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2010年07月31日
XML

2-5. Web Hopper

2-3.gif

これはなんだと思いますか?

これは「Web Hopper」というプロジェクトです。インターネットを通じて、日本から海外のウェブサイトを巡っている複数の人々の姿を可視化している、ライブ・グラフィックスです。

ウェブページを見ている私たちは、それぞれ独りで行動しているように思っている。しかし目に見えないだけで、インターネットという空間の中を、複数の他者が同時にウロウロしているわけです。そんな有様を映し出す鏡を、インターネットの上に置いてみようと考えました。このリフレクターは同時に、インターネットという環境が、北半球に偏ったシステムである、という事実も描き出しています。

あらゆる近代のシステムには、洗練されていくに従ってインフラや構造を隠蔽し、ブラックボックス化してゆく傾向があります。しかし、それは本当の洗練なのでしょうか。
デザインの最大の目的は、人の「生きる力」を最大限に引き出すことだと思います。しかし、近代はこうしたブラックボックス化を通じて、人々を「生きる人」でなく、単なる「ユーザ」や「消費者」に限定してきました。これは、人間をスポイルしてしまう行為だと私は思います。

3. 「そのものになる」ことのデザイン
3-1. 風鈴


「Senseware」がどういうものか、理解してもらえたでしょうか。こうした「Senseware」の古典的な一例が"風鈴"です。英語で言うWind bellですね。

"風鈴"という装置のインターフェイスデザインには、一考の価値がある。風鈴の面白さは、それが、音色の美しさそのものを楽しむための楽器ではない点にあります。その傾向は日本の風鈴に特に顕著で、楽器的な性質が、海外のWind-bellよりも低いように思われます。

風鈴が表現しているのは、音そのものではなく、「風が吹いている」という事実です。庭に面した軒先に吊された風鈴は、暑い夏の日、軒下を流れる風の存在を伝えます。この時、部屋の奥にいる人は、「ああ、風が吹いている」と、イメージの中で涼を取る。そして同時に、数秒後には部屋の奥へ到達するその風を待ち受け、無意識に肌の感度が少し上がる。風鈴とは、五感とイマジネーションを駆使して外界の情報を享受させる、複合的な「Senseware」の好例なのです。

私は"風鈴"という「Senseware」を生み出した昔の人を、尊敬してやみません。冒頭で私は、「デザインとは、インターフェイスすることであって、インターフェイスをつくることではない」と言いました。そして、「しかしそのインターフェイスに、人を拘束してしまうようなデザインが多い」と指摘しました。この点において、"風鈴"のさり気ないデザインは、群を抜いてよく出来ています。

モダンデザインのパイオニアの一人に、イタリアのアッキレ・カスティリオーニがいます。以前彼は、こんなことを言っていました。「レストランに行くと、テーブルに置いてあるデキャンタ。あれは、ゆるやかなカーブを描いていますね。しかし、ワインをグラスに注ぐ人が、そのカーブに気付いてしまうようなら、そのデザインは失敗なのです」。

私はインターフェイスデザインにおいても、カスティリオーニの意見に賛成です。インタラクションデザインが究極的に目指す地点は、「そのものになる」という全体的な経験のデザインでしょう。私が考えるインラクティビティとは、ユーザが何か働きかけると、何か別のイベントが起こるといったことではありません。「そのものになる」という経験です。

たとえばそれは、フォークのデザインではなく、「食べる」という経験の全体をデザインすることに等しい。「『食べるになる』、をデザインする」とでも言えば良いでしょうか。「Senseware」が目的としている「感じること」も、まさにその全体性を必要としています。したがって私たちは、「Senseware」でインタラクションデザインを極めなければならない。しかし、これがなかなか難しい。

3-2. BeWare02: Satellite

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これは、「BeWare02: Satellite」というプロジェクトです。インターネットに繋がったライブのオブジェで、センソリウムではじめてつくった物質的なインスタレーションです。

高さ80cmほどの、9cm×160cmのプレートの上に、地球の周りを周回している気象衛星からの最新の画像が投影されています。その画像は、衛星の飛翔速度でジリジリとスクロールしています。このベルト状の情報空間には、約102分間に相当する地球一周分のデータが表示されています。そしてプレートの表面を触ると、それぞれの場所の温度が、手のひらを通じて伝わってきます。
誰もが知っているように、「触ること(Touching)」はとても強力で重要な感覚回路です。この領域は、デジタルなインターフェイスデザインにおける、次のフロンティアなのだと私は思う。

温度は、気象衛星の赤外線画像を解析することでデータ生成し、プレートの内側にあるペルチエ素子を制御することで表現されています。

このインスタレーションは、1997年秋にリンツのアルス・エレクトロニカではじめて公開され、シーグラフ98やモントリオールのビエンナーレを巡回した後、現在東京のICC、Inter Commnication Centerというミュージアムで、日本ではじめての展示を行っています。

実際に触ってみると、冷たい場所が多い。それは、地球がおもに雲に覆われた天体だからです。不思議な面白さがあるプロジェクトです。機会があれば、ぜひ体験してください。とは言え、情報デザイン的な見地から評価すると、おそらく課題の多いプロジェクトでしょう。

床面には、プレート上の帯が地球のどの部分に該当するかを表示するグラフィックが自動生成されているのですが、「触ってみてください」とのインストラクションに従って、プレート面ではなく、床の方をタッチする人も時折いる。情報構造も複雑で、私たちは情報空間の秩序をゼロから構築することの難しさを痛感しました。

しかしモニターやキーボードといった、現在の標準的なコンピューティングの端末環境を離れたい、という欲求も強かったのです。パーソナルコンピュータは、「何かをする(つくる)」ための環境であることを強くアフォードしています。しかし「Senseware」の目的は「感じること」です。それは先にも触れた通り「そのものになる」ことなので、コンピュータの持っている環境特性と「Senseware」の目的のズレによる、ストレスが発生しやすい。

モニター・キーボード・マウスといった標準的なインターフェイスも、実は過渡期的な一形態に過ぎないのではないでしょうか。インターネットの端末が、現在のパーソナルコンピュータに限定される必要はない。実際、ページャーやセルラーフォンなど、新しいインターネットの端末は登場しつつあります。

また、ネットワークという技術は、まだ表現として二度目の誕生を迎えるまでの端境期にいると思います。たとえば、シネマトグラフという活写技術は、現在「映画」と呼ばれる表現に定着するのに、30~40年の年月を必要とした。またその途中段階において、「映画」以外のものとしても育つ、様々な可能性を内包していました。
現在のインターネットは、技術としては生まれたけど、表現としてはまだ誕生していない。そのような段階のデザインに必要とされるのは、成熟ではなく「探索」と「実験」です。そして、コンピュータやインターネットに関わるすべての人が、未だその渦中にいると思う。私たちは、この新しい表現分野に探検者として参加できることの喜びを、忘れてはいけない。

「BeWare」は、そんなことを考えつつ模索された実験の一つでした。最終的なゴールは、(たとえば)インターネットに繋がったライブの教育機器です。知識でなく経験を提供するミュージアムプロダクトや、教室で使われる教具に発展させたいと考えています

4. conclusion

「Senseware」というカテゴリーのプロトタイプを、いくつかご紹介しました。またその紹介を通じて、インフォメーションデザインや、インタラクションデザインに関する、自分の見解を述べてきました。

「デザインとは、インターフェイスすることであって、インターフェイスをつくることではない」ということ。「インタラクションデザインの究極の目標は、『そのものになる』という経験のデザインである」こと。そして、「そのインタラクションが完成した時、『ユーザ』という概念は消失する」ということです。

ユーザとデザイナーという二分。ユーザとモノという二分。このような分離のない、全体的な経験をデザインすることが重要だと思います。より具体的に言えば、「ユーザ」という言葉をデザインの過程で使うことに、警戒心を持つべきです。

私の次の目標は「Senseware」について、センソリウムでのラボ的な実験と、商品としてのプロダクトアウトを、同時に進めていくことです。センソリウムのプロジェクト群は、メディアアートの分野で紹介されることが多いのですが、アートの領域にとどまってはいけないと思っている。何か共にコラボレーションできる機会があれば、ぜひ声をかけてください。

最後になりましたが、これらのプロジェクトは、個人の作者によるものではありません。センソリウムの仲間達は、東京に暮らす、それぞれ異なる職能を持った人間の集まりです。すべてのプロジェクトは、音楽家やグラフィックデザイナー、文化人類学者やプログラマーなど、異分野のメンバーによる協働作業の結果なのです。プランニング・ディレクターの立場から個人的な意見も多く語りましたが、これらの成果は優れた異才の集まりによって、形を成したものです。彼らに対する尊敬と感謝を、ここで表明させてください。

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ありがとうございました。






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最終更新日  2010年07月31日 19時44分17秒
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