ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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カテゴリ: 歴 史


 以前からヨーロッパ中でずっと続いている、皇帝派(ギベリン)と、法王派(グエルフ)の分裂の中で、皇帝フリードリヒ1世は、ローマ法王選挙の際、アレクサンデル3世ではない別の人物を擁立して、失敗している経緯があったのです。

 このため、その後ローマ法王になったアレクサンデル3世を、正統な法王として承認していなかったのでした。

 この戦争は、北イタリアのコムーネと、ドイツ皇帝フリードリヒ1世との戦いなのですが、ロンバルディア同盟の頂点には形式上、ローマ法王の名があるため和解する当事者は、皇帝と法王という図式になるのです。

 次は、休戦調停の調印の場所選びでした。ボローニャかヴェネツィアかというとき皇帝がボローニャを嫌い、結局ヴェネツィアが和解の指揮をとることになり、アドリア海の端っこの小さな島に、ヨーロッパ中のVIPが集結したのでした。

 法王側として、教会弁護士団、ノルマンディー王の大使、ロンバルディア同盟各コムーネの代表者。

 皇帝側として、ドイツからマインツ、ケルン、他都市の司教。仲介者として、フランス王、イギリス王の代表者、ヴェネツィアの総督セバスティアーノ・ヅィアニ。
 そしてもちろん、ローマ法王アレクサンデル3世と、皇帝フリードリヒ1世。

 1177年7月24日、フリードリヒ1世はヴェネツィアのリドのサン・ニコロ教会で総督、大司教エンリコ・ダンドロ等と面会します。
 そして法王アレクサンデル3世を待つため、サンマルコ寺院へ向かいました。

 そこで、法王の足下にキスをし敬意と恭順を誓い、8月1日正式な6年間の休戦合意の調印がなされたのでした。

 6年後の休戦期限まぢかの、1183年6月25日、今度はピアチェンツァで完全な停戦が締結されました。

(写真の絵は、サンマルコ広場で法王の足元にキスをする、赤髭王。その3に続く)






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Last updated  2008/04/19 02:23:23 PM
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