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今日は日帰りバス旅行で福岡県内の「七福神めぐり」に行って来ました。小倉駅を9:20に出発し最初が若松区の光明寺。恵比寿さまが祭られているということですが、なぜか入り口には琵琶をかかえた弁天様が座っておられました。次が寿老人の成田山不動寺。九州にも成田山があるのに驚きましたがかなり大きなお寺でした。参道は桜並木で広い境内も桜の大木で囲まれているので春にはどんなにか美しいことでしょう。そこでお弁当が配られ、車内で食べ終わる頃に着いた所が福禄寿の照道院という小さなお堂。その次もとても小さな、お賽銭箱も置いてない地蔵寺。ここの「お抱え地蔵様」と呼ばれる布袋尊を抱え上げると願い事が叶うそうなのですが、かなり重いらしいのでぎっくり腰にでもなるといけないのでやめました。(うちには布袋様並みにおなかの出た生き仏がいますし)そこから20分ほどで着いたのが正覚院。ここの境内はかなり広くて、赤い鳥居の中にはとぐろを巻いた蛇の上に座る弁天様がいたり、沢山の観音像が並んでいたり、生きた白い蛇が祭られているお堂があったり、七福神全員が並んでいる小屋があったりしました。最後が毘沙門天と大黒天の南龍院。ここは山伏の修験道場だそうです。みんなが名前と年齢と願い事を書いた護摩札を渡すといよいよ護摩焚きが始まりました。テレビや映画では見たことありますが本物を見るのは初めて、圧巻でした。大太鼓のドンドンという音に合わせて何人もの僧侶の読経が始まり、炎が燃え上がります。その間に私たち30人ほど全員を一人ずつお坊さんが分厚いお経の教本で頭や肩や背中をさすったり叩いたりして下さり、終わるとその教本を炎にかざしてお清めします。とても荘厳な雰囲気に何だか涙が出そうになってしまいました。最後にとても美味しいお味噌汁が配られて清清しい気分のうちに終了となりました。小倉に帰って来たのはもうすっかり暗くなった6時過ぎでしたが、朝からずっと晴れのお天気に恵まれ、とても気持のいい一日でした。
2018年01月06日
お正月の三が日はさすがにどこもかしこもお休みが多いのでこちらも出かける用事がなくのんびり出来る貴重な三日間。掃除も洗濯もないし、終日新聞や本を読んだり録画していたテレビの番組や映画を観たりのゆったりとした時間を過ごしました。三日目の今日は夫の長女さん一家がお年始に。去年中学生だった男の子が高校生になったらぐんと背が伸びて急に大人っぽくなっていました。旦那さんが夫の後を次いで現社長ですが人当たりの良い方で、会社の業績をどんどん伸ばしています。次女さんはオーストラリア人と結婚してこちらにも3人の孫たち。メルボルンの郊外在住で、今年の夏休み(こちらは冬)には一時帰国する予定です。私自身の家は私も母も一人っ子で、父は兄弟がいましたが早世したり戦死したりでほとんど親戚ゼロ状態なので、最初の結婚で夫の親戚が出来た時は嬉しかったものです。ですから今回もまわりに夫の娘たちの家族や義姉がいてくれるのは賑やかでいいなと思っています。午後になって箱根駅伝の結果を見届けてから近所の神社へ初詣。これからの1年の世界の平和と無病息災を念じて来ました。
2018年01月03日
あけましておめでとうございます㊗️昨夜遅くまで起きていた割には今朝は7:30にすっきり目が覚め新しい年を迎えました。夫が朝風呂に入っている間に私は朝の瞑想。それからお雑煮の支度をして食卓に着きました。元日なので朝からお酒🍶。昨日届いたおせちのお重を開けてだらだらと食べたり飲んだり喋ったり。そこへ娘夫婦からの嬉しい新春のプレゼントが届きました。2人がお仲間と不耕起、無肥料、無農薬、天日干しで手塩にかけて作った新米です。(ありがとう❣️)早速後で今年最初のご飯を炊きましょう。午後からは夫の末娘さん一家がお年始に来ました。いつも元気いっぱいの小学生と保育園の子どもたちにお年玉を上げると、娘さんから「尚さんに」と逆にお年玉を頂いちゃいました!キャー、どうしよう。何もプレゼント用意してないのに。いつも父がお世話になりまして、というお気持ちなのでしょうが、こちらこそなので恐縮です。みんなでおせちをつつき、また飲んだ夫は上機嫌で珍しく近所のスナックへ飲みに行っちゃいました。
2018年01月01日
いよいよ2017年も間もなく終わります。注文していたおせちが届き、煮物やなますも作りました。今年最後の洗濯も、家中の掃除(これは夫の分担)も終わり、あとはテレビでも眺めながらゆっくり食事をし、年越しそばをいただくだけとなりました。老人二人の所帯ですが、この1年ケガもなく病気もせずケンカもなく(お互いに自分の方が大人だからだと思っています)けっこう笑いの多い日々を過ごすことが出来たことを嬉しく思い、見守ってくださった方々、見えない姿で助けてくれたエンジェルたちに心から感謝しています。ありがとうございました。お世話になった皆さま、来年もまたどうぞよろしくお願い申し上げます。お互いに元気で楽しい日々を送りましょう!
2017年12月31日
我が家にはかつて外国人から教えてもらった料理が美味しくてそのままうちの定番になったものが三つあります。その一つが昨日書いたフィンランドの家庭のお菓子「オメナパイストス」。二つ目がアメリカ人から教えてもらった「ツナサンド」もう一つがベトナムの「ベトナム鍋」です。ツナサンドはツナ缶の油を切って玉ねぎ、ゆで卵、スイートピクルスそれぞれのみじん切りと混ぜ、マヨネーズで和えたものを焼いた食パン2枚の間にレタスを乗せてはさんだだけなのですが、子どもたちには大好評でよく作りました。ベトナム鍋はこれも簡単。鶏のひき肉にみじん切りの長ねぎと味噌を入れてよく混ぜておきます。土鍋に水を入れて(出汁ではなく)火にかけ、沸騰したらざく切りにした白菜を入れ、緑豆はるさめを加え、鶏のひき肉をスプーンですくって入れていきます。肉に火が通ったら火を消してゴマ油をまわしかけて出来上がり。スープごと小鉢に取って、自分で塩をつまみ入れて味をつけます。うちの今夜の献立はこのベトナム鍋です。新しいことにはけっこう好奇心旺盛な夫が食べ物だけは保守的で、食べ慣れないものは美味しいと感じない人なので、果たしてどんな反応を示すかですが・・・
2017年12月29日
何十年かぶりに「オメナパイストス」を作りました。今から40年位前にフィンランドの女性に教えてもらった「リンゴのパイ」です。簡単で美味しくて子どもたちによく作っていたのにすっかり忘れていました。すると先日今年大学生になってイギリスへ行った孫娘から学校の寮で作ったというメールをもらって思い出したのです。(娘から孫に伝わっているのを知って嬉しかったです)当時はジャムにする紅玉がどこでも手に入ったのですが、今はなかなか売っていません。先日スーパーで見つけたので作ってみようと買って来ました。私はジャムはいつも材料の半分の量の砂糖で煮ますが、これはお好みです。ケーキ用のマーガリン100gとグラニュー糖100CCをボールに入れて手でよくかき混ぜます。(体温で柔らかくなります)そこへ薄力粉250ccとベーキングパウダー小さじ1杯を入れ混ぜるとぽろぽろ状態になるので、そのぽろぽろを一つかみ取り分けます。残ったタネに卵(小)1個を混ぜ入れ、クッキングペーパーを敷いた天板に平らに敷き詰めます。この時手で延ばすとベタベタになるので、ラップをのせて延ばすといいでしょう。(ここでオーブンを250度に余熱)その上にリンゴジャムを平らに延ばして、上に取り分けておいたぽろぽろ状態のタネをふりかけます。オーブンで13分くらい焼きます。今回14分にしたら少し焦げました。200度で20分でもいいでしょう。小さく切り分けて頂きます。とても美味しいのでお試しください。
2017年12月28日
23日の土曜日は今年最後のカルチャーのクラス。みんなでStand by MeとWe are the Worldを歌って、いつものLove を踊り、最後にWe Wish you a Merry Christmasを歌って終わりになりました。その後は何ヶ月もお休みだった方も見えていたので先生も一緒にみんなでアフタヌーンティー。そして昨日はまた生徒たちのうち5人で近くのカフェでのクリスマスコンサートへ。と、思ったら突然夫も行くと言い出したので急遽一緒に行くことになりました。もともと民謡と演歌の人なので興味ないだろうと昨年も誘わなかったのですが、この間のミュージカル以来少しはジャズも聴いてみようと思ったようです。ピアノとベースとドラムスのトリオにすごい声量のフィリピン女性のヴォーカルをどう感じたかはわかりませんが、最後の「ラ・バンバ」ではみんなと一緒に踊ってもいたのでけっこう楽しんだのではないでしょうか。これまで関心の的は会社の経営、付き合う人は仕事関係の人ばかり、読む本と言えばビジネス関係や偉人の話、歴史関係という人が、私と知り合ってからこれまで縁のなかったスピリチュアルな世界に目を開き、人間関係も広がり、新しいジャンルの音楽にも触れてみたりと一気に世界が広がったようで、その柔軟性には感心します。私としては勿論嬉しいことですが、そこまで見通して一緒になったわけではないのでひそかにウフフフ・・と思ってます。
2017年12月25日
あと2日で冬至なので今いちばん日が短くなっているはずなのに、関東と九州では日の長さが大分違うような気がします。午後は3時から始まるカーブスへ行って、帰りに整骨院に寄りスーパーで買い物などして帰ると大体夕方の5時半頃になるのですが、まだけっこう明るいのです。関東ではこの時刻にはもう暗かったような気がしますが、これって私の記憶違いでしょうか?何はともあれ、もうすぐまた昼間が長くなり始めるのだと思うと嬉しくて気持の方も明るくなって来ます。ピースボートで北欧方面に行った時初めて白夜を体験しましたが、全く暗くなってしまうことはなく、ずっと明け方のような空が続いて、そのままやがて朝になって行く景色を眺めました。反対に極夜というのは昼間もずっと暗いのでしょうか。それが半年近くも続いたらかなり気分が落ち込むでしょうね。いつかヨーロッパで午後3時頃から暗くなり、朝は8時でもまだ暗くて街灯が点いている道を通勤する人たちの姿を見て驚いたことがありますが、体内時計をどうやって調節するのでしょう。3月から10月まで夏時間というのがあるのもうなづけます。日本でも昔サマータイムがあった時があるのですが、すぐ中止になりました。覚えている方は少ないでしょうね。
2017年12月20日
昨日は今年最後のフルール会の集まり。いつも大体私たち夫婦を入れて14~5人なのですが、昨日は初めての方もいたので自己紹介から始めました。最初はほとんど知らない同士だったのに、同じような本を読み考え方も似ていることからだんだん親しみが湧いて来て、30代から80代までが和気藹々、何でも話せる仲になっています。その後今年いちばん嬉しかったこと、楽しかったことをシェアし合ったのですが、その時のみなさんの輝いている顔がとても素敵でした。私はやはりもう行けないと思っていたフィンドホーンに、それも一人ではなく夫と行けたこと。それがいちばん嬉しかったですね。1年前の初めの頃に比べると皆さんがとてもリラックスして明るくなったこともとても嬉しいです。北軽の家に沢山あったスピリチュアル系の本も引越しに当たって人に上げたりBookoffに送ったりしてずい分少なくなってしまいましたが、戸棚に並べてみなさんに貸し出して読んでいただいています。これは30年前横浜で自然食品店を始めた時からずっとしていることですが、こちらへ来て最初にそれを手にとって次々読み始めたのがうちの夫だったことは私にとっていちばん嬉しいです。また、これまでそういう種類の本を読んだことのなかった方が「心の扉を開く」(アイリーン・キャディ著 日本教文社)を買って「感動した。友達にも勧めました」と言ってくださるのは本当に嬉しいことです。これからもこの本が少しでも多くの方を力づけ、勇気付けてくれることを願っています。
2017年12月18日
人は往々にして身体によくないものを好きになる、と言いますが、私はベーコンが大好き。高カロリーで身体に良い訳ないのですが、あれば必ず手が出ます。でも日本のスーパーで売っているベーコンはどんな風に焼いてもなぜかアメリカのみたいに盛大に脂が溶けないのでカリカリになりません。手造り系のちょっと高いのになるといくらか溶けますが、それでも立てて食べられるほどにはなりません。なのでほとんど諦めてハワイに行った時だけスーパーで買って来て毎朝ベーコンエッグにして食べるのを楽しみにしていました。1パック6ドルくらいで買えるのでこっそりスーツケースに忍ばせて買って帰って来たこともあります。(ヨイ子は決して真似をしてはいけません)それがこの間何かで電子レンジで焼くといいというのを聞いて、丁度冷蔵庫に無添加のがあったのでやってみました。そうしたらあの脂がすっかり溶けて、手で立てて食べられる、まさに理想的なクリスピーベーコンになったのです!ベーコン2枚ならキッチンペーパーにはさんでお皿にのせ、500Wのレンジで3分30秒。お試しください。
2017年12月14日
6年前からiPhoneを愛用していて今のは2代目で6を使ってます。それが今朝からおかしいのです。すぐ画面が黒くなって小さな丸が中央でクルクル。最初に戻ってしまうのでまたやり直し。メールを読んでいる最中にまた黒くなってクルクル。それの繰り返しなので、近くのauショップへ持って行きました。そうしたら「同じことがあちこちで起きてます。ここではわからないのでサポートセンターに電話してください」と番号を教えてくれたので家に戻って固定電話からかけてみました。すると新しい機能が加わったらしく、アップデートが必要と言われ、支持された手順でやってみたらようやく正常になりました。便利なだけにちょっと不具合があると途端に日常生活がスムーズに行かなくなるので困ります。携帯電話に限らずテレビでもパソコンでも同じことで、いかに自分がいろいろなものに依存して生きているかがわかりましたが、こういうものを使いこなせないと置いてきぼりになってしまう今は、ある意味で老人にとっては大変な時代です。
2017年12月11日
最近よく不倫だ浮気だと週刊誌やテレビがウの目タカの目で大騒ぎしていますが、それで問題があるとすれば当人たちの家族だけで我々には全く関係ないこと。お好きにやれば?って思うのですが、男女関係がこんなに窮屈になったのはキリスト教や儒教が入ってきた近代からのことでしょうかね?それでも昭和の初め頃までは妻妾同居なんてこともあったのですから、ここ数十年のことかもしれません。平安朝の物語や日記を読んでいると男と女の関係はもっともっとゆるやかでのんびりしています。勿論文字で残っているのは上流階級の人たちの話だけで、下々の者はどうだったかわかりませんが、おそらくそれ以上にゆるかったのではないでしょうか?男はひまさえあればお供を連れて町をうろついて、いい女がいないか探し回り、女のほうは和歌を詠んだりおしゃべりしたり琴を奏でたりして、声をかける男を待っていたり。そしてよほどいやでなければすぐに招き入れます。通ってくる男を待ちながら、時には別口にも御簾を上げたり、男の方も別口がいたりと、連絡の仕方が和歌なのでいかにも優雅ですが、していることは今とあまり変わりありません。「更級日記」は紀貫之が女のふりをしてかな文字で書いたのと違って菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)という正真正銘の女性の手になる自伝のようなものですが、父親が京から今の千葉県に赴任する時には彼女の母親である妻は京に残して別の女性を伴って行き、彼女はその人を継母と呼んでいます。何年か後に京に戻るとその継母は別の男の元へ去り、彼女はまた生母と一緒に暮らします。自分自身も結婚をし子どもも生まれますが、それについての詳しい著述はありません。この時代の何を結婚と呼ぶのかもよくわかりませんが、男女関係はかなり自由だったことがわかります。女性にとっては名前そのものもあまり重要ではなかったようで、有名な人でも「式部」とか「少納言」とか「だれだれのむすめ」というだけ。この菅原孝標女が読書好きで、50年前に書かれて大評判だった「源氏物語」の全巻を読みたくて読みたくて叔母さんからプレゼントされるやそれに読みふける、というのを読んで次はそれにしようと書棚を見ると、ないのです!予定では角田光代さんの訳で上・中・下3巻に分かれて、今年の5月から来年3月までの間に刊行されることになっているので、遅れに遅れているのでしょう。それで一気に江戸時代に飛び、次は第11巻の「好色一代男」(日本文学全集)を夫が選びました。これも面白そうです。
2017年12月02日
今日はとても面白いことがありました。この間のフルール会一品持ち寄りランチに5品も作って来てくれたNさんから今朝「下関で月一回だけ開くカフェがあって今日の午後行くのですが、お宅の近くを通るから一緒に行きません?」と電話がかかって来ました。午後はカーブスへ行くつもりだったので一瞬迷いましたが、「行きます」と返事して、カーブスへはすぐに行くことにしました。帰って来てから、下関ならお義姉さんも誘おうと電話をし、支度をしていると、フルール会によく来てくださるKさんのご紹介で3日ほど前に初めて訪ねて来られたMさんから電話。「近くまで来ているので伺ってもいいですか?」「今は家にいますけど間もなく迎えの車が来てこれから下関のカフェに行くことになってるんです。あなたも一緒に行く?」とNさんに断りもせず勝手に誘うと「はい、行きます」と即答。Nさんには電話で「一人増えたけどいい?」と事後承諾。答えはもちろんOK.。お義姉さんも一瞬迷ったようですが、Nさんからの直接の電話で行くことになりました。そしてまだ初対面から2度目の二人と一緒にどんな所へ行くのか分からないまま、途中お義姉さんとも合流して目的のお店に着きました。その間に初対面同士のNさんとMさんはまるで以前からの知り合いみたいに話が弾み、お店でも楽しそうにおしゃべりしてました。一般社会では到底考えられない出会いとスピードです。根底に同じ世界観を持つもの同士、余計な言葉は必要でなくなります。お互いに不必要なソンタクや気遣いや了承は飛ばしていきなり心の深いところでの信頼感と、暗黙の了解が出来る楽しさは、一般的な人間関係では考えられないことでしょう。何しに行くのかも分からなかったカフェでは無農薬の新鮮な野菜や手作りの美味しいお料理とデザートが待っていました。帰りもまたNさんの車で送ってもらい、偶然帰りが同じ方向というMさんはそのまま途中まで送ってもらうと乗って行きました。こんな突然の予定外の出来事もなかなか楽しいものです。
2017年11月28日
しばらく前から歯を磨くたびに血がにじんでいたので歯医者に行かなくてはと思いつつ、痛くはないので一日延ばしにしていたら今朝食事中にポロッと差し歯が取れてしまいました。いつ差し歯にしたかも思い出せないほど古いので無理もありません。夫も丁度先日作った入れ歯が合わなくなって行こうと思っていたというので、一緒に近くの行きつけの歯医者さんへ行きました。とても親切な歯医者さんで以前にも何度かお世話になっているのですが、彼は昔からのおなじみなので先生と大声で親しげに話す声や笑い声が隣りの部屋から医院中に鳴り響いています。私の差し歯はすぐ付け直していただけたので歯っ欠けばあさんにならずに済み、彼もうまく調整していただけたので歯なしじいさんにならずに済みました。メデタシ、メデタシ。
2017年11月24日
9月にアムステルダムで買って来たチューリップの球根を30個プランターに植えました。北軽の家の庭ではじかに植えていたので深さなど考えたことありませんでしたが、上下左右10センチずつ空けるようにと袋に書いてあったので細長い普通のプランターでは浅すぎるので、野菜用に買った深いほうのプランターを使いました。冬の間じゅう積もっていた雪が解けると、そこにもうチューリップの芽が顔を出していた時の感動は味わえませんが、来年の春、色とりどりの花が咲くのが楽しみです。余った浅い方のプランター6個にはホームセンターでいろいろな花の苗を買って来て植えました。冬に咲く花があること自体私には驚きで初体験です。野菜作りと違って園芸はあまり得意ではないのですが、適当に雨が降るのでたまに薄めた液肥を上げるだけでいいかしら?ついでに大好きなキンモクセイと神棚用のサカキの若木も買って来て小さな庭の隅に植えました。もう少し場所があれば柿や梅、みかん、ゆずなども植えたいところですが。
2017年11月22日
昨年秋の山川亜希子さんのお話会に来てくださった方達をベースに月一回始めた集まりフルール会が今月で1周年を迎えました。今日はそれを記念していつもとはちょっと趣向を変えて一人一品持ち寄りのランチ会をすることにしました。うちは二人分なので酵素玄米とパエリアを用意したのですが、今日初めて参加の4人の方が連絡不足でそのことを知らずにいらしたため一瞬「足りるかしら?」と不安になりました。ところが、やはり今日初めていらしたカフェをなさっている方が5品も作って来てくださったのです!A ll is going very very well ほんとに全てはうまく行っています。お陰で皆さん満腹になった上に、更に持ち帰って頂けるほどの料理の数となりました。それだけではありません。一通り食事が終わってお茶の時間になった時何故かダンナと二人並んで座らされ、いつも手伝ってくれているフィンドホーン仲間のまきちゃんが何やら始める様子なので???と思っていたら、ナント、ナントとんでもないサプライズ‼️目の前に私たち二人の写真入りのケーキが運ばれて来たのです‼️会の1周年と同時に私たちの2周年を祝ってくださったのです。私達の知らないところで何人かの有志の方々による計画が進んでいたようで、全く予想していなかっただけに驚きと同時に嬉しさもひとしお。とっても美味しいケーキでした。皆さん、ほんとにほんとにありがとうございました‼️
2017年11月20日
先日山川紘矢さん亜希子さんの講演会の折にお二人から頂いた「受け入れの極意」(興陽館)は是非とも大勢の方に読んでほしい本です。これは翻訳ではなくお二人がご自分達の体験など織り交ぜて書かれた著書。先ずは自分自身を受け入れて慈しむことから始まって、全ては宇宙からのプレゼントなのだからどんなことも全て受け入れましょうという内容です。いつも私が思っていること、人に話したりエッセイに書いたりしていることがそのまま書かれていてとても嬉しかったです。と同時に「間違ってなかった」という安心感と自信のようなものが湧いてきてとても力を頂きました。私も40代半ばまでは世間の多分80%くらいの人と同様「神」と自分が一体などと考えたことはありませんでしたし、人並に悩んだり落ち込んだり、疲れやすかったり不平不満を愚痴ったりしていました。今はどうでしょう。疲れません、病気になりません、落ち込みません、悩みません、毎日が感謝でとても幸せです。ちょっとした気づきと意識の変化で人生が180度変わりました。ただ一つ「受け入れがたいことも受け入れる」という項目だけがまだクリア出来ていないことに気がつきました。自分では受け入れたつもりなのですが、何かの拍子にむくむくと浮き上がって来て私を苦しめることがあります。それだけ心の傷が深いのです。たいていの場合、そのことがあったから現在がある、と思えるものですがこればかりは違います。そのことがなければ現在がより良いものであったことは事実です。だからこそクリアに出来ないのだと思います。まだまだ時間がかかるでしょう。この本を何度か読み直して少しずつでも手放して行けたらと思いますが。
2017年11月15日
「土佐日記」(堀江敏幸訳)読み終わりました。高校の古典で習ったのは徒然草、枕草子、源氏物語に芭蕉くでしたから初めてです。書き手の紀貫之が今で言えば京都から転勤で高知県の土佐の国司(多分県知事のようなもの)に赴任して数年たち、ようやく後任の人が来て都へ帰ることが出来ると喜ぶところから、船で2ヶ月近くかけて元の家に戻るまでを記したものです。当時は日記を書くのは男性と決まっていて、女性が書くことはなかったようです。文字も漢字は男性のもの、女性はかな文字だけだったようで、貫之はもし女性が日記を書くとしたらこんな風ではないかと、女性になりすまして全文ひらがなで、時には創作らしきことも混ぜながら書いたものです。今なら飛行機であっという間に着いてしまう距離を手漕ぎの船で、波が荒ければ何日も同じ港に停泊したり、海賊に怯えたりしながら何日も旅をするのですから大変だったと思います。しかしさすがは名歌人、途中でいくつもの和歌を作り、お供の人たちの子どもまでがその時々の和歌を詠んだりします。船は淀川の河口から川をさかのぼり、ようやくの思いで京都のもとの我が家に帰り着くのですが、そこはすっかり荒れ果てています。隣の家に頼んで折にふれ贈り物もちゃんとして来たのに、と憤慨する様子など1000年以上前も今と少しも変わりません。後任の人の到着が遅れてイライラしたり、船がいつまでも同じ港に留まってうんざりしたり、都が近くなってわくわくしたり、頂き物をしたらお返しを考えたり、人の心は時を経ても一つも変わらないことに親近感を覚えながら、ひととき心は平安朝に飛んでおりました。
2017年11月12日
カーブスへ行く途中いつも通る商店街には5軒も八百屋さんがあって、その中の一軒はいつも果物が豊富で安いのですが、この直径7センチほどの小さなリンゴが8個で300円。朝のスムージーに入れるので小さい方がむしろ使いやすいのでいつもこの店で買うのですが、小さいけれど新鮮でキズもなくとてもジューシーで甘いのです。スーパーにはもっと大きなのが一個300円とか400円で売られているので、小さいというだけで安く売られて何だか可哀想になってしまいます。きっと農家さんに対しては「大きくなれずにごめんなさい」と思っているかもしれませんが、ありがたくいただいている人もいるから大丈夫。とっても美味しいよ、と言ってあげました。
2017年11月11日
昨日は北九州芸術劇場で行なわれたHooray for Hollywoodというミュージカルに行って来ました。17年前からのフィンドホーン仲間のまきちゃんから声がかかり、何やらよく分からずに来た夫と、朝日カルチャーの「英語の歌」クラスの先生と仲間たちも一緒です。北九州市と姉妹都市のアメリカバージニア州ノーフォーク市にある州立芸術学校の生徒たちによる歌とダンス。曲目は昔懐かしい映画の主題歌が多く、彼らと同じ十代の頃に観た「雨に歌えば」などあまりの懐かしさに涙が出そうになりました。同時にまだ都電という路面電車が走っていた渋谷の街や、今の半分の幅しかなかった青山通りの風景が目に浮かびました。オーケストラも全員生徒たち。未来のミュージカルスターの卵たちですから入場無料も仕方ありませんが、若い人たちが一生懸命になっている姿は本当に愛らしく、心からの応援を送りました。
2017年11月08日
小倉での講演会のため前日にお友達の家に来られた山川紘矢・亜希子ご夫妻。私達も夕食に招いて頂き伺いました。そこにはアイヌの文化の伝承をなさっておられる宇梶静江さん(息子さんは俳優の宇梶剛士さん)もいらしていて、いろいろな話題で話が弾みました。夫は紘矢さんお気に入りのタデウス・ゴラスの「なまけものの悟り方」が好きだったので、初対面にもかかわらず得意のおしゃべりが止まりません。アイヌは1万年以上戦争を知らなかったという宇梶さんのお話にも驚きました。翌日の朝日カルチャーセンターの講演会にもお義姉さんと3人で出かけ、二次会にも参加。みんなで踊ったりマスターの「あんでるせん」顔負けのマジックにびっくりしたりの楽しい時間を過ごしました。仲間の一人が空港までお送りするのをみんなでお見送りして散会しましたが、飛行機は21:00発なのでお家に着かれたのはかなり遅かったと思います。それなのに今日はもうスピリットダンス❗️すごくお元気です。スピリチュアルに生きるということは本当にエネルギーに満ち溢れるのですね。宗教に凝ってもこうは行きません。それは私も実感してます。
2017年11月05日
11月になりました。二つの台風が去って気持のよい秋晴れが続いています。毎朝の「心の扉を開く」読書会は今や完全な習慣となり、長い旅行の時はコピーまで持参するようになりました。アナザーブックとして読む本も10冊となり、須賀淳子さんの次は大江健三郎さんの長編「人生の親戚」を読みました。大江さん一家も実名で登場する多分事実と思える話がベースの小説で、家族ぐるみの付き合いである主人公の女性を「人生の親戚」ととらえているのかとばかり思い込んでいたら、最後になってそれが「悲しみ」を指していることがわかりました。誰の人生にも何かしらの「悲しみ」が親戚のような存在で在るということなのでしょう。年配の人なら覚えているはずの大阪の「千石イエス」がアメリカに移り、そこで亡くなったことも知りました。大江さんの別荘は北軽井沢にあるので、その辺りの描写も懐かしく読みました。その次は再び古典に戻って今は「竹取物語・伊勢物語・堤中納言物語・土佐日記・更科日記」が入った第3巻(日本文学全集)。もちろん全部口語訳で、竹取物語はかぐや姫の話が原作そのままとわかりましたし、「堤中納言」はほとんどがひまなお公家さんが「どこかにいい女はいないかなあ」とお供の者を連れてふらふらと歩き回るお話ばかり。琴の音が聞こえて来たり、戸が開いている家があるとのぞいてみて、そこに気に入る女性がいればすぐナンパするという他愛のない話が続くので、こちらまでその場にいるようなすっかのんびりした気分になってしまいます。当時は通い婚ですが二股は当たり前、時には女性の家に牛車を回して自分の家へ招くこともあったようで、中には従兄弟同士がそれぞれの相手である姉妹を取り違えても「ま、いいか」と平気だったり、ずい分と大らかな世の中だったようです。
2017年11月01日
油を使わずにから揚げが出来るというので以前から興味があった「カラーラ」というキッチン用品を買ってみました。説明書通りに余熱をしてから片栗粉をまぶした鶏肉を並べてスイッチを入れたら、ゴーッというけっこう大きな音。10分ほどでスイッチが切れ、出してみると確かに火は通っていました。でも所々白っぽい色が残っていて、見た目があまりきれいではありません。(少し油をスプレーするといいのかも)食感としてはちょっとパサつく感じ。正直言って油で揚げるほうが見た目もいいし美味しいです。健康のためには良いのでしょうが、てんぷらには使えません。でも冷めた揚げ物を温めるにはトースターより火力が強いのでとてもいいです。カリッとなりますし、油がかなり取れます。冷めたたい焼きもパリッと仕上がりました。あと揚げ出し豆腐ややきとりにも使えそうなので試してみます。焼きいもも出来るのではないかと思います。ケーキなども作れるようですが、昔はよく作りましたけど、今はもう興味がなくなりました。
2017年10月29日
「シンクロ二シティー」(成甲書房)という本を読み、いろいろ目からウロコのことがありました。ユングが言い出したこの言葉は日本語で「意味のある偶然」と訳されていますが、私は「楽しい偶然」というような意味でとらえていました。でも実際は良いことばかりではなくネガティブな出来事にも使う言葉なのですね。自分のことに当てはめて考えてみると確かにそういうことがありました。2012年の11月に2週間滞在したカウアイ島から成田空港に着き、東京駅までNEXに乗った時から「気」が上がったまま下がらず、いくら深呼吸してもどんどん気分が悪くなって、やっと東京駅にあと1分というところで電車が停まってしまい20分くらい足止め。あとで地震があったためとわかりましたが、こらえきれなくなってもどしてしまいました。結局その日は家に帰れずホテルに泊まることになっったのですが、そのことを皮切りに12月、1月とネガティブなことが起き、2月には遂に骨折&入院と私が北軽井沢の家を出ることになるいろいろな出来事が続きました。そして2年後すっかり健康を回復して迎えた80歳。みんなに祝ってもらい、何度もキャンセルしようと思ったのに思い切って乗船したピースボート。その船上で運命の出会いがあったのでした。この決断が負の連鎖を断ち切ったのでしょうか、お互いの関係を試されるような二度目の骨折と手術がダメ押しでありましたが、その後は何事もなくすべて順調です。思えば彼が会社経営時に体験した幸運な出来事の連鎖を不思議がるので「それってシンクロって言うんですよ」と言った私の言葉に興味を持ったそうで、それがきっかけとなったのでした。(その後どんどん精神世界の本を読み始め、今は大した知識量です)この本の著者によれば、「願い」でも「災い」でも潜在意識に深く刻まれたことは、それを忘れた頃に現実化するそうです。トランスフォーメーションゲームの「目的の実現」と相通ずるものがあると感じました。
2017年10月26日
選挙では気分が重くなりましたが、それが明るくなるようなこともありました。私の願っていたことが二つとも実現したのです。一つは11月4日(土)13:30からの朝日カルチャーセンター小倉での山川紘矢・亜希子ご夫妻による講演会。丁度1年前の10月に亜希子さんに来ていただいて講演会を開きました。そこにいらしてくださった方たちを母体に現在の毎月の集まり「フルール会」や瞑想会があるわけですが、いつかお二人ご一緒にいらしていただきたいと思っていました。それでダメもとで朝日カルチャーに頼んでみたのです。東京や横浜の朝日カルチャーでは何度も講演会をなさっていつも満席ですよ、ぜひこちらにもお呼びして下さいって。去年どれだけ多くの方が喜んで下さったかも伝えました。そしてもう一つは昔「じゅんとネネ」という女性デュオでアイドルだったネネさんをピースボートの水先案内人に推薦していたのですが、こちらもOKになったのです。ギタリストのご主人共々来年1月のオセアニア1周クルーズに乗船するそうです。(1/9神戸からバリ島まで)ネネさんは2007年の私のグループでフィンドホーンにも行き、トランスフォーメーションゲームのファシリテーターでもあります。環境問題や核廃絶には強い関心があり、最近では百人一首に曲を付けて歌うという活動もされています。折しもノーベル平和賞に輝いたICANの主要運営団体の一つであるNGOピースボートに今最もふさわしい水先案内人かもしれません。60代になっても変わらぬ美声できっと同じ世代の乗船者たちを楽しませてくれるでしょう。
2017年10月24日
選挙が終わりました。また自民圧勝。でもこれが今の日本国民の総意なんでしょうね。ため息が出ます。イケメンの進次郎さんが応援に回った所の候補者はほとんど当選していますから、自称ファンクラブの人はみんな入れたんでしょう。これで又一歩戦争に近づいた感じです。自衛隊が軍隊になれば当然徴兵制度が復活するでしょう。息子や男の子の孫がいる人も自民党に入れたんでしょうかね。小池さんの「排除の論理」で野党が団結出来なかったのが残念ですが、枝野さんは頑張ってくれました。どんどん力付けてください。さて台風も去りました。3日も前から大騒ぎした割には雨がちょっと降っただけ。関東のほうへ行ってしまったのでしょうか?被害が大きくなければいいですが。今日の午後になってやっとお日様が顔を出しました。台風一過というほどの青空ではありませんが、久々の晴れ間です。
2017年10月23日
昨日は美智子さまのお誕生日ということで朝日新聞の朝刊に所信を述べられておられましたが、それが約一面近くにも及ぶほどの長文。この1年間の各地の災害に遭われた方たちへのねぎらいに始まり、さまざまな出来事や話題になったいろいろな方がたの業績、それに対する思いなど豊かな内容が美しい言葉で丁寧に書かれていて感動しました。私も(畏れながら)同い年ですが、これだけの内容と文章を書ける老女がほかにいるでしょうか。陛下のご退位が19年3月と決まり、どんなにかほっとなさっておられることでしょう。早くお二人にゆっくりした時間を作って差し上げたいと思います。大好きだった思い出の軽井沢にも自由にいらしていただきたいです。いくつものご病気をされているので、お身体をいたわりながら、やはり大病をなさっている天皇陛下とお二人での初めてののんびりした時間が長く続きますようにと祈らずにいられません。
2017年10月21日
今日は次女麻奈の誕生日。と同時に美智子皇后と別のお友達も。皆さんおめでとうございます。4日後には長女の誕生日も来ます。丁度10歳違いの二人、それぞれ最後に0がつく区切りの年齢になりました。ついこの間自分がその年齢だと思っていたのに月日の経つのは早いもの。もっとゆっくり生きて行きたいのになぜ時代はこんなに急ぐのでしょう。ゆっくりしているとどんどん置いて行かれそうになります。どちらかと言えば新らしもん好きの私なので、好奇心の赴くまま行きたい所へはどんどん出かけ、インターネットなどもけっこう早くからやっていますがまだまだ分からないことばかりで、近くに若い人がいないと教えてもらえずお手上げのことが多いです。今日は明け方に新月になったので11:30から瞑想会をしました。初めにそれぞれ願い事を書きましたが、以前は沢山あった願い事がほとんど叶ってしまった今、あまり書くことがありません。願い事にはあまり執着せず、むしろ忘れてしまった頃に実現するようです。瞑想の後各自持参の昼食でランチ会。おしゃべりがはずんで気がついたら1時間オーバーで14:30になっていました。そのあと外出の予定でしたが、いろいろしているうちに遅くなってしまったので明日に延期です。
2017年10月20日
「秋の味覚てんこ盛りミステリーツアー」というのに行って来ました。小倉を9:30に出発。バスはすぐに高速に乗って関門大橋を渡って行きます。あれ?九州じゃないの?と思ったら最初に停まったのが下関の蒲鉾屋さん。営業得意の夫が褒める女店員さんの口車に乗ってビールのつまみになるような詰め合わせを購入。その後ビニール袋をもらって落花生の詰め放題。二人分なのでかなりの量です。再びバスは走り続けますがいったいどこへ行くのやら。地名を探ろうと必死でコンビニや銀行の○○店や支店の名前を探しましたがわかりません。どうやら小野田市という所らしいとわかった頃に大規模に花や野菜を育てている道の駅のような所に着きました。そこで手作り味噌や野菜を買い、コスモス畑で写真を撮りました。またしばらく走り少しお腹がすいて来たな、と思った頃以前来たことのある瑠璃光寺の門前のお店に着き昼食。これをかなり楽しみにしていたのですが、ちょっとガッカリでした。国宝にもなっている五重塔を眺めていたら雨が降って来たので慌ててバスに戻りました。途中源久寺というお寺に寄って最後が小野という所のお茶屋さんで柿と梨の食べ放題。栗のつかみ取りも二人分だと結構な量です。果物でお腹がいっぱいになってしまったので残念ながら抹茶ソフトクリームはパス。お茶摘み体験は雨で中止になり、バスはようやく帰路につきました。帰りのバスの中でのくじ引きで私が巨峰一房ゲット。くじ運弱いのに珍しいです。他にも熊本のお菓子の詰め合わせをいただき、まさにてんこ盛りの日帰りの旅でした。うちに着いたら丁度6時。全然お腹が空かないので夕食はサボることにします。
2017年10月18日
10月3日から11日まで東京、神奈川へ行って来ました。メインは4日のクラス会@新宿でしたが、前回行けなかった神楽坂と世田谷での「心の扉を開く」の読書会、表参道の瞑想会、玉川学園での山川紘矢・亜希子夫妻のスピリットダンス、逗子のWaiolaでのエサレンマッサージと全部行けた上、会えなかった友達とも今回はずい分会えたので大満足の8日間でした。facebookは毎日更新していたので「東京まで来てるなら会いたかった」とご連絡くださったり、急遽長野から会いに来てくださった方があったりでしたが、限られた日数で沢山のスケジュールをこなすのはかなりの運動量でした。今回は地下鉄の利用が多かったので荷物を持っての階段の上がり下りはけっこう大変で、手すりにつかまりながら慎重に足元を気をつけました。古い駅はエスカレーターやエレベーターがない所がかなりあるのです。時間や場所を間違えないよう毎日の午前・午後・夜の予定と宿泊場所を表にして、時間や経路を調べて書き込み、寝る前には翌日の予定を必ずチェックしていました。すべて予定通りつつがなく終了し、無事に帰宅してささやかな達成感を味わいました。帰宅した翌日にはカーブスへ行き、山のような洗濯ものを干し、今日は朝日カルチャー、明日はいつものフルール会とまたいつもの日常が戻って来ました。
2017年10月14日
1996年から毎年行っているハワイはカウアイ島のコンドミニアムLwai Beach Resort。来年は2週間使える年なので3月末の同じ週に、一つは次女が使うということで2ユニット予約してありました。今年カウアイ島は初めての夫と行った時、レンタカーの運転は私だけだったので、近くのポイプビーチとオールドコロアタウン、ワイメアキャ二オンだけ案内してあとは部屋でごろごろしてただけでした。もう20回も行ってたら案内は申し訳ないけどめんどくさい。だからもう行かなくてもいいのですが、行っても行かなくても管理費の請求は来るので、だれも使ってくれる人がいないので仕方なく行くと言う感じでした。でも夫は行きたいようなので、そろそろ航空券の予約をしなければとネットで入力を始めました。いろいろ細かく入れたのに最後のところでエラーになってしまいます。住所も正しく入れているのに何度やっても「正しく入れてください」と表示されどうしても完了できません。しかも3月は料金が高いのです。すっかり嫌気がさして入力を中止してしまいました。それで娘に「なぜわざわざ高い3月にしたんだっけ?」と聞いたら旦那さんがその頃なら行けそうだったからとのこと。でもどうやら行けないらしいのです。それならもっと安い時にしようと、ダメもとで飛行機代の安い秋に二部屋とも最上階が空いている週があるかと問い合わせてみました。すると11月22日からの週だけあるとの返事。そのとたん不思議にすーっと「行きたい!」モードに切り替わったのです。考えてみたら22日は娘の23日は私たちのそれぞれ3回目の結婚記念日、そして22日は私の父の命日で23日は私の前の夫の命日、しかも私の(本当の)誕生日です。(公式には3月23日)。何事も直感で動くようになってから、この「気が進まない」感覚には物事がうまく行きません。きっと変更して正解だったのだと思います。
2017年09月29日
久しぶりにバレエを鑑賞しました。半年くらい前に新聞に広告が載っていたので申し込み、夫は興味ないと思ったので私の分だけチケットを取り寄せていました。ウクライナのキエフ・クラシック・バレエというまだ30年と歴史の浅いバレエ団で、演目も「くるみ割り人形」「白鳥の湖」「眠れる森の美女」と大衆的な内容で、生オケではないので料金も安かったのですが十分楽しめました。日本人のソリストも一人いてきれいな踊りを見せてくれました。東京で有名なバレリーナが出たりすると3万、4万という値段になるので庶民はなかなか行けませんが、低料金で生のステージは有難いです。私を車で送った後夫は「関が原」という映画を見るというので、終演後バスでそのシネコンまで行き、同じモールの中の回転寿司で夕食。あくまでも庶民的です。こちらの回転寿司はどこもタブレット式。初めての店なのでタブレットの使い方に慣れるまで時間がかかるし、ほとんどがさび抜きなのでわさびの袋を破いてネタの下に入れていると注文品が流れて来るしで忙しく、落ち着いて食べられません。東京や札幌ではたとえ回転寿司でもカウンターの中には板さんがいましたけどね。次回はやはり板さんとおしゃべりしながら注文出来る所へ行こうということで意見が一致しました
2017年09月24日
九州でもようやく嬬恋のキャベツが食べられるようになりました。少し前「群馬産」と書かれたものが売られていたので買いましたが、同じ群馬でも高原の嬬恋産ではないらしく味が全然違いました。普通なら現地ではそろそろ収穫が終わる頃なので、今年は日照時間が少なかったせいで遅くまであるのか、それとも保冷庫で保存されていたものなのでしょうか。嬬恋のものは葉がとても薄いので、1枚ずつはがして包丁で刻んでも細く切ることが出来、中のほうの葉も緑色のままで美しいです。ソースでもキャベツ専用の「うまたれ」でもナマで食べるにはいちばんですが、ロールキャベツにしてもやわらかくなり美味しいです。もうじきなくなるでしょうから、まだあるけれどもう一つ生協に注文しました。
2017年09月21日
大型の台風18号が九州へ上陸すると一昨日からテレビでは大騒ぎで、まだ雨も降っていないのに突然緊急警報がけたたましく鳴って「高齢者はすぐに非難してください」と言われましたが、うちのほうは昨日になっても風も雨もゼロ。今日は以前から知り合いの高崎のSさん夫妻が泊まりにみえるので天気予報ばかり気にしていましたが、何と言うことなく午後から少し強めの雨が降っただけ。風もちょっとだけ吹いて夕方にはもう雲の切れ間が見えていました。「大山鳴動してねずみ一匹」とはこのことで、まあ、ありがたいことなのですが、緊急警報は気をつけないと「オオカミ少年」の轍を踏まないとも限りません。Sさんは私が北軽井沢に住んでいた頃お店にもよく来てくださっていた方なので、2年前のピースボートで最初の朝に廊下のトイレでパッタリ会った時は本当にびっくりしました。ご主人とはその時初対面でしたが囲碁をなさる方で、船上ではうちの主人とよく手合わせされていました。昨年夏に「マナハウス」に滞在した時も高崎から携帯用の碁盤を持参で遊びに来てくださり、今回はその時以来の再会です。心配した台風も大したことなかったので一緒にスーパー銭湯へ行き、夕食もご一緒して帰って来たところです。明日は男性二人はきっと又囲碁でしょうから、私たちは二人女子会を楽しむことにでもしましょう。
2017年09月17日
この20年くらいの間にヨーロッパへは何回も行っていますが、宿泊はツアーの場合は決められたホテルだし、ピースボートならいつも船の中、あとは娘夫婦の家とか友人宅で、自分で予約したホテルに泊まったのは今回が初めてでした。そしていかに日本のホテルがサービスがよくて安いかがよく分かりました。私が利用するのはほとんどが一人でも気軽に泊まれるビジネスホテルですが、7,8千円で駅の近くなどにけっこうあります。小さいけれどバスタブはあるし、パジャマやアメニティーもそろっていて湯沸しポットとお茶もあり、ベッドの広さも十分な所が多いです。今回ロンドンの場合は大英博物館が目的なので、その近くのRadisson BluをHotels.comで予約しました。金額は一人1万3千円。バスタブ、パジャマなし(これは当然ね)。シャンプーとボディシャンプー兼用、トリートメントなし、シャワーは天井から真下に向けての固定なのでとても使いにくい。シャワーカーテンがなくガラスで囲ってあるので、誰かがシャワーを使っている間はトイレに入れません。天井灯は沢山ついているのにベッドサイドランプがないので明るすぎて困りました。湯沸しポットはあり。ロンドンのホテルが高いのは承知の上でしたし、コンシェルジュやフロントが親切だったのは有難かったです。アムステルダムは友人の家に近いHotel Nesに泊まりました。ここはちょっとおかしな所でタオルが不思議なのです。最初の日はバスタオル&フェースタオルは2枚ずつなのにハンドタオルは1枚だけ。足拭きマットはなし。翌日はフェースタオルがなくて足拭きマットが2枚(棚の上に畳んで乗っていたのでうっかり顔を拭いてしまいました)。湯沸しポットあり。コーヒーなどは毎日2人分ありましたが、なぜか紅茶はいつも一人分だけ。ここはベッドサイドランプはあり、セントラルステーションから徒歩15分でロケーションはまあまあ。値段は一人1万円。ベッドもロンドンよりは広めでした。バスタブはないけどシャワーがコード付きでよかったです。スマホの充電用に変圧器を持って行ったのですが、どちらのホテルも、そして飛行機も全部今はUSBに直接差し込めるようになっているので時代が変わったことを実感しました。
2017年09月15日
おとといひねった足がけっこう痛いので今日は整骨院へ行って来ました。その日の集まりで「足をくじいた」と言う話が出ていたのですが、その直後にその通りのことが起こって大笑いです。こういうのもシンクロって言うんでしょうか?もともと左足首が硬いと言われていて、そこを押すと痛みがあるのでひねりやすくなっているのかも知れません。電気を当ててシップをしてもらったらいくらかよくなったような気もしますが、まだ少しびっこを引かないと歩けません。あ、こういう表現使っちゃいけないんでしたっけ?でもほかに何て言えばいいんでしょう。私の子どもの頃はこうした表現は普通にいくらでも使っていて、それを差別とかと思わなかったし、身体に不自由のある人たちも平気で自らも普通に使っていました。「差別」と意識したとたんにそうでなかったものが顕在化してしまうような気がします。何でも「〇〇が不自由な人」と言い換えていたら「〇〇めっぽう」を「目が不自由な人がめちゃくちゃに」みたいに言わなくてはならなくなったり、「〇〇蛇に怖じず」なんて例えも使えなくなってかえって失礼にあたるような気がします。こうして昔ながらの日本語がどんどん消えて行くんですね。
2017年09月13日
歳をとったせいなのかどうかわかりませんが、今回はいつになく時差ぼけが長引いています。朝5時まで寝られないかと思うと翌日は早くから10時間も寝てしまったり、その翌日はまた3時まで起きていたりでなかなか調子が戻りません。今月のフルール会は第3日曜日が連休なので昨日の第2になり、涼しくなったせいか久しぶりの方や初めての方などで13人も集まってくださいました。私たちを入れて15名では椅子が足りなくなりそうなので、近いうちに補充の予定です。フィンドホーンへ行ったお二人も参加し、相変わらず和やかな笑いの中での楽しい会となりました。家に戻って玄関を上がる時、そこに大きな荷物があったことと、両手にものを持っていてつかまれなかったこと、手術してあまり力が入らないほうの左足から上がろうとしたことなどでよろけて倒れてそうになり、思わず左手で玄関脇のクローゼットの扉に手をついたら、鎧戸の桟が2枚はずれてしまいました。その後寝る頃になって携帯電話がないことに気がつきました。持ち帰ったはずなのに荷物の中にはなく、いつも置きそうな場所を探してもどこにもありません。家の電話からかけてみてもどこからも呼び出し音が聞こえません。散々探し回ったあげく、もしかして、とクローゼットの扉を開けたら、ありましたー!外れた桟は夫が直してくれていましたが、多分左手に持っていたので手をついた時に中に落としたのでしょう。全然覚えていません。その時打ったらしい左足の小指の脇が痛くて上手く歩けないので、今日は久しぶりに行こうと思ったカーブスは残念ながらお休みします。
2017年09月11日
涼しいヨーロッパから帰って来たら日本も涼しくなっていて、ほとんどエアコン要らず。風がすっかり秋風になっていました。庭では秋の虫が鳴き出し、旅行している間にすっかり季節が変わったようです。スーパーへ行って籠二つに山のような食料品を入れ、ビールのケースと神棚・仏壇用のサカキやお花も買ってようやく日常に戻りました。時差のせいか昼間に居眠りも出ますが前の晩早く目覚めた分、昨日の夜は10時間も寝てしまいました。今日は前回旅行でお休みしてしまった朝日カルチャーの「英語で歌おう!」のクラスへ。毎月それぞれが選んだ歌を練習し、発音を正され、最後には先生も一緒になってナット・キング・コールの「LOVE」を振りをつけて踊るのですが、先生が熱心になればなるほど生徒たちはおかしくて笑い転げてしまい、なかなか揃いません。こういうダンスに不可欠な笑顔だけは大丈夫。言われなくても保証しますよ、先生。今学期の最後にはカルチャーの職員さんたちの前で一人ずつ自分の歌を歌いこのダンスをするのですが、振りはすぐ忘れるし、毎回誰かしらお休みなので、果たしてどんなことになるやらお楽しみです。
2017年09月09日
8月26日の夕方から阪九フェリーで翌朝大阪の泉大津港に着き、関西空港からアムステルダム経由でロンドンへ。12泊13日のヨーロッパ旅行から昨日帰って来ました。以前から大英博物館へ行ってみたいと言っていた夫の希望に沿ってロンドン3泊。そこから夜行寝台車でスコットランドのインバネスへ行き、電車を乗り換えてフォレスへ。そこに住む友人宅に3泊して毎日フィンドホーンへ通いました。3年前にアイオナ島の帰りに寄ってそれが最後と思っていたのに、その後に夫と巡り会い、一緒に来ることが出来るなんてまるで夢のようです。「フィンドホーンの魔法」を読んだ彼はそこの共同体の成り立ちに興味を持っていたので、会うことは出来ませんでしたが設立者の一人ドロシー・マクリーンがまだ96歳で健在なうちに訪れることが出来たのはとても嬉しいことでした。彼を本に登場するいろいろな場所に案内し、丁度滞在中の娘の麻奈がお世話している日本人の「体験週間」参加グループとも合流し、通訳のマリリーナこと渡邊雅子さんやイアン&ロージー夫妻、ジュディスに紹介することが出来て嬉しかったです。その他私はマリオン、ニールス、みえ&マーチン、クレイグらにも会うことが出来ました。今回のグループにはうちの毎月の集まりや瞑想会にも来ている方が2人参加していて、二人とも「本当に来てよかった。素晴らしい体験だった。」と目を輝かせて喜んでいました。嬉しいことです。日本に帰る皆さんとマリリーナを見送った翌日、麻奈と私たち3人はアバディーン空港からアムステルダムへ。長年の友人R子さんが迎えに来てくれていました。タクシーで彼女の家の近くのホテルにチェックイン後彼女の家で夕食のちらし寿司をご馳走になりました。久々の日本食、美味しかったぁ!アムステルダムの目的は国立美術館とゴッホ美術館。私はアムスは5回目で両方とも行ったことがあるのですが、今回はイヤホンガイドを借りてじっくり見学しました。運河の遊覧船にも乗り、何百年も前の街のたたずまいがそのまま残っているアムステルダムの風景を堪能し、旬のヘイリン(にしん)も食べ、美味しいチーズやチューリップの球根も買って旅の終わりを迎えました。花市場で缶入りの栽培用のマリファナを売っていたのが印象的でした。オランダでは普通のことなのに、こんなもの買って帰ったら日本では大変なことになってしまいます。所変われば品変わる。「正しいこと」って何が基準なんでしょうね。帰りは10時間半のフライトだったのであまり退屈することもなく、関空から特急と新幹線を乗り継いで9月7日午後無事帰宅いたしました。老人二人の旅にしては病気も怪我もなく無事帰れたことに何はともあれ感謝です。折しも中秋の名月。十六夜の月を眺めながら、少し時差ぼけもあって朝早くからこれを書いております。
2017年09月08日
昨日はアムステルダムでの乗り換えがただでさえ4時間待ちなのに、更に遅延があったのでホテルに着いたのは日本を出てから30時間後。シャワーだけ浴びてバタンキュー、朝7時までぐっすりと眠りました。 今回のロンドンの目的がBritish Museumなのでホテルはすぐ近くをHotels.comで予約したのですが、いかにもロンドンらしい部屋は狭いけど調度品などに品の良さが感じられるコージーなお部屋です。 今日は10時半から5時過ぎの閉館時刻まで、日本語のイヤホンガイドを借りて、途中館内のレストランで一休みしながらかなり見回ることが出来ました。 今から8000年も前にこんなにも素晴らしい技術があったのかと感服する国がイラクやシリアなので、今の状態を思うと本当に心が痛みます。 ミイラやそれを収める棺が狭い部屋にぎっしり置かれている部屋では息苦しくなり長くいられませんでした。博物館は置かれている物たちが発するエネルギーがいろいろなので美術館より何倍も疲れる気がします。 写真は撮ったらきりがないので特に印象に残ったものを少しだけにしました。平たい古代エジプトの絵の中に突然近代的な陰影のある人の顔の絵が現れてびっくりしました。 ホテルへ戻るなり夫はシャワー浴びてすぐに高いびき。私も服のまま横になったら少し眠ったみたいです。さすがに疲れました。なぜかおなかが全然空かないので今夜は夕食抜きです。
2017年08月29日
いよいよ明日出発となりました。関西空港からなので大阪まではフェリーで行くため夕方出発です。明日の夕食は船の中なので、食事の支度は明日の昼まで。冷蔵庫の中は見事にスカスカになりました。野菜は人参とキャベツだけになったので、人参は保存袋で野菜室に入れておけば大丈夫でしょうから、キャベツだけは何とか片付けようと半分はザクザク切って細い塩昆布と胡麻油をまぶし、残りはじゃこと干しエビとで炒めてソースをかけてみました。名前もないような即席料理ですが、ビールのつまみにはなったようです。昨日はなすと天つゆの残りをどうしようかと考えて、油はこの間固めて捨ててしまったのでフライパンでいためたなすをタカノツメを入れた天つゆに漬けたら、何とか揚げ浸し的になりました。毎年行っていたカウアイ島から帰る時も最後に何も残らないようにいろいろ工夫するのが面白くて、上手く行くとひそかな達成感を味わって満足していたものです。今日が生ゴミの日だったので、どうしても最後に少し出てしまう生ゴミは庭の隅に埋めれば完ぺき。今夜はご飯は炊かずお寿司を買って来ましたし、明日のお昼はパンです。こちらの握り寿司はシャリが大きいのが特徴。そしてワサビは入っていないか、入れてあってもほんのちょっぴりです。最近築地の「すしざんまい」が小倉の魚町に支店を出したので、そこへ行くとサビの効いたシャリが小ぶりの江戸前が食べられるのですが、夫に言わせれば「けちくさい」そうで、九州人は何でも大きいのが好きみたいですね。
2017年08月25日
いつものことなのですが、しばらく二人で家を留守にする時は冷蔵庫の野菜や果物が残らないよう、献立を考えながら少しずつ整理に取りかかります。今日からそろそろその時期なので、さっそく今日は「片付け」天ぷらにしました。なすとちくわと半端に残っていたエビはそのまま、半分の人参と玉ねぎ、1個だけあったピーマン、それにチルド室にあったむきエビを全部混ぜてかき揚げにしました。食べるのは大好きなのにいちばん下手なのがこのかき揚げです。衣を濃い目にしたり、へらにのせてそっと鍋に滑り込ませたり工夫するのですが、売っているのみたいにしっかりと出来たためしがありません。今日のはまあまあいいほうですが、揚げたてはしっかりしているのにすぐバラバラになってしまったり柔らかくなってしまったり。エビもちゃんとおなかに切れ目を入れたのにまるまってしまって。それでも夫は美味しい、美味しいときれいに平らげてはくれましたけれど。何とか上手になりたいものです。
2017年08月21日
最近時間が矢のように早く過ぎて行く気がします。あっという間に1週間が過ぎ、すぐ1ヶ月が経ってしまいます。その反面5年前のことが遠い昔のように思えたり、10年前のことが「まだそれしか経ってないの?」みたいに感じたり時間に対する感覚が何だかおかしくなっています。(ただ単に私のアタマがおかしいだけかも)半年くらい前にエアチケットやホテルを予約したりしてまだまだ先の話と思っていたヨーロッパ行きが1週間後に迫りました。ほとんど夫の希望に合わせて大英博物館見学のためにロンドン3泊、フィンドホーン(邦江さん宅)3泊、娘の麻奈がオーガナイズするグループと合流した後、アバディーンからアムステルダムへ飛び、国立やゴッホなどの美術館を見て3泊という予定です。ここにも友人がいるので楽しみです。ロンドンには孫娘二人がいるのに、あいにく夏休み中で日本に来ていて案内してもらえずジジババ二人の珍道中ですが、何とかなるでしょう。気温は17~20度と言いますからかなり涼しそうです。こちらの気温と合わないので旅支度がし難いです。
2017年08月19日
昨夜はかなりの雨でしたが、この辺りには大きな川もなく土砂崩れするような山もないので全く何の被害もありません。お昼頃下関のお義姉さんがお墓参りの帰りにご主人と来られました。お義姉さんはうちのフルール会や瞑想会などにもよく来てくださるのですが、いつもは入退院を繰り返しているご主人が気になってゆっくり出来ません。それが昨日はご一緒だったので安心して夕方までお寿司やおはぎなどつまみながらゆっくり4人でおしゃべりすることが出来ました。自然に双方の両親や先祖の話になり、お互いに両方の父親がお酒のみだったり、人に裏切られて失意の時があったりなど共通のことがあったり、私の父と夫の祖父が新聞記者だったことがあるなど話題が尽きませんでした。こうしてお盆に故人を思い出してその話をするのは供養にもなるのだそうです。うちの両親もきっと喜んでくれたことでしょう。私一人の時は話す相手もいませんでしたから。病気がちであまり外に出られないお義兄さんが、「久しぶりにとても楽しい時間だった」と喜んでくださったのが何よりのひとときでした。
2017年08月15日
今日も新聞の記事から。「玉砕」という言葉が載っていました。「玉が砕けるように美しく死ぬ」という意味で戦争中使われた言葉です。要は追い詰められた兵隊たちが自分で自分を殺したり、お互いに殺し合って死ぬということで、決して美しいことではなく、「悲惨」「残酷」「無残」「無念」「むごたらしい」「号泣」などの言葉が当てはまる言葉です。(言葉の言い換えも日本政府のお家芸で最近も盛んに使われています)終戦間際に南海の孤島であるアツツ島での「玉砕」が最初で次々サイパンやぺリリュー島などで同じことが行なわれました。島を何百隻という敵艦に囲まれて援軍も食料も絶たれ絶対絶命なのに「決して捕虜になってはいけない。捕虜になるくらいなら死ね」と教え込まれた兵隊たちは死ぬしかなかったのです。援軍も求めず偉かった、などと言われていますが、援軍や食料を求めて打電しても大本営が無視したというのが事実です。ひどい話です。その安全な場所にいた大本営の連中が靖国神社に祀られているんですよ。国を守るためと戦死した兵隊たちは一緒に祀られて嬉しいでしょうか。天皇陛下が参拝なさらない理由がよくわかります。私も決して行きません。23歳で戦死した大好きだった叔父がそんな所にいるとは思えないからです。戦争を知らない政府の人たちはよく参拝に行きますね。それを是とする某有名女性評論家の先生もおいでですが。
2017年08月12日
1944年、終戦の前の年東京が毎日のようにアメリカ軍の空襲(今は空爆と言うんですね)を受けるようになったため、国策で東京中の小学生を地方へ疎開させることになり、田舎の親戚に縁故疎開出来ない子どもは集団疎開をすることになりました。区によって行く先が決まっていたらしく、私が住んでいた中野区は福島県でした。3,4年生は飯坂温泉の旅館、5,6年生は山間部のお寺に分かれ、兄弟でも別々にされました。当時4年生だった私は旅館組でしたが、ひもじさと寂しさで毎日みんなで泣いていたのを覚えています。私の両親は私が一人っ子のため、自分たちが死んだら孤児になってしまうから死ぬなら一緒にと、3ヵ月後に私を連れ戻しました。その直後父が招集され、家は空襲に遭い、私は母と祖母とで焼夷弾が雨と降る中を逃げ惑いました。なぜこんなことを書こうと思ったかと言うと、今朝の新聞で私と同い年の女性が、集団疎開中に親が空襲で亡くなって孤児になった大勢の子どもたちのことを調べて記録していると言う記事を読んだからです。その方もその孤児の一人で、終戦になって東京に戻ったら家も親兄弟もなくなっていたそうです。親戚に引き取られても食糧難の時代ですから邪険にされて逃げ出し、上野駅の地下道を寝床にしていた「浮浪児」が大勢いました。中央改札を入って左に行ったちょっと天井が低くなっている辺りに、そういう子どもたちが大勢いたのを覚えています。衝撃的だったのは、ある日トラックが来てそこにいた子どもたち30人くらいを乗せて山奥へ捨てに行ったという話です。国策で強制的に疎開させておいて、孤児になったら邪魔だから捨てるって、日本政府はなんとひどいことをするのでしょう。いかに国民を大事にしない国かがよくわかります。その伝統がいまだに残っていますね。だから私は「愛国心」とやらが持てないんですよ。
2017年08月10日
今月はいつもの新月ではなく満月瞑想会をしました。なぜかというと今月の新月は22日で、2日前がいつものフルール会の集まり。そして24日がいつものこの会のメンバーから2人が、娘の麻奈がリーダーのフィンドホーンツアーへ出発する日だからです。昨日は午前3時過ぎに満月になったので、瞑想会は11時から始めました。新月はお願い事を書く日ですが、満月は感謝をする日。考えてみると私たちは沢山のものや人間関係、豊かな体験を与えられていることに気づきます。そのどれもが貴重で大切です。その一つ一つに感謝をしてから瞑想に入りました。やはり一人よりはグループだととても集中出来ます。そしていつもの食堂でするよりも生活とは切り離された空間というのがまた更にいいですね。いつもよりずっと深い至福感を味わうことが出来ました。多分瞑想中は脳波がアルファー波かシータ波となり、脳内ホルモンのオキシトシンが分泌されるからでしょう。終了後はみんなで持ち寄ったお弁当を食べ、おしゃべりを楽しみました。
2017年08月09日
毎朝読んでいる「心の扉を開く」ですが、8月2日のページの答えがまだ出せないままでいます。タイトルは「直観で行動することを学びなさい」。これだけならこれまでの人生で大きなことー土地を買う、家を建てる、引越し、店を始める、再婚などーを全て直観で決めて来た私には何の矛盾もないのですが、本文の前半で立ち往生してしまいました。「自然に振る舞い、直観で行動することを学びなさい。それが妥当であり分別ある選択だと、あなたの理性が言うことだけでなく、心の命ずるままを行なうことを学びなさい。純粋な愛だけの行為は、他の人の目から見ればあまりに妥当性を欠き、ばからしいとさえ映ることもあるかもしれませんが、それはどうでもいいことです。突き動かされたならすぐに行動しなさい。立ち止まって天秤にかけてはいけません。なぜそれをするのか考えたりすることさえしてはいけないのです。」たとえば時々こういう記事を見かけます。目の前で見知らぬ子どもが川に落ち溺れているのを見て、とっさに飛び込み助けようとした男性が亡くなり、子どもは自力かほかの人に助けられたなどというケース。まさに直観的純粋な愛の行動だと思います。しかし、その男性の両親や妻子の嘆きはいかばかりでしょう。時間が経てば彼の素晴らしい行為を誇りに思うことも出来るようになるでしょうが、それまでの悲しみ、苦しみ、大黒柱を失った打撃や困難は長く続くと思います。また助かった子どもの親は喜びと同時にその男性への申し訳なさ、自責の念、心の痛みが当分消えないのではないでしょうか。そんなことを夫とシェアして二人とも答えが出せないのでした。
2017年08月06日
2009年の私の8回目で最後のフィンドホーン「体験週間」ツアーのメンバーの一人ゆきこさんの一人娘あやちゃんが岐阜から泊りがけで来てくれました。初対面は2009年高校3年生の時の夏休み。北軽井沢の我が家へお母さんと2泊か3泊で来た時でした。卒業後の進路がまだ決まらず悶々としていたらしく、お店の上のロフトで1日中寝ていたのを覚えています。でもお母さんの話では、その後フィンランドへの留学生試験を受けることを決心し、猛勉強して見事合格。ヘルシンキでの大学生活が始まりました。二人で東京の読書会にも来てくれたこともあります。2015年の春出発のピースボートでヘルシンキに寄航した時は1日中街を案内してもらいました。その翌年の冬の夫と一緒のクルーズ出発の日は、たまたま東京に仕事で来たからと横浜の大桟橋まで見送りにも来てくれました。美しい娘さんに育った孫のようなあやちゃんが来てくれて嬉しかったですし、お昼に作ったちらし寿司が美味しい、美味しいと翌日も残り物を食べてくれたり、パソコンの分からなかった所を教えてもらったりの楽しい2日間でした。夫もよくしゃべっていましたから「年配の男性には珍しくハートチャクラの開いた紳士」と評してもらい、チャクラの意味もわからぬまま満更でもない様子。喉のチャクラも常に全開の人です。
2017年08月04日
今日はお隣の大分県日田市で38.3℃という酷暑日。私の部屋はサンルームのようになっているので天井の日よけを下ろし、カーテンも半分閉めてエアコンをつけているのに31℃から温度が下がりません。朝刊を読んでも身が入らずやたら眠いので冷房の効いた寝室へ行って1時間昼寝。午後からもパソコンですることがあるのに全然やる気が出ず、半日フリーセルやらスパイダーソリティア、マージャンなどゲームばかりして過ごしてしまいました。あーあ、無駄な時間を過ごしてしまったと自己嫌悪になってつぶやいていたら夫が「今日は日曜日だからいいじゃないか」って。今は二人とも仕事してないから毎日が日曜日で、これが彼の日常ってわけです。あとはTV見るか本読むかで。私もたまにはこんなだらけた日があってもいいかなとは思いつつ、やはり何だかすっきりしない気分です。貧乏性なんですね。夕方気を取り直してキッチンへ行き、昨日のカルチャーで歌ったカーペンターズのYesterday Once More を口ずさみながらロールキャベツとひじきの煮物を作りました。
2017年07月30日
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