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バイト帰り、マックに寄る。アイスティーとアップルパイ、200円。ほっと一息つくと「私は本当に、たくさんの事を我慢してきてしまった人なんだな」と、声がする。対立はしない。調和の声だ。いたって普通に、そう思った。自分が自分に課してきたものを、驕りもせず、皮肉りもせず、悲観もせず、つぶやき、受け入れた瞬間ふっと、肩の荷が降りる。カウンセリングは、費用がかかるが故に効果的だと感じたが、マックの、気軽さもまた、自分を偽らずにすむ環境であることに驚く。どんなにたくさん、特別を積み上げても、何一つ解決はしなかった。それなのに、アップルパイ1つ、たった100円で、私の25年は問題から、普通に変化した。もう、過去はどうでもいい。普通がいい。普通でいい。
2008年05月22日
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今、成立しているつながりが「別れるかもしれない」というイメージが、時々ほぼ感覚的に湧き起こることがある。私は、その感覚を大切にしたい。それは、諦めるのとも、達観するのとも違う。解き放た自分をゆっくりと味わい、浮上し、静かに降りてくる。その着地点を、私は大切にしたい。慌ててもがくと恐怖に飲み込まれる。慣れてしまうと、上手く浮上できない。着地点を見失ってはいけない。浮上して目にするものを見据え、自分で決めた地に足をつける。耕し、また浮上する。その繰り返し別れのイメージは、つながりへの入り口
2008年05月11日
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朝、不安いっぱいの夢を見ながら起きる。5時半。出勤にはまだ時間がある。途方に暮れる。二週間後に会う予定の人に、嫌われたらどうしよう、期待を損ねたらどうしようと悩み、眠れない私は阿呆か。とりあえず、パソコンに向かい、不安を書き連ねてゆくカタカタ カタカタ カタカタ カタカタカタ・・・・今日もたくさん出た。うんちは絶対、溜めてはいけない。落ち着いたので、コンビニに牛乳を買いに行く。フレンチトーストを作ろう。帰り道、ごみ置き場に烏を発見。身じろぎもしない烏と、お腹の空いた私。確かにある生活と、生命力。
2008年05月01日
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カウンセリングに通うことを選んだ初めての日、道に迷って遅刻する。担当の先生は細身で、知り合いに似た女性。白衣ではなかった。静かに、たんたんと、自分の位置を確認する作業、50分高揚もせず。落下もしない。「新しい人生の始まりですね」なるほど、私は新しい物語を描きに来たのだ。使い古しの物語は、ここで語りつくしてしまえばいい。会計で、財布を覗きながら思う「確かに、これだけの対価を払う意味がある」8千円は安くない。だから、遠慮しないで喋ることが出来る。何を言っても、言わなくてもいい。お金が介在することで初めて、寄りかかりも、寄りかかられもせずに放すことが出来た。行っても、行かなくてもいい。でも、もう少し通って、対等な関係の距離感を身につけたい。出来ると思う。
2008年04月30日
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「引き受けましょう」と声は言う。もう何度も何度も、憎んだり、縋ったりしてきたけれどその輪の中に、生れるものなどなかったのなら「引き受けましょう、その苦労」と声が言う。何一つ、確実なものなどありはしないという事を、引き受けて私は、今を生きたいあぁ、そのために返さねばならぬ物のなんと多いことかやっかいなのは、「愛」という名の贈り物
2008年04月01日
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雨の日 あけがた熱帯魚の水槽色をした、生温かい部屋に浮遊して私は、ハハの夢をみていた「言い訳にする事でしか関係を保てなくなったのは、いつからなのだろう」声が起き、頭から血の気が引いて目が覚める。すると今度は、体が布団に沈み込んでいく。蟻地獄のようにずぶずぶと目が回わり、目を閉じる。遥か海底に沈んでいく自分が見える。もう何年も、同じ夢を見続けている。たぶん、そうだと思う。怖くて目を閉じるから、二度寝して、よく遅刻する。緊張するから沈んでしまうのかもしれない。彼女を離れて、まだそんなに時は経たないのに最近、色んな事に気づく。「あんたの今日を大事にしなさい」別の声に肩を叩かれ、錘が取れて浮上する。私は今、ハハと自分の境界線を捉えなおそうとしているいつかまた、ふたり出会う日のために
2008年03月25日
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私の大好きなマーガレットズロースの歌に なりたいものである事の歌がある。 「ねぇ 最後に何になりたいか ずっと考えて ちゃんと考えて そこに印をつけて はっきりと線を引いて そこに印をつけて まっすぐに線を引いて その線の上にいる間は 僕は なりたいものになってる ねぇ 最後に何になりたいか ずっと考えているよ」 歌は何度も聞き返せるからいい。ふと、自分のいる地点と 歌の歌詞が重なる時があって。 その時、初めて感動したり、しっくりきたりする。 私は線を引いた。その上にいるのは、簡単じゃないと思う。 なりたいものが、自分らしいか。線が正しく引けたか。 考えていても、何も起こらなくて。それは、当り前なんだと思う。 線を引くのは簡単で、大変なのはその線の上にい続けることなんだ。 私はまた、遠回りな場所に線を引いてしまった。 でも、しょうがない。この線の上を歩きたいと思ってしまったのだから。
2008年03月15日
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やばい。来ている。 波が来ている。 こういうのは、頭じゃなくて体に感じる。 だから、うまく言葉にできない。 オナラ で例えてみると・・・・ 出したいけど、状況的に出せないで、お腹に溜まっていたガス。 溜まりすぎて毒になっていたのを、どろどろっと外に出していって、 やっと全部出た感じ。 だから、心おきなく食べて、健康的にうんちを出せるぞって感じ。 あぁ、いいのかな。 自分の人生をオナラに例えちゃっていいのかな。 でも、楽しいからいいな。って感じ。 頭の住民の、声の比率が変わりました。 誰のものか分らない、根拠のない「声」が少なくなりました 自分に責任を持ちたいと思ったからかもしれません ともかく、ありがとう ありがとう ありがとう 25歳です
2008年03月15日
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どうやら私は、人を困らせたいのだ 困って、立ち止まって、注目して欲しいのだ なんという傲慢、なんという幼稚 でも、しかたがないのだ そんな私に、一番困っているのは 私自身なのだから
2008年03月13日
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いやしかし、24歳なんてこんなものなんでしょうか毎日毎日 よくもまぁ こんなに悩むことがあるものですひとつも覚悟なんて出来ていないのに 語る夢には事欠かないのですこんなんだから、久しぶりに会った友達に「結婚する」なんて言われると驚いて 下手に尊敬の眼差しを送ってしまったりするのです初めっから 覚悟なんてないのかもしれないのです赤ちゃんが 生れる前に人生の全部を覚悟する時間を与えられるとしたら 下手するとお腹から出てこないなんて事も、あるかもしれないのです知らないから生れてきたのですもしかすると 知りたいから 生れてきたのかもしれませんまぁ、とりあえず 今日もまた のんべんだらりと 生きています
2007年07月04日
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先週、大学時代にご縁があった先生が亡くなられた。昨日、先生の告別式のお手伝いに行った。生前、先生とお会いした回数は、そんなに多くない。式の場所は私の家から2時間かかる。無理を言って仕事を休ませてもらい、向かった。仕事先のおばちゃんは「なんで、あなたが手伝いにいくの?」と怪訝そうな顔をした。そこから、声がついてきた「お前、就活はどうした」「先生とそんなに深い仲だったか」告別式の間中も、声は休んでくれない。「その涙は本心からのものか?」なんてことだろう。私は、先生への気持ちに自信を持てなかったのだ。自信をなくした時、声は現れる。声はいつも、私に問い掛ける「本当か?本当に、これでいいのか?」私が私らしくいるために、声は必要だ。けれど時々、私自身が自分の思いを言葉にできなくなっている時、声は私にとって敵に変わってしまう。言葉にならないとき、それは私が直感で動く時私はほぼ衝動に近い感覚で、「先生の最後を自分の目で見たい」と思った。私は、たった数回の先生のお話から、自分でも気づかないくらい多くのものを学んでいた。先生は、憲法をとても大事にした人だった。でも、それ以上に自分や家族を大事にした人だった。私は先生を、心から尊敬していたのだ。このことを実感にし、自分の道を歩む上でのエネルギーにするために私は告別式に行った。今日1日かけて、声は私の思いに納得してくれた。私には声がいる。とても面倒くさくて、不器用で、生きにくい。でも私には声がいる。だから、私は大丈夫だ。先生、本当にありがとうございました。どんぞ、安らかにお眠りください。
2007年06月20日
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村上春樹原作 イッセー尾形主演 の 「トニー滝谷」 という映画を観た 全編で1時間10分程度。 風景、登場人物、語られる言葉、すべてがシンプルだった。 重いでもなく、軽いでもなく。すっとポケットに入り込んでくるような静かな映画だった。 「映画ってこんな風に、読書するみたいに楽しめるものなんだ」 久しぶりに、そんな安心感を覚えた。 シンプルという事は難しい。 日常は常に選択を求めてくる。 何度も選び間違えて、その先にシンプルな表現が生れる。 ひとつの表現のために、たくさんの複雑があったりもする。 シンプルに生きるという事は難しい。 でも、そのための努力なら、して損はないなと思う。 深呼吸した、雨の日の午後。
2007年04月17日
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浦沢直樹 という漫画家の 「MONSTER] という作品を読んだ 少し、後悔している この作品は、思いがけず私の中の“何か”に響いた でも、後悔している暇がいま、あまりない。 現実に救われたのか、また誤魔化されたのかも曖昧。 ただ、“何か”とはいずれ向き合う日が来る。このことは確か。 そして、それが今じゃないことも確か。 とにかく眠る。
2007年04月15日
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さいきん職業安定所で、就活の相談をしている。 今日で2回目。 相手がプロだからか、私との相性が良かったのか 相談員のおじさんの言葉は私の芯をつきまくりだ。 「良く見せようとするから失敗するんだ。今までやってきた事に自信を持って、ちゃんと見つめれば言葉になるだろう。」 痛かった。“たったこれだけ”のことだ。けど 何年も蓋をしてきたことだ。った 謙虚になりたい。 自分を知りたい。 足りないところをザクザクと掘り下げたい 余分なところをザックザックと削り取りたい そのためにまず、言葉を重ねる瞬間も必要なのだと理解した やっと地面に足が着いた。 ひとつ大きく深呼吸をして、前方の空を見上げる。 春晴れの青の向こうから、大きな目がこちらを見ていた。 私は初めて意識的に、その目を見つめ返す事が出来た。 だから、「そこまで行ける」
2007年04月09日
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大学時代に踊った作品。「猩猩」 昨日、その再々演に参加した。 正直、大学に向かう途中何度も「行かなくてもいいな」と思った。 でも、行ってよかった。 「猩猩」にだけは、縋り付きたくなかった。 考えてみれば、そんなのは取り越し苦労だったんだ。もともと、縋り付けるわけがないし、そんな集団じゃなかったんだ。 皆、今を生きていた。それが嬉しかった。 去年、小さい自分に頭を撫でてもらったあの夜から。不思議と過去に許される瞬間が増えている。特に最近、多い。 戸惑いつつも思う 「いくしかない。迷ったら進め!」だ
2007年04月03日
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最近、眠る前にその日を振り返ることにした。 何日か前、眠る前の自分が明日のことを必死に考えている事に気づいた。持ち物はそろえたか、スケジュールの確認もれはないか。等々行き過ぎて、段段と不安になってくる。身体は緊張し、頭が冴えて眠れなくなり、次の日は寝坊をする。習慣が悪循環を起こしていた。馬鹿馬鹿しくも、ややこしい。 私が始めたこと。「今日は何が出来たか」を声に出して報告する事。「今日は、朝ご飯を作って食べました」「疲れていたので、友達の誘いを断る事ができました」「苦手な美容院に行き、ずっとしてみたかったパーマをかけることができました」とても単純な事に思えて、私にはすごく難しい。でも、この習慣はしばらく続けてみたい。自然な習慣になると良いから。今日、どんなことが出来たか考えると、「明日は、こんなことをしてみたい」という思いが生れてくる。すると、眠るのが自然な行為になる。「楽しい事は、待ってるもんじゃない。作り出すもんだ」って教えてくれた人がいた。自分の今日を大切にしたら、人からもらった言葉が鮮明になってきた。「私がもらって嬉しかった言葉や体験を絵本にしたい」今日は、やりたいことを素直に声に出す事が出来ました。
2007年02月21日
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ちょうど1年くらい前。私は8歳の男の子に、口笛を吹けないことをバカにされた。悔しかったので練習したけど、そのうちに飽きてしまった。男の子は何度か「吹けるようになったのかよ」って聞いてきたけど、そのうちに触れなくなった。今になって思う、私はすごく惜しい事をした。今、口笛の練習をしている。吹けるようになるのか、吹けたらどうするのか。分からない。そんなのどうでもいい。ただ、なんとなく吹けてるような、息がもれてるだけのような不器用な自分の口笛が今、とても好きだ。いっそのこと、このままでも良いかもしれない。最近、「まぁ、いいじゃない」って事と、「これだけは」って事の差がはっきりと分かるようになってきた。どちらも私に必要だ。何がいつ出来るようになるかなんて、だいたい分からないものだし。
2006年11月19日
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バイト先の話。接客業だから、どうしても普段は使わないような言葉を使う事になる。別に抵抗もないし、キレイな日本語を使うと、身体もしゃきんとするので良い。だけど、どうしても「かしこまりました」だけが言えない。自分でもすごく不思議なんだけど、照れ臭くなって笑ってしまいそうになるのだ。仕方がないので、注文を受けた時は「はい、ありがとうございます」と言っている。だけど、会計が済んだ後も「有難うございます」なので、少し変だ。使う言葉によって、生活や思考が変化すると思う。そして、私の身体が「かしこまりました」は拒絶している。大げさに言うと、そんな生き方はしたくないと言っている。本当に私の身体は正直であり、不器用だ。そんな私が今、気になっている言葉。「言い得て妙」先日、某テレビ番組で美和明宏さんが使っていた。めったに聞かない言葉だけれど、美和さんが使ったそれが、とても綺麗だった。どこかで使ってみたい。自分のものにしてみたい。そう思うも、未だ使えていない。
2006年11月02日
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絵本を描くことにチャレンジしてみた。唐突であり、無謀であった。でも、充実した時間を過ごせた。期限をつけてのチャレンジに、絵を描く身体がむくむくと起き上がるのを感じた。分かっている、これが出発だと感じている。でも、ひとまずは乾杯!!
2006年11月02日
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10月2日、24歳の誕生日を迎えた。何の変哲もない日だった。起きてすぐ飲む水も、猫も、雨も。よれよれのパジャマも、荒れて痒い肌も。いつもと変わらない。いつもと違う事。たくさんの人からメールや電話がきたこと。「あめでとう」という言葉と、向けられる笑顔の量が多かった事。なんて恥ずかしい一日なんだろう。そう思った。特別は恥ずかしい。普通でいい。でも、嬉しかった。そして、もう1つ。「おめでとう!」と声が言った。涙は出なかった。独り、うなずいた。自分が生まれた日を喜んでいる。私が喜んでいる。今日が特別な日になった。
2006年10月02日
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思い出した。何年か前、沖縄の児童養護施設でボランティアをしていた事がある。放課後の子どもたちと、一緒に遊んだり勉強したりが主な内容。その経験の一部を風呂場で、思い出した。ふとっちょの4年生、確か名前は せいや君五味太郎の絵本「さる・るるる」を庭に向けて思い切り投げた。「なにが、さる・るるるだっ!!」すごくショックを受けた。あの時、私は絵本の可能性を否定された気がした。ただの紙くずと化した絵本が、とても無力に思えた。でも、きっと違うんだ。無力だったのは絵本じゃなく私だ。だって、絵本もせいや君もそこにいた。私だけが一歩、身を引いた。怖かったんだ、地面に叩きつけられるのが。絵本は、投げられても破られても、そこにあった。そこにあるという可能性を持ちつづけていた。なぜかしらない。ふと思い出して、理解をした。最近、こうやって昔の傷を意識させられる瞬間が多い。変化の時だと感じているからかもしれない。もっと柔軟に。でも確実に、ここに“ありたい”恥ずかしいくらい本気で、そう思う。
2006年09月29日
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8月11日。ひまわりさんの事を思って描いた。お地蔵さんが歌った歌から生れてきた「ひまぶた」
2006年08月23日
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疲れ果て、陰に抱かれて眠ろう。泥のように、深い暗闇の底で眠ろう。光の中では眠れない。大丈夫。何度でも生れなおそう。大丈夫。何度でも信じてみよう。深呼吸をして、三つ数えたら肩の力を抜いて。聴こえるでしょ?闇の底で響く子守唄が。君を呼ぶ声が。そこを目指して眠りに落ちて行くんだよ。そうすれば、迷う事はないから。生れておいで私の光。君がそうしてくれたように、私も何度でも歌うから。
2006年08月06日
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夏がやってきたいや、ふと気が付くと夏の日差しの中にいた。今年の初プールは、鎌倉養護学校の子どもたちと入った。重度の身体障害者である彼らの手足は細い。身体も浮き輪や人の支えがないと、沈んでしまう。いつにも増して、彼らに接するのに神経を使った私は、変な緊張をして棒立ちになる。それとは対照的に、彼らの身体は水の中で「自由」を表現していた。それはもう、羨ましいほどに。途方にくれ、私の脳みそは逃避行寸前。ふいにK君の両足が、私のお腹を蹴る。 ぽんっ すぃ~ リズムが生れた。私は離れかけたK君の足を取り、引き戻す。K君がまた蹴る。引き戻す。蹴る。引き戻す・・・・エンドレス。決して乱暴じゃない。優しいリズム。湧き上がる遊び心。初めてK君の笑顔に気付いた。とてもいたずらっぽく、優しく笑う事を知った。私には、まだまだ知らない事がたくさんある。彼らに会うたび、その事実が悔しく思われ、苛立ったり、泣いたりしてしまう。そして、その後必ず元気になる。ほんっと、すごいよなぁ~
2006年07月27日
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私が働いている場所は、でっかい百貨店の食品売り場。だから、毎日すごい人数の人間を観察することができる。まぁ、大人たちの目はだいたいぎょろついて、血走っている。そんな中で私が目をひかれるのは、やはり子どもたちだったりする。彼らには、ここがどんな風に見えているんだろう・・・。
2006年06月27日
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本、映画、漫画、人、言葉・・・日常に「出会い」は溢れているけれど、意識して捉えられるものは多くない。 最近、とても印象的な出会いを体験した。漫画「家裁の人」の主人公、桑田さんとの出会い。漫画ではなくその主人公に出会ったという感覚を、私は今回初めて味わった。この感情が今、私にとって新鮮だ。フレッシュだ。なぜ、出会ったと感じたのか。上手く言葉にならない。そこに桑田さんが“いた”からだと言うしかない。地に足がついて、芯がぶれなくて、目に光がある。無駄に奪ったり、与えたり、誤魔化したりしない。会いたいと思ってページを開けば、いつもそこにいる。「いつもそこにいる」彼に、私は安心したのかもしれない。どうも今日は想いがまとまらないので、だらだら書かないことにしよう。でも、「こんな人に出会いたい」という人の希望が、現実世界ではなく紙とインクの世界でも叶えられるという発見は、私にとって大きかった。やっぱり私は、紙とインクから生れる世界を信じているんだと思う。
2006年06月26日
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6月から、お団子屋で働いている。「作ったその日に食べないと硬くなる」本物のお団子だ。その分、苦情も多い。やれ硬くなった、やれ賞味期限が切れているんじゃないか。そんな無関心とぶつかる度、研修期間に聞いた言葉を反芻する「それがうちの売りなんです」この言葉を聞いた時、私は久しぶりに「誇らしい」気持ちを味わった。自分に「売り」があること、自分の「売り」を知っている事。自分の「売り」を極め続ける事。そのための持続力、自尊、謙虚。だけど頑固さ。自分を真剣に生きる人の人生や思想に触れるのは、とても誇らしく、安心する経験だ。なのに、やっぱり私は満たされない。最近ずっと、ぴりぴりしている。身体が急速な変化を望んでいる。決め付けや無関心、怠惰、無知、束縛や安定を激しく嫌悪し、撥ね付けようとする心がある。内心「あぁ、また始まった」である。必要以上に他人を攻撃するのは、自分を守れなかった時。「私の大事な時間を、断りもなく奪わないで下さい」たったこれだけの事、言いそびれた私の心が乾いています。ぴりぴり、ぴりぴり、ぴりぴり・・・・自分の弱さが痛い痛い
2006年06月13日
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パソコンに向かっていると妹がやって来る。「ねぇ、これ私の!?」彼女は、自分の穿いているジーンズを指差しながら不安そうだ。洗濯が終わったそのジーンズを畳んだ時、誰の物か分からずに振り分けたのを思い出し、謝る。「ごめん。間違ってた?」だが、返ってきた答えは意外なものだった。「やっぱり、私のじゃないのかなぁ・・・」そして、いまいち飲み込めないといったような表情。聞けば、妹はそのジーンズを今日一日ずっと穿いて過ごしたが、大きさや質感に少しだけ違和感を感じていたのだそうだ。そして今、父の「俺のジーンズ知らない?」という言葉に「まさか」を感じたのだと・・・。結果。妹が穿いていたのは、父のジーンズだった。まぁ、確かに2人の体形は似ている。だからといって、ピチピチの女子大生と50のおじさんのジーンズが見分けにくいという事実には驚きだ。びっくりだ。完敗だ。私は、後ろから膝の裏を突かれたみたいに、気持ちがへなへなになった。ふらふら~っとやって来て、じわじわ~っと効くギャグをかます。私の妹はそんな、刺激的な女。
2006年06月08日
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昼過ぎに起きると、外は晴天。真っ青な空とは対照的に、私の部屋は昨晩から止まらない汗と鼻水で空気がこもっていた。窓を開ける。五月の風が「今日は、エリック・カールの日」と心をくすぐってきた。午後は、エリック・カールの色ティッシュを創ることに決定!!「やらなきゃいけないことが・・・・」頭のすみで叫んだ声は眩しい太陽に照らされて、解けてしまった。エリック・カールは「はらぺこあおむし」で有名な絵本作家。彼の画法はコラージュが主。そして、彼の絵本に必要不可欠なのが「色つきティッシュ」だ。ずっと、試してみたかった。あまりにも天気が良いので、外で作業する。水彩絵の具でティッシュに色をつけていく。久しぶりの絵の具。ただ塗るだけでキレイだった。羨ましくなるくらい。紙、線、色。これらと向き合っている時の私は、芯がぶれない。呼吸も正しい。調子のいい時は、身体全部を預けてしまったような感覚にもなる。「信頼している」といえるかもしれない。やはり、絵を描く時間を増やそう。そう思った、ぎりぎり五月晴れの日。※出来上がった色ティッシュは、「写真」に載せました。コラージュはまたの機会に。
2006年05月31日
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自分と似た顔の人は、世界に3人いるって言うけれど。本当だろうか。会ってみたいような。会わないでいたいような。想像すると、どこかくすぐったい。 私の場合、人間ではなくアニメのキャラクターに似ていると言われる事が多くて、例えば「横顔がスヌーピー」とかだ・・・。キャラクター的に捉えると、自分でも似ていると認めてしまう顔って、実は結構あったりするものなんだと思う。 先日、花屋で出会った顔。隣の彼が「俺の顔だ」って言った。髪の毛生えてないけど、いいのだろうか・・・。じゃあ、買って育ててみようかなと思ったけど、枯らしてしまいそうなのでやめた。
2006年05月23日
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妹がもらってきた「プチプリン」にいたずら!!最近はずっとお天気が優れないけれど、おかげでいたずらな脳が活発です。
2006年05月19日
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最近のこと。宮崎駿さんがNEWS23に出演していた。筑紫さんとの対談だ。久しぶりに映像で観る。具体的な言葉は覚えていないのだけど、印象に残ったのは「何も言おうとしていない態度」実際、彼は昔のインタビュー映像を観て「えらそうな事言ってるな」と振り返り、筑紫さんに意見を求められても「やらないと言えないなと思ってね」と笑った。思わず、じゃあテレビ出演してる意味ないだろ!!!と思ったけど、その言葉は跳ね返って私の胸に突き刺さった。自分こそ、テレビ見ている暇はないだろ。って・・・。もう、おじいちゃんに等しい宮崎さんが、それでも「やらなきゃ言えない」って言っている。あれだけ多くの作品を創った人が、まだ満足出来ないと言っている。まいった。生き方で、態度で、伝えようとしている人は怖い。問題を肩代わりしてくれないから。その力は、テレビからでも十分に伝わってきた。本当にまいった。そんな訳で、今日は溜めていた保育士試験の勉強をたっぷりやった。やり過ぎてランナーズハイ(?)になって、途中で笑い出したけど、それでもやった。はたから見たら変人だったと思う。でも、私の中は要らない物がすっかり出て行って、風が吹き抜けていくみたいに気持ちがよかった。これで満足して、明日は全く勉強しない気がする。でも、そんな自分も嫌いじゃない。
2006年05月12日
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雨の日が続く。身体が重くなる。お決まりのパターン。水槽を飛び出した金魚がするような、浅い呼吸しか出来ない。これも常。 それでも今日は、気分の良い方だった。借りてきた映画を観る。 「髪からはじまる物語 三部作」 行定勲 三部に共通するのは主演の柴崎コウと、彼女の長い髪。雨の日に似合う、とてもしなやかな映画だった。プライド、愛、覚悟、欲望、女の髪にはこんなにも多くの感情が込められているものかと感心させられる。どの物語にも凛として存在感のある女が登場するが、多くは語らない。変わりにその艶やかな髪が女たちの感情を映し出していた。私は、自分の髪をあまり大事にしない。もう何ヶ月も伸ばし放題だし、シャンプーも2日に一度だ。化粧もしない。その言い訳は「見た目ばかり磨いても、中身がなくっちゃ」だ。本当のところは、面倒くささと恥ずかしさが混じったような、くすぐったい感情に耐えられないだけ。あぁ・・・。凛として、自分を大事に生きている女の髪は、こんなにも美しいものなんだ。・・・溜息。暖かいレモネードが冷えた身体に染み込んでゆく。深い呼吸が戻ってきた。
2006年05月11日
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先日、カカオを食べました。ビターチョコを食べる感覚で・・・。とんでもありません。カカオ99%ということは、もはやチョコではないと言うことです。「苦い」というのは、きっとこの味のことを言うのだと思いました。味と言うよりも、舌にとって強い衝撃でしかない・・・。自分の想像力がいかに貧相なものであるか、思い知らされました。黒いパッケージ=ビターチョコレート。カカオが多い=大人のチョコレート。金の文字=上品な味。習慣として植え付けられたイメージを元に、本当に自分が欲しているものかどうか考えずに買いました。パッケージに書いてある注意を良く読まずに食べました。そして、泣きました・・・。文字通り、苦い経験。身体に取り込む物には、敏感でいたいです。
2006年04月26日
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発信するからには、きちんと形にしてから出したい。そう思っているうちに、時間が去ってゆきます・・・。私、気持ちを相手に伝えるのに、時間がかかります。自分で満足できる(相手にも納得してもらえるだろう)形にしてから発信しようと思うからです。大事な事ほど特にです。なぜか。誤解される恐ろしさを知っているからです。回転の速い(あるいは世話焼きの)相手に、自分の大切な問題が奪われ、勝手に色づけされる事の屈辱感を知っているからです。簡単です。誤解は解けば良かった。誰がどんな色づけをしようと、私は私の気持ちを大切にし続ければ良かった。たったそれだけのことが、どうしてか出来なかった。やっと今、ひとりの時間に焦りを感じなくなりました。自尊心を、取り戻しつつあるのでしょうか。問題を奪うのではなく、抱え込むのでもなく、放し、昇華し合う方法を知ったからだと思います。今、沸き起こる感情をそのまま放つということの幸せを噛みしめています。日記やイラストの更新が遅いことの、言い訳をしようと思っていたのに。いつの間にか、(最初から)言い訳する気がなくなってしまった。こんな春の日。
2006年04月25日
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ずっと安心して根をはれる場所を探していた。うそ臭いとバカにする反面、「夢の国」や「白馬の王子様」を探してずいぶんと歩き回った。歩いて歩いて・・・疲れ果てて倒れこむように眠る。 目覚めると、いつも同じ風景。残るのは後悔。天上のシミは10年前から変わらない。私も何一つ変わらない ぽつん ある日の風呂上り。気まぐれに、私は私を許してみた。 ぽつん 一滴の雫が、静寂な湖に落ちる。波紋が広がるが、ほんの一瞬の出来事にすぎず、湖に大きな変化はない。安心とは、こんなにも静かで冷たいものだったのか・・・。気付くと私は泣いていた。落ちた雫の小ささと逆に、涙は止め処なく溢れ出た。 もはや、「どこに根をはるか」は問題ではない。「今、この環境をどう活かすか」が問われている。全ての問いは、誰に問うでも問われるでもなく、自分自身に返って来た。動かしようのない芯が輪郭を現し、古い鎧ががらがらと崩れていった。「安心の在り処なんて、私には分からない。」何年もかかって出した答えは単純。でも、私の得た安心感はとても大きいものだった。
2006年04月08日
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イラストのページを更新しました。過ぎ去った時間とイラストの量は比例していませんが・・・・・。今回、新しく載せたイラストの中には「誰か」を想って描いた物がいくつかあります。想いが強いからなのか“しっくり”きた物が多いです。 それぞれに、タイトルも添えてみました。意味のあるものから、なんとなくで付いたものまで・・・。まぁ。見る方それぞれで好きなように感じて、呼んでもらえたら一番嬉しいです。最近は、イラストを描くのに躊躇ばかりです。今までは、自分の中に起こった感情を、外に出す!という作業だったので、すら~すらっと描けていました。いわば、日常会話です。 でも、上手くいかなくなったのはどうしてか・・・。たぶん、描きたい対象が出来たからだと想います。ここ何年かで、私の周りには感動が増えました。それこそ描き切れないほどに。感じる(受け取る)側の私が、育ったからでしょうか。なのに、描けない。歯がゆさでいっぱい。 自分が、大切に想うことを、言葉にするには時間も技術も必要です。それと同じで、描いて表現したい私にも、技術が求められているという事だと感じます。これから、これから。日々努力です。 そして努力の苦手なわたし・・・。
2006年04月06日
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「偉そうに言える事がどんどん減っていく」昨日、私はこんな弱音を吐いた。久しぶりに体調を崩し、やっともぐり込んだ布団の中で、お腹の底からため息と一緒にこみ上げてきた言葉だった。横で聞いていた彼が「それは、大切なことだよ」と、真剣な顔で言った。とても、彼らしい反応だと感じて、安心した。確かに、何も知らずに偉そうな事を言っていた頃よりは、今の自分が好きだ。でも、そのことと「大事なことも言えなくなる」ってのは違う。未熟でも、正しくなくても、言葉や表現は、話す(放す)ことが大切だ。自分の身体を離れて、何かにぶつかって返って来て初めて、飲み込めるものなのだと想う。こんな偉そうな事を言っている私は欲張りなので、自分だけのものにしようと想って、結局腐らせてしまうことが良くある。案の定、腐らせてしまった言葉たちを全部吐き出して、昨日は悲惨な日となった。まったく、自分は大切にしたいものだ。
2006年02月12日
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先日、銀座で催されている絵の展示場へ出かけた。ミヒャエル・ゾーヴァはドイツの画家。その絵は、映画「アメリ」や、数々の絵本でも有名だ。ゾーヴァの描く景色や人間の表情は、曇りの日のように、どよんとしたものが多かった。それは、ドイツの気候に影響されたものかもしれない。対して、彼の描く動物はユーモアたっぷりで、のびのびとした空気を感じさせた。動物や、一部の人間の絵を観て、その筆の先にゾーヴァの大切にしている世界を観た気がした。それはともかく、今回の失敗は、日曜日に行ってしまったこと。会場は絵に群がる人、人、人・・・。会場へ行って、実物を見ないと感じられない事もある。けれど、短時間に大人数に観られるという状況に、私は「消費」を感じずにはいられなかった。表現の伝達方法が豊かになった現代だからこそ、それを楽しむための適切な環境がなければいけないのだと思う。あの日、私が訪れた会場の環境は、ゾーヴァが大切にしている世界とは相対するものになってしまっていた。そのことが、残念だった。
2006年01月25日
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昨日の昼ご飯に、納豆を食べた。人生で初めて、納豆という食べ物と向き合った。「食わず嫌い」ならぬ、「なんとなく嫌い」なんとなく口にしないものが私には多い。そして、出会いのきっかけも「なんとなぁく」やってくる。大好きな人が日常会話の中で、納豆を好きだといった。納豆を語る彼の笑顔に恋をして数日・・・昼ご飯を作ろうと覗いた冷蔵庫に納豆が1パック、取り残されていた。・・・食べるしかない。食べた。すごく印象に残るような味ではなかった。でも、昨日一日は彼と同じ笑顔で過ごせた気がした。気がしただけかもしれない・・・。初めて納豆を食べた人は、どんな一日を過ごしたんだろう・・・。
2005年12月19日
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とある舞台の台詞を思い出す。「体は、その人の歴史を綴った本である。」何気なく耳に入ったその言葉が、脳に達した時、鳥肌がたった。私はそれを、簡単な漢字の成り立ちの話としては受け止めなかった。ぞっとしたのだ。隠しておきたいような過去を、堂々とさらけ出して生きている自分の存在に。そして、少し安心もしたのだ。もお、嘘をつく必要がなくなった気がして。自分も舞台に携わる経験をしている私の身体はすでに、人に自らの歴史をさらけ出すことの恐怖、快感、といった感覚を味わっている。そして徐々に「嘘がつけなく」なってきている。怖いし、傷つきやすい生き方が、病みつきになってきている。よく、裸で街を闊歩する夢を見るのも、この影響だろう・・・。結局、ずっと変わらない。私には行きにくい世界。でも、こそこそ隠していた頃よりは、自分が好きだ。もお、嘘なんてつかなくていい。隠さなくてもいい。傷がつこうが、脂肪がつこうが、生きている君は美しい。
2005年12月11日
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ブログを立ち上げて以来、何も更新せずに月日は流れて・・・。今日、新しいイラストをいくつかアップしました。やっと、稼動です。このページでは、主に自作のイラストを紹介していこうと考えていますが、日記も(思い立った時に)書いていこうと思います。イラスト同様、感想などいただけると嬉しいです。ということで、よろしくお付き合い願います!
2005年12月06日
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