Hic Rhodus, hic saltus.

2006.08.09
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1924年に生まれた奥村和一は、早稲田大学附属早稲田専門学校商科在学中の1944年に徴兵され、直ちに中国山西省に派遣されることになる。そこで、初年兵教育を3か月受けるが、最後に「刺突訓練」と称される「肝試し」を命じられる。それは、軍服を着ていない中国人の処刑であった。しかも、処刑は銃殺ではなく銃剣刺殺。殺人をためらう初年兵は急所を外すため、処刑者は生殺し状態が長く続く悲惨なもの。
私は「蟻の兵隊」だった
その後、立派な帝国軍人に育て上げられた奥村は戦場で逃げる老婆を射殺して悔いるものの、幹部候補生として教育を受け本人が知らないままに、1945年8月10日には兵長に昇進している。その間、食糧を略奪する「麦収」に駆り出され、ほどなく終戦の詔勅を知ることになる。

しかし、奥村の認識は敗戦ではなく一時休戦。実際、武装解除は行われず、1946年2月までは、それまでとほとんど変わりのない訓練生活が続いたとか。その後、旅団参謀から次のような講話が行われることになる。

その結果、筆者も残留することになり、1947年7月には、日本軍の軍装のまま中国国民党軍に編入されることになった。こうして、日本兵が国共内戦へ投入されていったのである。

1949年4月の戦闘で負傷し、人民解放軍の捕虜となって1954年9月まで抑留された後、解放。日本に帰国することになるのだが、そこで待ち受けていたのは日本政府の冷たい仕打ち。本国の命に反して中国に残留したという理由で現地除隊扱いとなり、軍人恩給も受けられないことになっていた。その後の事情については、本書だけでなく本年7月に公開された映画『蟻の兵隊』に詳しいので、是非見てもらいたい。

映画『蟻の兵隊』公式サイト

奥村和一・酒井誠『私は「蟻の兵隊」だった』(岩波ジュニア新書)





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最終更新日  2006.08.09 00:44:30


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