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昨日新居に移転しました古い住居の引越しには四十数年の垢が幾重にもたまっていてどうすることが出来ませんでしたそのほとんどが買いなおしかありませんでしたでも新居の住み心地がよくて寝過ごして島しました。朝の風景が一変していたことは当たり前ですが、町のど真ん中にもかかわらず静かだった、自分の機器類は未だですが少しずつ移動したいと思っています
2009.06.20
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牛に引かれて宇宙少年団へ宇宙を知ろう。科学を知ろう。地球を知ろう。なーんって今更宇宙を知らなければならないのだろう。子供たちの為に指導者を養成するということで昨日は一日カンズメで古川まで最後はペットボトルでのロッケット制作、発射までそのほかの身近なものでのロッケット制作、発射まで、子供になった気持ちで遊んだ。子供たちの指導なんて出来るんだろうか。一緒になって遊ぶのか。それもいいのかな。7月22日は皆既日食である。東北では部分日食だが、関心はあった。また、天体観測でも考えようかな。孫と一緒にね。
2009.05.31
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牛に引かれて善光寺参り我が家の寺の関係でどうしても参加してほしいとやむを得ず参加した北陸道からおおよそ6時間の行程で長野市へ寺の境内の中にある食堂で食事回向柱へつくまでやく1時間30分、100mくらいの参道を人にもまれながら回向柱に触るのは数秒、ただお疲れの参拝でした月曜日ながらこの人出には7年に一度の事だからだそうでありがたくお参りした次第ですその日は渋温泉で一泊、酒盛りでした。下戸の私もわずかながら飲んで酔いました渋温泉の見所は外湯で9番湯まであるようでとても熱い湯でした。さすが9箇所は回れませんでしたが情緒ある温泉でした。
2009.05.28
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朝からとても暑い。本当の五月晴れなのだろう。田んぼでは田植えがほとんど終わり水面に光の反射がキラキラしてまぶしい。畦にはカエルがその水面に飛び込んでは波の輪を画く遠くではカエルの合唱が聞こえる。黄色いタンポポが緑の中でとても鮮やかに映える。新芽の芽生えた山々は四季の中でとても綺麗だ。家の前の大きなケヤキにも若葉が生えて緑の山になった。そこを吹き抜ける風がサヤサヤとささやくように聞こえる。日中の暑さの中でケヤキの木陰がとても気持ちいい。こんなケヤキを移植できないだろうか。20mを超え、葉張りはやはり20m近いのだろう。とても無理か。私と生きてきたケヤキがとても好きである。
2009.05.19
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気がつくと5月の連休が始まっていた。昨年からカキコする気がうせていたので、見ることもなくすごしたが観客が静かになったので書いてみました。これにつられてオバケ共がまた出てきたらつぶします。建築中の住宅がようやく姿になってきた。来月中にも完成かとも思われる。今の家よりはずっと快適になる。ただ公民館の真後ろでイベントがあるときはかなりうるさいかもしれない。今、孫が幼稚園に通っている。障害者の彼には単独の先生がついてくれているのでありがたいとはいえそんなことには関係なく広い園内を走り回っている姿を見るにつれ、あの辛かった手術が成功したことを感謝しなければなるまい。
2009.04.29
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今から16年前になるが、ホームステーで町に来た少女が久しぶりに来日した。インド系で褐色肌がとてもきれいで、それにもまして真っ白い歯が笑顔によく似合った少女だった。空港から出てきた彼女は少女時代と少しも変わらない笑顔で我々に抱きついて挨拶をした。クアラルンプールから来た。とてもすばらしい町である。3年前に再会してきたから特に懐かしくはないが、彼女にとっては16年ぶりだから懐かしいのだ。そういえば彼女とであったときからこれだけ長い付き合いはないだろう。彼女が始めて来日してから2年後、4人でクアラルンプールを訪ねた。ツインタワーがまだ建築中だった。3年後にはそれは完成していた。緑がきれいな都市で、治安もよく夜間照明がこれほどまで豊かな国はないと思った。彼女もキャリアウーマンで関西に商用で来日した。仕事の内容はいまいちわからなかったが金融関係と理解した。部下を2名従えての来日だが、こちらには彼女一人で来たのである。彼女の父も金融関係で、母はラサール高校で講師、妹は弁護士で結婚をしている。弟も同じで裁判官をしているという。14年前凧揚げで遊んだ弟が、今では立派な男になっていた。休みはこの連休までだが、日本の田舎で体を休めてほしいと思う。今晩は歓迎会がある
2008.11.22
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何年ぶりだろうか、定期バスに乗るなんて同じ路線を町境まで4往復(16km)程度で概ね20分、そこを乗ったり降りたりした天気は心地よいほど晴れ上がった秋空を眺めながらのんびりと・・・と言いたいのだが仕事である。町は町内を巡る路線バスに年間5000万円を支払いながら路線バスを運行させている。そのバス会社も昨年会社更生法で運営している。ある意味で町民の足になっているのだが、いまいち評判がよろしくない。町は有識者を集めて今後のあり方を模索している。その会合に私も出席している。今回そのバスの乗降客調査となったのである。昼から夕暮れまで、計9本のバスに乗ることになったのではあるが、一人から七人ほどでそのほとんどが老人と学生だけだった。何年使用しているバスなのだろうかサスペンションがはなはだ悪い、腰が痛くなった。これからどんな交通機関がいいのか、どんな経路がいいのか、また運営方法はどうする課などを話し合っていかなければならない。私もいつかは免許書を返上しなくてはならない。よい交通手段を考えてみよう
2008.10.24
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気がついてみると、晩秋に入ろうとしている。それでも日中はやたらと暑かったりもするが、確実に朝晩の温度差から冬がち被いていることが感じられる。この一ヶ月の間、甥っ子の結婚式があり、コスキンが盛大に行われたりした。その結末と言っていいのか、私の家族間での従兄弟の一番下が未だ55歳で突然死であっけなくなくなった。その彼はカメラマンであり、映像クリエーターと休みなく県内外を走り回っていた。甥っ子の結婚式にもカメラマンとして重い撮影機を肩に担いで走り回っていた。その映像が一週間前に届いたばかり、編集してCDになっていた。55歳にしては童顔で笑顔が似合う好青年(壮年)でもあった。葬式も会社葬として執り行われ600名もの参列者があった。親戚の中でもこれにはびっくり、人は死んでからその偉大さがわかるものである。兎に角豪快に笑う男だった。 合掌還暦コンペは仕事が入ってキャンセルになった。遊びより仕事が大事である。2万円の会費のほうが痛かった。
2008.10.22
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暑さ寒さも彼岸までとはよく言ったもので、すっかり季節は秋になってきた。もう半そでは長袖に替えてしまった。ところが愚妻の言うことには「新しいのを買わなくちゃ」と先日の休みに孫と娘と3人で出かけていった。買ってきたのは全部孫のものである。親になれば仕方ない、当たり前でもある、秋と言えばコスキンの季節でもある。来月の11日から13日まで開催される。ここ数日、打ち合わせが相次いでいるが心配事は資金繰り、ある程度の寄付は抱けでは出来ないので14,15年前からは行政側でも支援しているが、いつまで続くのが心配である。規模もこれ以上は伸びていない。出演者数で156グループが今年の数である。祭りとしては難しいが町全体には広がらない。それでも近年は各地からグループで聴きに来てくれているが嬉しいかも・・・今年は地元出身者(東京)がバス2台で来町するし、私が属するグループでも志津川から来るという。これの接待に忙しくなりそうだ。これが過ぎて16日はこのグループで「還暦コンペ」が開催される。総勢50人のグループで6人が今年の還暦者であるが、数が多いのは団塊世代の23年生まれが多いせいなのか。ゴルフはここ7,8年やめていたのでうまく打てるだろうか。また、ゴルフセットは錆ついていないだろうか、心配でもある。兎に角、来月は忙しい
2008.09.30
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この頃、漸く暑さが遠のいたのと秋風が吹き始めた。大雨で日本全国いらいら続きだったがそれも秋晴れのような天気でフォットした。今日は地元紙の主催で来年のNHKの大河ドラマ「天地人」の作者の講演会がある火坂雅志氏がその地元紙に連載していたからで、本人も新潟の出身で未だ若い。正直、講演会にあわせて本を買ったが以外に面白かった。直江兼続(なおえかねつぐ)がその主人公である。上杉謙信は余りにも有名で何度もドラマ化もされた。しかし、直江兼続はその後の上杉家の若い(21歳)家老だったと言うことしか知らなかった後にあの徳川家康をも悩ませた軍師としても活躍している。最近、これらの脇役にも光が当てられている。主役は誰でも関心があり、書くことに事欠かないのが作家にはよかったが、それでは本として売れないので脇役に光を当てることにしたのだろう。兎に角呼んでみてからではあるが、面白かった。その作者にその話も聞けるのである。楽しみに行ってこよう。
2008.09.10
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毎年の事ながら焼き鳥の日本一にチャレンジしているわが町の紹介しよう一本の竹で長さを競っている。当然限りはあるのだがいつまで続けるつもりなのだろう。町おこしで「シャモ」を売り出して25年以上になる。その流れから焼き鳥なのだが、一般的には焼き鳥は15cmが普通なのだが20m近くにもなると圧巻である。確か山口と競り合っているのではないかと思う。そういえば街には焼き鳥屋は少ない。専門店は皆無である。1軒だけがうまい焼き鳥を提供しているが「シャモ」ではない。「シャモ」を利用した料理はある程度存在している。中でもシャモラーメンはうまいと思う。親子丼もある。当日にはそれらの店が出展する。そんな当日30日であるが夜の6時からコスキンの全日本選手権も行われる。今年は何校が出るんだろうか。楽しみでもある。
2008.08.29
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夏祭りで楽しみなのが花火ではないだろうか。わが町でも20年前に復活した花火が盆の中日の夜を楽しませてくれた。わずか40分程度の花火でも我が家からも綺麗に見えた。一昨年の夏、やつれた体で最後の花火を見ていた父、後姿が今はない。経済の不況でもみんなで見れる楽しみもあっていいのだろう。昨日は母方のふるさと仙台を訪れ各家を回って線香を手向けてきた。この母も90歳である。後何年続けられるだろう。帰りに最近出来たモール街を見てきた。孫のコーチャンが広い店内で走り回っていた。帰途に着いた車の中で愚妻の手の中で眠り込んでいた。この孫のふるさとはこれから先どう変わるんだろうか。何世代も超えて気づいてきた国である、街である。家について孫と一緒に線香花火に火を付けた。火花を散らしながら見る孫の顔には喜びがあふれていた
2008.08.18
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2,3日前の暑さも今は涼しい。寒気が張り出したせいなのだろう。昨日、先祖の墓参りを母と亡き父に手を合わせた。お盆ももうじきである。暑さの中で北京のオリンピックが始まった。張りぼてのオリンピックだと思う。歴史的な町並みも、市民の苦しさも隠してのオリンピックだ。それにしても素晴らしい開会式だった。でもそれらも何かむなしい気がする。広大な中国、三国志の面々も今は昔、いかに思うや。その三国演義もGYAOで放送している。毎日楽しみにしている毎日である。そんな中で20000を越えていた。これからもがんばろう
2008.08.11
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なんとも間が悪いと言うか、昨夜の地震。それにしても大きかった。睡眠中でいきなり「ドスン」ときた。その後は30秒以上はガサガサとゆれていた。当然ながら「ドスン」で跳ね起きた。おきてからテレビの警報が鳴った。正直言って今回は以前の地震より怖かった。本当に家が壊れるかと思ったほどである。玄関を開けて飛び出したが空はどんより曇ったあまぞれであった。テレビでの報道には震度4とあったが、5ではないかと・・・一瞬頭をよぎったのは東京かとも感じた。予想外ともいえる場所なので驚いてもいるがいつ何処で起きるなんてわからない。それにしても真夏の真夜中の出来事だった。
2008.07.24
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毎日暑い日が続きます。夜も寝苦しい毎日が続きます。3日前から今度は福島県を中心に大きな地震が続いています。人事のように思っていた地震が毎日のように起こります。以前から関東地震を心配して毎日のように気象庁のHPを覗いていました。次女が東京に10年前から住んでいるので「早く帰ってこ」と心配すると、「何が起ころうとも田舎にはかえらない」と言う。親の心配は通じませんね。1923年の地震から86年を経て東海、東南海の地震が心配されている。当時の環境と似てきたと心配している今日この頃だ。国は被害想定を11000人の犠牲者が出ると言っているが、とてもそうは思わない。むしろもっと多いのではと思う。親族や友人が多い東京、ここ数年いつも心配しているが・・・前兆があるごとに心配していては愚妻に笑われる。東京での親族の結婚式にもこんな心配をしている、私は異常なのかな。寝苦しい一夜のたわごとでした。今日もお葬式である。
2008.07.23
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暑いね。今朝早く、孫を連れて散歩でした。暑い性か余り歩こうとしません。しまいにはオンブと言う始末で、仕方なし二背中におんぶした。16kgもあればさすがにきつい。1Kmあるところをテクテクと途中で休みながら空を見た。太陽に日傘があった。明日には天気が崩れるだろう。流れる汗を気にしながら我が家へ、疲れた。町から頼りがあった。以前に募集があった、生活交通計画策定委員会に幾許かの提案していたのが確定したらしい。今年1年、何度かの委員会に出席しなければならない。考えてみれば過疎化になった町である。地元のタクシーもつぶれたし、交通機関も手を引いた。やむを得ず公共交通が必要になってくる。補助金に頼ってばかりは出来ないのだが・・・ガソリンも高くなったし環境問題もあるが電気自動車は買えないしね。どう考えたらいいんだろう。シャワーでも浴びて少し昼寝でもしよーと
2008.07.15
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暫らくコスキンについて書いていなかったので、報告します本年度の開催日は10月11日~13日となります。ゲストは未だ決まっていませんがアルゼンチンからの演奏家であることは間違いのないことではないかと思っています。なお、パレードはますます盛り上がることかと思います。各企業が大きく参加を希望していることです。年々盛大になるパレードを盛り上げたいと思っています。これは役所が入手したことですが、次年度の教科書(小学校4年生~)の音楽の教科書にも教科書制作会社3社のうち2社が取り上げていることです。本当ならこれらの行事が全国に注目されることがこれらを執り行っているものに大きな弾みになることだと思っています。また、8月30日(?)には全国大学選手権が開催されます。昨年は3校とちょっとさびしかったけれども大変盛り上がりました。いずれにしろコスキンはこの町に根づいた文化だと思っています.それではまた
2008.07.02
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久しぶりと言うか、再度の穴もぐりというか、恥ずかしい限りである。一言で言えばずぼらな「くま」ですね。別に忙しかったわけじゃなかったのにね。孫守でくたくたです。とは言い訳でしょうか。夜の寝るのが早くなりましてパソコンに集中できませんでした。兎に角申し訳ありません。その中でも還暦同級会が盛大に盛り上がりました。5月14日、あの地震でして東京組みから何度となく電話が入りまして、ようやくこられた同級生もこられなかった同級生もいました。とても残念だったと思いますよ。過ぎてしまえば恥ずかしくもないがコスキンの演奏にのって女装して踊ってしまいました。アナハズカシヤ明日からは7月、どんな夏が来るのやら・・・孫のコーチャンは海に行きたいと言っています。水に入るのはあまり怖がらないようです。さて、クマもようやく年金がもらえるようになりましたが、わずかの金額にがっかり、遊びすぎたのか、地方のサラリーの少なさのせいなのか、頭が痛い。格差社会をうらみます。ジオラマの50回も来月になりました。だが作っているところがないので暫らくはお蔵入りです。「うなぎ」さんのようには行きませんね。自作するにはどのようにするのかな。ほとんどがキットで打っているんでしょうね。また暫らく穴に入りたいと思います。それでは
2008.06.30
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昨日と今日はすばらしい天気でした。来週には桜が咲くでしょうね。ところで昨日、以前から計画していた孫の誕生と私の三歳下の弟家族と一緒に誕生祝いと言って隣町の宿泊施設に泊り込んだ。総勢10人と孫が一同に集まった。かくいう私も4月の誕生日である。東京からも下の娘が帰ってきて一緒に飲めない私へしばらくぶりに飲めという。しばらくすると私に娘が大きな包みもの手渡して「今、着て下さいと」包みの中から赤いちゃんちゃんこが出てきた。瞬間、一同から「還暦、おめでとう」と突然祝ってくれた。以前から還暦は祝ってくれるのかな、と冗談で話したことがあったが、何か催促したようでちょっと恥ずかしい。でも気持ちよく祝ってもらった。6月には同級生で還暦の同窓会を企画していて、120名ほどが集まる予定だ。どんなに変わっただろうか。楽しみだと思う。
2008.04.06
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今朝から雪になりました道理で朝の3時ころ寒さのため起きてしまいました。とても寒いです。日曜日に自治会で近所にある公園の飾り付けをしたようです。町の中で桜の名所になっています。福島でもいわき市が開花したと放送していました。確実に春は近づいています。町には3ヵ所の桜の名所があるが、自宅から20分のところにある「駒さくら」が特に有名です。1本の桜ながら山すそに咲く桜です。周辺は菜の花畑で桜とそのコントラストがとてもきれいです。三春には滝ざくらが有名ですが、まだ見たことがありません。福島市には桜ではありませんが数多くの春の花が咲いています。内外に有名になりました。できたら写真でも撮ってこようと思っています。ここに掲載できるかな・・・
2008.03.31
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今日また歴史の一ページが消えた。織物の町として生糸をを精練する作業場が倒産した。精練と言っても生糸は今はほとんどない織り上げた生地の検査場としての氏名しかなくなったものであるが明治以降、わが町を支えてきた企業でもあった。人は町村合併を拒否した町の報いだと言うが、これも時代の流れなのだろうと思う。本当の意味で地場産業のあり方を考えず、己の企業のみを生かそうとした結果なのだろう。どうして共同して新たな生き残り策を考察しなかったためなのだろう。昨日、82歳の老人の別れの宴に招かれた。これも企業の倒産による一家離散の犠牲なのだろう彼の息子さんは1年ほど前に自殺した。会社の倒産が原因だと言う。一人残された彼は近くの施設に4月より入所すると言う。プライバシーを考慮した個室型の施設だと言う。そのことに何の憂いもないと彼は言う。ある会合で10年来の先輩であり友人でもあった彼である。健康でどうぞ長生きしてくださいと分かれた出会いと別れは時代が変わっても必ずあるものだ。自分も人に惜しまれながらその別れに向かいたいものである。
2008.03.23
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暫らくぶりです。孫のコーちゃんももうじき4歳である。今は狭い我が家をいたずらし放題である。早く広い家に入りたいなと思うこのごろです。ゆっくり遊ばせてやりたい。住宅の着工は来月中旬だろうか。出来上がりは9月末になるだろうか。今日は本当に春日和だった。毎日のように散歩に出るが、今日は本当に薄着になった川の土手沿いにコーちゃんと歩く、枯れ葉の中にも蕗の薹が芽を出したり、名前は知らないが紫色の本当に小さい花が生えていた。小川はきらきらひかり、ちょろちょろと流れ、その流れの中にも春の暖かさを感じるそんな、小川の脇の細い道をヨチヨチ歩く後姿を追いながら散歩した日影の中での水溜りへは面白がって入っていき、わざと足踏みする。はねる水がズボンにかかってもかまわない。それが彼には面白いのだろう。今までは手をつないでまっすぐ帰ってきたのが、「一人で」と自由に歩く、自我の目覚めなのだろう。彼にとっては同年代から比べると1歳半は違う、オシメも未だ取れない。でも、うるさいくらいに言葉が出てくる。そしてテレビの番組のまねをする。赤いほっぺのコーちゃんでした
2008.03.11
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今朝は珍しく雪景色、寒い中娘を迎えに行く車があっても自分では滅多に運転しない娘である。今年はこの彼女の従兄弟達の結婚式が集中する。つまり私にとって甥や姪の結婚式のラッシュである。今日は私の甥の結婚式に関して相手先に弟と出向いた常日頃、大酒のみの弟だが今日ばかりはそんな姿は見せられず、いささか大人しい。相手方の釣り談義に相づちを打ちながら酒の飲めない私はひたすら奥さんの手料理を頂いた結婚する二人は1年の同居をして彼女の誕生日でもある3月3日に入籍をと・・・それには結納も急がなくてはと弟は相手方に打診するが「めんどくさい結納はやめて式を急いでは」と余りに気軽に考えている。嫁さんは何箇所かの式場を下見して来たらしくパンフレットを広げた「好きなとこにしなさい」と相手方の旦那さんが娘の要望にやさしい。そう言えば私の娘のときはずいぶん反対したものだったのが、今度の親父さんはとても慣用である。簡単に同棲をさせてくれたのにもいささか私と考え方が違う。私の甥は余程好かれたのだろう。私の目にも口数が少ない、かなりの好青年に見えるのだが私より7歳年下の親父さんだった。そうそう、言い忘れた。嫁さんのことを書くのを忘れた。・・・・・・表現できない。とても可愛いよ。稔(私の甥)いい嫁さん見つけたな
2008.01.14
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正月、5日が過ぎ、6日に突然テレビが壊れた。コンセントに負荷がかかりすぎてショートしたのが原因である。以前にも同じことが・・・正月早々、縁起でもない話だが仕方がない。形あるもの壊れるのが当たり前である。娘婿が実家にある古いテレビを持ち込んだがこれも映らない。仕方なく買い込みに行ってきたがほとんどが一般のテレビは値段的には安いが後3年後に迫るデジタル化に売りは液晶、プラズマが広い売り場で華々しく売っている。売り子も一般テレビは進めない。仕方なく24インチの小さいものを買い込んだ5,6年前では高かったこれらのテレビも安くなったものですね。とりあえず、UHFで繋いだ。BSアンテナは2階で止めてあるので後からにした画面は小さいがさすがに綺麗だ。家が出来たらと思っていたがこの小さいテレビは2階で使おうと考えている。それにしても軽いものである。愚妻が気軽に持ち上げて言った。「軽いね」「接続はお父さんね」と勝手に言うのである。使わないときはPCに接続しようと・・・独り言
2008.01.07
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暮れだと言うのにこの暖かさはどうなのだろうか。でも、明日からは寒くなると言うのだが・・・とりあえず今年の反省からブログはまったくと言って書けていない。毎日とは行かなくて月2,3度は書きたかった。半年もブランクがあったからか今もってもわからない。仕事も本当に少なかったわけだし、一日何をしていたのだろうか。何度も計画していたのに結果的に仕事になっていない。つまりお金が入らないわけだ。その割に町民税、健康保険料が大きかった。これも自立の弊害か。愚妻も、娘も今までよりも3倍も違っていた。それでも父の1周忌も出来たし、何とか暮らせたことに、感謝来年は何かいいことあるかも・・・ところでわが町の宣伝だが1月2日PM6:05~6:50ニュースをはさんで7:30~8:45間での間で全国各県2箇所の市町村を30秒間放送される。私は出ていませんが電話での投票がされるという。内容はやっぱりコスキンで私の同級生の女史(オバサン、素敵なお姉さま)が衣装作りをそして踊りを紹介するらしい。現場を見たわけでないのでどんな内容かわかりませんが見てください。そしてお願いですが電話の投票も出来たらお願いいたしますそれではよいお年を・・・ガソリンがもっと安くなりますように仕事がありますように孫が元気で遊べますように新しい住宅が出来ますようにそして宝くじが・・・無理だね
2007.12.29
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昨日は父の命日でした。母と一緒に寒い中、父の墓前で新しい花を挿して手を合わせました。あの日も寒く、よく晴れわった空がとても綺麗でした。苦労に苦労で家族を支えることに必死でした。孫娘の結婚式には元気で、孫娘の花嫁姿を目を細めて慶んでいたのです。ひ孫が出来た頃は病床にいました。孫娘が生まれた頃は私よりも早く風呂に入れるのが日課でしたが、ひ孫は抱くことも風呂に入れること出来ませんでした。それでもコーちゃんから頭をなでられると細い目にうっすらと涙が流れていたのを私だけが見ることがあったのです。今は亡き父に合掌
2007.12.23
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昨夜、遅く娘の介護施設へ迎えに行った。これらの施設で働く人々は大変だと思う。どんな状態であれ残業は3時間以上は勉強会と称して働く、当然賃金には反映されないつまり、労働条件が最悪な状態でもある。夜が遅くになると女性の帰宅は心配と必ずと言って、迎えに行く。昨夜も同様に迎えて、帰宅することになったが、大通りの交差点に差し掛かり、対向車が左折しようとしていたので交差点中央で停車した。その時、軽い衝撃が、それでも娘は前のめりになり、あわててシートベルトにしがみついた。すかさす携帯で警察に電話していた。「追突されました」と、しかし後ろのバンパーには損傷はなく「損傷がないからいいです」と言うと「それは事故ですから待っててください」と、待つこと30分、寒い中待った。正直、こんなことで時間をとられたくなく、寒いし早く帰りたかった。現場検証に立ち会ったが、被害者の私が「損傷もないし、人身に傷もないのだから、もうやめましょう」と言うと「それじゃ、車で待っててください」と言われたが最後まで震えながら待つこと1時間もかかった。「お宅は被害者だから帰っていいよ」と言われて帰った。今年はこの車には不幸せなことが多かった。駐車場での当て逃げが2度もあったことだ。見積もりに出したら25万と出た。とりあえず金が出来るまで待つことにした。来年は車の修理を考えて仕事をしなければならないかもしれない。アァー、やんなっちゃうな
2007.12.21
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昨日からの雪で今朝は表は雪景色、すっかりコタツから抜けることができません。もうクマも冬眠の時期になったのだろうか。仕事場を離れてコタツからモバイルを使っての書き込みをしています。明日は昨年なくなった父の1周忌、墓の掃除に雪の中を行こうとして車のタイヤを交換しにスタンドへ、今日の予約はもう終わったとつれない返事、お墓の掃除は明日の朝にした。道路の雪はすっかり消えたが、寒さは相変わらず寒い。ここ数年でもかなり早い初雪であった孫のコーちゃんと買い物へ、長靴を買ってやった。喜びながら店の中を我が物顔で走り回って追いかけるのには苦労した。棚から勝手に取り出しては運び出して、それを取り上げては戻しての繰り返しが何度かして、本人が疲れたところを担いで車に戻した。子守が仕事のひとつになった。
2007.11.22
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いやはや寒くなってきた、と言いながら本当に久しぶりに書き込むことが出来た9月まで暑かった性か10月に入ると完全に気力がなくなった。体がだるくてしょうがないのである。3ヶ月ぶりにブログを開くことが出来た。仕事はと言えば完全に休眠状態で、6月からの法律改正でまったく仕事が進まないのとちょっとでも変更が出ると再度のやり直しと言うおまけがつく真性に数ヶ月もかかるとクライアントが手を引いてしまってやり損が出てしまう。そんなことがあって仕事に実が入らず、気が抜けた感じである。我が家はやっとのこと敷地の契約が出来て図面の作業に入っているが、同様に気力がないのである。都市のせいにするには未だ早いのだが、いささかこの仕事に夢がなくなってきたような気がする。ともあれ気を入れて早く完成しなければなるまい。最近鉄道模型のジオラマが発売しているので買い始めた。子供の頃本当に興味があったことなのでこれだけに限らず老後の楽しみにしていけたらと思っている。新しい家が出来たら今の家でのんびりと作っていこう孫のコーちゃんは昨年の退院から1年が過ぎて私との散歩でも、「一人で」と言いながら私の手を解いて一人歩きはじめた。成長したのかな。寒くなって雪の上をどんな風に歩くのだろうか楽しみでもある。小さな長靴を買わなければ・・・とりあえず近況まで・・・
2007.11.11
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台風のせいか生暖かい風がどんよりと曇った空から吹いている。昨年暮れになくなった父の新盆がもうじき、38年もの間何事も無かったので何もかもが新しいものにしなければならず、盆だなや提灯を新しいものにした出費は15万円ほどである。正月も旧正月から変わったのは私が生まれた頃だがお盆だけは旧のままだ。そういえばひな祭りも五月の節句も旧で行われる。でもこの方がなんとなく合うのだろう。ともあれ、お客さんの来訪が多すぎて仕事にならない。この時期に突然仕事が入った。サルスベリのピンクの花がとても素敵だ。ケーナの音色が盆踊りに混じって聞こえるのもいいものだ。13日夕方、迎え盆、コーちゃんといっしょに提灯をともしながら父を無かに行くつもりだが墓の前での小さな手で祈る孫を父は喜ぶだろうか。
2007.08.04
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お久しぶりになります梅雨明けが待ち遠しい季節になりました。孫のコーちゃんも日々成長しております。昨年の手術から1年が過ぎてまるで何事もなかったように家の中を走り回っています。参議院選挙で自民党が惨敗したことでもわかるように地方の衰退は顕著になっています。友人の一人が車の中で「今度自己破産するから驚かないでくれ」と話した。余り突然でしたが彼の商売は建設業です。親から受け継いで20年余り、何度かの危機はあったものの一向に景気の上昇はなかった。地方にある事業所の衰退は東京ではわからない。大きい名の通ったものに対しては保護や助成があるが、小さなものには容赦がない。それでも再度のチャレンジが出来ると彼は明るくつぶやいた。空元気のようにも聞こえたが還暦を迎えるてのチャレンジはとても厳しいだろう。元気であることを祈らざるを得ない。とりあえず私は未だ仕事があり、引退は考えていないが年金が入るまで仕事は続けたい。そんな建築の設計には若い人は遠慮する。サラリーが安いからだ。それに責任が重くなっている。個人経営のこれらの事務所には後継者がすくない。苦労の多い職業で親が嫌うからだ。私の子供は介護士と看護士としてそれぞれ働いている。なぜかわが本棚の専門書はそれを見てくれる子供たちはいなくなった。さびしい限りである。これも年寄りのたわごとだろうか。
2007.07.31
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6月なのに季節が変わったのだろうかとき降る雨の激しいこと、それにもまして激しい雷が人を驚かす。まるで梅雨が明ける時期に似ている。昨日、コスキンの例会があり、監事になった。ところで今年のコスキンに変化があり夏バージョンがが加わることになった。8月25日、全日本大学選手権と銘うった新しいフェステバルが開催される。北は秋田大学から京都、岡山の大学が集まると言う。未だその参加大学は決まっていない。そこにゲストとしてフォルクローレの日本で唯一のプロ、「MAYA」(マヤ)が出演することになった。その日は恒例のシャモ祭りがあり、ジャンボ焼き鳥などが開催される。秋の本番は10月6日~8日と決まった。特に催しの特徴は未だ発表されていない。アルゼンチンからのゲストも決まっていない。パレードには雨が降らないといいのだが・・・我が家の建設が未だめどが立っていない。場所は決まっているのだが売買のための名義変更ができていないのだ。どうも今年のコスキンには間に合わないだろう。ちょっと残念である
2007.06.07
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今日は雨です。お外が大好きなコーちゃんも今日は残念でした。いつもは近くのゲートボール場で誰もいない時間に一人で歩かせるのが夕方の日課になっていますが、夕方まで雨が上がるといいね。でも遊びはどんなものでも遊べるのです。はさみを取り出しては新聞でも何でも手当たり次第に切り込みます。全部をきることはないのですが大事な書類はとても近くに置けません。最近は米びつと言っても古いものではなく計測器のついたものですが投入口がもう手の届く範囲になってそこから勝手に何でも投入してしまいます。愚妻が数日前に届いた封書が見当たらず、ずいぶん探したのですが、偶然にもコーちゃんが投入口に人形を投入したことで発覚、次々と出てきた。封書は元論、新聞チラシが続々と出てきた。次にやったのは勝手にお米を出してしまった。愚妻や母がやることを見ての犯行で、ストッパーのボタンまでもずらしてしまうので、今では米びつにはなっていない。袋から所定の数量を取ってくるようになったという。次第に知恵をつけてくるコーちゃん、次は何を・・・
2007.05.02
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昨日はとても暑い一日だったが今日はうって変わって最高気温が10度も下がった。曇り空ながら雨模様にはならず、時々日も射す陽気で午前中には娘婿が耕してくれた畑をひとまわりしてジャガイモとネギの作付けをしてきた午後、3月に彼岸に十二分にお参りできなかった墓参りを母と二人で行ってきた。もう寒くはないが人気のない墓地は温かみを感じられない。特に目立つのは真新しい墓標が余りにも多いことだけだ。以前、墓石の設計もしてみたが、もっと味のある墓石があってもいいのではないだろうか常々思う。墓石の色だって何で黒が多いんだろう。と考えながら草をとっていた。母は墓石を丁寧に拭いて、持ってきた花束から「この色が合うのかな」と言いながらわずかな花を何度となく取り替えながら線香に火をつけていた。帰り道、遠回りして山間の旨いコーヒー店までドライブした。ところがあいにくと休みだった母と笑いながら「残念だね」と帰りにローソンで缶コーヒーと団子を食べながら帰った。時にはいいことをしたのかな。なくなった父もきっと笑っているだろう。
2007.05.01
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昨夜、栃木よりつかれきった体を投げ出すように玄関に入った。「お帰り」、と娘たちが珍しくもそろって玄関に出てきた。孫のコーちゃんが「オメデトー」と出迎えた。娘から教わったのか、たどたどしいでもとても可愛いと思った今日は私の誕生日だった、還暦前の59歳、所謂団塊世代でもある。今更ながら誕生日の祝いなどされたくもないが、娘がケーキを買ってきてくれた悪い気はしないが、何かにかこつけて買い込んで来ては娘が先にケーキに手をつけた。今月は3日に孫のコーちゃんの3歳の誕生日で同じようにケーキを買っている。それは善いとしても、私までは行き過ぎではないかと思いつつビールで乾杯した。来年の赤いちゃんちゃんこだけは勘弁してほしいと家族の前でお願いした。それなら、赤いシャツでもとは・・・トホホ歳などとりたくもない。また、明日は栃木に、3日連続とは・・・疲れるな
2007.04.25
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昨日より町村議会議員選挙戦が始まった。4年ごとのお祭りだ。私もある候補の責任者である。でも余りの仕事の忙しさに形だけとお願いした。いつものことながら選車で町中をがなりながら走るのはたとえウグイス嬢が呼びかけても幾度となく通ると騒害だと思う。当然選挙活動に借り出される人たちも休暇をとりながらの援助に他ならない。当然のことながら老人主体になってくる。ある意味で滑稽にそれらは映る。迷惑以外の何者でもない。戦後の選挙戦からほとんどこの形態は変わらないのではないだろうか。これだけ情報設備が多くなっている時代に何かの変革は・・・と考える。話は変わるがそんな選挙戦の最中、携帯に電話がなった。「東京の大内です」と、大学の後輩のようである。5年前に娘が東京でお世話になった。今この地にいるとのこと、お会いできませんか、と・・・とりあえずその場に急いだ。車から町職員の顔見知りのH氏が、大内と60代後半と思われる老人と町の車から出た。「久しぶり」と声かけながら、一人の老人を紹介された。東京在住だがある計画で現在の住まいを出ることになり、この地を選んだと言う。町長が東京事務所長時代に親交があったY氏である。彼はシルク地を芸術品に仕上げるいわゆる芸術家でバリ島にも現在住まいを建築中だという。生活は日本の寒い日はバリ島で生活して、5月頃から10月頃までこの地で生活、活動をしたいと言う。所謂Iターンだ。この地で月5万円の家賃である家を借りた。そこの便所や水周りを直したいと言う。大内は「先輩にお願いしていきたいんですがどうでしょうか」いやおうもなく了解した。バリ島の家が完成した暁にはご招待したいと言う。妙な出会いであるが、ありがたくお受けした。何れはこの町を芸術の町にと昔から考えていた。できたらそんな住まいは無料にすべきだとも思うが町の現在の経済情勢ではそれも無理だろう。ともあれこれも至宝の出会いと感じたしだいである
2007.04.18
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ようやくひとつの区切りを終えた。建築設計にとってクライアントの意を汲んで建物概要の成果品を収め、建築業者を呼んで設計の内容を説明して建設する最初のお仕事だ。福島から栃木へ何度往復しただろうか。紅葉の季節、那須の山が赤くなり、雪が降って正月を迎えた。6ヶ月もかかった。当初の設計料からは足が出た。でもクライアントが指名してくれたことがうれいしので、ある程度は我慢しなければならない。それにこれはただの序の口だとも思っている。朝、5時に我が家を出発して栃木に夕方の6時半まで拘束された。帰宅は夜の10時である。ある程度の充足感があった。遅い風呂に入り、疲れきった体はすぐには寝付けないもどかしさにイラつきながら寝入った。今日は地方紙で100回目のコラムを書いた文章の「100期の会」が二本松の岳温泉で集まる。4ヶ月20人が6回の持分で書いたコラムである。そして暫らくぶりの再開である。そのコラムを文集として作成した。そのお披露目でもある。他の19人と比較されるのがとても怖いが仕方がない。自分の文才のなさが露呈する。とても自慢して人に見せることはできない。でもこれも人生の中の一ページとして残るのが自分としてはとても嬉しいのだが・・・
2007.04.14
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こちらでもようやく満開の桜が山の色を変えている。まだ若葉は芽吹かないけれど針葉樹の松ノ木がバックにあり、お寺を中心に多くの桜が咲いた。機構も春めいてきて我が家のコーちゃんも動きが活発になっている。確かに男の子だむちゃくちゃなことが好きで飯台の上には上ると立ち上がり両手を万歳する。決まって愚妻から大きな声が飛ぶ。だめだよと言ってもやめることはない。先日、とうとう飯台からこけた。したたか頭をぶったようで母が心配して私の仕事場に電話をよこす。電話の向こうでは泣き叫ぶ孫の声がする。こうやって仕事はしばしば中断してしまう。結局、私の手をとって階段に誘う。上に登れというのだろうが一歩、一歩膝を折りながら登っていく。仕事場の階で手押し車を押すことがいつもの日課だ。もう3歳の彼にはちょっと小さいが生まれたとき買ってやったものが好きなのだ今はパソコンの側で手を出してはいたずらする。そのたびにやはりパソコンは中断だが、彼のことを書いているとを今は知らない。外はいい天気である。愚妻が孫のお手をとって外へ連れ出した。
2007.04.11
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「お父さん助けてーーー」と共に水が噴出すような音が聞こえた。娘の引越しが30日に横浜から川崎にするはずだった。愚妻も早朝から出かけていた。「水栓がとまらないの、どうしたらいいの。助けて」「蛇口なら廻して止めなさい」「廻すとこがないの」その間もジャーと水音が続く「近くの人に助けを求めなさい」「そうする」と電話は切れた。それでも床は水浸しであるとりあえず車に乗った。無茶な話だ。東京はおろか横浜、川崎など行ったことがないのである小道具を乗せて出発した。カーナビだけが頼りである。一目散に高速道を飛ばした。15時に出て、19時についた。まだ引越しの最中だった。引越し屋が遅れたらしい。中に入ったら水害の後はないにもない。アパートも初めてなので事情がなかなか飲み込めなかったが1ルームマンションと言われるもので玄関に炊事場があるやつだ。洗濯機を取り外したら噴水でどこを締めたらいいのかわからなかったと言う。そういう場合は元栓をとめるのが初めてでもともと全自動で繋がっている訳だからそのまま外せば水があふれるのは当たり前、無知と言うか、はたまたバカかと、笑った。引越し屋は「私たちに任せてくれれば」といささか苦笑していた。「遅れるのが悪い」とはいわなかった。引越し先の川崎でその洗濯機が入らないと言うアクシデントが起こった。引越し屋が引き取って行った。まだ4年しかしてないものである。奥行きが45センチしかないと言う。常識外の寸法である。洗濯機パンが小さいのである。設計屋としては驚いた。22時取り合えず収納した。荷物の山の中で娘と愚妻で寝た。初めてのことで、嬉しいやら恥ずかしいやら、でも疲れで寝込んでしまった。翌日、元のアパートでお詫びの挨拶回りして、愚妻とドライブしながら帰宅した。豪雨の中での運転は大変疲れた。もう行かない。行きたくない。
2007.04.01
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看護婦と言うと懐かしいが、看護師は今もってもなじめないでいる私である。こんなことを書くとご婦人から猛反発される。高校生の頃、盲腸で手術をした経験があり、当時の看護婦さんに患部を中心に毛をそられて大変恥ずかしい思いと若い看護婦さんに淡い恋心を持ったのも今は懐かしい。ととと・・・こんなことを書くつもりでタイトルを考えたのではない。実は先日卒業した娘の看護師試験の発表があり、娘から「受かったよ」との嬉しい電話、晴れて看護師になった。長い9年間だった。田舎から東京へ送る途中、「受からなかったら、田舎に帰って来い」と、娘も「そうだね」受かったのは嬉しい、でも田舎に帰ってきてもほしいとも勝手な理屈をつける親父でした
2007.03.27
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昨日の地震は場所はわからないまでも予知していたリンクがある。金曜日のことイオン濃度が極端に多くなったことが報告されていた。ただし場所は測定できないし、測定地点がかなり離れていたことが、いまいちわからない点であるらしい。ほとんどが関東大地震を眼中におきながら測定しているため、関東地方を注意していた。川崎より帰宅していた娘に土曜日、日曜日は避けるようにと言って笑われたが能登とは大きな隔たりがあった。それにしてもいつ地震があってもおかしくはないところに住んでいる訳だから注意だけはしたい。被害にあわれた能登地方の人々にはお見舞い申し上げます。
2007.03.26
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今日は娘の卒業式である、と子供たち最後の卒業になった。愚妻が楽しそうに出かけた。「俺も行こうか」「あんたはだめ」と問答の末出かけた小学校から数えると6回目の卒業である。東京で4年生の大学へ、そこを卒業して次の年に看護大学へ、これまた4年で計9年もの仕送りである。我々夫婦も疲れた。金も底をついた本人曰く、「学校も飽きたね、早く社会人になりたいね」と・・・バカーーとも言いたい。とりあえず看護師になった。ある公立の病院に決まっている後は先日受けた看護師試験が受かったかどうかである。とりあえずホーーとした。一番印象に残るのが小学校の卒業式のときかもしれない。PTAで役員をしていたときだけが私の出席できた卒業式である。後はすべて愚妻である。入学式と桜はよく似合うがこれからは卒業式に桜が咲くかもしれない。変だろうかよかったな○○ちゃん、お前もようやく社会人だ。オメデトウ、父より
2007.03.07
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暖かい日が続いたと思ったら、ちょっとの寒さでも余計に寒さを感じるものなのですね。昨日、愚妻が病院から「これから帰るから迎えに来て」と、昼を少し回った時間である「どうしたの」と聞くと「あーちゃんの風邪うつったよ」あーちゃんとは娘である。今でも子供の呼び方が変わらない。子離れしないのかな。娘は数日前からインフルエンザで介護施設を休んでいる。孫のコーちゃんも風邪で3日前に病院へ、息子は2週間前に花粉症といいながら実は風邪だった。息子が源であった。近所のお葬式を終えた母が「寒気がする」と帰ってきた。その母も熱があると寝込んでしまった。結局、私一人が健在であるが、毎年のパターンで最後にまとめてそれらをいただくことになる。ありがたくないことではある。インフルエンザのあーちゃん(いけね。愚妻がうつったか)が例のタミフルを服用して発疹ができたと騒いでいた。そんな時TVでインフルエンザ服用事故が報じられた。因果関係はわからないとは厚生省の大臣である。兎に角、うつらない様に気をつけよう
2007.03.02
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ノートパソコンキーボードがおかしくなって非常用にキーボード買ってきた。ノートのキーは意外と壊れやすいのだということだ。過去に直してもらったが意外と多額の金額だったので直すのをあきらめ1980円の安物に変えてみた。割と楽な感じである。暫らくは間に合うだろう。先日、赤ちゃんポストが認められるらしいとTVが報じていたが、この時代、この日本でこんなものが必要だとはとても思えない。一方で経済大国といいながら少子化も進んで小児らへの親による虐待も日常茶飯事だ。虐待=死亡も少なくない。そんな意味では赤ちゃんポストもある意味から必要なのかもしれない。しかし、どうしても時代錯誤に映る。育てられないからとそんな簡単に預けられるのだろうか。何か手立てはないものだろうか。我が家に振り返ってみると確かに赤ちゃんに関する費用は馬鹿にならない。若い我が家の娘たちにその費用は重い。結局手お出さざるをえなかった。これが2から3人ともなればことさら大変なのは目に見えてる。共稼ぎになる。子供を預けるところがあればいいが、不可能に近い親にすがることができるものはいいが、かなり少ないと思う。少子化はいずれにしろ直らないし、進行するかもしれない。赤ちゃんポストは間引きか。こんなもの必要のない世の中になってもらいたいものだ。ともあれわが町でも小学生6年生まで医療費が無料になった。
2007.02.26
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黒川氏が都知事に出馬した。建築家としては有名だがタレントではない。大きな知名度はないと思う。彼が出馬にあたって遷都論を持ち出したことに注目した石原氏の遷都無用論と真っ向から立ち向かう姿勢だ。我々、建築を目指したものはある程度の都市計画は学ぶし、考える。そして実践もする黒川氏は世界各国で建築や都市の計画を手がけてる。そんな彼が日本の新しい首都を考えようとするのは当然だろう。今の東京は都市の上に年を重ねていったに過ぎない。絵に描いたようにはなっていないし、 むしろスプロール化さへしているように感じる。高層化したビル群、それを縫うように走るハイウエー、増えすぎる人口、満員の電車でも通勤、通学・・・異常すぎる都市の肥大化、非常時における都市機能の低下、等など、もう手の施しようのない都市になっている。もっとスリムにするには人口の分散、企業の分散、首都機能の移転を考えるのが必然だろう。黒川氏はそんなところを考えての立候補なのだろう。がんばってほしい。
2007.02.23
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余りの暖かさにつられて孫の手をとって川端を歩いていると川面もキラキラ光ってコーちゃんもまぶしくて目を細めてましたようやく歩けるようになって童謡のミーちゃん(?)と同じように朝になるとせがんで困っています。仕事のないときは200m程度の散歩は最近の日課になっています最近、お年寄りの群がるゲートボールに興味あるようでその前で10分程度見ています風のない日にはじっとしいていても汗ばんできます。道端のふきのとうもずいぶん大きくなりました。タンポポも芽を出してしまうかもコーちゃんの目にはこんな春がどのように見えているのかな
2007.02.20
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今日、父の四十九日と百か日の法要をお寺でお願いしました。朝から雪が降っていました。わずかですが積もった。墓石にもうっすら残っていました。線香の香りが白い雪にしみこんでいくような気がしました。心地よいジャスミンのお線香です。今はいろんな香りのするお線香があるんですね。四十九日が過ぎると人は忘れてしまうと人はいいますが、父との思い出は忘れることができません。父が座っていた座布団は今では私が座っています。一生忘れないように
2007.02.04
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松の内が明けて10日以降、8人の告別式に参列した。余りにも多すぎてうんざりしていた。大変失礼なことだが・・・大往生されるご老人が多いことなのかもしれない。因みにわが町は過疎地域に入る。老人が多いのも当たり前だ。今週は隣組に越してきた家族の老人がなくなった。隣組で葬式の手配をしている矢先、救急車がそのお隣に入った。結局、救急車は空車で戻っていった。隣のご老人も亡くなられた。連日の葬式になった。そんな中で友人から電話が・・・10年前、隣の市から若者が越してきた。ケーナを覚えるためだった今ではグループにはなくてはならないまでに上達していた。今年には高校生になる娘さんと毎週練習に励んでいた。43歳、働き盛りだが、鋼材をホークリフトで積み下ろしをしている最中荷崩れでその下敷きになり即死したと言う。明日、告別式だ。買い物に小さなお子さんを連れていた奥さんが可哀想だし小さな子供たちも哀れでならない。涙の告別式だろう。ケーナの音色も今度ばかりは悲しく聞こえることだろう。明るいニュースが少ない。このブログにも余り書きたくないことだが・・・
2007.01.27
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ようやく落ち着いた。22日、孫を病院に連れて行った。診察途中、愚妻からTELあり地元の病院にしていた父が危篤だという取り急ぎ診察を早めて地元の病院に駆けつけたでも、間に合わなかった。母が取りすがって、泣きながら父にわびていた。近所の組長にとりあえず近所のまとめを頼んだ。23日、お通夜24日、告別式と、一通り終わった。87年の人生、私にとって偉大な父が逝った。今は泣き叫ぶような木枯らしが窓越しに聞こえる。2006年は終わろうとしている。忘れられない年になった。後片付けの娘が私を呼んでいる。ふがいない父である
2006.12.29
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あるメールが飛び込んだ「シニア倶楽部」からである。1月8日放送の「1000人の団塊世代」という番組が4時間の放送枠で放映されるそのお誘いのメールだった。とりあえずその収録が12月17日に行われる。その参加のエントリーに挑戦、夜10時過ぎにNHKよりメールが来た。パソコンの設定したら接続可能と出た。どんなものかとりあえず挑戦したいと思う。写真も送れとのことであるので掲載されたら少々不安だ。
2006.12.12
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