全19件 (19件中 1-19件目)
1
2006.6.14発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」vol.70 06/06/14 (水) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか? ニューヨークは、ここ数日はいい天気が続いています。 さて、前回、前々回のメルマガに書きました、ヨーロッパの貴族の教育観と、人生における優先順位の付け方について、まだ反響が続いています。「共感します」といった内容のメッセージが届いています。きっとメッセージを下さる方は、共感している方だけだと思うので、同じ内容を読んでも、賛成した人と反対した人と両方いらっしゃることでしょう。 今まで、周りの友人にも語ったことがない内容でしたので、びっくりした人が多かったようです。実は、知って気がついた当初、私もびっくりたまげたのですから。読んだ人の中で数人でも、この話や価値観を参考にして人生計画を組み立てなおすきっかけになってもらえれば幸いです。情報を自分に取り入れる取り入れないは本人が決めることですが、選択肢は多いほうがいいですし、誰にとっても、情報が無くて知らなかったということは避けたほうがいいと考えています。 なぜ、あの貴族の価値観の話を、勇気を出してメルマガに書いたかというと、成功を急いであせっている人へ、「あせらなくてもいいのですよ、逆のやり方で成功している貴族が大勢いるのですよ」と、励ましたかったからです。 結果を早く出すほうが良いことだと考えている人達が多いことと感じていますが、ゆっくり熟成してから結果を出していくという貴族のやり方は、正攻法なのです。 勉強できる時期というのは、人生でとても限られています。できるうちに勉強を積んでおいてください。仕事で成功し始めて忙しくなってきたら、勉強を存分には出来なくなってしまうものなのです。 人生では仕事がスローになる時期もでてくるでしょうけれど、そんな時期こそあせったり落ち込む必要は全くなくて、むしろそれを「時間を確保できたチャンス」だと捉えて、勉強に費やしたらいいのです。そしてスキルアップしてから、さらにクオリティーの高い仕事をして、世の中に還元していけばいいのですから。「急がば回れ」ということです。この言葉は、とても深い意味だとしみじみ思います。 やはり、自分が知っていることは、できれば他の人達にもシェアしたいと思います。自分だけが知って得をすればいいなどとは考えられません。役に立つ知識は、みんなとシェアしていくほうがいいです。人類は、自分が知らなかったことを知っている人々から学んで進化していくものだと考えているからです。そして、その知識を実際の生活に自分なりに生かして使った時に初めて、その情報は生きてきます。ぜひ、その輪が少しずつ周りの人へ広がっていけばいいなと思います。
2007年11月29日
コメント(0)
2006年6月6日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.69 06/06/07 (水) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか? ニューヨークはとっても変な天気で、急に暑くなったと思っていたのに、またもや寒くなってしまいました。連日寒くて、上着が必要です。6月とは思えないような気温です。 さて、前回のメルマガで、ヨーロッパの貴族の教育観を書きましたが、これを読んだ友人達からは、続々と反響がありました。今まで、この話を友人にも話したことはなかったので、びっくりしたようです。 ヨーロッパは階級社会なので、それぞれの階級ごとに、全く違う価値観が、先祖代々続いているのです。人生の優先順位の付け方が全く違うのです。 そのうえ、彼らは、違う階級の人同士で接点がまったく無いので、違いすぎるということにも気がつかないので、比べることも起こらず、衝突すらないのです。接点がないために、嫉妬とか衝突が全く起こらないです。口さえもきかないのですから。これは、いいことなのか、悪いことなのか、分かりませんね。 日本人は、階級社会ではないので、皆、分け隔てなく色んな人々同士が話したり、接触しています。様々な人が接触するから、他人と自分とを比べたりして、うらやましいと思ったり嫉妬したりする人がでてきて、衝突がおこるのではないかと感じました。衝突のせいで、人の幸せを喜べなかったり、人の足を引っ張ったりする人もでてきます。みんな平等で並んでいないと気がすまない社会なのでしょう。 過去に著作の中やメルマガなどに何度か書きましたが、「出る杭は打たれる」という言葉は日本独特なもので、スペイン語にはそんな言葉はありません。 しかし、接点も衝突も起こらないヨーロッパのような社会よりは、日本のように分け隔てなく接点があって衝突が起こる社会のほうが、お互いに色々な事が学べていいと思います。接点がないと、衝突も起こりませんが、他の人の考えを知って学ぶチャンスもないままです。 色々な考え方や生き方の人がいるので、接触して、知り合って、衝突が起こるけれど、中にはそれによって新しい考え方を学んで自分の人生に取り入れて改良していく人も出てくると思います。 現に、私は、スペインで貴族階級の人々の教育観や価値観を知りましたが、そうでない日本人の私と比べたりうらやましいと考えたことは全く無かったですし、「なるほどな、こんな価値観だから、彼らの中から大芸術家がでてくるのだな、私もその考え方を人生に取り入れよう」と、前向きに学びました。 彼らと接触しなかったら、学ぶことがなかった価値観です。接触できたことに感謝しています。そのお陰で、新しい考え方を学んで取り入れることができたのですから。 例えば、ある貴族の友人の祖父はスペイン大統領だったし、先祖代々、作家や画家や政治家を大勢輩出しています。その秘密は、先祖代々の教育観にあったのです。35歳くらいまではずっと働かずに学んで吸収し続けて、才能を伸ばすことにエネルギーを注ぐからなのです。 彼らが貴族の家に生まれて育ったその幸せを素直に喜べたし、素晴らしいことだと思いました。うらやましいと思ったことは全くないです。 そういう私の気持ちは、自然に態度にも現れるので、彼らも敏感に感じて、オープンに受け入れてくれたし、対等に友達付き合いができました。もし私が彼らをうらやましいと感じるような性格だったら、彼らはクローズドにして私とは付き合っていなかったと思います。 スペインで貴族だと、苗字で周りが分かってしまうので、貴族の友人は、「苗字を見ただけで、ずるいと思われたり嫉妬されたりすることも多いから、むやみに友人付き合いはできない」と言っていました。 彼らは、最初から、違う階級の人とは付き合わないようにしています。接点がないほうが、衝突が起こらないからなのです。 私は日本人なので、階級の違う人を避けるという感覚は全くないし、わけ隔てなく色んな人と話をするし、付き合うし、そのお陰で、新しい発見があって学ぶことが多いです。時には八つ当たりをされたり、衝突することも多いけれど、様々な人と接触があることはいいことだと思っています。私も学ぶけれど、彼らも学んだり生かしたりするチャンスがあるということだと考えています。 日本人は階級はありませんが、それでも人それぞれ色んな家庭に育ち、色んな価値観があり、働き始める年齢もまちまちで、中には10代から一日中働きはじめる人もいて、ヨーロッパほどではないけれど様々な価値観の人が共存しています。割とみんな、違った価値観や育ち方の人々が、わけ隔てなく距離感が近く、接点がある社会なのだと思います。だからこそ、色々な価値観の人と知り合って、自分に無い価値観を学んで取り入れたりするチャンスは、ヨーロッパの人々よりも多いと思います。 私は、スペインに渡ってから以降は、ヨーロッパの貴族の価値観を見習って、芸術家として自分の才能を伸ばすために、彼らの価値観を人生に取り入れて生きるようになりました。ですから、それ以降に知り合う日本人の中には、時々、私の価値観が全く理解できない人も大勢います。日本にはない価値観なので、無理もないと思います。カルチャーショックなのでしょう。「才能があるのに、なんでもっと使って働かないの?活躍できるしお金ももっともうかるだろうに。」と言われることもしばしばです。周りからはよく言われます。「商売っ気がなさすぎで、下手くそなんじゃないの?」なんて、心配してくれる人達も大勢います。 こうして日々是、価値観の違いの壁にぶちあたりますが、きっと貴族なんて見たことも会ったこともない人々に、どうやって貴族の価値観を説明したらいいのか悩むことが多いです。 才能って、生まれ付き最初からあったものではなくて、長年かけて育てていくもので、育ててきたからこそ才能があるのです。「私才能ないから・・・」と言う人がとても多いですが、才能がないのではなくて、才能を育ててきていなかったから無いだけの話しなのです。 私の場合は貴族を見習って、長い間できるだけ働かないように工夫して、教育を受けて才能を育て続けて、育てきった頃に初めて、ぼちぼちそれを使って作品を発表して社会に還元していこうと考えています。年上の人には偉そうなことは言えないので黙っていて、20代前半よりも若い後輩には、この考え方を教えています。「だから、あわてる必要ないのよ」と言うと、彼らは驚いて、カルチャーショックを受けています。「知り合って教えてもらってよかった」と彼らには喜ばれています。 また、私は経済学部出身なので、学生の時に、「生涯賃金」について学んだことがあって、その内容と貴族の価値観が頭の中で結びついて、自分の人生に取り入れたのもその原因です。生涯賃金はその人が一生の間に稼ぐ賃金のことで、人それぞれ大きな違いがあって、同じ日本人のサラリーマンでも学歴によって2億円とか3億円の違いがでてきます。こんなことを大学でくわしく習った時には、「ひええええええーーーーー」と、びっくりたまげたものでした。先生も、よくこんなことを大学で教えるなあと驚きました。「みなさん、なぜ、大卒初任給の金額がこのくらいか分かりますか? どうしてか考えたことがありますか?・・・それは、“生かさず殺さず”という金額なのです。飼い殺しの金額。その金額なら、若者が発展して爆発していくことができないからなのです。そして年月が過ぎ、身動きとれないまま年を取ります。日本とはこういう国です。」などと、某先生は授業でおっしゃり、私はカルチャーショックを受けました。激しい先生でした。 そんなこととか、生涯賃金について学んだ後に、スペインに渡り、貴族と知り合ってその価値観を学んだので、“あっ!”と様々な知恵と頭の中で結びついて、目からうろこが落ちたように理解できてしまいました。 経済学を学んだことによって視点が増えて、「比較文化」を自分で行って消化していました。自然に学問していたのです。自分で発見して理解したこの比較文化についても、いつか、本に書き記すべきだと思っています。そのほうが、日本の若者のためになります。人生の前半でできるだけ学んで吸収して、才能を伸ばしてから、それを使って働き始めて、人生の後半で働いて行けばいいのだと思います。そういう生き方もあります。
2007年11月27日
コメント(0)
2006年5月30日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.68 06/05/30 (火) 発行「ヨーロッパの貴族階級の人々の教育観」 スペインに住んでいた頃、貴族の友人ができました。その貴族の友人から貴族階級の人々と知り合い、交流を持ち、価値観を知って学ぶことが出来ました。ジョアン・ミロ財団の講座に通ったときに、そこで知り合いました。そんな場所でなければ、貴族とはすれ違うことがないに等しいです。知り合う場所、環境って大事ですね。自分のフィールドを上げていくと、知り合う人々もフィールドが上がっていき、ガラっと変わります。 ヨーロッパは貴族階級社会なので、階級の格差が激しく、貴族とは、普段の生活で接する機会が全くありません。普通の階級の人々とは接点がなく、別れて暮らしていて、すれ違うこともありません。彼らは子供の頃から学校も違うし、親の教育観も違うし、別の階級の人々と話す機会もないし、結婚も貴族同士でしかしません。価値観が違いすぎて、他の階級の人々とは合わないため、貴族の間で社交界があって、そこで結婚相手を探します。 ですから、スペインで普通の階級や労働者階級の友人と、貴族の友人と同時に会う機会を持つことはできなかったし、別々に会っていました。 そのくらい、階級別に、特に貴族の考え方、価値観、人生の優先順位のつけかたが、全く違っていたのです。同じ国に生まれ育っている人々が、こんなに価値観が違うなんて、本当に驚きました。 日本は階級社会ではないので、まだ全体に平等なほうで、ましだなと思いました。アメリカは、どんな境遇に生まれている人でも、優秀な人にはチャンスが与えられる国なので、そんなところが気に入ってしばらくNYに住んでみています。 でも、そんな貴族の考え方、価値観から、私はとても多くの物を学び、自分の人生に教訓として取り入れて生きるようになりました。私は貴族からとても大きな影響を受けました。日本にない考え方でした。 それは、「35歳くらいまではずっと留学したり勉強したり、好きなことをして知識を蓄えて、才能を育てて伸ばして、35歳過ぎてから、そろそろ働いて社会に還元していこう」という考え方です。 私はびっくりしましたね~。貴族は、さてそろそろ働こうかなと考え始める年齢が、35歳くらいなのです。友達で、貴族の人々は、誰も働いていなかったのです。友人の家庭では、代々みんな、20歳のときに親から2000万円渡されて、「自分で考えて、今後の人生のために好きに使いなさい」と言われるそうです。そのお金で友人は、海外に留学していました。 貴族は、教養が一生の糧になるということを、親が子供に教えます。 貴族は、勉強と才能を伸ばすことに時間を費やして、働き始めるのが35歳ごろなのです。一方、労働者階級の子供は、15歳くらいから一日中フルタイムで働き始めます。親が、「勉強なんてしても無駄だ」と教えるのです。この差、20年くらいの開きがあるなんて、同じ国の子供なのだろうか、と思いました。 その結果、何十年先の人生がそれぞれどうなっているか? 労働者階級は、労働者のままで教養を身に付けていないので、そこから這い上がることができません。人の何倍も働き続けて、商人になって成功する人がたまにいるくらいです。労働者階級の人々は、空いている時間は働いてお金を稼ぐことに費やそうとします。 その反対に、貴族は、20年以上かかって身に付けてきた教養がたっぷりあるので、歴史に残る大芸術家になっていく人が多いのです。作家、画家などです。 ちなみにスペインでは、お金持ちの子息しか、絵を学ぶことができません。絵画学校には、お金持ちの子供しかいませんでした。絵画は、長年の修行が必要でごまかしが効かない世界で、一人前になるまでに膨大なお金がかかるからです。 そういうわけで、価値観が違いすぎて、労働者階級と貴族の友人と同時にみんなで会えなかったし、会わせられないのです。これは、日本では体験しなかったことで、カルチャーショックでした。 でも、日本も、大体半分くらいの人は、大学卒業した22歳から働き始めるので、まだまだ、ヨーロッパに比べたら豊かな国ではないのだなと感じました。 私はそれに途中で気が付いて、芸術の道を極めるには、ヨーロッパの貴族の価値観で生きていこうと考えるようになりました。それからは、時間を買っている感覚で、働く労働をできるだけ控えて最小限に抑えつつ、ずっと学ぶことに時間とエネルギーを割いて、自分の才能と教養を育てていこうと決心しました。芸術家になるためには、労働に時間を費やすわけにはいかないので、時間とお金の戦いが続きますね。
2007年11月26日
コメント(0)
2006年5月21日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.67 06/05/21 (日) 発行 皆様、こんにちは。お久しぶりです。 近況は、絵画の個人レッスンの生徒が3人に増えたので嬉しいです。自分がスペインで身に付けてきた絵画の上達方法を次世代に伝えることができることを、とても喜んでいます。すごくやりがいがあります。 せっかく自分が身に付けた知識を、自分の代だけで終わらせるのは、もったいないです。特に、私がスペインで習得してきたものは、ダ・ヴィンチやベラスケスらがやった修行方法と全く同じものなので、なおさらです。私が知っていることは、できるだけ次の世代の人達に教えてあげたいと思います。 毎週日曜日の、絵画のグループレッスンも続けています。もう4回目の夏を迎えます。夏は、5月から9月頃まで、NYのセントラルパークで写生教室をしています。生徒たちはさまざまな業界の人達なので、普段の生活では出会うことがない人達同士が出会える、絵画愛好家サロンのような、いい感じになってきました。セントラルパークは、パワースポットなので、昼間しばらく座っていると、蘇りますよ。おすすめです。 写生教室は、どなたでも大歓迎です。お気軽にご参加ください、参加ご希望の方は、メールにてお知らせください。「パワースポット」 パワースポットという言葉を聞いたことがありますか? 土地自体のポジティブなエネルギーが高くて、行くだけで自分がパワーアップして癒されるという場所です。実は、世界各地に点々と存在しているようですね。 前述のNYのセントラルパークもそうですが、私の場合は自分がパワースポットに行くと、明らかに自分のエネルギーがパワーアップしたことを体感します。毎週写生教室に行く前は、日曜日なのに出かけるのが面倒くさいなと思いがちなのですが、行ってしばらく座って描いて、帰る頃には毎回、元気になっているのです。いつも、「ああ、今日もセントラルパークまでわざわざ来てよかったな」と思います。エネルギー補給、まさに充電できる場所でもあります。知らない間に、癒されています。 沖縄から来たある本物の霊能者の方とセントラルパークに行ったときに聞きましたが、セントラルパークに点々とむきだしになっている平べったい黒い岩は、氷河期時代からの岩なのだそうです。氷河期の“ゴーッ”という音が聞こえるとその方は言っていました。氷河期から生きている岩なので、人間よりもずっとずっと長生きで、とってもパワーのある岩なのです。すごいエネルギーを発しているらしいです。 これを聞いたとき、私はとても納得しました。「やっぱりそのせいで、毎回セントラルパークに行くたびに、元気になって帰ってくるのか!」と同感です。それ以来、私は、セントラルパークに行くたびに、平べったい黒い岩を見つけては、しばらく手でタッチして、パワーを頂いています。NYに住んでいる方には、おすすめの方法です。ちなみに、私の絵の生徒は、みんなやっています(笑)! もしかしたら、マンハッタン全体が、この黒い岩盤でできていて、パワースポットなのかもしれませんね。 前に住んでいた、地中海のマヨルカ島も島全体が、よく知られたパワースポットでした。地面にたくさん水晶が埋まっているらしいのです。 初めて行ってからしばらくの間は、眠っても眠っても足りず、時間があれば眠り続けたこともありました。横になって眠っていると、自分の身体の芯が、地面のずっとずっと奥深くまでグーッと引っ張られているような感じがして、下に吸い込まれているような感覚でした。 今思えば、これは、ニューエイジの人達が言っている“グラウンディング”ですね。「自分を 地につけること」という意味です。グラウンディングは、自分の第一のチャクラ(背骨の一番下あたり)と地球の中心をつなげるように想像してから、自分の体から出したい物(怒りとか、嫌な人のエネルギーとか)を地球の中心に落としていきます。すると、落ちていった悪いネルギーは、いいエネルギーに変わって、行くべきところに戻っていくそうです。 きっと、私は、マヨルカ島に住んでいた6年の間、自然にグラウンディングし続けていたのでしょう。眠り込んでいた時期は、きっと、深くグラウンディングしていたのだろうと思います。 この時に自分が浄化されたのかと思いますが、住んでいるうちに癒されて、体質が変わっていったように感じます。 他には、私は行ったことがありませんが、ハワイがパワースポットとして、世界的に有名ですね。火山にパワーがあるらしいです。住んでいるだけで癒されて、パワーアップするらしいですね。ハワイは、聞くところによると、世界で強烈なパワースポットだそうです。そのため、世界中のスピリチュアルな人々、ヒーラー、サイキックなどが集まっていき、そんな人達がたくさん住んでいるそうです。ハワイは日本から近いので、行きやすくていい所ですね。 また、アメリカのセドナも有名ですね。ネイティブアメリカンの居住区でもあります。私も行ってみたい所です。 沖縄もすごそうですね。 パワースポットには、数日いるだけよりも、やはり、何年かまとまった期間を住んで滞在した方が癒しと浄化とパワーアップの効果が大きいと思います。
2007年11月25日
コメント(0)
ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.65 06/04/27 (木) 発行「大画家からの激励」 最近、NY在住の大先輩の日本人画家に、「何でもやりたいことをどんどんやっていいんだよ!やりたいことをやりなさいよ!」と激励されました! 私は何も言っていないのに、何か察していたのでしょうかね? 大先輩からのありがたい一言でした。 私は3年半前にNYに引っ越してきてから、自分が絵を描き続けるためのペースとして、時々、ヌードデッサンを描きに某大画家のお宅に通っていました。画家同士で女性のヌードモデル(ダンサーが多い)を3時間雇って、シェアする集まりです。私も絵描きの一員として、仲間に入れてくださっていました。 一時帰国して、その後忙しくなったのでしばらくお休みして、また急にお邪魔したら、その日はお休みでした。先生は数日後に一時ご帰国なさるとのこと。「お電話してお伺いするべきでした! 失礼しました。御いとまします!」と言って玄関で引き下がろうとすると、先生は、「まあまあ、せっかくわざわざ来てくれたんだから、上がっていって」と言って、招き入れてくださいました。 その時は先生はお一人だったので、初めてゆっくりお話しをすることが出来ました。「これね、この間ね、ニューヨーク・タイムズの一面に、僕のことがこんなに大きく取り上げられたんだよ。びっくりしたよ。」と、先生は新聞を見せてくださいました。 すると、ニューヨーク・タイムズのアート板の、表紙の面積半分くらいの大きさで、先生の作品が取り上げられているではありませんか! びっくりしてしまいました。「すごいじゃないですか!!!」としか言葉にならず、絶句して読み込んでいると、「すごいねえ。僕もびっくりしたよ。まさかこんなに大きく載るなんて。こんなことは滅多にないことらしいよ」とおっしゃっていました。 何て素直で素敵なお人柄でしょうと感じて、好感がもてました。 私は先生のことをあまりよく存じていませんでしたが、彼は、かなり有名で、成功なさっている大画家だったのです。彼のことをよく知らないままヌードデッサンに通い、いる間はみんな黙って黙々と描いていてお話しないので、今までは、画家ということしか知りませんでした。 そういえば、ずっと前に、ヌードデッサンに先生の所に通っていると人に話しをしたら、びっくりされて、「先生とどこでどうやって知り合ったの?」と、怪訝そうな顔をされたことが何回もありました。「え?」と返答に困って、モゴモゴとごまかして、答えなかった記憶があります。彼は、それだけ大物の画家だったのですね。 思い返せば、私は昔からどこにいても、どこをどうほっつき歩いたらこんなに人に出会うんだろう、というくらい、出会いの運は恵まれていると思います。私の人生には、要所要所で、激励してくれたいい先輩に恵まれてきました。 この大画家は、いろいろな経験をしてきて、いろんなことをよくご存知なので、初めてゆっくりお話しできてとても面白かったです。もちろん、私が最近音楽を録音してCDを作った時も買ってくださって、聴いて下さっています。すると、先生は、「そうだよ、やりたいことは、どんどんやりなさい。やりたいことをやっていいんだよ!」と力強く激励してくださいました。「ありがとうございます。でも、私は色々な事をやっているせいで、しょっちゅう、日本人の男の人達から色々と忠告を受けます。“お前はジャーナリストなんだから文章だけ書いとけ!”だの、“1つに絞ってやるべきだ”だの。 それも、日本人男性の45歳以上50代未満の中途半端な身分の人達が言ってきますよ」と私が説明すると、「やりたいことをやっていいんだよ! やりたいことは、どんどんやってよ! 周りのことは放っておけばいいよ。気にするなよ。」と、先生はニコニコしています。 年輪の余裕でしょうか? 私のことを、やんちゃを見るような目で、微笑ましく思ってくださっているのを感じました。 それにしても、どうして先生は、私が周りから常に受けてきているこうした風当たりのことを手に取るように分かっているんだろう、とびっくりしました。私の周りの男供の反応を、見透かされていたのですね。さすが大物の余裕ですねえ。全てお見通しだったのです!(色んなことを本格的にやっている私に対して、女の子たちやアメリカ人は何も言いませんね。むしろ励みにしてくれているし、応援してくれます。私に文句を言って八つ当たりしてくるのは、日本人の男供ばっかり。それも中年ばっかりですね。日本人の男の人達って、文章一筋とか、音楽一筋とか、1つをやるべきだという社会の価値観にがんじがらめになっていて、その奴隷になっているのだと思います。社会通念と伝統の奴隷です。その檻を破って、外に出るのは、危険なのでしょうか? 彼らに取って、自由(自由にやりたいことをやる)とは、恐ろしいことなのでしょうか?)「実はね、僕は池田満寿夫ととても親しかったんだけどね、彼なんて、色々やってたよ。版画で、日本人で国際的な賞を取ったのは、棟方志功と池田満寿夫だけだよ。その後は誰も取っていない。池田満寿夫はね、文学でも、芥川賞を取ったし、文庫本も20冊以上残しているんだ。20冊なんて、普通の物書きに比べても量が多いでしょう? そのうえ、映画も作って世界中で上映されたし。絵、彫刻、陶芸もやったし、音楽も録音して残したよ。彼は、挑戦することが好きだったんだよ。」と、先生は、突然、親しかった故・池田満寿夫について語り始めました。「だから、君も、やりたいことはどんどんやってよ! やりたいことはやっていいんだよ。 君がやりたいことを全部やってほしいよ。」と、先生は、ニコニコして、私を温かい眼差しで見守ってくださっていました。「ありがとうございます。そうですか、やりたいことをやってもいいんですか!」と私が言うと、「そうだよ。やりたいことに挑戦して、どんどんやったらいいんだよ。」と微笑んでいました。「そうですか。ちょっと元気でました。今まで、風当たりが結構あったのですが、それでも私はやりたいことはやりたくなってしまうので、やってしまうのですよ。行きたいところに行ってしまうし。音楽、美術、文書をやり続けているし。でも、これでいいやと思っていました。ありがとうございました。」などと、私はいいました。 この先生は、きっと、今まで、私のことを、親しかった池田満寿夫の生前の姿に重ね合わせて見ていらっしゃったのですね。恐れ多いですが、光栄です。色々なことに挑戦して切り開いて、実際にとことんまでやってみるという性質に、共通点を垣間見たのでしょうね。おそらく、池田満寿夫も、生前は、風当たりがきつかったのかもしれませんね。 先生は、他にも色々と、アドバイスしてくださいました。「やりたいことをやってもいいけど、一度にやりすぎず、一休みしながらやったほうがいいよ。不摂生はよくないよ。お酒はほどほどに。芸術家は長生きも才能のうちだから。たくさんの作品を年月を追って、その時代の変化を人々が後で振り返る作業をするものだから。体を大切にして長く生きて作品を作らないと! 食べ物は大事だよ。偏食や外食は控えなさい。食事のバランスをよくして、野菜を食べなさい」と語っていました。 まさに、その通りです。昔から両親にも、口から取り入れる食べ物の大切さのことしか、言われませんでした。やっぱり、食べ物と休息は、大切なのですね。 ちなみに、先生は、70代でもまだまだ現役で、毎日絵筆をふるって作品を作り続けています。つやつやで、元気です。 身近にいたのに、あまりお話したことがありませんでしたが、この1日で、とても理解が深まりました。 彼は、心から応援してくれていて、温かく見守ってくださっていることが分かりました。 ほんとに、人間関係は、選んでいかないとだめなのかもしれないと、私はやっと学び始めました。 今までは、レベルの低いダメな人達とも話していたから、風当たりがきつかったのだと気が付いたのです。 池田満寿夫とか、この先生クラスになると、何も私に文句を言うどころか、逆に、「どんどんやりなさい!」と、励ます一方です。ちゃんと、志の高い、精神のレベルが高い人達と交わって、付き合っていかなければならないですね。
2007年11月24日
コメント(0)
2006年4月13日発行号 公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」vol.63 06/04/13 (木) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか? 今日は私は、マジソンスクエアガーデンでやっているサーカスを取材で観に行きました。子どもの頃以来、すごく久しぶりに観て、面白かったです。 ニューヨークもようやく暖かくなり始め、桜が満開です。もうじき、ニューヨーク・シティー・バレエの春の公演シーズンが始まるので、楽しみにしています。「真夏の夜の夢」は何度か観ましたが、また観に行くつもりで、待ち遠しいです。NYCBの公演は、舞台セットも衣装も全て豪華絢爛で、音楽もオーケストラの生演奏なので、とてもゴージャスでおすすめですよ。 さて、今月10日更新で、前号のメルマガに書きました、私のコラム「NYダンス直行便」が掲載されています。振付家の長谷川ゆきさんの公演の模様も書きました。私のアルバム「セブン・ゴッズ」の5曲目の、「浄化の儀式」という曲で、振り付けしてくださった作品も含みます。よかったら、チェックしてみてください。チャコット ウェブ マガジン “Dance Cube”http://www.chacott-jp.com/magazine/index.html「NYダンス直行便」 By ブルーシャ西村http://www.chacott-jp.com/magazine/around/ny.html このコラムは、お陰さまで2003年5月号から続けているので、もうじき丸3周年になります。NYにいる限りは、忙しくなってもできるだけずっと続けていきたいと思います。知らない日本の読者から、時々メールでお便りをいただくこともあります。 コラムのために、NYで、毎月平均で4か5つくらいバレエとダンス公演を観続けているので、随分と目が肥えました。色んな振り付けや照明、舞台セットがあるので、刺激になって、私の創作のインスピレーションが湧きます。「キックと回転?!」 前に、日本から来た男性の知人をバレエ鑑賞に連れて行ってあげたとき、「せっかくだから、ABTのプリンシパルのアンヘル(現在、名実ともに旬の世界最高のダンサー)を観ておいたほうがいいよ!」と私がすすめると、「バレエなんてよく分からんし、あんまし興味ないな。観たってきっと分からんと思うよ」なんて言っていました。 観終わった後、彼は、「バレエなんて、僕には、“キックと回転”にしか見えなかったよ。連続キックと回し蹴りと、回転ばっかりや! よく分からんわ。 キックと回転は、芸術とは思えない。もう2度と観ないでいい。ボクシングを観たほうが面白い。」などと言っていました。 バレエとかダンスって、男性の方々はあまり興味がない人が多いのでしょうね。バレエがキックと回転にしか見えないなんて、面白い発想だと感じて新鮮でした。 踊りって、生活に必要なものではないので、ほとんどの人が興味がないことかもしれないし、一生の間にダンス公演を一度も観ない人も大勢いるかもしれませんね。 でも、私はダンスとバレエが好きなので、ニューヨークにいる限りは、せっせと公演を観に通おうと思います。 もしかして、私のようにダンスが好きな人のほうが、珍しいのかな?「読者からのお便り」 私のコラムの読者だったダンサーで、私のウェブサイトのエッセイにはまって、その後、メルマガの読者になった方から、時々メールでお便りをいただいていました。熱狂的な私のファンなので、ありがたいことです。現在はメキシコ在住でダンスカンパニーに所属してプロのダンサーをしている方なので、時々NYに公演にやってきます。 先週、とうとう彼女がNYに来ていたときに私も時間が取れたので、お会いしました。ふたを開けると、共通の友人のダンサーがいたので、びっくりしました! 友達の輪だったのです。それで、その共通の知人達も含めて5人で会いました。世間は狭いというか、似たような人は集まるのですね。「ずっと会いたかったですよー。ブルーシャさんの書いていることに共感して、随分救われました。迷っている時に読んだら、“なんだ!気にすることないや!”ってスッと肩の荷がおりて楽になります。時々書いてある言葉をメモしてたくさん手帳にはさんでいます」と彼女は言っていました。「えー、メモして手帳にはさんでいるのですか? それはすごい! たまに貴女と同じように、私の言葉を手帳にはさんで持ち歩いている人がいるんですよ。」「やっぱり、他にもメモして持っている人、いるでしょう? だって、ブルーシャさんの言っていることで救われて、気持ちが楽になって、突き進んでいけるんだもの! ブルーシャさん、たくさんの人を救っていますよ! すごい徳を積んでいますよ。現に、私は救われて、前に進めたんだもの!」「ええー?? そんなことないですよ。メルマガは題名が題名でしょ?“強引ぐ マイ ウェイ”だから、みんな大目に観て許してくれると思って、私は書きたい放題書いてきたので、書きすぎたと思います。でも、いいやと思って! なんせ、漢字で“強引ぐ”だから。(笑)」すると、その横にいた友人が、「え、もしかして、ブルーシャさん、ヤンキーで、スケバンだったんですか?」とびっくりして聞くので、「ぜんぜん! ヤンキーだったわけないよ! ヤンキーどころか、マイペースで独自の世界だったよ。周りのことなんて関係ない。(笑)やりたいことしかしない。(笑)」「ブルーシャさん、すごくファン多いでしょう? 私のような人、いっぱいいるでしょう?」と彼女が言うので、「いえ、そんなことないですよ。たまに貴女のような熱狂的なファンの方がいますけど、ごく少数派だと思いますよ。私のことをすごくムカついている人もいるだろうし、嫌いな人は嫌いなんだとおもいますよ。コンプレックスがあって性格が卑屈な人は、私のことが嫌いだと思うよ。貴女は性格が前向きで、卑屈でなくて嫉妬心がないから、私のファンだと言ってくださるのですよ。」「そうかなー。私にとっては、ブルーシャさんの言っていることは本当にその通りで、自分が漠然と不安でもやもやと感じていたようなことを、分かりやすい言葉で文章化してくれているんですよ! 嫌いな人なんているのかな?」「そりゃそうだと思いますよ。でもね、何か自分の考えを公に発言するということは、私の考えを好きな人もいれば嫌いな人も出てくるのは当然なんです。全員に好かれるような文章は書くことができないですよ。」「そうかなあ。私はブルーシャさんの文章に救われてますよ。」「私は、貴女のように縮こまっていなくて前向きな人を、さらに応援したいのです。皆に、どんどん、やりたいことをやって欲しいのです。私の発言をどこかで聞いた人に、“あ、こんな人もいるんだ、こんな生き方でも生きていけるんだ、やりたいことやっても大丈夫なんだ”と自分が見本になって刺激を与えていきたいんですよ。私の発想は独自なので、私の存在を知った人の中には、“こんなのアリー?”とびっくりしてムカつく人もいるのは当然でしょう。なぜなら、その人達が社会の前例に習って当たり前だと思って我慢してきた色々なしがらみを、私は根こそぎ無視しているから。若者は縮こまっていてはいけないですよ!縮こまって自分を押さえ込んで、“いえ、それほどでも・・・”なんて言っていたらダメ! もったいない。だからね、貴女も、もっと、どんどん活躍して!」「これからも、メモが増えていくと思います」「ありがとう。がんばって書き続けます。まだ偉そうなことを言える年じゃないから、もっと年を取ってから、霊的な教訓についての本を書くことになると思います」・・などと、会話が弾みました。 それにしても、私の文章が、どこかの知らない読者に、こんなに影響を与えていたなんて、びっくりしました。 書きたいことを書きすぎて良かったです。書きたかったことを書いてしまったために誰かから嫌われることよりも、書かなければならないことを書かずに後悔するほうが耐えられないです。 実は私の友人達には、このメルマガは、「まるで狂人日記だぞ!」とか、「書きすぎなんじゃない?いじけてムカついている人がいると思うよ」とか、批評を頂いて、心配をかけていました。 皆様も、狂人日記につきあってくださり、ありがとうございます。 このままぼちぼち続けていきます。どうぞよろしく。
2007年11月23日
コメント(0)
2006年4月5日発行号公開ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」vol.62 06/04/05 (水) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークは、今日は急に寒くなって、またボタン雪が降っています。変な天気ですね。少し暖かくなってきて、桜も咲きはじめたのに、寒さがぶり返してしまいました。今日も寒いけれど、私はバレエの取材に出かけなければなりません。コートを着こんで、行ってきます。「嬉しいお知らせ」 さて、先日は、私の絵画の個人レッスンの生徒(ニューヨーク在住)の親御様からご連絡があり、無事に志望校に合格したとのお知らせを聞いて、ほっとしました。私もとても嬉しかったです。おめでとう! アートのハイスクールで、何と、1600人余りが受験して、250人弱しか合格しない狭き門だったそうです。受験前は特訓で、ほぼ毎日2時間ずつ教えに通っていたので、私も責任を感じていました。 食事に呼んでくださったのでお会いしましたが、ご両親も喜んでいらっしゃったし、生徒本人もとても嬉しそうにしていて元気だったので、ほんとに良かったです。 最初は、生徒は全くデッサンをやったことがなくて描けない状態だったので、どうやって教えたらいいのか悩んで、「まず私がどうやって描いているか観察して!」と言って、観ていてもらうことから始めたものでした。 そしてそのデッサンをほとんど消しゴムで消して、ものすごくうすーく線を残した状態にして、「これを、もう一度なぞってみて」と言って、目の前のモデルの静物を観ながら、私のデッサンをなぞってもらいました。 そして、毎週個人レッスンを繰り返しているうちに、だんだんと上達してくれました。「線が曲がっている!」 とか、「形がゆがんでいる!」とか、ちょっと厳しく教えすぎたこともありますが、男の子なので大丈夫でした。 やっぱり、個人レッスンは、つきっきりで教えるので、上達が数倍も早いことを実感しました。今回は、人のお役に立てて良かったです。 私の教えた生徒が上達してくれたら、とても嬉しいものです。やりがいがあります。引き続き、受験指導も含めた絵画の個人レッスンを行っていますので、ご希望の方はご遠慮なくお尋ねください。個人レッスンは1時間60ドル(2時間120ドル)です。 また、毎週日曜日2時から、お絵かき教室と、もうじきセントラルパークの写生教室に場所を変えて、引き続きグループレッスンも行っています。グループレッスンは割安で、1枚デッサンが仕上がるくらいの1時間半ほどで、1回15ドルです。お得だし、普段の生活で接点の無い人達の出会いの場でもあるので、お奨めです。 この教室は、もうまる3年続けていて、写生教室は今年で、4回目の夏になります。早いものです。こちらも興味がある方は、いつでもお気軽にお問い合わせください。どなたでも大歓迎です。
2007年11月21日
コメント(0)
2006年3月29日発行号公開アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.61 06/03/29 (水) 発行 皆様、こんにちは。日本では、桜が咲き始めたそうですね。NYはまだ肌寒い日が続きますが、もうじき桜の季節がやってきます。でも、夜は、まだ手袋とマフラー、分厚いコートが必要です。「バレエのお話し」 前回のメルマガでお伝えしました、振付家:長谷川ゆきさんが率いるダンスカンパニー、“アスール・ダンス・シアター”の公演があり、そこで1曲、私の曲“Ritual for Purification”を使った作品も上演されました。 私も2日間とも観に行きましたが、自分の作った曲で振り付けしてもらって、8人のダンサー達が踊っているのを観ると、とても感慨深かったです。不思議な気持ちでした。七福神の曲が、早速、こんなふうに広がりを持ってきたことを、とても嬉しく思います。彼らにとっては、これが初公演でした。これからも、2回目、3回目と続けていって欲しいです。応援しています。 私は幼少時からバレエを長年続けたことがきっかけで、チャコットのウェブマガジン、”Dance Cube”でバレエのコラムを2年近く毎月続けさせていただいていますが、今回のこの公演についても、来月号のコラムに詳しく書きました。こちらのほうも、またチェックしてみてください。 今回のこの公演で、自分の曲を使ったダンス作品が作られたということで、なんだか、今までの幼少時からの私の人生が、音楽もバレエも全てつながってしまったので、バレエ時代のことを思い出していました。 やっぱり、バレエ時代あっての私だったことに気付いたのです。3つくらいから学び始めたので、幼少時からのバレエ体験は、私の人生と芸術感覚に、とても大きな影響を及ぼしました。雨の日も風の日も、13年も止めずにやっていたので、よく続けたものだなと思います。私は、心底、踊りが好きなのだと思います。 昔のバレエの仲間は、結婚して日本全国に散らばって、地元でバレエ教室を開いている人が多いことを、バレエ時代の友達から最近耳にしました。それぞれバレエの発表会もやっている様子です。みんな、バレエで活躍してくれていることを知り、とても嬉しかったです! 私は進学のために踊ることをやめてから、ずいぶん経ってしまいましたが、他のみんなが同じ先生の系統を継いで続けていて、それが広がっていることは、なんて素晴らしいことだろうと思いました。 バレエの友達は、ほんとに、幼稚園時代からずっと知っているので、学校の友達よりも懐かしくて、再会はとても嬉しいものです。そういえば、バレエの友達は、ゆがんだ性格(たとえば嫉妬深かったりとか)の人は一人もいないことに気付きました。 毎日の生活の中で目にする人々のなかには、自分と人を比べて張り合っちゃっていたり、嫉妬していたり、人の幸せを素直に喜べないような、苦手な性格の人達もとても多いです。 でも、バレエの友達は、なぜか、みんな性格のいい娘ばかりです。なぜでしょうか? 謎ですね。 日頃、妬みやそねみで出来ているような変な人に会うと、その度に、性格のいいバレエの友達などの存在が輝いてきて、浮き彫りになって、余計に彼らの存在をありがたく思うようになりました。 バレエとかダンスって、女の子には習わせた方がいいのかもしれませんね。私ももし女の子を産んだとしたら、バレエを習わせてあげたいです! 昔考えたことがありますが、踊りとは、本質的に女性的なものだと思います。女性性を表す踊りを女の子がやっていると、無意識下で十分に本能が満たされるのでしょうね。本能が満たされると、精神にも余裕が出てきて、性格形成に好影響するのかもしれませんね。全くの私の独我論ですが。 その当時、私が通っていた宝塚のバレエスクール(故・四条秀子先生)からは、宝塚歌劇団やOSKに入ったり、ミュージカル女優になったり、バレエ団に入っていく人が結構たくさんいました。宝塚の受験のために、わざわざ名古屋から新幹線で通っている人もいたくらい盛況でした。四条先生がとても偉大な芸術家だったので、通うのが楽しかったです。 いつもレッスンが始まる前に、正座して目をつぶって、精神統一の瞑想の時間がありました。今から思えば、芸術家って、行き着くところはみんな同じですね。 私も、今頃になって踊りの血が騒いできてしまって、タップ・ダンスのレッスンに時々通っています。楽しんでタップを続けたいです。
2007年11月20日
コメント(0)
2006年3月16日号 公開アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.60 06/03/16 (木) 発行「七福神の曲を使ったダンス公演のご案内」 さて、明日17日と、18日に、2日に渡って、七福神の曲を使った作品が発表される、ダンス公演が、ニューヨークで行われます。私のアルバムの5曲目にはいっている、“Ritual for Purification”という曲で、振り付けしてくださいました。振付家:長谷川ゆきさん 主催のダンス公演で、全て彼女が舞台監督をしています。ほとんどが彼女の振り付け作品で、彼女自身も1曲だけ踊るそうです。長谷川ゆきさんは、東京で10年間、ミュージカル女優として活躍した後、ニューヨークに来て、NYUでダンス分野の修士を取り、現在は振付家として活動しています。 March 17 (Fri) at 9:00pm, 18 (Sat.) at 8:00 pmMerce Cunningham Studio55 Bethune street, 11th Fl. (the Southwest corner of Bethune and Washing streets at West village, Subway 5 minutes walk from the 14th street A,C,E,L)Tickets:$15Reservations: 212-737-8280Company Web: www.yukihasegawa.com よろしかったら、ぜひ、お越しください。当日、2日間とも、私もお手伝いしています。会場で、私の「セブン・ゴッズ」のアルバムも販売していただきます。よろしくお願いします。
2007年11月19日
コメント(0)
2006年2月17日 発行号 公開週間メルマガ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.59続き 2 今になって、周りの人々からは、「多才だね」と言われますが、私の中では全部がつながっていて、「芸術」という1つの才能があるとしか認識していないです。 多才じゃなくて、単才! だって、今までの人生で、「芸術」に関わることしかしてこなかったのですから! 芸術を表現して、せっかくなのでいつか、何か後世にまで残るような作品を作りたいというのが、人生の夢だったのです。 その時々で、表現方法はふさわしいものに変わるけれど、やっていることは1つで、宇宙とのチャネリングです。その時々で表現方法は、絵になったり、文章になったり、音楽になったり、写真になったり、ジュエリーになったりします。 これらの全ての分野は、作った作品が形として後々まで残るもの、という共通点があります。なぜかというと、「いつか後世まで残るような作品を作りたい」ということが、夢だからです。ですから、一貫してワンパターンです(笑)。 外から見るといろいろな分野のことをやっているように見えるだけで、実は、1つのことしかやっていないのです。現象や物質にとらわれてはいけないと思います。実は1つのことなのに、視点が外見にとらわれるから、たくさんのことに見えてきてしまうだけです。 私を通じて、宇宙からパワーと情報を外に形にして出すということしかやっていません。 芸術は、自分の力で何かを作ろうと思っても、たいしたものは出てこないのです。あちらの世界に全部お任せしてリラックスして作り出すと、チャネリングできて、宇宙から色んなものが自分に流れてきます。自分はちっぽけで、宇宙の方が広大なのですから。 特に、絵画、写真、ジュエリーは、実は美術という1つの土台から派生したものなので、1つのものだと言いきれます。 その美術の長年の土台があるせいで、美術品を見分ける力があるため、アンティークと宝石のディーラーもやっていくことになるでしょう。絵画、写真、ジュエリー、ディーラーは、他の人々から見ればバラバラに見えてしまうのかもしれないけれど、たった一つのことだと自分の中では認識していて消化しています。ジュエリーだって、よく考えたら、彫刻作品が小さくなったものなのですから。無理なことはしていません。 音楽も、5歳頃からずっとオルガンをやり続けていたので、かけてきた時間と努力に裏打ちされています。昨日今日やりはじめたことではないので、出来るというだけです。日本に生まれ育ったら日本語がしゃべれるのと同じことです。 ですから、「え?なんで音楽もやっているの?」と言われることは、「え?なんで日本語もしゃべれるの?」と言われることと同じようにしか聞こえてこないのです。 オルガンから、レア盤収集にいき、クラブDJをやることになり、その後、自分でも音楽制作をすることになったという、ごくごく自然な流れなのです。無理してやっていることではないです。 文章も、子どもの頃から、感想文コンクールとかで表彰されることが多かったので、そのまま続けてきただけです。今は専門は芸術(美術と音楽)で、私の職業は芸術家ですが、もともとは経済学部出身なので、その分、美術一筋でやってきたわけではないために、文章を書きなれているというだけの話です。誰でも、大量に文章を書き続けたことがあれば、書けることです。たいしたことではありません。芸術家だけど、経済学がバックボーンという変り種というだけです。経済の知識のせいで、アンティークのディーリングにも惹かれているという影響はあると思います。 ただ、自分がやってきたことを、そのままずっとやり続けているというだけです。無理してがんばったというわけではありません。長年、芸術を積み上げてきて、自然な流れで、そうなっていっただけです。
2007年11月18日
コメント(0)
週間メルマガ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.59続き「三つ子の魂百まで」 自分の才能を最大限、極限まで伸ばして進化していきたいと考え始めたのは、実は幼い頃からです。 最初から、私は芸術家になりたかったのです。憧れの芸術家は、レオナルド・ダ・ヴィンチ! レオナルドが基準だったので、私も、興味がある事なら、何でも掘り下げて勉強してみました。 好きなことは、好きなだけ、何でも勉強してもいいのだと思います。「どうして、職業は1つのことだけをしないといけないの? レオナルドみたいに色んなことをやってもいいじゃない!どうして、レオナルドみたいな人の存在を世間は受け付けないんだろう?」と幼少時から考えていました。 でも現代の日本では、特にこのような考え方は独自で世間からは浮いているので、私も時期が来るまでは、密かに自分の才能を育み続けていただけでした。長い間、これは一種の賭けだったし、リスクも非常に大きなものでした。 何かを長年勉強し続けて才能を伸ばし続けることにエネルギーを集中させるということは、その分、労働時間を減らさなければ出来ないことなので、安定とか仕事のキャリアとかを捨てるということだし、リスクを抱えていくことです。そこまでしなければ、最大限に才能を伸ばすということは出来ません。しがらみがあったら、才能は極限まで伸ばすことは出来ないからです。 自分の中で、じゃまになるしがらみを、一つ一つ捨てていく作業の繰り返しで、そうやって作った時間を全てつぎ込んで、自分の才能を育てる方向に全力を傾け続けました。育ててみても、才能が伸びるかどうかも分からないことなので、保証も無く、リスクも大きいですが、そういう生き方のほうが好きだからやっているというだけでしたね。
2007年11月16日
コメント(0)
アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.59 06/02/17 (金) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークは、約30年ぶりの大雪でしたが、そのあと急に春のように暖かくなって、不気味な気候です。 ここ2週間ほども、またジュエリー制作の追い込みで、てんてこ舞いが続きました。嬉しい悲鳴ですが、量産できないものなので、自分の手で作っています。ジュエリーを作るのは私に向いているので、楽しくて幸せです。 さて、今日は、読者の質問に答えます。「いつもブルーシャさんの活躍ぶりは ほんとに素晴らしく やはりその裏には質(技)はもちろん 量も人並み以上なのだろうと 努力の大切さを思います。ジュエリーとか CDの ジャケットの作品ですとか もちろんチェクしています。 どれも 素晴らしくて やはり プロだなあと 感心してしまうばかりです。 同じ 一日24時間を どのように いくつもの分野で 手を抜かずやっていけるんでしょうか? コツがありましたら 今度のメルマガに 乗せてくだされば 幸いです。(やっぱり 興味、情熱、要領、経験 なのでしょうか?)」「テレビを見る時間がない人生」 私自身も、時間のやりくりにいつも追われています(笑)。色々な事を同時にやってきているので、正直言って、毎日、暇な時間がないくらいです。だから、余分なことから排除して、時間を作るようにしています。だから、テレビは一切見ないです。ボーっと見ているうちに、知らない間に何時間も経ってしまうので。ニュースのチェックは、テレビの代わりにインターネットでサッサと済ませています。 やりたいことがたくさんあると、それが楽しくてたまらないので、例えばテレビを見ることとかが時間の無駄に思えてきて、放っておいても自然にやりたいことのほうに時間を割くようになっていきました。 もともと、子供の頃から、ほとんどテレビを見る習慣がなかったので、そのまま大きくなって、今に至っています。ですから、環境の影響も大きいですね。幼少時から、バレエ、オルガン、絵画と、様々なことを学んでき続けたため、いつもやることがたくさんあって充実して忙しかったので、テレビを見ることはほとんどなかったです。ですから、テレビっ子の学校の友達とかとは、話しが合わなかったので、気の合う友達も、自分と似たような人達になっていきました。特に、歌番組の話題にはついていけませんでしたねー。 日本で生まれ育ちましたが、テレビを見なかったということは、つまりほとんど日本の影響を受けずに伸び伸びと育ってしまったのです。例えば、日本の歌番組はほとんど見なかったので、最初から、日本の音楽の影響は一切受けずに、アメリカやブラジルの音楽の影響を受けて育って、大きくなりました。小学生の頃からボサノヴァのジョビンやゲッツにはまり、ジャズ収集にいって、やがてジャズ・ファンクやレア盤の音源収集にはまっていきました。でも、このお陰で、後々、七福神のアルバムを制作するときに、これまで長年続けてきた音楽の積み上げとバックボーンが役に立ったのです。ですから、私の音楽の感覚は、最初から、アメリカ人ミュージシャン達と同じ土俵で理解し合えるものに、知らない間になっていたのです。「人生の価値観と男観は一致している」 私はもともと理系出身で、周りは中高一貫超進学校の男ばっかりだったので、いわゆる女子高のノリの、女の子ちゃん達の知り合いっていうものが一人もいませんでした。こんなエリート予備軍の男供と、同じ土俵で勝負してきたので、私にはもとから「誰か男に頼って生きる」とか「付き合う男性によって自分の人生が勝ち組か負け組みか決まってしまう」とかいう感覚が全く欠如しています。「自分一人で、ピンで生きていけるようにすること」が私の基本なので「付き合う男によって人生が変わってしまう」という比べて選り好みする気持ちもないし、その価値観によって、自分の才能を最大限に伸ばすことにエネルギーとお金と時間を注ぎ続けてきたのだと思います。 もう10代の頃からこの価値観が確立されていたので、自然に最初から、男性に求める条件が必要以上に厳しくなってしまっていたために、「自分より賢くて強くて頼りがいがある男、自分と互角につりあう男しか受け付けない」状態で、すごおおおく狭い範囲に自然に絞られて、さっさと旦那も見つけてしまっていました。 ですから、今から思えば、自分に厳しくして、男並みに努力してきたことによって、自分が何重にも守られていたということです。結局、女性たちは、自分と似たような波長の男性と仲良くなってしまうものだと思います。 ニューヨークに引っ越してきてから、今まですれ違ったことも会ったこともなかったような、「どっかにいい男いないかなあー」と言っている女の子達に遭遇するようになり、「こんな人達、周りにいなかったなあ・・・」とびっくり仰天し始めた次第です。 ですから、今は、「新たなことを人間観察で学ばせていただいている」時期だと思って、楽しんでいます(笑)。今の自分の彼氏をしょーもなーと思って不満タラタラで、いつもどこかにいい男がいないかと探していて、見つかれば乗り換えようと思っていて、それを繰り返している女の子たちが非常に多いのにびっくりします。その依存心が強いことが理解できないのです。「どっかにいるいい男」によって、自分の人生が勝ち組でバラ色になることを期待している気持ちが分からないのですが、それほど、世間では、男によって自分の人生が変わってしまうと考えられていることを知り、驚いています。「自分が気の合う、好きな男と一緒にいればいいじゃない!」、「ダメな男をつかんだのなら、男に頼らずに自分で稼げばいいじゃない!」なんて思ってしまいます。今までは、私は、余程の世間知らずだったのだなあと気が付きました。世間の誰の意見も参考にせずに、自分独自の考え方と価値観を築いてきてしまったのです。 ですから、最初から、女の幸せっていうのは追い求めていなかったので、いいんだか悪いんだか、分かりませんね。でも、私がいろいろな分野のことを長年努力し続けて、自分の才能を最大限に伸ばすことに全力をかけてきたのは、この人生に対する姿勢、「男によって自分の人生が変わる」などと一切考えないこと、依存しないことが原因です。私は自分のことを、女とも男とも思っていない、自分の性別を意識していないということで、一人間として捉えています。 つづく
2007年11月15日
コメント(0)
アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.56 06/01/25 (水) 発行「本日は、七福神出現記念日!」 本日、1月25日は、七福神が初めて私に出現した、記念日です。2004年1月25日の明け方5時ごろに出現しました。詳しくは、私のウェブサイトのエッセイに載せてあります、メルマガ第7号に書きました。新しい読者の方は、こちらをチェックしてください。 私は彼らのことを信じていなかったのにもかかわらず、なぜ彼らは私に出現したかというと、「楽しい、ハッピー」な波長が彼らと一致していたので、引き寄せてしまったのです。霊界の法則は、自分と似たような波動のもの同士が引き寄せあうからです。私は好きなことばっかり、どんどん片っ端からやりたいことを全部やっているので、毎日、時間が足りないほどにハッピーだからでしょうね。 彼らは、わりと人間界に近いところにいらっしゃいますが、一応神様なので、その波動は物質である人間に比べて非常に高く、いくら霊能者でも人間が肉眼で見えるような波動ではないです。その反対に、自縛霊は、波動が荒くて低いため、人間の霊能者でも波長を合わせると、見ることができるのです。 七福神は、人間よりもかなり波動が細かくて高いため、物質の人間である私に出現して姿を現してコンタクトするために、私の霊体(アストラル体?)を肉体からズルズルと引っこ抜いて、上まで連れて行きました。わざと幽体離脱させたのですね。私を、物質である波動の荒い肉体から引っこ抜いて、細かくてハッピーな波動の霊体のみにしなければ、彼らとはコンタクトできないのです。摩訶不思議ですが、私はこの自分の体験によって、いろいろと霊界についての知識を得ました。 信じる信じないの問題ではなくて、誰でも、私のように実際に七福神を遭遇してコンタクトし続けるといった体験をすれば、それまでの価値観や考え方がひっくり返ってしまいます。「七福神のご霊体」 引っこ抜かれた私の霊体が遭遇した七福神たちのご霊は、前にも書きましたが、その背景(後光?)はすべて黄色っぽかったです。全員、とてもカラフルな着物を着ていました。波動は、ハッピーでラッキーな、七福神そのもので、福の神のかたまりといった感じでしかありませんでした。愉快で、楽しんでいるだけです。 CDのジャケットの絵の通りで、彼らは輪になって座って、宴会をしていました。彼らは、酒、パーティー、音楽、歌、パーカッションが大好きなのです。 私が遭遇した時は、七福神はご霊体なので、ビリビリ、バリバリとした電気でした。霊は電気なのですね! 壊れたような、擦り切れた古い映画のような感じのビジョンで、半透明でした。物質のように画面は画像の形がじっと静止しているわけではなく、画面はずっと“ビリビリッ”“バリバリッ”とところどころスケスケに映像が現れたり消えたりを繰り返していました。点滅ともちょっと違いますが、一番近い感じのものを人間界で探して例えるとすれば、「擦り切れた古い古い映画の画面」ですね。私自身も、この体験で1つ勉強になりました。「弁天さんのびわの弾き方」 この時、私が怖がって「私の霊体を肉体に返して欲しい!」と思ったときに、霊界ではテレパシーでつつぬけなので、七福神たちは「ケッ、この娘は私たちのことが怖いんだってさ!怖がらなくてもいいのに!ワハハハハハハハ!」と大笑いしました。そして、歌を歌ってくれました。 結局、私が嫌がっているにもかかわらず、曲の最後まで数分間歌い続けられて、一曲聴かされました。古い日本語のような歌詞で、意味はわかりませんでした。ゆっくりとした4拍子のリズムで、1拍目と3拍目のところで手拍子を打っていました。打ち出の小槌を持ったオデブが、それをパーカッションの代わりにして、シャッカシャッカと鳴らしていました。そ の時、紫とピンクとオレンジと黄色の羽衣のような着物を着た弁天さん(唯一の女性神)が、その歌に合わせてびわを弾いていました。その彼女のびわの弾き方は、拍子抜けするほど簡単で、手拍子と同じように1拍目と3拍目のところだけ、“ビヨーン、ビョオオーーーン・・・”と、1音ずつ弾いているだけ!だったのです。“ジャンジャカジャカジャカーーー”とか、“ティロリロリロー”とか、難しいことは一切弾いていなかったので、こっちがびっくりしてしまいました。 私はその時、心の中で、「弁天さんって、一応、神様のくせに、ぜんぜん難しいことを弾かないんだなあ、なんでだろう? 弾いてることがあまりにも簡単すぎるよ!」と、ナヨナヨと拍子抜けしてしまいました。 この弁天さんの、あまりにも簡単なびわの弾き方については長い間なぞで、心の片隅で、「なんであんな簡単な弾き方なんだろう?」とずっと思っていました。しかしとうとう最近、その謎が解けました。 前にも何度かメルマガに書いた、私の音楽を絶賛してくれているプロデューサー(デラルスをデビューさせたプロデューサー)との最近の会話で理解できました。「君に出てきた弁天さんって、僕の周りの音楽業界の人は、信仰してお参りしている人がとても多いんだよ。弁天さんって、音楽の神様なんだって!」と彼は言うので、「そうらしいですね、弁天さんって、音楽とか芸能の神様なんですってね。私を守ってくれていた神様の一人だから、そういうわけで、私は音楽が好きでやめられなかったのですよ、きっと。弁天さんの持っている楽器は、びわなんですよね。」と私は答えました。 すると彼は、「弁天さんって、びわを持っているの?それ、知らなかったよ。なぜか、数年前から、和楽器に興味があって、惹かれているんだ。びわなんて、面白いよね。」「弁天さんって、音楽の神様のくせに、私が遭遇した時は、1つも難しいことを弾いていなかったんですよ!神様なんだったら、もっと難しいことを弾いていてもいいのにね!“ビヨーン、ビヨーン”と、一音ずつだけ! あまりに簡単すぎて、ずっこけましたよ。なぜでしょうね?」「ああ、びわってね、まさにそういう弾き方をする楽器なんだよ!」「え? びわの弾き方って、ああなんですか?」「そう。びわは数千年の歴史があって、目の見えない人が弾いてきた楽器だから、普通のギターとか他の弦楽器よりも奥が深いものがあるんだよ。目の見えない人は音だけが頼りでしょう?ずっと弾き続けるモチベーションが保たれるには、楽器に感情移入できるような奥行きが無ければ、無理でしょう?だからね、弦を押さえる部分の板と弦の間の距離がとても開いていて、指で弦を押さえても、板にくっつかないんだよ。それで、弾き方は音を長く響かせて振動させて、まさに、“ビヨーン、ビヨーン”という弾き方。」「ええええーー?じゃあ、私が観た、弁天さんのびわの弾き方と、全く同じじゃないですか! びわって、そうやって弾くものなんですね!これ、私が作っている話しじゃなくて、本当にそういう弾き方をしていたんですよ!それに、びわの弾き方なんて、私は今まで知らなくて知識が無かったので、私が作れる話しではないです。」「ほんとだね・・・」と言って、彼は驚いて絶句していました。「これで、私の観た弁天さんや七福神の話しのつじつまが合っているのが分かるでしょう?私が作っている話しではなくて、本当に起こった話しなんですよ。びわの弾き方までは、私は知らないのですから。」「そうだね。」と彼は言って、話しのあまりにも細部までよくつじつまがあっていることに驚いて、信じてくれています。
2007年11月14日
コメント(0)
2006年1月14日発行号公開アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.55 06/01/14 (土) 発行 皆様、こんにちは。ニューヨークは、随分暖かくなってきました。ここ数日間は、暖かすぎて気味の悪い天気です。 さて、私のアメリカ盤ファーストアルバムCD“Seven Gods”は、1月7日から手売りで発売を開始しました。その日は、毎年1月1日から7日までの、七福神巡りの最後の日だったので、何か記念になることをしたいという一心で、その日を発売日にしたのです。 カレンダーをふと見ると、1月7日は土曜日だったので、「ああ、この日はお休みだから、パーティーをしたい!」と急に思いついてしまいました。計画性がないです。水曜日から考え始め、場所を探し、前日の6日に場所を借りに行きました。マンハッタンの中心地の、ワンルームマンションのサブレットで、1部屋を借りて会場に充てました。 6日、家に帰ってから、メールで友人知人たちにご案内を送りまくりました。前日だから急すぎて、ほとんどの方々は来ることが出来なかったようですが、それでも、入れ替わり立ち代わり、30人弱くらいは来てくださいました。1年ぶりくらいに会った人もいて、久しぶりに知人と会って話が出来て、楽しかったです。新たに、お互いにその場で知り合いになった方もいて、良かったと思います。楽しかったので、また機会があれば、何かのパーティーをしたいと思います。 メルマガの読者の方々にも、アメリカ盤のこのCDを、一足先に通信販売いたします。詳しい画像などはウェブサイトのMusicのコーナーに載せてありますので、ご覧になってください。気に入ってくだされば、ぜひ購入ください。通信販売は、メールで受け付けています。お問い合わせは、直接私にメールでお送りください。お待ち申し上げます。 さて、今日は、読者のお便りの質問に答えマス!「男の中の男、ドクター・ジョン」「CDを購入させていただきたいと思います。 きになってはいたのですが 今までうじうじしていたわけがあります。 ブルーシャさんのメルマガを よんでいて 時々出てくる ブルーシャさんの好きなジャズミュージシャンなんかを ネットでチェックして聞いてみたりしたのですが(なんといいましたっけ、リンカーンセンターに観に行かれた方だったとおもいますが) どうも わたしごのみではなくて それで なんとなく 踏み出せないでいたのです。 もちろん 今回の音楽が彼と同じジャンルのわけが無いし、ブルージャーさんご自身の音楽であるわけですが それでもなんとなく。 が、 私も なんか 幸せの波動をもらいたい! と 思います。」 上は、読者からのお便りです。これは、もしかして、「ドクター・ジョン」のことではないでしょうか?過去のメルマガに書いた、私が大ファンのミュージシャンについてはいくつかありますが、これはきっと、ドクター・ジョンです。・・・そう気付いた瞬間に、私は、お腹を抱えて、ふきだして笑ってしまいました! は・は・は! 私の音楽は、あんなに濃くないですよおおおおお。私が作っているので、とっても爽やかになってしまいましたよ!音楽って、作った本人に似てしまうものなのです。本人のキャラクターが出てしまいます。私の音楽は、爽やかなハーモニーの、ジャズ・ファンク&ラテンが混じったようなものです。しかし、激しいリズムですよ!パーカッショニストが、私を含めて3人もいますから!3人のパーカッションなんて、ものすごくパーカッシヴで、ノリノリですよ!普通のジャズよりも、ズンズカズンズカと、激しいリズムの音楽です。でも爽やかで、ソヨソヨしています(笑)! そうなんです、ドクター・ジョンは、存在自体も音も「あまりにも濃い」のです。彼のは、もう、脂ギトギトの音楽なんです。アメリカ南部のニューオリンズの人ですから。それはそれは、濃いブルースです!彼は、ブルース部門で、グラミー賞を2回は受賞している大御所です。私は、彼の大ファンです。彼のその独特の個性と、他の人が真似できない濃いサウンド、煮ても焼いても食えなさそうな強さが、すごく大好きなのです。男は、あのくらい強くなくっちゃ! ドクター・ジョンは、なんか、海賊のボスみたいな人です。大きいし。ふてぶてしくて、精神的にも強いヲトコですね。あんなに、精神的にびくともしなさそうな、芯が図太く強い男は、地球上で滅多に見たことがありません。渋い人です。「男観」 ドクター・ジョンは、男らしいですねえ。素敵な男性です。結構、私は子どもの頃からひどいマチズモ(男性優位主義)で、男なんだったら精神的に強くて女より賢くて頼りがいがないといけません!っていう考え。激しいですね。この考え方、激しすぎるとは分かっているのですが、止められないのです。「ダメな男だってたくさん世の中にいるんだから許したれや!」ってたまに友人から言われますが、直りません。「なぜなら、あんたは男だから!」ただそれだけです(笑)。男で、コンプレックスを抱えていてひがみ根性のある人には、「あんた、男でしょう?ひがんだり嫉妬心を抱いている暇があったら、努力しなさい!なぜなら、あんたは「男」だから!努力&仕事しなさい!女の私でもやっているのに!」と言いたくなってしまいますが、日々こらえています(笑)。
2007年11月13日
コメント(0)
2006年1月2日発行号公開アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol.54 06/01/02 (金) 発行 2006年の新年が明けました。おめでとうございます。本年も引き続き、よろしくお願いいたします。「メガ・ブルーシャからセブンゴッズ発売」 今年は、1月7日発売予定で、“SEVEN GODS”(七福神)のアルバムを自主制作で、MEGA BRUIXAから発売します。レーベルの名前の由来は、“ブルーシャがMEGA(100万倍)!”のパワーを宇宙から授かって、それで芸術表現をして、さらに人々に還元していけますように!という願いを込めました(笑)。 「アルバムジャケットの原画」 このアメリカ盤のアルバムジャケットの絵と全てのグラフィックデザインは、もちろん私がやりました。視覚によるアートも私の得意分野なので、ジャケットの絵は、張り切って描きました。七福神が私に出現した時の情景を覚えているので、それをできるだけ再現して描きました。この原画は、私のウェブサイトの、PAINTINGSのコーナーにアップしましたので、一足先にご覧下さい。 CDは、ロスの工場にエキスプレスで数枚だけ刷っていただいて送ってもらったので、見本が手元にあります。自分で想像していた以上のクオリティーで仕上がり、大満足です。ジャケットの絵もかわいいし、CD盤そのものに、七福神の絵を印刷してもらって、とても凝ったデザインにしました。CD盤自体に、文字だけの印刷の場合よりも追加料金がかかるのですが、せっかく自主制作で自由に作れるので、自分の好きなように作りました。 友人に何人かに見せたら、全員、「かわい~い!私もほし~い!」と言っていて、絵柄だけで、もうすでに大好評です。でも、中身の音もすごいですよ! 幼少頃からの長年の芸歴、音楽活動とアート活動が両方とも実ってきて、そのお陰で、ジャケット、音の両方とも、完成度の高い作品をCDとしてお客様に提供できるようになったので、私もとても嬉しいです。自信を持ってお勧めできます。これなら、買ってくださる方々に、とても喜んでいただけると自負しています。私にとって、これはとても大事なことです。 クオリティーの高い作品でなければ、私はお客様に申し訳なくて、売る気になれないです。今まで、完成度とクオリティーが高い音楽が作れる時期が来るまで出さなかったのは、このような私のアーティストとしての誇りと考え方からです。中途半端なレベルの作品は、一切世の中に撒き散らしたくなかったのです。自分も恥ずかしいし、お客様に対しても大変失礼です。きっと今が、私の音楽を出すべき時期になっていたのだと思います。「七福神の色」 ジャケットの原画のとおり、七福神の背景の色は、卵色のような黄色でした。彼らの着物は、みんな明るいカラフルな色でした。黄色という色が、彼らの波動の意味を表しているのかなと気になって、リサーチしてみました。 黄色は、知識、知性、知的好奇心、楽しみ、幸福を表す色だそうです。これって、やっぱり、七福神の特長にピッタリですよね。知恵を司る神様も2人くらいいることだし、彼らは皆、宴会をしていて酔っ払っていて、大笑いして、歌を歌って手拍子を打っていたのですから。彼らは、パーティーと酒、笑いと歌が大好きな神様なので、楽しみと幸福を表しているというのもピッタリ合っています。 つじつまが合っていますねえ。「アメリカのレコード会社の人も絶賛!」 遡って説明することにします。 去年、私のアルバムの参加ミュージシャンで、長年の友人であるドラマーのアーニーが参加出演するということで、一人で、名門ジャズクラブのバードランドに行ったときのことです。その日は、ラテンファンクの大御所の、プーチョ&ザ・ラテン・ソウル・ブラザーズのコンサートでした。 私は一人で行って、ど真剣に音楽を聴いていたからでしょう、会場では目立っていたみたいで、インターミッションの時に、2人の男性が一直線に私に向かって歩いてきて、声をかけてきました。「あなたは、シンガーですか?」と、私に聞いてきたので、「いいえ、私はシンガーじゃありません。歌は嫌いなんです。楽器を弾くのは好きですが。私がやっているのは音楽だけじゃないです。絵もやっています。私は、アーティストです。」と、ムッとして答えました。 私は歩いていると、ニューヨークのあちこちで、しょっちゅう、「あなたは、シンガーですか?」と聞かれるので、「またか・・・」と思って、うんざりしていたからです。なんで、歌手に見えてしまうのでしょう? 音楽的な感じが漂っているのでしょうかね?「ああ、アーティストですか! そんな感じがしてますよ。私達はてっきり、あなたは歌手かなと感じ取ったのです」と、彼らは言いました。「ええ、よく、貴女は歌手ですか?と聞かれるのですが、自分が歌うのは嫌いです。歌はお金をもらっても歌いたくないですよ! ノーサンキューです! 私が好きなのはインストゥルメンタルで、楽器を弾くことなんです。楽器だけの音のほうが、純粋芸術だと感じます」と、答えました。 そして、彼らは、自分たちの名刺をだして、私に渡しました。 彼らは、レコード会社の人達だったのです。ラテンミュージック専門のレコード会社です。 そして私達が談笑しているところに、俳優マット・ディロンに良く似た人がやってきて、彼ら2人に挨拶して握手をしていました。そうしたら、彼らは、「マット・ディロンですよ」と私に紹介したのです! あらら、彼はやっぱりマット・ディロン本人だったのです。 その時になって、私は、「この人達2人は、いわゆるギョーカイの人なんだな」と気付きました。 そういうわけで、彼らの名刺をまだ持っていた私は、メールで、七福神の音楽を1曲だけ、MP3ファイルで送ってみたのです。「私のこと覚えていますか?・・・」と手紙をつけて。 すると、すぐに返事が来て、「貴女の音楽は、とても素晴らしいです! しかし現在、音楽業界はトレンドな業界ではなく、下り坂で、毎年規模が縮小されてきています。そのため、私達のレコード会社では、新人のレコードを出すということを現在はやっていないのです。出すものは、すでにデビューしていた人達のものだけです。でも、MP3ファイルで音源の販売はやっているので、あなたの音楽をそこで発売することなら出来ます。興味があれば、すぐに契約書を送ります。」などと書いてありました。 MP3ファイルで発売はジャケットの絵も描けないし、世に出すには、CDとして何か形が残るもののほうが私としても嬉しいので、せっかくのお話ですが、お断りしてしまいました。でもまた、後にMP3での販売に興味が出たときには、必ず連絡させていただきますとお返事をしました。 でも、アメリカ人の音楽業界の人達が、私の音楽を絶賛してくれて、契約書を送りますと言ってくれたことは、嬉しかったです。やっぱり、完成度が高い音楽なのです。 今後はどう展開していくか分かりませんが、アメリカで音楽活動をやっていけそうな可能性は感じられる出来事でした。 この出来事を、以前のメルマガのバックナンバーに書いた、オルケスタ・デ・ラ・ルスをデビューさせた名プロデューサーで、私の音楽を絶賛している方に話したところ、「そのレコード会社、聞いたことあるよ。ニューヨークにあるでしょう?」と言って、びっくりしていました。 私を見直したような、驚きの顔をしていました。
2007年11月11日
コメント(0)
2005年12月23日発行号 公開アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol. 53 12/23/05 (金) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか? 私は、ジュエリー注文の制作の追い込み、取材、アルバム制作のために、ここ2週間ほどは走り回っていました。しばらく、メルマガがお休みになってしまったことを、お詫びいたします。注文のジュエリーを11個、28日までに仕上げなければならないので、ずっと作業をし続けていました。何とか間に合いそうで、目途がつき、ほっとしています。とっても可愛い作品が出来上がりました。 前回お知らせしました、自主制作版の七福神の音楽のアルバムは、新年の2006年1月7日に発売予定です! 七福神巡りの最後の日に間に合います。すでにCD製造の工場に注文済みで、あと1週間くらいで完成します。お楽しみに! これは、アメリカ盤の限定アルバムになります。 ご予約を下さったメルマガの読者の方々に、お礼を申し上げます。本当にありがとうございます。とても感謝しています。「アルバムジャケットの絵」 アルバムは、ジャケットの絵を私が描きました。このメルマガの第7号で書きました、七福神が出現して私の霊体を引っこ抜いて上まで連れて行った時の様子を、再現して描きました。 目を閉じると、今でも色合いや情景を覚えているのです。彼らが床に座って、輪になって宴会をしていて、私が怖がったら大笑いして歌を歌ってくれた時の様子を描きました。霊なので、半透明でしたので、できるだけその情景に近づけるために、透明水彩で描きました(笑)。彼らのバックの色は、黄色でした。 アルバムジャケットの絵もそうですが、同じ絵柄を丸く切り取って、CDの円盤そのものにこの七福神の絵を印刷してもらうデザインにしました。 皆様がCDを取り出すたびに七福神と目が合い、CDをかける度に、この七福神が、“ぐりんぐりん”回転します!! すごいでしょう? 回転する七福神! それがまた、可愛いデザインなのです。我ながら気に入っています。自主制作版なので、好きなように作りました。ジャケットの表紙にはアルバム名を書きましたが、CD盤には七福神の絵だけにして、アルバム名は書き入れませんでした。七福神の姿の絵の上に、文字を重ねたくなかったからです。その代わり、ものすごく小さく、“This Music Makes You Happy !”と書きました。 ジャケットの絵には、実は仕掛けがしてあります。床に転がっている4つの酒の徳利に、ものすごく小さな字で、「商売繁盛」、「恋愛成就」、「心願成就」、「無病息災」と書いてあります。買ってくださるお客様全員に縁起がいいことが起こりますように、と願いを込めて書きました。CDジャケットくらいの大きさに印刷されると、この文字たちははっきり見えないかもしれません。でも、言霊のパワーはあると思います。デカデカと文字が見えないところがミソですね。 前回のメルマガに、ミュージシャンのメンバーについて書きましたが、なんと、肝心の私の部分を、楽器が抜けて書いてしまいました。大部分の楽器のプログラミングもしたし、再録音でエレクトリックピアノも弾きました。ジャケットの文字の見直しをしているときに、気付きました。ですから、それも含めて、もう一度曲名とミュージシャン名を書きますね。アルバム名 “Seven Gods”バンド名 Bruixa & The Wonder Workerプロデュース&作曲 By Bruixa Nishimura語り 1曲 音楽 5曲1. The Story about The Seven Gods (2:56)2. Theme of The Seven Gods (9:59)3. Coming Down The Seven Gods from The Universe (8:36)4. The Seven Gods Are Walking Among Us (6:55)5. Ritual for The Purification (6:01)6. Jam Session of The Seven Gods (7:59)Total 42分28秒 「50枚注文してくれた人も!」 この初回限定盤のアメリカ盤アルバムのご予約をメルマガで承ったところ、なんと、50枚注文してくださった方がいました。ほんとに、ありがとうございます。完売したら、再注文を追加でお願いしたいと言ってくれています。(涙。。。) たまーに、1万人に1人くらいのごく少ない割合で、私にはものすごく熱狂的なファンがぽつぽつといてくれます。ありがたいことです。一度本を出版したことがあるので、それを読んで熱狂的な感想を送ってくださった方や、手相鑑定&タロット鑑定のお客様とか、2年半続けているバレエのコラムの読者などがお便りを下さいます。 私なんてまだ、全然メジャーになっていないのに、こんな時期からファンでいてくださっている方には、とても感謝しています。東京からわざわざニューヨークに会いに来てくださった方もいました。彼らのような方々は、ずっと大切にしていきたいと思います。ありがたい方たちです。彼らは、価値観がしっかりしていて、自分の物差しを持っていて、有名かどうかで価値判断をしないで物事を選ぶ人達なのですね。いつか、彼らと集まってサロンかパーティーをして、みんなで交流してみたいものです。そんな機会が持てたらいいなと考えています。 将来余裕ができたら、みんなが集まることが出来て、そこで友達を増やして交流が広がっていくような、サロンかカフェのような場所を作りたいなと思っています。スペインに住んでいた頃、カフェにふらっと出かけると、そこで街の誰かと必ず会うので、みんなでああだこうだと話し込んで、友達の輪が広がっていきました。こういう場があったらいいなと思います。「デ・ラ・ルスのプロデューサーのお言葉」 日本人で唯一、全米ビルボードヒットチャート11週連続1位、マジソンスクエアガーデンでのコンサート、国連平和賞受賞の、オルケスタ・デ・ラ・ルスをデビューさせた名プロデューサーが、私の音楽を大絶賛してくれました。嬉しいです。彼は、聴いてすぐに、1秒で判断しましたね。早いです。 「こんなすごい音楽は、初めてで作れないよ! 君は、初めて自分で音楽を作ってみたんでしょう? 初めてとは思えない!」と、このプロデューサーは、びっくりたまげていました。彼には、とても感謝しています。彼が協力してくださることは、このうえなく心強いことです。「作ったのは初めてですが、幼少時からずっと音楽は勉強してきたし、好きなことだからこだわってきたのですよ。いきなりはこのクオリティーで音楽は作れないですよ。中途半端なレベルのものは一切作りたくなかったからです。」と私は説明しました。 「でも、10年以上、オルガンを学んでいたんでしょう?なんでやらなかったの?」と彼は聞いたので、「はい。実は、理想主義者なので、目標にする規準が高すぎて、オルガンで到達すべきレベルは、ジミー・スミスを「普通」だと思っているのです。私は、まだまだ、ジミー・スミスよりも下手で、彼には及ばないので、それで、特に音楽活動に本腰を入れてやったことはなかったのです。DJは、耳の感覚だけで、技術は要らないことだったので活動していました。私は根が謙虚なのです。」などと私は答えました。すると、彼は大笑いして、「ははは!ジミー・スミスより下手って、当たり前だよ! 誰もジミー・スミスみたいには弾けないって!」とものすごく受けていました。 彼の周りのプロのミュージシャンでも、ここまで思いつめて、つきつめている人はいないみたいでした。 私は、好きなことにはとことん理想を追求してしまう性質なのです。「そうですよねえ。ジミー・スミスは、根本的に、違いますよね。それでも、私には、理想の音というものがはっきりあるので、私は作曲だけを主にして、理想の音を実現させてくれる世界的レベルのミュージシャン達に協力をお願いして、演奏に参加していただきました。ピアニストは、もちろん凄腕で、アメリカ人です。私がやったら、並みのオルガンしか弾けなかっただろうけれど、自分以上のレベルの人に協力をお願いしたら、さらにレベルの高い作品が作れるのですから。会社の経営と同じですよね。色々な人の力を借りればいいのです。私は、冷静に作品全体を観ることが出来るのです。」と私は説明しました。 すると、彼は、無言でうなずいていました。私の意図をとてもよく理解してくれました。私は、作品のプロデュースが得意なのですよね。 芸歴は、幼少時からずっと長いので、これからもクオリティーの高い音楽を作っていきたいと思っています。アルバム制作には、特にこだわって活動していきます。夢は果てしなく、名盤を残してみたいということです。永く聴き続けられるような、いいアルバムを残したいです。 音楽は幼少時からオルガンを学んで、DJとして活動を続けましたが、七福神が音楽を送ってきたことがきっかけで本格的に活動をし始めたなんて、自分でも驚いています。何事も、あきらめずに長く努力を続けていると、いいことがあるのですね。きっと、七福神たちは、私が音楽のアレンジと構造の研究に膨大な時間を費やして情熱を燃やし続けていたことを、上から見ていて知っていたのですね。
2007年11月07日
コメント(0)
2005年12月6日号 公開アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol. 52 12/06/05 (火) 発行 皆様、こんにちは。お久しぶりです。お元気ですか?あっという間に12月になり、今年も年末あと残すところわずかになってしまいました。時が経つのは早いものですね。この分では、あっという間にまた10年くらい経ってしまうのでしょうか・・・。そう思うと、やっぱり、やりたいことに集中したほうがいいですね。「七福神アルバムについて」 さて、今日は、七福神アルバムについて、皆様にお聞きしたいことがあります。 今回、年内を目標に、遅くとも年明け早々くらいまでに、試しにプロモーション用に、自主制作でアルバム少し刷ってみようと考えました。数日間ですぐに準備にかかりたいです。もちろん、ジャケットの絵は、七福神を自分で描いています。「一足先に限定版をぜひ購入したい!」とか、「七福神の音楽を少しでも早く聴いてみたい」という方々で、何枚購入したいかという、ご予約を承りますので、ご希望の枚数をメールで返信してください。できるだけ早く返信をいただけると助かります。ご協力をよろしくお願いいたします。販売方法は手売りで考えていますが、日本とアメリカで、郵送方法や支払方法を検討して、発売までには決定しておきます。「初回限定盤」 (例えば200~300枚プレス) 初回特典として、音楽5曲の前に、2分間ほど、“The Story About Seven Gods”という、私とパーカッショニストの即興で録音した、私がブツブツと「なぜこのアルバムを作ることになったか」という物語を話している音源を加えます。これはミュージシャン達の録音時のその場のノリで私がさせられて、準備なしで即興だったため、将来的には未収録にして、音楽のみのアルバムにしようかなとも考えています。ですから、初回限定の、幻の私の実声入りになる可能性大です。このアルバムを聴いてくださった方々に、声入りがいいか、無しのほうがいいか、その後にアンケートを実施したいと思います。価格 15 米ドルアルバム名 “Seven Gods”バンド名 Bruixa & The Wonder Workerプロデュース&作曲 By Bruixa Nishimura語り 1曲 音楽 5曲1. The Story about The Seven Gods (2:56)2. Theme of The Seven Gods (9:59)3. Coming Down The Seven Gods from The Universe (8:36)4. The Seven Gods Are Walking Among Us (6:55)5. Ritual for The Purification (6:01)6. Jam Session (7:59)Total 42分28秒 Recorded at Nevessa Production Woodstock in New York on Aug. 15, 2005 By Chris Andersen ( Engineer )参加ミュージシャン: Ernie Colon : Drums Will Boulware : Piano, Hammond B3 Organ, Arrangement Bill Perry : Guitar Sal Giorgianni : Alto Sax, Flute Tomaz Lopez : Percussions ( Congas, Timbales ) Lamont Holt : Bass Bruixa Nishimura : Small Percussions, Arrangementの一部( guest for this recording only : Steve Sacco : Small Percussions )「伝説の地、ウッドストックで録音」 録音は、伝説の場所、ウッドストックでしました。ここは、ニューヨーク州の上のほうに位置していて、1969年8月15日から17日まで3日間開かれた、音楽史上類を見ない伝説のコンサートイベントが行われた場所なのです。この3日間で、なんと、48万人が集まったそうなのです。その当時まだ無名だった、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、サンタナ、ザ・フー、ジョー・コッカー、スライ&ザ・ファミリー・ストーンなどが出演しました。今思えば、そうそうたる面々ですね。彼らは、このウッドストック・フェスティバルの後、みんな、大成功して、大スターになっていきました。これは記録映画にもなっていますが、この映画の助監督は、なんと若かりし日のマーティン・スコセッシです。(私は彼のファンでもあります。) ですから、私は、中学生の時に、夜更けの番組でこの記録映画を観て、「いいなあ、アメリカって。すごいミュージシャン達がいっぱいいるなあ。いつかアメリカに行って、できればニューヨークの凄腕ミュージシャン達と録音して、いいアルバムを残してみたいなあ。」と、長年、夢を抱いて、憧れ続けていました。その当時の私にとっては、無謀な夢でしたが、なんだか、七福神をきっかけにして、とうとう録音が叶いました。信じられないことです。日本で音楽好きな人達は、みんな、このウッドストックの記録映画に憧れていたものでした。私もその一人だったのです。 そこで、音楽を録音する計画が持ち上がった時に、候補のスタジオとしていくつかピックアップしていた時に、ウッドストックにあるプロ用のスタジオを見つけたときには、全身鳥肌が立ちました。そのうえ、非常に高価でレアな、本物のハモンドB3オルガンが設置してあるのです! (B3オルガンについては、私のホームページの、アル・クーパーのコンサート写真に写っています) そして、七福神と交信して、会話しました。この会話についても、過去のメルマガに書きましたので省きます。彼らが言うには、この場所で、ウッドストック・フェスティバルと同じ日付に録音することは、その8年前から、霊界で決まっていたことで、霊界ではもう録音が終わっているので、あとは現実界で自然に事が行われるだけなので、安心しなさい、ということでした。ウッドストックの音楽の精霊達が、大いに力をかしてくれるのだと、七福神は言いました。そういうわけで、ここで、8月15日に録音したのです。「メンバー紹介続き」 バンドのメンバー紹介は、少しずつ、メルマガで紹介する予定です。以前のメルマガで、ギタリストのビル・ペリーについてだけ、紹介しましたね。ビル・ぺリーは、私が大ファンのブルースギタリストです。ヴァージンなどからアルバムを出していて、毎年世界ツアーに行っていて、ヨーロッパで大人気のギタリストです。彼は、私の音楽を絶賛してくださって参加までしてくださったので、人生で一番嬉しい出来事でした。 今日は、2名のメンバー紹介をします。まずは、ピアニストの、ウィル・ブールウェア。私が尊敬している実力派です。私は自分が、幼少時からオルガンを学んでいたので、滅多なことでは鍵盤楽器のミュージシャンに興味を持たないのですが、彼の才能は、驚異的で、さすが、アトランタ育ちです。このような方に、私の音楽を絶賛してもらえて、参加までしてくださって、信じられないし、大変光栄な幸せなことだと感謝しています。「ウィル・ブールウェア1952年7月6日、ケンタッキー州バーズタウン(Bardstown)生まれ。ジョージア州アトランタに移った6歳の頃からピアノを学び始め、14歳になるとR&Bグループの一員としてナイトクラブで演奏を始める。17歳になると自作曲をレパートリーとする自身のオルガン・トリオを結成し、アメリカ南東部で演奏活動を開始。19 になると B.B.キングやポール・デイヴィスに楽曲を提供したり、レコーディング・セッションに参加。21 歳でニューヨークに拠点を移す。その後は数多くのレコーディングやツアーに参加。90 年代からはファンクの大御所、メシオ・パーカー・バンドの欠かすことの出来ないメンバーでもある。他に最も近年のツアーを挙げると、 98 年のブルース・ブラザーズのワールド・ツアー、99年のジョン・スコフィールド・カルテット、200年のカーラ・ブレイ・ヨーロッパ・ツアー等での活躍が有名。参加アルバムは多数あるが、代表的なアーティストの名前を挙げるとジョージ・コールマン、デヴィット・リーブマン、マイケル・ブレッカー、ロドニー・ジョーンズ、スティーヴ・ガッド等々、数多くのミュージシャンと共演している。」ウィルは、B.B.キング、マイケル・ブレッカー、スティーヴ・ガッドなどの大御所たちと活動し続けているのですから、驚きですね。彼は、とても真面目で、味のある方です。次は、サックスとフルートの、サル・ジョルジアンニです。私の長年の友人の、ドラマーのアーニーの30年来の友人で、「だれか、いいサックスいない?」とアーニーに相談して、紹介していただきました。2人とも、私より一回り以上年上で、大人だし、ベテランで尊敬しています。ニューヨーク州の上の方、マンハッタンから2時間くらいのところに住んでいます。この方は、私の七福神の話に興味を持っていて、「その話し、僕は信じるよ。鳥肌が立ったよ。僕はね、実は、4年前から君の話をアーニー(ドラマー)から聞いていて、ずっと君に会ってみたかったんだよ! 会いたかったのに、機会が無くて、いつも、アーニーに、“彼女に一度会わせて欲しい”と頼んでいたんだよ!“彼女は、すげえ天才的な芸術家で、何でも恐ろしく高いレベルで作品を作るんだ。絵もすごいし、写真も文章もやってるんだよ。音楽も僕と時々作ってるよ。スペインに住んでいるんだけど、ニューヨークにも時々来るよ。僕の自慢の友達なんだ! とても尊敬している。僕がよぼよぼの老人になってもずっと友達でいたいし、ツエをついて会いにいくだろうよ。彼女は天才だよ”なんて、いっつも君の話を彼から聞いていたんだよ。だから、やっと君に会えて嬉しいよ!」と、会って早々、意気投合してしまいました。友達の輪ですね! サルは、霊体が観たことがないくらい、とても透明で澄んだ、美しい方です。エンジェルみたいです。彼から出る音色も、とても美しいものです。彼はなんと、ボサノヴァの巨匠、スタン・ゲッツとも共演しているし、誰でも知っている巨匠のマイルス・デイヴィスとも共演&録音に参加しています。ひえええええー。こんな彼のような一流のジャズマンに参加していただけて、信じられないし、光栄です。 「サル・ジョルジアンニ (アルトサックス、フルート)18歳の時にEllenville Jazz Ensembleのソリストとして参加し、82年にモントルー・ジャズ・フェスティバル(スイス)に出演。20歳で、マイアミビーチで、Stan Getz と共演。その後、ニューヨークにてLarry Coryell, Albert Dailey, Buster Williams, Billy Hart達と共演し始めた。その後もジャズの巨匠たちと共演、録音。Miles Davis, George Gruntz, Arturo Sandoval, Elvin Jones, The Gil Evans Orchestra, The Bobby Watson Big Bandなど。1991年モントルー・ジャズ・フェスティバルにて、Miles DavisとQuincy Jones と共演&録音、その時のライブ盤は、グラミー賞を受賞した。"Miles Davis And Quincy Jones : Live At Montreux".」
2007年11月06日
コメント(0)
2005年11月14日発行号 公開アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol. 51 11/14/05 (月) 発行 皆様こんにちは。お元気ですか? 音楽は、やっとミックスダウンが全て終了しました。ベースの部分を、もう一度私が、エレクトリックピアノの下の鍵盤で弾いて、再録音もしました。ようやく完成しました。ほっとしています。 私は、とても多忙になってきました。一度に何種類も仕事をこなしつつ、ジュエリー制作と音楽制作をやっています。好きな仕事ばかりしているので楽しいです。何種類か仕事をやる方が、様々なフィールドの人々と知り合えるし、自分自身の頭に切り替えになり、さらに色々なインスピレーションが得られるので、刺激になってとてもいいです。私にはその方が合っています。 色々な違う分野の人と知り合うのが大好きなのです。 人に教えてもらう情報から、私は多くを学んできました。本を読んで学ぶことより、人から教えてもらうことの方が、私には貴重な情報がもたらされました。 ですから、ジャーナリストの仕事は、とっても楽しいです。いつも、「へえ、こんな人がいるのか」「こんなものが世の中にはあるのか!」という刺激の連続です。 若くて吸収力のいいうちに、取材の仕事をしてきて、私の人生にはとてもプラスになりました。特に、色々な人へのインタビューの仕事は、たくさんのことが学べて、何事にも替え難い経験になりました。肥やしになったと思います。ありがたいことだと、とても感謝しています。
2007年11月04日
コメント(0)
2005年10月28日発行号 公開アーティスト・ブルーシャ西村のエッセイ「強引ぐ マイ ウェイ」 vol. 50 10/28/05 (金) 発行 皆様、こんにちは。お元気ですか? 私は、現在、七福神の音楽のオーバーダブ(ベースラインの再録音)とミックスダウンの続きをやっていて、他にも色々活動を続けながらなので休みがなくて、メルマガ発行が遅れがちになってしまいました。楽しみにしてくださっている読者の方には、申し訳ございませんでした。 前回2回分のメルマガ、「コンテンツとスキル重視の時代到来の兆し!」1&2は、とても反響が大きかったです。びっくりしました。お便りが続々と届いています。今までのメルマガで、一番反響が大きいです。 中には、同じ事で悩んでいた旦那さんに読ませた人もいました。その旦那さんは、納得がいって元気が出たそうです。「おかしいなと感じていたことを、分かりやすく文章に書いてくれている!」と納得したとのことです。小さな人助けができて、良かったです。 多分、私のメルマガの読者で残っている方々は、前向きにがんばっている人が多いのでしょうね。応援しています。皆、卑屈な人になにかネチネチと嫌味を言われても、無視して、自分の仕事に集中して結果を出して、自分の道を突き進んでくださいね! 宇宙の法則からみると、私は、人間の嫉妬心や卑屈な面は、間違っていることだと考えています。 人と自分を比べて卑屈になったり、嫉妬したり、人の幸せを喜べなかったりするような人は、いつかは克服しなければならないのだと思うのです。 常に、正義だと思うほうを選んで行動していくべきです。 私の周りで、卑屈でなくて、嫉妬心がなくて、人の幸せを素直に喜べる人というのは、実は、数えるほどしか見当たりません。それほど、これは、克服するのが難しい問題なのでしょうね。 人類共通の問題ですね。 これを克服していくのが、人間の修行なのではないでしょうか?
2007年11月02日
コメント(0)
全19件 (19件中 1-19件目)
1

![]()
