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シンプルがいいみたい。あるイベントの司会をさせていただきました。同じような経験は何度もあるのに、どういうわけか、冒頭の挨拶文がなかなかうまくまとまらず苦労しました。そして最終的には、もっとも平易でオーソドックスな内容にしました。そしてそれ以後も淡々と会を進めることにしました。結果的に多くの方から「素晴しい司会進行でしたね」とお褒めの言葉をいただきました。自分としてはちょっと意外だったのですがね。別の会で、メルマガを作った時も同じようなことがありました。「文章、上手いね。でももう少しスッキリ書いた方がいいかも」というアドバイスをいただいたんです。その時は「そういうものかなぁ」と思っただけだったんですがね。この日記はいつも電車の中で書いているんです。だからちょうど1日分を1時間で書き上げてきました。でも最近、日記の更新がちょっと大変になってきたんです。それは、1時間じゃ書けなくなってきたから。「なんかちょっと書きづらくなってきたなぁ」「少し長めになってきたのかなぁ」って感じはじめていました。仕事でも段取りばかりに時間がかかって、なかなか結論がでないことが多くなっていました。これらはまったく別々の出来事なんですが、なんだか共通点があるような気がしませんか?そうなんですね。全体的に自分のやっていることが複雑だったり、くどかったり、すっきりいかなくなってきていたんです。どこか自分の策に溺れているような、何かテクニックに走っているような、そんな不自然な状態になり始めていたことに気づきました。自分の心が自由じゃなかったんですね。出版コンテストに参加して気づきました。どうも結果を必要以上に意識し始めていたんです。仕事でもこの日記でも・・・・。これらの出来事はみんなそのことを示唆していたんですね。“シンプル”“素直”“自然”“自由”もう一度初心に戻って、クリアな気持ちでリスタートしようと思っています。自分にとって激動の2005年でしたが、最後の最後にもっともシンプルな気づきでしめくくります。日々の出来事って、みんな意味があるんですね。これからも、そんな小さなメッセージに気づける自分でいたいと思いました。では、みなさんよいお年を!★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 出来事からのメッセージに耳を傾けよう。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
2005/12/30
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ありがとうございました。私事ですが、ちょっと報告を。以前、お知らせいたしましたがこの楽天日記「ちょいハピ日記(現・幸せセンスアップ講座)」をまとめて「ちょっとハッピーがいいんじゃない?」というタイトルで、出版コンテストに参加しました。その結果が先週発表されましたのでご報告させていただきます。今回は大賞は該当なし。準大賞には、一言一言がピュアで楽しい「女子高生短歌」が選ばれました。機会があったらぜひ応援してあげてください。ただ、自分として嬉しかったのが応募総数3000から一次審査通過30作品に選ばれたこと。そして、みなさんの応援のおかげで人気投票で15位になったこと。それからそれから、最終選考の総評の中で「○○出版コンテストにご参加いただき、本当にありがとうございました。最終結果からお伝えしますと、今回は大賞該当作がありませんでしたが、その代わりに、女子高生短歌!を準大賞とし、書籍化することになりました!また、副賞として賞金50万円を進呈いたします。投票ランキングを加味した上で審査員による討議を行い、大賞の最終候補作として☆りーりのお弁当☆++キャラ弁がんばってるよ☆、こぶたのこぶろぐ Hyper!!、簡単お手軽料理レシピ★*のほほんハッピーごはん生活*★、*Natura、女子高生短歌!、シビレルようなHAPPYカラーライフ!、☆日韓恋愛物語 ユン&ジュア☆、ちょっとハッピーがいいんじゃない?、の8作品が残りました。(略)」ですって!「ちょっとハッピーがいいんじゃない?」が大賞候補8作品に残れたんですって。!本人がビックリです。それに、まだあるんです。審査員のお一人であの○地図で有名な望○さんの、次のようなコメントが載ってました。「30/3000ってスゴイ確率ですよね。何しろトップ1%ですからね。魅力・個性も含めて総合力で、トップ1%の作品がエントリーされただけあって、いずれの作品もご投票いただいた皆さんの心をゲットされましたね。最後の最後まで最多投票争いも含め、審査も加熱しましたよ。惜しくも賞からは洩れましたが、私の専門分野の作品である「シビレルようなHAPPYカラーライフ!」「ちょっとハッピーがいいんじゃない?」は一定水準に達しています。また他の審査員の皆様からも高い評価をいただいた作品が目白押しでした。(略)」なんとありがたいことに、タイトルを挙げてコメントをいただきました。素直に嬉しいです。勇気倍増です。今回のコンテスト参加はとてもいい経験になりました。久しぶりにワクワクどきどきさせてもらいました。でも、それにもまして心に沁みたのが、みなさんの温かい気持ちです。たくさんの方から、応援、励ましのメッセージをいただきました。そのひとつひとつが本当に心にしみて感激しています。あらためて「仲間っていいなぁ」って実感しました。心から感謝しています。ありがとう。ありがとう。ありがとう。果たして自分はこんな素晴しい仲間に支えられていたことを、いつも感謝していただろうか?正直のところ「もちろん」と自信をもって言えないような気がします。こんなにも恵まれているのに、ついつい感謝を忘れていたような気がします。ちょっと情けないですが、このことに気づかせてもらったのが、今回の一番の収穫だったと思います。ありったけの思いを込めてありがとう!! この感謝と感激を次に伝えることが、みんなへの恩返しだと思ってます。これからは自分のできることで周りにいるみんなを応援していきます。そう、みなさんが私にしてくれたのと同じように。本当にありがとう。ひとまずお礼と報告まで。出版コンテスト結果
2005/12/26
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痛い目に遭わないと気づけないことってあるんです。間違った道を強引に突き進み、ほとんど転げ落ちるように下山。いくつもの幸運がかさなったおかげで、なんとか怪我もなく窮地から脱出できたわけです。麓の小さな売店で食べ物と温かい飲み物を手に入れて、なんとか人心地つきました。平日のためバスの本数が少なく、駅に向かうバスが来るまでの2時間、バス停のベンチで自分が下りてきた山をただひたすら静かに見つめていました。結局、正しい道のほんの少し手前の小さな尾根に入りこんでしまったようです。でも、地図でみると、実は最短距離で下山したことに気づきました。もしかしたら・・・何かが自分に問いかけています。なんだろう・・・もしかしたら、日常の生活でも同じようなことが起こっているのかもしれない。ある意味、最短距離で進むことは現代社会において“よし”とされることです。ある観点からは正しい選択といえるわけです。だって、もっとも無駄なく目標に一直線に進んできたんですから。自分は、自分だけの考え方、ペースだけで判断し、周りにそれを強要してきたんじゃないか、という疑問があふれてきました。そして、最短距離なんだから正しいんだと思い込んできたのかもしれません。日常は、経験も技術も性格も違う者が協力し合って生活しているわけです。常に最短距離を進むのが正しいとは限らないはずです。選択すべき道、方向、ペースは人それぞれなんです。現代社会の効率優先にはどこか無理が生じるのもうなずけます。まだまだ、若く鼻っ柱の強かった時の出来事ですが今でも、自分の人生にとって、このプチ遭難はとても大きな教訓となっています。【こうすると】痛い目に遭ったとき、ただ悔しいとか不運だったとかの言葉だけで決めないで、今一度自分を見つめなおせるといいですね。だって、自分を振り返る最高のきっかけなんですから。気づいたら素直に自分の過ちを認められるといいですね。そして、そう認められた自分も褒めてあげましょう。【きっと、こうなる】ジタバタするより認めてしまった方が、気分はスッキリとします。出直しの一歩を力強く踏み出せます。後できっと、その手痛い出来事に感謝できるはずです。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 自分だけの“正しい”に縛られてませんか?★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★痛い目に遭った時こそ、チャンスなんですね。いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング
2005/12/22
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昨日の続きです。このエピソードから自分のテーマとロゴが生まれました。私にとって忘れられない、いや忘れてはいけない体験です。ちょっと恥ずかしいけれど、自分のためにココに記録しておきます。●「親子の絆」エピソード2娘が小6の時、クラスにひとりの女の子がいました。俗に言えば“問題児”“いじめっ子”。言葉の暴力でクラス中を誹謗中傷します。もともと性格が強いため、その影響力は大きく、彼女の気分にクラスの雰囲気が左右されるくらいでした。その女の子と私の娘の席が隣同士。娘は、彼女の言葉に打ちのめされて学校から帰ると、怒りを弟や妹にぶつけたり、落ち込んだり、「学校に行きたくない」と言い出したり・・・。しかし、どうしても、その子のことを憎めませんでした。いやむしろ、なんとかもっと素敵な関係になれないものかと思っていたくらいです。その女の子は両親が離婚して、父親との2人暮らし。きっと食事から洗濯、学校の準備まですべて自分でこなしているはずなんです。遠足のお弁当も自分で作っているはずなんです。そんな環境でも学校に来続けているんです。そして、一学期の終わりに、彼女は転校を控えていました。父親が再婚するため、今度は母親の元へ行くのだそうです。彼女の行動のひとつひとつが、彼女の心のメッセージのような気がしてなりません。そうやって強く、何かにぶつかっていなければ自分が潰れてしまいそうなのかもしれません。どうしようもない寂しさゆえに、彼女は強く刺のある鎧で身を守っていなければならない、そんな気がしてなりませんでした。「なんとか友達になれる方法はないのかなぁ」「なんとかうちに遊びに来てくれないかなぁ」ずっとそう思い、娘にも促しても見ましたが、当人はそうは簡単には納得がいかないようで、なかなか実現しませんでした。それも、無理もないことではあります。 そうしているうちに事態は悪化の一途。緊急保護者会でいきり立つ親たち。あきれ果てる先生たち。私たちの意見も「どう見たって悪いのは、あの子なのに。なぜ、そこまでしなければならないの」と耳も傾けてさえもらえませんでした。そう、確かに。“いい、悪い”でいえば確かにそうです。でも、本当にそれでいいのでしょうか?それで誰かが幸せになるのでしょうか?ついに一学期の終業日がきました。彼女にとってはこのクラス最後の日です。その彼女がクラスメイトひとりひとり全員に手紙を書いてきました。そして、うちの娘宛の手紙には、次の短い言葉が書かれていました。「ひどいこと言ってごめんね。本当は好きだったんだ。友達になりたかったんだ」この手紙が、人付き合いにちょっと臆病な娘にとって、どんなにか大きな宝物になることでしょう。きっとクラス全員に同じようなメッセージを残してくれたんだと思います。彼女の心とそれを表す勇気がどれほど人を救ったことか。もう少し早く気づいてあげられたらよかったのに、残念でなりません。学校の特徴は集団生活です。その中で、周囲との摩擦やトラブルは実は大切な要素なんだと思います。なぜなら、それは絶対に家庭では体験できないから。しかし、近頃は“みんなで仲良く”のみが強調され過ぎているような気がします。本当にいつも仲良くないといけないのでしょうか?いつも友達と一緒じゃないといけないのでしょうか?ひとりぼっちではいけないのでしょうか?けんかをしたらいけないのでしょうか?けんかをするから、痛みがわかって、仲直りの瞬間の感激が実感できるんじゃないでしょうか?みんなと一緒にいるのと同じくらい、一人で自分自身と対話することも大切なんじゃないでしょうか?どうして、事の善し悪しをばかりを決め付けるのでしょうか?仲よしばかりが強調され過ぎて、親もそれだけを望んで、なんとかトラブルを避けようとする。和を乱すことが最大の罪のような状態になって、そして、いったんその和を乱す行為が行われると、大問題となり、ましてや自分の子どもに火の粉がかかると親が大騒ぎをして、相手を糾弾する。そのトラブルを子供たちがどう感じて、どう対処するのか、“見守る”ということがなくなってしまっているような気がします。親は子どもの最大の応援団です。でも決してプレーヤーではありません。だから、プレーヤーである子どもたちが、どうやってその問題に関わり、解決していくか“見守る”忍耐と勇気が大切なはずなんです。確かに子どもが関係するトラブルは家族にとって強烈なストレスではあります。でも、そこから学べることは驚くほど多く、人生にとってとても大切なことばかりです。しかし現在は、トラブルから学ぶには、子ども自身も親も、そして親子の絆も少し弱過ぎる気がしませんか?幸いに私たち家族は、両親の死(子供にとっては、おじいちゃんとおばあちゃんの死)や先生とのトラブルによる娘の登校難、小さないじめなどの出来事を通じて、家族とは何かを振り返えさせられてきました。一度受け入れられると、不思議と激しい怒りや憎しみが薄まり、その気持ちの奥にある寂しさや悲しさ、やさしさなどの本当の気持ちを感じられるようになってきます。それが“よき理解者”というのかもしれません。現在、苦しみや憎しみを抱えて、どうすることもできない人たちにとって必要なのは“よき理解者”なのかもしれません。現代社会において、心強い指導者や先生、立派な学者、目標となる成功者はたくさんいます。情報もたくさん手に入ります。でも、いいも悪いも含めて自分のすべてを受け止めてくれる“よき理解者”は意外と少ないのかもしれません。求め合っているのに、どこかから回りの人間関係。一生懸命であるのに、どこかすれ違っている親子関係。そんな関係が多い社会で、自然から、遊びから、心理学から学ばせてもらった気づきを、ひとりでも多くの人に、ひとつでも多くの家族に伝えたい。人々の“灯火(ともしび)”になりたい。どこかホッとできる安心感と不思議と気持ちが通じる信頼感。大きくなくてもいい。ホッとできる明るさとあたたかさで気づきを伝えたい。そうだ、それが自分のライフワークなんだ。そう気づけました。幸いに自分にはアウトドアというフィールドがあります。30年以上のキャンプ経験と20年以上の自然体験の指導経験があります。自然と遊びがいかに人間の成長に必要なことなのかという実体験があります。それに心理学というバックボーンを得てはっきりと気づきました。“自然”と“遊び”と“親子の絆”このテーマを大切に活動していこうと心に決めた一瞬でした。人気blogランキングへ楽天ブログランキング
2005/12/21
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トップページをちょっと変えてみました。ロゴマークを入れました。自分のライフワークの全ての活動を象徴するマークです。ここで初心に戻って自分を振り返ってみます。こうして今があるんだということを、忘れないために。●心理学との出会い私は現在、出版社の人事部に所属して評価制度の運用、修正を行いながら、評価面接に携わっています。昨今の人事部というと、リストラとか管理というイメージで語られています。確かに人事とは「ひとごと」つまり「他人ごと」という見方もあります。しかし、読み替えれば「人のこと」つまり「人間のこと」という意味でもあります。特に、社員ひとりひとりと面接をしていると、社員の「心」をケアすることが重要なんだと感じます。それがきっかけで「心理学」に出会いました。そして、初めての講座で「カウンセラーは励ましてはいけない」と教えられショックを受けたのをよく覚えています。当初、社員の話をよく聞き、こちらの話を伝え、そして最後に励ましていました。たいていの社員は「ありがとうございます。よく分かりました」といって面接を終えました。しかし、現場はいっこうに変わらず、私は「いったいなぜだ!?」「やっぱりダメなヤツはだめなのかもしれない」と考えたりしていました。心理学と出会わなければ、ただ押し付けだけの人事面接となっていたかと思うと、今でも冷や汗がでます。●「親子の絆」エピソードその1ちょうど心理学を学び始めたころ、小学4年生の娘が登校難になっていました。3年生までは学校が大好きで、風邪の時も「絶対に休まない!」と言い張っていたくらいなのに。どうやら新しい担任の先生との関係のようでした。いろいろな面で厳しいベテランの女性の先生でした。ある日、娘にとって衝撃的な事件がありました。1学期の始め頃、図工の時間、担任の先生が生徒の作品を取り上げて「ヘタクソ! こんなモノ、なんだか分からないじゃないか!!」と言って、投げ捨ててしまったそうです。それが娘の作品で、彼女にとっては転地がひっくり返るほどのショックだったようです。先生も普段はそんなではないようですが、いったん事が起こると、いろいろな場面でいろいろな生徒に対して、心無い、厳しい言動となってしまうようです。始めは娘も「子供の心がわからないヤツ!」というように、何かあると怒りを表していましたが、だんだん自信を失っていくのが分かりました。親としては、「なんとか早く立ち直らせよう」と、話を聞きながら諭したり、励ましたりしていましたが、細かいことに娘があまりにも過剰に反応するので、私の方がイライラし始め「いい加減にしなさいっ!」と怒鳴ってしまうこともありました。娘はだんだん、自信を喪失し、「怒り」が「怯え」に変わり、最後は「恐怖」へと変わっていってしまいました。「励ましてはいけない」「悩みは本人が解決しなければ、成長がない」「本人自身が立ち上がらなければ意味がない」「早い解決策を見つけようとしてはいけない」「鏡になりなさい」「まずは受け入れなさい」などなど、心理学を学び始めた当初、私にとって衝撃的な言葉が次々と飛び込んできました。「I love you,because you are you.」ある日曜日の夜、娘が「学校が怖い、私なんか生まれてこなければよかったんだ」と泣き出した時、この言葉を思い出しました。そして、泣きじゃくる娘をひざの上に抱き、ゆっくり娘が生まれてきた時の話をしました。なかなか子供ができなくて、待ちに待っていたこと。「オメデタだって」とお母さんから会社に電話をもらった時、あまりの嬉しさに受話器を持ったまま固まってしまったこと。夜中に「もうすぐ生まれそう」との連絡をもらい、車で病院に駆けつける時、道に迷ってギリギリになってしまったこと。何度も何度も通った道なのにね。「かわいい女の子ですよ」と言われ、その場で座りこんでしまったこと。君が生まれた日の午後、ひとり公園で空を見つづけていたこと。雲ひとつなく、風もない穏やかな秋の日。あの青空は今でもはっきりと覚えていること。そして、あの時、確かに神様はいると感じたこと。本当に幸せだったこと、そして、今もその幸せは続いていること・・・・・。「学校がつらいんだね。いいよ、無理しなくて。何があってもそばにいるから。大丈夫、そのままでいいよ」「でもね、これだけは忘れないで欲しい。この家は、ずいぶん古いけど、お父さんとお母さんにとって宝箱なんだ。そして、お父さんお母さんにとって君が宝物なんだよ」「だから、お願いだから、生まれてこなければよかったなんて言わないで」私は知らず知らずに泣いていました。気が付くと、娘はいつの間にか寝ついていました。どこまで聞いていたかわかりません。それからというもの、日曜の夜になると、娘は、自分が生まれた日の話を聞きたがりました。そのたびに私は添い寝をしながら同じ話をし続けました。そして、怒りや悲しみ、恐怖という心の闇に引き込まれつつあった娘の心が、その日を境に確かに逆流しはじめたように感じます。娘に話していながら、実は自分に一番気づきがあったのかもしれません。自分は妻やこの子らと出会えて本当に幸せなんだということを、あらためて実感できました。心からそう思えたのです。もし、この1年がなく順調に過ごしていたら、大きくなった娘を抱いて、涙ながらに「生まれてくれてありがとう」などと言うことはなかったでしょう。妻や娘と見つめあいながら、人生とは、命とは、家族とはと、こんなにまじめに語り合うこともなかったかもしれません。私にとって、妻にとって、そして娘にとって、この1年は家族の絆を確かめるための時間だったのかもしれません。今だから言えるのかもしれません。大変な出来事ではありましたが、このように気づきの多い1年を過ごせたことに感謝しています。もし、この出来事がなかったなら、もう少し平坦ではあったけれど薄っぺらな時を過ごしてしまっていたことでしょう。この出来事を通して、これからは周囲の人たちに「暖かい心」を伝えていきたいと強く思いました。そう、いままで多くの方が私にしてくれたのと同じように。
2005/12/20
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最後の最後の救いが「念のため」です。先週の続きです。「早く下りたい」という誘惑に負けて、怪しい道に入り込んでしまい、結局、最後は道らしい跡すらなくなってしまいました。途中、何度も引き返すチャンスはあったんです。始めに「変だ」と思ったとき。確実に間違いに気づいたとき。しかし、すべての時点で「もう少し先までいけばきっと・・・」「いまさら戻りたくない」「何とかなるさ」などと、空腹と疲れと焦りから、まったく冷静さを失っていたんですね。自分がこんな風になるとは思いもよりませんでした。あり得ないことだと思ってました。そしてついに目の前から道らしい道もなくなり、辺りいったいが森に囲まれてしまいました。この時点でも戻るべきなんです。しかし、その時の私には心理的に不可能でした。「行くしかない」「とにかく下るしかない」そう思い込んでいました。だれも踏みしめていない、フカフカな腐葉土に足を取られながら、フラフラ下っていきました。何回か木の根につまずき転びながら。しかし、だんだん斜面がきつくなってきます。もう、立って歩く状態ではなくなり、木の枝につかまりながら、ズルズル滑り落ちる状態でした。どれくらい時間がたったか、あまり覚えてません。手にした木の枝が折れて、滑り台のように落ち始めるともう止まりません。ズルズル、ゴロゴロ、ドタッ急に視界が開けたと思ったら、2メートルほど落ちて止まりました。農家の裏庭の畑でした。いくつもの幸運が重なって、なんとか怪我なくすみました。もし、もう少し高い山だったらもし、フカフカの腐葉土じゃなく、岩場だったらもし、沢などの落ち込みがあったらもし、天候に恵まれてなかったらもし・・・・考えただけで、冷や汗がでます。何年もたった今こうして書いているだけでも、冷や汗がでるくらいです。自分にとって最も恐ろしいのが「もし、誰かを引率していたら・・・」本当に下見でよかった。ひとりでよかった。実は、はじめは下見をしなくてもいいかなって思ってたんです。今回のハイキングは初級コースだし、ポピュラーなコースだし、ちょっと忙しいから。でも、「やっぱり、誰かを連れてく以上、自分の足で確かめておかなくちゃ」と思い直して下見に来たんです。なんとかギリギリのラインで踏みとどまれたんですね。お陰で、本番のハイキングはとても楽しく順調で、参加者のみなさんに喜んでもらえました。甘えや驕り、思い上がっていた時期でしたが、リーダーとしての最後の最後の良心「念のため・・・」で救われました。この経験で目が覚めました。それ以後、「お前、変わったなぁ」っていわれるほど。ちょうどいい時期にいい経験をさせてもらったと思っています。こういう時は誰に感謝すればいいのでしょうか?【こうすると】なぜが気になっていること、どこか気がかりなことは放っておくのはやめましょう。【きっと、こうなる】きっと、「あの時、確かめておいてよかった!」ってなります。やっぱり人間、危険を察知する能力ってあるんじゃないでしょうか?自分の感覚を信じきれると、どんどんツキが回ってくる、そんな気がします。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 気になることは確かめよう★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★実はみんな分かっていることなのかもしれませんね。本当に気のせいなんかじゃなと思います。どう思います?自分の内なる声を見逃さない人が幸せをつかむ、そんな風に思いませんか?いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング
2005/12/19
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分かっていても、引き返せないものなんですね。昨日の続きです。初級コースだから大丈夫という油断がたったて、結局、食料なしでスタートしたハイキングの下見。それでも天候に恵まれ、楽しく順調に下見の行程を消化することができました。そろそろ終盤に差し掛かったころ、「尾根から里へ降りる道の分岐がでてくるころだなぁ」と思っていた時にそれらしい分岐に出会いました。「ここかな?」でも、道標がありません。「変だなぁ?」もちろん、すべての道に道標があるとは限らないし、整備されているとはいえ風雨にさらされて壊れてしまっていることもまぁあるので・・・。後になって考えれば、すでに心のどこかで危険信号が点滅していました。こんな感覚ないですか? 予感というほどのものではないのですが、どうも?だぞという、うっすらとした感覚ですやはり、気になるので地図を取り出します。ここで大きな差となったのが5万分の1のハイキングマップだったこと。25000分の1の地形図にくらべやはり精度が落ちるんです。周囲の地形の様子を観察して、地図と照らし合わせます。致命的なのがコンパスを忘れてしまったこと。迷ったら、より確実な道を選ぶのが鉄則です。この場合、不確実な道を曲がらず本道を直進すること。本道から外れさえしなければ、たとえ遠回りでも確実に着く場所が分かっているから。そう思いいったんは直進しました。もし、この先に分岐があるとしてもすぐ近くだと分かっているから、少し先まで行って、確認しようと思い歩きだしました。でも通り過ぎると「やっぱりさっきの道じゃないのか」という気がしてなりません。「あまり行き過ぎると戻るのが面倒だなぁ」「きっとあの道かなぁ」「そうだあの道でいいんだ」「そうに違いない。だったら早く戻ろう」今、思えば、終盤にさしかかって、疲れもあるし、早く下山して安心したくて仕方なかったんですね。その大きな原因が“空腹”です。やっぱり朝食抜き、昼食抜きではちょっと無理だったのです。自覚はなかったのですが、すでに冷静な判断ができなくなっていたわけです。空腹によって焦りが生まれ「この道であってほしい」という思いが強い願望となって「この道に違いない」と思い込もうとしていたんです。自分自身の危険信号をうすうす感じていたにもかかわらず。ついに、その誘惑に負けて、分岐の道を下り始めました。「この道でよかったかな?」という考えを振りほどきながら。それでも始めは歩きやすい道で快適だったので、ずいぶんスピードもアップ、順調に進めました。しかし、30分もしないうちに「変だ!」と感じました。正しい道なら、そろそろ大きく左にカーブして尾根から外れていかなければなりません。しかしいっこうにその気配がありません。もうこの時点では「間違った」ということは分かっていたんです。「でも、いまさら引き返せない」「引き返したくない」「このまま行ってもどこかにでるよ」「だって、人が歩いた形跡があるんだから」もう完全に自分に都合のいいことばかり考え始めていました。疲れと空腹とある種の焦りに完全に負けていたんです。これが遭難者の心理なんですね。間違えに気づいたら、絶対に戻ること。これが鉄則です。自分が歩いてきたので、安全であることが分かっているからです。そして不用意に道を下らないこと。必ず高みを目指すこと。これも鉄則です。先の分からない道をつき進むのは、山では無謀としかいいようがありません。そんなこと分かりきっていることです。それなにに、「早く下りたい」「この不安な状況から早く脱したい」という欲求に支配しれたいたんですね。そして、思ったとおり・・・ずっと前から心のどこかで感じていたとおりついに道らしい道がなくなってしまいました。自分の判断が正しいと思い込めば込むほど、都合のいいことだけしか目に入らなってしまうんですね。自分の間違いほど認めにくいことはないんですね。たとえ間違いに気づいても、なんとか誤魔化してでも進めてしまいたくなるんですね。引き返すことは、突き進むより本当に勇気がいることなんだと痛感しました。これは日常の仕事でも同じことがいえますよね。「自分は大丈夫」「自分は正しい」という気持ちには、いくつもの罠があるんですね。【こうすると】「自分は絶対に正しい」 本当に? 視点を変えれば、別の判断もあるかもしれません。間違ってはいなくても別の方法でもいいかもしれません。自分の言葉に“絶対”が出始めたら注意しましょう。どんな状況でも、周囲の意見に耳を傾けるだけの余裕をもっていられるといいですね。【きっと、こうなる】多くの意見に耳を傾けるというのは、流されるということではありません。自分の意見がしっかりしているからこそ、その他の意見を聞くことができるんだと思います。耳を傾けようとしていると、素敵な情報がどんどん集まり始めます。きっと、周りの人や意見がどんどん自分の視野を広げてくれますよ。余裕のある人ほど器が大きく感じるのはこのためかもしれませんね。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 勇気をもって引き返そう★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★幸せセンスのある方は、周りの力を上手にスマートに取り入れています。いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング
2005/12/16
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簡単なことだから難しいんです。この時期になると毎年思い出すことがあります。たいしたことではないのですが、自分にとっては忘れられない、いや忘れてはいけない出来事のようなきがしています。以前、プチ遭難したことがあります。ハイキングの下見に平日ひとりで出かけた時の事です。ゆっくり歩けば誰でも楽しめる初級コースでした。そうなんです、それが完全に油断を生みました。どんなコースであっても必ず持っていく25000分の1の地形図とコンパスですが、その時はちょうどいい地形図を手に入れられず、ハイキングマップ(5万分の1、精度がちょっと落ちる)しか持ちませんでした。それにあとで気づいたのですが、コンパスまで忘れていました。それからそれから、昼食も途中のコンビニで買おうと思い持たずに家をでたんです。しかも朝食抜きで。いつでも買えるという気持ちから、まだ先でいいや、まだ先でいいやとやっているうちに下車駅に着いてしまいました。そして、その駅にはコンビニはおろか売店すらなかったんです。おみやげ屋さんは平日のため閉まっていました。ついにコンパスなし、朝食抜き、食料なし(かろうじて水だけは持ってましたが・・・)でハイキングコースに入るはめになりました。それでも全行程ゆっくり歩いても3~4時間。ポピュラーなコースだし、大丈夫だと思ってましたから何の心配もせずスタートしたんです。そうしたら・・・なんと山の尾根すじで道を間違えてしまったんです。ちょっと怪しいなぁと思い、立ち止まって周囲を見回したりしたんですが・・・。いつもどおり、2万5千分の1の地形図とコンパスがあれば絶対に間違えなかったでしょう。でも、実はこのコース、きちんと案内板も整備されていて、一般のハイカーはきっとほとんどコンパスどころか地図も持たずに歩いているはずです。それなにに、なぜアウトドアのインストラクターの自分が道を間違ったのでしょうか?それは、慣れと初級コースだから絶対に大丈夫という思い込み。油断のかたまりだったんですね。インストラクターにあるまじき怠慢でした。でも、下見で本当によかったです。どんなに初級コースでも、誰かを引率していたらと思うと冷や汗がでます。それ以来、どんな簡単なコースだろうと細心の注意をはらい準備をするようになったのはいうまでもありません。文字通りいい勉強になった出来事でした。そして、毎年この時期にこの出来事を思い出し自分の戒めにしているんです。油断大敵 ―― 誰もが知っていて、言い古されている言葉です。あまりにも当たり前すぎて、いまさら誰も取り上げないことですね。当たり前のように言われていても「まさか自分だけは・・・」って思っているんですね。みなさんはいかがですか?でも自分で体験して、はっきり感じました。当たり前のことでも、いや、当たり前のことだからこそ、たまには思い出す必要があるんですね。【こうすると】子どもでも知っていること、子どもでもできること、そんな簡単なことでも、たまには見直してみましょう。簡単なことを、大人になっても忠実に行なうって、一番難しいことなんですね。「そんなの当たり前」「大丈夫」・・・これらの言葉が口をついて出始めたら、要注意かもしれませんね。【きっと、こうなる】謙虚になってみると、子どもからでも学べることがあるんですね。誰でも知っているようなことからでも学べることがあるんですね。どんなことでも成長の糧とできれば、きっと充実した毎日が送れるはずですね。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 絶対に大丈夫! その“絶対”が落とし穴です。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★当たり前のこと、小さなことをないがしろにしないこと。幸せセンスにはとっても大事なことなんです。いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング--------------------------------------------------------出版コンテスト参加中今、自分へのチャレンジとして、出版コンテストに参加しています。タイトル“ちょっとハッピーがいいんじゃない?”現在、一般読者投票中です。一度読んでいただきいいと思ったら 清き一票を!出版コンテスト参加中“ちょっとハッピーがいいんじゃない?”と、いうことで一歩一歩夢へ向けて歩いています。応援よろしくお願いしま~す♪
2005/12/15
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自分の都合ばかりを愛していては、なかなか幸せにはなれませんね。企業の人事担当をしていると、いろいろな社員の話を聞くことができます。時として不平不満をぶつけられることもあります。厳しい上司の元で働いていてで「1から10まで指示されチェックされて息が詰まる。まったくやる気がでない。」という不満をもらしている社員がいます。かと思うと、甘い上司の元で「ほとんど指示がなくて、いったいどうなってるんだ。これじゃやる気もでない。」と、不満を言う社員もいます。ちなみに所属を入れ替えると、うまくいくかというとそうでもありません。残念ながら前任者と同じような文句になってしまうことが多くあります。同じ条件の元で働いていても「厳しいけれど、細かい点まで指示、チェックしてもらって、とても勉強になります。」「ほとんど任せてもらっているので責任重大ですが、とてもやり甲斐があります」といって張り切っている社員もいるんです。もちろん、厳しい、甘いというのも程度問題ではありますが、上司の問題だけではないんですね。どんな状況であっても、全面最悪なんてことはめったにありません。たいての場合、一長一短あるものです。ようするにどこにフォーカスしているかなんですね。不平不満を言う方の中にはどの部署へ行っても、どの上司の元でも、不満に感じてしまう方がいます。そういう方に言わせると「俺はどうしてツイてないんだ。俺ばかりなぜ辛い目に会わなけりゃならないんだ」となってしまいます。もったいないことですね。天気も晴ればかりじゃなりません。雨の日も、嵐の日もある。自然を愛するなら、晴ればかりではなく雨の日も含めて愛さなければならない。晴ればかりを希望するのは、自然を愛しているのではない。自分の都合を愛しているのだ。というネイティブアメリカンの言葉を思い出します。確かに、自分の都合だけを愛していたら、どこへ行っても、誰と出会っても不平不満が多くなるのもうなずけますね。もったいないことですね。でも、そういう自分も、ついやってしまいがちなことではあるのですがね。人の姿を借りて、気づかせてもらっているってことでしょうか?【こうすると】ツイてない事を数えるなら、同時にツイてることも数えましょう。悪いことをあげた後には、「~~だけど、でも○○な点もあるし」といい言葉で締め括りましょう。【きっと、こうなる】意外とツイてることも多いことに気づけます。「そうは言っても、やるしかないよね」っていう気分になれて、案外パワーが湧いてきたりします。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 最後はいい言葉で締め括ろう。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★いい言葉で締め括って、また明日がんばりましょう。いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング
2005/12/14
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大ピンチをいかに小ピンチにするか。それも才能かもしれません昨日の続きです。大事な約束に遅刻をしてしまいました。その原因は道路が渋滞していたとか、忘れ物をしたとか、出掛けに妻が話しかけたとか・・・・周りのせいではありません。それらはみんないいわけです。本当の原因は「前日までに準備をしておこう」と思っていたのに、ずるずると後回しにしてしまったこと。それに尽きます。そんなことはわかってはいるんです。でもその場ではどうしようもなく周りの現象に腹が立って腹が立って。車の運転をしているのが危ないくらいイライラしてしまいました。お恥ずかしい限りです。で、どうしたかというと・・・まずは深呼吸。「落ち着け~落ち着け~」「イライラしたって時間はもどらないぞ~」「とにかく今は無事に運転することだ」深呼吸を繰り返しながら呪文のようにつぶやき続けました。でなんとか少し気を落ち着かせました。それから「いつも言っているだろ。今できることをできるだけすることだって」こちらも深呼吸とともに呪文のように繰り返します。少し遅れることは間違いない。まず、謝ろう。それから、すぐに本題に入らなければならないはず。本当は少し早めに着いて、コーヒーで一息いれてからの予定だったが仕方ない。着いたらコーヒーで一息いれる時間はない。じゃ、どうする。着くまでの1時間をどうする?そうだ、余裕がないなら、なおのこと着くまでの時間で気持ちを落ち着けなけりゃ。コーヒーを飲んでリラックスしている気分にしなければ・・・。深呼吸、深呼吸。少し車のスピードを落とそう。慌てたって次の赤信号で追いつかれるだけ。ゆっくりゆっくり。呪文のように繰り返し、少しゆっくり運転をし続けます。不思議と車の流れがスムーズになったみたい。交通量が減った? そんなことはありませんね。狭い日本、エンジンブンブン吹かして走っても、ゆっくり走っても、差なんてでないんですね。むしろ前の車に支えたりしないぶん、スムーズなんですね。それに気分的にもずっとリラックスできるし。着いた時の謝罪の仕方や話の切り出し方など、じっくりと考えます。イメージします。そうやって気持ちを落ち着けることができたため、大事な会談もスムーズに進みました。もちろん遅刻してしまったことは、素直に謝罪しました。理由は「準備に手間取って、少し出るのが遅くなってしまったもので」自分も聖人君子ではありませんから、罵詈雑言も吐きましたし、怒りもしました。でも、そのまま駆けつけたらどうなっていたでしょう。きっと会談もドタバタだったに違いありません。今回はなんとか悪の連鎖だけには陥らずに踏みとどまれたわけです。自分も完璧な人間ではありません。だからこれからもハプニングやミス、トラブルを避けることは難しいでしょう。でも、そうなった時こそ気持ちの切り替えが大事なんだと痛感させられました。起きてしまったこと、起こしてしまったことは仕方ありません。最悪の状況の中でいかに最高のパフォーマンスを見せるか。「今できることをできるだけやる」そのことに集中することが“のんびり屋の慌てん坊”の最後の砦なのだと思っています。【こうすると】トラブル、ハプニングは起こるものと思っていましょう。想定の範囲内ですって答えられるように。状況が悪くなった時こそ、意識してゆっくり行動するように言い聞かせましょう。そう、言い聞かせるんです、自分にね。簡単ではないですが、とにかく言い聞かせるしかありませんね。【きっと、こうなる】自分の非を素直に認めた時、不幸中の幸いがやってきます。思いのほか痛手が少なくて済んだりします。大難が小難に、小難が無難になったりします。最悪なのがジタバタして二次トラブルを起こすことですね。自ら悪の連鎖に落ち込むことだけは避けましょうね。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ トラブルの上塗りだけは避けましょう。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★こんな経験をしても、また繰り返しちゃんだけどね(笑)いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング--------------------------------------------------------出版コンテスト参加中今、自分へのチャレンジとして、出版コンテストに参加したところ一次審査を通過しました。それがなんと3000応募中の30作品なんですって。びっくり。倍率100倍。その中に入れたなんて光栄で~す。けっこう嬉しいです。タイトル“ちょっとハッピーがいいんじゃない?”現在、一般読者投票中です。一度読んでいただきいいと思ったら 清き一票を!出版コンテスト参加中“ちょっとハッピーがいいんじゃない?”と、いうことで一歩一歩夢へ向けて歩いています。応援よろしくお願いしま~す♪
2005/12/13
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気づいているはずです。本当の原因は何なのか。先日、ある重要な約束に5分遅刻しました。大きな問題にはなりませんでしたが、自分としては心にシコリの残る出来事です。前日に「あれと、あれを準備してと・・・」なんて思っていたのですが、午後の約束だったため、当日の午前中までゆっくり過ごしていました。そろそろ出かける時間が近づいて来て準備にかかると「あれどこいった?」「あっあれも必要だったなぁ」などなど、結局ずいぶん慌しい出発になってしまいました。少し早めに着いていようと思っていたのですがね。ところが出発してしばらくして忘れ物に気づきました。早めに気づいたのでギリギリのギリギリで戻ることにしました。家に着いたら、そんなに切羽つまっているとは知らない妻から話かけられ、子供から話しかけられあれこれやっている間になんと取りに戻った忘れ物を忘れて再出発してしまったのです。そう気づいた時にはもうどうしようもありませんでした。車の中で一人きりだったので、ハンドルを叩き、それはそれはとても人前では言えないような言葉で怒りを爆発させてしまいました。自分を落ち着かせるのがやっとというくらいイライラ状態です。人様にこんな日記で「幸せセンスを磨きましょう」などと言っているのに、お恥ずかしいかぎりですね。私もそう立派な人物なんかではありません。そうなんです。この日記は私自身の成長のための日記なんですね。「~~しなさい」じゃなくて「~~しましょう」という文体になっているのがその証拠です。まぁこういう時に限って、赤信号に引っかかったり、遅い車の後ろについてしまったり・・・。「いい加減にしてくれ! こっちは急いでるんだ!!」他人のせいにしてはいけませんね。本当は焦っていたからそう感じただけなんでしょうね。いつもだって赤信号はあるし、遅い車もいるんだから。「渋滞さえしていなかったら遅れなかったのに」やつあたりはいけませんね。もともと余裕をもって出かけるはずだったのに、忘れ物したりで出発が遅れていたんだから。だいたい忘れ物を取りに帰ったのに、あの時、妻が声さえかけなかったら・・・。またまたひとのせい?そんなことないですよね。出掛けに確認さえしていれば、初めから忘れなかったんですから。そやってず~~~っと遡ってみると・・・・そうですね。前日に準備をしようと思っていたのに、なんだかんだと理由をつけて後回しにしてきたんですね。それでちょっとしたハプニングによって遅れてしまったんです。本当の原因は当初の計画を遅らせたこと。それも余裕という名の油断によってね。それ以外は小さな結果でしかありません。そうです。本当は自分でも気づいているんです。でも、ついつい責任回避したくなちゃうんです。まだまだ未熟ですね、人間が。途中の現象は原因ではないんですね。たんなるいいわけ。本当の原因をしっかり見つけて、反省しましょう。【こうすると】余裕があるからといって後回しにはしない方がいいですね。ハプニングは常に起こるものですから。計画はゆとりをもって、行動は前倒しがいいですね。【きっと、こうなる】ドタバタと対処に追われていると疲れるものです。早めに取り掛かることで、余裕をもって物事を片付けることができるようになります。ハプニングが起きても慌てずにすみますね。結局、仕事量はそんなにかわらないはずなんですね。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 取り掛かりを早くしよう★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★いつも余裕があるのに仕事がデキル人はきっとこうやってるんだと思います。だから仕事量の割りにさらりと見えるんですね。いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング
2005/12/12
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「わかった」と思ってからが、本当のスタートなんですね。先日、自分のビジョンを明確にするためのカウンセリングを受けていたと時のことです。何回かのセッションを重ねてきたので、その手法とコツもまぁ分かってきたかなと思っていました。しかし、とんでもない。分かったつもりで作った行動計画だったのに、どうもスッキリ事が運びません。指摘いただいたポイントが「行動目標が抽象的」ということ。でも、このことは、基本中の基本で自分でも分かっていたはずなんです。というより、指摘を受けるまで、それで十分具体的だと思っていたんです。しかし、自分が“具体的”だと思っていたキーワードが目の前で、さらに細分化されて正に“具体的な行動”へと姿を変えていくのを見たとき、自分の認識がいかに浅かったか思い知らされました。どんな些細なことでも、奥の奥があって、それを極めてはじめて身についたと言える訳で、そこまでいって初めて知恵となるんだということを教えてもらいました。突然ですが、みなさんタンポポって知ってます?ほとんどのの方が知っている花ですよね。あるキャンプでのこと。娘がタンポポの花を半分に割ったみたんです。そうしたら、あの黄色く細長い花びら一枚一枚の付け根に、すでに綿毛が折りたたまれていて、種の準備までできているんですよ。黄色い花の花弁の中は綿毛と種がギュウギュウに詰まっているんです。よ~く見ると、花びら一枚一枚に一本の雌しべがついているんですよ(雄しべかな?)。綿毛の数は花びらの数と同じなんですね。知ってました?私は知しりませんでした。そうやって花を割ってみたことないから。ミクロの視点になって、ぐ~んと近づいてみたら、また違った世界がそこにありました。ワクワクどきどきも倍増です。今まで「タンポポって知ってる?」と聞かれれば必ず「知ってる」って答えていました。確かに何度もタンポポの花は見たことがあるし誰でも、綿毛を息で飛ばしたこともあるはずです。その「知っている」がいかに思い違いだったかということですね。今まで見てきたことだけで、知っている、すべて分かったつもりになるのはちょっと違うのかもしれませんね。物事、知っているようで、知らないことがたくさんあるんですね。今回は「花の中ってどうなってるんだろう」という娘の好奇心によって、気づかせてもらいました。【こうすると】知っていることでも、チャンスがあれば、どんどんチャレンジしてみましょう。「わかってる」という言葉を「まだ知らないことがあるかもしれない」と言い換えて、物事に取り組んでみるのもいいかもしれませんね。【きっと、こうなる】「知っている」と思っていたことから、新しい発見が数多く見つかるかもしれません。平凡、日常、いつもと同じ、全部分かっていること、刺激がない・・・・そんな事柄が“気づきの宝庫”になったら、毎日がどんなにか新鮮で楽しくなるか。気づきの玉手箱は、すぐそばにたくさんあるのかもしれませんね。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 知ってるつもりに気をつけよう★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆子供は無邪気。先入観がない分、発見の天才です。子供の視点に習うのもいいかもしれません。いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング---------------------------------------------------------------出版コンテスト参加中今、自分へのチャレンジとして、出版コンテストに参加したところ一次審査を通過しました。それがなんと3000応募中の30作品なんですって。びっくり。倍率100倍。その中に入れたなんて光栄で~す。けっこう嬉しいです。タイトル“ちょっとハッピーがいいんじゃない?”現在、一般読者投票中です。一度読んでいただきいいと思ったら 清き一票を!出版コンテスト参加中“ちょっとハッピーがいいんじゃない?”と、いうことで一歩一歩夢へ向けて歩いています。応援よろしくお願いしま~す♪
2005/12/08
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3000分の30今、自分へのチャレンジとして、出版コンテストに参加しています。一次審査を通過したんです。それがなんと3000応募中の30作品なんですって。びっくり。倍率100倍。その中に入れたなんて光栄で~す。けっこう嬉しい。あまりの嬉しさに本日2本目の日記です。でも、もっと喜びた~い。タイトル“ちょっとハッピーがいいんじゃない?”現在、一般読者投票中です。一度読んでいただきいいと思ったら 清き一票を!出版コンテスト参加中“ちょっとハッピーがいいんじゃない?”と、いうことで一歩一歩夢へ向けて歩いています。応援よろしくお願いしま~す♪
2005/12/07
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出版コンテスト参加中!!ちょっと嬉しい緊急ニュースです。今、自分へのチャレンジとして、出版コンテストに参加しています。この“ちょいハピ日記”から抜粋、加筆したものでタイトル“ちょっとハッピーがいいんじゃない?”一次審査を通過しました!現在、一般読者投票中です。一度読んでいただきいいと思ったら 清き一票を!出版コンテスト参加中“ちょっとハッピーがいいんじゃない?と、いうことで一歩一歩夢へ向けて歩いています。応援よろしくお願いしま~す♪
2005/12/07
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違った世界を持っているっていいですよ。今週末は岐阜県でミニ研修に参加していました。どんな研修かというと、料理。気の合った仲間18名、全員男で参加してきました。中国の正月料理からクリスマスのパーティ料理まで。もっとも料理を作るといっても、サポートされていて、ほんの真似事をさせてもらったに過ぎないんですがね。メインは食べること話すことでした。作っては笑い、食べては笑い、話しては笑い・・・久しぶりに童心に帰って楽しんできました。いっぱいいっぱいのコップには新しい水は 入れられません。たまには中身を入れかえなくっちゃね。心だって同じですね。「忙しいな」「近頃、がんばり過ぎてるな」と思ったら、たまには思い切りリフレッシュしたいですね。今回の私のように気の会った仲間と普段やらないことに挑戦するもよし、まったく知った人がいないイベントに参加するもよし、知らない土地へ行くもよし。たまには時間的、空間的、地理的、人間的に非日常に身を置いてみましょう。たとえば趣味とか、まったく違うつながりの仲間とかね。そのために、日頃からちょっとした出会いを大切にしておきましょう。毎日の積み重ねが、豊かな人生をつくりだしたりします。【こうすると】日ごろから、ちっちゃな出会いやつながりを大切にしましょう。そうすると、少しずつ少しずつ仲間や世界が広がっていきます。いつでも、いつもどおりに迎え入れてくれる仲間たち、世界を大切に育てましょう。【きっと、こうなる】ちょっと大変なとき、辛いとき、気分転換が必要な時・・・いったん心と頭を空っぽにしてみると、また頑張るエネルギーが湧いてきますよ。別の刺激が刺激を生んで、ワクワクどきどきの相乗効果で、どの世界も新鮮に感じられます。素敵な仲間、素敵な世界に感謝ですね。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 別世界をもちましょう。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★心のバランスをとるためにも、毎日を楽しく過ごすためにも、普段とまったく違った世界をもっているっていいですよね。いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング
2005/12/05
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思い通りになることばかりが、幸せじゃありません。先日、一生の付き合いになるだろう友人と出会ったところの話しをする機会がありました。そう、それは3年前・・・・えっ、たった3年前!?もっと、ず~~~~っと以前のような気がしていました。確かに初めて出会ったのは3年前。たった3年前。2人の共通の感想は「お互い、別人のようだなぁ」当時、今の人生を想像すらしていなかったし、想像できなかったと思います。もちろん、今はお互い充実していて、十分幸せを感じながら毎日を過ごしています。以前、幸せとは自分の願いが100%叶うことだと思ってました。自分の思い通りに事が運ぶことが最高だと思ってました。もしそうなら、思いもよらない展開の今は不幸ということになってしまいます。先日、たった1週間で退社した新入社員がいました。彼の言い分は「イメージと違う。僕がやりたい仕事ではないから」でした。たった1週間で何がわかるのだろうと思いつつ、入社前に十分説明できなかったことを人事担当責任者として申し訳なく思いつつ見送りました。そして彼がいつか自分の希望を叶えることができる日がくるのだろうかという疑問が湧いてきました。だって、自分の希望といったって、自分の今までの人生で身に着けた小さな物差しだけで、すべてを計ろうとしているのを彼の言動から感じられたから。自分も、今でも夢や希望をたくさん持っています。ただ、その夢は現時点での夢だということを知っています。たった3年前の時点ですら、今を幸せを予想できなかった経験から、夢はどんどん進化するんだということを知りました。人生の幸せとは、自分のイメージや想像を軽々と超えてしまうということを知りました。巡り来る出来事や人との出会いには、多くの意味があって、それによって人としての視野が広がることを今、実感しています。自分の予想や希望に反する出来事でさえ、巡りあった以上真剣に取り組むことが大事なんだと感じています。そこで感じたあらゆること、初めて知った多くのことは、きっと人としての器を大きくしてくれると信じています。どんな出来事からも学べると感じています。【こうすると】目の前の事に真剣に取り組んでみましょう。単純に自分の好き嫌いやイメージだけであれこれとえり好みせず、思い切って受け止めてみる、経験してみることも必要かもしれません。【きっと、こうなる】思いもよらない展開に、自分自身が驚くこともあるかもしれません。そして、新しい自分に気づいて、新しい夢が生まれるかもしれません。それはきっと、今の夢を大きく進化させてくれるはずです。何かを受け入れることは、決して今の夢をあきらめることではありません。むしろ夢をどんどん輝かせ、より自分らしい夢に育てあげることなんだと思います。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 夢に磨きをかけましょう。★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★人生を楽しく過ごしている人は、楽しい出来事に出会ったからではなく、出会ったあらゆる出来事から、楽しさを見つけだしたからなのかもしれませんね。あらゆる出来事から、きっと“楽しさ”は見つけられますよ。そして、どんどん夢を進化させましょうね。いかがでしたか? 幸せセンスアップできそうですか?ピピッときたらクリックを。人気blogランキングへ楽天ブログランキング
2005/12/02
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