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モゾモゾ・・・ボサボサ ガサッ カチッ バン! ゴクゴク。カチャカチャ、スー。ガキッ。タタタッタタ。シュー。ガタンゴトン。グーグー。シー。タッタタッタタ。コツコツコツ。ギャシャン。ガタンゴトン。ギシャン。ウィーン。カサカサ。チン、ジャー。カチャカチャ。キュルルルー ウッ アセアセ ガタン バタン カチ、パタン、スルスル ガー プー ドボドボ ジャージャー フゥー カラカラカラ フキフキ ペタペタ バタンノシノシノシ ドキッ ヒヤヒヤ バーン ガミガミ シュン ペコペコ バーンバーン ペコペコペコ フー ・・・・ムニャムニャ シュボッ ・・・・ フゥー ドーン トントン パチクリ キョロキョロ カンカン ペコペコ シトシト ブツブツ プルルルルー ペチャクチャー ハハハハ ヒヒヒヒ フフフ ヘヘー チーンプシュー ゴクゴク プハー コックリコックリ ポテチン ZZZ グーグー
2007.09.30
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この人の帰り編を待っているのだが、この人で思いつく補修というのは、補習であって、高校の時に物理が4点だったので、合宿まで抜けて補習に行き、そのときだけはさすがに、優秀な得点を採っていた私も羨ましい思いをしたものだ。物理4点でも、大手広告代理店の部長になれることが、証明でき、未来の子供たちに希望を与える。おまけに、物理で1番の成績を採っていようが、将来ただの散歩人になることを誰が予想したか、子供たちの顔が曇る。 何せ、今も変わらないのだが、当時もとにかく安全性は度外視して、一番格安な航空券を求めて3000里の状態であり、ボンベイからは、ビーマン、エアバングラデッシュであった。出発は、当然、ボンベイを夜中に出発である。当時は、空港にタクシーで行くなんて大それたことは出来なかったが、何せ夜中だったので、ついついボンベイからタクシーで空港に向かったのである。ボンベイ市内に戻ったのももう23時頃であったという事情もあったのだが、何故か空港で、やたら暇になり、日本人を見つけて、珍しく私から声を掛け、茶を飲んだ。まあ、そんなことはどうでもいい。 夜中に機内案内されたが、シートは自由席であった。国際線で自由席?(その後、パキスタン航空バンコク-成田で自由席を味わった)そして、飛行機は一向に出発する気配もないが、ジャンキーと思われる西洋人が、目を瞑ったまま、タバコを吸い、灰が落ちそうになっていた。そして、機内に蚊が飛んでいた。マラリア蚊にように重そうだった。 機内の上部棚(オーバーヘッドビン)は、機体が古いのか、ぼろいのか、タガが緩く、飛んでいるときに、揺れると開いたりなんかして、少しだけ楽しかった。関係ないが、バングラデッシュの通貨はタカである。 まあ、本日は、いつものように、取りとめのない補習でしたが、明日は、休講とさせていただきます。またもや結婚式で、夕方から東京に行きますので。皆さん予習復讐しておくように。
2007.09.29
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今日は、ゴアの補講であるかもしれない。 彼の旅行記を読んで、同じようにそんなことがあったなあとか感じたなあ、というのがあったが、それは、偶然やシンクロではなく、よく考えたらインドでありがちなことであった。 乗り合いタクシーの人数が集まるまで、車の中で、人が集まるのを待っていた私が、このまま、移動を続け、2日後には、自分の家の部屋にいると考えると、すごく不思議な気がしてきた。 そう思ったのは、ムンバイから4時間の距離にあるダマンでであった。 中高学校の歴史地理の教科書の記憶と、その後の旅は、微妙に絡み合っている。インドの歴史に出てきた都市名は、デリーは別にして(それも、ニューデリーと習い、まさかオールドデリーがあるとは思わなかった。4キロ程の距離でほとんどつながっているが)他の3大都市、ボンベイでもカルカッタでもマドラスでもなかった。インドの中のイギリス以外の植民都市、フランスのポンディシェリー、シャンデルナゴルやポルトガルのカリカット、ゴア・・・ 昔、知り合って仲良くなった人が、ポンディシェリーに行き、インドでフランスパンを毎日食べたといっていたことを思い出した。 ダマン、そこもまた、ディウと並ぶポルトガルの旧植民地で、旅なれた旅行者が、ディウはいいよ、と言っていたことを思い出していた。私は、アラビア海に面したもうひとつの都市ダマンを離れようとしていた。不思議な都市であった。グジャラート州は、禁酒の州なのだが、例外的にここダマンとディウだけは、酒が飲める。酒が禁止というのは、イスラム圏で慣れていたが、ここは不思議であった。これから、乗り合いタクシーで数キロ離れた最寄り駅まで行くのだが、都市はすぐになくなり、沙漠が始まる。その沙漠地帯には駅から1本道しかなく、その道の両脇には有刺鉄線が続く。(今、そのときの光景が目に浮かび、言葉が追いつかないところ。この旅は、カメラを持っていなかったので、頭の中にしか情景がない) 乗り合いタクシーを待つ間、客がそろって、駅に行くまで1時間、そこからボンベイまで4、5時間、そこから空港まで1時間、飛行機に乗って、バングラデッシュまで2時間、そこからバンコクまで2時間、バンコクから日本まで6時間、乗り物に十数時間乗るだけで、日本にいるなんて何だかマジックだ。 おまけに、通貨インドルピーが底をつきかけている。休日で、両替と、酒飲み、ともうひとつの3つしか、ここでしていないような気がした。結局、耐え、ボンベイの闇両替で替えるまで、酒は飲んでも、飯を我慢した変な数日であった。 沙漠、グジャラート州やラジャンスタン州というのは、我々からみたら、変であった。「オイ、オイ、ちょっと、おまえ、これやらないか」と上着の下に何かを隠しながら近づいてくる男。「なんだ、薬物か?」「そんなつまらないものではない、こいつさ」と言って出すのは密造酒である。目が潰れると困るので「いらないよ、ハシシじゃないんだねえ」というと、「なんだ、そんなものなんかが欲しいのか?ホレやるよ」とポケットをまさぐり、塊をポイっとくれたりなんかする。バングもある。ゴアの補講だたった。 インドの州の中でもっとも小さいのが、インド西南部にあるゴア州だ。この州が他と一風変わっているのは、前半で少しお話したように、数百年にわたってポルトガルの植民地になっていたこと。前述のとおり、他にもダマン・ディウという街やフランスの植民地になっていたポンディシェリーなどがあるのだが、これらは街単位のためインド中央政府の直轄領となっている。しかし、ゴアは州として独立した自治権を持つ、一風変わった土地としてインドの中で際立った存在であり、インド人にゴアというと、「おお、ヒッピービーチ」とかいわれるのだが、やはり宗教が違うので、変わった目をされるのかも知れない。 多くの人がキリスト教。ヒンドゥー教では火葬してガンガー(ガンジス川)などに流してしまうように墓がないいが、ここでは十字架の立ってるお墓を作る。(まあ、イスラムの墓もよく沙漠の中で見かけたが) サリーやパンジャビドレスを着てる女性もいるが、スカートを履いてる人も普通にうろうろしてたり、牛もうろうろしていたり、キリスト教徒だから牛を食べたり。 そんな訳で、このヨーロッパ風な文化が根付いた場所に目をつけたのが、60年代のヒッピーたちであった。きれいな砂浜が続く砂浜で、やしの木をバックにアラビア海に沈んでいく夕日は最高イエイ。ヒンドゥー色の濃い他の州に比べて文化的に理解しやすく、親しみやすい人々イエイ。そのくせ適度にヒンドゥー文化の影響も感じられ、アジアにいることを実感させてくれるミディアムさ加減イエイ。牛が食えるイエイ!タイのサムイ島やプーケット島などが注目されだしたのは80年代からのはずなので、先輩格だ。バリより早いか。 ヒッピーたちは楽器を持ち込み、日なが一日、ギターや太鼓を奏でては踊り続けました。彼らはそれを「パーティー」と称しました。 もともとイスラムなどでは1時間以上にわたって回転し続け(回転舞踊)神との合一を図るといった「スーフィズム」という神秘主義があった。ヒンドゥー教でも伝統的にガンジャはハシシを吸って恍惚としシヴァ神との一体を図る伝統もあった。こうしたトランス状態になる伝統が根付いているインドと、彼らヒッピーとが出会い、ゴアに誕生したパーティー文化。いまにつながるレイヴ文化の、一つのはじまりであった。 ヒッピームーブメントも去り、静かな80年代を通り抜け、90年代、タブラーやマントラに加え、テクノと合体、ゴアトランスみたいなものができてきた訳ですな。参考DVD
2007.09.28
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京都といえば、このようなイメージがあるかもしれないが、諸君、京都タワーから京都市内を見渡すと、諸君、京都は脳の中、或いは、心の中にしかないことが分かってしまうことだろう。ほんの一部の寺の屋根を除いて、フツーの景観である。諸君、京都の歴史1200年、ほとんど、どこにも古いものがない。町全体の古さはなく、ただ、他の都市と同じビルや建設ラッシュや土地転がし用まがいの空き地ばかりである。諸君は、倉敷に行かれたことがあるか?私は行かれたことがあるが、美観地区ってただの1ストリートのみだ。諸君は、金沢に行かれたことがあるか?私は行かれたことがあるが、茶屋地区ってただの1ストリートのみだ。諸君は、小樽や函館に行かれたことがあるか?私は行かれたことがあるが、運河地区ってただの1ストリートのみだ。観光パンフレットやテレビでの紹介は、ただのワンスポットしか撮る場所がないんだ。諸君、そんなこと分かってるって。そうなんだよ、諸君。ほとんどちゃちい映画のセットなんだよ、隣の通りに出ると、もう日本中どこの町も同じ光景なんだよ。 諸君、ワルシャワやドレスデンに行かれたことがあるか。私は、ワルシャワにはいつか行くつもりだが、ドレスデンは行かれたことがあるが、第二次世界大戦でボッコボコに空爆で焼き尽くされたのに、また同じ街を創り直した。諸君、アムステルダムに行かれたことがあるか。私は、私は別目的ではあるとしてもアムステルダムには行かれたことがあるが、町全体が運河であるし、1600年代からの建物がそのままバーやカフェやコーヒーショップやホテルやセックスミュージアムとして使われている。 諸君、町全体が新築禁止になってたり、周囲の建物と同じ素材、色、向きにしなければならないとかの厳しい建築規制があるところが多いわけですわな。諸君、伝統の町、歴史の街、町並みに価値を見出した気概なんてのは、ナイナイなーインですな、京都には。まあ、多少、寺にはありますか。寺の中だけに。本当に京都の町は素晴らしいよ、諸君、日本人の記憶の集積であるよ。ナイスだよ。ニッポンは創造と破壊を続けるシバ神みたいなもんだよね、ベイべー。バイビー。
2007.09.27
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京都駅前には、謎の京都タワーがある。京都タワーについては、昔、滋賀県で働いていた頃に、帰りに、京都タワーに行き、ビアガーデンに行ったような記憶がある。どう考えても、評判は建設当時から悪そうであったが、知人に京都タワー勤務夫婦がいたので、悪口は言わないでおく。どうされておられるのだろうか。いつもガムを噛んでおられたが。ところで、1963年建築の京都タワーは横浜マリンタワー灯台をまねっこすたようなのである。高さ131メートルというのは、当時の京都市民の人口が131メートルだったということである。しかし、第一目的のイベント館は撤去されていたのであった。行った意味無くなったしかし、第一目的のイベント館は撤去されていたのであった。行った意味無くなった在りし日のいべんと館地下3階には大浴場があるのだが、地下3階というところが、なんとなく、渋く、何となく、もし何かあったら怖いなあという感じもするのだが、夜行バスで京都駅に到着したら、まずはここでさっぱり、颯爽と観光に出る!というコンセプトのようである。そういえば、インドの駅や、インドネシアのバスターミナルで乗り換え時に、シャワーを浴びた記憶もあることを思い出し、もしかすると、そういった人もいるかもしれないなあ1人ぐらいと思うのであった。在りし日のいべんと館だから、がっかりだったわ。あとは、惰性の画像の連続でカックンよ。
2007.09.26
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いつも、どこで夜にパーティが行われるかは、分からない。当日に、バイクがやってきてこそっと場所を教えてくれたり、たまたま歩いている人が教えてくれたりする。 ビーチというところは、まったく、自堕落になってしまうためのところだ。 夜になり、切手シート状の紙を取り出し、今日は、ゴルビーかパンダか?どうするよ、と尋ねる。 クチャクッチャ・・・さあて、朝までビーチの丘の上で踊る馬鹿。どんな煙を吸っても、もう何にも効かない、空気と同じ。身体は壊れた踊る機械。 朝。まったく疲れないままに、コテジに帰ってくる。コテジには、多くの荷物やブツやお金がなくなっている。窓が開いている。落ち着かせるために、静かに黙ってタバコを吸って忙しい頭を整理する。吸い終わって、一息ついて、現実と事実に戻らなければならず、「アアアアァ・・・」と叫ぶ。そんなわけで、ここは非常に危ないところである。注意:このころってさあ、記憶が曖昧なんだよねえ、なんだかおかしくなっててさあ、レイブとか、トランスとかって言葉はまだなかったかなあ。ヒッピービーチなあ・・・。
2007.09.25
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8月おかんに急がない用事をメールしたら(「ハワイかサンフランシスコかメキシコ連れてったろか?」というメール)全然返事がなく、先ほど、「八ケ岳に登ってたのでメールできませんでした。今、美濃戸山荘に来ています」とメールが返信されてきた。それは状況報告であって返事じゃないんだけどなあ。その後。オカン「いってあげてもいいよ」その後、私「なんか混んでるから一人で行くわ」9月私の親切なメール「ワシがかねだすから台湾行くかい?10月に」オカン「いいですねえ。台湾はまだ行ったことがないから。楽しみですね」9月(昨日)私「台湾やめて、シンガポールにしようと思うねんけど、どうですか?」オカン「10月の3連休は、もう山に行く予定入ったので、もういいです」私「あれ?あ、あ、そう」今日。急いで、海外日帰り旅行を計画開始。俺は生き急いでいるんだ。釜山か上海か。それとも、お泊りするか!注意:このころってさあ、記憶が曖昧なんだよねえ、なんだかおかしくなっててさあ、レイブとか、トランスとかって言葉はまだなかったかなあ。ヒッピービーチなあ・・・。
2007.09.25
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京都駅の人の多さは、大阪駅以上ではないかと思うぐらいのものであった。京都駅と言えば、中学生の時の思い出としては、日本一長い0番線があり、500メートル以上歩いてみたということぐらいではあるが、10年前に大改造し、ホテルや伊勢丹や劇場、美術館と共に、エイゼンシュタインの戦艦ポチョムキンの有名なオデッサ階段シーンのような面白い階段舞台ができあがった。しかし、考えれば、1997年、出来た当時に一度、ブラブラ散歩して以来、この階段に来たことがなかったような気もした。階段があって、涼し気なところは、意味なく座っている人々がのんびりしている風景が見ることが出来、楽しいものである。歩き続けると座るのだ。ただ、残念ながら、背広の私は、いや、背広はしゃがみ込む姿勢は似合わない構造に出来ている。背広は、立っている姿でナンボである。何故なら、京都駅は、7条にあり、京都の繁華街は4条、そして、行くところは、そこよりたいていが北部なので、京都駅は通過点であるか、阪急電車利用となるからである。京都大学は、近年、東京大学に随分差をつけられている様であるが、関係ないが、よく考えれば、医学部って、文系のほうがいいのではないですか。駅はこんなんになってしまったのよ、東北出身の京都の大学出身のカナダ在住のハルジサンよ。インド人も記念撮影さ!魚は泳ぐ事を飽きない!鳥は飛ぶ事を妥協しない!蟻は働くことを疑わない!ライオンは獲物を捕ることをあきらめない!花は咲き方を迷わない!トイモイはナイナイつくし。高校の同級生、京都の大学出身の心斎橋君の話ではないが、いや、話から無理やりつなげるだけなのであるが、私も、ボンベイ(現ムンバイ)中央駅に行ったことがある。 しかし、急に、列車に乗ることにして、ボンベイ中央ビクトリア駅に来た私は、その列車が、あと20分後に発車することが判明した。そして、まどぐちを見ると、長蛇の列がジグザグに。仕方なく、一番後ろに並んだのだが、そこに、現れたのが、切符購入代行人(別名、ただ毎日駅でぶらぶらしてる「人」)が現れ、「どこにいくんだ」「バピ!」「ええーあと20分で出発だ、どうだ!俺が買ってきてやろうか」私は、当時(今も)そんなにお金を持っていた訳でなく、大変困ったのであるが、交渉すると、ぼったくりではなく、正統的な切符購入代行人のようであり、手数料は50円程度である。それをけちると、明日まで列車はないので、初めて、切符の代行を頼んだ。お金を彼に渡したが、それも最悪逃げられても、ちょとだけ悲しくなる程度の金額である。切符購入代行人あんちゃんは、軽業師であった。まさに宙に浮くように、人の列の上を駆け抜け、今買っている人の次に並んだ。何故か、どういう理由でか、彼は後ろの人に、何かを語りかけ、そして、文句を言われることもなく、切符を購入し、私のところに戻ってきて、切符とお釣りを一回渡し、その渡した中から手数料をもう一回取り戻し、列車時刻と番線を伝え、一緒に行こうといった。彼の頭の中にはすべての発着便の列車の時刻番線が分かっている。私は、彼に感心した。プロ根性はすごいなと思った。それにしても、ボンベイ近郊列車はすごい。ドアが全部開きっぱなしで全速力で走っており、男女車両は別なのだが、多くの人間が列車からはみ出ており、女性であろうが、ホームに入ってきた列車から、飛び降り、そして、ホームで待つ人は、女性であろうと、折り返し便に座るために、飛び乗るのである。まだ、飛び降りた人以外みんな乗っているというのにだ。逞しい。オー、逞しい。そういえば、あのビクトリア駅はネオゴシック建築であり、ロンドンって感じである。だいたい、不思議なことに、そしてよくあることに、はじめてロンドンに行ったときに、わあ、ボンベイの中心地みたいだな、と経験値で本末転倒なことを言う私であった。ちなみに、ビクトリア駅は、世界遺産である。(名前が長いのでCSTという)東寺。実は、仕事の関係で電車から100回ぐらい見たが、まだ行っていない五重塔。むっちゃ暑いのに、何で、日に当たりたがる人々が多いのか。まあいいよ。 そういえば、京都駅裏に、インドで知り合った龍谷大学の男がいて、遊びにいったことがあるなあ。あのときも、カレーパーティしようぜ、といって、また、ナツメグを玉で買ってきたんだなあ。(パウダー状のものはダメです)(当時、玉で売っているのはコープしかなかった。)こいつをオロシガネで削りまくり、インドカレーにガンガンほりこむのであるが、これが、最悪に不味いのであった。彼は、その後、大学を中退して、何だか分からないけど、中央アジアに消えたんだよねえ。東京みたいにシュプレヒコールは禁止と書かれていなかったので、安堵して、シャウトする。あ~あ~あああ~―、あよ~ペンペン~
2007.09.24
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情報に埋もれ、日々の生活に追われ、あれは何だったんだ、を毎日続けている。でも、もしかして、若い頃に心中深く刻み込まれた風景や考えは消えないのだろうか。不覚だ。 ホテルに置いてないと、泊まらないとマドンナが怒りだすVOSSウオーターなんかを飲んでみたりなんかして・・・水は冷たくすると、割と舌は馬鹿なのでおいしく感じる。本なども、読む読まないにかかわらず、ストレス(適度な緊張)開放のために、無差別購入なんかしてみたりなんかする。頭は馬鹿なので、何となく本を買うと賢くなった気がする。 意味もなく、飲んだくれたりなんかもする。しかし、20代の時のように、無差別な時間に無差別な場所で無差別な時間まで飲むといっただらしなさはなくなった。まるで、紳士になったようである。本質的に馬鹿なので、何となくデカダンとか反何々とかがカッコいいと思ってしまったりする。 (京都駅前のこの店に来たことがあり思い出した。サルベージ(底)ってなんやろかと思って入った店であった。おっさんがずっと鍋をかき回しており、誰かが「ソコ!」というと、底の方のドロドロ部分をすくって出す。戦後の闇市のときから、継ぎ足し継ぎ足ししている何かのごった煮なんだろう。なかなかまずかった。何でも食える、どこでも眠れる、ということが最大の旅行者としての資質を発揮したのだが、結構、意地になって食ってたりなんかする。現地に行けば、現地人に誘われ、出されたものを無造作に、食う、それが仲のよくなる瞬間である。これなんだ、というような顔をして、恐る恐る食っている瞬間はすぐに見破られる。出された瞬間に、すぐに口にほりこむ、それが鉄則だ) 何か、そう思い、ご先祖様に会いに行く。実家は、父方は浄土真宗東本願寺親鸞である。(ちなみに母方は西本願寺である)もしかしたら、逆かもしれない。 私の家には、墓がない。墓がないので、墓参りをしたことがない。代々、墓は不要と考えているようだ。 でも、実は、墓はある。東本願寺総本山に、共同で入れられている。まあ、仏陀も、墓は不要といった訳だしね。日本葬式スタイルは、本来の仏教ではない。 初めて、来た。親鸞については、学生時代にいろいろ読んでから、もうさっぱり忘れてしまった。変人だったことぐらいしか覚えてない。肉食の妻持ちで、乞食、シブイ。何故か、葬式は、暑いか寒いかという記憶が多い。しかし、インドとはえらく違う。仏教は、優しいのか、あの風土では生き残れないのだろうなあと思う。(昔はもっと温暖だったのか?)いずれにせよ、「世界的宗教」というのは、気候の厳しいところでしか生まれず、広がらないものだ。ヒンドゥ教って、インドから出ることはできない宗教なのに、人口で見ると、仏教より信者が多いと言うのは、すごいよな。だいたい、多神教のヒンドゥ、仏陀でさえ、ヒンドゥの一派なんだよなあ。神様ポスターにもシバ、ビシヌ、パールバティ、ガネーシャの中に仏陀が入ってるんだよねえ。天地眼・・・飛んでるよね。ナチュラルにね。何でこんなふうにひねくれてかんがえるようになっちまったのかね。
2007.09.23
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バナーラスでは、というか、インドでは、少なくとも、良くも悪しくも、油断すると、ついつい詩人になってしまう、あるいは、詩人と勘違いしてしまう瞬間がある。たまにそのまま詩人になってしまう場合もある。詩人の問題点は、単純で、食えないということだけだ。 聖地バラーナスでは、ガンジスの川沿いに火葬場がある。火葬場遠方。 いつも、することもない旅行者は、火葬場に行き、人が燃える行程を眺める。 聖地に死ねるとは幸せなことだ。 祭の日に死ぬことができればダンディである。 ちょうど、手持ち金が無くなった日に死ぬことができればジェントルである。 火葬場で、死んだ人が焼かれる光景は、日常であり、特に、焼き場で働く人間にとってはまったくの日常であり、死が隠されている日本人にとっては、その人が焼かれるということ自体が日常であるということに、驚かされる。死が管理されて隠蔽されていないところに、自由を感じることができる。 人が焼かれると、時々、水分が鉄砲水のように飛ぶこともあり、腕などが硬直して、ギギギギっと生きているように動くこともある。そして、焼き場で働く男たちは、次の死者を焼くために、川に無造作に、焼けた骨や焼け残った肉を川に放り込む。死体になんて邪険に扱うのだ、と思うと思ったが、そう思わなかった。 西洋人たちも、一日、川沿いで焼かれる死体を見ている。私は気がついた。焼かれる死者を見る目が、西洋人全員が同じ目をして見ているのだ。きっと、私もああいう目で見ているに違いない。死体が焼かれる光景を見る死者を隠す社会から来た人間の目は皆、同じ目をしている。 それは、どこも見ていない。焦点があっていないのだ。ただただ、燃える肉体を見ており、恐らくだが、何も考えていない。何も考えず、受け入れているのである。許容しているかどうかは、分からないが、そのままを受け入れているのである。肯定も否定もない。 子供とか、人生まっとうせず死んだ人間は、焼かれずにガンジス河に流される。そんな、ブヨブヨに太った死体が時折、河の中央を流れる。大きく膨れた腹の上にカラスが乗っている。あるいは、淀みに、巻き込まれ、ガート(沐浴場)の端に、漂っている石鹸状の死体。死ねばモノになってしまうのだなと、思う。人間は肉でできていたのだなと、思う。 今、気がついたが、もしかしたら、私の行動判断は、この光景で変わったのかも知れない。「これは死ぬこともなさそうだからやってみよう」とか「こんなことでは死ぬこともないからたいしたことないよな」とか「死なないから大丈夫」とか。
2007.09.22
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ポカラ。ポカラの宿街は湖に沿っての一本道であった。朝の4時、インド国境行きのバスが出るというが、バス停はないという。その1本道に立っていれば、バスは来ると言われ、真っ暗な中、4時前から宿の前の1本道でバスを待っていた。誰も歩いてないし、車のひとつも通らない。本当だろうか、と不安になっていたころ、バスは来て、手を上げた私を見つけたバスは、停まった。 その日は、ホーリー祭であった。子供たちが何度も、道を塞いでバスを止める。ホーリー祭は色掛け祭りである。バスに色水を掛け、バスがとまるたびに、子供たちが、バクシーシ(喜捨)を叫ぶ。 夕方、ボーダーを超え、夜に、列車に乗る。 バラーナスに近づくにつれ、ゆっくりと明るくなってきた。私は悪さを思いついた。コップに水を入れ、踏み切りで待っている男に、水を掛けたのだった。愉快だった。 しかし、問題は、バナーラスの駅を一歩で手からであった。私は、一番背の高いタンガー(馬車)に乗り、少し荷物に隠れるようにした。しかし、色水は、外国人を容赦しない。私をみるやいなや、総攻撃である。私が、やがて、バングラッシーのあるゴトーリアを超え、適当な、一番の大通り沿いの宿に逃げ込んだ。勿論、宿は、厳重に鍵が閉められており、私を旅行者と見るや、即効で開け、私を招きいれ、即効で閉めた。そして「何でこんな日に来るんだ!今日は、外出禁止だぞ」と言われた。 しかし、ここは大通り沿いに、でかいルーフバルコニーがあり、そこから旅行者たちが、祭りの馬鹿騒ぎを楽しんでいた。私も急いで、バケツに水を入れ、通りに向かって水を一気に撒き散らした。それを3回も繰り返すと、通りには、暴徒寸前の人だかりとなり、色水をかけられないので、投石や、牛糞、馬糞が飛んできた。宿の主は危険を察知し、我々にもうやめてくれといった。私は、また煙に日をつけて、充血した目で、ゆっくりと、「オゲー、オゲー(OK,OK)」と言った。言ったが、暴徒は、宿の鉄錠門をガンガン叩き、大声でわめき散らしている。ルーフバルコニーは、石と、糞と、水でべちょべちょ状態で、ある。これで、ナチュラルハイしない奴はいないというぐらいの、緊張感で、ホンマモンのハイになっている旅行者の暴走は止められない。平気で、バルコニーにゲロっている旅行者、なんだか、わけもわからず、部屋にしけこむ男女を尻目に私は静かであった。ポエテックでもあった。路上の親父たちの髭からぽっかり口が開き、罵声が投げかけられ、手で招いてこちらに来いという。親しみある目の奴もいるが、危険な目の奴もいる。私は、煙をくゆらせながら、時折飛んでくる牛糞の塊を避け、相変わらず、時々、バケツの水を路上にぶちまける。そのたびに、歓喜の声と、怒涛の声の嵐。 そんなことを何時間も繰り返したあと、ネパールから夜行列車とバス26時間の旅に疲れていたので、じっくり眠り、起きると、もう夕方であった。ルーフバルコニーに出ると、暴徒は既にいなくなり、一旦、私はシャワーを浴びて念入りに洗うが、色は取れない。特に、歯についた色は、なかなか取れない。 そして、私は外に出た。川沿いのガートに行くためだ。そして、宿を出たところで、即効でインド人に絡まれ、Tシャツが破れ、パンツも危うく破れる寸前でまた宿屋に戻った。まだまだギラギラであった。そして、愛玉からすっかり、色水でドロドロになり、宿屋の主にも、「自殺行為だ」とやじられた。 また私は、シャワーを浴び、休む。外に出ても大丈夫になったのは、日もすっかり暮れた後であった。こちらに続く
2007.09.21
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何と言おうか、早めに帰宅したので、パソコンをつけて、映画館情報を見ると、ナイト500円ワインコイン名作劇場というのをやっていたので、超高級車を12分間渋く、転がし、映画館に向かった。ちなみに、この前、1年ぶりぐらいにワックスをかけようとしたのだが、雨も降ってきて面倒になったので、雨が流してくれるかなという淡い期待をしながら、途中で断念したので、超高級車が超ドロドロになっていて、ちょとだけ気持ち悪かった。(哀れなので、先ほど、汗をかきながら夜な夜なボディを拭いてきた。ワックスが垂れてきて、外が見にくくなっていた窓ガラスも拭いた) 鑑賞したには、「新しい映画の天国」だったのだが、結構、500円に触発されてか、10人ぐらいは入っていた。一人できている男や女も10人の半数はいた。数学が得意なので割り算すると、5人ぐらいだ。でも数学が得意なので、残り5人がカップルなら奇数になっちまう。ゾルゲル。 そんな訳で、まったく大人しく、21時より映画を見ていたのだが、22時頃だと思うが、トイレに行きたくて仕方なくなってしまった。今まで、映画館上映途中で何度かトイレに行ったことはあるが、貧乏神が騒ぐのである。我慢と忍耐と苦痛の中、ひたすら映画が終わることを願うという、ひたすらノスタルジーで貫かれた映画を見続けるのであった。 やっと、終了し、エンドロールは省略し、トイレに行くと、これが、時々我慢限界のときに気がつくことなのだが、「まだ、出るのか!おい、長い!」と自分でも驚愕の念を抑えることができないばかりか、後から入ってきた男たちに、次々と先に終わられ、ちょっと恥ずかしいのである。何ともいえない開放感は最初だけで、はやく止まって止まってよ終わってよ、と願いつつ、何事もなかったように、ことを終え、ほとんど車の詰まっていない地下駐車場まで降りて行き、何事もなかったように、シレーっと車を転がすのであった。 ところで、今日は朝起きると、恒例の清々しい軽い二日酔いである。そんなに飲んでいないが、昨晩夜更かしして、3時間しか寝ていないのが効いたのかもしれない。ところで、最近では、二日酔いなのか、風邪をひいて頭が痛いのかがよく分からなくなってきた。それにしても、自慢でもないのだが、嘔吐といえば、オーバードリンクかオーバードーズ以外、今までも数えるほどしかない。食あたりというのも、下痢にはなりこそすれ、嘔吐はなく、思い当たるのは、ただただ単純な食べ過ぎである。 1.小学校低学年。前日カレーを食べすぎた。とっても恥ずかしい話だが、翌日も食べすぎで気分が悪くなり、ほんのちょっとだけ、学校で机の上に吐いてしまった。 2.ニューヨークで、初めてのアメリカで、ボリュームが2倍、残すことはお百姓さんに悪いという由緒正しい教育を受けてきた私は、頑張って食い続けたが、遂に、3日目に、順調に吐いた。17年ぶりぐらいに食べすぎで吐いた。何だかとても情けなかった。40階ぐらいの、部屋から夜景を見ながら、「病み上がりって清々しいものだぜ。生きているっていいことだぜ」と呟くのであった。 3.それからは、食べ過ぎで吐くといった情けないことはしていない。
2007.09.20
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(今は国内線となった)ドンムアン空港であるが、ここのよい所は、大きな道を挟んで、ドンムアン村があることであった。小さな村であるが、空港の近くに集落があるのは、嬉しいことである。いつも、帰国前には、ここで、最後の晩餐や昼食を採っていた。そこには、空港の非日常性と違い、庶民の生活が隣り合わせになっていて、空港との陸橋を渡った下にある食堂で、焼き飯を食った後、甘ったるいアイスコーヒーを飲みながら、ぼやぼやとしながら、歩いていく人々や、屋台でせわしく動く人々の風景を眺めるというのが好きだった。村は、5分も歩けば終わるが、立派なタイ式の寺もある。 この屋台で一度、酷い目にあった。足の裏を何か、ムカデか毒蜘蛛のような蚊ではないものにやられたのである。やわらかいゴムぞうりでさえ、歩くと、足の裏が腫れて盛り上がっているのが分かる。痛さを更に痛さで誤魔化すため、大地を蹴りながら歩いて空港に戻ったのであった。飛行機の離陸する時刻まで1時間を切る頃に、ゆっくり腰を上げ、近代的で冷房の効いた空港建物に向かうのであった。 数時間後、中級であるが、心なしかお湯が出ないホテルに既にチェックインしている。しかし、いつものインドの通り、ここまで来るのに前途多難な道であった。 最初に、機内で、隣に座ったインド人が、断りもなしに、私のシート前のポケットに自分の新聞紙や私物を入れたり、ゲロ袋を持っていったりして、目が点になった。 そして、税関で空港からなかなか出られない。いつもの非効率。並ぶ入国者たち一人一人に、「私へのお土産は?」と尋ねているのだから仕方ない。 次に、タクシーに乗れば、いきなり料金で喧嘩、空港へ帰れ!といい本当に帰りだし、金も払わず、途中の村で降りて、乗り換えた。 そして、車内から、やがて視覚をはじめ五感に響く強大なエネルギーにいつも圧倒される。 道に続く掘っ立て小屋 何度も剥がされたポスター跡の壁 喧騒クラクション 道端での食事 パパイヤの刻み切り売り 靴磨き屋 破裂したポンプ 乞食 屋台 クーリー 演説 直接壁に書かれた宣伝 胡坐をかいてタバコを道端で売る人 パーン売り 米屋 インド音楽 排気ガス 人都市が巨大な映画セットのようである。シティオブジョイ(歓喜の町カルカッタ)やサラームボンベイといった社会派インド映画を思い出したが、遥かに映画セット的である。 更に、ホテル横の靴磨き屋が、瞬時に、自称ガイドになり、靴を磨きにきた人を断っていた。頼んでもいないのに、私のガイドになるという。「おい、隣の靴磨き屋には5人も並んでいるぞ」といったところで、「5時になれば、雨が降る。靴磨きは意味がない」と嘯き、職務放棄し、私にしつこくつきまとい、無視しながらも歩きながら、30分程でまた私はホテルに戻る。彼は、後ろから30分勝手について来ただけなにの、ガイド料を寄越せと、喧嘩する。勿論、ビタ一文払わなかったが、もう表の門から出ることができなくなった。 そうして、この植民地時代に建てられたホテル内を歩くもすごい人である。フロントに私の相手をする人間が4人はいいとしよう。ポーター、エレベーター操作おじさん、エレベータ内掃除人、各フロアに立っているホテルマン、部屋に入ってくると、ノックがしてまた別のホテルマンが入ってきて、水を運んでくる。各フロアとは別に、数室ごとに何か待機しているホテルマン。チェックインからベッドに座るまでに、10人ものホテルの人と相手したのであった。 ここまでは、前途多難な道であった。バンコクから近いのに、インドに来ると、遠くに来たなあといつも思う。そしてタイに戻ると、まだ日本まで飛行機で6時間というのに、もう帰ってきたな、と思う。 やっとシャワーを直してもらい、少し休息して、ライトの美しい夜を歩こうと思い、それまで少し横になると、本格的に眠ってしまい、起きると、夜中の0時であった。何が何だか分からなかったが、視聴覚はインドエネルギーにやられていたようである。0時半、ロビーに下りてみると、レストランは開いていた。薄暗く、客はいないが、24時間のようであり、椅子に座る。しかし、従業員は全員、テレビに夢中である。警備員もテレビに夢中である。高いが、外ではもう食事はできないので、仕方なくしばらく座っているが、一向に注文も取りに来ない。テーブルには、人を楽しませるために存在している枯れ掛けの薔薇。業務用大型扇風機が、レストラン全体のテーブルクロスの端をひらひらさせている。ビディは、6本目、薄暗いレストラン、まだ注文は取りに来ない。
2007.09.19
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ハーレム小話。アメリカ人とイギリス人とアラブ人が3人で売春宿に行った。売春宿の受付で、受付の人は、「10ドルで、草むらの上で。20ドルで小部屋のベッドの上で、30ドルでスイートルームですることができます」と言った。イギリス人は「じゃあ、10ドルコースを」と言い、草むらへ女性と消えて行った。アメリカ人は「じゃあ、20ドルコースを」と言って、ベッドのある小部屋に女性と消えていった。アラブ人は「じゃあ、30ドル」と言って受付に渡すと、「30ドルコースですね」と受付が確認した。アラブ人は言った。「とんでもない、10ドルコースを3回」ハーレム小話。ハーレムの主、スルタンが、暫く、ハーレムを空けるので、女性全員に貞操帯を取り付けた。実は、貞操帯にぺにすを入れようとすると、切断するように仕組まれていた。数ヵ月後、ハーレムに帰ってきたスルタンは、一人を除いた全員のぺにすが切り取られていた。落胆したが、たった一人切り落とされていなかった兵士に感動して、「おまえは偉い奴だ、何でも褒美をつわかそう、何でも欲しいものをいってみろ」とその兵士に言った。しかし、その兵士は何も言えなかった。舌が切り取られていたので。ハーレム小話ハーレムの王、スルタンがお忍びでアメリカに行った。アメリカの町を歩いていると、青年がマリファナを吸っていた。「なんだいそれは。少し私にもわけてくれ」と言って、分けて貰って吸った。青年は「どうだい?ところで、あんた何している人?」スルタンは言った「ああ、私は国王じゃ」青年は言った「もう一服してみなよ。今度は、自分が神のように感じられるぜ」ハーレム小話スルタンに一人の男が物乞いに来た。スルタンは、「おまえは酒を飲んだりタバコを吸ったり女性にだらしないのか」と尋ねると、男は正直に、「ハイ」と答えた。そこでスルタンは金貨100枚を授けた。次に来た男も、物乞いに来た。スルタンは、「おまえは酒を飲んだりタバコを吸ったり女性にだらしないのか」と尋ねると、「私はそういうことはしません。神に祈りを捧げることが最高の幸せです」と答えた。「そうか、それはいいことだ」とスルタンはいい、彼に銅貨1枚を授けた。すると男はびっくりして、「先ほどの男は、金貨100枚で、どうして私には銅貨1枚ですか?」と尋ねると、スルタンは言った。「先ほどの彼はお金がたくさんかかるようじゃからの」筑後川にて。河口には、昔、列車が通っていたようであり、ここにも、除福上陸伝説があった。飛行機から夕方、筑後川を見ると、等間隔で船が川を上っていくのが見える。干満差が8メートルもあるので、両脇対岸が泥だらけである。珍しい風景が見られ、飛行機から見ることのできる楽しい離陸後光景である。そういえば、行くときは、機内より阿蘇山も見ることができる。思い出に残る機内からの風景は、富山便では日本アルプスを。庄内へは、庄内平野。佐賀空港は、はっきりいって田圃の最果ての干潟沿いににポツンとある。佐賀以外の九州各県が空港を持っているので、意地で作ったのが丸分かりである。東京及び大阪より、1日2便である。多分、航空会社に補助金を出しているとか、空港使用税が無料とかいろいろ便宜を図っていると思う。何せ、レンタカー代に一人4~5000円の補助金を出しているぐらいである。ちなみに、当日、朝便は、乗客23人、帰り便は乗客21人であった。そして、行き便で、唯一いた若い女性の乗客が、何と帰りにも乗ってきたのであった。日帰りブロガーか!と私は少し、粋がったというか、興奮した。というか、「ブルータス子おまえもか!」という気分になったのだが、帰りには見送りの男と、初老のおじさんがいたので、何らかの事情がある佐賀関係者と思われた。おまけに、偶然にも機内では、通路反対側に座り、靴を脱いで丸まって爆睡していたので、佐賀での7、8時間の間、よほど激しいことをしてきたと、想像されるのであった。かけっことか・・・あ、かけっこしてきたのは、私だった。ハーレム小話放浪の達人氏「トイモイ君、100万円で、この世の全て、どんなことでも、2つもあなたの質問に、明確に答えよう、何でも私に質問したまえ」トイモイ君「えー、100万円って・・・高くないですか?」放浪の達人氏「うむ、確かに高いな。で、2つ目の質問は?」(閉店)
2007.09.18
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ともかく、ハーレムをいっちょう作ってみようという気になりました。費用はほんの7000万円であっります。詳しく説明を読む勇気のある人はクリックするに限ります。R-35. R-35で拡大して、一望することもできますです。百七十六平方メートルのファンタジーワールドでありますです。嬉しいですか?私は、久しぶりに、最も脱力した瞬間でした。何せ、8分間に間に、渋い、アラビアン音楽の下、調光ライトが光り、噴水が噴出し、各蝋人形が、好き勝手に動いているというチビル程の感動モンで、8分間骨砕けになることは間違いなしです。水質保全や機械管理の努力を考えれば、何と涙ぐましく、生粋の趣味人しかできないことが、分かります。 中央に鎮座するサルタンは、2人の侍女とイタしております。勿論、腰砕けに動いてます。目を凝らしてみると、手も励んでいることが容易に想像されます。(しかし、ハレムといえば、トルコ、トプカプ宮殿もあるが、紫禁城から江戸城まで、そりゃ、世界中にあったわけですな。何故か、ハーレムに海坊主も存在し、懸命に蜜壷を攻めている涙ぐましい努力が見られます。(しかし、ハレムには女性か、それを監視する宦官しかいないはずであるがそこは愛嬌である)何だかよく分からないのですが、あぶれた侍女が、何だか訳の分からない朕棒でマッサージをしています。(しかし、ハレムが1920年代、オスマントルコ滅亡まで存在していたというのは、なかなか凄いやんか)何故か、サーカス団女性もいるようで、くるくる回って遊んでいるのは、いいのですが、ベッドで一人うずいている侍女をイトオシク見つめているようです。(一応、これでも、ニューヨークのハーレムには行ってみたが、そういう場所を見つけることもなかった)天井から吊るされた侍女が、これまたくるくる回りながらも、ウルトラCで励んでいます。これは辛そうです。頭に血が上りそうなのに、口は頑張っています。ヤケクソです。(一応、これでも、アムステルダム郊外ののハーレムには行ってみたが、そういう場所を見つけることもなかった)(閉舘)
2007.09.17
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スーハーマンです。意味が分かりませんが、空中をさまよいながら、動きます。しかし、誰にも似ていないスーハーマンには、今後、期待しましょう。らくだの上で、腰が動き続ける二人です。何故だか、ラクダの首も意味なく、動き続けます。もともと、言葉少なげな私ですが、もはや発する言葉もありません。勿論、エロさもありません。月の砂漠での物語りなのですが、月を良く見ると、シルエットで何故だか、腰が動いているのウサギちゃんです。センサーが対応するので、私が歩くたびに、機械が動き出すのが、少し監視されている気もするが、この館、大盛況で、館内で一人も会わなかったのは哀愁か。駐車場は、すごくいっぱい約1台車が停まっていたというのにである。(その1台とは、何を隠そう私の借りたレンタカーである)マリリンとリーは好きですか?2ショットです。いいんでしょうか?こんなことで。こんな変わったマイク見たことないです、スゲエ。ハンドルを回してくださいと書いていたので、懸命に回すと、風が出てスカートがめくりあがるのですが、ともかく、手動なので、大変です。空しくなる前にやめました。鍛え抜かれたこの体、なのですが、こんな変わったヌンチャクみたことないです、スゲエ。ボタンを押してくださいというものだから、押してみると、ヌンチャクではなく、チャックが開き、ズボンが落ちて、第3のヌンチャクが現れて、私は、フッと、シニカルに笑います。南の国からも、何だか踊りがあるのですが、こんな奴一人でクネクネ踊られても、私は、ちょっとしらけるだけです。鑑賞時間3秒。さすが、有明海である。美人とムツゴロウの産地でもある。有明美人とムツゴロウが仲いいとは知りませんでした。回ってきた雄姿を見たいならクリック。R-29.障子が開き、エロイ声で、いろいろ説明するのだが、どうみてもお化け屋敷に見えました、私の修行が足りないのでしょうか。障子が閉まると、影絵でチロチロはじめるのですが、幽霊というより、トカゲの妖怪だということが判明しました。茶摘美人と題されていましたが、いまだ、裸で茶を摘んでいる人を見たことがないです。いつの時代でしょうか、アナクロです。しかし、明るいシュルレアリズムの世界でもあります。穴が開いていたので、覗いてみると、勝手に、セクスさせられてました。鏡で、私の恥ずかしいポーズとなっておるのです。記念写真とるのも恥ずかしいので、カメラを差し込んでとりあえず写しておきました。黒電話。懐かしい気分になりました。でも有料なので、電話はしませんでした。たらこが挟まっているのに気がついていない無邪気な方です。まあ、さすりもしなかったよ。昔からしていることは、変わりませんということが、この説明からも分かります。しかし、この館は、機械が動くというのが結構ミソです。ゲームもできますが、有料なので、やめときました。しかし、男性からムツゴロウが生えているのは、何故だか不明です。大人になればそんなものなんでしょうか。堪忍して、カニして・・・そうね、、ザ・フェイタルをこの辺りで終わります。皆さん、哀れみの目で私を見ないでください。自分が惨めになるよ。なーんちゃって、カクカクカク。
2007.09.16
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ともかく、私は、趣味人である。総工費5億円、展示品2億円であるが、勿論、私のポケットマネーではあるが、別荘を構えていると言うのは、ここだけの秘密である。詳しくは、ここをクリックして読んで欲しい。読む勇気のある人に限る。R-34. 例えば、佐賀県 「トイモイゲストハウス別邸」の場合 入場料1500円(ブログ見たよ、で無料。)R-34で拡大 (閉舘)R-34で表を見たかったらクリック ・・・じゃね、ザ・ファイナルを待て!(誰も期待してない・・・が、明日こそ、皆様お待ちかねの蝋人形オンステージです)
2007.09.15
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兎に角、佐賀県民の血税を私が無駄に使って、佐賀をぐるぐる回るのシリーズなのである。結果的に、佐賀には、ガソリン代を含めて5,500円も落としていったの心なのである。 例えば、唐津市肥前町の場合 「鶴の岩屋」探したよ、君、なかなかどこか分からないんだよ。最近、ここ、2,3年で市町村の統廃合が目まぐるしく、住所が結構変わってるんだよね。というか、もともと、何番地かも分からなかったんだけどね。そんな訳で、やっと看板を発見して、ほんのここから100メートルっていうからさ、歩いていったらさ、直登。汗をフキフキ、観光客は、蝉のみ。というか、迎えてくれる方もいないね。無人。無人といっても、お寺ではないが、何か、人の家に入っていかないといけないんだよ。何か泥棒気分になりながらも、「ご自由にお入りください」って書いてることに、100倍の勇気を得た訳さ。何の100倍かは聞かないで。というか、岩肌に建物が、ピタット引っ付いているわけで、無理やり、後で作ったなという感じなのが愛嬌だ。愛だ。そして、出られるときはスイッチを切ってくださいと書かれている、スイッチを入れて中に入ると、岩に張り付きまくった仏陀の連続に、ちょっとだけチビルのであった。100メートル登ったスポーツ汗は冷や汗に変わり、順調に脂汗に変更されるのであった。置いてあったスリッパの足の裏の感触も同時に気色悪いのである。まあ、そんな訳で、こんな山奥に、一人密教した私は、益々、放尿の達人気分で次に急ぐのであった。さて、次へGOGO例えば、佐賀市大和町の場合 「止日女神社」地元では、よどひめさまといって親しまれているとのおとであるが、それはそれは、参拝客で賑わっており、私以外には、ベンチで将棋を指す敬虔な浮浪者2人組ぐらいである。目的は、こいつである。金精石。略して言うと、弾痕である。弾痕がいっぱいあると思ったのであるが、これだけであった。男女の営み、ではなく、石棒。祭神の與止日女命がこの石に触れて子宝を願ったところ健やかな赤ん坊が生まれたといういわれがあり、性神・生産神・塞の神として信仰されたと説明書きされているが、これだけのために、ここに寄ったのかと思うと、少し空しい気分にはなる。木に巨大なコブができているのを確認して、1キロ程度車で移動するのである。例えば、同じく佐賀市大和町の場合 「巨石パーク」山ひとつが、巨大なテーマパークであり、この山に何百人という観光客が来ているのではないかと思いながら、すれ違いもできないような山道を上がっていく。頼むから対向車は来ないでくれと願う。遂に、駐車場に着くと、そこには、車が何と約1台止まっており、事務所のようなところからおっさんが出てきた。おっさんの車としかいいようがないのである。おっさんは妙なことをいう。「本当に行くの?駐車場代300円ね。5時までだから、それまでに戻ってこれるかな?」「飛ばして歩きますから」「そうすれば、1時間ぐらいで戻ってこれるかな。ほんとにいくの?」と何故か不気味な言葉を残しながら、地図をくれた。山に入って、急いで登ると、夏だと言うのに、大量の汗が出てきて、シブイTシャツの色が変わってしまう。この山に、私と蝉軍団しかいないと思いきや、そうではなかった。熊蜂もいるようだが、それ以上に、蚊軍団がいて、私を包むのである。もはや、巨石見物どころではない、手で常に振り払いながら、もう帰りたい病になり、泣きたい病になった。汗は、いつしか、諦めの涙に変わっていくことであろう。260メートルの山の上にある巨石なんかもうどうでもいいよ、この蚊とこの汗をなんとかしてくれという祈りに変わる。これは、女陰石か。・・・これがメインの石ということだが(全部で17石)、明治時代の中頃まで、與止日女神社の上宮として毎年11月20日に祭りが行なわれていたそうでで、女神石と男神石という2体の岩石からなる重岩なのだが、もうどうでもいいのであった。30分で退散。まさしく、古代のロマンであった。 さて、次へGOGO。じゃね、ザ・サードを待て!(誰も期待してない・・・が、今度こそ、本当の性をお見せします!)
2007.09.14
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兎に角、佐賀県民の血税を私が無駄に使って、佐賀をぐるぐる回るのシリーズなのである。結果的に、佐賀には、ガソリン代を含めて5,500円も落としていったの心なのである。 例えば、有田町戸矢 「ポーセリンパーク」の場合 入場料無料。 有田といえば、ウム、焼き物である。 ポーリセンパークに行くが、大盛況すぎて駐車場に、私のレンタカーと、もう一台の老夫婦のレンタカーと、チャータータクシーの3台も広大な駐車場敷地にキュウキュウに詰まっていたのであった。(1500台しか停められない)時間がないので、昼食は、車内にて、パンを食することにしたのだが、その3組全員が、そのパン屋に集結していたのであった。どうりで、いくら315円や525円で売っている焼き物屋に誰も客がいなかった訳である。格調あるツヴィンガー宮殿である。去年、飛行機の機内誌にて、見たので、一度、10分ぐらいは寄ってみようと決意表明した訳である。辞任しないのである。責務責任もないのである。何故、こんな、田舎の山の中にドイツ宮殿があるのか、マイセンを偲びつつ、先を急ぐのである。ヨーロッパ庭園にて、有田焼の噴水が噴出す中、「性に城!」と叫びつつ、やはり先を急ぐのである。さて、次へGOGO例えば、伊万里市山代町 「松浦一酒造」の場合 入場無料伊万里といえば、ウム、焼き物である。松浦一酒造にいくと、駐車場は、盛況で、1台も停まっていなかったが、まあ、それは愛嬌である。酒造の工場見学をさせてもらえるのであるが、飲酒運転はできないので、臭いを嗅いで酔っ払うにとどめることにする。ホームページより紹介するのである。松浦一酒造(株)の創業は、正徳6年(1716年)で、290年間 松浦地方で一番になりたいと銘柄へ願いを込め、お酒を造り続けております。 当家には「我が家には何か珍しいものがある」と代々の当主から当主へ語り継がれる話がありました。しかし17代続くなかでそれが何を意味するのか不明のまま推移しておりました。それが、約50年前 母屋の屋根がえの時に大工の棟梁が 「梁の上にこんなものがくくりつけてありました。」とボロボロになって埃だらけ しかしとても丁寧に紐でくくられた箱を持ち下ったのです。 蓋をとるとなんとも不思議な形をしたミイラがでてきました。黒い箱のほこりを払うと その箱には“河伯”という文字が書かれてあります。当主は大変驚き いろいろ調べましたが、箱の “河伯” という文字が “カッパ” を意味するということ以外手がかりが見つかりません。しかし、これが祖先から伝わる言い伝えのものに違いない。そして河伯さまがこの蔵を守ってくださる。と 神棚を作り、水神様としてお祭りするようになりました 兎に角、恐る恐る、酒蔵に入っていくと、センサーが感知して、向こうの方でピンポーンピンポーンと鳴っているのである。急いで、説明人兼お土産販売人兼酒利き人が奥から出てくるやと思いきや、無視されたのであった。その方が気楽でもあった。何も買わなくていいし。それにしても、猿を切り貼りするとか絶滅したニホンカワウソとか、河童のミイラは日本各地にあるが、簡単に見せてくれる場所は珍しいかもしれない。カッパが好きかと尋ねられると、ちょっと困るのではあるが、まあ、しいて言えば好きかな。そんな訳で、河童の置物や作り物を順次順調に見て奥へと進んでいくのである。ちなみに千年前の牡蠣の殻はまだまだミイラにはなりません。しかし、想像上の生き物というのは、ロマンである。そういや、最近の想像上の生き物を求めての旅行は屈斜路湖のクッシーだったなあ。本場ネス湖も、もっと脱力らしいが。鹿児島県のイッシーもいかなあかんな。さて・・・熱心に酒の臭いに酔っ払った私であるが。一番、奥座に鎮座するのが、カッパのミイラである。アップ更に。アップ 満面笑顔で「何か用かい?」うう、水をくれ・・・のどかわいた・・・ さて、次へGOGO。じゃね、セカンドを待て!(誰も期待してない・・・)
2007.09.13
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年金の問題も、機械に名前を打ち込むのがメンドクサカッタ。しかし、暴動もおきないのは、日本だけで、日本国民も怒るのはメンドクサイ。ちゃんと、年金解明するまで、年金払わない!って何故出来ないんだ!俺も、面倒だから、年金将来もらえないのに、ぼられて、嘘つかれているのに、面倒なので、国にくれてやっている。911の国家的な詐欺についても、杜撰である。あらゆる証拠隠しを徹底的にするのはメンドクサカッタ。矛盾点ばかりで、もう誰もアレが、アルカイダがやったんあて思ってねーよ。テロ国家アメリカって怖いねえ。でも、杜撰な自作自演。 パチンコに行くのに、子供を車の中に置き去り、メンドクサカッタ、連れて行くの。それに、前もその前も死ななかったから今度も死なないだろう。 昨日のニュースでも、もう生きるのが面倒だから、うっとうしい奴を殺した。一人では見合わない、2人だ。そんな自分をほめてやりたい。面倒で、いつのまにか自分の論理の王様になっておる。皆が皆、自分が王様女王様であり、自分の妄想論理に従って事件を起こす。面倒なんだ。 オロスお金がないから生みました、面倒なんだな、先行きもっとお金がかかること考えること。 私も寝てないんだと、逆切れした某スノーマークの社長も謝るのが面倒で思考停止、あんなもの食べるなんて消費者も考えてないね、と言い放った某肉玉の社長も釈明するのが面倒で思考停止。 原発事故の対応も、メンドクサイからね、隠してしまった方がいい、文句いうなよな。前にも隠せたし、今度も隠せるよ、どうせ死ぬときは一緒だ。 給食費も払うのが面倒だ。王様理論だ、何で、金払ってまで、給食食べさせないといけないんだ、損じゃないか。 万引きも、お金払うのが、損なんだ、王様理論だ、こんなに商品が溢れているのに、何でわざわざお金払わないとイケナインダヨぉ。損ジャン!前にも見つからなかったし。今度も見つかるはずがない。 王様は優先順位がなく、目の前のものが、優先順位だわ。そりゃ、私も試験前になればなるほど、机の整理や、漫画を読んだものだが、その延長線上にある。そこに死にそうな人がいるのに、「死にそうな人がいるぞ」と友達に携帯電話したり、子供が死にかけているのに、テレビのいいところに釘付け。重要なのに急いでないことより、急いでいるけど、重要でないことを先にする、どころか、重要でも急ぎでもないことを、順番がきたからと先にする思考停止。 俺はこんなに一生懸命働いているのに、なんて器量の悪い女と結婚したんだ。何故、俺を癒さずにストレスになるんだ、俺はなんてかわいそうなんだ、不幸だ、何とかしなければ、つぶされてしまう!バキッ!! 彼は、時々、殴るけど、優しいときは優しいの!殴らないときには殴らないのよ! モーイイヨ。
2007.09.12
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3年ぶり、いや、4年か5年ぶりだろうか。個人的な日記に個人的なことを書くのは、少々恥ずかしいのであるが、私事でもあるのだが、ニューヨークに住む元嫁から連絡があったのは、1ヶ月程度前だったであろうか。内容は、個人的なことなので書くのは著作権もあって憚られるのではあるが、敢えて記録しておくために書いておくとすれば、「元気ですか。インドに3週間出張です。この私が、インドですよ。人生何があるか分からないものですね」「元気です。今やインドはIT国家ですからねえ。アメリカとの時差を利用したデータ処理がすごいですね。ハイデラバードですか?」「分かりましたか。そうです。ハイデラバードです、ところでゴアには行ったことがありましたか。ヒッピービーチだから行ったことあるんじゃないかなと思って。」「行くのですか?私は明日からアメリカ経由でメキシコに行こうかと思ってます」とメールは2往復して終わった。うっかり、私は、元気にしているのかとか、結婚しているのかとか、年収はどのくらいかとか、休暇はどのくらいあるのだとか、血液型とか、ニューヨークのうまい店とか、ポジティブシンキングの続きとかその行方とか、聞くのを忘れていたのだが、彼女もすっかり、私に何人愛人がいるのかとか、何台車や、いくつ家を持っているのかとか、机の整理はしているのかとか、大型テレビは買ったのかとか、今も馬鹿のままなのか、とか今も間抜けのままなのかとか、ケツの穴の小さい男のままなのかとか、血液型とか聞いてくるのを忘れていたので、おあいことでもいうものであろう。 あれは、確か、7年前か、8年前か私は、夏期休暇に元嫁(そのときは普通の嫁)に質問をした。「なあ、インド行かんか?」おおよそ、時間にして0.5秒後であるが、明確で的確な返事があった。「行かない。行きたくない。行く気もない」おおよそ、時間にして1秒後のことであるが、私は、はにかみながら鼻かみながら返事をした。「俺は行く」最近、ニュースなどみていると、犯罪者の年齢が、私より年下だったりなんかして、愕然とすることがある。同じように、80年代、インドに行き続けた私が、当時60年代のインドを羨ましく思っていたのだが、それから20年たったと思うと愕然とする。心斎橋君インド紀行の気持ちも分かる。20歳にインドに行き、40歳でインドを思い返す、人生を思い返す、なかなかいい機会であり、企画である。 相変わらず、インドの問題はIT,ハイテクとなっても、貧困である。インド人が優秀というのは、教育もあるが、人口が多いので、その割合も多くなるのは当然である。中国しかり。相変わらず、路上生活者は多くいて、変わったと言えば、その後ろにある道端の看板ぐらいであろう。だいたいITに参加できる公用語を話すインド人はどう多く見積もっても5パーセントしかいないのである。といっても5000万人であるが。相変わらず識字率は4割でしかないのである。といっても4億人であるが。バンガロールはインドに浮かぶ孤島であろう。何せ相変わらず、極貧層は47パーセントの1960年代から3パーセント程度しか改善されていないのである。 バンガロール、思い起こせば、サイババ都市(プッタパルティだったかな)の近くである。恥ずかしながら、一時結構はまった。しかし、サイババは流行る前から知られていた。1980年代当初に出版された横尾忠則の「インドへ」か何かにもサイババのことが書かれていたような気がする。IT都市とサイババ都市が写真で見る限り、何かつくりものの世界ですごく似ている気がするのは、私だけではなかろう。 まあ、そんな感じで、以後、心斎橋君の日記報告を待とう。
2007.09.11
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朝9時起床。ビーチに行く船の中で知り合った人の親戚の家に泊めさせてもらっているのだが、家のトイレは便座と便器が引っ付いて腐っている程なので、勢い、便意もなくし、出掛かった便も引っ込んでしまい、おぞましさと便意で顔が真っ青になりながら、ファーストフードの店まで、大を兼ねて行く。とにかく、ファーストフードの中は清潔でフィリピンとは思えなかった。ハンバーガー及びマンゴージュースを飲んで、大をして戻る。というか、大をして、ついでに、食事を採る。 今日の、唯一のメニューは、飛行機のリコンファーム(予約の再確認)のために、空港会社オフィスに行くだけである。しかし、これが、面倒な作業である。まだ10代だったので、電話で済ますという方法を思いつかなかったのかも知れない。「マカティ地区のタイ航空事務所に行きたいんだけど」と、前の路上タバコバラ売りに聞くと、「シアター横のジープ乗り場で聞くといいよ」といわれ、そこまで歩いていき、そこでは、ヤクザ風あんちゃんに聞いて、ジプニーに乗った。その運転手に住所を書いた紙を渡すと、OKと言われて、しばらくして、ここだよ、と言って降ろしてくれた(実際には、そこからまだ数キロ離れていた)。ここはどこやねん!といって、歩く人々に紙を見せてうろうろしたが、皆、あっちだこっちだとデタラメに指差す。5,6人聞いて、振り回されたあとに、前から歩いてくる若い女性3人組に声を掛けると、「アレー?アナタニホンジン?」と日本語で聞かれた。「あれれ?何で日本語話すの?」と私が聞くと、「私たち、ダンサーで日本に行っては、稼いで帰ってくるのよ」そうかそうか、しかしこの国は、ダンサーだらけだなあ、おもしろいなあ。と思いながら、「じゃあ、連れて行ってあげるから、一緒に行きましょう」といわれてタクシーを拾う。しかし、彼女らも実は、どこか知らなかったので、タクシーはぐるぐる同じところを回る。メーターもぐるぐる回っていくので、内心、金が金が・・・頭の中がぐるぐると焦った。事務所が閉まる12時も近くなってきた。やっと事務所について、お金を払おうとすると、いいからいいからと言われて、そのまま、飛行機のリコンファームもしてくれた。「さて、これからどうするか?ダンス教室くるか?」といわれ、「うん、いく、いく」といって、またタクシーに乗って、プロモーション前に着く。社長は日本人で、東京にいるそうだ。女の子ばかりと思ったが、ダンスの先生だけはオカマだった。気に入られた。モーションを掛けてくるどころか、ポテトチップスやジュース、挙句の果てに、堺市にいる恋人(って男やん)に宛てた手紙まで託される始末であった。おまけに、空港税は200ペソ取られるから、ハイこれ200ペソあげるよ、と言われる始末であった。 明日もおいでよ、と言う約束をして、戻る。戻ってディスコに行く。私の横に腕を組んで来て嬉しそうにしていたのが、やはりオカマであった。「もう、私がオカマダンス教えてあげるわよ」といって無理やり教えられながら夜は更けていった。マドンナ、マテリアルガールに合わせながら夜は更けていく。
2007.09.10
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クチュクチュ スベスベ ヘコヘコ ジュルジュル ピチョピチョ メリッ ムチムチ ムラムラ ベロベロ ペロペロ ギシギシ ニャンニャン メキメキ しゅにしゅに にゅるにゅる ズッコンバッコンウォーン ペチャペチャ ウィーン ピュ ガンガン スベスベ ツルツル バッコンバッコン ベッキン パツキン ネバネバ ブブブッブ ジリジリ ムニュムニュ はあはあ ジキジキ ズボッ タプタプ むっちり むくり ぐっしょり ニョキニョキ ドドーン みしみし ねなへな ムクムク ピンピン ビンビン ドッキン ずぷり びくびく びしょびしょ ガルルルルー ほじほじ クィクィ チョメチョメ ゾクゾク チロチロ クプクプ しっとり ピクピク モジモジ ぼーぼー ツヤツヤ パンパン ボッキーン あんあん ツルツル もんもん カクカクッ パカパカ プクプク チャペチャペ オラオラオラー ボインボイン ボヨヨーン ビビッ ふっくら もっこり じわじわ ヌルヌル ビクリ ジュポジュポ トローン ぬるり ねっとり ずきずき ムズムズ ジリジリ ひたり たっぷり ぎりぎり べたべた ぬちゅぬちゅ ブルブル ヌレヌレ シュポ グリグリ ドバーッ爪いきなり割れた ハア~ いてぇ
2007.09.09
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メガネ・ホウキ・ビールビン・・・三種の神器。誰も、このビーチで、私の本名を知る者はいない。裸の生活は、過去や現在の地位も名誉もない。チェックイン?私は、コテジCの客で、名前はCだ。チェックインするときに、Cと書かれた鍵を渡されただけで、後は何もない。そして、受付にあるCのノートに、食べたものとか、毎日宿泊料を書き込む様に言われただけだ。だいたい、私の名前を耳慣れたイントネーションで呼ぶのは、親か親戚だけである。チャイナタウンの泥棒市場で買ってきたラジカセの音楽が終われば、後は、することは、散歩だけだ。 人は生まれながらにして影を持っている。物は作られた瞬間から影を持っている。トカゲもそうだし、紅蜆蝶だってそうだ。影は、思いがけず、人の跡をついてきたり、時間によっては先導したり、あるいは、横になって生意気にも一緒に歩く。しかし、影は喋らない。時に影は人と同じだけ背が伸び、同時に同じだけの体形となる。不気味に喋らず、真似だけを展開する。一向に何を考えているのか分からないのである。影はその人の罪を一身に背負っている。もし、影が薄くなり始め、その人が濃くなり始めれば注意しなけばならない。知らぬ間に入れ替わったところで他人は気がつかない。物陰で影を消すことが唯一の対処の仕方である。影は、夕刻に、6メートルにも7メートルにも伸びる。そんなにいばらなくても、自己主張しなくてもいいとは思うのだが、消える前に精一杯の反抗と警告を鳴らす。やばいぞ、そのひと。雲よ、影を消してくれ。人影が、15センチのイグアナになる前に。影は嘘をつくからな。俺は、メガネなのに、影はサングラスだからな。
2007.09.08
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夕日を見ながら思った。何となく、薄暗く、薄汚くなっている部屋に泊まるのも、たまには悪くない。チカチカと光る気だるさが好きです。飲みすぎて疲れすぎて、ボックスに座って、眠そうにする姿。このまま倒れてしまいてえという破壊的な状況。音楽がガンガン鳴って。みんなが元気に踊って、一人疲れて倒れてしまっている腑抜けな状況が割と好きです。夕日を見ながら思った。 全然関係ないが、昔、ネパールのダンプスというトレッキングの入り口の村で、風景を見ていた。遠く、10キロぐらい離れた谷からダンプカーの音がこだまする。その音が、その谷の向こうに見える5、6000メートル級の山々の頂上付近が急勾配なので、雪が煙になって、風の方向に何百メートルも舞っていくのが見えるのだが、ダンプカーのエンジン音がその雪煙の音に聞こえるのであった。しかし、しばらく眺めていると、地球の自転の音に聞こえるのだ。地球が丸いと分かるぐらいの距離まで離れて俯瞰しているような感覚に襲われる。何せ1日1回転だ。つまり、時速2400キロで地球は回っているのである。その回転音を想像してしまうのである。夕日を見ながら思った。同僚の子供が、今日のニュースで、きこちゃんの子供ふぁっけ、1歳になって、ニュースになっていたのを見て「この子供えらいの?」と質問があった、といっていた。どう答えたらいいものか。「別に、偉くはないけれど、世の中は生まれながらに差別があるからね、身分があるからね」なんていうと、差別や身分の説明をしなければならないからね。夕日を見ながら思った。最近、海外旅行をしてきたので、海外のことばかり書いていたのだが(というか、サンフランのことはちょとだけで、ほとんどタイのことだったのだが)、日本は国境を海に面しているので、言い方が海外であるが、そのために、外国は、特別な場所という意識がある。そう簡単には行けず、ハレの場である。だから、例えば、ハルジさんはカナダに住んでいるのに、毎日アメリカの会社に通勤しており、毎日国境を行き来しているというのは、何とも日本的感覚からすれば不思議だ。でもヨーロッパじゃあ、少し物価が安いというだけで、隣の国に住んだりするし、ミックジャガーなんかも、確か、税金のないリヒテンシュタイン国籍になってるんじゃなかったっけ?夕日を見ながら思った。 それにしても、海に囲まれているおかげで、国を意識しない国民であり、イスラエルやクルドみたいに、心の中の国家というのはないのだなあ。夕日を見ながら思った。死ぬまで、死なないのだから、考えても仕方ないなと。夕日を見ながら思った。感動装置だなあ。夕日を見ながら少し、何も思わなくなった。夕日を見ながらだんだん何も思わなくなった。夕日を見ながら全く何も思わなくなった。夕日を落ちて思った。今夜はこれを食べようと。
2007.09.07
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四国路を吉野川沿いに走っている。以前、インドで、宗教を尋ねられると、科学なんてトントンカンなことを言ったり、面倒なので仏教徒と言ったりしていたのだが、本当は、損得教だったのであった。インドのヒンドゥー教の来世宗教観を目の辺りにすると、明らかに、損得勘定を越えた光景を目にし、愕然としたものだ。一部一定数の人間は別にして、生まれながらにして乞食は乞食のまま、生きていくために盗みを働いたり、上昇のためにあらゆる努力をしてのし上がるということはなく、現状をまっとうし、つつましく生きることによって、来世が保障される。そういや、マルクスか誰かが、宗教はアヘンだといったが、そのマルクスもマルキシズムという宗教になってしまった。しかし、考えれば、イズムとは、中毒のことであろう。お客様第一主義、ヒロイズム、マルキシズム、実存主義、全体主義、リベラリズム、原理主義、合理主義、利己主義、レイシズム、古典主義、資本主義、官僚主義、マンネリズム、事なかれ主義・・・お客様第一中毒、悲観中毒、マルクス中毒、実存中毒、全体中毒、自由中毒、原理中毒、合理中毒、利己中毒、人種差別中毒、古典中毒、資本中毒、官僚中毒、惰性中毒、事なかれ中毒・・・日本では、かわいこちゃんってなんていうのですか?フランスではカワイイキャベツちゃんです。日本ではレモンちゃんでもいいのかもしれないけれど、アメリカでは欠陥車ですね。かわいいピーチちゃんか。「おまえ、もう性も根も尽き果てたよ。ここからバンジージャンプしてみるか・・・。何が、全知全能の神だよ、神も何もあったものじゃない!」「あなた、全知全能の神は、唯一神の宗教だけだわよ。ヒンドゥも日本神道やおろずの神も欠陥だらけの、2面性を持っているわ。それに、あなた、全知全能というからには誰に対しても何に対しても全知全能なんだから、あなただけに都合のいいような神は全知全能とはいえないわ。だいたい、神様はアナタに興味なんてないわよ」池田市だけが楽をしようとしても、そうは、問屋が卸さない。皆、楽がしたいのだよ。橋にハリボテ城。やはり、道路には、チープロードサイドアートが似合う。本日も既に、運転時間を6時間、一服していくか。おっと、危ない、商業中毒に毒されるところであった。今度、団体合同結婚式をするときは、ここを利用しようかと、決意を新たにする。石屋が続き、いろんなチープ彫刻が目を和ませてくれる。今日は、まだ朝から何も食べていない。芋食うしかない。河原沿いには、100枚程度のシートが規則正しく敷かれており、よそ者が入っていくことを強く拒んでいるようであった。愛知県と高知県の地中に潜る5キロ以上の寒風山トンネルは無料トンネルとしては、日本最長という噂もある。いや、四国一か。 いよいよ、地球環境に厳しいガソリン撒き散らしドライブも終了。あちらに帰る。怪しい格好はしないように気をつけながら。気分は、こんな感じだ・・・りんりん・・
2007.09.06
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新居浜屈指の感光スポット、炭鉱ラーゲリにて。新居浜と言えば、高校野球の学校の名前で、小学校の頃から知っているという程度である。新居浜屈指の強制労働所、マイントピア別子である。マインとは鉱物(マイニングが鉱山か)で、トピアは、理想郷であろう。それから、ついでにいえば、先週、月火水曜の3日連続、靴下に穴が開いたことを報告しておく。最近、一番嬉しいプレゼントは靴下であることも明記しておく。鉱山鉄道にて、坑道に強制連行されるのである。さすがに、屈指の敢行スポットだけあり、強制連行されるのは、足の悪いおばあちゃんと、その年老いた息子夫婦、そして普通の4人ファミリーに、思想犯で連行された私に、別途一人おっさんブロガーと、列車には9人も乗せられているのであった。列車は山里離れ、谷を超え、どんどん人里はなれて何されるか分からない所まで連れて行かれる。乗車時間5分。もはや帰られる距離ではない。(秘密地図によると、歩いて帰るならば、何と4分もかかると書かれている。そんなに遠いのか?列車は歩くより遅いのか)我々は、マムシのうじゃうじゃいる野に放たれる。鬱蒼としたシベリアジャングルで、サバイバルは続く。いよいよ、橋を渡って、無事生存して帰還する可能性が、100パーセントしかない坑道に押し込められる。もう一人のブロガーと写真取り合戦となる。お互いが写真に入るのを無言で避けながら、距離を置く。同じ釜の飯を食わない戦友である。歓喜坑と呼ばれる。皮肉な名前である。人々は、その言葉に騙されて吸い込まれていったのか。既に、強制労働させられている人々をまず発見。みんな働いているか。ミニチュア版であり、キッチュであるが、もしかしたら、狭い坑道を背中を丸めて歩き続けたので、ミニ化したのかも知れないと邪推する。唯一の楽しみは男女共用風呂である。共同なのに、つまらなそうな顔をして体を洗っている男。男を無視する女。大きなお金を数える女たち。ああ、ぶっこわしてええ。ちょこちょこ。ちょこちょこ。ちょこちょこ。熱いかもしれないが、坑道内は20度である。じゃんけんぽん、あ、手出せないの?ぐえええ、重い。もう持つのはやめるよ。何故だか、宇宙基地というか近未来というか地下秘密基地。体験コーナーといいながら、密かに児童強制労働させるつもりである。坑道は狭いからな。湧水の引き上げ作業だ働け!これは24時間引き上げ続かないと、坑道が水没するからな。モーイヤ、爆破!自爆!だって、顔にブツブツできたから!強制労働の後、生き残って出られたならば、億万長者になります。(私は既に億万長者だったので、ここで2億万長者になりました。どうよ?)
2007.09.05
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サモシール島にいた。サモシール島は淡路島やシンガポールと同じ程度の大きさで、バタック族というキリスト教が住んでおり、独特の尖塔屋根の家に住んでいる。その島は、トバ湖に浮かんでいる。トバ湖は、琵琶湖の3倍の大きさで、世界一大きいカルデラ湖であるという(2番目はイエローストーン)。 東洋のスイスとか東洋のチロルとか言われているが、それは、東洋のベニスといわれるバンコクと同様、そう大したものではない。しかし、何故だか、宿屋が乱立し、その宿屋も誰も泊まっておらず、おそらくインドネシアで一番安い部類の宿屋である。どこも、100円程度で泊まれるのであった。トバ湖はインドネシアのスマトラ島にある。スマトラは世界で6番目に大きい島だが、7番目に大きい本州の約2倍強の広さがある。本州とグレートブリテンはほぼ同じ大きさ)。 そういうことを頭の中で感じながら、理屈が愉快である。しかし、この島が、淡路島ほどあり、この湖が琵琶湖より大きいということは、入り組んでいるので、分からない。分からないが、特に何もないこの島を3時間歩いたところで、特に何もない。ジープと1回すれ違ったところだ。ボブマーリーのレジェンドを聞きながら歩いている。 8月23日、その日も、ただ散歩だ。島は山で覆われているが、湖の麓は、牧草地が広がる。1キロ程度先に教会風の学校が見えた。正午で学校が終わったのか、子供たちが出てくるのが見える。1本道の向こうから、子供たち30人ぐらいが、歩いてくるのが豆粒のように見える。私も歩く。子供たちも歩いてくる。あと10分もすれば、すれ違うのだろう。両脇は、牧草地である。私は、山を見、湖を見、口笛を吹きながら、平均気温20度程度の高原地帯を歩き、時々、子供たちが近づいてくるのを眺める。 10分後、ついに、30人の子供たちとすれ違う。子供たちは、外国人東洋人に興味を示し、「ハロー」という。それぞれの子供たちがはにかみながら「ハロー」という。私は30回、ハロー、という。そしてすれ違う。 2時間歩いて一休みしていると、地元の姉妹に声を掛けられた。キリスト教徒なのでなのだろうか、イスラム教徒でないからであろうか、女性が声を掛けてきて、いろいろ話をしていると、夕方になり暗くなってきたので、また2時間歩いて帰ることにした。そこに、おじさんが一人、歩いてきた。私を見て、名前を尋ね、どこにいくのかと訪ねてきた。私は名前をいい、シマニンドに戻るのだと答えると、彼は、はにかみながら笑い、同じ方向だね、一緒に行こうといった。 彼の歩く速度は速かった。そして、彼は終始無言であった。真っ暗な舗装されていない、車が1台通れる程度の道を歩いた。汗は出たが、気温は低く、汗が冷たい。冬の夜にランニングをした高校生の頃を思い出した。虫の音と、湖の波の音と、歩く我々の足音だけが延々に続いた。 2時間が過ぎ、見覚えのある宿屋の辺りに帰ってきた。彼は、「もう一度名前を」と言った。そして握手をした。そして、別れた。
2007.09.04
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街道沿いにある古き良き大型ドライブインというのは、時代に取り残されたレトロ感と哀愁が漂っている。兵庫県赤穂でもシブイドライブインがある。子供の頃に行ったことがあるのだりんりん!四国路に、愛媛県西条市にパークー有りである。XXXXXXXXがりんりんしているのである。夜になると、パチンコやのように光り輝くのであろうか。でも、近くで見ると電飾ではないことは確かだ。りんりん!入浴だけでも、お一人さんの宿泊だけでもOKだが、誰が泊まるのかが分からない、りんりん!昔、るんるん、というのがあったが・・・トラック野郎は禁止であるが、観光バスの次が何故だか消されているのは、愛嬌か。何度もぶつけられて看板がぺこぺこになっているのは、愛か。りんりん!無造作に果物が地べたにおかれている。商品ラインアップは当HPへ。りんりん!80円の謎のサイダー。アウトサイダーか。シブイホームページの文言を読む。水面に光る虹色の鯉の舞。春には真紅のつつじが咲き乱れひときわ華やかに彩りを添えます。初夏の新緑、秋の紅葉など、四季を通じてたのしませてくれる広大な庭園、咲き乱れる花々やゆったりと泳ぐ錦鯉を鑑賞しながらの散策は、心を和ませてくれます。きっともう一度訪れてみたくなることでしょう。四国路の思い出に情緒溢れる名産品、民芸品をすべて取りそろえました。100坪もの広々としたスペースで、四国ならではの山海の味覚、伝統工芸品をゆったりとお楽しみください。そんな訳で、忘れられないドライブインになることは確実だ。正しくは、思い出したくなくても忘れられない、か。実は、調べによると、テーマパークの走りである、この施設、その昔、秘宝館も備えていたという噂である。それに、まだまだ、社員募集もしているぞ。 店内に入ると、なかなか活気がある。いきなり店員が新聞を読んでいたりなんかして、土産物屋の鏡である。昼食時を離れたためか、併設大食堂にも順調に客はいない。りんりん。ぱークーのメインスタジアムは奥にある錦鯉庭園である。すごい怖い顔をしたおばはんと、その子供で、怖かった。りんりん!その狼系の顔をしたおばさんは根は優しそうで、子供たちに恋の、鯉の餌を与えていた。りんりん!なんとも、総額3億円の鯉であるそうだ。没落貴族か、昭和30年代ぐらいの高度成長で稼ぎまくった名残で生き延びているのか。りんりん!1メートルくらいある鯉が太りすぎで泳ぎにくそうなのだ。指を池にひたすのは怖いです。りんりん!足湯のセット準備中のおじさん二人であるが、バケツで熱湯注入中であるが、どう考えても、誰も、このクソ暑い中、入る人間がいるとは思えないのである。りんりん!剥げたパンダちゃんに迎えられ、ミニ四駆レース場である。さて、いっちょ童心に戻ってと思ったが、物置となっており、本日は定休のようである。りんりん!仕方ないので、その横の錦鯉水族館でも、いっちょ童心に戻ってと思ったが、物置となっており、本日は定休のようである。りんりん!営業時間の下に立ち入り禁止と貼られているが、この物置を無理やり奥に水族館があるのだと思って、入っていく人物が多いのかも知れない。りんりん!天然おおうなぎの館で、いっちょ童心に戻ってと思ったが、物置となっており、本日は定休のようである。錦鯉もビニール袋一杯までは持って帰っていいようであるが、係員に申し付けると叱られそうだ。りんりん!休憩所で休憩しながら、庭園売店に入って盆栽いじりに勤しもうと、いっちょ老人の気持ちになってと思ったが、物置となっており、本日は定休のようである。りんりん!心なしか、ありがたみを感じないのは、私の信仰心が足りないからと思われる。りんりん!鯉に恋してる人たちの憐憫が感じられます。りんりん!尾が魚のような甲羅を持つゴジラ?りんりん!最後に種明かしをすると、というか、私の調べによると、ホームページのアドレスが、http://www.rinrinparque.com/であり、パークーは「parque」であり、これは、用は、スペイン語じゃん、志摩パルケエスパーニャのパルケじゃん。正しかったのである。
2007.09.03
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人名のついた日本初めての空港なのだが、近隣には戦争遺跡があるのである。掩体壕(えんたいごう)、飛行機の格納庫の残骸である。とにかく説明が面倒なので、画像をクリック!(興味ある人だけ)以下、高知新聞より。高知空港の前身は、1944(昭和19)年にできた「日章第一海軍航空基地」。開戦前、地元の農家は移転させられ、戦時中に田畑が滑走路や兵舎などになったという。戦後の52年に「日章飛行場」に、60年に1200メートルの滑走路の高知空港となった。滑走路は徐々に延び、04年には2500メートルになった。その中に立つ巨大な灰色のコンクリート製の掩体壕(掩体とも呼ばれる)は異質なコントラストを醸し出す。 掩体壕は戦時中、航空機を米軍の空襲から守るために建設された。計四十一基があったが、木製のものは敗戦後に解体され、コンクリート製九基のうち現在、七基が残っている。最大の掩体壕は高さ約十メートル、幅四十五メートル、奥行き二十二メートル、コンクリートの厚さは少なくとも五十センチはある。 高知空港史によると、掩体壕を建設した高知海軍航空隊は昭和十九年三月、偵察搭乗員の訓練のため開設された。飛行場や兵舎の建設のため、旧香美郡三島村の七割に当たる約二百十二ヘクタールを接収、同村は消滅した。滑走路はコンクリート舗装の長さ一千メートル、幅六十メートルが一本、砂利舗装の長さ一千メートル、幅四十メートルが二本。西側の前浜地区には誘導路や掩体壕が建設された。開口部は主翼のために横に広く、中央には垂直尾翼かプロペラの接触を避けるためと思われる凹みがあり、戦闘機が入るのだなと想像できる。形態と機能が完全に一致した戦闘機格納庫以外の余計なものがないぞ、という状態で、「形態は機能に従う」という現代建築の有名なテーゼを本当の意味で具現化しているのは軍事施設といえるか。 とにかく、私が乗ろうとした飛行機が、機材不備のため欠航になり、90分ぐらい余ったので、(次便があってよかったよ)急遽、空港暇人になった訳であり、歴史の勉強をしたという按配だったのである。とにかく説明が面倒なので、画像をクリック!(興味ある人だけ)農地の中にあり、農作業の倉庫やゴミ置き場と化している。さすが、戦争遺産。トラクターも入ってたりなんかする。
2007.09.02
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男だから、マッチョだから言うわけではないが、現在、大阪伊丹空港で朝一番に離陸するのは、高知便である。その時刻、7時10分である。伊丹市との協定で、昔から7時から21時までしか離発着してはいけないのである。そんな訳で、早起きしなければならないという使命を持ちながらも、ギリギリまで起きることが出来ないのが、エリート兼富豪兼資源ごみ分け係兼洗濯番長の悲しい性である。そんな訳でTシャツを急いで着たのはよかったのだが・・出かけてから気がついた。臭い・・・一日中気分が悪いのである。これ、洗濯してなかったやつじゃないの?大ボケ!小ボケ!深山に入っていくのである。吉野川本流を離れ10キロ。ただのうどん屋も、なかなかいい感じじゃないか、先行が期待される。子供もカップルも小便岩で癒されるのである。先行きが期待される。まずは、かづら橋である。観光地であり、朝から観光人が行くのである。一応、私は、高所快楽症なので、簡単に渡ることができるのである。しかし、私の目的地は、かづら橋よりさらに奥なのである。車のすれ違いが出来ないのである。対向車が来ないことを期待するのである。私は運転が下手なのである。滝があるが、それもかっとばし、更に、一本道を奥に進むのであるが、行き来するものはいないのである。出た!目的地の看板出現。遠く、深山に浮かぶ看板、目指せ!駐車場も無料、お山公園、地獄洞窟、天国動物?かけてるのか?さて、入り口に到着である。楽しませてもらおう。・・・なにぃ、8時からと書いているのに、閉まっている!閉山か!いくら待っても開かないし、誰もいない。お金を払わずに入場されてもあとで払ってもらいますと書いているのに。・・・ショックである。ショックに気がつくまで、家から出てすでに4時間という年月が過ぎ去っていた。Tシャツも臭い。仕方ないので、HPから引っ張ってきます。お山公園お山公園お山公園宝物館という怪しいところも閉館。落ち込みハツラツで湧き水飲みまくるのみ。
2007.09.02
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どちらに住むか、どちらを買うか、両方買うか、両方やめとくか、苦渋の選択である。そして、好みのようなものがある。私のような東京から見た田舎者にとって、何が、他の場所と違うのかがよく分からないということと、コンセプトが何かかは知らないが、本当に話のネタというか、式場が近いということで寄ってみただけで、まあ、物件が良かったらまとめて買っておこうかと思った事の次第である。かといいつつ、私のようなおのぼりさんも多く存在するだろう。何故かお洒落にアレンジされてしまっているフードコートから、息が詰まるわー、といって出てきたおばちゃんの呟きもそれとなく納得できる。流行っているから、流行っているということが理解できる。私は、ほしい服や食べたいものがないので、百貨店や、ダイヤモンドシティとの差がよく分からないが、ずばり、もしかして、名前が違う、ということかもしれないと思った事の次第である。ブランド品と一緒で、人々は物語を求める。確かに、考えれば、私とて、「今、ロッポンギにできた東京ミッドタウンにおりますねん」という状態が、近所のスーパーで涼んでますねん、より他人に対しては聞こえがいいように思う。同じ値段でもパリのビトンのほうが、東京のビトンより人気があるのと同じように、わざわざ東京まできてまんねん、という優越感は1パーセントぐらいはあるように思う。(でも、もうハイヤットやリッツカールトンで結婚式でもない限り、もう行かないだろうなあ、と思う)結局2つあわせて1時間ぐらいの見学をしたのだが、喧嘩両成敗である。それにしても、コールドストーンクリームに長蛇の列には驚愕であった。世の中には、2種類の人間がいる。長蛇の列に並ぶ奴、並ぶぐらいなら不味い方を選ぶ奴。そう考えたら、旧共産圏というのはすごかったな。不味いのに、長蛇の列に並んでた人々。 しかし、いつの間にか、テレビ局を3社も回ってしまってましたわ。心なしか、セブニレブンもおされにされておる。ありがたやー。宗教がなければ9.11テロやイラク戦争、十字軍、魔女狩り、インドの分割、ユダヤ人の虐殺、女性の割礼もなかっただろう。無神論や世俗主義何が悪いかと、開き直るつもりはないけれど、宗教がなかったら何と命が救われたことか。よく外国で宗教を問われるが、いつも、サイエンスと答えてきた。心斎橋くんも宣伝してくれてた(と思う)チョコ屋であるが、並んでるのでパス。何せ、心斎橋君は、高校1年生のときに八月31日に、葉書を2枚もくれたのだ。「葉書なんか書いている場合ではない、宿題が、ちっとも終わってないと言うか、始めてもない!」と。夏休み前に宿題をすべて終えていた私とは大違いであり、さすがに、大手広告代理店の部長に将来なる男である。夏休み前に3日徹夜して宿題をすべて終えても、将来は、せいぜい離婚するか、飛行機に乗り遅れるか、掃除大臣に任命されるぐらいである。そういう事情もあって、それ以来、何度も途切れながら8月31日は小まめに手紙をシコシコ書く二人であった、というより、今、思いついたのだが、我々は無比の高校肩こりブラザーズで、よく考えたら按摩しあいっこ友達で始まったのかも知れないなどとも思ったのであった。そんな往復書簡の結果、家庭を顧みず、祝日の夜中に会社でミーティングを続けている彼に捧げるのである。地下の六本木駅から、まぶしい、東京ミッドタウンに出たときに、「人間のある箇所は、ある特殊な条件で6倍の大きさになる、その箇所とは?」という問題を思い出した。最近、不思議なことなのであるが、やたらメキシコ関連に出会い、呼ばれ始めたような気がする。もう人形はいいよ、穴水ね。淫靡だね。答えは、明るいところから急に暗いところにでてきた瞳孔である。動向は6倍になる。ちなみにオレのアレは7.3倍になるので、6倍とは違うのである。ちなみに、ゼッケンを禁止したりシュプレヒコールも禁止するようなことをわざわざ書くような施設は、もう「だめ」だと思う。個人的にだけどね。これでガッカリだよ。シオドメと一緒だな。
2007.09.01
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仕事はあまりできないし、どちらかというと、自らもサボり癖がありながらも、要領が悪い、上司からうっとうしがられ、悪い社員からは、仕事をうまい具合に押し付けられる。しかし、ほとんどの社員、仕事と関係ない人みんなから親しまれる。もうちょっとうまくやればいいのになあ、とほっとけない人物、それがMさんだった。嫁には逃げられ、どこに行ったのか知らん、と一度だけ話を聞いたことがある。娘は、10代にして、昨年結婚した。仕事は、リストラ応募に応じ、退職金上乗せで辞め、細々とこの2、3年やってきた。老後は、中のいい友達たちと、自分の家を開放して老人数人で仲良く暮らすのだと言っていた。昨年、急遽入院して手術をして、すぐに退院して、すぐに働き始めた。7日前、逝った。享年50数歳。
2007.09.01
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