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2005年01月09日
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カテゴリ: フランスのこと
25日目。

この日から京都へ出発。義母とその夫に私がつきそう形になった。
忙しい朝になるので、前日に洗面所を使う時間をきめておいたのに、
そんなこと無視して私の夫が仕事に出かけるや否や、
義母たちは起きてきて、あっという間に洗面所を占領されてしまった。

まあ、いいけどね。早く準備が終わればそれに越したことはない。

楽しみにしていた新幹線。彼らは新幹線とは言わずTGVと言う。
綺麗で広い車内。礼儀正しい乗務員やショップスタッフに義母たちは感激していた。
TGVとは比べて欲しくないくらいだ。


日本の良いところ、悪いところ理解しているようだった。
しかし「郷に入れば郷に従え」を実践することはなかった。

もちろん彼女はフランス人だから、日本人のように振舞う必要はない。
だが、義母たちが来日して3週間目に入っているのに、
最低限のマナーやルールを守ろうとしない義母に私は少々苛立ちを感じていた。

一番ひどいのは食事のマナーだった。
義母の夫は、私がマナーを教えてあげると素直に従うし、
そんなに目だって悪いことはしなかった。
だが義母はなぜだかわからないけど、態度が大きくて振る舞いが悪い。

私は何回か正しい食べ方などを教えてあげたが、そのたびに義母は反論した。
自分はこの方が食べやすいから、この方法で食べるというのだ。



そんなことの繰り返しだった。

で、昼食は京都駅の地下街で「トンカツ定食」。

せっかく京都に来たのだからと、おばんざいや湯豆腐、お好み焼きを薦めたが、
義母は洋食(それもトンカツ系ばっかり)しか食べたがらなかった。

その後、東寺に行って見学。


夕食は3人とも「なすとトマトのドリア」。せっかくの京都なのに、、。

26日目。
この日は1日バス観光のツアーにでかけた。
「平安神宮」→「嵐山」
嵐山で100分の時間をもらって、天竜寺と嵯峨野を散策し昼食になった。

そこで世にも恐ろしい嫁姑戦争が勃発したのである。

今でも思い出すと、振るえが止まらない。

事の発端は本当に些細なことだった。
それまで私と義母は仲良くやっていた。精神面でも彼女の気持ちは理解できていたつもりだった。

ただ私の中にはやはり、義母に対する苦手感はあった。
彼女は慈悲深いがとても感情的で、しばしば大きな声を出す。
人の目など気にせず、どこでも大声で口論できてしまう。

人の目を気にする私とは、まるで反対の人である。

たとえば、スーパーの中ですごい混雑しているときに
息子と話しながら買い物していたことがあった。
何かのきっかけで義母が息子に怒鳴り始めた。
周りに人が沢山いて、混雑しているにもかかわらず、
平気で足をとめて、他の買い物客の迷惑になってしまった。

レストランで皆で食事をするときも、
箸を使う必要のない洋食に他の人の分の箸を使ってしまい困らせたり、
味を見る前から何にでもタバスコを掛け捲ったり、、、。
まあ、他人様に迷惑がかからなければよいのだけれど、、。

ただ、見ていて気持ちの良いものではない。
しかも、私が教えてあげても必ず義母は自分を正当化してえばっている。
あまりにひどいときは「これはやらないでください。マナー違反です。」と言うが、
「私はそんな習慣知らないし、あなたが教えてくれないからわからない。」と返される。
私は注意してあげてますよ、
あなたが勝手に自分のやり方を押し通しているんでしょうよ。
気の弱い私は心の中でしか、言えなかった。

そんなことが3週間分繰り返されていたので、ついに嵐山で切れてしまった。

たしかトンカツ定食を注文した義母が、トンカツを食べる前から唐辛子を大量にかけ始めた。
それからフライドポテトにソースか何かをかけていた。
味を見る前から合わない香辛料をかけているので、私は少し注意をした。

そうしたら、義母はいつもの屁理屈を返してきた。
フランスでは何をふりかけても誰も何も言わないし、
今ここでも誰も見ていないじゃないの、って。

私はその言葉に切れてしまった。
誰も見ていなくない。私が見てるし、私は恥ずかしいと。

それを聞いて義母はショックを受けたようだ。
私に恥ずかしい思いをさせてしまったことに気づいて、一瞬謝った。
義母の振る舞いや行儀の悪いマナーは、彼女に悪気は全くない。
人に悪印象を与えていることさえ、全く気が付かないのだ。

私の中に今までたまっていたものが噴出してしまったとはいえ、
トンカツに唐辛子かけたぐらいで私らしくないキツい一言を言ってしまった。
すぐに謝ればよかったのだが、間が悪く謝る機会を失ってしまった。

案の定、バスに戻り次の「金閣寺」を回る頃には、
義母は私と口をきいてくれなくなってしまった。

バスの中から私は夫にメールを打ち、義母に失言してしまい、謝る機会を探している旨を伝えた。
夫は「気にするな。悪いのはマナーの悪い母だから。」と言ってくれたが、
気がすまない。

重苦しい雰囲気の中、「清水寺」を回り、ツアーは終了した。

そのあとホテルに戻り、休憩した。
時間がたつにつれて、だんだん話しずらくなっていった。

夜、夕食に出た。
義母の夫が私たちの間に入り、なんとか雰囲気を盛り上げようとしてくれるのが痛々しかった。

夕食はピザ。
全員のピザがそろい、食べるときに私は義母にタバスコをすすめた。
そうしたら義母は首を振り、
私に「ハズカしい思いをさせられないからタバスコはかけない。」という。

私「まだ怒っているんですね。」
義母「そう。。。とっても怒ってる。」
私「ごめんなさい。あんなこと言うべきではなかった。」
義母「良く聞いて。」
  「私は日本になんか絶対来たくなかった。言葉はわからないし、
習慣は違うし文化も違うし。でも息子がどうしてもというから
一生懸命重い腰を上げてやる気を起こさせて来たの。」
   「あなたのあの発言は、今まで私があなたにしてもらった全ての好意をゼロにしてしまった。
いいことなんて何も残ってないわ」
   「日本人は目にマスクをつけて、私の振る舞いを見ないほうがいいわ。」

ここまで言われて私は手が振るえ、固まってしまった。
さらに、義母は自分が相当怒っていることを私の夫に言わないで欲しいと言うのだ。

しかしもう報告済みなので、黙っているわけにもいかない。
それを義母に言ったら義母はころっと態度を変えて、
私の謝罪を受け入れるというのだ。

なんのことだかさっぱりわからなかった。
そのときは、義母が嫁を責めたことを息子に知られると
都合が悪いと思ったのかと思った。

そして、なんとか夕食を終え、ホテルに戻ろうとしたとき、
私の夫から電話が入った。私のことを心配しての電話だった。

私はまともに電話口で話せず、ただ泣きじゃくることで精一杯だった。

落ち着いて再度事の詳細を報告した。
私の発言が義母を怒らせてしまったのは、理解できたようだ。

だが、こうも言う。
「もうわかってきたとは思うけど、母は何かが足りないんだよ。」
「だから私は母から逃げて日本に着たんだよ。」って。

夫が味方になってくれて、ほんとにうれしかった。

そのあと夫は義母と電話で話をし、少したしなめてくれた。

ずっと泣いている私を義母も、その夫も抱きしめてくれた。

その場で表面上は解決したのであった。

しかし、この事件は私に大きな影響をもたらした。
なんで私が謝らなければならなかったのかどうも納得いかない。
失言はもちろん謝る。が、何故あそこまでいわれなければならないのか悔しくなった。
その晩、風呂で泣き、ベッドでも声を殺して泣いた。眠れなかった。

27日目。
義母はすっかり元の義母に戻った。
私も冗談などを気軽に返せるようになったが、
どうしても自分から必要以上のことは話せなくなった。
顔も上げるのが辛く、下向き加減だった。

この日は「二条城」を見学。
昼ごろ京都駅に向かい、帰路についた。

昼は私:京樽のおにぎり。義母夫婦はサンドウイッチ。新幹線にて。
新幹線でもずっと押し黙っていた。義母に言われたことが頭から離れず。

夕方家につき、すぐに夫も帰ってきた。
夫は義母と何か話をしたようだ。それから義母が私を気遣い始めたのがわかった。
夕食の後、義母は私にルージュをプレゼントしてくれた。
手紙を添えて。
手紙には私への感謝と謝罪が書いてあった。
私は彼女からの謝罪を待っていたので、うれしかった。
でも、心の底ではその謝罪をまだ受け入れることが出来なかった。

私の心は本当に傷ついてしまったようだ。

夜、寝る前に夫に自分が義母から言われたことを告白した。
あまりの言葉に夫は信じられないと言っていた。



28日目。
本日はゆっくりすると決めていた。
義母はどこにも出かけたくないと言っていたが、昼食後3時間の散歩に出かけた。
ちなみに昼食は冷凍スパゲッティ。
義母たちは私の心の傷を感じて、夫と二人だけにしてくれたらしい。

あれ以来、口を開くのが怖く、義母と話すときはどうしても口ごもってしまい、
うまくいえなくなってしまった。トラウマ状態である。

夕飯は揚げ餃子・酢豚・サラダ・チャーハン。

29日目。
今日は私の両親が義母たちとの最後の食事をしに来てくれた。

私の母は私の姿を見るなり、自分の娘がやつれたのを感じ取ったらしい。
すごい痩せたと言われた。
ショックだったのは、あの事件のせいで白髪が出来てしまったこと。
白髪のない自慢の栗色だったのに。
しかも今日、自分の父親に言われたのだ。「ひょっとして、白髪じゃないのか」って。
それも、根元付近から白くなってる。これって最近出来た証拠じゃない!?
マリー・アントワネットも一晩で白髪になったというから
ひょっとして私も!?
気が気ではない。
そのうち、10円はげでもできるんではなかろうかと心配している。

昼のメニューはオードブル・サーモンとえのきのオーブン焼き・串カツ・天プラ
ハンバーグ・サラダ・クレープ:バナナまたはリンゴのフランベ。

最後のビズをして、両親と義母たちはお別れをした。

私の母はあともう少し頑張りなさいと私を気遣ってくれた。
母には何も言っていないのに、私の苦悩が伝わってしまったようだ。
さすが母親。

夕食は豚丼・サラダ。









































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最終更新日  2005年01月10日 01時06分03秒
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