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肉や卵、乳製品など動物性の物が体に必要ないとはっきり結果の出る「人体実験」を行っています。被験者は、私。普段食べない動物性のものを食べるとどうなるのか?たまに摂取してみるのです。(たまに体に悪いものがどーしても食べたくなるから、とも言う。)結果はさんざんです。豚肉や牛肉は今日は食べてやる!と意気込んでみても。すでに量がたくさん食べられない。材料にしてたぶん50gも食べたらもう食べられない。胃が受け付けないという感じです。もういらないと思ってもそれを無視して食べると。以降4時間くらい、胃の中に食べたものがそのまま残っているような感じがして。むかむかと胸やけがする、(すいません)げっぷが何度も出る。翌日はなんだか体がむくんでいるような気もします。ああ食べるんじゃなかったなと毎度心から思う。(でもまたやる。)大昔はバーガーといったら○○、と気に入っていたあの店も。先日新メニューが気になって食べてみたら・・・やはり以降4時間は胸焼けとゲップ。ああ、昔好きだったこれもやっぱりもうだめだ。うれしいような寂しいような。乳製品については、牛乳はおなかを壊すのでかなり昔から飲んだことはなく。今も無理なので飲みません。(人体実験も無理。)チーズは以前は好きで(ワインのつまみに)いろんな種類のものを食べていましたけれど。あるときダンナがチーズフォンデュをする!と材料を突然買ってきてしまったことがあり。困ったなと思いつつも、食べることにしたのですが。これは本当に辛かった。溶けたチーズが胃の中で固まって残っているような苦しさ。脂汗の出る感じで何時間かを過ごしました。もう二度と家でやってくれるなとダンナに頼みました。ピザも同じようになるので、生地から作るダンナ自慢のピザも遠のきました。スーパーで売ってるコロッケは口に入れた瞬間はきっぽくなることも多々あり。揚げ油に何か?入っているのか。揚げたあとに何かかけてあるのか。もともと衣にはいっているのか・・・なんというか、食べ物じゃない何かを感じる、とでもいうか。とにかく不自然なものがかなり使われていると感じます。一度絶対あの「クオーターパウンダー」を人体実験してみたい!と思っているのだけれど。もしあれを食べたらどれだけ何時間苦しむかと思うとなかなか勇気がいる。よほど体調を整えてから挑まなければ・・・。しかし、以前体験したことのない、ものすごい結果が出せる!と思うとついついそそられてしまう。玄米にし、「粗食」にしてから約6年。マクロビオティックを実践しだし、動物性を摂らなくなっておよそ2年。たったこれだけの年数で体が「いらない」と意思表示をしているのがわかるようになった。それほどに、本当はいらなくて体が困っていた食品を日々食べ続けることで麻痺していたのだろうと思う。また動物性を摂らないと精神面も安定している。雑食時代にはあった意味なくイライラすることなどがなくなり。感覚が鋭くなったのもわかる。以前までは感じなかったことを感じられるようになったと思う。雑食によって惑わされていた感覚がもともと人間の持つ本来の感覚に戻った、ということだろうと思っている。弥生時代の日本の食は、玄米とひじきだったという。(娘の歴史の本に書いてあった♪)つい100年位前まで、ほぼそれを続けてきた日本。牛乳を毎日一定量飲み、たんぱく質不足にならないよう毎日肉類を何グラム。なぜそんな食事をしなければならないのか?一体いつから誰が何のために、そう言い出したのか。私が単発でする人体実験だけでなく。現代の日本人は日本人として初のものを食べ続ける人体実験を続けているようなもの・・・。自分の体も自分の家族の体も。守ることができるのは自分たちだけ。きちんと考えていきたいものです。40歳からの元気食「何を食べないか」“桜沢如一”ゼン・マクロビオティック☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2009年04月30日
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娘を学校に車で送っていく途中。前日に説明し理解したと思う問題をやってみました。クイズみたいに楽しめたらと思って。ところが。やりだしたらどうも理解していなかったらしい。昨日わかったはずなのに、なぜ?と思い。そして書いて説明したくても運転中で思うようにできずついイライラとしてしまいました。結局問題を解くことができぬまま学校に着き娘を車から下ろして、ひとり帰路に。運転しながら、どうやったらあの問題を簡単にわからせることができるだろうということで頭はいっぱいでした。しかしある地点まで来たとき、そこから車で5分ほどの池に急に行きたくなりました。娘のために、娘と二人で行くことはありましたが。一人で行ったことはなく、もちろん学校の送り迎えのときに一人で行こうなどと一度も思ったことのない、池。なぜかわからないけれど、行きたい。行こう。交差点を帰路とは反対方向へ進みました。池の駐車場に着き歩き出すと思いがけないほどの心地よさ。澄んだ空気、降り注ぐ朝の光。いつもいかない池のほとりを歩いてみると意外にも澄み切ったきれいな水が朝日に照らされきらきらと輝いていました。ああなんて穏やかで気持ちのいいところだろう。私は深呼吸をたくさんたくさんしました。近くを通りながら、朝のここのすばらしさを私は知らなかった。またいつか娘と一緒に朝のひとときをゆったりここで過ごせたらいいな。そんなことを思いながら池のほとりを歩いていました。さきほどの問題を理解させることをふと思い出しました。その問題は、てんびんで。りんごが何個と桃が何個とみかんが・・・というような最終的には何と何はいくつずつつりあうでしょう、という問題。さっき運転しながら考えていたときにはてんびんの問題がたくさん載った問題集は売っているかしら?などという考え方でした。しかし。光に輝く池の美しさを見た今。そもそもてんびんってもの自体を、わかっているのか?と思ってきました。一度娘と一緒に作ってやってみたことはありましたが。思い出してみれば確かあれは2歳の頃。本当に意味がわかってやっていたのかどうか。今やっている問題と、結びつけるのは無理に違いない・・・。じゃあ、天びんを作ろう。いや、娘に作ってもらおう。材料をそろえて、自分で考えて組み立ててもらおう。しかし。それでは一体どのくらい時間かかることか。・・・。別に今日中にわかる必要はないじゃないか。何時間かかってもいいし。何日かかってもいいじゃないか。自分で工夫して作ってこそ構造がわかりどう使えばいいのかも理解できるってもんでしょ。ちゃんとてんびんとして使えるものができるまで一体どんなことをやってくれるのか、楽しみだわ。・・・そんなことをゆったりとした景色と空気の中で思いました。池を出て店に寄り、30cmの直定規と目玉クリップをかって家に帰りました。学校から帰ってきて、娘に、問題。「一円玉とA4の紙、どっちが重いと思う?」娘は「ん~、紙?かなぁ・・・。」どうしてそう思うの?「ん~・・・紙のほうが重そうだから・・・。」では、これで確かめてみてください。ここにあるものを使えば、二つの重さが比べられるよ。「え?これで?・・・どうやって??」考えてごらん。ママはさっきやってみてこれでできたよ。「え~、どうしたらいいんだろ」さっそくいろいろと組み合わせ始めました。買った定規と目玉クリップのほかに竹串一本とビニール袋二枚を一緒においておきました。なんだかんだといいながら、いろんなことをやっています。竹串にビニール袋をくるくると巻いてみたり。定規の端に開いている穴に竹串を刺してみたり。そのうち定規の真ん中あたりにクリップをつけシーソーみたいに立たせようとしてちゃんと立たないよ~!と言ってみたり。その悩みながらいろんなことをやっている娘の姿は本当に、おもしろい。少しはなれたところから見ている私はその娘の悩む姿が楽しくて仕方ありませんでした。そして、こんなことを子供とやって、それがこんなに楽しいと思うなんて。七田式をやってるからこそだよね。普通こんなことできないだろうなぁ。さすが七田式だよね。やっててよかったよ。などと思っていたのでした。結局長い時間悩んだ末、ちょっとずつヒントを出し。それでも悩み悩み試行錯誤で。娘はやっと二つの重さを比べることのできる道具を作り出すことができました。その出来上がったときのうれしそうな顔。そしてそれで重さ比べができ、答えがわかったときの喜びよう・・・。わかるようになるうれしさって、これだ!と本当に思いました。てんびんができあがったので、それを使って一円玉より紙のほうが重いことがわかり。一円玉何枚と紙一枚が同じ重さかもわかり。そのほかいろんなものの重さ比べをしつりあう物と数を探し。てんびんにかけていない二つの種類のものをかけたらいくつずつなら釣り合うかの予測ができるようになり。実際にやってみて、あっている、と理解することができるようになりました。このところついつい時間がない、やることはほかにもたくさんある、との思いで。できるだけ早く簡単にわからせようと思うようになっていたとこのことで感じました。学校の宿題も2年になって増え。教室の宿題もあるし、記憶チャレンジもある。やることはたくさんあるんだからと。でも。てんびんの問題など、今わかっている必要もないし理解するのは明日でも、来年でも再来年でも何の問題もないこと。なのに早く理解させてしまおうなどと思ってしまった。理解できないことが出てきたときこそがチャンスだったはず。わからないことがわかるようになる楽しみを知る絶好のチャンスだったのだ・・・。カリカリしながら考えていた私がなぜか池に行き、心を沈め。時間をかけて自分で考えて理解する、その手助けをすることの楽しさを思い出した。なんていい一日を過ごすことができたのだろう。その日の深夜、七田先生の訃報が私のPCに届いていたのでした。午前2時頃にお亡くなりになった七田先生。こんなすごい方は、ただ亡くなったりしない。きっとものすごい何かを世の中に放出したのだろうと思う。ものすごく強い、愛のエネルギーを花火のように天に向かって放出しそれが光になって降り注ぎ。求めている人に届いた・・・私が朝池で心地よい何かを受け取っていたのは亡くなられたわずか数時間後。きっと七田先生の最後に放出された愛のエネルギーが降り注ぎ私にも届いたから、あんなにも穏やかに心地よくすべてが美しく見えたのだと・・・そんな風に感じます。あのときのすばらしい感覚を池で感じた心地よさを、私は絶対忘れたくない。「何をあせっているんですか。ゆっくりでいいんですよ。お子さんの様子をよく見てあげてください。すばらしい顔をして楽しんでいますよ。それが一番大事なんですよ。」と言葉ではない何かを確かに、感じたのです。きっとあの日、地球上でいろんな人が同じようなことを感じたに違いありません。そして、もしかしたら今もまだ先生が放った愛のエネルギーは降り注いでいて必要な人に届いているかもしれません。しちだ式をやっていて本当によかったと感じたあの日は。その朝七田先生が亡くなられた日でした。ありがとうございました。いただいたこの愛は一生忘れません。七田眞先生、ありがとうございました。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆訳あってしばらくどうしても書けなかったここを再開できたのも、あの日22日でした。いろいろと考えては胸を痛めていたのですが書いたらいいじゃない、という何かとても素直な気持ちになって、再開することができました。これからもどうぞよろしくお願いいたします。
2009年04月25日
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七田眞先生がお亡くなりになったことを知って以来。いろんなことを考えたり思い出したりしています。とにかく感謝の心でいっぱいで。この感謝をできるだけたくさん七田先生の魂のところに届けよう、と思っています。(今は天へ上昇の最中?それともまだこっちでいろんなところを見に行っていらっしゃる?)しちだのHPに「七田眞が何より願っていた、子どもたちの高い志を育てていくことで、冥福をご一緒にお祈りしていただけると幸いです。」とあるように。しっかりと、幸せな子育てをしてすばらしい人間に育った子供たちが世のために活躍している姿を天から見ていただくことこそ恩返しであり、最良の供養であると感じます。冥福を祈る、の冥福とは冥土での幸福、ということなのでしょうか。あちらに行ってからの幸せを祈るということですから天から見ていて、ああよかったと思っていただける生き方をこれからしていかなければならないと言うことでしょう。自分の子供を正しく育てるのはもちろん周りにいる人たちにも心を使い、声をかけみんなが幸せになるよう努力していきたいと思いました。昨日は訃報を聞きいてもたってもいられずしちだのお教室にお花を持っていきました。とにかく感謝の気持ちで。このお教室に通えることになったのも。ここですばらしい先生方にお会いできたのも。しちだっ子とそのご家族とお会いできたのも。すべて七田先生がいてくださったからこそで。ここに通うすべての生徒や家族とそして先生方も一緒にここで七田先生に感謝したいと思いました。日本中のものすごくたくさんの人が今七田先生に感謝の気持ちを届けていると思うと。人のために一生懸命尽くされた方というのは本当にすごいと思いました。すごい、としか言いようがない。きっともう人間修行は終えられたと思うので。今度は神様のもとで働く神様グループ(と私はよんでいる)で指導なさるお仕事でもされるのではなどとと思っています。きっといつご自分がいなくなっても大丈夫なようにといろんなことをお考えになっていらしたでしょう。でももし、言い忘れたことを思い出したり。どうしてもこれも伝えておきたいと思うようなことがでてきたら。先生、いつでも私の体を使ってくださいね!書くすべと時間と伝える場所(ココ)はありますしある程度の基礎知識は、ありますから・・・。七田先生本当にありがとうございました。魂の遍歴☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2009年04月24日
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娘が生まれてから、七田眞先生のお言葉とともに生きてきたように思います。子育てに際し私が最も感銘を受け、多くのことを学び心から尊敬している七田眞先生。七田先生がいらっしゃらなければ今の私たち家族はいません。娘が英語を話せるのも、たくさんの本を読んで心豊かに生きているのも。優しくすばらしい人間に育っているのも。みんな七田先生のお言葉があったからこそ。私が子育てを心から楽しみ、学ぶことができ世のためとなるすばらしい人間を社会に送り出すすばらしい使命であることに気づくことができたのも。すべて七田眞先生のおかげです。もう新しく先生のお言葉を目や耳にすることはできないと思うと寂しいですが。これからはきっと天から私たちの心を支え気づかせ、お導きくださると思います。七田眞先生、本当に本当にありがとうございました。心より感謝しています。☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆七田眞先生が永眠されました。どうぞ安らかに・・・合掌。
2009年04月23日
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先日久保田カヨ子さんがTVに出演されているのを見ました。0歳から脳を育てることの大事さを説いておられる方です。この方の本はうちにもありますし。ご主人の久保田競氏は脳の専門家です。15年かもっと前、私は脳に興味を持ち久保田競氏の本も何冊か読み漁ったことがありました。シナプスだのニューロンだの、当時は熱心に覚えたものです。なのでこのカヨコ氏の書かれていることは脳科学的にも裏付けられているのだろうと思っていました。 テレビでおっしゃっていた7か条。娘が生まれてから私が心がけてきたことととても共通していました。娘へのお教育は1歳半くらいから熱心にしだした、と最近の記憶では思っていたのですが。0歳のときからこんなことを心がけていたのだと改めて思い出すことができました。とにかく常によく話しかけていました。ベビーカーに乗せて歩いているときもずっと私は娘にしゃべっていました。対面式ではないので、聞いているのかどうか表情も見ることはできなかったけれどきっとしっかり聞いて取り込んでいると信じていました。もちろんオムツを替えるときや、授乳のときも。幼児語は一切使いませんでした。カヨ子さんは、幼児語は後でまた大人の言葉を覚えなおさなければならないからただの無駄だ、とおっしゃってました。まさに私もそう思っていて。「自動車」「お食事」など普通に大人が使う言葉を使ってました。よその方が連れている散歩中の犬を見て「犬!」というとなんだか呼び捨てしているみたいで申し訳なかったので「犬さん」と呼んでいました。「わんわん」「にゃんにゃん」すら使いませんでした。母や親戚には、幼児語はこの子には通じないので使わないで欲しいと頼んでもいました。 子供の服はカラフルなものを着せていました。これは私が子供の頃に灰色や茶色ばかり着せられとても嫌だったということもあって。できるだけきれいな色の服を選んで着せていました。まだ娘が生まれて一ヶ月以内のことだと思いますがこの時期にいろんな色を見せるとよいと本に書いてあったのを読み。さっそく娘の寝ている頭の上にはっきりした色を何色も使ってモビールを作って吊るしました。探しに行って買うよりも、作った方が早いしなによりこういうものと思い描いたものを手に入れることができるからです。今から思えばこれが娘への手作り教材?の第一号でした。ずいぶん長い間、娘の寝ている頭上に下げてありました。息を吹きかけてまわしてあげるといつも熱心にずっと見ていたのを思い出します。今でもこの吊るしたピースはどこかにとってあると思います。 どっちが好きか質問していました。写真や絵本の絵などを見ているときもこれとこれでどっちが好きかと聞いていたし。洋服は必ず今日はこれとこれのどっちにするかと二つ以上の選択肢を作って聞いて選ばせていました。今から思うと「どっちがいい?」が私の娘への口癖のようになっており。今でも娘にそう聞くことが多いように思います。意思もしっかりしてきたころからは「なんで?」と理由も聞くようにしていました。 繰り返しして、期待させるようにしていました。カヨ子氏はいないないばぁをたくさんするようにとおっしゃっていました。私はとにかく同じことを繰り返しやって次はこうなる、と記憶させて。それを期待して待たせる、ということをしていました。いないないばぁなら、いないいないの後に、かならずばぁ~!が来ると覚えさせ。覚えたら「いないいない」・・・で待たせる。その待たせる時間を次第に長くして期待して待たせるようにしていました。期待して待っている間はずっと集中しているわけですから集中力がつくのにも役立ったのだと思います。結果を予測させ、期待させ、集中させるという訓練でした。もちろん、期待して待つ時間が長ければ長いほど「ばぁ~!」の瞬間はうれしそうでしたしいつもきゃっきゃと笑っていたように思います。 うちにあるカヨ子氏の本は↓すぐれた脳に育てるご主人との共著のこの一冊。今開いてみてもあまり読んだ記憶もなく。目次を見る限り、幼児語を使わないなどという項目もない。あまりに共通しているのでこの方の本を私は娘が生まれたばかりの頃に読んだのだろう、とテレビを見ながら思ったのですが。どうもそうでもないらしい・・・。当時とにかく育児に関する本、特に能力を育てることが書いてある本は何百冊読んだかわからない。そのたくさんの本からインプットした情報が私の頭の中に作り出した、赤ちゃんと一緒にいるときに心がけるべきこと。それは、カヨ子氏が何十年も前に作り出したものととてもよく似ていました。テレビを見ながら娘が0歳のときに何をしていたのかたくさん思い出すことができ。また娘のために正しいことをしてきたのだと思いとてもうれしくなりました。 「子育てほどおもしろいものはない!」と番組でカヨ子氏。私もずっとそう思ってきました。本当に。「自分の子供は、実験台だ!」とカヨ子氏。私も何度もそう思ってきました。実は。カヨ子氏は、今は子育て中のお母さん方にアドバイスをしたりなさっておられるのでしょう。あんなにパワフルで熱心な方が近くにいてくれればお母さん方も自信を持って子育てができて。0歳教育も疑いもなく、人に隠すこともなく楽しくできることでしょう。私もあんな素敵な人になりたい!と番組を見ていて思いました。先ほどHPを見てみましたところカヨ子氏のお教室は申し込み多数でしばらくは受け付けないとのことでした。きっとTVで話されていたカヨ子氏の言葉は多くの人の心に響いたのでしょうね。子育ては将来のリーダーを育てること。どんな大切な役割を果たす人になるのか。そう思うと本当にわくわくします。子育ては本当に楽しくすばらしい天からいただいた大切なお役目なのだと思います。久保田カヨ子様、お元気でいつまでも世の中のためにがんばってくださいませ。すばらしい力をTVを通して送ってくださりありがとうございました。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ふ~ん、と思ったら・・・→人気blogランキング いつもありがとう!☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2009年04月22日
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