ヴェネツィアの獅子たち

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Reiko Fujiwara Marini

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カテゴリ: 歴 史


 具体的には、1096年から1099年までの第一回十字軍遠征から、1270年の第八回までのことで、キリスト教発祥の聖地パレスティナを、イスラム教徒から奪回する目的で行われた戦争です。

 11世紀、中央アジアからトルコ系遊牧民であるセルジューク朝が台頭し、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の領土を侵食し始めていました。11世紀後半には、首都コンスタンティノープルも含む、アナトリア半島(小アジアとも。現在のトルコの大部分)を占領されます。

 ビザンティンの皇帝アレクシウス1世は、ローマ法王ウルバヌス2世に援軍を依頼します。
 ビザンティン帝国は、東方正教会とはいえキリスト教の民です。そこで、この教会改革と異教徒征伐に燃える法王は、1095年クレルモン教会会議で、十字軍遠征を宣言します。

 この第一回こそ、ビザンティン帝国の領土奪回に成功し、エルサレム王国を建設、当初の目的は達成したと言えますが、それ以降は第四回を除き、イスラム諸国の反撃にあい、基本的にはほとんどが失敗しています。

 現在でこそ、これらの十字軍遠征は、「聖戦」に名を借りた完全な侵略戦争であった、と考察されています。というのは、十字軍遠征への参加者は、宗教的な正義感というより、名誉欲や領土欲、または免罪符を手に入れるという、世俗的なモチベーションに動かされた者も多かったことなどからです。

 一方で、純粋な宗教的な正義感から、自腹を切って参加する者も、当然多くいました。これらの人々は、動機が純粋な分、もっとタチが悪いのです。「正義」という美酒に酔いしれると、他に耳を貸すだけでも不純だとでもいうように、脇目もふらず突き進んで行ってしまうからです。たとえ、その「正義」がキリストであれ、天皇であれ、マホメットであっても。

 さて、ヴェネツィアが関わったのは、第四回十字軍で、1202年から1204年のことです。当初ヴェネツィアの役割は、遠征に必要な装備(船、馬、食料など)を準備することでした。それが、どういう訳で主力として関わるようになったかを、次回からたどってみましょう。
(その2に続く)






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Last updated  2008/11/15 05:18:42 PM
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