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こぬばぬは。chicchi666です^-^病院に入院しながら田植えを終え、本日めでたく退院してまいりました^-^そんで日本酒とジアゼパム呑みながら書いてます。ああ、本当に腰が痛い。退院して即田圃に直行して労働しました、どんだけやる気あるのでしょうかね、僕は。いやーでもやる気ある時やっとかないとデロンデロンのときは全く働かないんで、フルで動ける時はフルアクセルで行ってみている僕でございます。しかし、家に転がってた松竹梅呑んでるんですけど、僕は辛口の日本酒じゃなくて甘口の、大吟醸とかがすきなんですね。贅沢いえんのですけれども。さて、入院中暇だったんで、そろそろ本格始動しそうなバンド復活計画に当たりまして、入院末期の時は新しいバンド名等を考えておりました。もう15年以上前に解散したバンドなんですけれども、僕はそのバンド、バンド名はトンファーという名前でやっておりました。最終的にはバンドメンバー間の折り合いが悪くなったのと、進学就職結婚とかがあって解散、その後は件の祐天寺とバンドを組み、ギター、ベース、ドラムの3人でやっておりました。印象としては、高校生とかの多感な時期に、周りの影響というか流行の影響を受けながらやっていた最初のバンド、「トンファー」は5人組で、僕ともう一人ボーカルがいるツインボーカルでやっていたんですが、今思い起こしてもハッキリと嫌いといえる90年代USハードコア、グラインドなんかに似たサウンドで、全然いい印象がない。活動期間は短かったけれど、祐天寺とやっていたバンドのサウンドの方が圧倒的に印象に残ってる。ギターでいえばアンプのゲイン調節と、エフェクターはファズかディストーションかオーバードライブだけが軽くかかってるだけのショボイ、シンプルなサウンドが。ちなみにこのバンドはジョニー&the living deads という名前で、延々3コードのペロンペロンなパンクバンドでした。バンドマスターはドラムのジョニーさん。と生ける屍の僕と祐天寺と。 というわけで、あんまり気に入らない最初のバンドのメンバーとバンドを多分復活します。んで、いくつか考えたバンド名は・・・・↓FFPM (ファイブ・フォース・パンク・メン)なんか広告代理店のコピーライターが適当につけそうな名前。「パンク」という言葉で明確にバンドの方向性を指し示す。愛国戦隊 大日本あの人のアレをオマージュじゃなくてそのまんま。住職名前が短くて覚えやすいから。Kiss my ass (キス・マイ・アス 俺のケツの穴にキスしろ)なんかアイドルみたいな名前にしてみました。内容は嫌がらせだけど。能年怜奈そのまま・・・。東京電力サヨナラ福島苦情がきそうwいろんな意味で。誤解をされると困るんで書いておきますけど、福島県、僕は大好きです。バイクのツーリングにも行ったし、車でも会津若松や猪苗代をはしったりしました。そして、茨城県民である僕がいうのも何なんですけど、おおまかにいって皆素朴で純真、気持ちがまっすぐなひとが多い、とてもいい印象しかないんです。その福島をあんな様にされてしまって。ああミステイク。東京電力と管直人はうどんで首くくって師ね。大作&蓮華経´s大嫌いなんで。博報堂苦情がきそうwこんなバンド名いかがでしょうか?多分、僕が詩を書くことになると思うんで、政治・宗教・思想をゴリゴリと入れた呪いの呪文みたいな詩を書いて、ベロベロと雰囲気をぶっ壊す方向にしてみたいと思います。グッドナイト。
2013/05/17
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こんばんは。週末農家です^-^というわけで病院に入院しながらなぜか週末に田植えを行っているchicchi666です^-^田植えも機械化されてますんで、ボーっとしながらハンドル握っていれば機械様が田植えをしてくれます。あーなんて素敵なんでしょう。フルアクセルで田植え機をかっ飛ばす私。ああ、なんて男前。というわけで暇なんで歌を考えながら田植えしてました。相変わらずのルール無視、自作の下手の横好きで。こんな感じ。東の洋の静くなる 写す緑も田植えにぞ吉また子らは 水の清きを唯喜びにける筑波の峰の高きとよりそひに 我の思いもまた写りけるかなといったところで、約一年前の私は何をしていたか過去日記を振り返ってみていましたら、主にウンコをもらしておりました。過去リンクをどうぞ。↓ゴッドフリーデッドマンうん、清々する位のダメ人間ですね。過去の自分に懲りず、ガンガンアクセル踏んでいくぜ!(田植え機の)今日はそんな感じです。サクッと過去ログサルベージで終了でございます。グッドナイト。
2013/05/10
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たまには部屋の掃除をしてみるものだ。整理整頓、原理原則基礎基本。大量のジアゼパムが発掘された。しばらくはゆるゆるとマイルドな感じでアクセルが踏めるぜ。アクセルは踏むためにある。酒は飲むためにある。まだ、まだ行けるぜ。ふらんふらんでキッチリゆるゆる。ゆるゆる、あくまでゆるゆる、僕は、僕の死の引きよせて。今なら、まだ手が届く、漸く掴める「何か」を見ながら生きるんだ。まだ、漸く、いい加減、始まったばかりだ。
2013/05/05
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こんばんは^-^ chicchi666です。世間はゴールデンウィークということで、非常にめでたく、かつ平和、ネズミーランドに僕も行きたい。僕はガッツリ田植えしてますけどね!!!(入院しています)というわけで入院の合間に田植えをする僕なんですが、この勢いで行くと田植え機でネズミーランド位までは制覇できそうな勢いです。ウソです^-^ しかしもはや神と言えるレベルになってしまった、あのネズミの前にあっては完全降服しか選択肢は用意されておりません。女の子とランドでもいいしシーでもいいから行きてえなあ、という所でございますよ。ところで、去年も今年もなんですけれども、入院が多くて、ってあと10日程で退院なんですけれども、入院は暇です。仕事もしなくて良いし、お菓子でも食べて寝てればいいだけ。で、あまりに暇なのですね。僕はテレビっ子じゃないんでテレビは見ないからほとんど読書をして過ごしています。「面白くない本など無いのだよ、関口君」って京極堂が言ってましたけれども、本当にそのとおりで、あらゆる本、どんなジャンルでも面白く無い本、てのは無いですね。僕は乱読気味に何でも読んでしまうのですが、最近は「過去に読んだものを振り返ってみよう」ということで、論語、新約聖書、ソクラテスの弁明、プラトン、まあ仏教は大体放っておいても仏教なんで、そこらへんをまず掘り返して読んでいます。しかし、論語なんかは本当に頭が痛くなるほどの漢文ですし、聖書も奇跡ありまくりで、ソクラテスの弁明なんかでようやく息をつく感じです。ということで、釈迦、キリスト、孔子、ソクラテスの4人の思想を出来得る限りで本を集め、比較してみたりしています。ただし、解釈の(各人の伝記における、著作者、年代など)違いによって大幅に4者とも違いますので、たとえばキリストならカトリック、プロテスタントの違いやら、釈迦なら阿含経と大涅槃経やら孔子なら論語、後の朱子、王陽明、ソクラテスならプラトン、クセノフォン、カント位からの比較でなんとか読んでみているつもりです。と考えると、本が足りなくて足りなくて。時間はあれども、本を探して手に入れて、読んで、比較して。と考えると、時間も足りない。24時間、僕以外の僕が本を探して読んで、考えて、答えを「かけらでいいから」掴んで、僕に提示してくれれば良いのに。まだまだ。僕は僕の中から抜け出せない。他人にかまってなどいられない。そう思うと、自分から何かを取り出して、世の中に自己主張するなどとは、思いのほかエネルギーの要る事で、甚だ遠いと思わざるを得ない。ところで、司馬遼太郎の話にちょっと面白い話があって、司馬遼太郎は日本敗戦の時に新聞記者として働いていたんだそうで、そのときにGHQから質問を受けたという。親鸞についてだったというのですけれども。「日本においては悪人ほど救われるという教えがあるらしいが本当か?」ということだったらしい。親鸞の、「歎異抄」における悪人正機説のことだったらしいが、これを通訳の米軍将校を通じて説明するのに酷く困った、という話がありました。親鸞を祖とする本願寺は東西合わせて末寺が1945年当時で2万もあり、その信徒となると日本人口の一割を優に超え、それだけの大教団が日夜悪を勧めているとなるとなるほど脅威であり、その教理について大真面目に考えねばならなかったらしいです。悪人正機はざっと言ってキリスト教における原罪という解釈に近く、つまりはどんな人間でも多少は悪いところがあり、そこから自己の悪いところを分析し、認め、直したりするもので、生まれてそのまま完全完璧なる人間はほぼいないと言って良く、完全完璧なる人間はそのまま救われる必要も無く救われているのであり、であればこそ、普通の人間は向上する余地があり、己を高める事が出来、かつそれを超えれば、その先がある、という思想と説明したのだが、理解を、というか通訳が悪かったのかはわからないが正確には伝わらなかったようである。ここらへんでやはり強く考えるべきは、この一事を持ってすれば、肌の色が違うから言葉が違うから人種が違うから歴史が違うから理解が出来なかったと、そういう事では無いと思う。もっと。もっと。政治や宗教やその下においていいと思う人種や階級を打破する、しかし現状を勘案してベスト、善のものを作り出すのではなくて、過去から拾っていきたいなあって。自分の、というか自我同一性、つまり自分は自分であること、というのは対比する対象、簡単にええば自分と対立するもの、つまりは敵、柔らかく言って他人、そこから自分を作り出す。「深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いている」ってのは確かニーチェの言葉だったと思いますが、格言とか、単純に偉い人が言った言葉をもてあそぶがごとく、また解った気になって論ずるのはあまり好きではないのですが、言いえて妙ではないかと、ループ、輪廻しながら考えています。あー無駄、しかも稚拙、酔っ払いながらベロベロ書いてしまって。また次にー。おやすみなさい。積み木:最近読みたいもの:クラウゼヴィッツ 戦争論
2013/05/03
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