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2011年09月26日
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当時都心の狭い団地に住んでいた私たちにとって、そこは何をしてもご近所への迷惑を考えないで済むのびのびと暮らせる天国のような場所だった。

最初に購入したのは204坪の土地だけ。その頃まだローンなんて言葉はなく「月賦」で数年間払い続けた気がする。
土地さえあればキャンプでもなんでも出来ると思ったのだが、テントは当時とても高価で、同じ金額で近所の廃止になったキャンプ場の不要なバンガローが買えると知り、それを運んで水道だけ引いてもらった。

赤い三角屋根の6畳一間の可愛らしいバンガローは畳が5枚半敷かれて残りの半畳は土間だったので日曜大工が得意だった夫はそこに床を張り、小さな研ぎ出しの流しを買って来て据え付けた。
煮炊きは外のブロックを積んだかまどや七輪。自宅から余っている鍋釜、食器など最低限のものを運んでのオママゴトのような楽しいキャンプ生活だった。

トイレは庭に穴を掘ってまわりと屋根をプラスチックの波板で作り、お風呂は近くのホテルに入りに行ったが、やはりどうしても不便。
そこで翌年またもや月賦でお風呂とトイレとキッチンのある母屋を建てることにし、バンガローとは屋根でつないで、その間をコンクリートの土間にした。

私たち二人は翻訳の仕事をしていたので夏もそこで仕事が出来たのだが、夏休みが終われば東京へ帰らなければならない。緑がいっぱいで涼しい山荘暮らしがすっかり気に入った私たちは、いづれ子どもたちが成長したらここに住もうとまで思っていたのだが、17年間過ごした後に離婚をすることになったのでこの山荘は夫のものとなり私とは縁のない所となった。


それが奇しくも17年後、いろいろな偶然が重なってそこから2キロほど離れた所に私が住むようになり、北軽は再び私たちの故郷として戻って来た。(私たちが戻って来たのだけれど)
久しぶりに昔の山荘の前を車で通るとバンガローは庭の隅に移され、そこがあった場所には1階がガレージで2階が洋風の部屋という別棟が建てられ、外階段と内階段でつながれていた。
母屋はテラスが広くなり、バンガロー共々手入れをされているのがよくわかってうれしかった。

「もし万一あなたにもしものことがあったら、この山荘だけは子どもたちに遺してほしい」と伝える手段のないままにずっと心の中で思い続けていたことが本当になって、3年前彼が心筋梗塞であっけなくこの世を去った後、山荘は子どもたち3人に与えられることとなった。
3人で話し合った結果、次女がこの家を相続することとなり、何人もの友人たちの手を借りて夥しい数の本や古い家具の整理などがようやく終わった今年、建物と外観はそのままで中をすっかり改装することになった。

設計は次女の大学時代の恩師で建築家の先生が担ってくださることとなり、まずは家に名前をつけなさいと言われて「北軽井沢山荘マナハウス」と名付けられた。
1か月前から実際のプロの手による工事が始まってからは毎週末次女と一緒に東京から来てくださり、その経過をブログにも載せてくださっていた。

4月から東北地方へボランティアに行っていた長男が沖縄の自宅に戻る前にたまたま私の所に立ち寄っていたので、父親譲りで大工仕事が得意な彼は自然な流れで工事の助手を務めることとなって、毎朝早くから現場へ通っては手伝いをしていた。
幼児期から高校時代までの夏を過ごしたその家は彼にとっても特別の場所のようで、特にバンガローへの思い入れは強く、一人で壁の下張や屋根のさび落としなど熱を入れて働いていた。      
ふのりとホタテの貝殻をくだいて混ぜたしっくいを塗ってくれる友人も東京から駆けつけ、最後の2日間は息子も含む何人もの男性陣がバンガローの内部を見違えるようにきれいにしてくれた。   
そして9月24日、いよいよ完成。午後からはみんなが集まってオープニングのイベントが始まった。

その響きがストレートに胸に来て思わずぐっとこみあげてくるものがあった。

その後鏡張りのスタジオに改装された別棟に入って次女の挨拶、私のフラ、東京から来てくれたミヤタさんのライヤーの演奏、来年カフェフルールの店長に復帰するトモちゃんの歌と続き、その後お茶の時間となった。

と、ここまでは順調だったのだが、お相撲が大好きで自ら喜一山と名乗る先生が、そこにいる男性陣と相撲のトーナメントをしようということになって、建築屋さんまでが仲間入り。
結局いつもご夫婦で来てくださるSさんのご主人とうちの息子が決勝戦を戦うことになって大相撲となった結果息子が上手投げで優勝したのだが、その後がいけない。
Sさんが起き上がれなくなってしまい、救急車を呼ぶ騒ぎとなってしまったのだ。

それなのに「丁度休めということだったのかもしれないし、このことは私たちの夫婦仲にとってはとても良いことだったかも」という奥様からの涙が出るようなありがたいお言葉。さすがフィンドホーン関係の方は考え方が違う!

思いがけず彼女は我が家にしばらく滞在することになってしまい、ご不自由だと思うけどどうぞ辛抱してください。
ご主人の一日も早い回復をお祈りします。






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最終更新日  2011年09月27日 09時53分32秒


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