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第18回優勝歌手セルジョ・エンドリゴは、1965年後半にチェトラに才移籍して三回目のサンレモ音楽祭の出場でした。優勝発表後に歌った時は、声を詰rらせ見る者も熱いものが込上げてくるものががりました。もう一人の優勝者ロベルト・カルロスはイタリアで人気のあるブルジル人歌手の一人でした。ブラジルに帰国した時はまるで凱旋将軍のように迎えられたとのことです。オルネラ・ヴァノーニの"逢びき"なども彼の曲です。日本でも何枚かアルバムもでたのですが、フラジル音楽が注目された時でも、何故か一般的な人気は出ませんでした。

ニーノ・フェレール (Riviera) ジュシー・ロメオ (Columbia)
第18回 1968年2月1日(木)~3日(土) サンレモ市カジノ付属劇場
司会:ピッポ・バウド (Pippo Baudo)、ルイザ・リヴェッリ(Luisa Rivelli)
楽団指揮: 24名の指揮者で演奏された。オーガナイザー:サンレモ市ホテル観光協会 (ATA-Azienda Turistico Alberghiera)、監督ジャンニ・ラヴェーラ (Gianni Ravera)
形式:出場曲数24曲を各曲外国人歌手またはイタリア人歌手とパートナーを組み1曲2歌唱で第1夜、第2夜に12曲を歌い、各夜の中から7曲の入賞曲を選出し各夜7曲づつ最終夜に出場権を与え、最終夜に出場した中から優勝を決め2位から14位までの入賞曲を発表する。
出場歌手は48歌手(グループは1歌手)で、外人出場歌手も総て1歌手1曲の歌唱でした。初出場20歌手(内外人11歌手)、出場レコード会社17社で初出場3社、外人歌手のみの出場会社は3社です。 [数]は外人歌手数
CGD7[2]; RCA ITALIANA 5[1]; V.C.M. 5[2]; FONIT CETRA4[1]; RI FI 4[1]; RICORDI 4[2]; ARISTON 3[0]; CDI 3[2]; Clan Celentano 2[0] ; PHONOGRAM 2[0]; DURIUM 2[1]; CAROSELLO 2[1]; 新DET(CAM)1[0];新BDM1 [0]; SAAR 1 [1]; BLUE BELL 1 [1]; 新SIF 1 [1]
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参加曲>
◆私の場所Il posto mio
(A.Testa - T.Renis) 出版社 RCA ITALIANA トニー・レニス (vm) Tony Renis
(RCA Italiana - RCA Italiana) PM-3439 [45] : ドメニコ・モドゥーニョ (vm) Domenico Modugno (RCA Italiana - RCA Italiana) PM-3440 [45]
PM-3439
PM-3440
◆イギリスの王さまIl re d'Inghilterra (A.Ferrari) 出版社 LEONARDI ピラ-デ (vm) Pilade (Clan Celentano - Clan Celentano) ACC-24072 [45] :ニーノ・フェレール (vm=f) Nino Ferrer (Riviera - SIF) SIF・NP-77004 [45]
ACC-24072
SIF・NP-77004
◆いつものこと Le solite cose (V.Pallavicini - P.Donaggio) 出版社 ACCORDO ピノ・ドナッジォ (vm) Pino Donaggio (Columbia - V.C.M.) SCMQ-7081 [45] :ティミ-・ユ-ロ- (vf=a) Timi Yuro (Liberty - Blue Bel) LIB-9018 [45]
SCMQ-7081
LIB-9018
◆愛はほほえみTu che non sorridi mai (M.Terzi - S.Sili) 出版社CALIFORNIA - ALFIERE ピエルジョルジョ・ファリーナ (vm) Piergiorgio Farina (BDM - BDM.) PA-45012 [45] : オリエッタ・ベルティ (vf) Orietta Berti (Polydor - Phonogram Italiana) NH59-809 [45]
PA-45012
NH59-809
◆人生La vita (A.Amurri - B.Canfora) 出版社CURCI エリオ・ガンドルフィ (vm) Elio Gandolfi ( Carosello - Carosello) CI-20195 :シャーリー・バッシー (vf=e) The Shirley Bassey (United Artist - Carosello) UA-3130 [45]
CI-20195
UA-3130
最後に紹介する初参加のレコード会社はCBSディスキです。なぜCBSがと思われるでしょう、64年以降何人もの歌手が出場していますが、みんな外国人歌手でした。この第18回に初めてCBSレーベルからイタリア人歌手ジュリアーナ・ヴァルチが出ました。
元々CBSは米コロムビアが始まりで、日本最初のレコード会社が日本コロムビアで米コロムビアの子会社として生まれました。60年代初頭まで欧州コロムビアを含む大半のコロムビア・レーベルを日本コロムビアた出していました。日本の話になってしまいましたが、イタリアでは欧州コロムビアはV.C.M.(後のイタリアEMI)が持っており、戦前戦後は多分米コロムビアも出していたと思います。米コロムビアは欧州で商標「コロムビア」は使えませんでした。
53年米コロムビアはアメリカの4大ネットワークの一つCBSの傘下でCBSコロムビアとなり、またオランダのフィリップスが世界進出を始めた頃、欧州のフィリップスと提携しを米国で販売するためにエピックを作っています。ということを予め頭に入れておいてください。
さてイタリアでの米コロムビアは、57年から61年頃までフィリップス・レーベルで発売されていました。62年からCBS(米コロムビア)の販売権はリコルディに移り66年まで続いています。64年のボビー・ソロの"ほほにかかる涙"のパートナーがフランキー・レインなのです。現在確認できるのは63年に Guido e Maurizioのシングル盤 は作られています。
67年からは販売権はCGDに変わります。70年CGDの親会社シュガー・ミュージックとの合弁でCBSシュガーを作りCGDは傘下のレーベルという形で飲込まれます。プー、カマレオンティが属し、リッキ・エ・ポーヴェリのデビューもCBSからでした。72年からレコード番号体系もCBSの形式に変更され『庇を貸して母屋を取られる』ことになりした。
77年CBSイタリアーナとしてCGDから分離独立し、ラファエラ・カーラ、ジャンニ・ナザーロ、マルチェラたちがCBSに移籍してしまいます。87年CBSインターナショナル米本社がソニーに買い取られ、ソニー・ミュージックとなりました。


サッシャ・ディステル (Pathè) エリオ・ガンドルフィ (Carosello)
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