シネマに賭けた青春「夢を追いかけた日々」の想い出

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くーる31 @ 相互リンク 突然のコメント、失礼いたします。 私は…
大西俊郎 @ リンク了解しました 中々凝ったブログですね。勉強になります。
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カテゴリ: ラ~ロ
リチャード・バートン

絶世の美女クレオパトラを演じたリズの出演料は当時の史上最高額100万ドル(約3億6000万円)、バートンの出演料は25万ドルだった。リズの撮影に同行した夫のエディ・フィシャーとのロケ地ローマでの滞在費は大邸宅の賃料だけで15万ドルだったと云われている。

クレオパトラ

60年9月にロンドンで開始された撮影は難航、監督交代劇まで発展し、1年後にイタリアに広大なセットを移築、63年ようやく撮影終了したときにはリズは31歳になっていた。

彼女はこの映画で大女優の地位を確立したのである。

「女王も裸にすればただの女だ。将軍もただの男です」
バートン演じるアントニー歓迎の宴に並んで座ったクレオパトラにこう話しかけるアントニー。バートンは相手のセリフまで正確に覚えていたという。


彼は1925年11月10日、イギリス・ウェールズで炭坑作業員の息子に生まれた、16歳で学校をやめて働かなければいけなくなったが、彼の教師であったフィリップ・バートンが彼を養子に取り、18歳でオックスフォード大学で学ぶようになる。

1943年にリヴァプールの舞台でデビュー、その後、舞台俳優として活躍した。1944年から3年間、英空軍のパイロットとして従軍し、1949年に映画デビューをする。そして、同年、映画で共演した女優シビル・ウィリアムズと結婚した。



舞台ではオールド・ヴィク座の『ハムレット』『オセロ』やブロードウェイのミュージカル『キャメロット』などに主演、英米の垣根を越えて活躍し、特に『キャメロット』では1961年のトニー賞ミュージカル部門の俳優賞を受賞した。

映画では「聖衣」「荒鷲の要塞」「イグアナの夜」「ワイルド・ギース」などに出演、「寒い国から帰ったスパイ」や「暗殺者のメロディ」で名演技を見せた。しかし「謎の佳人レイチェル」を初めアカデミー賞に計7回もノミネートされたものの、一度も受賞はしなかった。



「クレオパトラ」でスキャンダルとなったリズとの恋は、その後ウィリアムズと離婚し、一方エディ・フィッシャーと別れたテイラーと結婚する。その後は夫婦して、「予期せぬ出来事」「いそしぎ」「バージニア・ウルフなんて怖くない」「じゃじゃ馬ならし」「夕なぎ」などで共演した。

夕なぎ

その後、バートンはアルコール依存症にかかり、1973年にテレビ映画『離婚』に夫婦共演中に本当に二人の離婚が取り沙汰されるようになり、ついに翌年離婚してしまった。

その後1975年10月10日に二人は再婚するが、翌年、再び離婚。1983年のブロードウェイの舞台が二人の最後の共演となった。

1966年にテイラーとの関係を綴った本を出版している。テイラーとの離婚後は2度結婚を繰り返し、1984年8月5日にジュネーヴ郊外の自宅で脳溢血により倒れ、市内の病院に搬送されたが遂に天国に召された。享年まだ働き盛りの58歳であった。





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Last updated  2010.01.16 14:25:40
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