホークスが福岡にきたとき、親父も伯父さんも、一様に微妙だった。 なんで、西鉄と鎬を削った南海が…。 喜びと不満がないまぜだった。 優勝したシーズン、毎日スクラップを作っていたという伯父さん。 ソフトバンクホークス一色に染めあげられたかのようにみえる福岡。 それでも、西鉄ファンにとっては、ダイエーは代替物ではなかっただろう。 ▼ 豊田泰光も、もう74歳なんだね。 『サンデー毎日』に「豪打一筆」を書いていた頃なんて、40代半ばだったのに。 梶本も、大杉も、杉浦も死んだ。 王も死んでしまうのか。 もう嫌だよ。 次はだれが死ぬのか。 山本浩二が死んだ日には、自分がどうなるのか、分らない。 パ・リーグに、「稲尾賞」がないなんて、パ・リーグ最大、否、プロ野球最大の偉人への侮辱ではないのか。▼ とりあえず、喪に服したい。 ← 鉄腕稲尾よありがとう、という方は、1クリック!今のブログ順位
Nov 13, 2007
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読売新聞の記事は他新聞と比べて一番まともではないだろうか?売りにくる販売勧誘員は「日本一の新聞」の自負を持っていて、はじめてのお宅に訪問に出向いても、押売のような真似はしない。従来型の一国平和主義に批判を加え憲法草案をつくっても、米国や中国との協調を主張してやまない。慰霊を靖国神社にもとめる遺族たちの思いを政治に利用してきた安倍晋三などの極右政治家の靖国参拝を批判してきたのだ。夫婦・家族を扱う家庭欄を中心として、読売新聞はナイーブなフェミニズムに反対してきた。ベルリンの壁崩壊以降、恒常化しつつあるグローバル資本主義の中で、「株式の売買で濡れ手に粟」流の拝金主義に警鐘を鳴らしてきた。国益を第一に考えているだけではない。ゴア前副大統領などが重視してきた環境問題においても、ミーイズムを否定し、つねに国家社会のことを優先させてきた。売上げ・部数世界一の新聞であるのは、当然だろう。新しい「与党過半数割れ」の政治状況が参議院選後に出現したとき、聞けば、小沢代表・福田首相に大連立を持ちかけたというではないか。なんという憂国の志士であろうか。のんきに政治抗争に励む政治家が、永田町界隈にあふれる中で、渡辺恒雄主筆の志は、国家国民のための政治にある。不利益・批判を顧みず、断固たる信念で政治を動かそうとする姿が、買物券・巨人戦チケットによる拡販活動で誤魔化されるのは、運命とはいえ「悲運のジャーナリスト」というしかない。北朝鮮の動向が不鮮明で中国が台頭している現在、特措法反対を推し進める参議院野党勢力は、狂気の沙汰としか言い様が無い。進軍ラッパをもう一度聞きたいのか?(なお、著作権は放棄しますので、ご自由にご利用・改良・コピペしてください) ← 自民党は下野しろ!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Nov 9, 2007
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2007-10-30 愛国戦隊大日本 製作当時、『アニメック』で、池田憲章の連載のパロディーとして書かれた文章で知ったとき以来、初めて現物を見た「愛国戦隊大日本」である。 しかし時は流れた。もはや、右翼といえば反共という図式が成立しない。ロシヤはもはや社会主義国ではないし、佐藤優のようなロシヤのスパイの右翼も登場した。---------------------------------------------------------▼ ミスの多い方ですな、小谷野氏は。▼ 「愛国戦隊大日本」は、1982年8月14日、日本SF大会「TOKON 8」で放映。 製作されたのは、当然、1982年ということになる。▼ そして、池田憲章の「特撮ヒーロー列伝」のパロディ、「ゼネプロ講座」番外編は、『アニメック』28号、すなわち1983年1月号に載っているんだから、「製作当時」では、どう見てもおかしい。▼ と、小谷野氏流の「重箱の隅」をやってみたが、ホント、嫌らしいね。 こちらにまで人格の悪さがうつりそうだ(笑)。 つーか、本当に「ゼネプロ講座」のパロディを読んでいたら、2005年まで読売新聞解説部次長やってた、波津博明記者率いるイスカーチェリSF倶楽部との大ゲンカのことまでさりげなく触れられているんだから、およそ「製作当時」なんてマヌケなことを書くはずがないと思うんだけど。▼ だいたい、「時は流れた」と言って書く内容が寒い。▼ 「愛国戦隊大日本」をめぐる論争では、「イスカーチェリにダイダロス・アタックを!」なる題名で、ゼネプロ陣営として参戦。 これが山形浩生の鮮烈なデビューであり、小谷真理や宮崎哲哉に対する、後の「売られてもいない喧嘩を勝手に買う」芸風の出発点、と考えると、まことに感慨深い。 山形浩生の書いた『新教養主義宣言』なんて、この人のデビューを知っている人なら、とても買う気はおきませんよ。 何が悲しゅうて、山形浩生なんぞに、教養のなんたるかを教わらなきゃならんのだ …… 時代は変わった、と思ったね。 まあ、クルーグマン本のお世話になった、この私が言うのも何ですが。▼ 「反社会主義的だ!!」「東欧のSF作家からSF大会宛に祝電までもらいながら、その社会主義を侮辱するフィルムをSF大会で上映するとは、いったい、何事なのか!」と吼えてから、はや、20年。 波津博明記者は、2000年の「ゴア VSブッシュ」の大統領選では、パンチカード式投票にみられる「アメリカ草の根民主主義」を「未熟」と、嬉々として断じる記者になっていた。 わたしは情けなかった。 草の根への蔑視。 これは、社会主義者として首尾一貫した言説なのか。 それとも、読売的保守主義への変節とみるべきなのか。 現在、大妻女子大の教授にトラバーユされた波津博明氏は、読売新聞を追放されたのか? それとも読売新聞と主義主張があわなくて退社したのか? せめて、自己の言説については、はっきりさせる責任があるだろう。 SFが政治であった、最後の世代の責任ではないか?▼ 時が流れたとは、こーゆー、「有為転変は世の習い」を感じさせるものをみせつけられたときに言うべきセリフであって、福田和也や松本健一等、昔からあるものについて使う言葉ではないだろう。 どうみても誤用だよなあ。 ← 自民党は下野しろ!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Nov 1, 2007
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▼ NHK特集は、戦争や特攻隊を扱うと、悲惨さ、非道さを全面に出してくる。 それはそれで、悪いとは思わないんだけど、どうしても肝心なことが抜けてしまうんだよな。▼ 特攻隊は、志願してなくても、「希望せず」と言っても、志願した形にされて特攻隊にさせられた、ということを明らかにしていた今回の特集。 これは良かった。 ▼ でも、特攻隊は、「学徒出陣兵」ばかりに割り当てられ、「職業軍人」「一般人で徴兵された下士官・一般兵」はほとんど割り当てられていない、ということをなぜ言わないんだろう。▼ ナベツネを始めとして、丸山真男など、大学卒の軍経験者は、おしなべて、戦後、日本軍を憎悪してきた。 軍隊にいて、戦後も日本軍、とくに陸軍を好きだった大卒エリートなんて、聞いたことがない。 ▼ 戦後民主主義における日本軍イメージの悪化、の最大の原因は、「日本の大卒エリート層の軍憎悪にある」といっても良い。 その根幹は、「学徒出陣兵」の受けた差別であることはいうまでもない。▼ 擬似的平等、デモクラシーを実現していたとされる日本陸軍における、恐ろしいまでの差別待遇。 特攻隊の悲劇は、「学徒出陣兵ばかり襲った」ことを強調しないと、戦後日本の言論空間における「軍に対する言説の偏り」 ―――― いうまでもなく、今回のNHK特集をふくむ ―――― をあきらかにすることはできないのではないか? ← 自民党は下野しろ!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Oct 21, 2007
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▼ 本気か? さすがにこんな内閣とは想像もできなかった。 信じられないサプライズである。◇総理 福田康夫(ふくだやすお)71歳=衆(当選6回)群馬4区 ---------------------------------------------------------◇幹事長伊吹文明(いぶきぶんめい)69歳=衆(当選8回)京都1区◇政調会長谷垣禎一(たにがきさだかず)62歳=衆(当選9回)京都5区◇総務会長二階俊博(にかいとしひろ)68歳=衆(当選8回)和歌山3区◇選挙対策委員長古賀誠(こがまこと)67歳=衆(当選9回)福岡7区---------------------------------------------------------◇総務(再任) 増田寛也(ますだひろや)55歳=非議員(元岩手県知事) ◇法務(再任) 鳩山邦夫(はとやまくにお)59歳=衆(当選10回)福岡6区 ◇外務(新任) 高村正彦(こうむらまさひこ)65歳=衆(当選9回)山口1区 ◇財務(再任) 額賀福志郎(ぬかがふくしろう)63歳=衆(当選8回)茨城2区 ◇文部科学(新任) 渡海紀三朗(とかいきさぶろう)59歳=衆(当選6回)兵庫10区 ◇厚生労働(再任) 舛添要一(ますぞえよういち)58歳=参(当選2回)比例 ◇農林水産(再任) 若林正俊(わかばやしまさとし)73歳=参(当選2回)長野 ◇経済産業(再任) 甘利明(あまりあきら)58歳=衆(当選8回)神奈川13区 ◇国土交通(再任) 冬柴鉄三(ふゆしばてつぞう)71歳=衆(当選7回)兵庫8区(公明党) ◇環境(再任)鴨下一郎(かもしたいちろう)58歳=衆(当選5回)東京13区 ◇防衛(新任) 石破茂(いしばしげる)50歳=衆(当選7回)鳥取1区 ◇官房(新任) 町村信孝(まちむらのぶたか)62歳=衆(当選8回)北海道5区 ◇国家公安(再任) 泉信也(いずみしんや)70歳=参(当選3回)比例 ◇沖縄・北方(再任) 岸田文雄(きしだふみお)50歳=衆(当選5回)広島1区 ◇金融、行政改革(再任) 渡辺喜美(わたなべよしみ)55歳=衆(当選4回)栃木3区 ◇経済財政(再任) 大田弘子(おおたひろこ)53歳=非議員(元政策研究大学院大教授) ◇少子化、男女共同参画(再任) 上川陽子(かみかわようこ)54歳=衆(当選3回)静岡1区 ▼ せめて、「少子化・男女共同参画」「環境大臣」「沖縄北方」「農林水産」大臣くらい、替えようがあっただろう。 つねに、「野党第一党」を支持することを標榜し、小沢・民主党を支持者する私だが、自民党支持者の方々には同情の念を禁じえない。 そりゃ、仕事はできるだろうよ。 国会が法案を通せれば、の話だが。 法案を通すためには、民主が解散総選挙を警戒するほど、「人気がある」政治家を閣内の取りこまなければならないだろうに、早くもミソをつけた舛添しかいないとは …… 。 これでどうしろと?▼ せめて、幹事長くらい、谷垣にしとけよ。 この、凄まじい地味な内閣といい、党4役といい、福田内閣では解散させない、という森喜朗の意思の現れ、なのだろうか。 自民のためには、福田の方が良いだろうとは思っていたが、こんなことなら麻生の方が良かったのでは??? …… と、民主支持者のおいらでも慄然とせざるをえない。▼ そういえば、ボーっと眺めて気づいたけど、「西日本内閣」だよね。 東日本を選挙区とする人は、福田本人を入れても5名。 一方、ご存知のように、民主党は、首脳部がみんな東日本を地盤。 結党当時から「東高西低」と言われ続けているけど、愛知以西に名高い政治家がいない。 ▼ 角福戦争とは、平成版「源平合戦」だったか、と一人酒を飲みながら得心していたのであった。 ← 自民党は下野しろ!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Sep 25, 2007
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▼ 麻生太郎の必死のパフォーマンスも、所詮、アキバのオタクの御用達に終わるようだ。 どこまでいっても、キワモノ候補の域を出ないまま、いつのまにやら選挙戦は、最終盤に突入した。 20日の『ニュース23』の討論会では、田勢康弘@早稲田大学教授(元日経記者)に反撃したのは良いとしても、「総裁に選ばれたら、福田さんを起用するか」の問いかけに、小沢批判をおこなうトンチンカンな応答。 これには失笑を漏らしてしまった人も多いだろう。 どんなに大物ぶっても、所詮、「余裕がない男」。 たぶん、視聴者への逆アピールになったのではないか。 ▼ 「討論会・街頭演説では麻生の圧勝なのに」みたいな言い方をする人も多いが、 実際は「太郎ちゃん、勉強してるんでちゅね」「福田さん、あまり明確に言わないね」を越えるような印象を抱かせてはいない。 要するに、参議院前の党首討論会の反省が生かされていない。 小沢と安倍では、安倍圧勝と言われたが、その饒舌ぶりが、安倍の「口先男」パーソナリティを増幅させるだけに終わって、安倍の失地回復にならなかった。 とくに「口の曲がった」麻生太郎の笑いは、余裕の演出どころか、「心までねじ曲がっている小物」ような悪印象をあたえかねないのだが、依然、直る気配がない。 「ブッシュ VS ゴア」のアメリカ大統領選でも、ゴアの振るまいが反感を買った。 結局、何も学んでいないのだろう。 ▼ ウソう、じゃない、麻生太郎を理解するキーワードは、「余裕のなさ」ではないか。 かれが色紙に書く「誇れる国」の達筆さは、2回目の総選挙で落選の憂き目にあい、「篠栗線電化」を一枚看板にして地盤養成を図った「利権政治家 麻生太郎」の姿ともかさなって、かなり痛々しい。 どんなに流行モノに飛びついても、「古い自民党」タイプの政治家なのである。 ただ、努力を重ねたことが、伝わってくる。 天然ではない、努力の人、麻生太郎。 スーツ選びにしても、ときどき英語のペラペラさをアピールする姿にしても、浮かびあがる姿は、「努力してきた安倍晋三」ではないだろうか。 アキバオタクへ媚びを売る発言にしても、本来なら、麻生はロリコン・アニオタを軽蔑しているはずであるだろうに、ご苦労なことだねえとしか思えない。 これに「俺たちの太郎」というプラカードをかかげたオタクたちが輪をかけて不快にさせる。 麻生が小泉のようなブームを起こせないのは、こういう所がブレーキになっているのだろう。▼ そんなこともあってか、麻生支持グループは、なんと投票当日の23日の午後、自民党本部前に支持者を集めてパフォーマンスをするらしい。 本気か? おれが反麻生の暴力団関係者なら、デブをあつめて右翼団体に扮して、街宣車を回し、以下のようなアピールを大音量スピーカーでしちゃうけどね。 麻生太郎先生は、愛国者であります!! エタ・ヒニンの売国奴、反日、野中広務を 「部落出身者を首相にするわけにはいかない」と阻止した、 真の愛国者であります! おれたちの太郎、麻生太郎先生、万歳!!! ▼ むろん、金目当ての「褒め殺し」であることは言うまでもないが……(つーか、誉めていると思えるのは右翼だけ??) ← 自民党は人材いないね!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Sep 21, 2007
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▼ 良著。 面白い。 お勧めである。▼ 空前の好景気で金余りの日本。 バブルの傾向さえみられる。 世界の富の4割は、わずか1%の人間が持っているらしい。 ところが、地域社会での医療・介護・福祉活動、環境保全、地球にやさしいエネルギーの開発 ……… そんな「非営利活動」や「公益性」の高い分野には、国・自治体の財政の厳しさもあって、全然お金が回ってこない。 非営利活動へ資金供給はおこなわなくていいのか。▼ 本書でとりあげられる、「非営利」「公益性」領域への資金供給を目指す人々たちは、実に多様である。 「エコバンク」「女性バンク」「グラミンバンク」「(坂本龍一の)APバンク」といった独立系「NPO」もあれば、地方政府と密着してNPOに資金を貸し出す「NPOバンク」もある、というように。 どれもこれも、自然エネ、環境、省エネをかかげているように思われるかもしれないが、実はそうでもない。 岩手信用生協は、「多重債務者保護」をかかげるが、かれらが編みだした方法がまた面白い。 地方政府は、預託金を銀行に入れ、その2倍の金額を信用生協に貸し付けさせる。 さらに信用生協は、自己資本とあわせて多重債務者にその倍額の貸し付けをおこない、多重債務者の債務整理をおこなう。 この方法は、全国に波及。 なかなか面白いでしょ?▼ それだけではない。 「市民ファンド」という形式も出現しているという。 自然エネルギーの建設、地産地消の推進、ベンチャー企業・若者企業の育成をはかる、市民ファンドが続々と誕生。 団塊世代の退職金などの資産が、流れこんでいるらしい。 また、日本だけではない。 アメリカとイギリスの金融NPOの活躍も丁寧に描かれていてあきない。 「地域再投資法」と「地域開発金融機関」の設置によって、営利金融と非営利金融を財政資金をくみあわせながら循環させている、という。 また、凄いものになると、金融NPOがそのまま「コミュニティ・バンク」になっている事例もあるのだとか。 アメリカのコミュニティ・バンクは、低所得者向け住宅ローン(サブプライムローン)の破綻を受けても、大手銀行とちがい、ほとんど影響を受けていなかったらしいから驚かされる。 ▼ そして、日本政府は、あいかわらず、こうした活動への理解が足りないようだ。 NPOは、当初、便法として「貸金業」で登録していた。 ところが、貸金業法改正のとき、「高利貸がNPOを隠れ蓑にするかもしれない」という理由で、あやうく登録要件の強化・厳格化をくらいそうになったらしい。 また金融商品取引法改正では、監査義務付けを食らいそうになったので、「無配当」を理由に難を逃れた。 しかし、法律で無配当を強制するようなことは、他の国では見られない。 そのため、組合員に配当を実施しているカトリックの共助組合などは、つぶれる寸前だという。 非営利金融の活躍を広げるためには、NPO方式よりもNPC化(非営利株式会社)の方が良いので、模索しているNPOもあるのだという。▼ なにより本書で驚かされるのは、「医療はお金が来ない分野」ということだろうか。 非営利性をもち規模も小さい。 おまけに、不定期で巨額な金がいるため、銀行は金を貸したがらないらしい。 そのような状況下、病院経営の透明性・公開性の向上、地域医療における患者と医者の連携強化まで考慮にいれつつ、「医療機関債」発行のためのスキームづくりのお話は、かなり感銘をうけるのではないか。 また、日本企業は意外と寄付をしており、(寄付優遇税制・支援組織がないこともあって)日本にないのは「個人が寄付する文化」である、というのも、意外感を持つ人が多かろう。 しばしば讃えられるが英米の金融NPOだが、金利の上限規制がないため、かなり金利が高いことも、盲点といってよいかもしれない。 成果をとわない釣銭型寄付から、寄付者に「達成感」を味あわせる「社会変革型寄付社会」になる可能性を指摘されると、ワクワクさせられる。 ▼ でもさあ。 アメリカで金融NPOが大量に存在していたのは、要は人種や移民問題や社会的流動性の高さなどが絡んで、「情報の非対称」性が強い社会だったからでしょ。 日本における金融NPO「設立機運の盛り上がり」は、格差社会によってモニタリングコストが高くなったということであって、あまり喜べるような話ではないのではなかろうか??。 なに? 前々からそんな非対称性があったのであって、近年モニタリングコストが高まったのではないって?? でも、そうだとするなら、非対称性を緩和することができる「何か」が、日本にはあったということになるよね。 それは一体、何だったんだろう。 それは、頼母子講からにしてもそうだけど、「共同性」ではないのか。 ▼ そうやって、本書『金融NPO』をながめてみると、事例のほとんどが「共同性の再建」話であって、いささか食傷気味になってしまう。 成功の秘訣は、「相互扶助と信頼」「借りたら返す」「人をみて貸す」だそうだから、なおさらであろう。 今も昔も、「共同性」によって、モニタリングコストを減らしていただけ。 頼母子講は、断じて「非営利金融」なわけではない。この辺の理論的アプローチの欠乏は、不信感がのこる。 ▼ さらにいえば、「共同性の再建」以外の「成功のための方策」も、さして珍しいものではない。 「長期」にわたる安定的出資者がいれば、銀行のように流動性維持に四苦八苦する必要はない。 とくに、アメリカの地域開発金融機関や「コミュニティバンク」の成功は、「資産・負債の双方が長期だから」で、ほとんど説明できるのではないか。 NPOの成功は、手品でもなんでもない。 とくに後者の負債面。 負債が「出資」という形式をとれば、銀行のように「要求払預金」を負債にしない分、簡単に引きあげられることはない。 低利長期の投資もヘッチャラである。 サブプライムローンでなぜコミュニティバンクは損害が少なかったのか? 銀行経営の鉄則を理解していれば、別に不思議でもなんでもない。 ▼ とはいえ、たいへんおもしろかったのは確か。 胎動する新しい動きを理解するためにも、一読をお勧めしておきたい。評価: ★★★価格: ¥ 819 (税込) ← 応援のための1クリックをお願いします今のブログ順位
Sep 18, 2007
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▼ いやあ、安倍晋三を与謝野馨とともに後ろから刺した麻生光秀、じゃなかった、麻生太郎の凋落ぶりには笑ってしまった。 ホラネ、麻生なんか、支持される訳がなかったでしょ。 策士、策に溺れる。 ここの所、麻生の「勘違い」っぷりがひどすぎて、辟易させられていたので、ちょっとうれしい。 ▼ 本来、安倍晋三を支えなければならないのに、支えることをせず、ひそかに総裁選準備。 「行司が回しをしめ」て、宮廷クーデターを起こそうとは、何事か!!! 周囲からは、袋叩き。 味方と頼んだ二階総務会長にも与謝野馨官房長官にも裏切られ、もはや安倍首相ともども、政治生命を断たれそうな勢いである。 「麻生に騙された」発言の怪情報まで流され、ジ・エンド。 ▼ 太郎ちゃん。 どうして、マスコミや記者に、うまくいかない欝憤をぶつけるのかね。 どうして、汚い口の聞き方しかできないのかね。 マスコミ嫌いの人間は、スッキリするかもしれないが、どうみても総理大臣の器じゃないと思われるだけでしょ。▼ 太郎ちゃん。 ここは、気の利いたことを言うべき時なんだよ。 「男は3度、勝負する」に類する、カッコいいことを言わないといけないんだよ。 悔しさを美学に昇華させないとダメなんだよ。 福田擁立派に向って、「派閥政治の復活」なんて攻撃、あまりにもダサすぎる。 どうして、もっとポジティブになれないんだい? 義理と人情とやせ我慢、なんて言ってる割には、安倍晋三ともども、こらえ性がない。 ▼ とにかく、ここの所、保守政治家の質の低下は、目を覆うばかりだ。 だいたい安倍首相突然の辞意表明に、判を押したように「青天の霹靂」を連呼するのはどういうことか。 おまえら、語彙が乏しすぎ。 ここが、「三角大福中」と「麻垣康三」の人間力の違いであって、わたしが20年近く前に、自由民主党支持者をやめた理由なんですな。 当然、福田のファンでもありません。▼ もはや、「三角大福中」の残り香を漂わせる政治家は、小沢一郎のみ。 わたしが小沢に期待する所以である。 ← 自民党は人材いないね!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Sep 14, 2007
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▼ 安倍首相、緊急入院 マスコミからのバッシングを受け、首相官邸に引きこもっていた、安倍首相。 とうとう「美しい国」に緊急帰国されたそうです。 2度と薄汚い日本に戻ってこなくていいよ。▼ 残された自民党総裁室には、驚くべきことに、以下のような書き置きが… 経団連の皆様、ホワイトハウスの皆様 私自身の不明、不徳の為、 お騒がせ致しましたこと、 ご迷惑をおかけ致しましたこと、 衷心からお詫び申し上げます。 自分の「職責」を持って責任とお詫びに代えさせていただきます。 なにとぞ、お許し下さいませ。 残された小泉チルドレンたちには、皆様方のお情けを賜りますよう お願い申し上げます。 ブッシュ大統領、アメリカ合衆国万歳。 平成19年9月某日 安倍晋三▼ 冗談はさておき、読売・産経・文春・新潮は、大変だろう。▼ なにせ、社をあげて、安倍首相を礼賛していたのだ。 アルバイトでさえ、仕事当日になって急に休むなんてことはしない。 与えられた仕事を投げ出しはしない。 そんな社会人の当然の常識さえ守れない安倍晋三を、かれらは「清新」「愛国者」「戦う政治家」として礼賛してきたのだ。 おかげで安倍首相就任直後は、支持率六〇パーセントから七〇パーセントだった。 ▼ かれらは、文化大革命期の中国にとどまり、当時の中国の「公式イデオロギー」を丁寧に報道していた朝日新聞を、厳しく批判してきた人たちだ。 安倍首相礼賛報道をしてきた以上、当然、責任をとるはずだ。 かれらが、安倍晋三の実像~経験不足、人格上の欠陥など知っていなかったはずがないのだから。 いやー、残念だね。▼ 読売新聞と産経新聞は、廃刊するにちがいない。 決して、朝日新聞のように、「国民とともに立たん」程度でお茶を濁したりしないだろう。 ▼ 「新しい教科書を作る会」関係者は、絶筆するはずだ。 産経新聞の花岡昭吾や、屋山太郎、中西輝政、桜井よしこたちは、蓑田胸喜のように自殺するにちがいない。 ▼ やめる直前、外遊して、大盤振る舞いの「約束」を他国の首脳とかわしてくる。 これが売国奴のふるまいでなくて、何だというのだ? こいつらは、安倍を無能としりながら、黙ってきた。 その結果、国民をだまして、首相の座につかせ続けてきた。 これまで我々を笑わせてくれた人たちが死ぬのは残念であるが、当然の身の処し方である。 遺書の書き方は、松岡利勝農水相を見習えばよかろう。▼ まさか、戦前や文革期の朝日新聞の論調に対して、朝日新聞に要求してきた責任の取り方について、いざ、自分がそのような立場に立たされると実行できない、なんて言わないよね。 もちろん、「朝ズバ!」のみのもんたには、最初から期待していないけど ……▼ 政治家個人の主義主張以前に、安倍首相が「首相の器ではない」ことは、誰にでも理解できたはずである。 現在の自民党政治の堕落・混乱は、すべて、かれら「おべんちゃらジャーナリズム」の責任にほかならない。 かれらの「安倍首相礼賛報道」に対しては、きちんと責任を取らせなければならないのではないか? ← 自民党は責任政党ってウソだろ!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Sep 13, 2007
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▼ 皆さんも、ご笑覧ください。 ネットで拾ってきました。 他にも一杯ありました。▼ クリックすれば、画像にいけますので、適当にコピーして使ってやってください。 それでは。 ← 安倍内閣は解散総選挙しろ!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Sep 9, 2007
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▼ 税金ネコババによって辞任した遠藤前農相で有名になった「置賜農業共済組合」。 政務次官(副大臣だっけ?)当時も、組合長を兼任。 こうした、利益相反を平気でやらかしていたことには、驚くほかはない。 農林水産省と農業団体の癒着の深さは、想像を絶するほどだ。▼ 民主党の山岡賢次国対委員長は、自民党議員であるにもかかわらず、農業共済組合の組合長を兼任している議員一覧を発表した。 丁度良いので、その一覧を掲示しておきたい。 二田孝治 秋田1区(比例区) 秋田県連合会会長/古賀派 大野松茂 埼玉9区 埼玉県連合会会長・埼玉中部組合長/町村派 柳沢伯夫 静岡3区 静岡県連合会会長/古賀派 大村秀章 愛知13区 愛知県連合会会長/津島派 河村建夫 山口3区 山口県連合会会長/伊吹派 太田誠一 福岡3区 福岡県連合会会長/古賀派 保利耕輔 佐賀3区 佐賀県連合会会長/無派閥 ▼ なぜか、長妻議員に年金問題で返り討ちにされた、大村さんがいる …… 一応、改革派を気取っていたはずだけど。 民主党にはぜひとも国政調査権を発動してもらい、徹底して膿を出し切って欲しいものである。 ← 安倍内閣は解散しろ!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Sep 5, 2007
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▼ 遠藤農相が辞任したそうで、解散総選挙がいよいよ近づいているようだ。 後任の農相には、若林前環境大臣。 この人、かなりすごい経歴の持ち主である。 安倍首相による松岡農相殺害、赤城農相切腹のあと、それぞれ2度も代理大臣をつとめている。 実に3度目の登板。 「安倍お笑い内閣」としか思えない。 なんで最初から若林にしなかったんだろう。▼ もう2度と、不祥事による大臣更迭を防がなければならない。 そのためには、『特ダネ』の小倉智昭キャスターは、農水相を空席にしろといったようだ。 どうせ、冗談のつもりなら、故・松岡利勝農水省の再任の方が良いのではないか? 「幽霊大臣」松岡農相は、素晴らしい人事ではないか。 なにしろ、松岡農相は、もう2度と自殺することができないのだ。 おまけに、松岡農相は2度と、不祥事をおこすこともできない。 しかも、本会議・委員会では、松岡大臣の席に、「遺影」を飾っておけばよい。 変な質問をすれば、松岡農相に祟られるかもしれない。 なかなかシュールで、想像するだけで実に微笑ましい光景ではないか。▼ とはいっても、安倍改造内閣の顔ぶれについて、私はわりと評価している。 ネットのアンケートに、「70点」と書いて投票したら、むしろ滅茶苦茶高評価の部類に入っていて驚いたくらいだ。 でも、やはり、私の評価の方が、世間では一般的だったのだろう。 安倍改造内閣の支持率は、7~13ポイントも急上昇した。▼ そりゃそうですよ。 重厚だし、良く考え抜かれている。 舛添、増田、高村、額賀 ……… これ以上の顔ぶれは、そう簡単には作れない。 今の自民党の総力を結集した内閣と言っても過言ではないでしょ。 むろん、安倍が首相になってさえいなければ、の話だが ………▼ これ以上の新鮮さ、清冽さを求めたければ、もはや民主党内閣を作るしかありえんよ。 せいぜい、伊吹文相を更迭するか、鳩山法相、遠藤農相、鴨下環境相のかわりに、民間人を登用するかくらい。 50歩100歩だよなー、と思ったら、あっさり遠藤農相は辞めさせられてしまった。 ご愁傷様。▼ そんな私でも、よく分からないことはいくらでもあるわけで、とくに良く分かんないのが、「麻生太郎人気」というものである。 なぜか、一部の国民には、熱狂的支持があるらしい。 本当なのか? 糸山英太郎によれば、麻生太郎ほど永田町で人気の無い政治家はいないそうだが、この評価、わたしもまったく同感である。 なにせ、麻生のおっさんが下働きをした話なんて聞いたことがない。 いつも、お山の大将。 おまけにドケチ。 子分の面倒見は、メチャメチャ悪い。 まあ、血筋もあるので、担ぐには良いかもしれないが、担ぎ手になることは能力的にできない御仁である。 いってしまえば、「経験のある安倍晋三」ではないか。▼ 漫画オタクで、ローゼンメイデンを読んでいたことから、「ローゼン閣下」と呼ばれる麻生太郎。 「ギガかわゆす」あたりの流行語などまで語り始めた。 麻生ブームを盛りあげて、次の総理の座を狙う算段のようだが、もう少し「さりげなく」見せられないものか。 「チョイ悪オヤジ」的に見せようと必死に演出するのもいいが、ガツガツ人気取りにはげむ姿は、痛々しくてとても見ていられない。▼ 世間から白い目で見られていたアニメオタク、漫画オタク。 よほど他者からの承認願望が強いのか。 宮崎勤事件を契機として、アニメファンの道を選択したおいらからすれば、想像もつかないマインドである。 サブカルチャーのオタクになるということは、ハイカルチャー、メインカルチャーへのプロテスト以外、なにがあるというのか。 そんなに認められたければ、それこそ、カーキチになればいい。 だいたい、おいらは、クラシックファンというあまりメジャーではない趣味のオタクでもあるのだが、ワーグナーを愛聴してバイロイトまで出かけた小泉純一郎が総理大臣についても、何も良いことなかったぞ。 漫画オタクは、麻生太郎に何を期待しているんだか。▼ 麻生太郎といえば、幹事長就任時、「自民党をぶっ壊すといった総裁を選んで、本当にぶっ壊されてしまった。 自民党を立て直さなければならない」と語ったとされる。 麻生太郎と言えば、被差別部落民出身の野中広務を総理大臣にするわけにはいかんわな、と語った差別主義者で有名である。 が、それだけではない。 小泉政権下でも「篠栗線電化」を公約にかかげ続けた、典型的な「我田引鉄」「利権」政治家。 いうなれば、ゴリゴリの「守旧派政治家」である。 自民党の亀井静香。 決して、改革派などではない。 ▼ 麻生幹事長指揮下で行われる自民党の立て直しとは、「篠栗線電化」にみられる、古い「経世会」政治の復活にすぎない。 ちなみに篠栗線は、2003年には電化されている。 小泉以前に戻らない、とは、ちゃんちゃらおかしい。 麻生こそ、薄汚い「古い自民党」の象徴ではないか。 マスコミへの対応をみても、金丸信とは雲泥の差の「小物幹事長」である。 ▼ 麻生太郎の「提灯持ち」たちがこぞって礼賛するのは、「麻生外交」であろう。 「拉致」を一枚看板としていた安倍首相を見習うかのごとく、「自由と繁栄の弧」をかかげる麻生太郎。 日本と、インド、オーストラリア、アメリカという共通の価値観をもつ国々が提携して、中国を封じ込めるんだという。 おめでたいねえ。 ほとんど、噴飯モノ、爆笑モノの外交ではないか。 そもそも、麻生外交を支持するオメデタイ奴を含めて、おまえらインド文明圏に行ったことあるのかよ。 マジで日本人はあそこでは暮らせないぞ。 朝から晩まで、カレー、カレー、カレー。 日本人の口にまったく合わない。 下痢しても、カレーを食わなければならない。▼ そんな中でも中国人は、実にしたたかなもんで、中華料理店をかまえ、インド圏各地に進出している。 なにより、外交力が素晴らしい。 中国では、キャリアもノンキャリアも、語学が徹底重視されている。 中国のバングラデシュ大使なんて、30年も現地につとめ、ベンガル語がペラペラだそうだ。 それも、ノーベル文学賞受賞者、タゴールの作品でベンガル語を勉強したため、バングラデシュ人よりも雅(みやび)なベンガル語をしゃべれる人らしい。 ▼ むろん、そうした語学力への自信は、銭其深外相の「やめなさいと申し上げた」発言によって日本世論の硬化を招いたことからも分かるように、使い方次第によっては諸刃の剣になりかねない。 とはいえ、通訳的なものは、ノンキャリア任せ。 キャリアは、アメリカの大学に留学して、修士や博士号をとることがキャリアアップに欠かせない日本では、そもそも銭外相舌禍事件に類するモノは起きようがない。 なにせ、ベンガル語が話せないバングラ大使、韓国語が話せない韓国大使なんて、日本ではザラなのである。 ▼ これで、どうやって中国と張り合うことができるのか。 麻生太郎は、バカだからそんな現状を知りもしない。 麻生太郎は、中国などと張り合うため、外務省の定員の増員を求め、「報道ステーション」の席上、「効率的な外交」を求めていたコメンテイター加藤千洋を批判していたが、実は加藤千洋の方がはるかに正しい。 そもそも、外務省の教育そのものを改めて、キャリアが英語以外の現地言語を操れずに、中国に張り合うことなどできるはずがない。 夢をみるのも、いい加減にして欲しい。 ▼ 毛並みだけは一流。 しかし、頭の中身はみんな「官僚の入れ知恵」で腹話術師という共通項をもつ、安倍晋三と麻生太郎。 なんとも、似たもの同士の鬱陶しい連中である。 即刻、退陣してほしい。 ← 安倍内閣は解散総選挙しろ!と思った方は、1クリック!今のブログ順位
Sep 3, 2007
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▼ またしても、産経新聞の捏造(ねつぞう)記事、産経新聞によるデッチアゲが発覚した。 どうも、「産経=ウソつき新聞社」という、共通理解があるためなのか、黙殺されているみたいなので、ソース保護をかねて保存しておきたい。▼ 発端は、8月16日『産経新聞』大阪朝刊 第89回全国高校野球選手権大会で、16日に佐賀北(佐賀)と引き分け再試合を行う三重県代表、 宇治山田商業の野球部応援団が、県大会決勝まで続けてきた学ランと 「日の丸」の鉢巻き姿での応援を甲子園で“封印”していたことがわかった。 「戦争を想起させる学ランは不適切」との投書がきっかけで、県高野連と同校が協議し、 急遽(きゅうきょ)トレーナー姿での応援に変更した。 同校では「大会中に終戦記念日もあるため配慮した」としているが、OBなどからは「過剰反応なのでは…」と反発の声も上がっている。 関係者によると、同校は7月の三重県大会決勝まで、応援団の男子生徒ら11人が黒い詰め襟学ランに、 「必勝」と書かれた日の丸鉢巻き姿で応援。このスタイルは昭和53年の第60回選手権大会で 甲子園に初出場したときから続けてきたもので、同校の普段の制服も詰め襟という。 ところが、今年の県大会決勝後、「学ランはもともと海軍の軍服。高校野球という舞台で戦争を思い起こさせるのは不適切だ」などと指摘した投書が県内の別の高校に届き、県教委が同校に連絡。 同校と県高野連が協議し、県高野連が「やめておいた方がいいのでは」と助言し、 同校も白地に校名の入ったトレーナー姿に改めるとともに、日の丸の鉢巻きも取りやめることを決めたという。 同校の教諭は「私自身もOBで、学ランで甲子園に来た思い出があるので名残惜しいが、 大会期間中に終戦記念日もあり、繊細な問題なので断念した」。 鈴木光一校長(57)は「私自身が直接指示したわけではないが、熱中症の心配もあり取りやめた方がいいと以前から思っていた。高野連からは、あくまでアドバイスをいただいたと思っている」。 一方、柴原高雄・三重県高野連理事長は「甲子園出場前に学校と協議の場を設けたのは事実。 ただ応援の仕方を説明する中で、『暑いのでやめた方がいい』と話しただけ」。 高校野球大会本部は「学校が個別に判断すべき事柄なのでコメントできないが、高野連から指示を出したことはない」としている。 こうしたチグハグな対応について、同校の応援団やチアリーダーらは「学校側からは 戦争をイメージするたからダメだと言われただけ。学ランで汗をかくことで、グラウンドの選手と一体になれたのに…」。 スタンドに来ていたOBの男性会社員(37)も「学生服として定着しているのに、今さら戦争の話を持ち出すのはおかしい」と学校側の“過剰反応”に首をかしげる。 一方、学ラン姿の応援を続ける今夏の甲子園出場校の一つ、今治西(愛媛)の応援団顧問、青木孝之さん(39)は 「わが校は代々引き継いでいる制服なので違和感はなく、今後も変更するつもりはない。 宇治山田商は少し気にしすぎなのでは」と話していた。 事なかれ主義 コラムニストの勝谷誠彦さんの話 「事なかれ主義、ご都合主義の典型だ。そもそも高校野球には二面性がある。 公然と語られていた特待生問題にしても高野連は初めて聞いたような顔をしたし、 夏の甲子園は日の丸に批判的な朝日新聞社主催の大会なのに、球場には高々と日の丸が掲げられている。 そうした大人たちの都合が、今回は伝統の応援スタイルにこだわってきた生徒たちを直撃した。 あまりにかわいそうだ。しかも宇治山田商といえば、日本文化の象徴でもある伊勢神宮の間近にある学校だ。 恥を知れと言いたい」 http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya081606.htm グルジイ… ∧_,,∧ ギリギリ… (|i@Д@∧_∧ (つ´゙ ( # ) < 恥を知れ! | 'ヽ、 ノ ヾ ィ゙ , O) ← 勝谷誠彦 ~"(_) 、__)▼ この記事をみて、不思議に思われる人もいるかもしれない。 そもそも、田舎にいけば、高校の制服は学ランだらけではないか。 「軍国主義だ!」という抗議するなんて、今頃、どうかしているだろう。 いつも、着ているんだから。 だいいち、セーラー服ならまだしも、学ランが海軍を想起させるなんて……どちらかといえば、ボタン付なんだから陸軍ではないか。 などなど、怪しく感じていたのだが、実は、これが、まったくの捏造であることが判明した。 8月30日付の朝日新聞から引用するが、これほどひどい話も珍しい。 第89回全国高校野球選手権大会に三重代表で出場した宇治山田商の応援団の服装をめぐり、 産経新聞大阪本社発行の16日付朝刊に「『戦争想起』投書に過剰反応?甲子園で学ラン封印」とする 記事が掲載された。「学ランはもともと海軍の軍服で、戦争を思い起こさせるのは不適切」とする 投書が他の学校に届き、県教委の連絡を受けた宇治山田商が、県高校野球連盟と協議して 学ランをトレーナーに変更した、とする内容。だが同校や県教委、県高野連は事実関係を否定し、 投書の存在も確認されていない。同校は30日、産経新聞に訂正記事の掲載を申し入れた。 産経新聞は「学校関係者への取材に基づいて書いた。捏造ではない」としているが、投書の確認や県教委への取材をしなかったことを認めており、実在しない投書をもとにした記事だった可能性が強まっている。 記事では、今年の県大会決勝後、「学ランはもともと海軍の軍服。高校野球という舞台で戦争を思い起こさせるのは不適切だ」と指摘した投書が別の高校に届き、県教委が宇治山田商に連絡。同校と協議した県高野連が「やめておいた方がいいのでは」と助言し、白地に校名の入ったトレーナー姿に改め、日の丸の鉢巻きを取りやめた、などと書かれている。 このほか、同校は甲子園に初出場した78年の60回大会から今年7月28日の県大会決勝まで、応援団の男子生徒らが黒い詰め襟学ランに「必勝」と書かれた日の丸の鉢巻き姿で応援してきた、としている。記事が出た16日は、同校が延長15回を戦って引き分けた佐賀北と再試合をする日だった。 同校によると、県教委から投書について連絡を受けた事実はなく、甲子園では03年の85回大会 出場時にOBから寄贈されたトレーナーを着ることを決めていた。県高野連からは、全国大会での 注意事項を確認する場で、「学ランは暑いからやめたほうがいい」と言われたという。 また、「85回大会出場時にもトレーナーを着用した。日の丸鉢巻きの使用は今年の三重大会が 初めてだった」と説明。記事の内容は事実に反するとしている。 記事掲載後、同校と県高野連は産経新聞大阪本社に抗議。同校によると、29日に森脇睦郎社会 部長らが同校を訪れ、「学校関係者の話を信じて記事を書いたが、裏取りの作業が欠けていたことは 認める」と説明し、争いのある記事なのでデータベースから削除した、と伝えたという。 産経新聞の記事の骨格部分となった投書について、朝日新聞が23、24の両日、三重大会に 出場した全67校の校長らに問い合わせたところ、全校が「投書は届いていない」と回答。県教委スポーツ振興室も「思い当たるものは何もない」と話している。 宇治山田商の鈴木光一校長は「トレーナーの着用はOBの厚意に応えるとともに、暑さ対策でもあった。産経新聞には、事実関係を確認して慎重な取材をしてほしかった」と話している。同校には記事掲載後、「なぜ学生服を着ないんだ」などの抗議が約15件寄せられたという。 〈森脇睦郎・産経新聞大阪本社社会部長の話〉 宇治山田商が4年前の全国大会でトレーナーを着用したことは事実なので、この点については訂正に応じる。しかし、投書の存在に関しては、学校関係者の発言に信憑性(しんぴょうせい)があると判断して記事にしたので、その信憑性が完全に否定されるまでは訂正しない。 ▼ 疲れた体に鞭打ち、佐賀北との再試合に望もうとした途端に、産経新聞の捏造報道で抗議がよせられた宇治山田商。宇治山田商ナインの生徒たちがあまりにかわいそうだ。 恥を知れ!勝谷誠彦 ヽ(´∀`)9 ビシ!☆ チン ☆ チン ☆ チン 〃 ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ヽ ___\(\・∀・)<産経新聞、廃刊まだー? \_/⊂ ⊂_)_ \_______ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/| |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :| | .|/▼ 産経新聞と言えば、2005年5月には、ミンダナオ島で日本軍兵士発見!という大誤報をやらかし、どうどう社説にも書いてしまった新聞社である。 しかも、口をぬぐって説明もしないまま、ダンマリを決めこんでいる。 どこに消えたんだ、日本人兵士2名は(笑)▼ 産経新聞が頼りにしている、ソース元の「学校関係者」。 記事を読む限りは、どうみても、事情を良く知らない「生徒」たちから聞いたことしか伝わってこないのだが…… ひょっとして、学校関係者って、「皇學館大学の先生」と言うんじゃないだろうな。(笑) ← 産経新聞はクソ!と思った方は1クリック!今のブログ順位
Sep 1, 2007
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(この日記は前編からの続きですので、こちらからお読みください)▼ あとは、一瀉千里であった。 「竹槍では間に合わぬ、航空機だ」と書いただけで、東条英機から懲罰徴兵を食らわされそうになった、毎日新聞記者・新名丈夫(懲罰徴兵ではないという建前のため、新名記者と一緒に丸亀連隊に徴兵された250名は、全員、あの硫黄島で玉砕させられてしまう)。 用紙不足。 新聞共同印刷。 「一億玉砕」を叫ぶ朝日の記事には、 『軍神』を読んだ後では、むしろ、悲しみさえ伝わってくる。 米内・小磯の間をとりもち、小磯内閣を誕生させた緒方は、国務相・情報局総裁の就任を断ることができなかった。 座右の銘が「一生一業」であった緒方は、ここに政治家の道、否、A級戦犯への道をあゆむ。 情報局なのに、軍部から情報が入ってこない。 なんと、マスコミ関係者は、短波放送の違法聴取で海外戦況情報を収集していたらしい。 なにより、せっかく検閲の緩和をはかって、統制組織の解散をしたというのに、逆に記者の方から、「どの程度記事にしたら良いかわからない」という苦情が出た(本書289頁)ことくらい、皮肉な話はあるまい。 検閲・内面指導といった「編集面」のみならず、「経営面」の統制強化は、かくも記者の精神を蝕んだのである。▼ かくて本書は、GHQでさえ、この戦時体制を解体することができていない、戦時体制は今もなお継続している、と締めくくられる。 「民主化」と新興紙の育成は、冷戦の進行とともに挫折してしまう。 レッドパージによって、新聞は右旋回した。 社外への株式譲渡禁止措置は、戦後も商法特例法によって継続された。 それだけではない。 共販制度終了による専売化は、過当競争を生みかねない。 過当競争を防止せよ!!!という観点から、再販制度が導入されたという。 全国紙と地方紙の棲み分けが固まり、それぞれテレビ局を系列下におく体制も固まった。 もはや、「棲み分け」「既得権」によって権力に飼い馴らされてしまい、「一大敵国」の象徴として「筆政」を冠せられ、権力や資本に対峙する気概を持った存在は、どこにも存在していない。 一大敵国をやめたとき、「筆政」は終わってしまうのか。 ジャーナリズムへの警鐘を鳴らして、本書は終わっている。 ▼ なによりも、戦前のメディア事情がわかってたいへん楽しい。 用紙統制の影響もさることながら、満州事変とは違い太平洋戦争では、ラジオの普及によって速報性を奪われてしまい、号外がほとんど配られなかったという。 1941年12月には、新聞共同販売組合が結成。 ここに、言論統制とは引き換えに新聞社間の拡販競争はおわってしまう。 もはや、「販売の神様」務台光雄は用済。 正力松太郎は、読売から彼を追い払った。 とはいえ、それ以前、1920~30年代の東京では、読売が販売店主自営方式、毎日は直営店方式、朝日は「軍隊式」拡張販売店方式と、それぞれが特色のある拡販方式を採用していたらしい。 ▼ 内務省・警察をバックにしてセンセーショナルな紙面と景品で拡張、「新聞報知」を吸収した読売。 「一県一紙」の結果、誕生した地方紙・ブロック紙。 「戦時統制」最大の受益者が読売新聞と地方・ブロック紙であることは、共販体制を利用して1945年4月から実施された「持分合同」によって、中央紙が地方から全面撤退する寡占化が達成されたこと、読売報知新聞が東京管区内NO1の地位に就いたことに表れていて、たいへん興味深い。 なにより驚いたのが、わが国で最初に民間定期航空事業を始めたのは、朝日新聞であること。 村山社主家と美土路昌一の夢であった航空事業は、戦前、日航に吸収されてしまう。 夢よ、もう一度。 彼らの夢の結実こそ、戦後の「全日空」(初代社長は美土路)であったことは、まったく知らなかった(朝日は全日空の株式を所有している)。 朝日新聞は、飛行機をつかい、蒋介石との和平工作もやっていたという。 ▼ また、新聞界のテレビ支配の淵源がわかって、たいへんおもしろい。 軍の報道検閲と統制は、新聞に直接向けられるだけではない。 ほかにも、「国策に寄与」させるための通信社「同盟通信(共同と時事の前身)」の設立という、「絡め手」を介しても行われていた、という。 単一のナショナル通信社の創設は、APやUPI、ロイターといった、外国通信社と張りあうためには必要かもしれないが、地方新聞社や「編集の自由」を重視する人々にとってはたまらない。 国策通信社によるニュース配信は、新聞を「通信社の下請け化」させかねないためでである。 ところが中央紙、とくに緒方竹虎などは、官庁発表記事などの「玄関ダネ」は通信社に任せればよい、新聞は解説記事を重視すればいいのだ、として、「同盟通信社」設立を推し進めた、という。 なぜか。 ラジオでニュースを速報されては、新聞の営業が立ち行かない。 そこで、通信社を1社つくって新聞界がそれを抑えこみ、通信社がラジオを抑えこむことで、新聞界がラジオを統制しようとしたのだという。 むろん、そんな野望はたちまち潰えてしまうのだが。 また「社団法人新聞社」制度こそ、外部から掣肘をうけない、独裁的権力を経営者に付与することになったこと。 記者登録と記者処分権限を柱とする「記者クラブ」制度は、1941年から始まったこと、などは、たいへん面白い指摘であるだろう。 ▼ とにかく、「朝日新聞・筆政・緒方竹虎」という、「問題の立て方の勝利」と言っても過言ではないだろう。 他紙ではそうはいかない。 戦争にどんどん協力した新聞社だから、どこにも「権力」との間に緊張関係がないためである。 社長・会長として経営権を掌握していた、大阪毎日の高石、読売の正力松太郎の伝記を描こうとしても、ただの「権力確立物語」、軍国主義への協力物語、ジャーナリズム精神「売り渡し物語」になってしまいかねない。 欲ボケ権力ジジイの物語など、だれも読みたくはないだろう。 一方、逆に筋金入りのリベラリスト、桐生悠々や石橋湛山などでは、今度は「反戦を貫いたぞ、立派だろう!」、という礼賛話になるしかない。 しかも、「獄中18年」「獄中12年」(徳田球一・宮本顕治)に比べると、徹底性が足りない。 どちらを描くにしても、ショボイ話になりがちだ。 それに比べると、緒方竹虎はちがう。 社長でもなければ、会長でもない(「筆政」期間内は、副社長でもない)。 むろん、軍部や戦争には、反対であった。 だから、権力と資本から、凄まじい圧力を腹背に受けざるをえない。 そのような中で、記者としてはむしろ凡庸な感じすら受ける緒方竹虎が、 「主筆」「筆政」として朝日新聞の舵をにぎり続けることができた「力学」が、ある程度まで丁寧に解明されていて、大変素晴らしい。 ▼ あえて、瑕疵をあげるとすれば、「昭和史」といいながら、戦後が描かれていないことではないだろうか。 これは、権力と対立する「一大敵国」にあって、資本とも対立するゆえに、「筆政」なる地位が必要となったという論の妥当性を検証する上で、欠かせない手続きであろう。 現在、朝日新聞は、村山家ともめる一方、安倍内閣の「一大敵国」であることは周知の事実。 また、朝日新聞は、少なくともタカ派の自民党政権とは、対峙し続けてきた。 ならば、「筆政」的存在とは、つねに朝日新聞には必要であり続けたのではないか。 1963年の村山事件以降、朝日新聞から社主家が追放され、1967年からは、広岡知男社長が就任することになった。 このとき、同時に「主筆」も復活している。 つまり、緒方竹虎的存在は、ありふれたものなのではないのか。 どうしても、このような疑念は、ぬぐうことができない。▼ とはいえ、力作の本書。 残暑の厳しい中でも、読むに耐える、必見の一冊といえるだろう。評価: ★★★★価格: ¥ 1,470 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Aug 29, 2007
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▼ 近年、戦前メディア史研究は、面白いものがずいぶん多い。 依然として、他人事のように「朝日新聞こそ戦争を扇動しただろ」という批判に終始し、「それでお前は、当時にあっても今にあっても、戦争に協力しないんだな?」といいたくなるような本もあるが、これは明らかに違う。 朝日新聞主筆にして、戦後、自由党総裁にのぼりつめた、リベラリスト緒方竹虎に着目。 くわえて、新聞の下半身である「広告」「経営」から、当時の朝日新聞にせまる、たいへん興味深い作品なのである。 ▼ 大阪系「小新聞」として出発した朝日新聞。 関東大震災以後、大阪朝日の子会社、東京朝日新聞は、毎日新聞(=東京日日新聞)とともに、東京系新聞の窮状を尻目に、大資本を武器として飛躍的な発展をとげることになる。 東京系で全国紙として生き残ったのは、わずかに正力松太郎が買収した読売新聞だけであった。 だが、毎日新聞とならんで最強のメディアに成長していた朝日新聞は、1918年の「白虹事件」以降、「皇室ダブー」「暴力」に弱いことをさらけだしていた。 これら皇室と右翼の圧力に対峙するため、スローガン「不偏不党」を打ち出したことで、かえって戦時下になると、政府への「戦争協力」が断れなくなってしまったという。 資本(村山)、経営(緒方)、権力(軍・右翼)の3つ巴の暗闘として描かれる、戦前の朝日新聞裏面史。 これが面白くないはずがあるまい。▼ 「白虹事件」により権力から加えられた大打撃。 東西の朝日新聞をあわせると、部数は100万をこえていた。 もはや、名物主筆記者(池辺三山・鳥居素川)の論説を読ませるだけではすまない。 専門記者集団を統括するとともに、読者100万のニーズに応える経営センスをもった、論説と経営に精通した新聞人が必要となってくる。 ここに、「経営の論理」を体現する社長と、「言論の自由」を体現する論説委員の中にあって、前者の枠組の中で後者を保障し指導する体制=「筆政」なる仕事がクローズアップされてくる。 その任にあたったのが「主筆」。 最近、朝日で復活した同名の「主筆」(船橋洋一が就任)とは訳がちがう。 畏友・中野正剛の引きで朝日入社した緒方竹虎は、前門の軍・右翼、後門の社主家村山一族(=資本)の圧力をうけながら、1923年から20年間、東京朝日を振り出しとして、やがて全朝日の経営を掌握し、両者に立ち向かうことになる。▼ その間の朝日新聞史は、たいへんに面白い。 1920年代、「軍縮」「普選」推進の大論陣を張った、大阪朝日新聞社。 大阪朝日は、「反権力」「反中央」がバックボーンだった。 そのため、権力から離れた地点から「正論」を語ることを旨としていた、という。 それに対して、「大正」の元号をスクープしたことで知られる緒方竹虎や東京朝日は、権力の中枢への綿密な取材体制を組み情報を入手しながら、軍・右翼の圧力から身を守ろうとした。 そのため、陸軍中央と密接な連絡があり、軍にシンパシーを持つものもいたという。 くわえて、1931年7月までには、大阪毎日主筆・高石真五郎ならびに大毎は、満州での武力行使に賛同していた。 大阪朝日とその主筆・高原操は、満州事変以降、軍部支持に社論を転換させたことで悪名が高い。 しかし、この大阪朝日の変節は、すでに満州事変以前に、東京朝日が路線転換をおこない、大阪朝日が「孤立無援」の状況におかれたことが大きい、という。 「反軍」の牙城、大阪朝日の整理部は、東京朝日から出向してきた原田譲二に粛清された。 ナベツネに粛清された、読売新聞社会部を思い起こさせるドラマだ。▼ とはいえ、緒方竹虎によって、朝日新聞の論調が変わったというと、必ずしもそうではないようだ。 「2・26事件」時、緒方竹虎が青年将校の前に「仁王立ち」したことによって、東京朝日は、ミズーリ大学の選定する「新聞功労賞」を受賞する。 そんな緒方の理想は、じっくりと取材対象との対人関係を積み上げる、解説記事を中心とした、硬派な新聞づくり。 ところが、営業やセンセーショナリズムを売る社会部方面からは、評判が悪かったらしい。 「売れるネタがあるのになぜ書かない?」と。 緒方は、1936年3月1日の社説に、「2・26」事件の軍を批判して「立憲主義」を唱えたものを書いたのに、軍・内務省に媚を売る連中に、無断で書き直されてしまったことさえあったという。 今の新聞ジャーナリズムにもいえる、自由主義的な傾向の後退と、官僚的統制主義の蔓延。 官界に深いつながりをもつエース的な論説委員さえ、逼塞する空気もあってつぎつぎと退社。 社会部からは、「新聞は商品だから、発禁にならないような社説をかけ」とねじ込まれる。 「主張のための新聞は、大きすぎると無理だ。週刊誌でなければ」という緒方竹虎の慨歎・「苦悩」は、大組織固有の分裂をみれば、あながち理解できなくはない。 ▼ もはや、新聞では、軍の政治攻勢を防げない。 緒方は、軍部を抑えるため、広田内閣支持の論陣を張るが失敗。 新聞の限界を感じた緒方は、広田・米内のラインから政府に発言の場を確保することで、戦争を防ごうとした。 緒方は、1936年以降、政府関係の要職を兼務しはじめる。 とはいえ、その転換の無残さは「朝日新聞こそ日本精神に徹した最高の新聞」「朝日新聞を売ることは、国家への忠誠、『新聞報国』への道であり『朝日精神』の発揮である」(本書164頁)の販促スローガンに表れているといわざるをえない。 日中戦争では、官報よりも早い戦死者公報を地方版で出すことによって、朝日新聞は大幅に部数をのばしたという。 また、緒方の政界進出は、社主家・村山長挙社長の嫉妬・反発をまねく。 また、太平洋戦争に突入すると、朝日新聞は、スパイゾルゲ事件で尾崎秀実という逮捕者を出していた。 くわえて緒方は、重臣・官僚・議会に対して「反東条」の倒閣工作をおこなって自刃させられた、刎頚の友・中野正剛の葬儀委員長さえつとめた。 ▼ 緒方竹虎は、「権力と資本の調整役」の位置に立つことによって、社主家を上回る力を握ることができた。 政権と反目していては、経営にとって有害、とならざるをえない。 権力に弾圧されると、朝日では常に呼応する勢力が現れる。 この時は、軟派(社会部)と大坂方を中心とした「反緒方」勢力。 政府は、全新聞社を一社に統合する計画に失敗したものの、新聞統制強化をあきらめない。 「特権」をエサにして、新聞社の「社団法人化」を進めた。 その動きに抵抗したものの粉砕された都新聞(東京新聞の前身)は、社団法人化と統制下における「夕刊専門紙」化によって、かえって東京圏の一大新聞社にのし上がったらしい。 緒方は、村山・上野社主家の株式譲渡問題と、キャッシュフローの関係から、「社団法人化」は難しいと判断。 緒方は、「新聞の公器性」から「資本と経営の分離」をせまり「社団法人化」をもとめる政府に抵抗しながら、社主家の経営介入を防ごうと、社外株式の排除・大株主の議決制限・株主配当制限の実施をおこなった。 ここで、村山社長派と反緒方派が提携。 1943年12月26日、緒方は「筆政」の地位から更迭されてしまう。 「ただ勝つために新聞を作ってゆく」(本書、266頁)所存という、村山長挙朝日新聞社長の反緒方クーデター・新体制発足の直後の挨拶には、暗澹たる気持ちを抱かないものはあるまい。(後編はこちらあたりになる予定です。応援をよろしくお願いします) 評価: ★★★★価格: ¥ 1,470 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Aug 26, 2007
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▼ 「八月ジャーナリズム」の時期がやってきた。 この時期になると、テレビでは、それまで見向きもしていない、「ヒロシマ・ナガサキ」を語りだす。 そして、「ヤスクニ」参拝の是非を問う。 八月は、出版メディアのかき入れ時なのか、本屋にも戦争本が並ぶ。▼ この本も、そんな1冊、のはずだった。 ▼ しかし、その読後感は、これまでどの本でも体験したことのない、奇妙な、類例のないものであった。 もし、少しでも興味があるのなら、このブログを読むのをやめて本屋に行って欲しい。 この本は、内容そのものではなく、あなたに与える読後感にこそ、価値があるように感じるからである。 その苦い味わいをここで知ってしまうには、あまりにも惜しい。▼ もう一度、訪ねたい。 これ以降、このブログを読んでいる皆さんは、最初から、読む気のない人なのですね?▼ さて、本題に入ろう。 この本では、「日中戦争」「太平洋戦争」とは呼ばない。 当時の呼称にこだわりたい、という。 「支那事変」「大東亜戦争」……こういう用語を使うと、ともすれば右翼、と思われがちだ。▼ しかも、著者の「軍神論」自体、実にたわいのないものである。 なにせ、日本近代史上最初の軍神は、「廣瀬武夫中佐」「橘周太少佐」。 第2章「乃木希典」。 第3章が「軍神にならなかった軍神」としての爆弾三勇士。 第4章が、日中戦争・大東亜戦争の軍神たち ――― 杉本中佐、西住戦車長、山崎軍神部隊(アッツ島玉砕)、山本五十六、加藤少将(加藤隼戦闘隊)、9軍神(特殊潜行艇) ――― というようになっていて、時代をこえて、わずかな事例を比較研究をしようというものだ。 なんとも、お手軽な企画ではないか。▼ 当然、軍神論は、皮相的で、あまり面白いものではない。 軍神とは、戦争によって強まった、日本人の一体感の中で誕生した、涙に縁どられた物語であって、栄光の物語ではない。 明治時代の軍神は、豪傑偉人で誰にでもなりうるものではなかった。 それが昭和期になると、おのれの命を味方のために捨てる決断をするだけで誰でも軍神になれてしまうという。 軍神の世界にも、デモクラシーが訪れたのだろうか。 とりわけ、士卒にすぎない「爆弾三勇士」「9軍神」の物語は、エゴイズムを押し殺して任務をはたす、日本民族固有の精神の発露とされただけではなく、「武士道」になぞらえられた旧軍神に対して、「国民道」の体現者(三勇士)、とみられたという。 男子は三勇士に、女子は三勇士の母親に、「泣く」ことで感情移入させていく。 かくて爆弾三勇士は、「9軍神」をへて、特攻隊への橋渡しとなる。 結果がどうあろうと、立派に死んでいったものを悼む……▼ むろん、上記からみても分かるように、つまらない本という訳ではない。 乃木大将の殉死は、奥さんまで殉死したことで、庶民の異様な興奮をまきおこしたらしい。 当初、軍神は、近代西洋からの直輸入である「銅像」の形態で祭られていたが、乃木以降、「神社」として祭られる動きがすすんでいく。 東郷平八郎などは、「軍神にされるなどマッピラご免」と断っていたにもかかわらず、「神社」にされてしまったらしい。 とくに、大東亜戦争期の日本軍が、西欧化の波に洗われる中で、日本固有の精神「覚悟」を守り続ける中核とされていたこと、日本的精神の担い手は農村の住人だったことなどは、なかなか興味深いものがあるだろう。▼ とはいえ、「武士道」「理屈を超えて感動を与える出来事」などとに分かれ「自決の意味」をめぐって混乱していること、または当時の日本人が「西欧人の評価」を異様に気にしていること程度に終始していて、新しい知見に乏しい。 とくに、爆弾三勇士の銅像建立が遅々として進まなかったことについて、「エリート層は案外冷静だった」(250頁)などと、おマヌケなことを言っていて呆れてしまう。 この点は、「新聞メディアの民衆扇動」として批判する前坂俊之『太平洋戦争と新聞』(講談社文庫)でも、同じだから困ってしまう。 たんに、「爆弾三勇士=被差別部落民説」という噂が流布することによって、庶民の「爆弾三勇士熱」が冷めてしまっただけにすぎない。 前者はエリートを高く評価しすぎ。 後者は大衆の自律性を過小評価しすぎ、である。 戦前の大衆の暗部になると、妙にスルーする傾向が大きいのは、納得がいかない。 ▼ しかし……▼ この本は、最後、「詩」によって締めくくられる。 1945年7月28日、海軍航空機に搭乗中戦死した、パイロット、林尹夫。 かれは、「1億総特攻」が叫ばれる中でも、敗戦は不可避であることを知っていた。 そして、「自己犠牲」を逃れがたい運命と思い定めながらも、この国が遠からず屈服するであろうことを予測していた。 この希有の知性の持ち主が残した詩が、本当にすばらしい。 正字体・歴史的仮名遣いに改められているが、現代仮名遣いで全文収録したい。 (注 mitleben=ともに生きる)▼ 日本帝国終末 没落と崩壊 デカタンス 亡び残るものなにもなし すべての終末 今年の秋は 淋しく冷く風が吹きすさび 残るものはなにもなくなろう そこに残る人は ちょうど今宵のような 冷たい風が吹き 松が鳴る音を聞きながら 泣くにも泣けぬ寂しさに 耐えきれぬようになろう お気の毒だが 私はもう あなた方とは縁なき者なのだ 我らとmitlebenしうる者は 今年の夏まで 生きぬ者に限られるのだ そして それ迄に 死ぬべく運命づけられぬ者は 我らとmitlebenしうる 権利をもちえないのだ かつて存在した人間関係は すべて深い溝で切断され 我ら もはやなんの繋がりも 持ち得なくなっている 親しかりし人々よ あなた方はいま いったい生きているのか それとも 明日の再建をひかえて 生命の源泉を培っているのか だが 現在の生なくして なんで明日の生が 存在しえようか すべては 崩壊する 日本に終末がくる あの ダブー カタストローフよ▼ わたしは、何度となく指摘してきた。 靖国神社は、国のために死ぬことの「不可能性」を隠蔽するための装置にすぎない。 靖国に集う愛国者とは、「誰かが自分の代わりに騙されて、代わりに死んでくれることをもとめる」人たちにすぎないのではないか、と。 ▼ しかし、その考えは甘かったかもしれない。「不可能性」は、靖国と愛国者の間だけに横たわっているのではない。 かつて、わたしたちの祖先は、醜悪にも、かれらに続くことなく、生き残った。 鬼畜と形容した米英にひざまづき、命乞いをした。 卑怯者の子孫にすぎないわれわれは、彼らを「追悼する」「カワイソウと思う」「悲しむ」「後世の戒めとする」「英霊と思う」……そんな資格さえ持ちえないのかもしれない。▼ この詩を教えてくれただけでも、この書はすばらしい価値がある、そう思われてならない。評価: ★★★☆価格: ¥ 987 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位 評価: ★★★☆価格: ¥ 1,313 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Aug 16, 2007
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▼ 維新政党新風が、「9条ネット」「女性党」にまで比例で大敗北した、参議院選挙翌日。 とてつもない雑誌が創刊された。 その名は、『エンタメ×カルチャー×オピニオン大衆啓蒙 MAGAZINE』なる謳い文句をかかげる、極右雑誌『スレッド』。 どうだろう。 皆さんの近くの本屋に並んでいないだろうか。 ▼ もう、表紙からすごい。 今をときめく、尻美人、モデルの秋山莉菜。 その微笑みの下の赤字の帯、「日本を売っちゃった人々」をみよ。 マジなんだか、ネタなんだか、さっぱりわからない。 もの凄くサイケである。▼ 中身はさらに凄い。 ほとんど、2ちゃんねるの「ニュー速」「極東アジア板」「ハングル板」あたりの右翼スレでみかけるような内容がならぶ。 みていて、なにもあたらしく得るようなものがない。 左翼批判が、一見、カジュアルな感じで語られるんだが、所詮、バカウヨの限界。 最後には、「特ア」「反日」のオンパレード。 なにやらデジャブーが … いけているんだか、いけていないんだか、さっぱり分からない ▼ うーん、これって、新左翼が70年安保で敗北して、サブカルチャーに戦場を移したアレの、右翼版なのだろうか? それにしても、ほとんど、2ちゃんねるの焼き直しなんすけど、これ。▼ 右翼連中は、勘違いしているのではないか。 左翼に牛耳られるマスコミ。 このままでは、プロパガンダ戦に敗北してしまう(私がそう信じているわけではない)。 こちらも、プロパガンダで対抗しなければならん。 とりあえず、あまり政治に関心をもたない若者でも分かるようなものにしなければ。 そう考えて、「大衆啓蒙」のため、こんな雑誌を作ったんだろうか。 自称保守論壇の『諸君』『正論』は、荘重で重々しくて暑苦しい。 だから、カジュアルな路線、というわけか。 秋山莉奈だしね。▼ でも、政治とはパブリックな空間で展開されるものだ。 そこでは、説得と討議が欠かせない。 大衆啓蒙のプロパガンダ雑誌である以上、討議がないのは許そう。 しかし、カジュアルな政治雑誌、しかもネタ元2ちゃんねるレベルの雑誌。 そこに、ヘラヘラと軽薄な文章で、「売国奴」「朝鮮総連」なんて語られて、どうして「説得力」を感じるだろうか? ▼ 『諸君』『正論』で断定調で重々しく書かれるのは、重々しい宣告に「説得力」が感じられるからだ。 あまり中身がないものでも、定められた様式、フォーマルとされる形式で語られれば、それなりに説得力があるように感じられる。 だから、どれも似たような口調だ。 退屈きわまりない。 ▼ 一方、ファッション雑誌は、「これが売れ筋」「これが流行」というカリスマの宣告と、その宣告を信じた人々が買うことによって生じる、「予言の自己実現」に支えられている。 日本に張り巡らされた「反日ネットワーク」に代表される右翼の妄想ほど、「予言の自己実現」からほど遠いものはないだろう。 ▼ まして内容は、2ちゃんねるレベル。 おまえら、2ちゃんねるレベルの見も知らぬ厨房から「啓蒙」されたいかよ。 見も知らぬ左翼がこんな雑誌作ったら、おまえら「啓蒙」されるか? されないだろ。 最初から戦略を間違えているとしかおもえない。 もう少し真面目にやらんかい。 そういえば、維新政党新風のせと利幸も連載していたっけ。▼ そんなこんなで、外山恒一の連載ぐらいしか楽しめるものがなかった。 このおっさん、ファシストをなのるけど、どうみてもなりすましだからな。 あと、反日漫画が、凄まじく不愉快で楽しかった。 ▼ こんなもんで長続きするとは思えないんだけど、まあ頑張れ評価: 採点不能(維新政党新風支持者にお勧めします)価格: ¥ 680 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Aug 7, 2007
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▼ 小沢一郎は、やはり凄い。 ▼ だれもが言っていることだけど、今回の参議院選挙で、心の底からそう思った。 凄い奴だとは思ってた。 だから、ずーっと、ファンだった。 でも、まさか、ここまで凄い政治家だとは。 心から言える。 小沢一郎、ありがとう。 あなたのマジックをみられて、わたしは幸せでした。 ▼ 世論調査で、連呼された民主優勢。 どんなにいわれても、とても信じられなかった。 ぜったい、アナウンス効果がある。 自民支持層は、マスコミ辞令に反発するだろう。 結果的に、自民が善戦するに違いない。 しかし、結果はどうか。 121議席中、民主60議席、自民37議席。 民主系無所属も入れれば、65議席と38議席。 民主党の快勝である。▼ 基礎票がちがう。 基礎組織がちがう。 なにより、不当ともいえるくらいの1票格差で、田舎が優遇されている。 民主党が勝てるわけがない。 2005年総選挙。 民主が田舎で善戦したからといって、少しも気が晴れなかった。 無理だよ。 田舎で自民に勝てるはずがない。 前原民主の迷走は、かかる田舎でも都会でも勝てないという、八方ふさがりの末はじまったのではなかったか。 ▼ 小沢一郎は、この常識を覆した。 角栄秘伝の「川上戦術」。 山間部。 誰もいない所での辻たち。 1人1人と握手することを教えた。 何万軒もの家をまわり、選挙民と話すことを教えた。 古い。 途方もなく古い。 民主の若手はバカにした。 雰囲気は感染する。 読売を始めとしたマスコミもせせら笑った。▼ だが、どうだろう。 小沢は、就任以来、1人区に3~5度も入り、連合をはじめとして支援団体周りを欠かさなかった。 公明党代表や安倍首相のように、駅前で街宣車にのって演説するようなこともしなかった。 菅直人と鳩山にまかせ、自らは山奥に入り、ビール箱の上にたち、支援団体をまわりにまわった。 あの厳つい顔に神々しささえ感じたほどである。▼ ここにメディアの3点セット、5000万件の消えた年金と、松岡農相の自殺、赤城農相の事務所費問題がからんだ。 おまけに、2005年総選挙の勝たせすぎ意識もあったのだろう。 この波にうまくのって、1人区、23勝6敗を達成した。 ここまで凄い逆転劇をみたことがない。 ▼ それにしても、片山虎之助の「敗戦の弁」は見事だった。 民主新人に敗れた、参議院幹事長。 あつまった大勢の支持者の前で、支援に最大級の謝辞をのべたあと、「不徳の致すところ」と、みずからの不甲斐なさを責めた姿には、不覚にも涙がこぼれた。 そうなんだよな。 2005年総選挙のとき、岡田克也元代表に見せてほしかったのは、このような毅然とした姿だったんだよな。 偽メール問題で、前原誠司代表が世間を失望させたのは、このような逆境で発揮されるはずの人間の器の小ささではなかったか。▼ 自民党政治家には忘れられない思い出がある。 もう十年以上も昔になるか、自民党議員の後援会のパーティーに出かけた。 むろん、アルバイト。 イベントの主催者はいった。 「自民党議員が支持者を買収するパーティーだよ」「まあ、気を悪くしないで頑張ってくれ」。 しかし、想像とはまるでちがった。▼ 主役は、初老の県議。 どうやら、今度の総選挙に出馬するらしい。 広い公園を借り切って、屋台を出して、支持者たちが飲み食いできるようにしている。 ところが、どこにも、嫌らしさがない。 商店主や医師やさまざまな顔役の老人とおぼしき人々が、和気藹々と談笑して、こんどの選挙で勝たねば、といっている。 医師会、薬剤師会、酒販店組合…。 おれが町の立派な先生だ。 みんなで勝たせよう。 周りは、都会のはずなのに、そこはたしかに田舎の夏祭りの雰囲気であった。 わたしは、アルバイトにもかかわらず、「生長の家」の信者さんから、熱心に入会を薦められた。▼ 衝撃は、フィナーレにおとずれた。 初老の県議とかれの家族は、出口にたち、帰っていく支持者たちと握手をしていった。 ところが、支持者だけにとどまらなかった。 そのあと彼は、われわれアルバイトにも、「ありがとう」と声をかけながら、握手をはじめたのである。▼ 今でも、その光景は、忘れられない。 初老の県議は、心底、来ていただいてありがとう、というオーラを出しながら、少しも卑屈な所がなかった。 おだやかで、優しそうな雰囲気をただよわせ、われわれ、ひとりひとりに謝意をのべていた。 なにもわざとらしいところがなかった。 心底、尊敬できる恩師、とみまがうまでのオーラを漂わせていた、といったら、皆さんにも理解できるだろうか。 ▼ そうか。 これが、自民党の政治家というものなんだ。 ▼ 得たいの知れない、「人間力」としか形容しようがないもの。 市議から県議をへて、国会議員をねらうような自民党の政治家は、みな、このような力を身につけているのか。 何百人もの競争をへて、勝ち上がった「党人派」。 野党議員と自民党議員の、絶望的な力量差を感じた夜だった。▼ しかし、現実は、さらに厳しかった。 わたしに絶望感をいだかせたこの自民党県議は、とうとう国会議員になれなかった。 2度挑戦して、2度負けたことを私は新聞で知った。 どうやら、今も、県議として活躍しているようだ。 しかし、もはや永遠に立候補できまい。 かれの国会議員になる夢は、潰えたのである。 ▼ あれから何年たったのだろう。 今、そんな「人間力」をそなえた、党人派の自民党議員は、一体、どれくらいいるだろう。 赤城農水相の絆創膏騒動にしても、昔の自民党議員ならありえなかった。 安倍晋三の総理大臣居座りにしても、昔の自民党なら考えられない。 派閥を解体して、自民党の組織を解体した挙げ句、赤城農水相のような人物しか、自民党はリクルートできなくなったのである。▼ 古き良き自民党は消えた。 今では、小沢一郎の民主党こそ、「古き良き自民党」があるようにかんじられる。 多分にも「昭和のノスタルジー」を感じながら、わたしは民主党に1票を投票した。 ▼ この選択に幸あらんことを。 ← 自民党・公明党ザマーミロ!と思った方は1クリック!今のブログ順位
Aug 2, 2007
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▼ どうやら、国民は、「薄汚い」安倍晋三、「みみっちい」麻生太郎を拒否し、 公明党は「信心がたりなかった」ようです。▼ 責任政党は、安倍首相によれば「自民党と民主党」だそうだから、まあ問題ないでしょう。▼ とりあえず、また後ほど。 ← 自民党・公明党ザマーミロ!と思った方は1クリック!今のブログ順位
Jul 29, 2007
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▼ 公明党・太田代表が、統率のとれた創価学会員を前にして、「年金は安心」を連呼している姿を拝見した。 無性に腹が立った。▼ ぼくたちは永遠に忘れないよ。 国民年金は納めないのが、公明党の真の姿であることを。 国民年金をおさめることをしてこなかった団体こそ、公明党であることを。 現物はこちらにおいているので、ご自由にお使いいただきたい。▼ 年金は100年安心? それなら、何故、公明党議員は、国民年金に未加入だったのかな? 凄いな、公明党。 10年以上未払いだった議員が3人もいるね!! しかも森本を除いた2名は、現在も公明党議員だ。 環境副大臣経験者だったりするんだな。 4人に1人が、未納とは恐れ入るね! ▼ 年金制度は信頼できるかどうか。 実に答えるのに簡単な質問だろう。 なにせ国民年金は、100年安心どころか、公明党議員だって逃げ出したい、潰れる寸前の制度だったんだから。 当時の公明党・坂口厚生大臣の「年金100年安心」は、公明党議員自身によって、大ウソであることが証明されているのだ。 ワッハッハッハ。▼ 公明党の未納議員たちの一部は、今日も盛んにご活動なさっておられるようだ。▼ 未納議員・渡辺孝男は、「渡辺たかお」として、公明党・北海道東北管区を舞台に、比例代表で選挙戦の真っ最中だ。 公明党は、比例代表に個人名を書かせる戦略を採用している。 「渡辺孝男」から「渡辺たかお」への改名は、未納議員であった過去を有権者に分からせないようにするための工作なのかな?▼ 未納議員・山本保は、愛知県選挙区の3人目の椅子をめぐって、民主党の谷岡郁子と激しいつばぜり合いだ。 自民党支持層からの手厚い支援がないと、民主党の谷岡に負けかねない戦況という。 ▼ そういえば、民主党候補の谷岡郁子の事務所の出入口には、「監視カメラ」がおかれていたことが発覚して騒動になった。 これって、未納議員・山本保陣営=創価学会の仕業だよね、どうみても。 だいたい、1980年に創価学会は、緒方靖夫共産党国際部長の自宅を盗聴していたことが発覚した宗教団体なんだから。 たしか、和解になったんだよね。 恐いねー。 僕も殺されるかもしれない(笑)。 ▼ 未納議員・福本潤一は、「公明党は全体主義政党」と批判して、党を除名された。 公認を外された恨みも、あるのかもしれない。 福本氏の「靖国神社参拝は、ヒトラーの墓参りをするようなもの」という発言には、ちょっと首をひねるものがあったけれど、今回の批判は立派な見識だろう。 あとは、殺されないことを祈るのみ。 もっとも創価学会は、自分たちの宿敵の死には、祝電を送りつけちゃう習慣があるらしい。 藤原弘達の葬式のとき、何百通の祝電が、式場に届いたそうだ。 ひどい連中だ。▼ 実は、「『年金100年安心』のウソをバラしやがって」なのかもしれないが、千葉国男と森本晃司にみられるように、とくに下っ端の公明党の未納議員たちは、公明党から密かに抹殺されているみたいである。 山下英一は、環境副大臣をつとめたけれど、今は役職についていない。 完全に干されている。 おなじ未納議員・山本保が、福本のように公認辞退をせまられないのは、選挙区選出で知名度がモノを言うので外せないのかもしれない。 ただ、なにも説明しないまま、国民の目の届かないところで、「未納議員外し」を行うのは、公党として異様な状況というしかあるまい。▼ 忘れそうになった方は、3年前を思いだそう。 自民党議員の未納が、ボロボロと櫛の歯がぬけるように発覚。 そのことを攻撃した菅直人民主党代表も、だれかのリークによって、社会保険庁の不手際で8ヶ月もの未納が発覚した。 ところが公明党所属国会議員だけは、全員が、2004年5月12日の会見で「未加入・未納」状況が報告されたのである。 後にも、先にも、公明党の未納議員は現れていない。 こんなこと、通常、考えられるだろうか。▼ 答えは1つしかあるまい。 菅直人の未納情報リークをおこなったのは、公明党・創価学会サイドだったということだろう。 年金保険庁の役人のリークで、ぽろぽろと自民党議員の納付状況がもれ、大問題になった。 そこで、公明党・創価学会サイドの年金保険庁のクサレ外道が、民主党議員の納付状況を創価学会幹部にこっそりご注進。 マスコミにリークの後、公明党は坂口厚相であることをフルに利用して、満を持して発表。 幕引きに大成功した、ということだろう。▼ 「政党のトップとして、国民の信頼を損ねた以上、辞任はやむをえない」。このように菅直人の代表辞任を痛罵しておきながら、未納議員のくせにその後も3年間、政党のトップの座に居座った、公明党「神崎・冬柴」コンビ。 ▼ 北側一雄にいたっては、なんと、今では公明党・幹事長にご昇進だ!!! なんとも、卑劣な政党というしかないだろう。 いったい、公明党は何を、どう、謹慎させたつもりなのかな。 ▼ というわけで、今回の選挙は、犯罪集団・創価学会に天罰を下す選挙なのかもしれない。 清き一票を。追伸 やはり『命のマニフェスト』って、どうみても、故・徳田虎雄(自由連合) の『命だけは、平等だ!!』のパクリにみえる… ← 公明党ゆるせん!と思った方は1クリック!今のブログ順位
Jul 25, 2007
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(この日記は前編からの続きですので、こちらからお読みください▼ 本書は、アマゾンの読者レビューはむろんのこと、朝日新聞や読売新聞などの大手メディアでも採りあげられている。 一般的なブログにおいても、おおむね、「滝山コミューン」に批判的立場からの感想が多いようだ。 曰く、「日教組の全体主義教育」。 曰く、「戦後民主主義下の個性の抹殺」。 だからこそ、原武史が突然、「滝山コミューン」を肯定するかのような末尾の議論、別様の「民主主義」の可能性を論じたことについて、理解できないムキも多いようだ。▼ ここで、告白しておかなければなるまい。 わたしもまた、原武史と同じような体験をしたことを。 もはや、全生研教育の末期だったのだろう。 ぼくたちの小学校は、「ビリ班」のない、ほとんど形骸化した「班競争」がおこなわれていた。 しかし、そのかわりに、「平和学習」が押しつけられた。 本当に、嫌で、嫌で、仕方がなかった。 先生への反発から、小学生時代は「軍事オタク」になったくらいである。 作者とは、「学習塾」「進学校」へ逃避したことまで同じだった。 そして、卒業時、鉄道旅行をしたことまで同じとなると、にわかに笑いがこみあげてきたくらいである。▼ それでも言わなければなるまい。 集団主義教育は、断じて全体主義ではない。 原武史は、批判する。 全生研教育では、「集団の前に個人と自由は否定される」と。 そうだろうか。 原武史が挙げる文書は、「個人主義、自由主義の克服」の文句である。 資本主義に毒された「個人主義、自由主義」のイデオロギーを克服することが、どうしてそのまま「個人と自由」の≪単純な否定≫に読み替えられてしまうのか。 「6年5組」の公約をのっとってしまう候補者があらわれたとき、女子生徒は叫んだ。 「わたしたちの公約を真似しないでよ」と。 この声は、虚偽だったのか。 この声は、「自由」から発せられたものではないのか。 片山勝が3年連続で5組の担任になったとき、父母と生徒たちは歓声をあげたという。 あれは、「洗脳」された結果とでもいうのか。▼ 集団主義とは、「個人の自由」が「討議づくり」(本書52頁)を通して、「集団の自由」(意思決定)へと揚棄される営みではないのか。 だからこそ、『安田講堂 1968-1969』でも論じたように、全体の意思を形づくるための、信じられないほどの討議・討論が要求されたのである。 集団主義は、断じて全体主義ではない。 「全体主義」とは、あくまで「個人」と「集団」は揚棄されることなどありえないという、個人と集団の「亀裂」を前提とした上で、「集団」の側が「個人」の側を≪短絡的に包摂≫する行為ではないのか。 ▼ そう考えてみると、本書では見えなかった部分が見えてくるとおもわれる。 本書では、どうして、片山勝教諭と「6年5組」の児童の関係は、希薄にしか描かれないのだろうか。 「6年5組」の児童は、原武史少年に強烈な同調圧力をかけてくる。 片山勝教諭は、どうやら原武史少年には嫌悪感をいだかせる、ヒトクセもフタクセもある人物のようだ。 どちらも、ちょっと恐いところがないわけではない。 ところが、両者の関係は、どうだろう。 「方針演説」の草稿に添削を加えていた話以外、あまり見えてこない。 実に、不思議な話ではないか。 たしかに、「6年5組」の児童だった人々は、当時の記憶を失っていたという。 おまけに、原武史少年は、別のクラス(6年2組)の児童。 片山教諭と「6年5組」の児童の関係が分からないのは、ある意味、仕方がない側面もあるという言い訳も考えられないことはない。 しかし原武史は、片山勝教諭にインタビューをおこなっているのである。 それでも、まったく明らかにならないのは、明らかに異常ではないのか。 ▼ 理由は、ただ1つしかあるまい。 片山勝もまた、「記憶が無かった」のではないか。 いや、正確に言いなおさなければなるまい。 本書を描くため隠蔽しなければならなかった部分とは、「6年5組」の児童による民主的集団の実践は、片山勝教諭の手から離れていたことにあるのではないか。 片山勝は、当初こそ「5組」の児童をそそのかして、組織化したにちがいない。 しかし、3年目、「6年5組」の段階になると、もはや、児童だけによる≪実践≫がおこなわれていたのではないか。 片山勝は、児童たちのおこなう、民主的集団の実践の数々に、むしろ感銘さえ受けていたのではないか。 もはや、児童たちを教える必要がなかった。 それどころか、片山勝は、児童たち「から」学んでいた。 両者の幸福な師弟関係は、今も「6年5組」の児童と片山教諭が、密接に交流していることからもうかがえるだろう。 6年5組において、もはや、何も指導する必要を感じなかったこと。 これこそが、「6年5組」に関する片山の記憶の欠落を招き、原武史のインタビューの消化不良を招いたのではなかったか。▼ 傍証は、本書を読めば、いくらでも気づかされる。 6年5組のリーダー、中村美由紀。 彼女は、精神的重圧のあまり、過敏性大腸炎などで苦しんだ、とされる。 しかし、症状が悪化したのは、いつからなのか? 「滝山コミューン」確立期以降ではないか。 コミューンが完成してしまえば、彼女は「11歳の子供だということを忘れ」(151頁)なければならない。 現代日本の大人と同様のストレスに苛まれるのは、むしろ、当然のことであろう。 彼女は、断じて、「集団主義」の犠牲者ではない。 考えてみれば、コミューンの「完成」とは、先生の指導から脱出して、先生の指導と集団の自由が、対立なく揚棄されている状況ではない限り、ありえないはずである。▼ 原武史は、勘違いしているのではないか。 たとえば、林間学校のキャンドル・サービス。 そこで、「集団」に「個人」がのみこまれていく恐怖が、丁寧に解説されている。 かれは、その式典の際、片山勝を批判してやまない。 指導者(片山勝)の一人舞台につき合わせられただけではないか!! どこが平等なのか!! 「体制」への忠誠度に応じた序列があるではないか!! ナチスと同じ一体化演出ではないか!!!!、と。 たしかに、間違ってはいまい。 だが「恐怖」は、ナチスと同様にロウソクの火の下で、集団と個人が一体化させられる所に存在するのだろうか。 本当の「恐怖」は、キャンドル・サービスにおける、日教組・全生研の実践者、片山勝のふるう長広舌が、「一人舞台」であるどころか、「掛け値無く真実」を語っていたとき、われわれに訪れるのではないか。▼ 原武史氏は、決定的ともいえる部分を捉え損なっている、というしかあるまい。 読了された方は、もう一度、この部分を読み直して欲しい。 この次元でなければ、原武史の洞察 ―――― 「滝山コミューン」は、西武沿線の団地という等質な空間下であることを前提条件にしていたとはいえ、成人男性のみが政治参加してきた伝統をのりこえる可能性を秘めた、児童や女性を主体とする画期的な「民主主義の試み」ではなかったか ―――― は、本来、理解されるはずがあるまい。 なにゆえ、原武史は、たどり着くことができなかったのか。 本当に残念でならない。 ▼ かくて、わたしは泣いた。 永遠に失われたものを哀悼したのである。 ▼ 高齢化のすすむ、荒涼とした滝山団地。 もはや、「滝山コミューン」関係者のうち、誰1人としてすむものがいない。 極端な少子高齢化の到来によって、原武史の故郷(ふるさと)、滝山団地は、廃墟と化そうとしている。▼ かつて、ここには、民主主義を実践に移し、民主的集団を打ちたてた児童たちがいた。 歴史の彼方に消えた「滝山コミューン」。 このブログをお読みの方は、ぜひご一読して欲しい。 これは、「全共闘」とは別次元において、たしかに花開いた、究極の民主の実践の姿なのだから。 評価: ★★★★☆価格: ¥ 1,785 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Jul 17, 2007
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▼ 読了後、涙があふれた。 押しつけではない「真理の教授」と「民主的社会の建設」は調和する、と心から信じることができた、「美しい夢」の時代に。 そしてそれは、「滝山コミューン」として、現実の世界で結実したのである。 本書の筆者、原武史氏にとっては、「苦い思い出」として描かれた「滝山コミューン」。 歴史のかなたへと消えた、抑圧の象徴「滝山コミューン」に、わたしは何故か感動と憧憬を禁じえなかったのである。 ▼ 本書をおさらいしよう。▼ 1970年代は、一般にいわれているように、「政治の季節の終焉」「左翼運動の衰退の時代」ではなかった、という。 「全共闘世代」は、教育現場に入っていったからである。 西武沿線郊外の団地は、革新勢力の強い地区であった。 そのような団地の一つ、東久留米市滝山団地。 その東久留米市立第七小学校に、1人の若い教師がのりこんでいく。 かれの名は片山勝(仮名)。 かれは、学校現場に異色な教育 ―――― 遠山啓「わかるさんすう」による『水道方式』による数学授業と、日教組の民間教育研究団体、全生研がとなえる『学級集団づくり』 ―――― をもちこみ、保護者のみならず子供たちから、絶大な信頼をうけることになった。 ▼ 全生研の唱えた教育方法は、「日の丸、君が代、特設道徳」という上からの「反動勢力」の押しつけに対して、護憲派リベラル的「個性重視」の立場から、子供を守ろうとするものではなかった。 かれらは、旧ソ連の教育学者マカレンコから示唆をうけ、『学級集団づくり』という「集団主義教育」をおこない、「民主的集団」の形成に意をそそいだのである。 先生の権威によって維持される「よりあい段階」から、こどもたちの中に「核」がめばえ学級活動をになう「前期的段階」をへて、学級集団の「外」に活動をひろげる「後期的段階」へ。 片山勝は、同じクラスを持ちあがりで3年も担任をつとめ、このルートに沿うかのような実践をおこなう。 そして、かれのクラスが6年になった時、原武史氏が「滝山コミューン」とよぶ、「6年5組支配」を小学校にもたらすのだ。 「父母」と「先生」の密接な提携の下、6年5組は、「集団的力量」を発揮。 6年5組の児童は、全委員会の委員長を独占し、「全校が6年5組化」してしまう。 ▼ 「班づくり」と激烈な「班競争」。 生徒たちが自分の力を自覚するための「合唱教育」。 漢字をまちがえれば、班で「共同責任」を負わされる。 罰則は、数値化されていて、過酷な「目標点競争」が班単位でおこなわれた。 掃除場所ですら、班で「立候補」しなければならない。 それも、文章を入念に準備して、「方針演説」を読みあげ、信任を勝ち取らなければならないのである。 それも、「ボロ班」「ビリ班」 ―――― のちに「イジメ」の温床になる ―――― にされ、クラス中にさらしものにされてしまう恐怖におびえながら。 「自覚した学級」の裏にひそむ、陰湿な「相互監視」「粗探し」も、しばしば見られたという。 それでも、6年5組の生徒たちは、「直接民主主義」の下、学級委員、生徒会役員に、「代表児童委員会をみんなのものに!!」をかかげ、果敢に進出していく。 ▼ 6年2組の原武史少年。 かれは、個性や自由を認めない教育に反発と息苦しさを感じるものの、周囲の友だちは、どんどん「6年5組」的なるものに蚕食されていく。 原少年の想いをよそに、着々とすすめられる、国家権力に立ち向かい、児童を主人公とする民主的な学園建設の試み。 それは、7月の林間学校と、その後の「8ヶ月」で頂点に達する。 「わんぱくマーチ」の大合唱。 火の神もいなければ火の子もいない、全生徒参加のキャンドルサービス。 祝祭と儀式を通した「心地よい一体感」が、原少年にまで襲いかかるのだ!!!! ▼ ここに「滝山コミューン」は完成した。 先生を事後承認させるだけの関与にとどめた、「運動会」の自主運営。 肥大化する「課外活動」は、仮装大会、遠足、学芸会、年賀状コンクール ………。 なんと、全生研は「集団」の名誉をまもるための、集団的制裁=リンチ=である「追求」を称揚していたらしい。 「集団の和をみだす児童」とみなされた原武史少年。 かれは、同じ児童から「追求」をうけ、間一髪でリンチから逃れることに成功する。 こんな所には、いられない。 原武史少年は、進学塾・慶應義塾中学に進学することで、エクソダスをはたしたという。▼ 本書の問いかけるものは、とほうもなく大きい。 みずからの教育行為が、みずからの理想に反してナチスや近代天皇制に通じる権威主義をはらむことに対し、どうしてこれほどまで無自覚でいられるのか、批判してやまない。 その無自覚こそ、異質的なものを排除・絶滅させることへの荷担を生み続けてきたのではないか。 旧・教育基本法は、「個人の尊厳」を重視することで個人と「国家・伝統」とのつながりをたち、教育荒廃をまねいたと批判され、昨今、改正されることになった。 ウソだ。 教育基本法は、決して「個人の尊厳」を守ろうとはしなかった。 ただ、一方でこのように語る。 「平等」「集団」に重きをおいた「滝山コミューン」は、西武沿線の団地という等質な空間下ではあったが、成人男性のみが政治参加する伝統の「のりこえ可能性」を秘めた、児童や女性を主体とする画期的な「民主主義の試み」ではなかったか、と。 東京圏の大規模緑地のほとんどが皇室と密接な関係にあること。 氷川神社が出雲系の神社であること。 「鬼のパンツ」は、全生研教育の「集団を高めさせる」ことを目的におこなう「集団遊び」のひとつだったこと。 本書は、こうした豆知識・エピソードを随所にからめながら、万感のおもいをこめて終わる。(その<2>はこちらあたりになる予定です。応援をよろしくお願いします) 評価: ★★★★☆価格: ¥ 1,785 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Jul 13, 2007
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(この日記は前編からの続きですので、こちらからお読みください)▼ 第3部は、理論書でもなく戦略書でもない、『国家と革命』についての、法外なテクストを法外なまま読解する、意欲的な試みである。 ▼ ブルジョア国家は、階級対立の非和解性の産物にほかならない。 ブルジョア国家誕生の後、もはや搾取は人格的支配ではなく、経済過程を通してなされるほかはない。 ブルジョア国家は、脱人格化し、「法の支配」の外套をまとう。 「階級間の対立」は、国家と特定階級との対立におきかえられてしまい、国家は、階級対立そのものを否定する体制としてあらわれざるをえない。 とはいえ、ブルジョアが国家に力を備給(税金ほか)できる範囲でしか、国家はプロレタリアートに力を振るうことはできない。 プロレタリアート独裁国家が、「公権力」という形であらわれるブルジョア国家と決定的にちがう点は、「何者にも分有されることのない、大衆の武力に直接立脚した権力」であることにある、という。 だから、プロレタリアート独裁、を承認しない人は、マルクス主義者ではない。 しかし、プロレタリアート階級は、「資本主義によって分断化」されていて、本質的に団結することはできない。 同僚の犠牲の上で自分の取り分を増やすことを拒む理由は、『資本制社会においては』存在しないからである。 ▼ だからこそ、革命運動は、 A 経済闘争ではなく、仮象であるはずのブルジョアの「官僚的軍事的国家機構」を破砕する政治闘争によってしか、分断されている農民とプロレタリアートを糾合できない、という。 われわれは、錯誤に飛びこんでいくことで逆説的に真理をえなければならないのである。 そして、B 「未来が現在の中に浸入」することで、「現在の中にありながら現在を超出する」(前衛党)ことによってしか、プロレタリアートと農民の糾合など達成できない。▼ 「帝国主義戦争を内乱へ」という、レーニンのテーゼは有名であろう。 レーニンは、総力戦体制下、労働者と農民が軍隊へ編入され「特殊な力」の一員になっていた情勢を徹底的に利用する。 そこで目指されることは、ブルジョア国家の「特殊な力」を「普遍的な力」(武装する人民)に「質的に転化」させることにほかならない。 かくて、ブルジョア国家の「特殊な力」は、「プロレタリアートの直接態」に移行することで「普遍的な力」が出現することで、無用の長物となる。 「階級対立の非和解性」から生じた「特殊な力」は、被媒介的な位置を脱して直接的なものになることで「普遍的な力」に転化すれば、もはや必要ではない。 残された「普遍的な力」は、人民が自らを統治する「習慣」を獲得することによって、革命の成就とともに、自然に消滅することが宣言される。 『国家と革命』のテクストは、この宣言とともに、実質的に終わる。 なぜなら、「普遍的な力」の降臨、ロシア革命の勃発によって、テクストは中断を余儀なくされたからである。 ▼ レーニンよれば、ラディカルなものは、人物でも、行動でも、ましてや思想でもない。 ラディカルなものは、現実、「リアルなもの」そのものであった。 レーニンのやった革命とは、そもそもラディカルである現実に働きかけて、いっそう急進化させ、リアルなモノを爆発的に露呈させることにすぎない。 理性よりずっと「リアルなもの」として、「無意識」を探訪したフロイト。 人間に対して、世界をより一層、リアルに現前させるための哲学を構築しようとしたフッサール。 レーニンは、フロイトとフッサールに連なる人物であるという。 レーニンには、ブルジョア資本主義下の政治がかかえる秘密 ―――― 社会に内在する階級闘争(本質的政治)をイデオロギーによって隠蔽しなければならない ―――― を全面的に掘り起こし、国家の死滅を目指したかわりに、別種の秘密 ―――― かれの創設しようとした共同体は、敵対性にもとづくモノであること ―――― を抱えることになったという整理は、適切というほかはない。 ▼ また、評者が初心者に近いためか、フロイト論もたいへん面白かった。 極端な罪責感に囚われたモーゼの一神教は、「死の欲動」とその内面化 ―――― 攻撃欲動の対象を自分に向けることで欲動の断念が徹底される ―――― によって形成されたものだという。 フロイトは、「エス/自我」「野蛮/文化」「無意識/意識」の2項対立をもうけ、前者の根源性とその病的な出現、後者による前者の統御の困難さを説いたものの、しばしば、マルクーゼたちによって、自分の発見したものの革命的ポテンシャルを完全に実現させる意思を欠いた保守主義者呼ばわりされていたらしい。 時間論もなかなか気が利いている。 レーニンの断行した革命とは、帝国主義諸国により世界分割され空間的再分割が意味を失った時代にあって、闘争軸を空間から時間へ変化させた「だけではない」。 われわれは、通常、「未知なる未来における自己の可能性の追求」(革新?)VS「既知の慣習や経験への埋没」(保守?)という、一見、相対立する対立軸にとりこまれてしまい、どちらも「日常性の時間構造」を前提にしていることを忘れがちだ。 レーニンのテクストには、この日常性の時間構造をぶちこわし、「永遠が永遠としての実感を伴いながら我々に現前する」狂気が貫いている、そう語って本書は綴じられる。 ▼ とにかくレーニンとは、たいへん独創的な思考をする、希有の思想家、規格外の思想家であった、という他はない。 左翼の一部が、今こそレーニン主義を!決断主義を!と言い出すのは、無理もない。 右翼・左翼問わず、その哲学的思惟を学ぶ必要性が理解されるのではないだろうか。 ▼ とはいえ、何点か疑問に感じる所がある。 レーニンにおいて隠蔽されているのは、建設しようとする共同体が敵対性にもとづいていることであるという。 マルクス・レーニン主義国家における、「階級闘争」の名を借りた粛清劇をみるかぎり、頷かざるをえない。 とはいえ、敵対性は消さなければならない。 階級対立の非和解性こそ、ブルジョア国家の存立基盤なら、なおさらではないか。 レーニンはどのようにして敵対性を消すことを考えていたのか。 また、資本主義を打倒しえない限り、敵対性は永続的に解消されないならば、どうやって、資本制社会を打倒するのか。 なにが資本制社会打倒なのか。 『国家と革命』がユートピア呼ばわりされる原因は、戦術的に迂回させて政治次元での闘争を重視することで、肝心の経済次元の論理がおざなりにされていたことにもあるのではないか。 「力の一元論」は面白いが、なにかしら肝心なことの説明がなされていないように感じてしまう。 レーニン主義のフロイト化の是非ともども、再考の余地はあるようにおもわれる。▼ とはいえ、これほどまで刺激的な左翼理論の書物というのは珍しい(そもそも右側の刺激的な本など読んだことはないけれど)。フロイトで読むレーニン、『分かりやすいスラヴォイ・ジジェク』という他はないだろう。 社会変革運動にたずさわる方、決断主義・レーニン主義・「ポストモダンの左旋回」に興味がある方は、必読の書である。 ▼ お試しあれ。評価: ★★★★☆価格: ¥ 756 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Jul 9, 2007
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▼ 一匹の妖怪が思想界を徘徊している。 レーニン主義という妖怪が。 旧思想界のあらゆる権力がこの妖怪征伐の為の神聖同盟づくりに結託した。 仲正昌樹と東浩紀、八木秀次と小谷野敦、岩波のカルスタ派と『諸君』の公安スパイという具合に。▼ …… ▼ またやってしまった。 皆さんはご存じか。 近年、左翼の思想業界(狭い!)の中では、レーニンが世界的ブームになっているらしい。 現実の「マルクス=レーニン主義国家」は、とっくに崩壊した。 ところが、その創始者=「権威」として批判され、不平・不満の対象にされていたはずのレーニンは、最近、劇的な復活を遂げている。 映画『グッバイ、レーニン』の物悲しさを君はみたか。 レーニンは、現実の国家を失うことによって、永遠の生をえたのではないか。 ▼ レーニンは死なない。 スラヴォイ・ジジェクから糸圭秀美にいたるまで、レーニン主義的「決断主義」を称揚しないモノはいない。 「ポストモダンの左旋回」(仲正昌樹)といわれるこの現象、はたまた現実の社会主義国家の崩壊によって過去の思想として葬られたはずのレーニンは、なぜ、今、復活しつつあるのか。 ただの歴史の歯車を逆戻りさせるだけのことなのか。 過去の栄光を追いもとめる、老人の繰り言なのか。 ちがう。 断じてそうではない。 本書は、社会の変革を志すものなら、左右問わず、誰しもレーニンを学ばなければならないことを改めて教えてくれる、希有の著作なのである。 これを読まない人は、絶対、損をするだろう。▼ 前振りが長くなった。 ひとまず、概観しておこう。 第1部 躍動する<力>の思想をめぐって 第2部 『何をなすべきか?』をめぐって 第3部 『国家と革命』をめぐって▼ なによりも本書は、ジグムント・フロイトという補助線を用いることで、レーニン2つの問題作、『何をなすべきか?』と『国家と革命』の再読解を試みるものである。 このコラボレイト、刺激的でないはずがないではないか。▼ 第1部は、レーニンという、思想史的事件が語られる。 ▼ レーニンとは、「外部はある!」と語り、そこへ到達(=革命)した唯一の人間であった。 無慈悲なマキャベリアン、残忍な現実主義者としての「権力亡者レーニン」。 ユートピア的社会主義者、理想主義者として、社会主義諸国で宣伝された「聖人レーニン」。 この2つの分裂は、『何をなすべきか?』と『国家と革命』で、まるで相容れない主張が、レーニン本人によってなされている(ように見える)ことに起因してきた。 ▼ 本書はこの2つレーニン像を折衷しない。 『国家と革命』とは、総力戦によるロシア社会の全面崩壊から目をつぶる社会主義者と、空想的な無政府主義者、2つのユートピア主義に対して批判するためにかかれた「国家の廃絶」のマニフェストであって、断じて一般にいわれるようなユートピア主義の書物ではない、という。 レーニンの無政府主義者への批判は、力をめぐるものだ。 無政府主義者は、「国家を廃絶するための力」「その廃絶に使われる力を潰す力」を想定しているため、「力の2元論」を想定せざるをえない。 また、『何をなすべきか?』も、労働者の階級意識形成のために『革命的前衛党』による指導を礼賛する、一般に言われるようなマキャベリアンの書物ではない。 彼にしてみれば、革命とは「外部」へ超出することに他ならない以上、階級意識は「外部」から供給される他はないからである。 ▼ 「外部」へ「超出」することで「革命の必然性」を把握した後は、「客体」としてではなく、「主体」にならなければならない。 われわれは、「革命の必然性」とは、革命の到来によって、すなわち後になってから分かるものと考えてしまう。 現在では分からない。 「未来」において開示される他はないもの、と思いがちだ。 レーニンはちがう。 この悪しき議論を徹底的に排撃するのだ。 どうやって? レーニンは、革命の「客体化」を招きかねない、「今」と「未来の革命」との「あいだ」に横たわる時間的「裂け目」を、断じて認めようとはしない。 「主体」のなすべきことは、今ある「革命の現実性」にしたがうことである!!! 必然性から現実性への転回。 革命からその主体を剥奪して、「世界そのものを革命の主体とすること」。 ここにこそ、レーニンによる、マルクス主義のコペルニクス的転回があるという。 たしかに凄まじい発想の転換である。▼ 第2部は、悪名高い『何をなすべきか?』の読解である。 ▼ 筆者がフロイトを援用するのは、「悪しき前衛党主義」とされる理解に対して、別の読解を切りひらくためにほかならない。 そこで開示される理解とは、レーニンの「社会主義のイデオロギーの外部性」問題は、プロレタリア階級の意識にとって「抑圧されたもの回帰」、別の形をとった「神経症」の交替ではないのか?というものである。 抑圧的なものの回帰は、常に「性的欲動」と密接に関わる。 欲動が断念されることによって、「抑圧されたもの」が「性的なもの」に固着し続けた場合、人は神経症を発症する。 しかし、固着対象は、「性的なもの」から文化・社会的活動へ付けかえることも可能である。 そのような営みは「昇華」と呼ばれる。 フロイトによれば、宗教は「昇華」であると同時に集団的神経症であり、一神教とは「集団的神経症」における「精神の進歩」であるという。 ▼ レーニンは、プロレタリアートの「無意識」の領域に追いやられた「心的外傷」を、暴露・煽動を通して、労働者階級に認識させることを唱えた。 そして、「未開人」のような「自然発生性」にひざまずくこと ―――― 革命失敗は、「理論」に起因すると唱えて経済主義・組合主義に走ったり、「大衆の不活発さ」に起因すると唱えてテロリズムに走ったりすること ―――― を徹底的に批判する。 マルクス主義において追放されなければならない「呪物」は、ベルンシュタイン流の修正主義が言うような、「革命」ではない。 追放されるべき「呪物」「偶像崇拝」とは、「理論」とか「運動の自然発生性」への拝跪にほかならない。 レーニンは、ベルンシュタイン流の修正主義によって「自然発生性に拝跪」し「多神教化」しつつあった社会主義を一神教化し、真正の社会主義イデオロギーは資本制社会における階級関係を反映してはならない、と主張した人物であるという。 レーニンが突破した次元とは、ナロードニキ主義者や経済主義者たちにみられる、「人民の殺害」によるトラウマから、「罪責感」(=良心の疚しさ)を抱いてインテリゲンチャと人民との功利主義的和解に拘泥する意識にほかならない。 これらを断固はねつけて、「外の世界」に人民を連れ出そうとしたことに意義があるという。 レーニンの主張する革命とは、断じて、「人間的本性を取り戻す」=疎外論的図式ではなく、労働者・農民のための革命でもないのである。(その<2>はこちらあたりになる予定です。応援をよろしくお願いします)評価: ★★★★☆価格: ¥ 1,575 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Jul 5, 2007
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▼ 本当に素晴らしい。 面白い、小気味よい、痛快、と3拍子揃った書物が刊行された。 現代中国の専門家、矢吹晋氏(横浜市立大学教授)の書評を一冊にまとめたもの。 愚にも付かない中国モノが書店に氾濫する惨状に、頭を痛めている人たちには、待ちに待った書物といって良い。 クズ本が一刀両断されている。 ▼ なんといっても、冒頭から圧巻!!!! ユン・チアン『マオ 誰も知らなかった毛沢東』は、けちょんけちょん。 「稀代の悪書」扱い。 コミンテルン史観だの、三文小説だの、旧ソ連アーカイブを強調する虚仮威しは笑止千万だの、悪罵が凄まじい。 そりゃあ、中国共産党設立を1920年とすることで、露骨に毛沢東の権威を引きずり下ろそうとしているのが見え見え。 判断を示さず逃げを打った書評をかいた、国分良成(慶応大)・加藤千洋(朝日新聞)・天児慧(早稲田大)などは、研究者失格を宣言していて、痛快である。 「神格化」を否定するあまり「悪魔化」するのは、悲劇の克服にはならない!!は、我々の胸を打たずにはいられまい。▼ ロバート・クーン『中国を変えた男 江沢民』の紹介も素晴らしい。 江沢民がわざわざクーンに書かせた江沢民の伝記。 饅頭本(葬式のとき配られる本)の類であるが、それなりに使い道があるという。 社会主義諸国の崩壊という危機をのりこえるため、台湾海峡をめぐる疑似緊張状態と反日愛国ナショナリズムの煽動と法輪講弾圧による「安定団結」を旗印にかかげた江沢民政権。 その苛烈な「反日」言動の裏には、本来なら「漢奸的人物の息子」という「成分」のはずの江沢民が、不自然に「革命烈士」の人物の養子に「書き換え」られていることにあるのではないか、と推測する。▼ その反面、報告文学「人と妖のあいだ」で共産党を告発した劉雁宝編『天安門よ、世界に語れ』(社会思想社)や、『天安門文書』については、評価がたかい。 当時の中国の政治グループは三派に分かれていたという。 胡耀邦らの「民主的改革派のグループ」は、「陳雲―胡喬木―トウ(登+こざと偏)力群」の保守派グループに虐められたらしい。 趙紫陽は、「専制政治と自由主義経済」を結合させることを主張していたグループであって、胡耀邦ラインではないという。 トウ小平はこの三派のバランスを保ちながら、政治を仕切っていた。 趙紫陽は怜悧な官僚であり、これが彼が「中国のゴルバチョフ」となれなかった一因であるらしい。 一方、話題になった『天安門文書』とは、李鵬と趙紫陽、天安門事件直前、2つの指導部ができており、そのあとで後者が前者に潰された際、趙紫陽側の文書が流出して、それを編纂したものである、という。 かなりの文書が、とっくに『チャイナ・クライシス』(矢吹晋編)でも収録されているぞ!と宣伝する姿は面白い。 ▼ また、『中国農村崩壊』『中国農民調査』や小説などの書評を通して、現代中国の諸問題を摘出する手腕も冴えている。 2006年9月の上海閥討伐によって、党内を掌握できた胡錦涛のかかえる最大の課題は、「農村は貧しい 農民は苦しい 農業は危うい」で知られる「三農問題」。 農村部では、10年で役人が3倍に増えた所もあるという。 幹部たちは、改革開放を換骨奪胎して身内を登用して私腹を肥やして高利貸をやり、徒党を組んでいる。 それだけなら救いがある。 かつての幹部の不正を告発した人物が、横領事件で訴えられたりするだけでなく、なによりも、汚職と戦うことを決断した若手市長が、腐敗幹部たちの資金流用と上級幹部への賄賂によって、自分が市長に抜擢されたパラドクス ―――― 構造汚職となっているのである。 中国の闇は深い。 ▼ 他にも、台湾論から中国経済論まで、実に幅広い。 むろん、筆者は、独自の観点で論じていく。 藍博洲『幌馬車之歌』と侯考賢『非情城市』の関係の検討。 とくに、今では、常識なはずなのに、忘れられがちになっている台湾論がいい。 「台湾独立の可能性は消えた」が「台湾統一の条件は整っていない」ため、大陸と台湾は現状維持しか採れない。 現在の社会主義市場経済の「社会主義」は、枕言葉にしかなっていない。 読むべき本としては、津上俊哉 『中国台頭 日本は何をなすべきか』(日本経済新聞)や、今や都市が農村に恩返しする時代と喝破している白石和良『農業・農村から見る中国現代事情』(家の光協会)があげられている。 また、大西義久氏の著作(『円と人民元』他)に対しても、著者が高い評価をあたえている。 こちらの評価とも一致していて、たいへん喜ばしい。▼ では、どのような本がクズなのか。 そして、読んではいけないのか。 ベンジャミン・ヤン著・加藤千洋訳『トウ小平 政治的伝記』(朝日新聞社)や、宮崎正弘『本当は中国で何がおこっているのか』(文藝春秋)だという。 さらに、誰を信じてはいけないのか。 どうやら、筆者の物言いをみていくと、信じてはいけない学者・ジャーナリストは、宮崎正弘と中嶋嶺男、長谷川慶太郎に加藤千洋たちのようである。 こいつらは、「人民元大暴落」を言い立てていながら、数年もたたないうちに「中国バブル」を言い立て、中国分裂論を鼓吹しておきながらいつの間にかなかったことに。 オオカミ中年とは言いえて妙、というかオオカミ老年まで交じっている。 また、国分良成、天児慧も要注意みたい。 これでは、有名所の中国学者は全滅じゃないか。 いったい誰を信じれば良いんだろう(泣)。▼ とにかく、本書を評するとすれば、大変勉強になりました、の一言ではないだろうか。 事実をもとに論じることの大切さを痛感させられること疑いない。▼ 1956年、第八回党大会までは、集団指導体制がとられ、毛沢東の独裁というものはなかったらしい。 朱鎔基(湖南省長沙)は清華大学左翼学生リーダーでありながら、右派分子として追放。 87年には序列400番台だった男が、91年副首相。 剛直・剛毅・廉直のため、賄賂を送るものがいない。 「100個の棺桶を準備せよ」「連れだって地獄へ行く」と朱鎔基が啖呵をきった下りは、ぜひ確認して欲しいほどの勇ましさだ。 なんと、朱鎔基の祖先の墓には、爆薬が仕掛けられたことがあるらしい。 すさまじい抵抗をなぎ倒す姿は、感動させられてしまう。 また、毛沢東が『楚辞集註』を田中角栄に送ったのは、誠心誠意謝罪しようとしたのに「迷惑」という言葉を使い、こじらせたことに対して、「迷惑」の典故的書物にあたるから送ったのではないのか、という解釈が示される。 田中角栄の誠心誠意の謝罪も、毛沢東の受け入れも、双方にとって都合が悪いので忘れ去られ、万感の意がこめられた「迷惑」は死んだという。 残念な話である。 ▼ むろん、読書系サイトで、書評の本を採りあげるのは、反則のような気がしないではない。 とはいえ、これほどまでに現代中国に対する充実した書評集は珍しい。 まっとうな、現代中国に関する「常識」が凝集しているからである。 常識を知って異端的言説を述べないかぎり、ただのトンデモに堕してしまう。 ただ、激辛なだけに、ときどき、本当かな?という論理運びも見られることもある。 「迷い、惑わす」が原義の「迷惑」が現在の意味に変化したのは、武士の台頭とその決断主義を支える禅宗の流行に由来するとは、ホントのことなのだろうか。 ちょっと出来すぎた話のように思えないでもない。 ▼ とはいえ、これくらい素晴らしい本は、こと中国モノに関しては珍しい。 貴方の中国認識は、どの程度正しいものか。 ぜひ一度、この本でテストしてみてはいかがだろう。 図書館なり、本屋にいって、ぜひとも購入ないし購読していただきたい本である。評価: ★★★★価格: ¥ 1,575 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Jun 27, 2007
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▼ 本日は、2006年5月29日、逝去した、米原万里のロシア・エッセイをご紹介したい。 これ以上、ブログを更新しないと、読者に見捨てられてしまいかねないこともあるのだが、なかなか面白かった。 ▼ 希有のエッセイストにして、ロシア語同時通訳者だった、米原万里。 その文章は、スイスイ軽やかで実に楽しい、はずなのに、題材が「20世紀における最大の実験国家」ソビエト連邦という「悲哀さ」も手伝ってか、何かしら寂寥感や「後味の悪さ」すら感じさせるのである。▼ 冒頭から、ロシアの代名詞、「ウォトカ」についてのお話。 大作曲家ショスタコービッチがロシアの想像を絶する汚いトイレに落ちてしまい、病原菌への感染を怖れてウオッカを体中に塗りたくったら最後、あまりの「熱さ」に一睡もできなかったという。 「温湿布」や「保温」にも、ウォッカは不可欠の存在らしい。 チェルノブイリの事件では、ウォッカこそ放射能の特効薬とされた、という。 零下50度のシベリアでは、窓を拭くのにウォッカを使うとは …… ちなみにウォッカの等級は、純度、精製度で決まるのだとか。 ご存じでしたか?▼ エリツィンの話も、つい最近死んだだけにいたたまれない。 結局、ロシア人を信用できず、一度も選挙の洗礼を受けることなく、アメリカや日本、西側に目が向いていたゴルバチョフ。 金目当てで、統一教会や創価学会会長との会見にも、時間を割いていたらしい。 かれに比べると、エリツィンは、いつも、選挙で信任をもとめたという。 4人に1人はアル中の国だけに、エリツィンは、ロシア人にとって「親父」みたいなもの。 率直すぎる物言い、海部首相やゴルバチョフから受けた仕打ちは忘れない執念深さ、意外とお金に対して清潔(側近や周囲は違う)など、面白い話が多い。▼ ソ連社会については、米原万里にとってオハコ。 ポルノには厳しくても、セックスとアルコールだけは、比較的自由な国家だったらしい。 ゴルバチョフは、節酒令と反アルコールキャンペーンを展開するものの、むしろ「まとめ買い」「原料の砂糖買占」をまねき、靴クリームからアルコールを染み出させることまで行われたのだとか。 貴族階級に担われていたがゆえに、「ひもじさ」という感覚とは無縁のロシア帝国時代の古典文芸。 ソ連社会では、文学・オペラ・バレエ・芝居を始めとするあらゆる領域で、古典が重要視されていたらしい。 社会主義下では、なおさら、文芸は庶民の現実を描くことができない。 かくて、「優雅な美意識」と「現実」との圧倒的「落差」にロシア人は苛まれ続けたという。 卓絶したロシア文化論ではないか。▼ すでに90年頃には、ソ連国家は、末端から機能不全に陥っていたらしい。 「まったく働かない」ように思われるロシア人たちは、ダーチャ(自宅菜園)で週末、クタクタになるまで農作業をする「1億5千万人総兼業農家」状態で、ソ連時代ジャガイモの6割はダーチャで採れていたらしい。 ロシア人の途方もなく「気が長い」一方、しばしば「過激に」なる心性は、ダーチャというバッファーが可能にしている、のだとか。 ロシア人は、義侠心旺盛で、金持ちからふんだくることに良心の呵責を感じないが、貧乏人からはとらない。 日本人がロシア人と商談するときは、「ウサギ小屋」にご招待すれば、成功間違いなし!!!らしい。 とかく、面白い小話に事欠かない。 ▼ 加えて、怪しげな豆知識も面白い。 フィンランドの禁酒法のため、フィンランド人が大挙売春婦とともにレニングラードに押し寄せたため、革命後、法律上の概念として存在しなかった「売春婦」が誕生したのだそうな。 キエフ大公ウラジミールは、キリスト教に改宗するが、それは「妻は4人娶れるけど酒が飲めない」イスラム教より、「妻は1人だけど酒が飲めるキリスト教」を選んだ結果、だという。 ソ連にも、郵便局による新聞宅配制度が存在していたため、郵便当局の思惑が絶大であったらしい。 「北の隣国」ロシア社会を理解したい人にとっては必見の書といえるだろう。 ▼ かつて「世界で社会主義を実現した唯一の国」なる称号をえたこともあった日本は、今や「格差社会」化の中で、沈没寸前である。 ロシア人は、「社会主義」をかかげた実験国家を消滅させ、資本主義の荒波に巻きこまれたことで、「社会主義70年」の間、まったく理解できなかった、≪社会主義の良さ≫を初めて認識できたという。 日本人も、ロシア人同様、「戦後レジーム」を消滅させることで、初めて「戦後レジーム」の良さを認識できることになるのであろうか。 ▼ 時は、まさに参議院選前夜。 悔いのない決断をしたいものである。評価: ★★★☆価格: ¥ 520 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Jun 21, 2007
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▼ 鉄道を通してみえる近代日本。 ただの「鉄っちゃん」のオタク話と思うと、とんでもない大間違い。 前作『鉄道ひとつばなし』の続編だが、続編特有のいい加減さは皆無。 「ひとつばなし」と銘打たれていることから分かるように、講談社『本』に連載されていたコラムをまとめただけ。 まとめただけにすぎないはずなのに、とてもそのようには思えない。 40以上のテーマで、縦横無尽に鉄道を論じていて、とにかく楽しくてたまらないのである。▼ 田舎に新幹線を走らせると、普通、東京に出やすくなると思いがち。 でも実際は、ローカル線の廃止や本数削減によって、かえって不便になってしまう。 東北地方は、東京に出やすくなって東京依存を強める一方、隣県への移動が困難になり、いっそう地方の分断化が進んでいる!!!という戦慄すべき現実をご存じだろうか。 本書では、そんな「常識の罠」を次々と否定していく。 戦時下でも、行楽客であふれた関東私鉄沿線。 地上の専用軌道が環状線運行されている所は、ベルリン以外、大阪と東京しかないという。 地下鉄環状線を含めても、ロンドンに次ぐ古さをもつ、山手線。 高級イメージとは乖離した、東急田園都市線の混雑ぶり。 西武鉄道は、当初学園都市を目指し土地買収こそ積極的だったものの、西武沿線を開発したのは、日本住宅公団や東京都住宅供給公社であって、西武本体ではなかったらしい。 そのため西武駅前は都市計画がないデメリットとして、住宅が密集してバスターミナルもないのだとか。 正力松太郎の夢の欠片、全国唯一の新聞社名の付いた駅名、「よみうりランド」物語も面白い。▼ 近年は、マーガレット酒井順子先生のような、女性の「てっちゃん」が増えているとはいうものの、筆者は、大学生以降、「鉄道オタク」と女の子に思われないように、「隠れキリシタン」のような生き方をしてきたという。 そのためか、故・宮脇俊三先生のあとをついで、自己を妙に客観視する鉄道紀行があるかとおもえば、「あさかぜ」廃止を嘆くくらいなら、鉄道オタクよ、連帯して抗議せんかい!!などと、熱血漢ぶりを示す箇所もあるなど、振幅の激しさがおもしろい。 宮脇先生の衣鉢を継いで書かれた「日本鉄道全線シンポジウム」(なつかしい!)は、スピード化批判が駅名自慢に脱線したりしていて、抱腹絶倒の面白さだった。 「独断・日本の駅100選」ともども、必見の箇所といえよう。 ▼ むろん、原武史は、何もかわっていない。 1876年輸入された御召列車には、鉄道運転制御装置がついていたのに、1891年輸入御召列車には付いていない。 これは「馬車の延長として鉄道を自由に止めることができる」天皇から、「あらかじめ設定されたダイヤに従わざるを得なくなった」天皇への移行があるのだ ……… 。 平成天皇は、グリーン車を利用するなど、開かれた皇室を目指しているため暗殺の危険が増大しているが、「暗殺の対象になる天皇」というものが、昭和で終わってしまったことを示すのだ ……… 。 2003年8月10日に沖縄空港~首里城間に開通したばかりの沖縄都市モノレール「ゆいレール」は、時間や行列にならぶことに無頓着な沖縄市民を教育する役割を担っているのだ ……… 。 地下鉄は、皇居の存在を希薄にしたように、北京・紫禁城の存在を希薄にするだろう ……… 。 女性専用車と在来線グリーン車の時を同じくした復活は、「70年代型民主主義」が破綻したことを示す ……… 。 あいかわらず、原武史節が炸裂していることがお分かりいただけよう。▼ むろん、テーマは日本国内だけにとどまらない。 オレゴン州ポートランド。 そこは、中心部50万/都市圏180万人の人口にすぎないのに、アメリカの都市とは思えぬ70キロもの鉄道路線をかかえ、2~4両の路面電車が、郊外では時速70キロで走っているという。 また、台湾や中国大陸の鉄道事情も収録されているが、イギリス鉄道事情が大変な面白さだ。 ロンドン・ケンブリッジ間は、平均120キロをこえる列車が走るのに、特急・急行・普通といった区別がないらしい。 アリストテレスのいう最高の生活、「観想的生活」をも可能にする、イギリスの緑あふれるホンモノの田園都市の優雅さにはため息がもれてしまうだろう。 私鉄による路線整備が進められたイギリスでは、1948年から1996年しか国鉄は存在せず、汽車を前提として鉄道路線が敷設されたため、橋やトンネルの高さが低く、第三軌条方式でしか電化できない所が多い。 そのため、せっかくのユーロスターも、イギリスではスピードを出せないという。 また、イギリス鉄道は意外と遅れない。 「鉄道は英国の自由主義の実現だ」 ―――― 長谷川如是閑の言葉にはうならされる他はない。 ▼ 本書の白眉は、「失われつつあるもの」「存在しなくなってしまったもの」への哀悼・渇望にあるといえるだろう。 戦前の名残ともいえる客車列車が、国鉄からJRへの移行を契機として消えてしまったこと。 イギリスは鉄道マニア大国だけど、日本とはまったく違うこと。 日本各地の「駅弁」「駅そば」文化を絶滅の危機に追いやる、JR直営店の強引な市場参入に対する告発。 宮脇俊三『時刻表2万キロ』(河出書房)への惜しみない敬意と愛情。 これぐらい郷愁をかき立てられる秀逸な鉄道紀行は、なかなかお目にかかるものではない。 ▼ あいかわらず、理論的にいい加減な部分が散見され、ホンマカイな?というような部分も多い。 たとえば、隣県どおしをつなぐ鉄道や、東京へ向けた鉄道幹線の建設がなかなか進まなかった四国地方では、鉄道とともに全国に普及する「1分単位」で時間を気にする感覚がなかなか定着しなかった、という。 あいかわらず、ラジオやテレビ・学校教育では、1分単位で気にする時間感覚が育てられない、とする説明がどこにもない。 鉄道が走っても時間にルーズな人々はいくらでもいるではないか。 また、PASMOの導入は、「官尊民卑」を打破するのではないか? と言われても、そんなもので無くなる訳がないだろう、とツッコミを入れたくなってしまう。 筆者によれば、鉄道オタクは、助手席に女性を座らせたいというギラギラした所有欲をもつ車オタクとは違い、権力欲とは無縁の「男らしくない」集団だから、鉄道マニアには女装趣味者が現れるのはおかしくはないのだそうだ。 『萌える男』『電波男』の本田透かよ!!!!!お前は!!!(笑)▼ とはいえ、旅行記としても、鉄道うんちく話としても、日本近代史としても、いずれにおいても、水準を満たしていてすばらしい。 鉄道マニアは言うまでもなく、旅行好きな人、日本の近代について考えてみたい人、など、すべての方々にお薦めしておきたい。評価: ★★★★価格: ¥ 777 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位 追伸 A 相生のかきめしは美味しいらしい。 一度食べてみたい。↓↓↓↓こちらの本もお薦め↓↓↓↓評価: ★★★★価格: ¥ 777 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Jun 13, 2007
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▼ 日本はどうして先の戦争に負けたのか。 この手の類は、本屋に氾濫しているけれど、ここまで充実した本はなかなかお目にかかれない。 現代におけるインテリジェンス活動のあるべき姿にも一石を投じうる、まさしく「史鑑」となりうる著作が上梓されている。 これを機会に、ご紹介しておきたい。 ▼ 本書によれば、日本陸軍は、暗号解読など優れ、中国のみならずアメリカ暗号まで解読していた。 にもかかわらず情報戦に敗北したのは、「作戦重視、情報軽視」「長期的視野の欠如」「セクショナリズム」にみられる、日本軍のインテリジェンス能力の欠如にあるという。 とくに、本来、インテリジェンス活動は、「情報の分析」と「情報の共有」が水平的に連携した形で行われなければならず、「中央情報部(CIA)」のような一元的な情報集約組織によってプールしないと、政策決定者の主観・推測が交じったり、組織間の軋轢で情報の鮮度が失われ、情報が雲散霧消してしまう。 しかし日本では、「作戦」と「情報」が垂直的関係におかれ、インテリジェンス活動がまともに機能しなかったらしい。▼ 第一次大戦によって、インテリジェンス(情報活動)の運用方法は大きく変容したにもかかわらず、日本軍はその変化についていけなかった。 とはいえ、急速に重要度を増したシギント(通信情報)については、相当の解読力を有しており、イギリスやドイツでさえ成しとげられなかった、アメリカの「ストリップ暗号の解読」に成功しているという。 防諜を担当する憲兵隊は、領事館に侵入して、暗号書を始めとする機密文書を盗みまくった。 英米も手を焼き、防諜能力が低い中国側から日本に情報が漏れるので、中国に重要情報を与えない措置さえとられたらしい。 「中ソ重視」の陸軍は、「支那通」などからの情報が多すぎて困るほどだったが、アメリカに対してはまったく逆。 アメリカは、海軍省や外務省の領域と判断、ヒューミント(人的情報)がなかったという。 とはいえ、「仮想敵」国、かつ、鉄壁の防諜能力をもつ対ソ情報収集活動は至難の業にもかかわらず健闘しており、1945年5月には、ソ連の対日参戦の徴候をつかんでいたと言うのだから驚く他はあるまい。▼ 一方、驚愕させられるのは、海軍の防諜・情報能力のお粗末さである。 アメリカ軍の暗号解読はできなかったので、商船運航量と米軍の作戦が連動していることに着目、連合国商船放送から通信量・方位測定によって、作戦地域を割り出していたという。 ヒューミント(人的情報)のため、イギリス人を雇うものの、イギリス側には筒抜け。 しかも、暗号書が盗まれても、自浄能力なし。 その防諜能力はお粗末さの極みで、山本五十六が撃墜死しただけでなく、陸軍がアメリカ・ストリップ暗号を解読していたことさえ、知らされてもらえなかったらしい。 「海軍善玉史観」をすり込まれていた人は、反省すべきであろう。▼ なによりも、「情報分析」に関しての問題点として、作戦重視のため情報分析の専門家が養成されなかったことが挙げられる。 作戦部は、情報部の意見を参考にせず閉め出して作戦立案。 情報部は、作戦部から「要求」が来ないので、どのような情報を提供すればいいのか判断できず、ひたすら情報を集めて渡すのみだから、役に立たない情報しか上にあがってこない。 そのため作戦部は作戦情報を独自に集め出す。 そのため、ますます情報部は作戦に関与できない ……… 以下、無限ループが繰り返されたという。 陸海軍のセクショナリズムは、陸・海軍の情報部同士の提携もゆるさず、情報のプロ(情報部)からみれば「生データ」「偽情報」であるものが、「極秘情報」として上層部に出回ることさえあったという。 ▼ むろん、日中戦争から太平洋戦争初期かけては、戦術レベルでの効果的な情報収集と運用、英米の日本への過小評価もあって、大成功をおさめている。 英米は、しばしば不明瞭な部分を人種的偏見で歪曲して補うことで、空想的優越感に浸っていたからだ。 しかし、敗北の教訓から、頻繁に情報をアップデートして主観を排して迅速に戦場で使用した英米に対して、勝利に浮かれた日本は、陸軍の精神論、海軍の都合の良い楽観主義によって敗北を喫したのだという。 ▼ しかし、それとても、戦略的情報利用の欠如に比べれば、どうでも良くなるほどの些細な過ちにすぎない。 なんと、安倍首相の親戚、松岡洋右外相や陸軍首脳部が推し進めた三国同盟の政策決定の場には、参謀本部の情報部長がいなかったと言うではないか!!!!! 「ドイツの勝利はない」といった駐英武官報告が、握りつぶされていただけではない。 なんと、驚く無かれ。 「独ソ戦が勃発する!」という駐独武官情報は、日本暗号の解読を通してチャーチルがその事実を知って、英米ソの結束に利用したにもかかわらず、日本では「情報を信じない首脳」だらけだったというのだ。 日本では、どんなに決定的な情報を得たとしても、調整によって政策決定をくだす時に間に合わないと、有効活用できないのである。 日本は、独ソ参戦を知らされつつ、南進論を決定したのだ。 また、太平洋戦争開戦直前の対米交渉でも、「情報の政治化」を防ぐための客観的情報評価部署がないため、政権首脳部はオシント(公開情報)で右往左往した挙句、ハル・ノートで観念。 ここまでくると、日本政治は自殺したのだと考える他はない。 ▼ とにかく、『「情報局の世界」の教科書』という趣があるのが嬉しい。 ヒューミント(人的情報)は、シギントの及ばない領域をカバーとかは、素人にはたいへんありがたい指摘であろう。 第一次大戦という総力戦を戦わなかった日本陸軍は、シンガポール攻略までしか計画しておらず、軍事作戦情報しか入手しようとせず、短期的な情報運用しかしなかった。 また政治サイドも情報に基づいて政策決定を行わなかった。 現代日本のインテリジェンス活動にもつながる問題点として、 A 組織化されないインテリジェンス 各自てんでバラバラ B 情報部の地位の低さ C 防諜の不徹底 D 目先の情報運用 E 情報集約機関の不在とセクショナリズム F 長期的視野の欠如による情報要求の不在 (情報を必要とする政治の創設がないと宝の持ち腐れ)を訴えて本書は締めくくられる。▼ なによりも、ソ連との諜報合戦は、スパイ小説さながらの、手に汗を握る凄まじさであるのが楽しい。 スパイは、潜入後、1週間でつかまるソ連KGBの凄さには驚くほかはないだろう。 ポーランドとの盛んな情報交流をおこなうもままならない。 ソ連のスパイを泳がした挙句、密かに逮捕して、逆スパイにしてソ連に送り返しても、NKVD(KGBの前身)にとっつかまってしまう。 関東軍の情報が筒抜けになってしまうことを知るくだりは、たいへん面白い。 また、雑学もかなり面白い。 インテリジェンスを重視していたイギリスは、大学出のインテリに協力をもとめたのに対して、日本は大学生を最前線に送り込んだ。 精神論が大好きな日本陸軍は、敵軍分析も、使う人間が弱いなら弱兵である式精神論で、敵より優位に立てると分析していたりしてなかなか楽しめる。 ▼ ただ、この本を読んで、日本のインテリジェンス活動の弱さが分かった所で、何の対策も打てそうにないのが気にかかる。 本書によれば、情報の水平共有、一元的評価機関の重要性など、「情報を政策に生かす」ことがさかんに唱えられるが、さりとて実践に移すとなるとどうすればいいのか、定かではない。 形式だけなら、AからFまでのことは、明日にでもただち実践に移せるだろう。 いや、実践に移されている内容も多い。 しかし内実はどうなのか? イギリスと日本の違いを、制度の差異に還元するのはたやすいが、制度の実際の運用方法を把握するのは、困難を極める。 戦前のイギリスの情報活動は、実際、どのように運用されていたのか。 本書を読んでもブラックボックスのままなのは、そのせいだろう。 制度を運用するのは、人間であることを忘れているのではないか、と思わないでもない。▼ たまたま、本日の朝刊では、本来、自衛隊の防諜のためのインテリジェンス機関である情報保全隊が、「市民への監視活動」をおこなっていたことが、大々的に伝えられた。 既報によると、イラク派兵反対者を「新左翼系」「共産党系」「民主系」とラベルを貼って諜報活動をおこなっていたという。 何のことはない。 このことは、自衛隊が「自民党系」、いいかえれば「自衛隊は、「自民党の党軍」 ――― あたかも、『中国人民解放軍』が中国共産党の軍隊であるがごとき ――― であることを満天下のうちに知らしめたといえるだろう。 「自衛隊とは自民党の軍隊」であって、日本の軍隊ではないのである。 この厳粛な事実から目をそむけて、だれが「自民党の諜報機関」によるインテリジェンス活動を支持すると言うのか。 インテリジェンス活動は誰のためか。 「国民」「国家」のためとは、「自民党のため」という事実から目をそむけるためのデコイにすぎないのではないか。 その疑問は、本書を最後まで読んでもぬぐうことはできない。▼ とはいえ水準以上のできである。 一読をお薦めしておきたい評価: ★★★★価格: ¥ 1,680 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Jun 7, 2007
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▼ 「佐藤優という『罠』」『アエラ』4月23日号を契機にして、佐藤優と小谷野敦は、論争というか、論争にもなってないというか、空中戦・盤外戦を演じているのはご承知のことであろう。 ところが、この紛争、はやくも小谷野敦の劣勢。 山崎行太郎ブログで皮肉られているが、むべなるかな。 ▼ 遊女の平均年齢をめぐる論争といい、macskaとの論争といい、小谷野敦のネットでの論争姿勢は、人を不快にさせるものが多いが、『アエラ』というパブリッシュ・ペーパーでやった以上、言い訳がきかない。 この人の仕掛けた論争で、はたして、まともなものがあったのか。 こんなやり口では、門外漢の人間に、不信を感じさせるだけだろうに。▼ 「猫を償うに猫をもってせよ」で、佐藤優批判の予告めいたものがあった。 佐藤優を全面否定しているような雰囲気だった。 そうなると、否が応でも『アエラ』を期待するだろう。 ところが、あけてびっくり玉手箱。 佐藤優は「言論キムイルソン」「みのもんた」といった、悪口のみ。 肝心の佐藤優批判は、天皇を重要視して『神皇正統記』を称揚するけど現在の天皇は北朝系じゃないか、9条改憲すれば天皇がなくなり、天皇がなくなればファシズムになるなんて論理はおかしい、というもの。▼ なんだかねえ。 「つまらん」としか言いようがないだろう、これでは。▼ 佐藤優なんて、ソ連崩壊ものを立読したことがある程度だが、「戦争放棄」ならぬ「天皇放棄」を唱えるおいらでも、小谷野敦の批判はまるで体をなしていない、と感じざるをえない。 今の天皇至上主義者たちは、今上天皇が北朝の子孫であることなど、「都合が悪いから無視している」なんてレベルではなく、心底、「どうだって良いから無視している」「なんでそんなことが問題になるのか分からないから無視している」に決まってるじゃないか。 ▼ だいたい、『神皇正統記』が「南朝」のみのイデオロギーを指していたのは、南北朝時代だけだろう。 南北朝の時代が終われば、南朝正統を立証する以外にも、転用可能性が開かれる。 そもそも、後醍醐天皇に対する批判的見解ものっている『神皇正統記』は、「南朝イデオロギー」とすら言いがたく、純粋な「北畠親房イデオロギー」なんじゃないの? 『神皇正統記』は、「南朝の正統論のはずで、だとするといまの皇室は北朝の系統で、それについてはどう思っているのか」と聞かれても、誰だって「はあ?そんな勝手な理屈、誰が決めたのですか」としか言いようがない。 実際、佐藤の回答も、木に鼻をくくったようなシロモノだった。 ▼ まあ、天皇制を廃止するとファシズムになる、という佐藤に対して、『そもそもファシズムの原点であるイタリア・ファシズムは王制の下で生じているし、では米国、第三共和制以後のフランス、第二次大戦後のドイツ、イタリア等、共和制の国でどの程度ファシズムが生じたのか、実例をもって論じてもらいたい』と言いたい気持ちは分からないではない。 しかし、肝心の小谷野敦は、 「未来を予測するなら、過去の歴史を根拠にしなければならないはずだ」と、「飛躍」「論証なしに議論」していることに気づいていないのだから、まったく始末におえない。 ▼ それ以上に致命的なのは、小谷野敦の評論家としての「地頭の悪さ」、が露呈してしまった点かもしれない。 ▼ しばしば小谷野は、天皇制を批判する自分こそ左翼、みたいなことを嘲弄まじりに左翼に向け語っているが、真の左翼なら「共和制でファシズムになる、という以上、今の日本がファシズム状況下でないとでもほざく気か!!佐藤優!」くらい言わなくてどうするんだ。 小谷野は左翼を舐めすぎである。▼ だいたい、未来予測に厳密な根拠(それも歴史)を要求するのは、「共和制はファシズムにならない」と反証できないからにすぎまい。 だからこそ、相手に根拠を求めるのだろうが、政治の未来予測に対して、歴史を根拠に議論せよなんて、どう考えても辻褄があっていないだろう。 歴史は繰りかえすから、などと非科学的なことを言うつもりではあるまい。 もっと他に反論方法はなかったのか、と愚痴りたくなる。▼ そもそも小谷野敦は、「共和制は、ファシズムの苦難をくぐり抜けても、実践されなければならない」と、何故、啖呵を切れなかったのか。 どうして、「共和制は、ファシズムになるかならないかに関わらず、たとえファシズムの可能性があろうとも、断じて実現すべき価値を有するものである」ことを力説できなかったのか。 ほんとうに共和主義者ならば、極論すれば、「ファシズムの試練を潜らなければならないからこそ、共和制は素晴らしい」と、言っても良かったはずである。 「たとえファシズムになったとしても、共和制は、ファシズムの危険性なんて問題にならないほど、固有の価値がある」といえない小谷野に、共和主義者を名のる資格があるとは、到底、おもえないのだが。 ▼ 「素朴な実証主義者」と山崎行太郎が「好意的」に書いているが、要は「実証」に逃避しているのである。 批評家としては、致命的なまでにつまんない。 そんなことでは、マルクスどころか、とっくに「過去の作家」になりさがっていた、高橋和己の読み直しまで連載してしまう佐藤優に、勝てるはずがないではないか。 ▼ 佐藤の「圧力」もあって、小谷野は『文学界』の連載を降板させられてしまったらしいが(幸運なことに、と言うべきか、私は読んだことがない)、なんともむべなるかな、といった所である。▼ なお、表題の佐藤優『自壊する帝国』新潮社は、なかなか面白い著作。 足で稼いだ人間にしか理解できない皮膚感覚で論じているので、客観性にはいささか難があるものの、崩壊直前のソ連社会の様子が、くわしく描き出されていてとても面白い。 とくに、ブレジネフ政権下のソ連社会の分析は白眉に近い。 一応、一読をお薦めしておきたい。 評価: ★★★☆価格: ¥ 1,680 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
May 31, 2007
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写真右:松岡利勝 ▼ 松岡利勝農水相の自殺の一報を聞いたとき、一瞬、安倍晋三がお涙頂戴のためにヒットマンを放って殺害したのかもしれないな、と思ったが、似たようなことを考える人はいるらしい。 山崎広太郎ブログでも、案の定、書かれていた。 やるなあ。 ▼ ほりのぶゆきの傑作4コマ漫画、『江戸むらさき特急』の中で、切腹する武士に対して、介錯人が峰打ちをおこない、「峰打ちじゃ、安心せい」とのたまうシーンがあった。 さしずめ今回の安倍晋三首相は、まさにこの介錯人にあたるだろう。 松岡利勝のような、裸一貫からのしあがった汚職政治家は、割と好みなだけに、かえって腹が立つ。 ▼ 切腹ならぬ、不明朗な企業との癒着を問いただされて、もだえ苦しむ松岡利勝。 「党の方針だから突っぱねなさい」「守り抜くから」と要請され、「大臣職を続けさせる。安心せい」と国会答弁しつづけた安倍晋三。 漫画なら笑いですまされるが、現実には冷血このうえない、羞恥プレイ。 動揺する熊本の支援者たちの声は、かれの耳元に届いていたにちがいない。 最後に緑資源の官製談合事件において、1億3000万円の政治資金をもらっていたことが判明して、絶命してしまった。 ▼ 内閣が持たないから松岡利勝を擁護して、内閣改造でやめてもらう腹。 政権維持を最優先して相手の都合は考えない、という安倍スタイルは、参議院選挙比例区で、サッカー選手三浦知良を擁立しようとした姿にもかいま見える。 苦悶の表情を浮かべながら答弁する松岡。 辞職させて引導を渡してやればいいのに。 ひどいことをするなあ。 何度思わされたことだろう。 ▼ 所詮、小泉~安倍政権下で激増し続けた自殺者(3万人突破、おめでとう!)が、とうとうお膝元の大臣にまで現れたというだけのことかもしれない。 自業自得というべきか。 しかし、マスメディア、とくにテレビと政権との癒着ぶりには、呆れはてた。 なんだよ、「お悔やみ申し上げます」って。▼ ここは、政府自民党がイラク人質事件で傲然とのべたように、「自己責任」以外のどんな言葉を彼と遺族にかけてあげる必要があると言うのかね。 イラクで人質になった無辜の人に言えて、松岡利勝・農水相に言えないとは、どういうことか。 ダブスタの極み。 ▼ ほりのぶゆきの漫画は、『江戸むらさき特急』の最初の2冊が大傑作である。 江戸の時代劇を舞台とした爆笑4コマ漫画なので、ぜひ一読することをおすすめしたい。 ちなみに、絶版状態なので、ブックオフの「ワイド版 100円コーナー」で探すしかない。 ただ、かれの他の漫画は、あまり大したものがない。 かれは山のように4コマ漫画を書いているものの、「荒川道場」を始めとして、あまりにもマンネリ化してしまった。▼ ギャグマンガ家の寿命とは、政治家同様に儚いもの、なのであろうか。 評価: ★★★★価格: 古本屋の時価で ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
May 29, 2007
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▼ 平和憲法下の日本では、「紋切り型」の議論が横行しがちだ。 日本では、軍事が忌避されてきたため、軍事・情報とかの国家戦略上重要な問題が蔑ろにされてきた!!!軍事教育を!!などというのも、逆の意味で、「紋切り型」の議論に他なるまい。 言い出すのはたいてい、視野の狭い「軍事オタ」ばかり。 たしかに、おまえたち軍事オタを教育するためにも、軍事学を大学で教えた方がいいかもしれないな、と言いたくなってしまうことが多い。▼ そこで、本書の御登場である。 いやはや素晴らしい。 軍事評論家といえば、兵器オタの水玉蛍之丞の兄(岡部イサク)か、アメリカのポチの志方俊之だけと思ったら大間違い。 日本の悲劇は、田岡俊次以外、ろくな軍事評論家がいやしねえことにあるのではないか、と思わせる迫力に満ちあふれた本である。 本書は一言で要約できよう。 今のタカ派は、「タカ派というよりもバカ派」(by 防衛庁幹部&田岡) バカ派たちの言説をメッタギリしてくれているのだ。▼ バカ派とは、以下のことを口走る人たちのことをいう。 心してチェックしてもらいたい。A 北朝鮮の実戦ミサイルが来る前に先制攻撃せよ ←技術的に不可能B 日本も核武装だ! ←NPT脱退してアメリカを敵に回すの?C 米軍の臨検から戦争に突入する!! ←臨検は相手の同意がいるD 台湾独立で中国軍が侵攻 ←台湾の85%は現状維持E ノドンを日本に打てば自殺行為 ←米基地を叩くついでの日本攻撃の可能性はあるF 北朝鮮の核技術は大したことはない ←威力制御技術をもちノドン搭載可能G ミサイル防衛で対応せよ ←ミサイル防衛は穴だらけで「気休め」程度H 中国は20年以上大軍拡!! ←名目と実質の区別が付かないバカI 中国の軍事費は、公表額の2~3倍だ! ←財政の8割が軍事費というのか?J アメリカの戦争に巻き込まれるなんてサヨクの常套句! ←冷戦時、日中の役割は、ソ連軍の西欧正面から引きはがしK 中国は台湾に特殊部隊を送って、台湾中枢を制圧して全土制圧! ←まともな上陸作戦を立てられない証拠。北朝鮮にやってみろ。L 中国の弾道ミサイルの標的は日本だ! ←標的はその都度ターゲットを入力する上、 ミサイルは垂直上昇するので方向判別は不可能M 中国の「衛星破壊」事件をみよ! ←アメリカが40年前にやって無意味と知った行為の再現O 米中は敵対的関係だ! ←米は、「3つのコミュニケ」重視で、台湾防衛に消極的▼ 中国も韓国も、リアル・ポリティクスの観点から、「北」の崩壊を望んでいない。 北朝鮮には、もはや飛行可能な空軍パイロットがおらず、北進統一を妨げるものが存在しないが、さりとて地下要塞に籠もって、ソウルにむけてロケット弾攻撃をやられれば、100万人の死者が出てしまう。 だからこそ、米軍は外科手術を諦めたらしい。 94年の米朝合意は、とおからず北朝鮮が崩壊するという甘い見通しでおこなわれた。 アメリカが北朝鮮核実験失敗説を吹聴しているのは、北朝鮮核実験よりも日本の核武装の方を警戒しているためらしい。 東京に落ちれば、100万人が死ぬ。 しかし200発のノドンに、何十発の核弾頭をつんで、ダミーもろとも発射されれば、米軍でも湾岸戦争で「スカッド」ハントに失敗したように、ミサイル迎撃は不可能。 核抑止は、「相手が理性的」であることを前提だし、核武装をアメリカは許さない。 「核シェルター」で被害を軽減するか、気休めのミサイル防衛を整備しつつ、「アメリカの核の傘」を言い立てるしか方法はないらしい。▼ 中国脅威論は、ソ連の代わりに敵を作ろうとするだけ、と手厳しい。 「中国の軍拡説」は、ソ連に対して「ギャップ」を強調して予算獲得した、ペンダゴンの常套手段である、「過大見積」にすぎない、という。 近年の上昇は、人件費と装備費の肥大化。 1998年、朱首相は、人民解放軍の副業(退役軍人・家族・兵士たちが2万もの会社を経営していた)にいらだち、給料2倍にするから厳禁を打ち出したらしい。 とはいえ、史上最強の装備を持っていた「民兵」ベトナム軍に中越戦争で敗れた人民解放軍。 、そこは「世界最大の航空博物館」。 50年以上前に初飛行した航空機が、全体の8割を占め、中国側航空機は「見えない距離」から撃墜されてしまう。 ▼ 人民解放軍は「近代化」を進めているものの、装備費はどんどん増えているが、近年の兵器の値段は、べらぼうに高い。 ほとんど買い換え需要という。 保有航空機、保有潜水艦、軍隊の数は、軍の近代化とともに、量を維持することに耐えられないので、急減せざるをえない。 アメリカに対抗するには効果的な潜水艦は減る一方、見栄えがする水上艦のみ増加しているが、これはこれで、各国の技術の寄せ集めにすぎない。 「早期警戒機なき空母」は、所詮、ステータスシンボル。 原潜も動く騒音で、航法水準もミサイル技術も低い。 近年の中国の武器輸入量は、90年代の台湾の武器輸入量に遠くおよばない。 第二次大戦時の飛行機を計算にくみこんだ、『ミリタリーバランス』の数字を信じて、中国軍拡を真顔で論じる、アホな軍事評論家とはいったい誰のことか、知りたくて仕方がない。 ▼ また、中・台衝突をめぐる論議は、必読の箇所といえるだろう。 パワーバランスは、海軍でも、空軍でも、台湾有利であるという。 台湾独立阻止のためには戦争を辞さないといっても、台湾上陸作戦には「ノルマンディー上陸作戦」の3倍の規模が必要となれば、根本的に不可能である。 中国は、「無制限潜水艦戦」以外採りようがなく、世界中から恨まれて、貿易に依存する経済が持たない。 戦争になれば、世界市場を失い、投資は止まり、在米資産は凍結、原油輸入は不可能である。 中国の「反国家分裂法」も現状維持法。 アメリカが公然と現状維持に努めるのも、日中米とも、台湾に独立宣言されて、中・台「2者択一」を迫られたら、かなわない。 台湾軍人も独立反対派が多数、台湾の中国経済依存、を合わせれば、「独立」はない。 さらに、近年は日米関係よりも中米関係の方がよほど親密であるという。 ▼ 個人的には、朝日新聞のリベラルな社風が印象的であった。 1963年頃は、朝日の方が穏健で、他紙は扇情的な左だったことは、左側の川崎泰資・柴田鉄治『NHKと朝日新聞』(岩波書店)の証言(ナベツネ的人物に乗っ取られそうだった朝日)と符合していて、ほぼ事実といってよい。 中央公論『社説対決 読売VS朝日』などは、針小棒大のプロパガンダ、とみなければなるまい。 当時の朝日幹部がみんな海軍士官経験者だったこと。 「非武装中立」なんて与太話を語る社員など、周りに聴いてもいた記憶がないこと。 まあ、4年に1度の国防総省の「国防政策見直し報告(QDR)」において、全体の1%を針小棒大にとりあげ、「軍拡中国に対抗」とした読売・毎日の記事について、防衛庁担当者の「朝日は全文読んで記事を書くけど、他紙は機をみて森を見ず」をわざわざ書いたのは、「報道される側に取りこまれることに批判的じゃなかったのかよ!!!と、さすがに苦笑させられてしまったが。 ▼ 的確な中国認識も冴えわたり、うならされる他はない。 共産党の「商工会議所化」という見立ては、ともかくとしても、中国財政規模の対GNP比率が先進国と比較してかなり低い(地方併せて2割以下)ことは、中国ウオッチャーの常識であるが、氾濫する中国本で触れられることはほとんどない。 経済発展を輸出入に頼れば頼るほど、中国はアメリカと協調的にならざるをえない。 旅順港使用権をえたため、ソ連大使が蒋介石に最後まで随行したこと。 米中接近で、中越対立が激化したこと。 靖国神社参拝への不快感から、米中が親密になりつつあること。 現代中国は、工学部出身者のテクノクラートに支配される官僚国家の伝統のみならず、押しかけ民主主義「民変」まで復活しつつある、という。 また、尖閣諸島とガス田開発は別の問題であって、尖閣諸島では日本有利でも、ガス田開発では中国有利であるらしい。 なにより、ポル・ポト派の大虐殺集団が参加する政権(民主カンボジア)を、日本は米中と一緒になって承認していたことには呆れはてる他はない。▼ ともかく、右翼メディアで憲法論議が盛んなのは、憲法を論議するだけなら法知識程度で済み、膨大な予備知識が必要な軍事から逃避できるからだ、という一節ぐらい、バカ派たちへの根本的な批判、肺腑をつらぬく一撃となっている批判はない。 集団自衛権論議も、台湾海峡防衛に適用すれば、中国への「内政干渉」であって、サンフランシスコ講和条約違反で「侵略」にほかならない。 島嶼防衛論も、全力で台湾独立阻止をしなければならない中国が、日本領土を攻撃して「日米安保条約」発動条件をつくることを前提とした議論であって、とても参謀能力のある連中が作ったシナリオとは思えない。 朝日新聞も、つまらない護憲社説を何本も書くよりも、「現実をみすえろ!!、改憲論議に逃避するな!」と主張した方がはるかに良いと思われる。 ▼ 喚くだけの左派より、法をもてあそぶ観念タカ派は、権力に近いだけに危険。 ほとんど、目からウロコのような体験がえられるだろう。 ぜひ、1度詳しく目を通しておくべき、必須の新書とおもわれる。評価: ★★★★☆価格: ¥ 777 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
May 27, 2007
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▼ 名人戦移転騒動のあとも、まだまだ余震が収まりそうもない、日本将棋連盟。 米長邦雄会長直々に、女流棋士に経費節減のため独立を薦めておきながら、「独立準備委員会」が資金を募りだすと、手のひらを返して独立派に「切り崩し工作」。 いわゆる、「女流棋士独立騒動」まで勃発させてしまった。 将棋連盟は、5月27日、理事選が行われる。 どうやら、米長再選確実の気配。 参ったね、どうも。 瀬川編入問題といい、米長会長では、こちらの身が持たん。 勘弁してほしい。▼ たまたま、ブックオフを回る機会を利用して、将棋を題材にとりあげたノンフィクション小説を、何冊がまとめて仕入れた。 皆様にもご紹介しておきたい。▼ 河口俊彦『大山康晴の晩節』(新潮文庫 2006年3月)は、不世出の大棋士、大山康晴の奇跡と軌跡を描いた、すばらしいノンフィクションである。 河口師は、プロ棋士(ただし、プロ予備軍である奨励会最多在籍年数という不名誉の記録をもつ)でありながら、華麗な文章をもち、将棋ペンクラブの会長を務めていた。 漫画『月下の棋士』の解説をはじめとして、どこでも拝むことができるが、この本はとりわけすばらしい。▼ 大山康晴といえば、タイトルがまだ3~5つの時代、全冠制覇を続け、名人戦13連覇、タイトル獲得80回、棋戦優勝44回の記録を持つ大棋士である。 タイトルが7つに増えた時代に、7冠王になった羽生善晴ですら、タイトル獲得数は、まだ60台にすぎない。 ただ大山は、なんといっても、ヒーロー升田幸三の敵役であった。 次世代の星、二上達也、加藤一二三などに、盤外戦を徹底的に仕掛け、潰しに潰したため、全盛期、畏敬されこそすれ、人気がまったくなかった。 ▼ 「盤外戦で後輩を潰した大山」という見解は、本書でも踏襲されている。 とはいえ、さすがは、棋士の端くれ。 「盤外戦史観」は、適当な所でやめてしまう。 手どころにおける丁寧な解説を通じて、戦前から戦後すぐにかけて、兄弟子の升田幸三より、大山の方が強くなっていたこと。 宿敵・山田道美は、理論派というよりも終盤の粘りが素晴らしかったこと。 丸田や谷川17世名人が悲運の棋士なのは、素晴らしい一手が、タイトルにまったく結びつかず、知られることなく埋もれてしまうことにある …… 河口師は、どこまでも盤上の真実を追い求め、筆致はどこまでも暖かい。▼ 大山の真の偉大さは、第三期黄金時代ともいうべき、名人位失陥後にある、という部分こそ、本書を他と隔絶した本にさせている見解であろう。 53歳で将棋連盟会長の座についた大山。 歴代一〇指にかぞえられる天才、米長や中原たちも、50歳をこえると、「A級棋士」(トップ10)の地位から陥落せざるをえない。 その一方、大山は、関西将棋会館建設の寄付金を集めるため馬車馬の様に働きながら、60歳になっても、落ちる気配を見せなかった。 挙句、60代前半で、名人戦挑戦者。 60代後半における、A級順位戦残留のための死闘。 羽生との戦い。 2度にわたるガンとの闘病。 A級棋士のまま、逝去。 享年69。 ▼ なによりも、大山将棋の本質は、徹底的な棋士への軽蔑と説くのがすばらしい。 それは、赤紙で徴兵される直前の悲しいできごとにあったという。 「好かれていない自分」を自覚させられる事件。 これを機に、大山は「史上最強」の道をあゆみはじめる。 長考派の棋士で有名な加藤一二三だが、若い頃は大山も長考派。 序盤から長考に長考を重ね、駒組みが終わって開戦するのは残り15分、という将棋は、ザラだったというから面白い。 それでも、決して間違えない将棋ぶりに「精密機械」と呼ばれていたらしい。 年をとると、終盤を間違えるようになってしまう。 そのため大山は、手どころに時間をかける必要を感じて「長考派」をやめてしまう。 年をとっても「長考派」の加藤一二三。 ここに、2人の分岐が生じたという。 加藤一二三は、60過ぎてもA級、という事実から判断すれば、「神武以来の天才」は本当だった、という指摘は、ファンとしてはたまらなくうれしい。▼ 中原16世名人の「林葉直子突撃事件」を初めとして、浮ついていて、組織の体をなしていないようにみえる、日本将棋界。 失って初めて気づく「大山康晴」の存在の大きさ。 ブログをごらんの皆様にも、ぜひご一読してほしい。 評価: ★★★★価格: ¥ 580 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位 ▼ 次にお勧めしたいのは、いっとき、ずいぶん流行っていた、大崎善生『聖の青春』(講談社文庫、2002年)である。 今回、とうとう、手を出してしまった。 独特の文章から薫りたつ、勝負師の生き様は清冽ですばらしい。▼ 本書の主人公は、村山聖。 順位戦では、A級棋士。 幼稚園のときから、腎臓が機能を果たさず、免疫も弱く、すぐ疲れがたまり、細胞が水ぶくれして膨らむ、ネフローゼという病魔に冒されていた。 病院では本を読む生活。 そこで聖は、将棋と運命的な出会いをする。▼ 長く生きられない体をかばいながら、死をつねに間近に感じて生きてきた村山聖。 勝負の世界に入った村山は、「東の羽生、西の村山」とまで並び称されるほどの実力を蓄えていく。 ついには、「終盤は村山に聞け」といわれるほどの青年棋士へと成長。 師匠である森信雄六段を初めとして、さまざまな人に支えられる様子は、感動的というほかはない。 しばしば、見も知らぬ人に、道端に倒れている所を車で拾われ、対局場に連れて行ってもらったこともあったほどである。 病院に運ばれることは日常茶飯事。 何度となく対局を休まなければならない羽目になりながら、それでも聖は、一歩ずつ頂点へのぼっていく。 棋界最高位である「名人位」を目指して。▼ しかし、果たせない。 谷川、なによりも、羽生が村山の前に立ちふさがる。 そして発病。 病名は膀胱がん。 A級棋士のまま逝去。 享年29。▼ なによりも感動させられるシーンは、プロ棋士になることをやめさせるため開かれた親族会議で、まだ中学生の聖が「谷川を倒すには今行くしか無いんじゃ!」と叫ぶ箇所ではないか。 この叫びで、親族会議の空気は一変。 村山は奨励会に入ることが許される。 しかし棋界は、ヤクザのような世界。 師匠選びで躓いてしまう……犯人は灘蓮照。 どんな悪い奴だったのかは、本書を読んで確認してほしい。 ▼ おもえば、谷川名人の誕生は、今も鮮烈に覚えている。 なによりも、加藤一二三ファンの私は、谷川名人誕生とともに、将棋をやめてしまった。 だって、馬鹿馬鹿しいでしょ。 20歳で頂点を極めることが可能な、そんなバカな世界が、あっていいはずがない。 そう思うと、将棋がとてもツマンナイ世界に思えた。 その一方、「谷川を倒すこと」に命をかけて決意した男たちが、たしかにいたのである。 今の羽生世代。 その息吹だけで、懐かしくてたまらない。 ▼ ちょっぴり残念なのは、村山の負の部分ともいえる、母であるトミコへの甘え、女性への異常さ、みたいな部分が、すべて「純粋」「真っ直ぐ」という表現に回収されてしまっている点かもしれない。 「優しさ」ばかりではない、一途ゆえの「残酷さ」「異常さ」「気持ち悪さ」といった負の部分は、甘ったるいオブラートでくるむ必要などなかった。 もっとストレートに書いても、批判しても、よかったのではないか。 また河口氏とはちがい、将棋を嗜むものの、プロのレベルではないため、村山の棋譜を語れていない。 結果、お涙頂戴ノンフィクションになってしまったのが惜しまれる。▼ とはいえ、「泣ける本を読みたい!!!」という方には、一読をお勧めしておきたい本である。 たいていのブックオフには転がっているので、ぜひ一度書架を確認してもらいたい。評価: ★★★☆価格: ¥ 680 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
May 16, 2007
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▼ 文春新書の歴史関連書といえば、「ゴミ新書」の代名詞にほかならない。 「君子危うきに近寄らず」。 座右の銘にしていた小生であるが、「図像学」の題名に釣られてしまい、とうとう「外れ籤」を引いてしまった。 空前絶後。 驚天動地。 本書は、「受け売り」と「誇大妄想」「幻想」、ならびに「間違い」のみで構成された、ほとんど何のために出されたのか首をひねるばかりの、凄まじい新書である。 あまりの酷さ。 くわえて、こんな本に金を投じてしまった悔しさのあまり、本来、紹介する順番を無視して、飛び級であえて本書をこのブログで採りあげさせていただく。 怖い物みたさならいざ知らず、こんなものに一銭も出してはならない。▼ そもそも、なぜ乾隆帝を採りあげるのか。 むろん、秦の始皇帝から始まる、伝統中国の皇帝権力の栄光の卓尾を飾る存在だからである。 ▼ さすがに有益な知見も多い。 所詮、想像にすぎないだろうが、雍正帝の太子秘密建儲制度は、ペルシアの皇位継承制度をモデルにしたらしい。 また乾隆帝は、易の繋辞伝(ホントはちょっと違う字の「けい」)に由来する、「天数」である「25」という数字に運命的なものを感じ(そもそも即位は25歳の時)ていて、後継者の嘉慶帝は、乾隆25年生まれだという。 蘇州・獅子林の創設者は、元代の大画家倪さん(=王賛)。 「市民ケーン」の映画の字幕に出ていた「ザナドゥー」が元の上都。 ムガール帝国の夏の都はカシミール。 ▼ ダライ・ラマの「ダライ」とは、「大海」を意味するモンゴル語とはご存じであろうか。 第3世ソーナム・ギャツォ(1543-88)が、アルタン・ハーンから称号を贈られたらしい。また、ダライ・ラマは観音菩薩、タシルンポ寺院の住職パンチェン・ラマは阿弥陀仏の化身というのも初耳であった。 ほかにも、乾隆帝が漢族のコスプレをするのを好んだというのも面白いし、熱河離宮(避暑山荘)にあるという江南庭園もぜひ見てみたいと思わされる。 西洋人の青花磁(染付)にいだくエキゾチズムは、「風俗への興味→自力生産→相手の風俗を西洋画的に画かせる」という段階に進んだが、みな乾隆帝が先回りしていた、というのも、ただの「あてはめ」とはいえ、面白い考え方であろう。▼ しかし、他の箇所は、もう、本当に、どうしようもない。 ▼ とにかく修飾語がまったく意味不明で、文章そのものに理解できない部分が頻出していて読むことに耐えられない。 いろいろな香妃像があることについて、「皇胤の空間化という皇帝の密かな欲望(72頁)」だという。 いったい、これ、なにが言いたいのだろう。 トルファン・ウイグルの帰順を描いた、とても西域とは思えない絵画(西欧人に描かせた)について(221頁)の議論にも、唖然とさせられるほかはない。 たしかに、左上の一部には、よくみると、四角い方形の煉瓦でできたような建物があるのだが、「高昌故城」の「イタリア式」イメージがあるのではないか、といいだすのだ。 なんでいきなり「高昌故城」??? 「高昌故城」を出典と判断できるのは、中野美代子氏くらいのものだろう。 『わたし、「高昌故城」を知ってるわよ』とでも、吹聴したかったのだろうか。 まさか。 「三希堂のだまし絵」と「平安春信図」にいたっては、なにを議論しているのか、何度読み直してもまるで理解できない。 とにかく、頭の中に議論がすーっと入ってこない。 ▼ おまけに本書は、ウー・ホンなる学者の議論の転用をのぞけば、「誇大妄想」「幻影」としか思えないような解釈しか存在していない。▼ たとえば、様々な階層・身分・民族(ラマ僧からヨーロッパ貴族まで!)の衣服を身に着けた、雍正帝の絵画についての議論は、その格好の例であろう。 現実に仮装したかは定かではない雍正帝に対して、「扮装癖」呼ばわりするのもすさまじいが、それだけにとどまらない。 「かれの秘めたる外向きの欲求の絵画的な表現(132頁)」は、別の絵画『十二美人図』を「征服者」「彼女の美や彼女の空間、彼女の文化のあるじ」(ウー・ホンの議論)とする解釈になぞらえて、「敗北した文化と国家にたいし権力を行使する欲望」とするのである。 みたことのない民族・階級・身分の人々(かれは紫禁城をほとんど出なかった)の衣服・文化への「憧憬」、と解釈して、何が問題なのだろう。 そもそも、皇帝以外、誰も観るものもいない絵画に、「敗北した文化」に属する人々の風俗を描かせることで、中野美代子氏は、雍正帝が「誰に対して」「権力」を行使しているといいたいのか。 男がアイドル画像を持っていると、アイドルに対して権力を行使していることになるのか。 バカも休み休みいうがいい。 ▼ ダライ・ラマのかわりに乾隆帝が中央において描かれた、ラマ教の軸装仏画「タンカ」の中野解釈も、これまたすさまじい(カラー挿絵あり)。 満族は四夷の一つだから、四夷を制圧するには、「漢族に仮装したうえでのラマへの仮装という二重構造を意識的に設けざるをえなかった」(178頁)のである、とする。 むろん、タンカには、ラマの衣服を着た乾隆帝しかいない。 どこにも漢族の仮装なんてない。 漢族に仮装した上で、とはいったい何を意味しているのか。 乾隆帝の漢族コスプレ癖を言いたいのか。 ならば、乾隆帝の漢族コスプレが蛮夷ゆえのコンプレックスであることくらい証明しなければなるまい。 ところが完全にスルー。 ▼ ほかにも、誕生日を明示しないことで神秘化を図った(160頁)とか、円明園の細長い区画の意味として、イスラムと西欧文明を「夷狄」として閉じこめたのだとか、意味不明な議論ばかりで、どこに図像「学」をなのる資格があるのか、はなはだ疑念に感じざるをえない。 ▼ しかも、上記のトンデモ解釈以外は、それがどーした、と言いたくなるようなものばかり。 熱河(ジョホール)の離宮にラマ教寺院を大規模に建立したのは、モンゴル族とチベット族の宗教的融和を利用して、遠隔地チベットを皇帝の届くところに移し変えたのだ、なんて言われても、だから何だと言うのですか?としか言いようがない。 ▼ おまけに、「あおり」もまたひどい。 乾隆帝は「スペルマの行方を気にしていた」と書いてあるから、いったい何のことかと思えば、ただの「皇太子になるべき皇子の行方」にすぎない。 しかも、ある特定の時点では存在していない皇妃たちが、ひとつの連作絵画の中に描かれていることについての、乾隆帝が考えていたこととして、秘められた意思として提示されているのだ。 「平たくいえば(54頁)」なんて書いてあるが、平たく言おうが言うまいが、どうして皇妃たちが年齢を無視して描かれることがスペルマの行方を気にしていることになるのか。 おそらく精神病患者でもない限り、理解不能であろう。 ▼ おまけに、初歩的なミステイクも多くてどうしようもない。 イギリスのビクトリア女王は、在位年数64年で、最長在位年数を誇る帝王(本書31頁)なんて、いったいどんな資料を読んでの戯言なのか。 フランス国王ルイ14世は、在位72年。 ハプスブルク家最後の国王(と言っても過言ではない)、フランツ・ヨーゼフは在位68年だ。 ヨーロッパですら、ビクトリア女王は最長在位ではない。 史実かは定かではないらしいが、ササン朝ペルシアのシャープール2世は、在位70年だという。 康煕帝の61年なんて、世界の5本の指にすら入らんぞ。 バカか?中野美代子。 それで北海道大学の名誉教授らしいから、笑わせてくれる。▼ ひどいのになると、ネパールを「チベットと同じラマ教国」視(本書217頁)する始末。 むろん、「世界でただ一つのヒンズーを国教としている国」である。 こんなの、少し調べれば誰でも分かるはずだろう。 編集ともども、いったい何をしているのか。 私の気づかなかった間違いまで含めれば、気が遠くなるほど瑕疵があるに違いない。▼ 読みおえたあと、乾隆帝は何だったのか、乾隆帝の時代とはどんなものだったのか、本書の内容を思い出そうとしても、まるで分からない。 正直いえば、注釈魔にして記録魔である乾隆帝が、あらゆる所で詠みまくった、5万首もある詩を通じて、乾隆年間の社会を活写した方が、はるかに良い本になったのではないだろうか。 総じて、乾隆帝エッセイの域をこえておらず、武侠小説の金庸『書剣恩仇録』(邦訳 徳間文庫)の方が、乾隆年間の入門書としては、はるかにマシである、と断言したい。 中野美代子ほどの地位になれば、どんなクズ本を刊行しようが、裸の王様ならぬ、「裸の女王様」。 周りには、だれも諫める人がいない、という典型的事例ではないだろうか。 少なくとも、金返せ。 これだけは確かである。 もっとも、金かえせ!と罵るようなお前が「君子」を自称するな!と、言われるのは困りものだ。 ▼ もはや、私の言えることは1つしかない。 本書は、中野美代子氏の名誉のためにも、「絶版にされるべき書物」である。▼ 文春新書編集部の、すみやかな、良識ある対処を期待したい。評価: ★価格: ¥ 840 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
May 10, 2007
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▼ 岩波新書の近現代史シリーズ。 いよいよ佳境。 本日、ご紹介するのは、日清・日露戦争と日本社会の変動をえがいた通史。 これがなかなか面白かった。▼ 簡単におさらいしておこう。▼ 本書は、帝国議会から始まる。 政党の意義を認めないわけではない藩閥勢力は、「吏党VS民党」の初期議会に手を焼いた。 しかし藩閥勢力は、民党の基盤を政府財政を動員(=鉄道建設・民力育成)することで切り崩す、「積極主義」で突破していく。 とはいえ、憲法の規定にないものを、政府が一方的解釈をすることはなく、そのつど合議していったという。 「制度上の権力」(内閣)と「事実上の権力」(元勲)の分裂は、政党政治への待望をひきおこし、やがて伊藤博文の立憲政友会へと帰着。 とりわけ驚くべきことは、 「トルコの憲政失敗」をうけて、与野党とも「憲法と帝国議会の世界史的意義」を自覚していた様子であろうか。 「バカ派」安倍首相の改憲論とは、雲泥の違い。 取り替えてほしいくらいだ。▼ 欧米の承認を受けた下で、国益拡張をめざす、『協調』外交だった日本。 しかし、日清戦争時には転換、清側を挑発しまくって、開戦にもってゆく。 以後50年にわたって、日本軍は、アジアをひたすら歩き続ける。 しかし、24万人の兵士分の輜重輸卒を組織できず、日本は口入屋に依頼して、15万人の人夫を動員することで、兵站を維持したらしい。 「戦争は好景気」も、日清戦争が嚆矢。 日清戦争から日露戦争の間に、戦争記念碑の性格は、『地域代表(生還者も称える)』から、「忠魂碑」へと、天皇制国家イデオロギーに転化したらしい。 「文明の義戦」「文明VS野蛮」のイデオロギーは、学制下、清潔・衛生を叩き込まれた、日清戦争従軍者の目撃した「不潔」「臭い」を通して、身体化されていったのだという議論も、眼から鱗といったところ。▼ 「植民地と戦後経営」の章も興味深い。 台湾総督府の繰り広げた、「原住民殺戮」「相互監視制度」。 「疑獄事件」も頻発して、乃木総督が弾劾されるほどだったらしい。 デモクラシーが進みはじめる内地と、枠外におかれる外地(朝鮮・台湾)。 20世紀初頭までの北海道・沖縄と同様、外地では、憲法が適用されない、大権統治が行われていたという。 権利では参政権、義務では徴兵がなかったらしい。 台湾縦貫鉄道の完成とともに、台湾経済は、対中輸出中心から対米輸出中心に転換。 茶・米・糖・樟脳(楠)の輸出経済が形成されてしまう。 とはいえ、1897年頃までは、欧米商館による間接貿易が7割を占めていた。 なお、戦費負担がおもく、日清戦争後、間接税中心の税体系に大転換したらしい。▼ デモクラシーの苦難のあゆみも面白い。 最初の政党内閣、「隈板内閣」で横行したとされる猟官主義は、欠員を埋めただけであって、表面的な見方にすぎないこと。 明治天皇は、政党政治を嫌い、藩閥(伊藤派・山縣派)・離反した自由党・天皇に包囲されて、大隈内閣は4ヶ月で崩壊してしまったこと。 初耳であることが多い。 なお、市長・助役は、市議会が3名の候補を選出しての任命制だったことは、ご存知であろうか。 有能な人物を地域外から選べる半面、土着市議の利権確保手段となったらしいのだ。 日清戦争は、ジャーナリズムを急成長させ、言文一致体の文章でえがくスタイルを確立させる。 それは、読者の身辺雑記を紙面にかざらせ、小説などの文化をうみおとす。 その一方で、20世紀初頭、鉱毒問題・労働運動といった社会運動の空前のもりあがりを支えたという。 しかし、日露戦争を契機として、退潮してしまう。▼ なにより、外交が面白かった。 条約改正では、イギリス側は、日本が親英政策をとるという期待で改正に応じたという。 また、巷間でいわれてきたような、日英同盟派と日露協商派の対立は存在しない。 政府は、日英・日露協商交渉を並行しておこない、韓国の確保を確実にしようとしていたらしい。 しかも、1904年2月2日のロシア回答は、満韓交換論にもとづいたもので、これが日本軍の電信爆破活動で、駐日ロシア大使館に届かなかったという。なんと、日本は、戦わなくてもいい日露戦争を行ったらしいのだ!!!! いったい、何のために彼らは死んでいったのだろう。 三国干渉では、陸奥外相の楽観論が破綻、急遽イギリスに味方してもらおうとしたもののもらえず、全面降伏に追い込まれたという。 安倍首相の「慰安婦は強制ではなかった発言」みたいでたいへん笑えてしまう(笑)。▼ ひな祭りのとき、男を左、女を右に置くのは、「東京雛」であって、本来の「京雛」ではない。 これが広まったのは、西洋のスタイルを輸入して、天皇の御真影を津々浦々に配したことが原因である、ということを、このブログをお読みの方は、ご存知であろうか。 また、西洋学術を日本が翻訳する以前、中国によって莫大な翻訳が行われていた。 明治期の西洋文化の吸収は、中国による紹介なしには考えられなかった。 現代でも68%が中国漢語、和製漢語は27%らしい。 他にも、黄海開戦は、「アームストロングVSクルップ」の代理戦争だったこと。 国際結婚には、明治当初、国家の許可が必要だったこと。 海軍記念日・陸軍記念日の式典が派手になるのは、1930年代になってからのこと……とかく、刺激的な一冊なのである。 ▼ むろん、「日本は朝鮮に良いこともした」なんてヨタ話は、どこにも載せられていない。 たんたんと植民地帝国に脱皮していく過程がえがかれていく。 「国民」概念の揺籃期日本。 そもそもなかった朝鮮。 むろん、司馬史観や新自由主義史観などは、お呼びではない。 きたるべき、「国民」「大衆」「群集」の出現を感じさせつつ、宗主国と植民地国、2種類の「国民」形成を丁寧にのべていく。 江戸幕府マンセーの第1冊、自由民権運動がぼやけていた第2冊目にはない、なかなか良く出来た概説書という他はない。▼ おすすめ。 評価: ★★★★価格: ¥ 819 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Apr 27, 2007
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▼ ヨーロッパ鉄道旅行を通した素晴らしい歴史物語の書である。 ゴールデンウィークのご旅行の際、伴侶とされてはいかがだろうか。▼ 1883年10月4日、開業したオリエント急行。 弱小国ベルギーの若者、ナゲルマケールスは、「国際寝台車会社」を創設して、細切れ状態にある鉄道会社と個別交渉の末、運行させたもの。 オリエント急行は、ヨーロッパで例のない、画期的な、豪華列車で国際列車だったらしい。 個人主義ヨーロッパにふさわしい、「コンパートメント(個室寝台)」というものを発明したのも、実はオリエント急行だという。 「へー」ではないか。 ▼ なによりも、「19世紀ヨーロッパ」の薫りがただよっているのが喜ばしい。 ▼ オーストリア・ハンガリー帝国 かの国の鉄道を作ったのは、当初、ロスチャイルド家だったという。 「エルサレム王」なる称号までもつ皇帝、フランツ・ヨーゼフ2世以外、時間をまもるものはいない都市、ウィーン。 オスマントルコが廃棄していったコーヒー豆の袋から始まる、コーヒーハウスの喧噪。 オスマン軍楽隊から始まるクラシック音楽。 ドイツ色の強い王城ブダと、マジャール色の強い商都ペスト。 ハンガリーは、ルーマニアに次いでロマ族が多く、ジプシー音楽がハンガリー情緒とされていた。 オーストリアから独立を企てたコシュート・ラヨシュの墓参にわざわざ出かけた、日本史研究者・黒板勝美の逸話も面白い。 ハンガリー平原は、大地主支配の水不足に苦しむ褐色の平原だったようだ。▼ ルーマニア王国 オリエント急行開通直前、1881年に王制に移行したばかりの国家だったという。 もともとオスマン時代は、自治が認められていたので、黒海沿岸のドブルジャを除けば、あまりトルコ人がいなかった。 むしろ、ファナリオットと呼ばれたコンスタンチノープルのギリシャ人商人が経済を支配していたらしい。 そんな中、1859年、モルダヴィアとワラキアは、クザ公をいだき、同君連合として出発。 1861年、ルーマニア公国が誕生する。 急進的改革は、貴族層の反発を買い、66年、大公追放。 プロイセン王家から王様を連れてきて、ルーマニア語を話せない王様が、君臨していたのだとか。▼ ブルガリア 1883年、オリエント急行開通時には、「公国」としてオスマン朝主権の下、独立したばかり(露土戦争 1878年)だったらしい。 ブルガリア大公の息子は、「鉄っちゃん」趣味が昂じて、領土通過中は、オリエント急行の機関士として、急制動をかけまくり、列車をオモチャにしていたという。 ブルガリアは、ルーマニア同様、オスマン時代、ギリシャ人が牛耳っていた。 そのため、ブルガリア正教会を樹立することで、知識人達は精神的独立を図ったとされる。 本来、西欧近代の創作物にすぎない「古代ギリシャ・イデオロギー」に感染しローマの後裔から「ギリシャ人の末裔」と思いこみ始め独立運動をおこすギリシャ人の姿は、喜劇といってよいだろう。 バルカン半島を悩ますナショナリズムは、ギリシャから始まったのだから。▼ オスマン・トルコ 驚くなかれ。 開業時、イスタンブールまで列車は走っていなかった。 1888年までは、いったん、ブルガリアの港町ヴァルナに出て、そこから船でイスタンブールに行ったという。 イスタンブールは、オリエントの典型的都市ではない。 むしろ、ギリシャ人や西欧人のつどう、国際都市だった。 かつては、巨大な大帝国として、居住制限があるものの通商の自由が認められる、「キャピチュレーション勅令」で片務的特権を欧米人たちに与えたら、いつのまにやら主客逆転。 フランス人たちはイスタンブールのペラ大通りを闊歩。 フランスで印刷された、不正確なコーランが流布して問題になったこともあったという。 アブデュルハミトの専制政治ぶりがエリア・カザンの映画『アメリカ!アメリカ!』に描かれているとは、まったく知らなかった。 人種・民族ではなく、宗教を社会統合の道具としていたオスマン朝の姿は、非常に面白い。▼ 第1次大戦後になると、ヨーロッパは一変してしまう。 もはや王侯貴族はどこにもいない。 一般化したオリエント急行。 豪華サロンカーは過去のもの。 第1次大戦休戦協定調印の舞台は、オリエント急行を運行させていたワゴン・リー社の2419号客車であり、ヒトラーはこの屈辱を決して忘れなかった。 1940年、フランス征服の際、同じ車両で降伏文書署名をさせた挙句、連合国反攻の際、降伏文書調印車両として再々使用されることがないように、1944年、命令で破壊してしまったという。 第2次大戦後は、社会主義国の鉄のカーテンによって、検問の連続。 豪華な食事も提供できず、豪華列車としてのオリエント急行は1962年、定時列車としての「オリエント急行」は1977年に運休してしまう。 最晩年期は「難民列車」だったというから、悲しさもひとしおである。 ▼ 西欧にとっては、エキゾチックな異国情緒をかきたてるオリエント急行も、オリエント側にあたる東欧にとっては、文明を運んでくる列車だった。 オリエント急行開業前までの汽車旅というものは、食堂車がなく、駅に長時間停車して、レストランに入って食事を取っていたらしい。 また「最後の授業」で知られるエルザス・ロートリンゲンは、ドイツ唯一の「帝国国有鉄道」が走っていたものの、ドイツに同化されることなく、第一次世界大戦を迎えたというのも、初めて聞く話である(たいてい、元々ドイツ語圏としか説明されないことが多い)。 ドイツでは、王国固有の鉄道会社が走り、ビスマルクは帝国国有化に失敗。 プロイセンとバイエルンの機関車速度競争は、子供じみていてなかなか楽しかった。 ルーマニアでは、ロマ族は1851年まで奴隷扱いされていたらしい。 ウィーンから先になると、オリエント急行でも、なかなか定時運行ができなかったという。▼ 逸話もふんだんに盛りこまれてたいへん興味深い。 オリエント急行開通時、その乗客は、ルーマニア王カロル1世の離宮に招待され、オスマン皇帝アブデュル・ハミトにまで謁見したという。 靴の先に接吻させるローマ法王と同様、オスマン皇帝は、接見時、ひれ伏させて衣服の裾に接吻させていたらしい。 森鴎外は、日本人として最初期の乗客の1人でありながら、劃期性をまるで理解していなかったらしい。 「列車の王者」たるオリエント急行を利用しないことには、王のステータスを保てないとばかりに、東欧の国王たちも利用すれば、あの伝説の女スパイ、マタ・ハリも利用していたという。 インドのマハラジャたちも利用して、異国趣味に花をそえる。 なお、開通当初は、手荷物車両を2両も連結していたという。 女性の荷物の多さは、日本に限ったことではない。 ▼ とっておきの逸話を紹介しておきたい。 創設者ナゲルマケールスは、オリエント急行をシベリアをこえて東京まで延伸させたかったらしいのだ。 なんとも、残念な話ではないか。 ▼ むろん、「オリエント急行」は、政治とも密接にかかわり、むしろ政治そのものになることもマレではない。 19世紀、鉄道は、支配を維持するため積極的に建設された………チベット・ラサへ向けた中国の鉄道建設を知る人たちにとってはおなじみの図式だろう。 「列車の王者」オリエント急行の運行をめぐって、対立しあう東中欧各国。 最初は、パリ~ウィーン~イスタンブールだったが、シンプロン・オリエント急行(ミラノ・ベオグラード経由)が登場。 第1次大戦後になると、オリエント急行が百花繚乱。 ロンドン~アテネなど様々なオリエント急行が毎週走っていたらしい。 ドイツは、フランスのオリエント支配を象徴するオリエント急行に我慢ならず、バグダット鉄道を建設し、「バルカン列車」なるものを第一次大戦中走らせたものの、敗戦で水の泡。▼ 1988年、日本全国をまわって、今では箱根に鎮座する、「オリエント急行」の客車。 日本だけではない。 今では、タイ~シンガポール、アメリカ、メキシコでは、「オリエント急行」の名を冠する列車が走っているという。 「命がけの通商」から、お気楽なツーリズムへの転換こそ、「オリエンタリズム」「異国趣味」を支えていた。 オリエント急行のみが喚起させる「異国情緒」「未知の世界への憧憬」こそ、『ラインゴルト』『ゴールデンアロー』など、他の単なる豪華列車とはちがい、オリエント急行を「ツーリズムのシンボル」「最高級豪華サービスを提供する不滅のブランド」にさせた原因であるという。 ツアーに行く前に、ぜひ読んでおきたい一冊ではないだろうか。 ▼ ただ、難点をいえば、これは誰に向けて書かれたのか、いまいち分かりかねることだろうか。 「オリエント急行史」「東欧社会史」「ツーリズムの発生史」としてなら、浅いとしか言いようがない。 観光ガイドなら逆に濃くて使えない。 どっちにしろ、散漫な印象をいだいてしまう。 日本人のアジア認識につきまといがちな「知の支配の一形態」=オリエンタリズムを糾弾するならともかく、ヨーロッパ人のアジア認識(=オリエンタリズム)について、日本語で批判的記述をすることに、何か意味があるのだろうか。 旅行先で突っ慳貪な対応を受けた場合、東アジア・東南アジア旅行なら激怒する日本人も、ヨーロッパ~イスラム旅行ぐらいだと、「これが外国旅行というものね」と、借りてきた猫のように大人しい。 元から理解できないイスラムや、精神的に隷属している欧米には、ヘイコラする日本人。 他人のことより、自分のこと、だと思うんだけどね。 オリエンタリズムの解説は、まったくされていないので、「ヨーロッパ人悪い、日本人はやっぱり素晴らしいのだな」と誤解されちゃうんじゃないか? ▼ しかし、ヨーロッパ臭が好きな人にはたまらない一品でしょう。 だいたい、日本人の好きなヨーロッパって、大方、19世紀でしょうしね。 ▼ という訳でお薦めしておきます。 評価: ★★★☆価格: ¥ 903 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Apr 24, 2007
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(この日記は1からの続きですので、こちらからお読みください)▼ 2001年までには、全75郡中、24郡に人民政府を樹立したものの、「9・11」によって、大逆風を受けていた、ネパール共産党毛沢東主義派。 インフラ破壊活動。 スパイの捜索。 住民への脅迫と、強制的寄付の徴収………これでは、何も国王政府とかわらない。 国軍と毛沢東主義派は、武力衝突を続け、1万3千人の死者と、何十万人もの難民を生み出した。 とくに、マオイストの被害者は、ネパール会議派支持者たちだったという。 双方の人権侵害は、国際問題に発展。 しかし7政党の民主化運動を受け、水面下で提携。 2005年10月~11月、毛沢東主義派は、統一共産党、ならびに主要7政党と、「制憲議会選挙」「民主共和制」立て続けに合意書をかわした。 2006年2月、毛沢東主義派プラチャンダ党首は、3月14日より全国無期限ゼネストを指令。 3月19日、毛沢東主義派と7政党合意により、ゼネスト指令取消と、4月6日から7政党による4日間のゼネストと以後の民主化デモが決定されたのである。 ▼ 連日にわたる、警官隊と市民との激しい衝突は、4月21日、50万人をこえる空前のデモに発展することになった。 ここに4月24日、国王が屈服。 5月18日、復活した議会では、国王特権の剥奪が議決される。 毛沢東主義派は、国王の屈服を受け入れた主要7政党、とりわけ共産党の政権参加に難色を示すアメリカの意を体した、会議派のコイララ首相に反発したものの、6月、歴史的な政府と毛沢東派指導部の会談。 2006年11月8日、和平協定締結。 武器を放棄して、議会政治に戻り「新生ネパール」を作る道を選んだ、という。 なかなか、激烈なドラマが展開されていたのである。 ▼ しかし、勘違いしてはならない。 この書は毛沢東主義派を礼賛するものではない。 むしろ逆に近い。 毛沢東主義派の怖さは、いたるところ表現され、かなり手厳しい。 毛沢東主義派のイデオローグ、バフラム・バッタライとプラチャンダ党首の確執。 毛沢東主義派の村民動員のため、遠い村から仕方なく集会に参加した村人。 マオイストに土地を奪われた農民たち。 人民政府の道路建設に「強制的に参加」させられる村人……。 このような記述が実に多い。 毛沢東とプラチャンダ党首の肖像をかかげ、「犠牲は国のため」と教える、毛沢東主義派支配地域の教育現場「マオイスト製造学校」の指摘。 個人的所有のない自給自足のコミューン生活は、決して肯定されない。 どれくらい厳しい生活なのか、随所で触れられている。 ▼ また、「人民戦争」最大の犠牲者は、マオイストと警官であって、武装闘争は構造的貧困から抜け出せない、「貧困層VS貧困層」の戦いにしかなっていない、という。 しかも、毛沢東主義派の武装解除の時期は、いまだ明言されていない。 両軍を合体して「新国軍」とするのは問題が多いからである。 今の国軍は「ネパール版天皇の軍隊」である。 毛沢東主義派の人民解放軍については、いうまでもないだろう。 2007年6月までに行われる「制憲議会選挙」後、すんなりと民主化が進むとは思われないのだ。 ▼ しかし、毛沢東主義派に流れこむ人々の思いを高飛車に評論するようなものでもない。 夫を失ないながら悲しむ様子を見せようとしない女性党員の苦悩。 親戚・縁者を政府に殺され、コミュニストに身を投じた人々。 かれらの思いも、また丁寧にすくいとっている。 ネパールの民主化。 日本が果たしうる役割も大きいだけに、大変興味深い。▼ 部外者からみると、やはり「インドの存在感の大きさ」に驚かされるほかはないだろう。 インドとネパールの往来には、ビザやパスポートはいらない。 そのため、インド拡大主義者批判を繰り広げながら、毛沢東主義派首脳部は、しばしば安全なインドに逃げて人民闘争を続けていたという。 また毛沢東主義派は、教員を中心として、「村」単位で勢力を拡大していったようだ。 「村」に、コミュニストの教員が訪れて、「村」ごとコミュニストに染め上げていく。 たくみに、政府・警察の苛斂誅求による、「反政府」感情を利用して……。 毛沢東主義派が全国で武装闘争ができるほどの組織力を持ちえたのは、モンゴル系マガル族 ――― 差別が少ない自然のコミュニズム、好戦的な性格、頑丈な体躯であり、かれらは下位カーストでもある ――― によるものでありながら、バッタライもプラチャンダも、ヒンズー最高位カースト「バフン」で、幹部たちも高位カーストというのは、大変面白い事実ではないだろうか。 かれらに差別を持ち込んだのは、インド・アーリア系のヒンズー教徒であった・・・おそらくウソとはいえ、実にかれらのオーラルヒストリーを収集していて興味深い。 そもそも、ネパールには、支配者側の史料しか残されていないどころか、オーラル・ヒストリーさえ乏しいというから、驚かされる。 ネパールの民は、歴史を捨てさせられたのである。▼ 強いて批判すれば、地図が付けられていても極めて不十分で、どこの話なのかまるで理解できないことかもしれない。 とはいえ、南アジアを知るためには、最良の一冊であることは、この紹介からの一部わかるのではないだろうか。 ▼ ぜひ、図書館や本屋でみつけ、読んでもらいたい。評価: ★★★★価格: ¥ 1,218 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Apr 17, 2007
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▼ 台頭著しい中国の影に隠れてしまいがちな、南アジアの経済発展。 最近、南アジアは、ようやく脚光を浴びはじめたものの、複雑怪奇な政治情勢は、あまり知られていません。 知識不足を埋めるためにも、適切な入門書が望まれる所。 そういう人たちのためには、明石書店が刊行している『○○を知るための△△章』シリーズが大変有効なのですが、今回は、王制が打倒されたばかりのネパール近現代史の本を紹介しましょう。▼ ネパールといえば、何といっても、ネパール共産党毛沢東主義派によるゲリラ闘争が有名です。 問題解決能力のない政党政治家。 暴力革命を夢見るマオイスト。 「ビシュヌ神の生まれ変わり」として、絶対権力で統治を試みる国王権力。 この「3すくみ」は、ネパールには永遠に民主主義が根付かない、と思わせていました。 そこに、前2者に民衆までも合流して、すさまじい政治の地殻変動「民主化運動」の勃発。 そもそも、今どき、どうして毛沢東主義派が? 世界が抱くであろう疑問は、この書で完全に解き明かされていて、たいへん面白い。▼ 要約すると、以下のとおりです。▼ 1990年、民主化運動によって、1960年から続いていたパンチャーヤト制度(国王直接統治)が廃止された。 ところが、ネパール国民会議派のコイララ派とバッタライ派の対立で、政治が機能しなかった。 つい最近まで、国王クーデターによる、独裁政治が続いていたネパール。▼ 1949年、インド・カルカッタで結成されたネパール共産党は、ヒンズー教徒が8割を占めながら、非常に大きな政治的勢力を持ち続けていたという。 それも、分裂を繰り返しながら。 ネパールの共産党系勢力の幅の広さは、過激武装闘争派から、王室側近の共産主義者まであるという。 そんな共産党系の政党は、10を数えたが、民主化運動の時、大同団結する。 穏健派のネパール統一共産党。 そして、過激派のネパール共産党エカタ・ケンドラ。 エカタ・ケンドラは、議会政治を認めていないが、IRAにとってのシン・フェイン党のような表組織、「統一人民戦線ネパール」を結成。 過激派は、「議会の悪事を暴露するため」総選挙に参加していたらしい。 1990年代半ば、議会政治が麻痺したとき、武装闘争を始めたのが、エカタ・ケンドラから分離して結成された、毛沢東主義派。 1996年、ヒンズー差別廃止、土地改革、インドからの影響排除(言語、政治)、世俗国家化、軍・警察の文民統制を要求。 容れられない場合、武装闘争を通告した。 当然政府は無視。 1996年2月13日、人民闘争開始。 このブログ読者も、驚くことであろう。 毛沢東主義派は、極めて新しい政治勢力なのである。 当初は、泡沫に近かった。▼ 当初、ロルパ郡という中央に常々反発していたモンゴル系住民のすむ地域を越えられなかった毛沢東主義派。 ところが、2001年、ナラヤンヒティ王宮における、ビレンドラ国王を含む国王一家全員をディペンドラ皇太子が射殺する事件を契機として、勢力を急激に拡大し始めた。 犯人は、直後に即位したギャネンドラ国王ではないか? 仏像や麻薬の密輸、交通事故。 日頃の悪事にもかかわらず、国王の絶対権力におびえ、口をとざすひとびと。 そこに毛沢東主義派はぶちあげた。 「インド拡大主義者とアメリカ帝国主義者が、ネパールを従属国にすべく、ギャネンドラを手先として、毛沢東主義派弾圧に熱心ではなく中国にも接近していたビレンドラ国王を排除したのだ」と。▼ さて、本書によれば、ネパール近現代史は、陰謀の歴史であるという。 カトマンズでは、日本並みの暮らしをする人々が出現しているというのに、全75郡中15郡では、車が通れる道すらない、絶望的な経済格差が存在するネパール。 13世紀には、温暖な上に、「インド~中国ルート」の要衝、カトマンズ盆地にヒンズー王朝が成立。 ヒンズー化が始まる。 18世紀には、ブリティヒ・ナラヤン・シャハ王によって、ネパール領域内がほぼ統一。 東インド会社と取引して領域を保全するとともに、19世紀からはラナ家が世襲首相としてネパール政治を牛耳り、1951年までラナ家支配が続いたという。 ラナ家打倒のため、ネパール会議派はインド領内を利用して、武装闘争を行ない、国王はインドに逃亡。 インドが仲介する形で、国王帰還するも、独裁政権化。 一時、民主的社会主義を掲げるネパール会議派は、議会の多数を掌握して、土地改革に着手するも、1960年、マヘンドラ国王によるクーデター。 会議派の半数が国王に寝返ってしまう。 ▼ ネパール会議派を掣肘するため、国王が採った政策こそ、「コミュニスト厚遇政策」であったという。インドを掣肘するためには、ヒンズー教の盟主として「ヒンズー王国」をなのり、同時に「中国」にも接近する。 中国に接近するためには、共産党勢力の拡大を奨励する …… 「コミュニスト」「ヒンズー」「中国」の三点セットこそ、ネパール専制王制の基盤。 1972年、ビレンドラ国王即位後も変わらない。 1990年の民主化後も、ビレンドラ国王は、執拗に民主化の骨抜きを図った。 憲法には、「ヒンズー教国教」「国王の非常時大権」が ……… これらこそ、「民主化」後のネパールにおいて、女性・少数民族・カースト差別が続き、2002年10月~2006年4月には、ギャネンドラ国王による独裁政治を産み落とした原因である、という。 メディア規制、電話線切断、移動の自由の剥奪。 釈放命令を受けた被告が、裁判所を出た所で、警察に再逮捕される事態が続発。 国王政権に協力していた会議派とネパール統一共産党が離脱。 2005年8月27日、ネパール統一共産党が「立憲君主制支持」から「民主共和制」へ転換。 同年8月31日、ネパール会議派も「立憲君主制支持」に関する綱領を破棄。 主要7政党による、「王制廃止」「共和制」をもとめる政治運動が開始される。 (その<2>はこちらになる予定。 応援をお願いします。長すぎて1日では終わらなかった)評価: ★★★★価格: ¥ 1,218 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Apr 14, 2007
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▼ 先週末、中学生の時分から、一番行ってみたかった日本庭園である、醍醐寺三宝院に参詣してきた。 何十年もやりのこしていた宿題を果たした気分だ。 個人的に行きたい庭は、「苔寺」こと西芳寺と、桂離宮と醍醐寺三宝院だったんだけど、前2つは予約制。 とてもふらりとはいけない。▼ 土曜日早朝、ふらりふらりと、カメラを片手に、醍醐寺にむかう。 曇り空。 なんと、4月8日の日曜日には、「醍醐寺桜祭り」があるくらい、醍醐寺は桜の名所らしい。 本当に美しい。 行ってみるまで知らなかったんだけど、醍醐寺は「世界遺産」。 そんな凄いものになっていたとは、醍醐寺に着くまでまったく知らなかった。 所詮、何年か一度、突発的に庭をみたい!!!という衝動にかられて参詣する「にわかファン」。 こんな基礎的なことすら知らないのだから、困ったものだ。 ▼ 本当のお目当ては、むろん三宝院の庭園である。 大名庭園の豪奢さと禅寺の静謐さの中間くらいのお庭。 中学生のとき、写真集でみて、感涙にむせんだものだ。 しかし、いざ、現地でこの目で見てみると、思ったほどではない。 池の配置は見事だけど、とくに緑が薄い。 梅雨とかにいけば、苔の絨毯が映えて、素晴らしい光景が拝めたかもしれない。 加えて、「写真撮影禁止」……庭の絵葉書を売るためとはいえ、せこい商売根性にあきれる。 あとで絵葉書の中で気に入ったものを、ネットにピックアップしてやろうかな。。。。▼ 桜祭り前日だけあって、本当に桜がすばらしい。▼ 名物「しだれ桜」の方は、このようにすでに散ってしまっていた。 たいへん残念である。 しかし、ソメイヨシノの群れは素晴らしい。 下の写真は、三宝院正門から駐車場へ向かう道の眺めなんだけど、すでにワクワクさせる感が漂ってませんか ??? むろん期待を外すことはありません。▼ 実際、その道をくぐると、素晴らしい桜並木です。↓▼ そういえば、桜吹雪とはもっとも美しい日本語のひとつである、といったのは誰だったか。 一番のお目当てだった三宝院は、コケてしまったけど、桜を本当に堪能できた一日でした。 京都近縁の方は、ぜひ一度、「醍醐寺」の桜を拝観しに出かけてはいかがだろうか。▼ 三宝院がダメなら、どんな庭が好きなんだ、と言われると困りますね。 ▼ 個人的ベストは、なぜか中国の庭。 たぶん季節も幸いしたんだろうけど、「蘇州の拙政園」と「揚州の個園」は、本当に絶品だった。 日本的な感性にも、ドンピシャ。 雨にけぶる拙政園は、幻想的としか言いようがない、すばらしい興趣をたたえ、その美しさに呆然として座り込んでいたことを覚えている。 揚州の個園については、「竹林庭園の傑作」。 太湖石という奇岩を使っているんだけど、なんというか、言葉にならない美しさがあるんですよ。 ▼ もし、中国のお庭をみたいと思う方は、いちどツアーで行かれてはいかがだろうか。 この2つの庭園は、絶対、見る価値があるとおもう。▼ 醍醐寺三宝院は、八重桜も満開だった。 この週末をこえることはないのだろう。 桜の花見は、一期一会。 すばらしい旅だったというしかない。 すなおに感謝したい。 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Apr 9, 2007
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▼ 読書が趣味だと周りに知られると、ある作家を読んでいないことについて、しばしば非難されることがある。 「えー、京極夏彦読んでいないんですか。 てっきり読んでいるものとばかり」 悪かったな。 森博嗣ともども新本格は嫌いなんだ。 「『裏切られた革命』読みましょうよ」 だから、俺はマルクス主義者じゃないんだって。▼ 小谷野敦は、そんな読んでいない人の一人である。 ごたぶんにもれず、「『もてない男』は面白いですよ。 小谷野敦は貴方にあうと思いますよ」なんて、わざわざお節介焼いてくれる。 いらんお世話だ。 だいたいアカデミズムには、「一学者、一仕事」 ――― 学者にとって、本当に素晴らしい仕事は、生涯に1つだけである ――― という恐ろしい格言があるのだよ。 他にも、「学者は処女作に向けて成熟する」というのもあったな。 ▼ 小谷野敦や福田和也や仲正昌樹や香山リカには、膨大な著書がある。 ということは、たくさんの仕事をしているのでは、無論、ない。 逆に「何一つ仕事をしていない」とみるべきなのだ。 彼らが死ぬ直前になって、「俺の真の仕事はこれだ!!」とでも遺言を出してくれたら、まあ読んでみようかね……▼ などなど、減らず口を叩いていたのだが、本屋で偶然、小谷野敦の新刊が出ていたので手に取って立読をはじめたら止まらない。 つい、購入してしまったのである。 うーん、仲正のときとパターンが同じじゃん。 進歩していないねえ。▼ 要するに、ヘナチョコ知識人は去れ、という本である。 エッセイである。 気楽に読む本である。 個人的に面白かった部分を列挙すると…… A 今の若者は、司馬遼太郎すら読まない。 高校と大学を減らせ! B 豊かな社会になると、遺伝によって、 かえって階層移動は起こらなくなってしまう C 武士層は徴税権だけもって土地を持っていない奇妙な貴族階級 D カルスタ派と「江戸ブーム」派の野合で、江戸時代がパラダイスに E 舞妓・芸妓は、徳川期の売春文化の名残 F 「妻」は関東武士の嫁取婚で発生した同居女性、 「女」は通い婚の女性 G 近世を知らない知識人 …… フロイト・ニーチェの悪影響 H 「○○とは何か」は決して真正な問題ではない I 近年、「病理」が多いように感じるのは、 昔はそんなことに構ってられなかったからだ J 所詮、2チャンネルにできることは「うがち」や「ちゃかし」 K 笑われることを恐れるな L ポストモダンは「やけくそ哲学」(『知の欺瞞』の池田雄一書評) M 「家族の多様性」「男女平等」をいいながら男性の貞操義務違反、 「夫が働かない」という訴えに飛びつくフェミニスト弁護士 N 女性のフェミニスト学者は、才色兼備で結婚もしていながら、 そのことを隠し「結婚は桎梏だ」などといいやがる O 性表現を取り締まるんなら、暴力表現も取り締まれ! P 国文学の4悪人、中村真一郎、梅原猛、加藤周一、丸谷才一 Q エンタシスは法隆寺に影響、写楽の正体は不明……はウソ R 禁煙医師連盟に精神科医を加えないのは、体質的に不可能な人 もいることが解ってしまうからだ!!!! S 「喫煙することで世界を我有化するのだ」(BY サルトル) T 嫌煙運動が隠蔽しようとしているのは、 遺伝子が寿命を決定するという事実だ!▼ うーん、たしかに面白い。 なにせ、天皇制反対で再軍備賛成、であんまり考えが違わない。 おまけに、文学の世界なんかあんまり知らないので、結構、目から鱗が落ちたりした。 わたしの友人の見立ては、実に正しかったのかもしれない。▼ ただ、どうみてもオカシイと思える部分も多い。 シニシズムをファシズムと結びつける北田暁大を「シニシズムを礼賛している」と書いたり、あとがきでイスラムの教義の危険性を主張して「異教徒など問答無用で殺しても良いのである」と絶叫したり。 アホかいな。 キリスト教の教義では、「愛」が強調されているから、キリスト教徒は愛溢れて危険のない人々なのか? そんなもの、キチガイを初めとした読み手側が、「聖典」「教義」の中で、「啓示」(欲しいと思っていた文句)を「発見する」だけだろう(小谷野がそうであるように)。 教義うんぬんなんかでは断じてない。▼ 禁煙ファシズムの部分は、暴走というしかない。 「自動車の排ガス」こそ、肺ガンの原因で、禁煙推進団体は自動車から金を貰ってる!!!! まあ、禁煙ファシズム批判全体を知っているわけではないので即断できないが、小谷野は途上国の都市に行った経験がないのだろうか??? 一度でもいいから、途上国の都市に住んでごらん。 日本とは排ガスが比べ物にならないほどキツイから。 目黒区なんて、ぜんぜん排ガスがない地域だよ。 日本くらい、都市の空気が綺麗な国は、本当に少ない。 小谷野の妄想が正しければ、途上国では日本の何倍も排ガスなどの化学物質が舞っているんだから、男女問わず(あたりまえだ)、肺ガン発生率が高くなっていなければおかしい。 そんな統計、すぐ出せるだろう。 くだらないこと言わないで、とっとと実証すればいいのに、何故しないのだ?▼ 私自身まったくタバコを吸わない。 しかし、タバコの煙は、あまり気にならない。 「ちょっと失礼」といわれて、「吸わないでくれ」なんていったことは、一度もない。 てか、タバコの臭いは、子供の頃、好きだった。 ただ、そんな僕でも、吸って良い場所だろとばかりに、何の断りもなく吸い始められたら、さすがにムカっとくる。 この辺が、タバコを吸わない人の典型的な心性ではないだろうか。 結局は、そんな些細なことから、「自動車団体から金をもらう」という誹謗中傷にいたるまで、喫煙者にはデリカシーというのが乏しいのだろう。 「禁煙ファシズム」的状況とは、自らが蒔いた種、としか思えないので、同情する気がまったくおきないのが困りものだ。 ▼ しかし、文庫版で廉価だし、一応買って損は絶対ないとおもう。評価: ★★★価格: ¥ 500 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Apr 6, 2007
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▼ 感動のあまり、言葉も出ない。 ▼ ながらく、「戦後文学第一等」とされながら、ドストエフスキーもかくやと思わせる、超重量級のヘビーな作品。 そのため、多くの読者の挑戦をはねのけてきた、日本文学史に屹立する金字塔、大西巨人『神聖喜劇』。 この傑作の漫画化が、今年1月末、堂々完結した。 この快著と思想を世に広めるためにも、一文を草しておきたい。 ▼ 大西巨人作『神聖喜劇』とは、なにものぞ。 1942年、対馬砲台へ入営した、東堂太郎2等兵による、日本陸軍内務班にあらわれた日本社会の悪しき体質との3か月間の抗争をえがく、一大長編小説である。 もともとは、野間宏『真空地帯』への批判であったが、もはや見る影もない。 内容は、みるみる脹れあがって、脱稿まで25年の歳月を費やすことになった。 1979年、全5巻完結。 ちくま文庫や光文社文庫などで、手に入れることができる。▼ 主人公東堂太郎は、無政府主義者(=アカ)であった。 かれは、大日本帝国の遂行する「聖戦」のオゾマシイ性格を知り尽くしている。 ところが、病気もちということで、即時帰郷、入営しなくて済むように取りはかろうとした、軍医の好意を拒絶してまで、彼は軍に入営するのだ。 「私はこの戦争に『一匹の犬』として死すべきである」と ……… ▼ この作品は、超人的記憶力の持ち主、東堂太郎二等兵のおこなう、軍隊内での合法的闘争の数々を追うかたちで、話がすすんでいく。 旧日本陸軍は、「無法地帯」(=シャバの論理の通じない真空地帯)では、断じてない。 陸軍のバカバカしいまでの規則遵守体質は、コミカルに描きだされている。 「知りません禁止」「忘れました強制」から、天皇を頂点とした「責任阻却の論理」を丸山真男ばりに暴きだす姿は、共感する人も多いのではないだろうか。 日本陸軍とは、日本社会の縮図だったのである。 シャバと同じように、学歴や身分が幅を利かしている陸軍。 そこでの合法的闘争を通して、もうひとつの主題である、部落差別の悲惨さ、人間の卑小さ、がこれでもかとえがきだされ、容赦がない。 ▼ そして、感動の5巻。 部落出身者であるがため、周囲から暴力に巻きこまれ、事故死でありながら殺人犯として服役していた、冬木照美。 部落出身者にして前科者。 2つのスティグマは、招集された先の皇軍内においても、冬木をつかまえ、決して逃してはくれない。 さまざまな事柄や事件で、冬木は嫌がらせを受けてしまう。 しかし、「模擬死刑の午後」において、冬木照美の苛烈なまでの決意が、上官にむけて吐露されたとき、それはほんの束の間、皇軍の秩序まで瓦解させるのだ!!! 「連帯」の輪の神々しさ! その光明。 しかし、たちまちのうちに暗転してしまい、秩序はふたたび取り戻されてしまう。 その悲しさ。 最も美しいものこそ、実は闇をも産みおとすのか!!!▼ ただの反戦小説ではないのか? そのような本になぜそこまで?? ▼ こうした疑問は、浅はかな思いこみに過ぎない。 この書では、チャンコロを焼き殺した農民下士官も、武士道を体現したような士官も、東堂二等兵という作者の分身を圧倒するほどの異様な存在をもっている。 陸軍への抵抗を通じて出会った、さまざまな人々との交流によって、かれは「この戦争で死ぬべきである」から「この戦争を生きぬくべきである」へと改心をとげていく。 主人公東堂太郎は、日本陸軍ともども、根本的に否定されてしまうのである。 その弁証法的「回生」の過程は、ぜひ確認してほしい。 ▼ 『神聖喜劇』の「凄まじさ」は、逆説的に聞こえるかもしれないが、以上のストーリーにある「のではない」 。 ▼ いわば、日本社会との戦いの物語を「縦糸」とすれば、東堂二等兵の脳内で「俳句」「和歌」「近代詩」「外国文学」「マルクス主義文献」が縦横無尽に呼びだされる、「横糸」の信じられないほどの豊饒さこそ圧倒的なのである。 物語は、引用の凄まじさの前に、遅々として進もうとはしない。 しかし、ストーリーを遅々として進ませない、この「引用」の群れこそ、読者にとっての「よろこび」に他ならない。 いってしまえば、京極夏彦を圧縮したようなものとおもえばいい。 電話帳を上回る厚さが、「よろこび」にかわる一瞬が、貴方にもきっと訪れるだろう。 読者諸賢の聞いたこともがない詩人、文学者たちの作品の断片が、圧倒的な内容をもって、われわれの眼前にせまるのだ。 わたしは、この作品を読んだときくらい、日本に生まれ、日本語を話すことのできる喜びを感じたことはなかった。 ▼ おもえば、『神聖喜劇』ぐらい、読み終えることが悲しかった作品は、ほかになかったのではないか、とさえおもう。 家にこもること3日。 ひたすら読み続けた至福のひととき。 こんな本には、2度と出会うことはできないのではないか。 読んでいるうちに、確信めいたものが脳裏をよぎって、わたしを離さない。 クライマックスに近くなって、読むことの「至福」と読みおえることの「悲しみ」がないまぜになり、滂沱の涙を流しながら読む、奇怪な精神状況に陥ったことを覚えている。 ▼ 読了直後、わたしは、文学を専攻していた後輩に電話をかけた。 むろん、謝罪のためである。 「これまで俺は文学をなめていた。 悪かった。 ごめんなさい」 ▼ この本を読めば、文学とは、世界認識を根底より変容させる可能性を秘めた営みであり、意味の政治学をめぐる戦いの最前線でもあることが痛感できるだろう。 そして、読み終えてしまったわたしは、この感動を2度と体験することができない。 わたしは、今からこの小説を読める人が、本当に羨ましくて仕方がない。 ▼ そこに「絶対無理」と思われていた「神聖喜劇の漫画化」の断行である!!! なんという暴挙。 だが、心配御無用。 漫画は、その素晴らしさをあまり損なうことなく、みごとにまとめあげている。 無骨なキャラクターデザインは、到底、今の漫画ではメインとはいえない。 しかし、読みすすめていくと、このチョイスは、最善であったことがわかるだろう。 もっとも良き理解者たちによる、もっともよき漫画化。 まことに、良い人をえた、というしかない。 われわれの眼前に、『神聖喜劇』小説版という、偉大な作品を読む「手がかり」が与えられたのである。▼ むろん、『神聖喜劇』のエッセンスすべてを漫画で再現することは、不可能であるし達成されてもいない。 とりわけ、引用の「横糸」は、再現不可能である。 田能村竹田も、斉藤史も、壊滅状態にちかい。 面白さは、およそ小説版の3割程度といったところか。 とりわけ、全五巻の最後をかざる、敗戦直後の茫然自失さを圧倒的なまでに表現しているといって過言ではない、齋藤彰吾「序曲」が小説版にもたらした雰囲気は、漫画版では再現されていない。 漫画や画像というメディアにも限界がある。 「漫画」では再現できない、「詩」学のみ持ちうる領域は、確かに存在するのであろう。 しかし、それでも圧倒的な面白さであることは、なんら揺るがない。▼ 大西巨人は、社会主義者である。 かつて、中野重治とともに新日本文学会に属し、60年代、日本共産党を除名された、純正な社会主義者である。 そして、今もなお、社会主義の未来を信じてやまない。 鷲田小弥太は、語る。 大西巨人は誰ともちがう社会主義者である、と。 「目的は手段を正当化しない」「個人の幸せこそ、大事」 …… そこから帰結した、途方もない「克己」を要求する、かれの思想の一端は、もちろん、漫画版に収録された原作者インタビューでも読むことができる。 たとえば、かれは憲法9条を守ろうとしている。 むろん、「自らが死ぬことを厭わずして」である。 すさまじい潔癖さから、『神聖喜劇』の奇怪ともいえる書は、生まれているのだ。 いやしくも、「保守」と自己規定する人物ならば、豊穣な日本文芸の香りともども、一読しておくべき作品である、といってよい。▼ 日本は右傾化している、といわれている。 とくに、小林よしのり『ゴーマニズム宣言』などの影響もあって、若者世代の右傾化が激しいという。 中沢啓治『はだしのゲン』だけでは、持ちこたえられないのだろう。 しかし、何も危惧するにはおよばない。 右傾化を懸念する諸君は、小学校~高等学校のあらゆるクラスに、あらたに『神聖喜劇 漫画版』を並べるだけでよい。 「部落差別」から、「責任阻却の論理」まで、あらゆる日本社会の暗部はえぐられる。 そして、ただ真っ直ぐに生きることだけが、束の間の解放をもたらす「光」たりうることが語られるのだ。 これほど素晴らしい教材など、この世のどこに他にあるというのだろう。▼ このブログを読んでいる諸氏は、ぜひ購入してほしい。 そして、いつか必ず訪れる、絶対譲ることができない局面では、 勇気を振り絞って唱和しようではないか。 「○○二等兵も同じであります!」 ≪小説版≫ 全五巻評価: ★★★★★(∞)価格: 各1,100円 (税込)≪漫画版≫ 全六巻評価: ★★★★価格: 各1,470円 (税込) ただし3巻のみ1,365円 ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Apr 1, 2007
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▼ すばらしい。▼ 「つまらない本しか出さない講談社現代新書」、という私の偏見を吹き飛ばしてしまう快著である。 このブログを読んでいる人は、ぜひとも本屋で購入して欲しい。 ▼ マザー・テレサが人権のシンボルであることは、日本人にとって自然でも、欧米人にとって奇異であるのは何故なのか。 なぜイスラム女性は、フランスの学校で、「スカーフ」を着用してはならないのか。 そもそも、アメリカ・ドイツ・イギリスでは、宗教教育が盛んなのに、どうしてフランスではかくも厳しいのか? その淵源について、文学作品を使いながらたどってくれる、すばらしい19世紀フランス社会史になっているのだ。▼ 目次は以下のとおり。第1章 ヴィクトル・ユゴーを読みながら第2章 制度と信仰第3章 「共和政」を体現した男第4章 カトリック教会は共和国の敵か ▼ 第1章は、『レ・ミゼラブル』である。 ジャン・バルジャンの魂を買った、大司教ミリエル。 ジャン・バルジャンは、終油の秘蹟をこばみ、大司教ミリエルからもらった銀の燭台の光に照らされ、心安らかに臨終の床につく。 売春と奴隷と子供たちの悲惨をもたらす「無知」という名の暴君の絶滅をねがい、友愛と調和と黎明の共和国に賛成票を投じた、かつての国民公会議員医師Gは、ミリエルの薦めを拒絶して、無限の存在の自我こそを神(=理神論者)とする立場を捨てず、ジャンと同様、終油の秘蹟をこばんで死ぬ。 フランス革命の時代、カトリック教会は、憲法への忠誠と引き換えに、「国教会」的な形で護持され、国家の援助が与えられていたという。 カトリック教会は、プロテスタント・ユダヤ教徒・嬰児・自殺者の墓地への埋葬をこばむので、政府は衛生上共同墓地を造らざるをえない。 今や雑多な宗教でごった返すパリ最大のペール・ラシェーズ墓地だが、創立当初はライシテ(=政教分離)精神の発露どころか、忌避すべき埋葬場所だったという。 ジャン・バルジャンは、死をもって市民権を贖い、ラシェーズ墓地に埋葬される。 市民であることとは、カトリック信徒であることと対立するものであるらしい。▼ 第2章は、国家が宗教を管理しようとするナポレオン流のコンコルダートと、宗教を私的領域に囲いこむライシテ原則とは、対極にあることを強調する。 王政復古期は、カトリック教会や修道会が復興した。 「王殺し=無神論者=市民(シトワイヤン)」という概念が生まれる一方、修道会は、ボランティア活動を通して住民の福祉を支えた。 驚く無かれ。 われわれの出生証書、婚姻証書、死亡証書は、元はといえば、カトリック教会教区司祭管轄下の洗礼証書・婚姻証書・埋葬証書に由来するという。 19世紀、修道会は、職業をもたぬ女性に社会的活躍の場と生きがいを提供し、カトリック教会は女性化してゆく。 女性は、男性に比べて、強力な宗教の囲いこみを受けていた。 修道会は、フランスの中等教育において役割を高め、「家族に奉仕する性」である女性にボランティア活動を通してかけがえのないソシアビリテをあたえ、純潔を徳目とした女性教育をおこなった。 フロベールの小説に描かれる、濃厚な「宗教感情」と陶酔をさそう女子修道会寄宿学校の雰囲気は、ミッション・スクールのパロディである「マリ見て」の非ではない。 ▼ 第3章は、第3共和制である。 王党派が優勢を占めたにも関わらず、ブルボン派とオルレアン派に分裂していたため、1879年、上下両院で共和派に逆転されてしまう。 フランスのアイデンティティは、「カトリック教会の長女」なのか、「革命の理想を受け継ぐ現代フランス」なのか。 プロテスタントとユダヤ教徒、ならびに普遍的友愛の世界共和国をめざすフリー・メイソンは、後者に合流。 ジュール・フェリーは、宗教の代替物として「道徳と公民教育」、安息日の労働解禁をおこない、共和国の父、とよばれるようになる。 しかし、良家の子女は、えたいの知れぬ下流階級のかよう公立ではなく、私立のミッションスクールに通わせるのが普通だったという。 「自由・平等・友愛」の標語も、当初からあったのではない。 「責務・絆・調和・共同体」的な「友愛」の定着は、その語のもつキリスト教的イメージ(兄弟、友愛の人キリスト)もあって、「権利、状態、契約、個人」的な語彙である自由・平等より遅れたという。 「友愛」は、キリスト教信仰にかわるものとして、世俗的道徳のカナメとして、非キリスト的な「連帯」「尊厳」の概念が発見される中で、浮上してゆく。 第三共和制で女性に参政権がなかったのは、左派において女性は、「カトリック教会に取りこまれた存在」、右派においては「家族に奉仕する性」という、左右の共犯関係によるものらしい。大統領令(1944年、ドゴール)で与えられるまで、棚ざらしにされていたらしい。 ▼ かくて第4章は、ライシテの総仕上げとなる。 共和派の勝利は、フランス共和国国民の創設の必要性を生む。 かくて、構造的に要請されることになった反教権主義は、コングレガシオン(修道会)にフランス公教育から緩やかに撤退を強いることになる。 反教権主義は、決して輸出されることはなく、コングレガシオンは、かわりに「文明化の使命」をおびて、植民地教育に進出したらしい。 ドレフュス事件がおきた理由は、社会主義的な労働者陣営、カトリック主義陣営、ブルジョア自由主義に不満をもつ陣営…様々な利害のちがう集団を糾合しうる紐帯が、「反ユダヤ主義」しかなかったことが原因だという。 かくて、ドレフュス派陣営(侮蔑的意味をふくめ「知識人」とよばれた)は、反教権主義を軸に結束。 「人権リーグ」が結成されることになる。 カトリック教会との激しい闘争の末人権が獲得された、人権とカトリックとは相容れないものだ ――― などの欧米の常識は、ここに由来するらしい。 かくて共和国は、カトリック「教会」(信仰ではない!) と全面対立。 1901年、修道会を標的にしたアソシアシオン法の成立。 1905年、 政教分離法の成立。 これをもって、カトリック教会は、アソシアシオンの一つに転落した。 国家は一切、宗教を支援しない。 3万人もの修道士・修道女が、フランス国外へ出ていったという。 ▼ とにかく、フランスに対する、通俗的な認識の変更をよぎなくされる書物であることは、まちがいない。 第三共和制の大臣の6割がフリー・メイソン。 マッチョな植民地帝国である第3共和制。 そこでは、急進党・社会党・共産党の左派勢力とちがって、カトリック教会という支柱、名望家ネットワークを持つ右派勢力は、明確な政党を結成しなかったという。 政教分離法以後も、修道会系の学校は、自由学校に形をかえ、修道会メンバーが世俗の形でなら、教育に携わることが認められていたらしい。 また政教分離法当時、フランスの政策推進者たちにとって、宗教と国家の共存できる理想的状態とは、アメリカ合衆国だった ……… 現在、キリスト教原理主義に牛耳られるアメリカに対する、最大の皮肉としか言いようがない。 ▼ 「不可分の非宗教的な共和国」という国是をもつ、フランス。 そこでは、公教育の現場からは、軍や警察まで動員して、十字架が撤去された。 この史実こそ、イスラム女性のスカーフを公教育から追放する動きが、フランス人の間であまねく是認される、最大の原因であるという。 アメリカのフィルターを通しがちな日本では、フランス理解も偏見にまみれがちである。 この状況に風穴をあける入門書、といってよいのではないだろうか。 「ライシテ」とは、単なる政教分離、非宗教性ではない。 「ライシテ」とは、フランス市民社会の基本原則に加え、制度的「決断」を含意するものなのだ、という。 また、筆者は2分法に陥ることもない。 カトリック教会は、アソシアシオンの一つとして、フランス社会において女性を組織化し続け、隠然たる勢力を持ち続けた。 パンテオンでおこなわれたヴィクトル・ユゴーの国葬こそ、靖国神社の方向性とは正反対の、パンテオンの脱宗教化の完成であるという議論は、国立追悼施設に無宗教はありえない、という議論に一石を投じるのではないだろうか。 とにもかくにも、興味深い話でいっぱいなのだ。 ▼ ただ唯一の弱点は、フランス以外の欧米諸国における政教分離がはなはだ曖昧になっている点であろうか。 プロテスタント系諸国に比べると、アソシアシオンに関する法律や女性参政権などにみられるように、フランスは決して先進国ではない。 むしろ、後進国といってよい。 これは、「人権」が教会と戦うことによって得られたという結論をフランスから汲み出す筆者の意図にとっては致命的なのではないだろうか。 フランスにおける政教分離を研究する意味は、フランスが人権獲得の先進国であったことと不可分である。 もし、後進国であるとするなら、どれくらい普遍的なものといえるのか、疑念を抱かざるをえない。▼ とはいえ、これは過剰な批判なのかもしれない。 最近読んだ新書では、ピカイチの面白さだったからだ。 講談社現代新書は100冊以上読んでいるはずだが、こんな面白い本は、本書がはじめてである。 皆さんにはぜひ、お勧めしておきたい。評価: ★★★★☆価格: ¥ 756 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Mar 21, 2007
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▼ いざ来たれ、男の花園へ。 中国男性たちが繰り広げた、てんやわんやの女装史へのいざない。 この書が面白くないはずがない。 この場をかりて、ぜひ、皆さんにもお勧めしておきたい。▼ 筆者によれば、春秋時代の昔から、女性の男装、男性の女装は、たんなる「異性装」などではなかった、という。 服装には、社会が混乱する、良からぬ前触れ・前兆があらわれる。 衣服の乱れは社会の乱れ。 これを中国では、「服妖」と称してきた。 服妖は、衣服・靴・冠のみならず、はては立ち居振る舞い、生活習慣、音楽習慣にまでおよぶ。 「服妖」は、史料が男性の視点から書かれたものしか残らないこともあって、主に「女性の服装」に関しての常套句であった。 ただ、性転換・両性具有者「半陰陽」「二形人」も、「服妖」と呼ばれていたらしい。 男性から女性に性転換することは、「犯罪」扱いを受け社会から排除されたが、女性から男性にかわることは、メデタシ、メデタシ、という。 日本の男女差別は、大陸起源というが、さもありなん。▼ 「女性の男装」は、寡婦や「木蘭従軍譚」などが見られ、男装の麗人、すなわち「男まさり」の女性の系譜は、「江湖」の世界を筆頭に、ちまたにあふれていたらしい。 オスカル様は、ゴロゴロしていたのだ。 女性は、婚約相手を探す、仇討する、商売する、など様々な理由で男装していた。 しかし、飼われている女性たちが、飼っている男性に歯向かうことは、ゆるされていない。 女装の「男装」は、最終的に解かれるものであり、貞女・良妻となってハッピーエンド、がほとんどであったという。 ▼ 中華世界、最初の「女性の男装」は、夏の桀王の后、妹喜(ばっき)。 そして、最初の「男性の女装」は、魏の何晏とされる。 魏晋南北朝には、化粧をする美少年が溢れていたらしい。 当然、趣味では終わらない。 男性の様に警戒されないことを良いことに、趣味を逸脱して犯罪――― 女性の部屋に忍びこむ、他人の家に押し入り強盗する ――― に走る「女装犯罪者」たちも、現れてくるようになる。 女性の男装は、規定はないものの、男性の女装は法に抵触していたという。▼ 中国の近世にあたる明清時代は、「男装(女性)」と「女装(男性)」の流行の頂点にあたるらしい。 近世中国は、女性美至上主義の時代であって、戯曲などは物語をすすめるため、さかんに2つのモチーフを借用した。 「男子授乳譚」 ――― 主人の幼子を守ろうと頑張る、使用人の忠義に天が感服し、能力を付与する云々 ――― は、インド説話に由来するという。 華やかな同性愛文化。 道士・仏僧の文化に支えられている男性同性愛も、明清時代に頂点に達し、京劇の「女形」役者 ――― しばしば本物の性同一性障害者もいたようだ ――― は、舞台を下りても女装を解かなかったものもいたという。 意外や、女性の同性愛文学は、『続金瓶梅』くらいしかないらしい。 ▼ 近代にもなると、異装文化は、『点石斎画報』などの画像資料が豊かなため、いっそう興味深い話で満載である。 男の遊び場をみてみたいため。 または、自分の趣味として男装を始める女性たち。 妓女は、そんな彼女たちのファッション・リーダーであったらしい。 清末以降、女学校の登場によって、「女学生」文化が到来。 妓女は、清楚な感じを出すべく、女学生を真似る、女学生は「妓女」にあこがれる …… 「妓女」と「女学生」、対極にあるもの同士がお互いに模倣し、「妓女ならぬ女学生」「ニセ学生」が出現したというから面白いではないか。 また、しばしば京劇に使われる擬似纏足の道具「きょう」を使い、美少年・美青年は、あえて妓女になるものもいたという。 むろん、男性の女装は、数え切れない。 犯罪のため、女性にちょっかいをかけたいため、女学校に忍び込む男性(逆グリーンウッド、ってチェリーウッドか【笑】) … 数えられないくらいである。▼ むろん現代文化にも、近世~近代の異装文化は大きな影を落としているらしい。 香港映画における、男優の無理矢理の女装シーンに、女性の男装シーン。 これらは、京劇における「反串」 ――― 役柄の取り替え ――― の趣向を映画に取り入れたものらしい。 女装する男性にとって、演劇文化における女形「旦」の存在は、干天の慈雨であった。 中華民国期、女装は男性文人の嗜みであったという。 周恩来は、南開学校(現・大学)在学中、劇団では「旦」ばかりやらされていた。 カラー写真が残されていないことが、残念でならない。 沿海部男性の支払う結納金目当てに、女装での結婚詐欺。 近年、大陸における、女装・男女転倒などのアヴァンギャルド・アートの流行は、明朝滅亡時、男性が女性的世界へと逃避したことと同じではないか ……… どうだろう。かなか楽しめる本であることが理解できるのではないだろうか▼ 当方が知らないことばかりで、たいへん勉強になった。 「胡服」の影響が強い唐代は、「セクシー系」の服装が好まれただけでなく、「女性の男装」華やかりし時代だったらしい。 元の風俗を一掃しようと、明代では、唐風にかえる(何故?)ことを定めたものの、明末の女性の服装はハデハデで、「水田衣」と呼ばれる、パッチワーク式の衣服 ――― まるで、ストリートファッション ――― が流行ったという。 現代日本は、「戦闘美少女」の本場であるといわれるが、古代~近世には、中華世界とは違い、ほとんど「戦う女性」がいない、という指摘には唸らされる。 どうやら、日本の戦闘美少女とは、純現代的現象らしい。 「戦わない」からこそ、戦闘美少女なんであろう。 同性愛を示す語彙は、(どうやって数えたかは知らないが)中国には42もあるという。 また正式には、四大美女(+王昭君)、四大ボイラー(+九江)というらしい。 ▼ ただ、若干苦言を述べさせてもらうと、誤字・脱字・誤訳の類が、ちょくちょく見られ、気になって仕方がない。 そもそも、「服妖」を表題の通りに「衣服の妖怪」と訳してしまっては、あきらかに不適切だろう。 むろん、本文の説明の方では、きちんと補われているが、表題で「不吉な凶事の前兆」を削ぎ落としてしまっては……。 これでは、「信・達・雅」いずれの水準にも到達しているとはいえまい。 さらに、実綿から綿実を抜く作業場のことを「綿花工場」と訳すのは、まだ許せないこともないが、清代文献に使われた「郡」を日本語訳する際に「郡」と訳した中国学者は、生まれて初めてみました。 清代に「郡」などという行政区画があるかよ。 なんで、こんな初歩的なミスが、直されていないの ? さらにいえば、第3の性、「宦官」の存在を抜きにして、ことさらに中国で「女性の男装」「男性の女装」が盛んだったことを強調されてもなー。 かえって、内在的理解を欠いた、「中国人、女装大好きアルネ」的なオリエンタリズムを増殖させることに荷担するだけではないの?。 なんとなく釈然としないまま、読了してしまった。▼ とはいえ、実に面白い。 誰にでもお勧めできる一作である。 評価: ★★★☆価格: ¥ 1,785 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Mar 13, 2007
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▼ 吾妻ひでお三部作、ついに完結。▼ もともと、吾妻ひでおはギャグ漫画家ではないのではないか、彼の作品の面白さは、もっと別の所にあったのではないか。 そんなこと書いただけに、開くのは怖かった。 ギャグ漫画だったら、どうしましょうか。 ▼ ところが。 いきなり、冒頭の漫画では、「皆さんこの本を買わなくていいです、漫画だけ立ち読みしてください」とのたまう。 ▼ 「ナンセンス漫画」をやめた吾妻ひでおが、浮き世のしがらみで断り切れなかった、『失踪日記』の「便乗本」らしい。 いったい、どういう版権になってるのか。 知りたくて仕方がない。 まーねー。 買うまでは、ビニール袋に包まれて、中身は確認できない訳だし、後の祭り。 帯に書いて欲しかった。 ▼ 『失踪日記』の落ち穂ひろい。 書けなかったこと。 書かなかったこと。 『失踪日記』を買われた方は、買っても絶対損はしない。 表紙裏、巻頭カラーでは、『失踪日記』の現場の写真が入れられていて、臨場感あふれてよい。 東伏見の竹藪なんかは、今頃武蔵野にこんな森が残っているのか、と驚愕させられるほど鬱蒼と生い茂っている。 武蔵野は広い。 失踪したら、なかなか見つからないわけである。 ▼ 落ち穂ひろい # 酒が切れると自殺する気がなくなる # シケモクは、家庭ゴミの中から # 酒の前は麻雀 # 『失踪され日記』の企画が奥さんに # なぎら健壱はウソつき # 2度目は、東伏見から石神井公園まで毎日かよう # 日本酒はすぐに酔いが回る(そうか?) # アルコールで肝硬変寸前までなると、歩いてもフラフラらしい # 失踪もアル中も、「鬱病」であったことと関係が # 詐欺師のA川さんは、「失見当識」で空間認知できない人らしい # 漫画家協会は、失踪すると退会処分になるらしい # アトムのブロンズ像。 # 伊藤理佐っちが気になる吾妻先生 # イソジンもユンケルも、アル中治療を受けている人は飲んだらダメ # 断酒会の創始者は、高知県社会党書記長、松村春繁さん # 肝臓やられてるんで長生きできないアル中 # お嬢さんがアシスタント # 西洋タンポポは食べられる # 石ノ森先生に憧れ # 「ガロ」派ではなく「COM」派 # 「カムイ伝」には批判的 # まったく残らなかった「劇画派」 # 下手でもいいからデビューせよ # 秋田書店は作家を使い捨て # アニメ顔、劇画顔のエロは嫌い # 鴨川つばめの面白さが分からない # 編集によって、ネーム素通し、勝手に改稿など違うらしい # ロリコンは、先進国でしかありえない? # ロリコン同人誌『シベール』は、50部 # 『失踪日記』『うつうつひでお日記』以外、売れていないらしい # ホームドラマに転向画策中 # 後悔していることは、「ファンの女の子に手を付けなかったこと」 # 鴨川つばめが他誌で復活した際、 秋田書店の編集曰く、「あのとき潰しておけば良かった」 # 「日本漫画家協会大賞」「文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞」 「手塚治虫文化賞マンガ大賞」の3賞制覇者は、 吾妻ひでお、ただ1人 ▼ こんな落穂拾いで、なにか面白そうだと感じられたら、ぜひ購入すべきだと思うな。▼ ただ、面白いことは確か何だけど、やっぱり『失踪日記』と比べると、なんか今一だね。 誰がしたのかは知らない。 でも、今回のインタビュアーと、『失踪日記』のとり・みき御大との力量の格差は、いかんともしがたい。 吾妻や彼が生きた時代を理解している人であることは、分かるんだけど、無難なだけ。 つっこみもボケも中途半端だった。▼ ところで、「セミの抜け殻」を食べたことがある、ゴールデン小雪のメイド服姿を撮った妄想劇場(カラー)は、かなり萌えた。 ゴールデンダンスって何?評価 ★★★☆価格: ¥ 1,260 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Mar 8, 2007
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▼ 驚いた。 創刊以来、お手軽路線で、重厚さのカケラもない、朝日新書。 「愛国の作法」を始めとして、昔の名前で食ってます、というラインナップ。 ちくま新書や、岩波、中公クラスを期待した人間は、肩透かしを食らわせられた感じだった。 それが現代中国入門を刊行していたなんて。 しかも、これがなかなか要を得ていてすばらしい。 ▼ 簡単にまとめておきましょう。▼ 第2章「文明中国と血統中国」では、中国のナショナリズムが、「クレオールだけがネイティヴを発見する(アンダーソン)」の言葉通り、かつて存在したとされる「想像の共同体(=エトニ)」を内面化させた、海洋中国世界のディアスポラ・ナショナリズムに由来したものであることや、先鋭化したエスニシティを輸入することで形成されたことが説かれる。 国民国家は、ひとつの「Naition=民族/国民」が主権者として統治するという仮構の上になりたつが、「歴史・言語・文化・主権の共有」というフィクションが必要(=想像の共同体)である。 マスメディア・公教育といった出版資本主義が、汎用性があり均質化された国民を作り出す。 中華帝国の時代、成員は3つの階層に分かれていたといってよい。 A 普遍的文明、B 在地リーダー(士の予備軍)、C 民衆の共同体。 在地のリーダーが、「黄金時代→堕落→復興」のV字回復の物語をつむぎだす際、2つの方法が採られることになった。 A 普遍的文明に依拠する「文明中国派(貴族的・水平的エトニ)」と、C 民衆の共同体に依拠する「血統中国派(垂直的平民的エトニ)」。 前者は康有為、後者は孫文という。 孫文は、後期三民主義になると、普遍的文明の形成者を「士」から「漢民族」に置き換えることで、「文明中国」を「血統中国」のものとして簒奪してしまう。▼ 第3章「階級中国の崩壊と『士』『民』『夷』の分裂」では、中華人民共和国建国以降の動向が触れられる。 毛沢東時代、「士」は「民」の文化への同化がもとめられ、思想改造が目指された。 孫文の国民同様、階級も「先天的」に決められていたように、中国の政治運動は、「血縁幻想」から自由になれない。 改革開放後、自由主義者、新儒家、旧左派、新左派など様々な流れが生まれてくる。 「洋の士」 ――― 人権に口やかましい自由主義者たち ――― とは違い、「文明中国」的発想をおこなう「土の士」は、イデオロギーの退潮を補う上でも、たいへん好ましい。 「文明中国」的「文化ナショナリズム」は、かくて導入され、伝統の再評価がおこなわれ、公定ナショナリズム=「愛国主義教育」になる。 しかし、経済成長の片隅で、取り残された「民工」を始めとする「半国民」は、「たった一つの哀れな卓越性に激しい憎悪の念をもって固執」せざるをえない。 ここにもう1つの「血統中国」的な大衆ナショナリズムの復興がみられ、「士」「民」「夷」が、それぞれに分裂していく。 3者を包括する戦略としての「文明中国」的公定ナショナリズム、すなわち「愛国主義」教育は、「宗族」に代表される漢族の血縁幻想に絡めとられ包括しきれない。 「血縁中国」的ナショナリズムの過激化。 自大意識と均富願望をもつ「憤青」たちは、官製メディアに飽き足らないでサイバー空間につどい、「文革世代」の親譲りの闘争方法で、漢奸たちを攻撃するという。 その様子は、滑稽といわざるをえない。▼ 第4章「失われた10年と、日中民際関係」では、2つのリアリズムのハザマに両国政府をおき綱渡りを強いている、両国民の成熟度の低さが批判の俎上にのせられる。 日中両国は、21世紀的リアリズムである「格差社会」の痛みを、19世紀的リアリズムである「ナショナリズム」という麻酔で沈静化しようとしているからである。 日中の「謝罪」をめぐるすれ違いは、始末書文化(日本)と検討書文化(中国)の差異にあり、どのように再発を防止する気なのか、日本側は何一つ明言していないことにある、という。 国際法に変化が生じ、国家対個人の補償という考えが出てきたことで、日本と華人社会の対立は、激しさを増すことになった。 そもそも2005年「反日デモ」は、華人社会の「日本安保理常任理事国入り反対運動」に発していたのであって、中国に輸入されたものに過ぎないことが、日本では忘れられている。 中国人がデモや集会をおこなう権利まで否定する日本のメディアの偏向報道は、官製メディア中国の偏向報道と大差があるとは思えない。 その結果、商品価値の高そうなニュースのみたれ流され、党・政府の国内の分裂に苦しむ姿が見えなくなってしまった。 現在の日中関係が持っているのは、「結果の民主」がもとめられる中国政府が、譲歩だと悟らせないため「非民主的」施策が採っているからである。 ▼ 日中の不毛な対立から救い出すには何が必要なのか。 中国は、少しずつ進みつつある、「結果の民主」から「過程の民主(欧米流議会制民主主義)」への軟着陸。 日本は、隣人という名の「他者」と向き合うことで、自らを支配している「文脈」を相対化する思考、という。 ▼ 分かりやすいけど、その背後には、豊かで深い中国理解がある。 こんな芸当は、なかなかできるものではない。 「チベット民族」概念は、方言分化が激しい言語的多様性を無視したもので、これに寄りかかっているチベット独立運動はかなり危険なしろものであることに言及しているのは、わたしの不勉強もあるが、この書しか知らなかった。 言われてみれば当然のことであるが、たいへんな衝撃であった。 また、雑学も面白い。 チベットの世界観は、「黒域(中国)」「白域(インド)」に挟まれた、天上に最も近い仏教の国プー、というものらしい。 「士」は、儒家の後天主義にもとづく。 「学歴無き団塊世代」のジュニアを中心とした、「憤青」たち …… 軽いタッチで書かれていながら、的確に問題の所在を押さえられていて、入門書には最適といってよいのではないだろうか。 ▼ とくに、現代中国の3つのパラドクス、「中央集権だから、地方が造反する」「一党独裁だから、厳しく結果が問われる(プロセスの民主ではない故に結果の民主が不可避)」「メディアが規制されているので、世論が地下化して暴走する」は、中国を理解する上で、絶対欠くことができないものであろう。 加えて、中国人と日本人の先の戦争に対する意識の違いは、「戦争体験の差異」、それも「地上戦であったか否か」にある。 そのように述べて、現在も長州人を嫌う会津市民(140年前の話!!)や、沖縄県民などを例にとりあげながら、中国人の持つ「わだかまり」を丁寧にほぐして「同じ人間であること」をアピールしてやめない姿勢には、たいへん胸を打たれるものがあった。 必見の書といってよい。▼ お互い知らないからこそ、罵りあう日中のナショナリズム。 われわれは、日本人、中国人などの、民族・血族の「究極的指示記号」たる「大審問官」に身を委ねてはならない。 その選択には、責任を取らなければならない。 他者を理解することの難しさ。 他者の的確な理解と「友好」とを結びつける難しさ。 そのような中で、客観的かつ丁寧に現代中国社会を腑分けした作業は、読まれるべき書物であろう。 一読をお願いしたい。 評価 ★★★★価格: ¥ 777 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Mar 3, 2007
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▼ 25日の日曜日、NHK総合は、ラグビー日本選手権を放映していた。 ポテトチップスを食べながら、白熱したスポーツ中継を眺めるのは、わたしにとって至福のひとときである。 しかし、その日はちがった。 スポーツ紙・一般紙では、トヨタ・東芝両チームの監督が、この試合で退任することを伝えていた。 なによりも、トヨタの総監督、朽木英次の老けた顔に、時の流れの残酷さと、なんとも言えない感情がわきあがるのを感じた。 ▼ 朽木英次の現役時代。 それはもう、日本ラグビー史に残る名選手でした。 歴代ベスト15を選ぶなら、かならずCTBで選出されるくらいの大選手ですよ。 ▼ ラグビーの様に、肉体の「素の力」のウェートが圧倒的な競技では、白人・黒人などには、勝てっこありません。 そんでも、戦術と技術でなんとかギャップを埋めて、欧米列強諸国と互角に戦う …… 細かいことは省くけど、早稲田出身の大西鐵之祐は、日本オリジナルのラグビーを創造した。 1968年、オールブラックス(ニュージーランド)Jrを屠り、1971年、イングランド相手に「3-6」まで追い詰める。 ▼ 徹底したフィットネスで、集散の早さによるディフェンス。 消耗戦を回避するため密集から遠い所で勝負。 必殺のサインプレーで、トライをうばう。 そんな日本オリジナルの戦術を遂行する鍵は、バックス、とくにCTBのパス能力にあった。 現役時代、朽木英次は、ハードタックルによるディフェンスの素晴らしさだけでなく、芸術的なパスをとばす選手だった。 そんな日本オリジナルな戦略を遂行するキーマンだった。 1989年、日本が欧米列強に唯一勝ったスコットランド戦を始めとして、数々の栄光に彩られた選手だった。▼ でも、僕にはもう、彼のプレーを思い出すことができない。 今も思い出せる朽木英次のプレーは、1996年1月、「トヨタ-三洋」の社会人選手権準決勝で、必殺のパスをとばそうとしたとき、トンガの怪物、セミイ・タウペアフェのタックルで吹っ飛ばされ、こぼれたボールを拾われて独走トライを奪われたシーンのみ。 よりによって、肉体的格差を埋めるため鍛錬を積み重ねた技術が、圧倒的な肉体を前にして、木っ端微塵に粉砕されたシーンしか覚えていないのだ。 ▼ そういえば、この頃までは、バブルがはじけても「残業が減って良かった」などの、のほほ~んとした空気が支配的だった。 グローバル・スタンダードにジャパン・オリジナルが木っ端微塵に粉砕された、あの1シーンは、前年(1995年)のラグビーW杯における「17-145」のカタストロフィ的大敗北もあいまって、「失われた10年」をビジュアル的に表現してくれていた。 ある幸福な時代の終焉を確かに告げていた。 だから、僕は忘れられなかったのだ。 以後、坂道を転がっていくかのような日本社会の荒廃と凋落ぶりは、あえて語る必要もあるまい。 私にとって、朽木英次の敗北と引退とは、日本がグローバルスタンダードの前に敗れ去ることと同義だったような気がする。 ▼ 閑話休題。▼ パスを出せるCTBは、朽木英次を最後にして、日本ラグビーから絶滅した。 あの難波英樹(相模台―帝京)がトヨタにくる! それを聞いたとき、朽木英次が手ほどきをして後継者になってくれれば、と心から期待した。 しかし、結局、芸術的なパスを出せるセンターにはなれなかった。 もはや、日本オリジナルなど、どうやっても遂行できやしない。 いつのまにか、私はラグビーを見るのをやめていた。 本当に久しぶりにみた、ラグビーの試合だった。 ▼ 敵役、東芝の薫田真広監督もまた、日本ラグビー史に残る名フッカーだった。みなさん、本当にご苦労様でした。▼ 前ふりが長くて申し訳ない。 そんで本書。 もう15年近く、毎年1冊、日本ラグビー狂会(Japan Rugby Fool-boy Union)の名義で、日本ラグビーについての本が刊行され続けている。 たいへん、ありがたいことだ。 この本も、久しぶりに買ったが、あいかわらず、火をふくほど熱い、ジャーナリストの憂国というか、憂「ラグビー」の熱情が伝わってくる。▼ あいもかわらず迷走する日本ラグビー界。 エリサルド日本代表監督は、フランス・クラブ・チームの監督を兼任するというなめた態度をとっているのに、何もできないラグビー協会。 希望の星だった宿沢広朗の死。 そこに世界的なラグビーの巨人、ジョン・カーワンが、日本代表監督を引き受けてくれたことで、やっとこさ、まともなラグビーになってきたようだ。▼ 中尾亘孝は、2015年W杯招致を唱え、梅本洋一は2007年ラグビーW杯のホスト国、フランスの現状を報告。 時見宗和は、早稲田黄金時代を築いた清宮監督の後釜、中竹監督が主将だったときのインタビューを掲載。 生島淳は、鹿島アントラーズの社長、大東和美にインタビュー。 わたしは、同姓同名の別人かと思ってた。 まさか70年、早稲田日本選手権優勝時の主将本人だったとわ ……。 「ラグビー畑でつかまえて」は、人気がないスポーツであるはずなのに、マスコミや政界などに強力なコネがあるため、やたら発言権があるラグビー界の人脈図として見れば、かなり面白い。 ▼ とはいえ、今年のW杯で2勝をあげるのは、いかにカーワン監督とはいえども、本当に難しい。 期待度は、マイナスからの出発。 ジーコ・サッカー代表監督とはちがい、監督としての実績はあるものの、なにぶん、選手に足りないものが多すぎる。 カーワンは、オシム代表監督のように、「日本代表を日本化する」ことを唱える。 しかし、朽木英次の後継者は、もはや地上にはいない。 走れてパワーがあるロックもいない。 ゲームをコントロールできて、ディフェンスができるスタンドオフもいない。 てか、キッカーは、だれよ。 FB有賀か?? 個人的には、日本代表のFBのディフェンスの弱さこそ、日本が勝てない原因の一つに思えます。 キックを蹴られるたびに、わたしゃ、恐怖なんですが … 戻りも遅いし、走れないし。 ましなFBはおらんのか。 ▼ そういえば、最近、中尾亘孝氏の本が4年近く出ていないけど、なぜだろう? やっぱり売れないんでしょうか。 かれの本は、毎年買っていたんだけどなー。 ブログがあるそうなので、いってみよ。▼ また、ラグビーW杯の季節がやってくる。 さまざまな思いが去来する。 ラグビーはやる分にはともかく、見るには本当に面白いスポーツです。 一度、このような本をお取りになって、ラグビーの試合にテレビのチャンネルを回してみてはいかがでしょうか?評価 ★★★☆価格: ¥ 1,785 (税込) ←このブログを応援してくれる方は、クリックして頂ければ幸いです 今のブログ順位
Feb 27, 2007
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▼ こんなひどい教養番組になるとは、思わなかったわ。 ▼ むろん、『その時歴史が動いた 鉄は国家なり ~技術立国 日本のあけぼの~』のことよ。 本編見ながら、笑い転げた挙げ句、表情が凍り付いてしまったわ。 まさか、まさか。 まさか、こんな結末で、「歴史が動いた」ことにされてしまうなんて… まったく予想だにしなかった。 さすが、NHK。 一昨日の予想をさらに上をいく、すさまじい番組。 よくも、これ、放映できたものね。 恥を知らないとはこのことだわ。▼ 日露戦争のとき、野呂景義が八幡製鉄所を再開させたお話は、まだ良かったわ。 高炉内の仕組は、とても分かりやすかった。 野呂が、きちんと高炉の設計上の問題と、コークスの弱さを指摘したことが描かれていたし。 本当は、1880年代の工部省釜石製鉄所における、在来たたら製鉄と近代製鉄の技術選択に苦悩したことこそ、伝えて欲しかった。 また、官営八幡製鉄所の「溶鉱炉」を再開させたところで、質の低い銑鉄しか出てこなかったことも抜けおちているんだけど、まあ良しとしましょ。▼ 問題はそれ以降なのよ!!! 全体として、「技術立国日本のあけぼの」でもないことは、一昨日のをみれば分かってくれたと思う。 もう忘れかけているけど、あまりにひどかったので、5点ばかり指摘させていただくわ。 ▼ 問題の所在を勘違いしている、佐木隆三の発言 だいたい、鉄の技術者・野呂景義は、現場の技術を取り入れて、なんて事実はどこにもないわ。 近代技術と科学的思考にもとづいて、前近代的職人的熟練を排除して、標準化された大量生産技術を確立していく過程こそが、工業化であり、そのシンボルが「官営八幡製鉄所」でしょうが!!!! 高炉設計やコークスの改善のどこに現場が入り込む余地があるのよ。 失敗しかしていないのよ?。 いったい、この人、どうして連れてきたのかしら? これでは、日本の工業化過程が、完全に誤解されてしまうわ。 教養番組にまったくならないじゃない!▼ 無意味な八幡製鉄所の研究員たちのインタビュー 元八幡製鉄所の研究員で、鉄道レールの国産化に邁進した人物と面識のある、90歳代の生き残りのお爺ちゃんにインタビューしていたわね。 番組では、オリジナル性が研究で求められたことを言わせてる。 結局、何がオリジナルなものだったのか、技術に関する説明がとうとうなかったことをあわせると、「おじいちゃんの技術開発部署における雰囲気の証言→日本オリジナル技術」と誤解させたいのかしら。 本当に悲惨な番組よね。 人をなめないで欲しいわ!!!ぷんぷん!▼ 番組のウソ 野呂景義は、鉄道レールの破損の原因を とっくに知悉していた?!! この番組は、1923年、野呂景義が関東大震災で死んだので、1922年前後、鉄道レールが破損する事件相次いだ原因の解明は、弟子に委ねられた、とされているわ。 そして、弟子はレールが壊れた地域を回って、詳細に分析。 イギリス製のレール鋼材が壊れていないこと、寒冷地でレールが壊れていることを発見。 イギリス製のレールを切断したら、日本製レールとちがい、粒子が均一だった。 そこで、粒子を均一化される技術をみがき …… という筋書きになっていたわ。 真実なら、お涙頂戴ものかもしれない。 しかしね。 1919年、官営八幡製鉄所が「低珪素銑・塩基性平炉鋼」生産を始めるまで、官営八幡製鉄所の鉄道レール生産は、「低燐銑・酸性転炉鋼」を素材にしていたのよ。 しかも、大量に燐をふくむ、中国の大冶鉄山から入手した鉄鉱石を使い、おまけに燐除去技術がまったく不十分なままでね。 ところが、燐が0.1%以上含まれると、酸性鋼は脆くなってしまうわ。 寒い地域では、「冷間脆性」によって、レール折損することが広く知られていたのね。 ところが、当時の鉄道省のレール規格では、燐含有量は0.12%までOK。 八幡製鉄も、基準ギリギリのレール鋼材しか、作れなかった。 野呂景義は、しばしば燐分が0.15%にもなる鉄道レールが、とんでもない代物で、早急に生産の改善が行われなければならないことを語っているのよ。 1919年、八幡製鉄所では、「低珪素銑・塩基性平炉鋼」生産が始まった。 そして、1927年、酸性転炉鋼(ベッセマー転炉)生産が打ち切られた。 これは、とうとう、八幡の技術者が燐除去技術を開発できなかったのね。 なにがオリジナルよ。 1922年~23年頃、頻発したという、破損事故。 1918年まで続けられていた、多燐の酸性鋼鉄道レール生産。 始まって3~4年の塩基性平炉鋼レール生産。 塩基性平炉鋼レールによる破損事故と、酸性転炉鋼レールによる破損事故。 いったい、どちらが多いのか、考えてみたら誰だってわかるはずじゃない。 前者の事故原因なんて、とっくに知られていたわよ!!!▼ 結局、何がオリジナル技術なのか、さっぱり分からない番組構成 だから、野呂景義や弟子たちが知らなかった鉄道レールの破損原因とは、後者の「塩基性平炉鋼レール」についてなのよ。 実際、番組では、日本産のレールとイギリス産のレールの、切断面を比べていたでしょ。 日本は、粒子が集まっていたのに対して、イギリスは粒子が均一だったよね? 手の込んだ成分調整をする必要がない酸性鋼に対して、塩基性平炉鋼は、手の込んだ成分調整や化学反応をさせなければならない製鋼方法なの。 塩基性平炉鋼は、軟鋼で圧延に向くんだけど、これでは鉄道レールにまったく向かない。 だから、おそらく、炭素を浸透させて、硬度を高めることを行ったはず。 だけど、浸炭技術がいまいちで、圧延工程も未成熟。 そのため、粒子が均一になる鉄道用レールを作ることができず、破損事故が相次いだのね!! ところが、そのとき「歴史が動いた」って言いながら、どんなことをやって乗りこえたのか、まるで語らないのよ!!!! いったい、何なの?これ。 どうみても、番組として成立していないじゃない! 何がオリジナルなのよー!!!!!! キー!!!▼ 1929年の鉄道省の新レール規格の施行が、「そのとき」??? そんで、いきなり、番組最後で持ち出されるのが「鉄道省の新レール規格」。 「そのとき」は、1930年1月とされているが、どのようなことが起きての「そのとき」なのか。 最後までとうとう説明されない!!!!! …… いったい何よ、これ。 この日付は、レール規格の施行日な訳? 呆れ果てて言葉を失ったわ。 番組によれば、世界最高品質のレールを日本が作れて、国産化達成できてメデタシメデタシらしいわ。 たしかにこの頃の重軌条(レール)生産は、八幡製鉄がほぼ独占していたけど、特殊軌道のレールは、海外から輸入していたわ。 ナレーションは、若干不正確ね。 おまけに日本には、「低珪素銑」を作る技術も後れていたし、「低珪素銑」は、インドを中心に、相変わらず、海外依存していたわ。 本当にいい鋼材を作るなら、良い原料銑はかかせない。 鉄道レール国産化を言いたいなら、良質な鉄道レールを作るのに、官営八幡製鉄所がインド銑鉄に依存していなかったことを証明しないといけないんじゃないかしら? むろん、番組はなにも語ってくれない。 ▼ フィナーレ 「技術後進国日本」をわざわざ宣伝する爆笑モノの映像ナレーション この番組、「そのとき」の解説のあと、ナレーションが続くわ。 戦争のあと生き残った八幡製鉄所は、戦車などの軍需兵器を溶かして、平和に役立て戦後復興を支えた……。 鉄製品を溶かしている映像が出て、私は笑いが引きつってしまった。 結局、スタッフは、何も製鉄のことを分からずに作っているらしい。 だって、このシーンは、日本最新鋭の「銑鋼一貫生産」を誇ったはずの八幡製鉄所が、実は銑鉄設備が不十分で、「銑鉄・屑鉄」を海外に依存していたことを赤裸々に言っているんですもの。 実際、八幡製鉄所は、膨大な銑鉄・屑鉄を蓄積するための区画が、敷地内に設けられていたわ。 戦車にしても、武器にしても、そこに集められ、平炉の中に入れられたんでしょうね。 敗戦直後、銑鉄生産量と鋼鉄生産量は、「1:2」を上回り、「1:4」の年さえあったわ。 たしかに、最新鋭を誇っていた八幡製鉄所が、熱経済の面で圧倒的に優位な、「銑鋼一貫生産」を完成できなかったのは、歴然たる事実かもね。 でもさ、こんなナレーションと映像を流して、どこが「技術立国 日本のあけぼの」なのよ? ウソをつくんなら、最後までつき通しなさいよ。 「技術後進国 日本のシンボル」として、八幡製鉄所の遅れていた部分をわざわざ宣伝して終了。 いったい何なのよ、これ。 八幡製鉄所、さらしもの? ノータリンというか、最後で破綻しているじゃない。 いったい、だれが監修したのさ。 責任者でてこーい。 もはや処置なし。 もうNHKには、絶対、受信料を払ってはいけないようね。NHKふざけんな!と思う人はクリックお願いします↓↓↓↓↓↓↓ ←このブログを応援してクリックしてくださいませ今のブログ順位
Feb 23, 2007
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