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サッシャ・ディステル (vm=f) Sacha Distel

本名サッシャ=アレクサンドル・ディステル(Sacha-Alexandre Distel,)1933年1月29日にパリ生、2004年7月22日コード・ダ・ジュールのマルセイユとニースの中間にある保養地ライヨル・カナデル・シュル・メール没。ロシア系フランス人歌手、作曲家、俳優、ジャズ・ギタリスト。

                      Sacha Distel

父、レオニード・ディステル(Leonid Distel)はロシアの亡命化学者でした。母には甥のレイモン・ベントゥーラ(Raymond e Ventura)がいました。

叔父レイ・ベントゥーラが若くしてジャズ・ピアノにはまり、それを見習ったサッシャはジャズに興味を持ちました。叔父はオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド (L'Original Dixieland Jass Band)に属し、1930年代フランスでこの音楽の発展に貢献しています。戦後彼はサン・ジェルマン・デプレのクラブでジャズ・ギターを始め、学生時代パリで、叔父と共に過ごし、リハーサルや楽団の録音を経験できました。

サッシャはより刺激的なギターの魅力に惹かれ、ピアノを断念。47年アンリ・サルヴァドールとアーランガー通のスタジオで出会い才能を認められます。アンリは彼にギターを教え、音楽家として育てました。すぐにサッシャはニュー・オリンズ・ジャズ・バンドのアイドルとなります。

人気ミュージシャンは見過ごされることは有りませんでした。レンは48年冬、サッシャのパリ・アルハンブラ劇場出演を決めました。彼はディジー・ガレスピー達と出会い、本当のショックを与えられます。次々に世界的音楽家と交わり、トラディショナル・ジャズの先に「クール・ジャズ」と「ビー・バップ」を見つけます。

叔父は彼が19才の時、英語と編集の勉強のため、ニューヨークに行かせました。MJQの音楽監督でリーダーのジョン・ルイスが56年のパリ訪問時に共演を決め"アフタヌーン・イン・パリ"が作られています。その後米国でのTV出演やツアーなど活動を広げていきます。

サッシャが歌手デビューしたのは58年叔父のレイ・ヴェントゥーラ楽団とアルジェのカジノ劇場で歌った時です。59年クランク・インの「バベット戦争に行く(s'en va-t-en Guerre)」に出るブリジッド・バルドーと恋愛関係となり、フランス芸能界を騒がせます。同年ACC大賞受賞(曲名は未確認)、彼自身の主演映画「Les Mordus(日本未公開)」や「地下鉄のザジ(Zazie dans le métro)」(61年日本公開)などで、初めての映画出演は53年に2本、55年にはジャズ・ギタリストとしてレコードも出していました。

順調に仕事が続き63年から71年までTV番組「サシャ・ショー(Sacha Show)」を持ちます。ブリジッド・バルドーと浮名を流しましたが63年スキーヤーのフランシーヌ・ブレオー(Francine Bréaud.)と結婚し、ジュリアンとローランという2人の息子が出来ました。

68年サンレモ音楽祭に後に大物歌手ジュニ・ルッソ(Giuni Russo.)となるジュシー・ロメオ(Giusy Romeo)と"ノー・アモーレ(No amore)"を歌いましたが、入賞出来ませんでした。

 2004年7月ガンでコート・ダ・ジュールの保養地で71才の生涯をとじました。

             DP-1426DP-1426

サッシャ・ディステルのイタリア関係国内盤はありません。

ピエルジョルジョ・ファリーナ (vm)  Piergiorgio Farina

本名ピエルジョルジョ・ファリネッリ (Piergiorgio Farinelli)1933年4月25日ポー河の河口近くの小さな漁村ゴーロ生、2008年7月28 日ボローニャ没、バイオリン奏者、歌手、作曲家。ミルバ (Milva)の従姉妹、ジャズ・ドラマーのブルーノ・ファリネッリ (Bruno Farinelli)の父として知られる。

                         Piergiorgio Farina

 彼の詳しい経歴は分かりません。ミルバの従姉妹で12才の時にロック・ン・ロール知り、サックスを吹き始めます。後にボローニャに移り、1950年代末から60年代の初頭に電気ヴァイオリンの開発者のに関わり、バンドを作りその演奏者として人気を博しました。

 歌手として記録があるのは68年サンレモ音楽祭に出たBDMからシングル盤が出ています。

PA-45002 (1966年BDM, - BDM) Bluff/Non faccio miracoliが発売されています。

PA-45002PA-45002 PA-45005PA-45005

2枚目のシングル盤A面はオルランディ姉妹が作ったマカロニ・ウェスタン「10,000 Dollari per un Massacro (二匹の流れ者)」の主題曲、B面は知られたスタンダード曲でした。

PA-45005 (1966年BDM, - BDM) Basta Così/Stardusti (スターダスト)

67年スイスのカンツォーネ・音楽祭である10回チューリッヒ音楽祭(これが最終回)に作詞パオラ・オルランディ(Paola Orlandi)と作曲ノーラ・オルランディ(Nora Orlandi)の姉妹が作った"L'amore è come il sole"(3枚目のシングル盤)で出場しています。B面はトム・ジョーンズのヒット曲"思い出のグリーン・グラス)"です。4枚目が68年サンレモ音楽祭唯一の出場曲、オリエッタ・ベルディと歌った"愛はほほえみ(Tu che non sorridi mai)"でした。

PA-45008 (1967年BDM, - BDM) L'amore è come il sole/L'Erba Verde Di Casa Mia (GREEN GREEN GRASS OF HOME - 思い出のグリーン・グラス)

            PA-45008PA-45008

サンレモ音楽祭を最後にBDMからCARジュークボックスに移籍します。

2枚のシングルを出します。1枚目が66年英国映画「L'ereditiera di Singapore(A Matter of Innocence)」の主題曲。

CRJ・NP-1037 (1968年CAR Juke Box - CAR Juke Box) Mai come quel giorno (Pretty Polly)/Ti amo

CRJ・NP-1037 TLC・NP- 520TLC・NP- 520

TLC・NP- 520 (1970年Telerecord - CAR Juke Box) La casa dell'amore/Fiori blu fiori bianchi

歌手としての最後だと思います。約4年の沈黙後、ヴァイオリニストとしてP.A. (Produttori Associati)から復活です。

PA・NP-3235 (1974年P.A. - P.A.) In the Mood (イン・ザ・ムード)/Rock Around The Clock (ロック・アラウンド・ザ・クロック)

PA・NP-3235PA・NP-3235 PA・NP-3241PA・NP-3241

PA・NP-3241 (1975年P.A. - P.A.) Il padrino parte2°(ゴッドファーザー2)/ /Violino-ino

これは年間ヒット40位の大ヒット、代表作になりました。

PA・NP-3254 (1976年P.A. - P.A.) With a My Heart (Con Tutto Cuore)/Violino D'Amore

PA・NP-3254PA・NP-3254 PA・NP-3265PA・NP-3265

PA・NP-3265 (1977年P.A. - P.A.)  See You Later Alligator (シー・ユー・レター・アリゲーター)/Il più bel giorno di settembre

77年P.A.は倒産、カタログはリコルディに引継がれます。

SRL-10・887 (1978年Ricordi - Ricordi) Shake, Rattle and Roll (シェーク・ラトル・アンド・ロール)/Love Letters in the Sand (砂に書いたラブレター)

SRL-10・887SRL-10・887 CNE-004CNE-004

活躍はこの頃まで。4年ぶりのシングルですが、この後はアルバムのみとなります。

CNE-004 (1982年103 - Centotrei) The Thrill Of Being In Love /Incantevole

ピエルジョルジョ・ファリーナの国内盤はありません






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Last updated  2014.05.29 08:55:08
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