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2008年10月26日
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カテゴリ: 芸術活動について
円高が進んでいますね。外国に住んで日本へ仕事をしている私のような者にとってはありがたいのですが、輸出を行っている日本企業にとっては気の毒です。まだ円高は進みそうですね。




さて、前回の続き☆です。音楽ネタで。ちょっと明るく。





DJにとっての激戦区のバレアレス諸島のマヨルカ(イビサと共に世界屈指の超巨大ディスコ産業のメッカ)で、なぜ私が(???)プロのDJになれたのか?
私以前には、マヨルカには、女性のDJがいなかったのですから。
私は初の、女性のプロDJだったわけです。


・・・それは、不思議なお導きのお陰なのです。




前にもどこかで少し書いたことがあるので多少重なる内容ですが、マヨルカ在住でマヨルカとイビサでプレイしているスペインで一番有名な某DJ(彼は1回のギャラが日本円で当時50万円だった)に、私はスカウトされたからなのですよ☆


・・・もちろん私は新米DJなので、もっと薄給でした~。(でも、現地の他の仕事のお給料に比べたら短時間でけっこう頂いていたと思います☆留学生だったのでありがたかったです☆)ハコが小さいクラブでレジデンスDJをやっていたせいもあります。このDJは、私の上司&エージェンシーのような感じでした。




(なぜ、ディスコのDJのギャラが、DJ一人で50万円とかになるかというと、ハコの規模が大きいからなのです。イビサとマヨルカのディスコテカは、超巨大産業なのですよ。



 お客が数千人~1万人とか入るハコの大型パーティーだったら、そこには有名なDJが呼ばれて高いギャラでプレイします。私は現地でこれを知って、ビックリしましたよ~

 小さなジャズクラブで生演奏するほうが練習も修行も大変なのに、なんでレコードを回しているだけのDJのほうがギャラが高いの~?と当時私は疑問に思っていたし納得がいかなかったのですが、「需要と供給の問題」なのですよ。

 お客さんがたくさん入るところのほうがお客さんが少ないところよりもギャラが多くなるっていうことなのです。需要と供給で、ギャラが違ってくるのですね。

 もっと高いギャラをディスコテカ側がDJに支払う場合もあるくらいなのです。大型パーティーの時は。

 ・・・こんなギャラ、ニューヨークでは聞いたこと無いな~、と思いましたよ、ニューヨークに来て以来。)




生演奏をしているミュージシャンの方々が気の毒になるくらい、現地(マヨルカとイビサ)のDJは待遇がよかったのです。

ギャラも高額だし、ハコが大きなところで大型パーティーでプレイするのですから、現地ではDJはスターのような感じでした。




私は、そういう激戦区で、女性なのにポッとDJになったので、”DJになりたい小僧たち”にものすごくにらまれ続けましたよ~!




現地には、そういう、DJになりたい、プレイするチャンスを得たいっていうDJもどき小僧たちだらけで~!




私がプレイする日は、そういう小僧たちがたまたま入ってくると、私を見るなり”げっ!女のくせにいいい!”と敵視して、私のプレイしている最中のDJ台(2台のターンテーブルをつないだ台)の前に、ズラ~ッと横並びにはりついて、きいいいいいっ!とものすごくにらんでくるんですよ。
じーっとこっちを見つめてにらんできていましたよ。










・・・当時は、”なんでこの小僧たち、そんなにしてまでDJになりたいのかなあ?”なんて考えていました。超巨大ディスコ産業のメッカだからこそDJになりたかったんだという彼らの気持ちを、私自身がよく分かっていませんでした。そんな意識ありませんでしたし、知らなかったですし。





でもね、当時、私は高度情報化社会の先進国の日本から来たのだし、そこから音源を持っていったのですから、現地の小僧たちが私に張り合ってもナア。小僧たちは音源を持っていないわけなのだから。こっちは子供の頃から年季が入っているんだから!ナメるんじゃないよ~!・・・と強気で思っていました☆




・・・どうしてそういう、激戦区のメッカでDJになれたかと言うと、その、著名な高額ギャラのDJにスカウトされる約4ヶ月前くらいから、毎日毎日、「アフロのお告げ☆」が来ていたからなのです。




「アフロヘア~にしなさいいいい! 髪の毛をものすごく大きくふくらませるんだあああ~!」
というお告げ。





そのビジョンのワタクシは、アフロが似合っているのですよ。




「アフロにしなさいいいいい!」というお告げ&ビジョンは、4ヶ月毎日毎日続いたので、一時帰国時に、とうとう、本当にアフロにしました。私は。




4時間半かかりましたよ。パーマね☆




まあ、美術学生だからいいか。今ならできるか。と思って、本当にアフロにしてしまいました☆




そしてスペインに戻り、その姿(顔がオリエンタルなのに髪の毛が巨大なアフロ)に街中の人々がギョッとして、異様に目立っていて、色んな人々に話しかけられ、とうとうこのDJにも話しかけられ。




音楽の話で盛り上がって、最初は面白半分でスカウトされたのですよ。「今度、僕が新しくクラブをオープンするから、そのオープニングにDJしに来てよ。ギャラは払うから。ちゃんと仕事として。」



ということで、面白半分で、そのルックスにより、スカウトされたのが始まりでした☆




それが、ワタクシときた日には音楽に関しては年季が入っていたしコレクターだったので、当日、「マヨルカでは私以外には誰も持っていないハズ!」なレアな音源ばっかり☆かけまくりました。




・・・それでそのDJがビックリ仰天して、「そんな、僕でも持っていないような音楽ばっかり!すごすぎる!ぜひ、来週から、毎週末DJをしてください!」とお願いされました。




そういうわけで、私はDJになったのでした☆




そして、やり始めてすぐに、この上司のDJからハウスの回し方、混ぜ方を教えてもらって、時間帯によっては、私は上司のレコード(3000枚以上ある)を使ってハウスも回すようになりました。




・・・アフロのお告げによって、私は結果的にプロのDJになったのです☆




そして、アフロのせいで、夜の世界でさえ迫力満点だったために、クラブやディスコで朝6時まで働いていても、ドラッグがひどい場所であっても、誰にもナメられることがなかったのですよ~。
これはすごかった。
髪の毛のせいで、怖かったのでしょうね~、周りは。「き、気合入ってるなあ・・・ひ~!」となったのでしょうな。




アフロのせいで、守られて、夜中の職業でも安全に働くことが出来ました☆




このアフロのお告げ、後から考えると時期的にも、身の安全的にも、TPOに合っている的にも、とってもパーフェクトだったし、あまりにも話しが出来すぎているなあと思いました。




これも、きっと、神々から私は誘導されていたんだなあとつくづく思います。




はて?アフロのお告げの先生方は、七福神だったのかなあ? 


私にこのお告げを送ってくるときは誰とは名乗らなかったけれど、愉快な神様なことは間違いないです☆





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最終更新日  2008年10月26日 17時02分40秒
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