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July 13, 2007
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芥川.jpg


勝ちどきをあげ、吉良邸から泉岳寺へ向かう途中、どこで聞きつけたか江戸の町人たちは浪士たちを拍手で迎える。
瓦版がヒラヒラと飛び交う辻。
大石内蔵助が泉岳寺へ引き上げた時に詠んだ辞世の句

  あら楽や 思いははるる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし
 (あら楽し)

どれほどの達成感であったことだろう、浅野内匠頭の突然の江戸城松の廊下における刃傷からはじまったこの事件、多くの家臣が脱落していくなか残った者は五十名に及ばなかった。

時が流れ、この国では年の暮れになると「忠臣蔵」の映画やドラマでこのときの一連の彼らの生き様を見、必ず涙する。

ただこの「討ち入り」後、彼らが美しく散ってゆく姿でストーリーが完結しています。



仇討ち後、ただ公儀の御沙汰を待つのみの内蔵助と義士たち、しかし内蔵助の想いとは別にこの事件によって江戸中に妙な影響を及ぼすこととなってしまった。
江戸中では仇討ちの真似事が流行、仇討ちを成し遂げる途中脱落した者に対しての世間の風当たりは思ったより辛く噂を聞いては陰りが晴れたはずの内蔵助の心にまた雲がかかる。

内蔵助は想う、  「何故我々を忠義の士とするためには、彼等を人畜生としなければならないのであろう。我々と彼等との差は、存外大きなものではない。」 と。

更には世間の目を欺くため(一応映画やドラマなどではそうなっている)の廓での彼の放蕩にも話が及び、事実はそっちのけで話が一人歩きしていってしまう。
すべて内蔵助の想いとはかけ離れていっているように。。。

芥川龍之介がこの時期の内蔵助のこころを覗くように書かれたこの小説は、日々刻々、移り変わる人間のこころ、今日が明でも明日は暗、明を持続するのはとても難しい。
寛永寺で「あら楽や・・・」と詠った内蔵助、切腹し果てるまで、そのときの感情をはたして持続しただろうか、と疑問を投げかけているように思われる。
また、これまでの内蔵助は見る側にドラマティックな感動を与える英雄的人物として演じられて来ました。
しかし、討ち入り前の内蔵助の苦悩の「暗」から討ち入り直後の「明」へ、そしてまた「明」からまた「暗」へと変化する内蔵助の人間らしい微妙なこころを描くことによって、人間とは根本的には皆こういうものだ、内蔵助も例外ではなく最後までこころに明暗の両方を抱きながら死んでいったのだ、作者が小説を通してそう呟いているように感じられました。

この小説は内蔵助が書物を読んでいるところからはじまりますが、その書物は「三国誌」、





が、障子の中では、不相変面白そうな話声がつづいている。
彼はそれを聞いている中に、自ら一味の哀情が、徐に彼をつつんで来るのを意識した。
このかすかな梅の匂につれて、冴返る心の底へしみ透って来る寂しさは、この云いようのない寂しさは、一体どこから来るのであろう。
内蔵助は、青空に象嵌をしたような、堅く冷い花を仰ぎながら、いつまでもじっとたたずんでいた。」






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最終更新日  July 14, 2007 01:13:28 AM
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