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ベストセラー小説家の森村誠一さんが2023年7月24日肺炎のため東京都内の病院で死去(90)された。ご冥福をお祈りたします。
2023年07月24日
「ガリレオ」シリーズや「白夜行」などのミステリーで知られる人気作家、東野圭吾さん(65)の著作の国内累計発行部数(電子版を除く)が1億部を突破したことがわかった。版元各社が2023年4月3日、明らかにした。
2023年04月04日
日 本 文 学 研 究 者 ド ナ ル ド ・ キ ー ン さ ん生 誕 100年( 2022 年 6 月 18 日 付 )海外に日本文化と文学を広め、2019年2月24日96歳で心不全により亡くなった日本文学研究者、ドナルド・キーンさんは1922年6月18日、アメリカニューヨーク市に生まれた。18歳で読んだ「 源氏物語 」( アーサー・ウェイリー訳 )に感動し、日本文化に興味を持った。日本とアメリカで半年ずつ過す生活を続けながら、日本文化を英語で発信し、文化勲章も受章した。
2022年06月24日
☆彡 A ・ C ・ ク ラ ー ク 氏 死 去 ☆彡 SF作家「 2001年宇宙の旅 」「2001年宇宙の旅」などで世界的に知られる英国出身のSF作家アーサー ・ C ・ クラーク氏が2008年3月19日心臓発作のため移住先のスリランカで死去した。 90歳。秘書が明らかにした。 ロイター通信などが伝えた。1917年、英南西部マインヘッドの農家に生まれた。若い頃から宇宙科学に興味を持ち、第2次大戦では英空軍でレーダー実験に携わった。1945年、通信衛星を静止軌道で使う理論を発表。同理論はその後実現し、静止軌道は今もクラーク軌道と呼ばれる。この頃2000年までに人類が月に到達することも””予言””した。戦後、ロンドン大キングズ・カレッジで物理学と数学を学び、1946年、小説「太陽系最後の日」でデビュー。小説に加え、スタンリー・キューブリック監督と共同で脚本を書いた映画が大ヒットした「2001年宇宙の旅」(1968年)や「幼年期の終わり」(1953年)など、宇宙や未来をテーマとした約100点の作品を発表した。ほかに短編や科学評論も多い。AP通信によると、SFの優れた作品に与えられるネビュラ賞を3回、ヒューゴー賞を2回受賞。200年、英国のナイト爵位を授与された。1950年代にスキューバダイビングをするために訪れたスリランカを気に入り、1956年に移住。長年、ポリオ後症候群を患い、車いす生活だった。ほかの代表作に「海底牧場」「都市と星」など。( 2008年3月20日掲載、新聞より転記 )
2008年03月19日
☆彡 赤 川 次 郎 500 冊 突 破 ☆彡作家赤川次郎(60)が書いて書いて書きまくり、その著作本がとうとう500冊を突破した。日本のミステリー作家で500冊の著作本を発刊したのは赤川次郎がはじめてだそうです。赤川次郎は読者がいる限り600冊までは書きあげたいといっているようです。
2008年03月18日
☆彡 サ イ デ ン ス テ ッ カ ー 氏 死 去 ☆ 彡川端康成の「雪国」や谷崎潤一郎の「細雪」の翻訳で知られる日本研究者でコロンビア大学名誉教授のエドワード・サイデンステッカー氏が2007年8月26日午後4時52分外傷性頭蓋骨内損傷のため東京都内の病院で死去した。 86歳。故人の遺志で葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。米コロラド州出身。コロラド大卒業後、米海軍日本語学校で学ぶ。太平洋戦争後の1948年、外交官として来日。1950年に退官し、東大大学院で日本文学を専攻した。上智大やコロンビア大で教鞭を執るかたわら、平安時代の古典から近現代まで日本文学を翻訳し、海外に広めるとともに、米国の日本学研究をリードした。1968年に川端氏がノーベル賞受賞したさいにはストックホルムに同行し、講演原稿「美しい日本の私」を英訳・朗読した。川端氏は「(ノーベル賞受賞は)半分は訳者の手柄」とたたえた。1976年に「源氏物語」を完訳。また日本論や日本文学論も積極的に発表。「現代日本作家論」「私のニッポン日記」などの著書がある。東京都文化賞、菊池寛賞、山片蟠桃賞などを受賞。勲3等旭日中綬章受章。ハワイと東京を半年ずつ暮らす生活を長らく続けていたが、昨春、日本永住を決意、東京都内で一人暮らしをしていた。4ヶ月前に転倒し頭を強打、入院中だった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~日本文学研究家のドナルド・キーン氏の話・「優れた文学者でした。彼の翻訳で川端康成がノーベル文学賞を受賞したともいえる。彼とは海軍の日本語学校で出会って以来の付き合いで、わたしの京大留学中にはよく東京の家に泊めてもらい、コロンビア大では、1年を半分に分けて春学期は私が、秋学期は彼が教えていました。4ヶ月前から昏睡状態だったので、覚悟はしていましたが・・・。残念です」
2007年08月28日
☆彡 小 説 家 ・ 西 村 寿 行 氏 死 去 ☆彡バイオレンス小説で人気のあった小説家・西村寿行さんが2007年8月23日、肝不全のため東京都内で死去。76歳。1969年「犬鷲」がオール読み物新人賞佳作となりデビュー。バイオレンス小説「君よ憤怒の河を渡れ」、動物を描いた「黄金の犬」などを発表した。大胆な暴力描写を盛り込んだ復讐劇は「ハードロマン」と呼ばれて多くの読者を獲得。社会派作品から時代小説まで執筆し、1970年~80年を代表する人気作家となった。「咆哮は消えた」などで直木賞候補。「君よー」が高倉健さん主演で映画になるなど、映像化された作品も多い。
2007年08月27日
☆彡 芥 川 賞 作 家 な ぐ ら れ る ☆彡2007 年 7 月 26 日芥川賞作家でパンク歌手の町田康(まちだ・こう)さん(45)が、千葉県内を走行中の車内で、同乗していたギタリストの布袋寅泰(ほてい・ともやす)さん(45)に殴られ、けがを負ったとして、千葉県警君津暑に傷害容疑で被害届を出していたことが7月26日わかった。布袋さんの所属事務所は「 一方的に暴力を振るったように報じられているが、事実ではない。けがを負わせたことについては大変申し訳なく思っている 」とするコメントを出した。
2007年07月27日
☆彡 新 作 は 「 向 こ う 見 ず 」 な ボ ン ド ☆彡ジェームス・ボンドが活躍する英スパイ小説「007」シリーズの最新作が、原作者イアン・フレミング(1908~1964年)の生誕100年を記念して2008年5月28日に出版されることが2007年7月11日、明らかになった。「シャーロット・グレイ」などの代表作がある英人気作家セバスティアン・フォークス氏が執筆、東西冷戦を題材にした物語で、題名は「DEVIL MAY CARE」(向こう見ず)。ほぼ書き終えたというフォークス氏は「 8割方フレミング氏の作品のようだ 」と話している。
2007年07月13日
☆彡 瀬 戸 内 寂 聴 作 家 生 活 5 0 周 年 ☆彡「波乱万丈の人生を送りたいと思って生きてきたわけじゃないのよ。そうせざるを得ない何かが私の中にあったんでしょうね。岐路に立ったときには常に苦しい方、危険な方を選んできました」昨年の文化勲章受章と作家生活50周年を記念し、東京・日本橋高島屋で「 瀬戸内寂聴展 」が開催されている。2007年5月刊の長篇小説「秘花」も10万部を突破、7月に入って絵本も出版した。 人気は健在だ。1957(昭和32)年に「女子大生・曲愛玲(ちゅいあいりん)で新潮社同人雑誌賞を受けたが同じ年に発表した「 花芯 」が「 ポルノ 」と批判された。「 しばらく文芸雑誌に書かせてもらえなかった。でも、そういう時期があったおかげで今がある。いろいろなものが蓄積されていたのだと思います 」「田村俊子」を皮切りに伝記文学を手がけた。岡本かの子や伊藤野枝、大逆罪に問われた金子文子・・・強烈な生を駆け抜けた人たちを次々に。最大の転機は出家、51歳だった。「気付いたら流行作家として多くの新聞や雑誌を書いていた。ふと、しんどいなあと・・・。文学をやり通すバックボーンのようなものが欲しかった」源氏物語の現代語訳を始めたのは70歳になってから。分りやすさが特徴の瀬戸内訳は源氏物語ブームの原動力となった。出版したばかりの絵本「月のうさぎ」と「幸せさがし」には子供たちへのメッセージをこめた。「 利己利他という教えです。私たちは人を幸せにするために生まれてきたのだと伝えたい。」 徳島県出身、85歳。
2007年07月13日
☆彡 三 浦 し お ん さ ん 文 楽 を 語 る ☆彡””文 楽 恋 愛 模 様 ・ 奥 深 さ を 語 る””2007年6月17日直木賞作家の三浦しをんさんを招き、文楽をテーマにしたトークショーが6月17日、大阪市中央区難波千日前の上方演芸資料館「ワッハ上方」で開かれた。人形遣いの桐竹勘十郎さん、三味線方の鶴沢燕三さんを交え、文楽が描く恋愛観などを素材に、その魅力や奥深さを語りあった。三浦さんは2006年「まほろ駅前多田便利軒」で第135回直木賞を受賞した。先ごろ、文楽作品の構成の大胆さなどに影響をうけ、著書「あやつられ文楽鑑賞」を発刊した。トークでは、心中物に登場する男のふがいなさなどを語った。また、聴講者のリクエストで、悲恋の場面の実演が即興で行われ、詰め掛けた100人が豊かな表現力を堪能した。
2007年06月24日
☆彡 源 氏 物 語 フ ラ ン ス 語 訳 に ☆彡2007年6月7日現代語訳「源氏物語」の著書がある作家の瀬戸内寂聴さんと、フランスの出版社社長、ディアンヌ・ドゥ・セリエさんが6月7日、京都市右京区にある寂聴さんの住居「寂庵」で対談した。2008年は源氏物語の成立から1000年となる「千年紀」。セリエさんは今秋、フランス語訳の源氏物語を出版する予定で、同物語のゆかりの地をめぐる取材陣を率いて来日した。2人は緑あふれる静かな庭で対談。寂聴さんが「このあたりは源氏物語の舞台」と紹介すると、セリエさんは「源氏物語には庭がたくさん出てきますね」と王朝の昔に思いをはせた。
2007年06月07日
☆彡 作 家 ・ 大 庭 み な 子 さ ん 死 去 ☆彡作家・大庭(おおば)みな子さんが2007年5月24日、午前9時14分腎不全のため千葉県浦安市の病院で死去。 76歳。 東京都出身。津田塾大卒。1968年、「三匹の蟹」で芥川賞。他の作品に「がらくた博物館」(女流文学賞)、「かたちもなく」(谷崎潤一郎賞)、「赤い満月」(川端康成文学賞)、「浦島草」など。人間関係と文明批評を絡めた作品を発表してきた。1987年には、河野多恵子さんとともに芥川賞選考委員に就任した。1996年脳出血などで倒れ、療養を続けていた。闘病中の2003年に刊行した「浦安うた日記」で紫式部文学賞を受賞した。2007年5月に入り容体が悪化、緊急入院していた。ご冥福をお祈りします。
2007年05月24日
☆彡 山 本 周 五 郎 賞 に 恩 田 陸 さ ん ””☆彡第20回山本周五郎賞に決まったのは恩田陸さんでした。変幻自在な作風で読者を魅了する人気作家が、本屋大賞、日本推理作家協会賞などに続き、また新たな栄誉に輝いた。宮城県出身。「家に山本周五郎全集があったので、子供のころから背表紙を見て、作品名が刷り込まれていました。その作家の名前を冠した賞をいただけてとてもうれしいです」。現在42歳。 笑みをたたえて話す口調には、風格すら漂う。受賞作「中庭の出来事」は、ホテルの中庭で人気脚本家が謎の死を遂げたことに端を発するミステリー。現場にいた女優たちによる劇中劇や芝居をめぐる物語が何層にも折り重なり、何が現実で何が虚構かが分らなくなっていく。 複雑に入り組んだ、物語の迷宮だ。「小説を書いているとリアリティーということがよく言われるが、何が真実かは主観的ではないかと思っている。だから『虚構と現実』をテーマにした小説を書いてみたかった」。書きながら自分でも分らなくなり、何度も読み返したという。1992年に日本ファンタジーノベル大賞に応募した「六番目の小夜子」でデビュー。青春小説やホラーなど、枠にとらわれない作品を世に送り出してきた。「今度はどんなものを書くのかなと思ってもらえる小説家でいたい」という言葉通り、読者は「恩田陸」というジャンルを楽しんでいるようでもある。「すごく関心がある」という舞台の脚本を執筆中。「縮小再生産に陥らないよう、自分のハードルを上げ続けて新しいことに挑戦したい」
2007年05月17日
☆彡 時 実 新 子 さ ん を 偲 ぶ 会 ☆彡句集「有夫恋(ゆうふれん)」などで知られる時実新子(ときざねしんこ)さんが先月、2007年3月10日78歳で逝去された。時実新子さんは、川柳作家でエッセイストである。川柳への見方を変えた人で川柳作家として大きな足跡を残しました。2007年4月22日。神戸市内で「時実新子さんを偲ぶ会」が行われ、生前親交のあった作家、玉岡かおるさんら約350人が出席した。冒頭、夫で川柳研究家の曾我六郎さんが「マイナーな存在だった川柳の見方を、新子が変えた。彼女のやり残したことを引き継ぐのが私自身の宿題です」とあいさつ。その後、玉岡さんが、「時実さんは文章を書くことがいかに人の魂を強くするか教えてくれた、かえがえのない先達でした」と振り返った。最後に長女の安藤まどかさんが「母はもう戻ってこないが、今後は皆さんの心の中で生き続けると思う」と話した。
2007年04月23日
☆彡 辻 仁 成 さ ん 大 学 教 授 に ☆彡京都造形芸術大学(京都市左京区)は、2007年4月19日、芥川賞受賞の小説家、辻仁成(ひとなり)さん(47)が芸術表現・アートプロデュース学科「クリエイティブ・ライティングコース」教授に就任したと発表した。同コースは小説やエッセーなどの創作活動で社会を動かす人材の育成を目的に今春開設。辻さんは演習「小説を書くこと」を担当する。年2回の集中講義や、在住するフランスからインターネットを通じた指導を行う。
2007年04月20日
☆彡 大 阪 文 学 学 校 か ら 封 書 が 届 く ☆彡今日帰宅して郵便受けを見ると、大阪文学校事務局から封書が届いていたので、その内容について掲載したいと思います。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~拝啓桜前線が大阪を通過しつつあります。お元気でご活躍のことと思います。さて、入学案内書(『樹林』2007年4月号)をご覧になったり、一日体験入学に参加されるなどして、大阪文学校についてどういう印象をもたれましたか?貴方の思い描いていたとおりだったでしょうか。今、嬉しいことに入学手続きをなさる方が相次いでいます。貴方ももう一度入学を検討していただきたく、『文校ニュース』(ほぼ毎月発行)を送らせていただきました。これは在校生向けに編集したものですが、よりよく文学学校のナマの姿・素顔が分っていただけるのでは、と思ったからです。年間学費10万2000円というのは少なくない出費だと思いますが(一括納入が原則ですが分割払いの相談にものります)、それに充分見合う学校だと密かに自負しております。入学を希望なさる方は、4月8日(日)入学開講式当日までに手続きをお願いします。随時の入学もできますが、クラス員や講師(チューター)と早くうちとけるためには一緒のスタートがいいかと思います。今回入学を見合わせる方も、各種の公開講座への参加をお待ちしております。また、次の機会(10月、秋期生募集)にでもご連絡下さい。なお、このお便りと入学手続きが行き違いになる方もあるかと存じますが、ご了承下さい。 敬 具 大阪文学学校事務局 2007年4月
2007年04月02日
☆彡 城 山 三 郎 さ ん 逝 く ☆彡2007年3月22日経済小説の第一人者で「小説日本銀行」や「毎日が日曜日」で知られ、組織と個人のあり方を問い続けた作家、城山三郎(本名・杉浦英一)氏が22日午前6時50分、間質性肺炎のため、神奈川県内の病院で死去した。79歳だった。名古屋市出身、東京商科大(現・一橋大)卒。1959(昭和34)年に直木賞を受賞した「総会屋錦城」で経済小説のジャンルを開拓。「辛酸」「雄気堂々」など、政治経済の動きにからむ人間の内面を照射した作品を相次いで発表した。また「落日燃ゆ」「指揮官たちの特攻」など戦争を題材にした作品や、「もうきみには頼まない」や「粗にして野だが卑ではない」などの伝記も多数。カナダの実業家、キングスレイ・ウォード「ビジネスマンの父より息子への30通の手紙」の翻訳はベストセラーになった。経済小説のパイオニアとして活躍した城山三郎さん””組織の中で生きる人間の苦悩を描き続け、一徹に生きる人物を愛したが、城山さん自身、不正を憎み、まっすぐに筋を通す人柄だった。城山文学の原点は、戦争体験にあるといわれる。志願して海軍特別幹部練習生となり、終戦を迎えた。軍国少年だったが、上官が新兵をいじめるなどの組織悪に失望。そして国家の大儀がもろくも崩れ去るありさまを目のあたりにした。この体験は直接「大儀の末」(1959年)として小説になったが、城山さんの目は、リーダーのあり方に向ってゆく。吉川英治文学賞と毎日出版文化賞を受賞した「落日燃ゆ」(1974年)では、A級戦犯として唯一文官で処刑された元首相、広田弘毅の生涯を、国策に反対しながらも自らの責任を引き受けた人物として描いた。また「辛酸」では足尾鉱毒事件で鉱毒防止に奮闘した田中正造を主人公に、正義と信念のありかたを描き、財界人から国鉄総裁となった石田礼助の生涯を描いた「祖にして野だが卑ではない」では、明治人の一徹さと海外生活で学んだ合理精神を前面に出した。高度成長期に長く経団連会長を務めた石坂泰三を描いた「もう、きみには頼まない」(菊池寛賞)は、田中角栄首相の金権体質を嫌う気骨あふれる石坂の姿が印象的だ。国家統制につながる動きには生涯を通して異を唱え、2003年に成立した個人情報保護法の審議過程では敢然と反対の論陣を張った。勉強家で政財界に知己が多い一方で、”絶対に形の崩れない男”ともいわれた。
2007年03月22日
☆彡 村 上 春 樹 渾 身 の 完 訳 ☆彡チャンドラー代表作「 ロング・グットバイ 」米ハードボイルド小説の巨匠、レイモンド・チャンドラー(1888~1959年)の代表作「ロング・グッドバイ」を作家の村上春樹さんが翻訳し、今月早川書房から出版した。この作品は1958(昭和33)年に同社から出版された故清水俊二さんの名訳「長い別れ」がよく知られているが、今回の村上版は細部まで丁寧に訳されており、ほぼ半世紀を経て、”完訳版”が日本に登場した形だ。「 ロング・グッドバイ 」はチヤンドラーが1953年に発表。私立探偵フィリップ・マーロウが登場する長篇第6作で、ミステリーファン以外にも愛されてきた傑作だ。清水訳の「 長いお別れ 」は、現在までに110万部のロングセラーとなっている。村上さんは小説執筆の傍ら、数多くの翻訳も手がけてきた。昨年秋にはスコット・フィッツジェラルドの代表作「グレート・ギャツビー」の新訳を出し、ベストセラーに。「ロング・グッドバイ」も発売1週間で11刷約15万部という異例の売れ行きを示している。「 訳者あとがき 」で村上さんは、清水さんの仕事を「 細かいことにそれほど拘泥しない、大人(だいじん)の風格ある翻訳 」とたたえた上で、『完訳版』というべきか、いちおう細かいところまでくまなく訳され、現代の感覚(近いもの)で洗い直された『 ロング・グットバイ 』が清水訳と並行するかたちで存在していいはずだし、また存在すべきであろう 」と再訳の意義を述べている。清水訳は名訳の誉れ高く、大勢のファンを獲得してきたが、実は省略された部分があり、一部の愛好家は不満があったといわれる。村上訳の初稿は昨春に上がったが、通常は1、2回で終了する推敲作業が、村上さんによって今年1月まで7、8回にわたって行われるなど、正確を期したという。早川書房の千田宏之編集部長兼ミステリマガジン編集長は「 清水さんは映画字幕で有名な方で、エッセンスをうまく抽出してセリフも映画のようにびっしっと決まっている。村上さんの翻訳は一字一句を大切にし、しかも翻訳小説であることを意識させないほど読みやすい 」と説明する。また村上さんは今回、中編小説にも匹敵する原稿用紙90枚分もの「 訳者あとがき 」を執筆し、本作とチャンドラーの素晴らしさを熱い思いで解説している。ハードボイルドの傑作として長く印象づけられてきた本作だが、村上さんはそのことに一切触れず、「 『 準古典小説 』とでも呼ぶべき域に達している 」と位置づけ、フィッツジェラルドとの比較文学論を展開するなど非常に興味深い読み物になっている。文学評論家の西上心太さんは「 清水訳は格調高く流麗で良かったが、それに勝るとも劣らない巧みな翻訳だ。原文を省略せず、きちんとすべてを訳したことで物語の筋が際立ち、読んで分かりやすい 」と、その魅力を語っている。「 ロング・グッドバイ 」はチヤンドラーが1953年に発表。私立探偵フィリップ・マーロウが登場する長篇第6作で、ミステリーファン以外にも愛されてきた傑作だ。清水訳の「 長いお別れ 」は、現在までに110万部のロングセラーとなっている。村上さんは小説執筆の傍ら、数多くの翻訳も手がけてきた。昨年秋にはスコット・フィッツジェラルドの代表作「グレート・ギャツビー」の新訳を出し、ベストセラーに。「ロング・グッドバイ」も発売1週間で11刷約15万部という異例の売れ行きを示している。「 訳者あとがき 」で村上さんは、清水さんの仕事を「 細かいことにそれほど拘泥しない、大人(だいじん)の風格ある翻訳 」とたたえた上で、『完訳版』というべきか、いちおう細かいところまでくまなく訳され、現代の感覚(近いもの)で洗い直された『 ロング・グットバイ 』が清水訳と並行するかたちで存在していいはずだし、また存在すべきであろう 」と再訳の意義を述べている。清水訳は名訳の誉れ高く、大勢のファンを獲得してきたが、実は省略された部分があり、一部の愛好家は不満があったといわれる。村上訳の初稿は昨春に上がったが、通常は1、2回で終了する推敲作業が、村上さんによって今年1月まで7、8回にわたって行われるなど、正確を期したという。早川書房の千田宏之編集部長兼ミステリマガジン編集長は「 清水さんは映画字幕で有名な方で、エッセンスをうまく抽出してセリフも映画のようにびっしっと決まっている。村上さんの翻訳は一字一句を大切にし、しかも翻訳小説であることを意識させないほど読みやすい 」と説明する。また村上さんは今回、中編小説にも匹敵する原稿用紙90枚分もの「 訳者あとがき 」を執筆し、本作とチャンドラーの素晴らしさを熱い思いで解説している。ハードボイルドの傑作として長く印象づけられてきた本作だが、村上さんはそのことに一切触れず、「 『 準古典小説 』とでも呼ぶべき域に達している 」と位置づけ、フィッツジェラルドとの比較文学論を展開するなど非常に興味深い読み物になっている。文学評論家の西上心太さんは「 清水訳は格調高く流麗で良かったが、それに勝るとも劣らない巧みな翻訳だ。原文を省略せず、きちんとすべてを訳したことで物語の筋が際立ち、読んで分かりやすい 」と、その魅力を語っている。
2007年03月22日
☆彡 田辺聖子さん講演、文学学校の思い出 ☆彡2007年3月20日、田辺さんは、大阪市北区・区民センターで行われた「大阪文学学校創立50周年記念祭」で講演した。田辺さんは講演の中で、大阪文学学校の思い出を次のように話した。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~大阪・梅田新道の金物会社で働いて7年ばかりたったころ、大阪文学学校の広告を見て、入学した。昭和30年(1955年)27歳だった。文学学校は大変な熱気で、20代後半から30代前半の人が多かった。担任は、足立巻一さんだった。詩人らしい、はにかんだ笑い方が印象的だった。軍服にゲートル、兵隊の靴という姿で文章の添削をしてくれた。校長の小野十三郎さんを見て、人間にはオーラがあると発見した。優しく、あったかくて、混じりっ気のない純情。そういうオーラだった。児童文学者の小川隆太郎さんはよく子どもの詩を教えてくれた。「 ぽかんと見てんと、ちゃんと心のカメラに写して、それを書かないかんよ 」という小川さんの言葉を、今も覚えている。夢を見させてくれる小説を読むのが好きな文学少女だった私が、狭い自分の世界では会えなかったたくさんのタイプの人に会った。一緒に飲みに行き、腕を組んで、「雪の白樺並木・・・」と歌った。こうした経験を通して、新たな夢を見ることができた。文学校は刺激的で、楽しい所だった。
2007年03月21日
☆彡 大 阪 文 学 学 校 、 創 立 5 0 周 年 ☆彡2007年3月、大阪文学学校事務局から、入学案内が送られて来た。 A4サイズの封筒の中に同校の機関誌「 樹林 」が入っていた。「樹林」は、1963年創刊され、現在約千数百部を誇る月間文芸誌です。「樹林」のページをめくると、2004年3月20日に行われた同校創立50周年記念祭のことが掲載されていた。どういうことが書かれていたか掲載します。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~市民の文芸活動を支えてきた大阪文学学校(大阪市中央区)の創立50周年記念祭がこのほど、同市北区民センターで開かれた。卒業生で作家の田辺聖子さんの記念講演のほか、詩と音楽の共演などで、半世紀の歩みを祝った。詩人の故小野十三郎さんらを中心に1954年3月20日に開講した「 大阪詩の教室 」を引継ぎ、同年7月5日に開校。初代校長を小野さんが務めた。職場や地域で生活記録や詩を書く運動が広がる中で誕生した同校は、文章で自らを表現したいという市民の思いにこたえてきた。卒業生は1万人を超え、芥川賞作家の田辺さんや玄月さん、詩のH氏賞の青木はるみさんら多くの才能を世に送り出した。現在、会社員や主婦、学生ら約550人が在籍している。同校を運営する大阪文学協会代表理事の高畠寛さんは、作品を書き、いろいろな人に読んでもらい、批評しあう伝統は50年間変わっていないと強調。「書くことで自分とは何かを探したり、時代への批判精神を養ったりする場であり続けたい」とあいさつした。「私の文学人生」と題して講演した田辺さんは「年齢も職業も様々な人と出会い、初めて聞く話にたくさん接することができたた。 文学学校に行ったのは正解だった 」と在学当時を振り返った。さらに、文学を書く上で大切な心構えを紹介。「 詩歌、映画など、好きなものを心の中にいっぱい集めてほしい 」「 源氏物語など古典を読み比べたり、深く読んだりしてほしい」と述べた。この後、校長の長谷川龍生さん、詩人の金時鐘さんらが、音楽集団ソシエテ・コントル・レタのピアノ演奏とともに、自作の詩を朗読した。2冊の記念出版もあった。50年の軌跡をたどった「いま、文学の森へ」(大阪文学学校など発行・本体2000円)と、作家河野多恵子さんや黒井千次さんらの同校での講演をまとめた「 小説の生まれる場所 」(編集工房ノア・本体2200円)が出版された。 問い合わせは、同校へ。 06-6768-6195
2007年03月21日
☆彡 第 136 回 芥 川 賞 贈 呈 式 ☆彡第136回芥川賞の贈呈式が東京・丸の内の東京会館で開かれ、「ひとり日和」で受賞した青山七恵さんが喜びを語った。あいさつに立った青山さんは、23歳という若さで選ばれたことについて「芥川賞という大きい賞をいただき、これから先、自分の人生がどう進むか楽しみでもあります」と神妙な面持ち。「ただ、どこへ行っても、何をしていても、小説を書くという光だけは失いたくありません。芥川賞がその光を強く明るいものにしてくれました。これからも小説に対して根気よく向き合っていきたいと思います」と話し、笑顔を見せた。「久しぶりに自分でも納得して推すことができた作品なので喜んでいます」と話したのは選考委員の村上龍さん。受賞作について「一人の若い女性の自立を描いた作品。 自分のあるポイントを肯定して外へ向う物語だと思った」と評した村上さんは「おばさんとの生活や彼氏とのやりとりなど、記憶の総体が一塊になって主人公を肯定するところに新しさを感じた。現代に読まれる物語です」と絶賛した。直木賞は4年ぶりに該当作がなかった。
2007年03月13日
☆彡 芋たこなんきん田辺聖子の世界 ☆彡大阪市福島図書館で田辺聖子展が開かれています。芥川賞作家・田辺聖子さんの作品や生いたちなどを資料で紹介する展示会「田辺聖子の世界ー福島・下町育ちの楽天少女ー」が福島区吉野3丁目の市立福島図書館にある郷土資料展示室で4月28日まで開かれている。来場者は、田辺さんや地元に関する資料の数々に見入っている。現在放送中のNHK連続テレビ小説「芋たこなんきん」のモデルにもなっている田辺さんは、1928年に旧此花区上福島南3丁目(現在の福島区福島3丁目)の写真館で生まれた。1945年の大阪大空襲で実家は消失するが、少女時代までを福島区で過ごしている。会場には、旧此花区時代の地図も展示し、当時の田辺さんの実家の位置なども把握できる。さらに、木下桃子のペンネームで大阪市民文藝賞を受賞した作品「虹」が掲載された雑誌「大阪人」(1957年1月号)、全集やエッセーなど数々の著書も展示している。区制施行50周年事業の際に田辺さんが寄せた「戦火に消えた『わが町』の直筆原稿も紹介されており、当時の様子をうかがい知ることができる。開館時間は、午前10時から午後7時(土・日は同5時)まで。月曜休館。問い合わせ: 06-6468-2336 同図書館へ
2007年03月01日
☆彡 吉 行 淳 之 介 20 歳 の 心 象 風 景 ☆彡未 発 表 作 品 発 見ー☆「夕暮まで」などの小説で知られる作家、吉行淳之介=1924(大正13)~1994(平成6年)=旧制高校時代の未発表作品が見つかったことが2007年2月25日、分かった。全文が3月1日発売の雑誌「サライ」(小学館)に掲載される。「星が流れつつある」という題名の小品で、保管していた友人から寄贈された吉行淳之介文学館(静岡県掛川市)館長で女優の宮城まり子さんらが筆跡などから本人の作品と判断した。「星がー」はノートから切り取った紙片4枚に約2600字で書かれ、日本の敗戦前年の1944年、旧制静岡高校在学中だった20歳の吉行が心象風景を詩的につづったものとみられる。題名の前には「小説」という文字を消して「散文詩」と書いた跡があった。はっきりとしたストーリーはなく、戦時下の現実と自己の内面を遮断して、空想の女性に思いをめぐらせる人物の心理を追っている。当時の吉行は徴兵検査で甲種合格とされたが、入営直後に気管支ぜんそくと診断され、帰郷を許された。この作品はそのころ書かれ、戦争の影がもたらす不安な心境が色濃く投影されている。吉行の友人で「星がー」を保管していた弁護士の大島重夫さんは公表にあたって、「吉行がい生きてたら『未熟な若書きの作品だから公表するな』というかも知れないが、女性のあこがれや世の中への反発など、後の吉行作品の兆しが感じられる」と話している。よしゆき・じゅんのすけ1924年、岡山市生まれ、旧制静岡高校から東大へ進み、1954年「驟雨」で芥川賞を受賞。阿川弘之さん、安岡章太郎さん、遠藤周作さんらとともに「第3の新人」と呼ばれた。ほかの作品に「暗室」「鞄の中身」など。「夕暮まで」は映画化され、話題になった。( 2007年2月26日新聞掲載より )
2007年02月26日
☆彡 大 阪 文 学 学 校 ☆彡書く・読む・聴く・対話の学校いま文学の森へ!大阪文学学校が、2007年度春期生を募集している。小説・エッセイ・ノンフィクション夜間部・昼間部・通信教育部本科/専科/研究科大阪文学学校は、故小野十三郎を校長に1954(昭和29)年創立。1万人を超える修了生のなかからは田辺聖子さんなど、各地の文学創作活動の中心的な担い手も多数。7年前の芥川受賞者・玄月さんは1996年春期修了生。現在在籍生31クラス519名中、通教部には沖縄県から北海道まで190名。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~実は、僕もこの学校に行きたくて一度資料を取り寄せたことがあるのです。その時のチラシがあるので紹介します。このチラシはA4サイズの薄緑の紙に書かれた募集案内である。チラシは1998年の秋期生の募集であった。もう9年近くも前のことですが・・・この学校の夜間部に行こうと思っていたんですが仕事が忙しく通学が不可能でとりやめてしまった。チラシに書いている文章を掲載します。1998年度秋期生募集大阪文学校(社団法人・大阪文学協会)は、詩人の故小野十三郎さんを中心にして1954年に創設されて以来、多くの詩人、作家、評論家、芸術家などの参加と協力のもとに、44年にわたって、くらしのなかに埋もれている表現への夢と、創作活動にかかわる喜びを求めつづけてきました。8500名を超える修了生の中からは、全国各地の文学創作活動、地域文化活動の中心的な担い手として活躍しておられる方々も多数います。現在、文学学校では10代後半から80代まで、多彩な人々が学び語り合っています。戦争体験を書き残そうとしている人、子育てを終え””文学少女””へ回帰しょうとしている人、職場、家庭、社会、学校、人間関係など、それぞれにあきたりなかったり苦悩している人・・・・・・・文学学校での出会いは多様です。2年、3年・・・・と永くつづけている人もいて、現在の在籍者は、550名近くいます。昼間部、夜間部、通信教育部に分かれ、さらに詩・エッセイ組と小説組の15人前後のグループに分かれます。そして関西で永年地道に詩や小説を書き継いでいる方を講師に、各自の作品を持ちよって批評しあっています。ことばと創造力にこだわって、文学をスケールの大きな人間生活の道場にしたい、それが文学学校のテーマです。あなたも一度、文学学校をのぞいてみませんか。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~今また文学学校に行きたくて僕はウズウズした気持ちでいっぱいなのです。仕事がなかったらこの学校の昼間部に行っているでしょう。行きたいと思うけれどどうするか思案中です。取り急ぎ案内書の資料を請求しました。届いたら改めて掲載することにします。
2007年02月14日
☆彡 作 家 生 活 5 0 周 年 ☆彡昨年、瀬戸内寂聴さん(84)は、作家生活50周年を迎えた。そして2007年2月8日(木)、東京都千代田区のホテルで文学関係者ら約1000人が出席して「お祝いの会」が開かれ、半世紀にわたる業績をたたえた。哲学者の海原猛さんが「瀬戸内寂聴さんとは30年前に”義兄弟”の杯を交わしました。私も頑張るので、瀬戸内さんには100歳まで頑張ってもらいたい」とあいさつ。瀬戸内さんは「人生にはいろいろな坂があるが、(文化勲章などで)まさかという坂を上らせていただいている。あの世へ行っても書き続けるだろうと思っています」と話し、会場を沸かせた。瀬戸内さんは、国際的に活躍した文化人に与えられるイタリアの国際ノニーノ賞と、出身地である徳島県民栄誉賞も受賞。お祝いの会には親交の深い作家や宗教関係者のほか、瀬戸内さんの現代語訳「源氏物語」を舞台で朗読した女優ら、多彩な顔ぶれが集まった。
2007年02月08日
♪ 6 月 の 忌 日 ♪ 忌日は毎年やってきます。 6月の忌日です。 ● 光琳忌 旧6月2日 尾形光琳の忌日 ● 杉風忌 旧6月13日 杉山杉風の忌日 ● 秋成忌 旧6月27日 上田秋成の忌日 ● 桜桃忌 6月13日 太宰治の忌日 ● 独歩忌 6月23日 国木田独歩の忌日
2005年06月02日
♪ 5 月 の 忌 日 ♪ 忌日は毎年やってきます。 5月の忌日は次の方々です。 ★ 業平忌: 旧5月28日 在原業平の忌日 ★ 万太郎忌: 5月6日 久保田万太郎の忌日 ★ 春夫忌: 5月6日 佐藤春夫の忌日 ★ 朔太郎忌: 5月11日 萩原朔太郎の忌日 ★ 透谷忌: 5月16日 北村透谷の忌日 ★ 晶子忌: 5月29日 与謝野晶子の忌日
2005年05月07日
♪ 忌 日 は 毎 年 や っ て く る ♪ 日本には忌日といい死んだ人々の 命日として毎年線香をあげ生前の 姿を偲ぶ日があるのです。 それはなくなった人たちへの 追慕の情でしょう。 家族や親族の方々の忌日は別にして 日本を知るために小説家・俳人・ 詩人などの忌日をサクラの咲く この時季に書いてみたいと思います。./././././././././././././././././././././././././././././././././ (1月~4月までの忌日) 1月27日 雨情忌(うじょうき) 野口雨情の忌日 旧1月6日 良寛忌(りょうかんき )禅僧良寛の忌日 旧1月27日 実朝忌(さねともき) 源実朝の忌日。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。 旧2月3日 光悦忌(こうえつき) 本阿弥光悦の忌日 旧2月6日 遠州忌(えんしゅうき ) 小堀遠州の忌日 旧2月16日 西行忌(さいぎょうき) 西行法師の忌日 旧2月24日 丈草忌(じょうそうき) 内藤丈草の忌日 旧2月30日 其角忌(きかくき) 室井其角の忌日 2月1日 碧梧桐忌(へきごとうき 河東碧梧桐の忌日 2月17日 安吾忌(あんごき) 坂口安吾の忌日 2月25日 茂吉忌(もきちき) 斎藤茂吉の忌日 2月28日 逍遥忌(しょうようき) 坪内逍遥の忌日。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。 旧3月18日 人丸忌(ひとまるき) 柿本人麻呂の忌日 旧3月18日 小町忌(こまちき) 小野小町の忌日 3月28日 利休忌(りきゅうき) 千利休の忌日 ( 命日: 旧2月28日 ) 3月26日 犀星忌(さいせいき) 室生犀星の忌日。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。・。 旧4月18日 北斎忌(ほくさいき ) 葛飾北斎の忌日 4月2日 光太郎忌(こうたろうき) 高村光太郎の忌日 4月8日 虚子忌(きょしき) 高浜虚子の忌日 4月13日 啄木忌(たくぼくき) 石川啄木の忌日 4月16日 康成忌(やすなりき) 川端康成の忌日 4月20日 百間忌(ひゃつけんき) 内田百間の忌日 4月30日 荷風忌(かふうき) 永井荷風の忌日。・。・。・。・。・。・。・。・。。・。・。・。・。・。・。・。・。・。
2005年04月08日
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