ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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カテゴリ: 歴 史

またしてもドイツ皇帝(神聖ローマ皇帝)には、少々屈辱的な出来事が
おこりました。

 11~12世紀にかけて、北イタリアの都市は、他の王国や公国、伯領
といった形態とは違い、自治権をもつ、いわゆる「コムーネ」
(コミューン)に成長して、少しずつ領土も広げていました。

 これを不快に思っていた、ドイツ皇帝フリードリヒ1世
(シュタウフェン朝国王、1122-1190、バルバロッサ=赤髭王の
あだ名)は、これら北イタリアのコムーネを壊滅させようと、


 しかし、北イタリアの自治都市も反撃に出ます。

 東部は、ヴェローナ共同体(ヴェローナ、パドヴァ、ヴィチェンツァ、
トレヴィーゾ)が団結します。
 西部は、ミラノ、クレモナ、マントヴァ、ベルガモ、ブレーシャ、
フェラーラの各都市が同盟を組んで対抗しました。

 1167年12月1日、この二つの同盟が合体し、さらに、ボローニャ
モデナ、ピアチェンツァ、パルマの都市も加わり、
「ロンバルディア同盟」が生まれます。

 ヴェネツィアは、ドイツ皇帝による直接の被害はなかったのですが、
ヴェローナ共同体に対して資金援助をしていました。
 商品流通の交通路の確保は、欠かせないものだったからです。


振り落とせ!!」のスローガンのもと、一致団結して徹底抗戦を
展開しました。

 1176年5月29日、「レニャーノの戦い」(ミラノ近くの街)で
決定的な勝利を収め、ドイツの赤髭王を休戦せざるを得ない
ところまで持ち込みます。(その2に続く 写真はドイツ皇帝






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Last updated  2008/04/12 05:59:55 PM
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