・阿津川辰海の『バーニング・ダンサー』。 舞台は、 「コトダマ遣い」――言葉に特殊な力を持つ、世界で約100人しかいない能力者 が存在する世界。警視庁公安部には、その能力を利用した犯罪を捜査する「公安第五課 コトダマ犯罪調査課」が設けられている。主人公の永嶺スバルは、かつて捜査一課で「猟犬」と呼ばれた刑事。しかし犯人を逮捕するためなら違法捜査も辞さなかった結果、相棒を失い、捜査一課を去ることになる。異動先のコトダマ犯罪調査課には、能力も個性もバラバラな奇妙な捜査員たちが集められていた。その矢先、 全身の血液が沸騰したような死体と、炭化するほど焼かれた死体 が発見される。さらに犯人は声明をネット上に公開し、大衆を煽動しながら社会全体を恐怖へ巻き込んでいく。永嶺たちは、この異常犯罪の背後にいる「コトダマ遣い」を追うことになる。
やがて捜査は、単純な能力者による殺人事件を超え、「言葉が人間を動かすとはどういうことなのか」という問題へと踏み込んでいく。
・本作の面白さは、「コトダマ」という古くからある日本的な観念を、現代の犯罪ミステリに接続したところにある。言葉には力がある。それは単なる比喩ではない。本作の世界では、本当に言葉が現実に作用する。しかし、阿津川辰海が描く恐怖は、超能力そのものだけではない。むしろ恐ろしいのは、 人間は、能力など持っていなくても、言葉によって動かされる という現実だ。犯人の声明。ネット上の情報。噂。扇動。デマ。現代社会では、言葉は瞬時に拡散し、人間の感情を束ね、集団を動かす。「コトダマ」はファンタジー的な設定でありながら、実は極めて現代的な比喩になっている。
・永嶺は、いわゆる理想的な刑事ではない。正義のためなら手段を選ばなかった。
その結果、捜査一課という居場所を失った。つまり彼は、 「正しいことをするためなら何をしてもいい」という考えの危うさを、自分自身の傷として抱えている 。その永嶺が、個性的な能力者たちと捜査する。ここに物語のもう一つの軸がある。犯人を追うだけではなく、 「正義とは何か」「捜査とは何か」「組織に属して働くとは何か」 という問題が浮かび上がる。
・ 『バーニング・ダンサー』は、「言葉を操る超能力者」を描いた小説ではない。 本質的には、 「人間は言葉によって、どこまで他人を動かせるのか」 を描いた警察ミステリだ。そして、ここに阿津川辰海らしい逆説がある。超能力を持つ「コトダマ遣い」は、世界に約100人しかいない。しかし、 他人を言葉で動かそうとする人間は、世界中に無数にいる。 だから本当に怖いのは、能力者ではない。会社でも、SNSでも、政治でも、日常会話でも―― 人間が発する言葉そのものが、すでに誰かを動かす力を持っている。 「言葉には力が宿る」という古い思想を、阿津川辰海は現代の情報社会へ投げ返す。その意味で『バーニング・ダンサー』は、派手な能力バトルの衣装をまといながら、実は「言葉と人間」の危うい関係を描いた小説なのである。
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